新サイバー閑話(77)<折々メール閑話>㉖

なお安倍政権の腐臭漂う高市問題

B このところ国会で続いている高市早苗元総務大臣(現経済安全保障担当大臣)をめぐる放送の「政治的公平」にからむ質疑にはまったくうんざりしますね。このような人が大臣として国の安全保障を担っている岸田政権のお粗末さを感じざるを得ません。

A 参議院予算委員会で立憲民主党の小西洋之議員が、安倍政権当時の2014年から16年にかけて首相官邸と総務省の担当者が協議したとされる文書を示しながら、「個別の放送番組に圧力をかける目的で従来の法解釈を変えた経緯が示されている」と追及したのが発端です。
 総務省は従来、テレビ放送などの政治的公正に関し「一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断する」との見解を示していましたが、2015年5月、当時の高市総務相が「一つの番組でも、極端な場合は政治的公平を確保しているとは認められない」と答弁、その後、政治的公平を欠く放送を繰り返した放送局への電波停止を命じる可能性にも言及しています。小西議員の提示した文書には、この法解釈変更を推進したのが当時の磯崎陽輔首相補佐官であり、高市答弁には安倍首相の意向が反映していることをうかがわせるものでした。
 この辺の経緯は当時から安倍政権の放送(マスコミ)への介入として話題になり、実際、テレビで政権に批判的なスタンスをとっていたキャスターや出演者が徐々に姿を消していきました。「報道の自由」という観点からは由々しき事態でもあったわけですが、テレビ局も正面から批判反論するようなことはなく、なんとなく政権側に「押し切られた」というのが実態です。
 今回の小西議員の追及は、総務省の内部文書をもとに、この間の政権側の動きを明るみに出したもので、これに対して答弁を求められた高市前総務相が、どういうわけか「その文書は捏造だ」と居丈高に反論し、小西議員が「もし本当なら大臣も国会議員も辞めるのか」とただすと、「結構ですよ」と答弁したんですね。
 文書は総務省の行政文書であることが確認されると、今度はそこに書かれている総務省と大臣とのやり取りに関わる文書が「不正確である」と論点をすり替えました。その後の国会質疑は、高市氏の支離滅裂と言ってもいい対応で迷走を始めたので詳しくはふれませんが、自分が総務大臣のときの議論を時系列で整理したメモを「不正確だ」と反論するのも妙だし、それで「捏造文書でないとわかったら大臣も議員も辞める」と言った答弁が覆されるわけでもないのに、なお国会は紛糾、当時の関係者を喚問しようという流れになっているわけです。

B 文書を素直に読めば、政権に批判的な声を「封殺」したい安倍首相の意向を受けて、磯崎補佐官が総務省に圧力をかけようとした、当初総務省や高市総務大臣も躊躇気味だったのが、しだいに官邸側に押されて、大臣の国会答弁につながった経緯は明らかなように思えます。
 それをなぜ高市氏は「捏造だ」などと言って、否定しようとするのか。高市氏は放送法の解釈変更、さらには電波停止の可能性といった強硬発言をしたけれども、それが安倍首相の意向を反映したものであることをどうも認めたくないらしい。その思惑はいろいろ憶測されています。

A 安倍首相に取り入る高市氏の戦略(忖度)だったと思うけれど、いまや彼女を守ってくれるだろう安倍元首相はこの世に存在しません。彼女が安倍首相の何を守ろうとしているのかもよくわかりません。
 一方で、岸田首相が高市大臣を首にすればいいだけだとも思うけれど、それが出来ない。腹立たしい気持ちが収まらないですね。問題がこれだけ長引くのは、政権側の意図ではないかとすら思いたくなります。

B <折々メール閑話⑧日本を深く蝕んでいた「アベノウイルス」>で提起した「アベノウイルス」の腐臭が、今なお自民党を深く覆っているということでしょう。当時も総務省見解としては、放送の政治的公平に対する考えは、「解釈の変更ではなく、これまでの解釈を補充的に説明し、より明確にしたもの」と説明、現在でもその通りだとしているけれど、一連の出来事を通じて実際に起こったことが、放送局の番組をより「規制」するものだったのは確かです。そのころ放送現場では国谷裕子(NHKクローズアップ現代)、古舘伊知郎、古賀茂明(テレビ朝日報道ステーション)など、わりとはっきりものを言っていたキャスターやコメンテイターの降版が相次いでいます。それぞれ理由はついているけれど。

A 高市氏のやけ気味の発言につられて迷走している質疑には、木を見て森を見ず、の感が強いですね。本質的な問題が論議されていない。
 また高市大臣の答弁を見ていると、往生際が悪いというか、まことに見苦しい。こういう人物をのさばらせてきた国民にも責任があると言えますね。

20年前のNHK番組改編事件

B 安倍亡きあとのアベノウイルス罹患者の断末魔、というと言いすぎかな。この事件で思い出すのはもう20年前、安倍政権誕生以前の2001年に起こったNHK番組のシリーズ「戦争をどう裁くか」の第2回、「問われる戦時性暴力」をめぐる番組改編問題です。
 政治家の放送番組介入として大きな話題になり、またさまざまな余波を生んだ出来事ですが、NHKに働きかけた政治家として登場するのが、自民党の中川昭一、安倍晋三の両議員です。当時、中川氏は経済産業相、安倍氏は内閣官房副長官で、2人は「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の代表、および事務局長でした。
 当該番組が放送されたのが2001年1月30日で、戦時下の慰安婦問題の政治責任を問う報道姿勢に対して番組制作の過程から右翼からの抗議が行われていたようですが、これが大きな社会問題になったのは4年後の2005年1月12日に朝日新聞に政治家が「番組内容が一方的である」とNHK幹部を呼んで内容を「改変」するよう圧力をかけたという記事が載ったのがきっかけです。その後、NHK幹部や両政治家の反論、それに反論する形でのNHKディレクターの告発会見、取材を受けた側からの「番組が不当に改変された」という提訴など、さまざまな波紋を呼びました。後にこの問題を告発したNHK永田浩三プロデューサーによれば、安倍議員はNHK放送総局長に対して、「ただではすまないぞ。勘ぐれ」と言ったといいます。なかなかドスの利いたセリフです。
 そして結果は、事実はあいまいなまま、最高裁では原告敗訴、朝日新聞が細かい事実の誤りをお詫びするというしりすぼみの結果に終わっています。たしかなことは、NHKがより一層の政権寄り姿勢を強めたことです。
 安倍政権下でメディア規制はいよいよ激しくなったわけですが、2014年と言えば、朝日新聞が慰安婦報道の誤りを認めて謝罪、急速に力を失っていく年でもあります。

