東山「禅密気功な日々」(23)

マイナスからの出発

 以後しばらく、高齢者の筋肉トレーニングと禅密気功(とくに蠕動)について書くことにする。

 高齢になると、使っていない筋肉は確実に衰える。滓がたまっていくからである。軽い負荷でいいから、すべての筋肉をこまめに動かしてやる。精神を集中し丁寧に、ゆっくり、意念を細胞の一つひとつに行きわたらせる。これが高齢トレーニングの要諦である。歳をとればとるほど、実は筋肉トレーニングが大事になる。毎日、食べたり、寝たり、呼吸したりするのと同じように、トレーニングすることを心がけるのがいい。

 若いときに快適に動いていた体が凝り固まったところから始めるのだから、高齢トレーニングはマイナスからのスタートである。位置としてマイナスであるばかりか、ベクトルとしてもマイナスである。1日使わない筋肉は1日分衰える。逆に鍛えれば必ずプラスに反応する。1日トレーニングをして現状を維持できれば、1日の終わりに1日若返ったと考えてもいい。これを10年続ければ、10年若返る理屈である。肉体が日々衰えていくのに抗してトレーニングし、トレーニングによる効果が1日分の老化を上回れば、それは名実ともに若返りとなる。「健康を守り、老化を防ぎ、若返りもめざす」とはそういう意味である。

 使わない筋肉は衰える。逆に、鍛えれば必ず強くなる、というのは多くの専門家が指摘しているが、私の実感としてもそうである。筋肉のピークは25歳頃で、あとはどんどん衰える。だから、平均寿命の80歳まで生きるとして、後の55年間をただ衰えるにまかせているのは、どう考えても得策ではない。前にも書いたが、それは「迂闊」というものである。

・筋トレと禅密気功は健康維持の両輪

 大事なのは凝り(筋肉の滓)ほぐしである。滓がほぐれて邪気を発生するとも、滓が邪気になって体外に排出されるとも言えるが、その滓および邪気こそが「老いの素」である。それが高齢者の頭、首、肩、背、胸、腹、股間、下半身などあらゆるところに蓄積している。肩の凝り、膝の炎症、腹の贅肉、精力減退、顔の渋、いずれも原因は一つだと言ってもいい。

 筋肉トレーニングについて言えば、若いころと歳をとってからではやり方を変えなくてはいけない。若いころは激しい運動をすることでそれらの〝毒素〟を除去できるが、歳をとるともはや無理である。激しい運動ができないこともあるが、まず蠕動で滓をほぐしてからではないと、筋肉を鍛えられない。東洋医学(針灸)の虚実補寫(病邪の実を拭ったあとで正気の虚を補う)はそのことを言っている。

 若い時は意念が不足しても鍛えられるが、歳をとると、意念をともなわない運動はほとんど効果がない。逆に意念を強くすれば、歳をとっても、たくましい、そして弾力性のある筋肉をつくることができる。筋肉トレーニングと禅密気功(とくに蠕動)は、高齢者が健康を維持するための不可欠な両輪だというのが、私の高齢トレーニングに対する基本的な考えである。

Zoomサロン仕掛人

<Zoomサロン>お手伝いします

 コロナ禍の外出自粛生活を機に、これまでバーチャルな会合には興味がなかった人びとも、インターネットで仲間と旧交を温めたり、新しい会話の機会を広げたいと思い始めたりしているようです。従来のカルチャーセンターのような集いをサイバー空間に築こうという動きとも言えます。

 当Onlineシニア塾はそういう背景のもとにパイロット・プロジェクトとして2020年5月に遠隔会議アプリ・Zoomを使って開設しました。これまですでに12回のミーティングを実施してきましたが、その経過のなかで、Zoomミーティングに参加したい、あるいは自分も趣味などのささやかなミーティングを主宰したいと思いながら、いま一歩を踏み出せずにいる人が多いことを知りました。周囲にZoomの懇切丁寧な指導をしてくれる人を見つけるのもなかなか難しい状況です。

 そこでOnlineシニア塾では、このほど<Zoomサロン仕掛け人>稼業を始めました。「元締め」のもとに、Zoom指導の実績が長いOnlineシニア塾IT顧問の西岡恭史が仕事を請負います。

 Zoomは実は扱いやすいソフトで、送られてきた招待状のURLをクリックするだけでミーティングに参加できます。だから参加出来たらほぼ8割がたのハードルを越えたことになりますが、そのハードルが超えられない方も多いようです。だからスマートフォンを使った指導なども行います。またZoomにはいろいろ機能があります。会議を主催するときの便利な機能についても伝授します。

 コンピュータへの習熟度、考えているミーティングの規模などによって悩みは様々でしょう。オンライン上にはすでにZoomマニュアルは氾濫していると言ってもいいですが、それはある程度インターネットになれた若者向けだったりして、ずぶの素人には結局、よくわからないということもあります。当「Zoomサロン仕掛人」はそういう初心者にこそ門を開いています。

