『通販生活』の特集に納得しました
A 選挙応援演説中の岸田首相に向って爆発物がまた投げ込まれる事態となり、社会に不穏な空気が漂い始めましたが、その間、ドイツでは2011年の東日本大震災と原発事故をきっかけに宣言した脱原発政策が完了したというニュースがありました。唯一の被爆国であり、原発事故にも見舞われた日本ではなぜ、脱原発に踏み込めないのか。それ自体、大いに疑問ですが、それよりももっと問題なのは、脱原発に対する真摯な議論が起きていないことですね。
B 4月18日の東京新聞によると、15日に最後の原子炉3基が発電を停止、2030年までに電力消費の8割を再生エネルギーで賄う計画とか。達成までの道は険しく、「ロシアのウクライナ侵攻に伴うエネルギー価格高騰や供給不安で運転延長を求める声が高まる中、政府は事故のリスクや放射性廃棄物の問題を重視し、約60年に及ぶ原発利用に終止符を打った」と言います。ここには確たる決断と、それを実行に移す政治があると思いますね。
A それに比べて、日本の政治はまったくお粗末です。今回の爆発事件でも、テロを警戒して警備を強化しようという方向でしか話が進まず、テロを生み出す温床は何か、といった本質的な議論はほとんどないですね。
B 安倍政権以来とみに、民主主義の基盤である既存制度やそれを支える精神をあっけらかんと破壊、しかも国会という議論の場も軽視して、政権(閣議)だけで勝手にことを進めるファッショ的な風潮が強まっています。小西議員が問題提起した放送法の公平性問題も、高市元総務相の地元奈良での自民敗退は痛いとか、小西議員のサル失言はけしからんとか、瑣末な問題に論点がすり替えられ、本筋の議論は国会でも、メディアでもほとんどスルーされています。こういう空洞化現象はいよいよ深まっています。
A いまのところ、絶望的な状況下の青年による孤独な爆発物テロという感じですが、これまた新聞・メディアの騒ぎようは異常だと思います。
B ところで、最近、ちょっと嬉しいニュースが2つありました。
1つは妻宛に届いているカタログ雑誌『通販生活』2023年夏号に「岸田首相の〝聞く力〟は、誰の言葉を聞いているのだろうか」という緊急特集があり、<「敵基地攻撃能力の保有」に反対する12人の女性の声をぜひ聞いてください>として、上野千鶴子(社会学者)、上原公子(元国立市長)、落合恵子(作家)、加藤陽子(東京大学大学院教授)、斎藤美奈子(文芸評論家)、澤地久枝(ノンフィクション作家)、田中優子(法政大学前総長)、中島京子(作家)、浜矩子(エコノミスト、同志社大学大学院教授)、三上智恵(映画監督)、安田菜津紀(フォトジャーナリスト)、山本章子(琉球大学人文社会学部准教授)の声を掲げていました。
A 堂々たる顔ぶれですね。しかも女性ばかり。ひと昔前なら朝日新聞にでもありそうな特集がカタログ雑誌で行われているのも驚きです。もはや朝日には無理とも思える企画です。
B 特集前文は以下の通り。これがまた立派です。
昨年の臨時国会(2022年10月3日~12月10日)で、岸田内閣は「敵基地攻撃能力の保有」について、ひと言の問題提起も行なわなかった。
ところが国会閉幕を待っていたように、6日後の12月16日、いきなり「敵基地攻撃能力の保有」を閣議決定し、国会(国民)に説明する前に、年明け早々の1月13日、訪米してバイデン大統領に報告した。もしかして報告させられたの?と邪推したくなるようなタイミング。
国会(国民)への説明は帰国後の1月25日(施政方針演説)だったが、「防衛問題だから手の内は明かせない」と国会での本格議論は一向に進まない。これまでの「専守防衛」や「憲法九条」とどう折り合いをつけるつもりなのか、国民(自民党支持者含めて)には全く説明なし。岸田首相の国会(国民)軽視、プーチン氏や習近平氏とあまり変わらないように思えてしまう。
本文では、それぞれがしっかりした見解を表明していますが、ここでは歴史学者の加藤陽子さんの全文だけ上げておきます。
