新サイバー閑話(53)<折々メール閑話>⑥

安倍元首相銃撃事件と言論の力

B この<折々メール閑話>は5回で終わる予定だったけれど、参院選投票日直前の8日になって奈良県下で応援演説中の安倍晋三元首相が凶弾に倒れるというきわめてショッキングな事件が起こりました。戦前には犬養毅、浜口雄幸といった現職首相が軍部によって倒された例があるけれど、元首相が白昼、銃撃され死亡するというのはまさに驚きです。犯人は元海上自衛隊員でその場で逮捕されましたが、犯行の動機に思想的、あるいは政治的背景があるというより、2021年に大阪で起こった精神クリニック放火殺人のような、私的なうらみからだとも報道されています。標的がたまたま元首相であり、選挙運動中に犯行が行われただけだとすると、動機の究明はこれからとしても、今回の事件は「テロ」というより、むしろきわめて現代的な悲劇のようにも思われます。
 亡くなった安倍元首相や関係者のみなさまに深く哀悼の意を表します。

A 事件の一報を聞いたときはフェイクニュースかと思いました。詳しいことを知りたいと今朝は、近くの駅の売店に新聞各紙を買いに行きました。

B 各紙とも2段ぶち抜き程度の大見出しで、まったく同じ「安倍元首相撃たれ死亡」。その論調は「民主主義への愚劣な挑戦」、「言論は暴力に屈しない」といった暴力(テロ)への強い批判になっています。その論調そのものには異論はないし、現段階の見出しとしてはそうならざるを得ない面もあるけれど、その上で、どこかしっくりこないものが残ります。それはなぜでしょうか。
 こういうことではないかと思います。
 安倍元首相は「日本を取り戻す」という掛け声のもとに戦前日本への回帰を訴えてきたわけですが、その政治手法は、既存制度に組み込まれていた民主主義を健全に運営するためのチェック機能を事前に解体し(法制局長官や日銀総裁を仲間内で固めて)、自説を強行するものでした。多くの憲法学者が違憲とする集団的自衛権容認を閣議決定したのがその最たるものですが、一方で森友、加計問題、あるいは桜を見る会などの不祥事に関しては、のらりくらりと他人ごとのような答弁を繰り返し、挙句の果ては、自分の国会答弁に符合しない証拠書類を官僚に改竄させ、自殺者まで出しています。
 衆院調査局によれば、安倍首相(当時)が行った事実と異なる国会答弁は、2019年11月~20年3月の間で118回だとされています。安保法論議のころ石川健治東大教授(憲法)が安倍政権の手法を「『非立憲』政権によるクーデター」と批判したのはこのことを指しています。
 政治に嘘はつきものと言われれば、身も蓋もないけれど、何の抵抗もなく嘘をついてそれで平気という精神は尋常でなく、そういう首相をもった国民がモラル崩壊に向かうのもけだし当然と言えるでしょう。
 彼の暴走ぶりは体調不良を理由に首相を退いてからも続き、最近のロシアのウクライナ侵攻を受けて、防衛費増強を強く訴えていました。「日銀は政府の子会社」との発言もありました。長い安倍政権下において、国会も、検察庁を含む官僚機構も、安倍元首相の暴走を止められなかったけれど、それはメディアも同罪ではなかったのか、と思うわけですね。新聞やテレビは言論の力を駆使して安倍政治の暴走に有効な歯止めをかけられなかったばかりか、いたずらにその意向を忖度してきたのではないでしょうか。これはあくまで全般的な傾向を述べているもので、そうでない記事や主張があったことはもちろんです。戦うべき時に武器としての言論を使ってこなかったメディアが、これからは闘えるのか、いや闘う気があるのか。そう考えると、選挙中の元首相銃撃という修羅場を〝奇禍〟として、「言論こそ大事だ」と大見えを切ることに、タテマエに寄りかかった気楽なご都合主義を感じざるを得ません。これが違和感の正体ではないかと思うわけですね。動機が私的なうらみということになると、いよいよその感を深くします。

A この事件は明日の投票にどう影響するのか、心配な面もあります。保守の論客、中島岳志は「日本の未来のために自民党の方々にお願いしたいのは、明日の選挙戦最終日を『弔い合戦』にもちこまないでいただきたいという点です。テロと選挙結果に因果関係が生まれると、さらなるテロを誘発しかねません。野党が敗北した場合、野党側も敗因を『弔い』に求め、真の敗因に向き合わなくなります」とツイートしていました。投票日までもはや1日も残っていないけれど、安倍元首相の非業の死が政治のあり方をゆがめないようにしてほしいですね。

B 死者にムチ打つことをしないのが日本的美風だと言われるし、それはそれで悪いことでもないけれど、不慮の死を遂げたからといって生前に政治家としてやってきた行為の責任は反故にはできないですね。

A れいわは街頭選挙運動でこれまでのイベントのようなにぎやかな催しをやめましたが、これは節度というものでしょう。事件当日のれいわ候補者の街頭活動をユーチューブで見ていましたが、党代表であり東京選挙区で厳しい戦いを続けている山本太郎は、安倍元首相の冥福を祈りつつ、「言論、主張の場である選挙期間中に言論を封殺するような事件が起こったことに強い憤りを感じる。街頭活動をやめるという党もあるようだが、選挙はまさに言論を戦わせる場所だから、れいわとしては、音楽入りなどお祭りムードのイベントは自粛させていただくが、街頭活動は明日も続けるつもりです」と毅然として語り、全国比例から出ている長谷川うい子は「積極財政で民主的で平和な道を歩んでいきましょう」といつも通りの主張を力強く繰り返していました。
 まだ若い大阪選挙区のやはた愛は「起きてはいけないことが起きてしまった」と訃報に動揺を隠せないようでしたが、参院選候補の応援に駆けずり回っている衆院議員、大石あき子は、山本太郎を国会に戻す一心で奮闘していました。彼女がツイートした「野党というものを、もっと強い野党にしないといけない。本当にこいつらならやれるなっていうガチの野党を作るしかない」という意気込みはたいしたものだと思います。4人4様の対応で、これこそがれいわの多様性を象徴しているでしょう。

B 我々としては、固唾を飲んで明日の投票結果を待ちましょう。れいわの躍進を期待したいですね。(敬称略)