A この出来事は、ウィキペディアに「NHK番組改変問題」として、詳しい経過が出ていますね。

B 放送は、公共の電波を使用することで、電波法によってかなりの制約を受けていますが、放送法によってもいくつかの制約が課せられています。
 第1条で「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」をうたい、第3条では「放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」と、放送番組編集の自由を認めていますが、一方で第3条の2①で、「放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない」として、以下の4つを上げています。

①公安及び善良な風俗を害しないこと
②政治的に公平であること
③報道は事実をまげないですること
④意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること

 これが一般に「放送番組準則」と呼ばれるもので、その理由としては、放送が有限の資源である電波を独占的に使用することと同時に、その社会的影響力の大きいことが上げられています。この番組編成準則は、放送局の公共性を保つための、あるいは一般視聴者がそれを要求するための盾となってきた面がありますが、他方で、権力が放送内容に介入する口実となってきたわけです。
 そして2014年の事例は、安倍政権のメディア規制をめぐる内幕を暴露するものだということになりますね。

A イギリスの国営放送BBCをめぐり最近、こういう報道がありました。サッカー元イングランド代表主将のゲーリー・リネカー氏が政府批判の発言をしたことで、BBCが同氏を看板サッカー番組の司会者から降版させたところ、視聴者から抗議が殺到したために、BBCは同氏を復帰させると発表したというのですね(2023年3月13日)。この決定には野党の批判や同氏を支持する解説者が番組出演を拒否したといった事情も反映しているようで、同氏は「復帰を非常に誇りに思う」とツイートしたそうです。日本の現状からは考えられない話です。

B 言論の自由(報道の自由)の擁護を目的としたジャーナリストによる非政府組織「国境なき記者団」が毎年発表している世界報道自由度ランキング(Press Freedom Index)の2022年調査では、日本はなんと71位、もちろんG7で最低です。その理由として「記者クラブの存在」や「特定秘密保護法」などを上げているようですが、もっと根源的な理由があると思いますね。
 戦前もマスコミは大政翼賛体制をむしろ積極的に推進する側だったわけで、戦後は占領軍(GHQ)の意向を受けて民主主義的傾向を強めたけれど、その後また、どんどん体制順応的な姿勢になっています。
 山本七平が『「空気」の研究』という本で、日本人には「臨在感的把握」という対象にべったりのめり込んでしまう傾向があり、すべてがその場を覆う「空気」によって決められる、と指摘しています。あのときはそういう空気だったからしょうがなかったと、安易に既成事実に屈服してしまう。それは同時に責任回避にもつながるわけですね。
 問題はその「空気」を醸し出しているものに対する洞察力です。山本七平は戦前の軍部、戦後の公害追及などを俎上に上げていますが、空気は右にも左にも大きく揺れます。
 戦前は第一線の軍人が勝手に(確信犯的に)暴走し、既成事実に弱い上層部がそれを追認、抵抗し難い「空気」に流されるように戦争に突き進んだわけだけれど、安倍政権の政策決定は、政権トップである首相の突撃モードを周囲の人間が忖度するかたちで成立していました。これが安倍政権の「空気」であり、アベノウィルスの培養器です。
 今回の文書はこの間の事情を明るみに出したことに意味がありますね。あいかわらず責任の主体が、個人の中にも、組織にもない。高市大臣はそういう政権の実態を隠したいのかもしれません。そして岸田首相も、安倍政権の手法を踏襲しているわけです。
 したがって、今回の出来事は、番組準則の意味とか「報道・表現の自由」のあり方について議論するいい機会だと思いますが、そういう「空気」はまるでありませんね。およそ瑣末な話に堕しているのが、まことに情けない。
 若者の間で「空気を読む・読まない」が流行語になっているのは皮肉でもありますね。

A 最近の山本太郎の街頭演説の一節を紹介しておきます。

 徹底的に抗う人たち、空気を読まない人たちの数を一人でも多くしなけりゃ、ほんとに地獄みたいな社会が広がっていくだけだと考えて、4年前に旗揚げしたのがれいわ新選組です。バックに宗教もない、企業もない。私のバックはあなたなんですよ。あなたが1人から2人に広げて、3人に広げたという結果、4年で8人の国会議員が生まれた、これって権力側が一番怖がるんです。
 私たちは屋台村なんです。それぞれが引いて行った屋台で公園に集合して、これから海渡ろうぜ、って言ってるんです。自民党が海渡るときは軍艦、野党第一党が渡るときは豪華客船、私たちが渡るときは手作りの筏です。これで太平洋を渡ろうぜ、という無茶苦茶なプランなんですよ。でもあなたの力があればできる、ここまで地獄を深めることができたんだったら、その逆もできる!

B 「山本太郎が日本を救う」。着地ぴったりですね(^o^)。