新サイバー閑話(114)<折々メール閑話>55

国会無視の「集団的自衛権行使容認」から10年

 B 安倍内閣が閣議だけで集団的自衛権の行使を容認して、すでに10年がたちます。それまでの政府解釈では「集団的自衛権は憲法違反」だとされてきましたが、安倍内閣は2014年7月1日、国会の審議も経ずに、一内閣の決定だけでこれを覆したわけです。「非立憲内閣の上からのクーデター」とまで言われた暴挙だったわけですが、この決定により、日本は「専守防衛」から大きく舵をとり、「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、日本国民の権利や生命が根底から覆される明白な危険がある」場合は武力を行使できることになりました。
 本来、立法府である国会で議論し決めるべき事柄が、行政府である内閣によって安直に、そして恣意的に決めていいのだという風潮がこれ以来、一気に広がりました。悪貨が良貨を駆逐するように、民主主義的な政治手続きが骨抜きになり、国会を無視するばかりか、民意などどこ吹く風、大事なことは何も説明せず、不都合なことはあえて隠して、強引にことを運ぶという路線の上にここ十年、アメリカ追随の軍事大国化への道を突き進んできたわけです。
 安倍内閣は2015年にその閣議決定をもとに集団的自衛権行使容認を柱とする安全保障関連法を成立させましたが、この動きは岸田政権へと受け継がれます。2022年12月には、防衛力強化に向けた新たな「国家安全保障戦略」などの安保関連3文書が、これも閣議決定され、敵基地攻撃能力(反撃能力)保有も明記されました。また防衛財源確保法、防衛産業基盤強化法なども成立、武器輸出ルールの緩和も進んでいます。

A その安倍政権は2020年1月、当時「政権の守護神」とまで言われていた東京高検検事長、黒川弘務氏の定年を、これも突然、これまでの慣例を無視して閣議決定だけで「検察官の定年に国家公務員法は適用できる」ことにし、黒川氏が63歳の定年を迎える数日前に半年間延長することを決めた。半年延長する間に彼を65歳定年の検事総長に昇格させようという恐れ入ったごり押しです。

B 森加計問題や桜を見る会など安倍政権の強権政策への国民の批判を、検察当局に「身内」の人材を送り込むことで糊塗しようとしたわけですね。集団的自衛権容認のために法の番人ともいうべき内閣法制局長官の首をすげ替えたのと同じ手法です。
 この点については本コラム「日本を蝕んでいたアベノウイルス」(『山本太郎が日本を救う』所収)で取り上げ、以下のように書きました。

 なぜ安倍政治は短期間の間に日本をかくも無残な状態に陥れることができたのか。それは安倍晋三という個人の資質と大いに関係があります。一方に愚鈍というほどの無神経があり、他方に一国の首相という絶大な権力があった。この不幸な組み合わせが、他の人ならさすがにここまではやらないと思うような事柄を臆面もなく実行させ、しかもそれが実行された暁には、多くの人が「そういうことも許されるのか」、「それもありか」と安易に追随するという連鎖が起こった。それが「決断する政治」の内実です。ここには既成事実に弱い日本人の特性が大きく影響していると言えるでしょう。この結果、政治の世界のみならず、日本社会の隅々までアベノドクが蔓延しましたが、銃撃事件によってそれが国民の目に可視化されたわけです。

A 折りしも今年6月27日、検事長定年延長に関する文書の開示を求めた訴訟に対して、大阪地裁は「法解釈の変更は元検事長の定年延長が目的」だと明快に断じ、国に文書開示を求める判決を出しました。

B 今更ながらとは言うものの、まっとうな判断が出てほっとしました。従来の判決ではクロであるものをシロと言い含めるために、やたらに複雑な判決になりがちですが、すなおに考えればこういう判断になるしかないと思わされる明解な判決文でもあります。
 結局、この10年で日本の立憲政治は完全に空洞化したと言ってもいい。安倍内閣の罪はきわめて大きい。自分ではほとんど何も考えない岸田首相は、安倍元首相の路線上で対米追随外交をしゃにむに推進しており、日本の主体的外交というものはまったくない。訪米時にバイデン大統領の専用車に乗せてもらってにやついている岸田首相の顔は見苦しいですね。

A そのバイデン大統領もひどい。年末の大統領選をめぐるトランプ元大統領との最近の討論会では年齢的な衰えが目立ち、正視するのもつらい状況で、ニューヨークタイムズなど「あなたが国に貢献できる唯一の方法は大統領選から撤退することだ」と述べたほどです。