今を生きる人々に、昭和戦前期にあった大本営政府連絡(連絡会議)の構成員が誰か間いても知る人はいないだろう。だが昨年12月、国家安全保障戦略・国家防衛戦略・防衛力整備計画の3文書が決定された場として、閣議のほかにもう一つ名が上がった会議、国家安全保障会議(NSC)の構成員を知らないのはかなリマズい。
戦前の連絡会議で、陸海軍軍務局長ら軍人が専横を極めたことで、国民は存亡の危機に立たされた。ところが今回のNSCでは、首相・外相・防衛相・内閣宣房長官、たった4人の判断で、1976年以降改訂されてきた防衛計画の大綱、が完全に書き変えられてしまうこととなった。
予算と法律の審議によって、国会での入念な議論と国民の叡智を結集する機会を設けることもなく、NSCの大臣会合を支える極めて少数の安全保障担当者の限定的な判断力と恣意的な判断によって、国家と国民の将来の存亡が委ねられてしまってよいはずはない。
国民は政治に向き合おう。まだ間に合う。
ちなみに加藤陽子さんは中高生向けに講義した内容をまとめた『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社、2009、小林秀雄賞受賞)などで有名ですが、2020年に菅義偉政権によって学術会議会員への任命を拒否された6人の中の1人でもあります。
A 拒否された6人はいずれも人文科学、社会科学の分野の学者で、しかも安保法制や特定秘密保護法、共謀罪など、安倍政権下の政策に異議を唱えた人たちばかりですね。政府が検討中の学術会議法改正案では、会員選考に第三者の選考諮問委員会を関与させようとしており、17日開かれた学術会議総会でも、会員から反対意見が続出したといいます。
B まことに戦前を思い出しますが、学問への露骨な干渉が進み、これについての反対意見というか反対運動がそれほど盛り上がらない。加藤さんじゃないけれど、国民はいまこそ戦前の歴史に学ぶべきです。
加藤陽子の別の本(『戦争まで』)によると、19世紀の軍事思想家、クラウゼヴィッツは『戦争論』で、「戦争は政治的交渉の一部であり、従ってまたそれだけでは独立に存在するものではない」と言っている。以前にも紹介した昭和史および漱石の研究家、半藤一利が『昭和史』(平凡社ライブラリー)かどこかでふれていましたが、夏目漱石も「人びとはとかく大事件に注目するが、それ以前の小さな出来事の意味が大きい」といったことを書いているとか。
いまや世界的に戦争をあおる空気が強いけれど、戦争以前の外交努力こそが大事だと言えますね。ウクライナ問題を考える時、大いに腑に落ちる話でもあります。ロシアのウクライナ侵攻は非難されるべき暴挙であるけれど、それ以前にアメリカを中心とした西側陣営がNATOのロシア包囲網を進めた事実、侵攻後はウクライナに武器を供与、むしろ戦いを続ける要因になっていることなどを無視できないですね。
歴史の教訓ということを考えると、先にも言ったけれど、唯一の被爆国であり、つい最近、悲惨な原発事故も経験、しかも平和憲法を奉ずる日本がなぜ、戦争回避や世界平和への努力をほとんどせず、安保法制強化、軍備増強、原発延長、学術会議任命拒否など重要政策の転換を、まっとうな議論抜きで強行できているのか、現代日本政治の異常さを感じざるを得ません。そういう日々の中で『通販生活』の特集にいささか救われる思いがしたと(^o^)。
A もう1つの嬉しいニュースとは。
B そうそう、それを忘れていました。先日夜、もう40年も前、組合活動を1年間ともにした旧友から突然、電話がありました。「酔っぱらった勢いで電話しました」との前置きのあと、「サイバー燈台の連載コラムをずっと読んできましたが、統一地方選で初めてれいわに1票を投ずることにしました」と言ってくれたんですね。酔っぱらっての夜分の電話という行為もすでに十分懐かしいのに、内容が内容だけに、嬉しさもひとしおでした。
A それは嬉しいですね。もっともれいわが候補を立てないと、投票はできません。
B 神奈川県知事選など、その問題はあると思うけれど、気分をよくしたところで、今日はおしまい(^o^)。