「安倍国葬」にみる現代日本の「明るい」闇
B なかなか終われない<折々メール閑話>です。安倍元首相銃撃事件に対するメディアの見当違いとも思える「暴力に屈するな」、「言論を守れ」というご都合主義的な「軽さ」については前回ふれたけれど、その後の調べで、犯行はカルト宗教、旧統一教会(現在は世界平和統一家庭連合、以下統一教会と表記)に絡むことがわかりました。母親が同教会にのめり込んで多大な献金をしたために家庭が崩壊、そのうらみをはらすために元首相を襲った。同教会と安倍元首相の深い関係はぼ公然の秘密、というより、安倍氏本人は隠しもしていなかったわけですね。
彼のこれまでの政治的実績、およびその責任については前回書いたのでくり返さないけれど、犯人は元首相の主張とは無関係に、ただ「親の仇討ち」の一目標として銃撃したようです。
A その元首相を岸田首相は国葬にすると決めました。銃弾に倒れたというのが大きなきっかけですが、むしろその不幸な死を最大限に利用して、自民党支配を徹底しようという思惑がはっきり出ています。今に来ての自民党の安倍絶賛モードは恐ろしいほどです。
岸田首相は国葬にする理由として8年8か月という憲政史上最長の首相在任期間を上げていますが、その間に安倍元首相がやった諸政策への検証はまったくない。不慮の死を遂げた安倍元首相を祭り上げて、あらゆる批判を封じるとともに、そのことで岸田内閣の安定を図ろうとする「元首相の政治利用」の魂胆が見え見えです。
戦後、国葬をしたのは敗戦直後の吉田茂だけで佐藤栄作、大平正芳、中曽根康弘、みんな国葬ではなかったですね。
政党で国葬にはっきり反対しているのは日本共産党、れいわ、社会民主党だけです。共産党はすぐ志位委員長談話を発表し、「安倍元首相を、内政でも外交でも全面的に礼賛する立場での『国葬』を行うことは、国民の間で評価が大きく分かれている安倍氏の政治的立場や政治的姿勢を、国家として全面的に公認し、国家として安倍氏の政治を翼賛・礼賛することになる」と厳しく批判しています。れいわも「国葬という形でこれまでの政策的失敗を口に出すことも憚れる空気を作り出し、神格化されるような国葬を行うこと自体がおかしい」との声明を発表しています。
B これらの意見はまっとうですね。ジャーナリストの佐藤章がツイッターで実に明快な批判をしています。「安倍は日本国に殉じたのでも功績を残したのでもない。国に残したものは国民の分裂と混乱、行政の堕落と経済の泥沼。しかも最期は霊感商法の『守護神』として霊感商法被害者の家族に復讐された。国葬とするなら文字通り日本国の『国葬』となろう」と。
元首相は森加計問題、桜を見る会などで司直の捜査を受け、罪に服すべき人間でもあったわけで、凶弾に倒れたことでそれらがすべて反故にされ、祭り上げられるというのはまことに皮肉です。
死者への哀悼と彼の政治的責任がごっちゃにされている昨今の風潮にこそ、現代日本のおぞましい状況を感じざるを得ません。それは必ずしも岸田政権だけの話でもなく、それになびきがちのメディアもそうだけれど、もっと深刻なのは、かなりの国民がそのことを不思議とも思わず、なんとなく認めてしまっているように見えることです。
テレビニュースでこんな画面を見ました。
事件現場の奈良市や都内に設けられた献花台にけっこう若い人も参列しており、奈良では若い母親がインタビューされて、「この子が(元首相を)好きだったので」と幼稚園児らしい子どもを指さして話していました。東京ではパート従業員という若い女性が「日本のためにがんばってくれていたのに」と涙ながらに語っていました。
奈良の母親は子どもになぜ「ウソをついたら地獄で閻魔さまに舌を抜かれるよ。この人は国会でウソを100回以上もついていた人ですよ」と教えないのか。パート従業員の女性はなぜ自分の給与が低く、ここ数十年、暮らしが楽にならないのは政治のせいではないかと考えないのか。
ここには、ものをまともに考えなくなっている日本の「明るく」、それ故に底なしに「深い」奇妙な闇が広がっていると思います。こういう人を選んだかのようにテレビで流して平気な放送局も同じです。