B 彼は自分の年齢的衰えを自覚しているのだから、潔く身を引いて、トランプ大統領再選の「悪夢」を実現させないように最善を尽くすべきだと思いますね。これは政治家のモラルの問題です。いつまでも権力にしがみつく彼の姿はまことに醜い。日本の新聞が嘘にまみれた小池都知事に引導を渡せないのに比べると、ニューヨークタイムズは立派だとも思いましたね。

A 裁判の話題ということでは、7月3日、最高裁大法廷で「旧優生保護法は個人の尊厳と人格の尊重の精神に反しており」違憲であるとの判決が出ています。これも特筆すべきだと思います。
 いまは東京都知事選が真っ盛りですが、混沌の先に激変の兆しは見えますかね。最近はこんなことも考えます。

 宇江佐真理の小説に出てくる人情あふれる長屋共同体はどうして跡形もなく消えてしまったのか。小学生から中学高校まで過ごした小さな町の7棟の2軒長屋時代には、それは間違いなくあった。14家族のそれぞれの家族が何人構成で、一家の主の職業はもちろん、子どもたちの名前や誰が何年生でどこに通っているか、成人した家族はどこで働いているかなどすべてが分かっていた。嫌なおばさんもいて、少々うるさく思うこともあったが、それは江戸時代の長屋生活でも同じだろう。おおむね親切で優しいおばさんが多かったし、年寄りは年寄りらしくそれなりに尊敬され、暖かく皆も接していた。お金の貸し借りがあったかどうかは知らないが、味噌や醤油の貸し借りは普通だった。当時は毎日風呂を沸かす家など多くはなく、お互いもらい風呂というときもあった。皆等しく貧乏でお金持ちはいなかった。電話は親しい商店にかかって来て呼び出し電話だったし、テレビも無かった。

 B 僕のところも風呂は共同で、風呂焚きは住人の当番制でした。風呂が沸くと拍子木をもって町内をふれ歩いたことを思い出しました。戦後まもなくのみんな貧しいころで、だから相互扶助というか助け合いの精神は豊かでした。と言うか、当たり前の風景でした。
 メソポタミア文明の石に書かれた文字を解読したら、「最近の若い者はだらしがない」というようなことが書いてあったと、これは真偽定かではないけれど、歳をとると昔の生活が懐かしくなるのは古今東西変わらぬようですね。しかし、このことを差し置いても、戦後の日本の歴史は急速に衰退に向かっているように思います。
 戦後の貧しさから立ち直り、やがて高度経済成長になり、みんな故郷を離れて都会に出るようになりました。団地やニュータウンに住み、生活は豊かに、そして便利になったけれども、かつての人びとが大事にしていた大切なものも失われた。
 有名なエズラ・ヴォ―ゲルの ジャパン・アズ・ナンバーワン が出たのは1979年です。1980年から90年代にかけて、世界でも最高水準の経済大国とみなされるようになったわけですが、スイスの有力ビジネススクールIMDが毎年発表している世界競争力ランキングによると、2024年の段階で日本は38位です。3年連続で過去最低を更新しています。企業の生産性や効率の低さなどへの評価が落ち込んだことが主な理由と言われますが、まことに昔日の感に打たれます(表は日本経済新聞から)。
 安倍政権はその衰退の時期に生まれ、それを立ちなおすべきときに、むしろ破壊し尽くしたと言えますね。この期間は政治の堕落と経済の衰退が軌を一にしています。いまの若者は高度経済成長も知りません。日本の過去の長所の多くが失われ、それに代わる新しい秩序、倫理が生まれないことに、ITの発達が関係しているというのが僕の持論でもあります。
 過去の誤りの指摘はそれ自体としては必要であり、また意味あることでもあるが、その間の歴史を取り戻すことはできないですね。

 A こういう状況下にありながら、たとえば東京都知事選では依然として小池百合子現知事の優勢が伝えられているわけでしょう。公明党婦人部が小池百合子を支持しているのもどうかと思うけれど、労働組合の連合が小池支持というのは開いた口がふさがらないですね。小池百合子のどこが働く者の味方というんでしょうね。

B 前回もふれたけれど、僕は前安芸高田市長、石丸伸二氏の街頭演説の熱気に新しい政治の息吹を感じています。彼が保守の小池支持層を突き崩してそのまま突き進むか、その余波で蓮舫が浮上してくれることを、外野から期待している状況です。