 昔、マイカーブームがやってきたころ、「エンジンブレーキはどこで売っていますか」と聞いた人がいたそうです。インターネットに関するそういう初心者もアクセスしてみてください。

 矢野はパソコン黎明期に『ASAHIパソコン』というパソコン使いこなしガイドブックを創刊し、その後は「IT社会を生きる杖」としてのサイバーリテラシーを提唱してきました。広がるサイバー空間を積極的に、かつ賢く利用すると同時に、IT社会をより快適でより豊かなものにするのがサイバーリテラシーの願いでもあります(サイバーリテラシーについては、本<サイバー燈台>の「サイバーリテラシーとは」などを参照してください)。

2021.2.2 <Zoomサロン仕掛け人>矢野直明
問い合わせ info@cyber-literacy.com

 

おもいっきりZoomサロン

 全国津々浦々で呱々の声を上げつつあるZoomサロンの一覧をここに掲載します。こういうユニークなことを始めたといったお便りをお待ちします。また<Zoomサロン仕掛け人>が関与したZoomサロンに関しては、すべてここに掲載させていただこうと思います。

Zoomが「アジアのしい」に新風―理事・奥山寿子

 NPO法人アジアの新しい風(略称:アジ風)は、アジア各国で日本語を学習している大学生との交流を通して、相互理解を深めようとする団体です。
 具体的な活動は、日本語を学ぶ学生たちとの1対1のメール交流(「Iメイト交流」と呼んでいる)を通して日本語学習支援、留学生たちの生活支援などをする一方で、日本人会員も相手国の文化や歴史を学び、若者たちからさまざまな刺激を受けています。アジ風では、個人的なメール交流と並行して、来日している留学生を囲んで意見交換など様々な形の交流会も開催してきました。
 しかし新型コロナウイルスの脅威が全世界に及び、今まで開かれていた海外との門戸が閉ざされるに至って、留学生がゼロになり、アジ風の活動もまったく止まってしまいました。2020年2月1日に120数名の参加者を集めて新春交流会を開催したのを最後に、2021年の現在まで約2年間、リアルで大勢を集めての会合は開かれていません。
 新型コロナウイルスが命を脅かすウイルスであることが報道され始めた頃は、アジ風の活動をどのように継続するか、考える余裕もありませんでした。そのうち企業や学校では在宅で仕事や授業を始めているというニュースが流れてきて、2020年5月初旬に、そのツールの一つであるZoomと有料契約をし、少人数での打ち合わせのためにまず使い始めました。
 Zoomは使い勝手もよく、自宅で参加できる利点もあって、その後はアジ風の事務局の打ち合わせや会議にも利用するようになりました。インターネットが使える環境があれば、どこでも参加できるこのシステムは、コロナ禍の中で、その大きな力を発揮することが確認できたのです。
 2020年9月には、会員と留学生予定者の交流会も大学別にオンラインで開始し、タイのタマサート大学を皮切りに、ベトナムのハノイの貿易大学、北京の清華大学と大学院、インドネシアのパジャジャラン大学と続きました。留学予定者のみならず、本国にいるIメイト学生たちとつながることができた時の喜びは大きいものでした。

・「線から面」へ、かえってコミュニケーションを促進

 勇気を得て、翌年2021年2月の新春交流会は、日本を含めて5カ国がそれぞれユニークなパフォーマンスやプレゼンテーションをし、その後にグループディスカッションを行うという盛りだくさんなプログラムで行いました。参加者は約160名。人数が増えても、Zoomのブレイクアウトセッション(いくつかのグループに分けて議論できる)機能を使うことによって、参加者意識も高められたと思います。Zoomは当NPOにとってコロナ禍の中での僥倖でした。
 このような交流会の実施によって、アジアの新しい風の交流は大きく変化しました。このツールに慣れた会員たちは個別の学生とのビデオ会話を始めましたし、グループで自由に会話する自主的な活動も見られるようになりました。それまではごく少数の例外を除いては会員と学生の1対1のメール交流だけであったのが、多くの人が参加するオンライン会話によって、一気に「線から面」の交流に発展していったのです。
 もちろん、多少の制約やリアルでの会合とは違う物足りなさもありますが、新型コロナの変異株がどのように拡大していくかが予測できない今、オンラインでの交流はまだ続くと思いますし、たとえこのウイルス感染が収束しても、オンラインでの交流とリアルでの開催と併用することで、アジアの新しい風の活動がより多彩になっていくと思われます。
 現在の懸念材料は、このツールを使っていない会員へのアプローチをどのように進めていくかです。当NPOでも会員の高齢化が顕著となり、ITの恩恵を受けていない会員、ITから距離を置いている会員、デジタルデバイドといわれる人たちも少数ですが存在しますので、彼らを取り残さないことが当面の課題だと思っています。その意味でもオンラインとリアルを併用していくことが必要であると強く感じています。