安倍政権(を始めとする自民党政権)は、長い時代に大勢順応的で政権批判をすることは中立的ではないと思う人びとを育ててきたわけですね。その「遺産」を岸田政権は踏襲し、日本をますます劣化させていきたい、そのための国葬と言ってもいいでしょう。
A 前回は参院選投票前日だったわけですが、選挙の結果は、「嬉しさも中くらいなりおらが春」という感じでした。れいわの熱狂的支持者の間では「れいわ旋風」が起こったとの声まで上がっていましたが、もともと選挙にあまり関心を持たない層には、それこそどこ吹く風なんだということも感じさせられました。少なくとも比例で長谷川うい子、大島九州男、高井たかしは通るのではないかと思っていましたが、ふたを開ければ特定枠の天畠大輔と水道橋博士のみ。大阪のやはた愛、埼玉の西みゆかなどよく健闘したとは思いますが‣‣‣。
B 水道橋博士の滑り込み当選は、前回衆院選での大石あき子に次ぐ「滑り込み快挙」で、選挙運動の進展に伴いぐんぐん成長していった彼の今後は大いに楽しみです。
しかし、全体的に見ると、投票率は相変わらず低く52%、自民圧勝、維新も伸びるという今後の政局に暗雲が漂う結果でしたが、その「暗雲」がさっそく垂れこめたのが岸田内閣による「安倍元首相国葬」の決定と、それを陰で支えるメディア、そしてかなりの数の国民の存在です。
今回の国葬騒ぎを見ていると、残る50%が投票に行けば、野党の票が伸びるとも言えない感じですね。投票に行かない層や若年層も含めて、一億総自民化が進んでいるように思われます。与党は憲法改正を発議する両議院での3分の2の勢力を大きく上回ったわけで、実際に改憲が発議されるのも遠くないでしょう。
ここで心配なのは国会での改憲論議が、憲法はいかにあるべきかという原理論はすべて棚上げ、沖縄県知事が望んでいるような「改憲よりも先に地位協定改定」といった切実な声もまったく顧慮されないまま、ただ「自衛隊」という文字を憲法に書き加えるという、国の最高法規である「憲法が泣く」とでも言うべき、みすぼらしい改憲案となり、それがまた国民投票であっさり承認される(過半数の賛成を得る)のではないか、という悪夢です。
A れいわ「苦戦」の背景もこれですね。
B 選挙における1人1票運動に取り組んでいる升永英俊弁護士に話を聞く機会がありましたが、「選挙は国会の多数を獲得するための国民の戦争である」というのが升永さんの考えです。彼は「そのことがよくわかっているのが自民党で、多数を獲得するためにあらゆる努力をし、そして成功している」とも言っていました。今度、東京選挙区で当選した自民党の新人タレント議員は、選挙期間中もほとんどテレビ局の取材を受けなかったけれど、巷間伝えられるところによると、「今はまだ勉強不足でお話できることはない」のが理由だったとか。こういう人が当選するわけですが、これが「議員に見識など不用。法案審議のとき、あるいは憲法改正発議のとき、議会で1票を投じてくれればいい。余計な考えはむしろ邪魔」とでも言うような自民党の選挙戦略なわけですね。そして当選した人は、自分の起用のされ方を恥ずかしいとも思わず、「安倍さんの志を受けついで日本のために頑張りたい」と言うわけです。
こういう状況に対して野党はどう戦うべきか。互いに足の引っ張り合いばかりして、大きな視野を持っていない現状では、選挙で負けるのも当然と思われます。また国民はどう行動すればいいのか。自民党も嫌だけれど、野党も頼りない、と棄権したり、消去法で自民党を選んだりしてきた結果がいまの政治を生んでいるという冷厳なる事実をもっとよく考えるべきですね。
A 維新も議席を増やしましたが、維新は明らかに自民党の選挙戦略をまねていますね。参院選前に山本太郎が衆議院のバッジをわざわざ外し(次点の櫛渕万里に議席を譲り)参院選に打って出たのは、彼にはその現状がよく見えており、それに対するあせりがあったからだと思いますが、その不退転の決意は、むしろ「明るい闇」の壁に阻まれたとも言えます。結成わずか3年で、衆参合わせて8議席を獲得したのは上出来と言えなくもないですが‣‣‣。
B この日本を本当の意味で「取り戻す」ためには、これからも長く辛い戦いが続くでしょう。我々としては、なお「貧者の一灯」を掲げて、大石あき子が言うような「頼りがいのある野党」をつくりあげるために出来ることをしていきましょう(^o^)。