 注記・Onlineシニア塾の講座「若者に学ぶグローバル人生」のスピーカーのかなりはアジアの新しい風からの紹介です。日々の地道な活動の上前をはねるようで恐縮しつつ、しかも図々しく、さらに多くの方の紹介をお願いしている次第です。未曽有のコロナ禍にZoomを武器に果敢に応戦、ツールとしての限界も克服して、よりコミュニケーションを深めている様子を担当理事、奥山寿子さんに報告していただきました。Onlineシニア塾のバックボーンである「サイバーリテラシー」から見ても大変すばらしい試みだと思います(Ý)。

◎2021.7.29 「気候危機とラウダート・シ ~ 母なる地球に愛をこめて」<Zoomサロン探訪記①>

 Onlineシニア塾のメンバーでもあるメリノール宣教会修道女、キャサリン・レイリーさんが主宰して7月29日午後7時から2時間ほど行った環境問題オンライン・セミナーに参加した。「ラウダ―ト・シ」というのは2015年にローマ教皇が環境問題に関して行った回勅(重要なテーマについて教皇が信徒に直接語りかける「手紙」のようなもの)のタイトルである。
 各地の修道院関係者や気候問題に関心をもつ人など60人以上が参加し、基調報告を聞いたあと各地の実情や意見交換を行った。最後のディスカッションまで残った人が40人以上いた。米国のゴア元副大統領が携わり、世界100か国以上で開催されている環境問題に関するセミナー、クライメート・リアリティ・プログラム(Climate Reality Program)の一環でもあり、第1部ではプログラム・リーダーの資格をもつ理学博士、境野信さんが講演した。
 その中で「人新世」という言葉が紹介されたのが印象に残った。地球は地質学的に見て新たな年代に突入したという考えに基づいており、人間の活動の痕跡が地球の全表面を覆いつくした年代という意味である。地表はビルやコンクリートで覆われ、海にはマイクロプラスチックが浮遊し、大気は二酸化炭素で充満している。もはや未開地はないばかりか、人間の活動は全地球を覆うに至った。
 それは同時に人間の経済活動が地球を食いつぶしていることを意味する。新自由主義経済はすべてを市場に取り込み利潤の糧とし、人びとの精神や魂まで切り崩しているが、今や地球危機そのものが私たちの生き方を抜本的に改めることを迫っているわけである。 
 私たちは今何をすべきか、というのがセミナーのテーマで、2050年までに二酸化炭素排出量をゼロに抑えるための政治的課題とは別に、私たちが日常的に二酸化炭素放出を減らすためにできるものは何かと言った身近な提案も行われた。境野さんによれば、化石燃料で飛ぶ飛行機に乗るのも、なるべく控えた方がいいのだとか。 
 コロナ禍のもとで強行された東京オリンピックでは不祥事が頻発しているが、オリンピック関係者用に調達された食糧の大量廃棄をどう考えるべきか。このような無駄を何の痛痒も覚えずにやれるようになっている現代人の感性をこそ問題にすべきだと、突然、発言を求められて、私はまとまりのない感想を述べた。
 最後にキャサリンさんが、「前回は20人規模の参加者だったが、今日はその倍以上。少しずつ仲間を増やしていくことが力になる」と述べ、事務局の水谷安江さんは「講演依頼があればどうぞ」と呼びかけていた。
 たしかに。こういうZoomサロンをもっと広げていくべきである。だからこそ、Onlineシニア塾にも多くの人に参加してもらいたいと、我田引水的に思ったわけでもある(Y)。なお次回セミナーは10月13日19時からだそうです。希望者はcommon.home5292021@aol.comまでメールを。

<探訪先を探しています。ご連絡いただけると幸いです>

◎2021.1.9 『探見』の会「江戸城おもしろ史―天守再建ができたら」

 Onlineシニア塾の主要メンバーでもある森が主宰する『探見』の会(メールマガジン『探見』を毎月発行、読者1000人)が、従来実施してきた現地見学会や講習会を自粛せざるを得なくなって、急遽、オンラインで行なった。40人以上の申し込みがあり、今回の講師は、江戸城天守を再建する会会長・太田資暁さん(太田道灌の子孫)。 私もZoomサロンを主宰するのは初めてで、西岡恭史仕事人に助力をあおいだ。パワーポイント画面80枚以上を駆使した太田さんの講演はスムーズに運び、その後の質疑応答、意見交換も大盛況だった。まさに「案ずるより産むが易し」というのが〝大仕事〟を終えたときの感慨だった。(『探見』編集発行人・探見の会代表幹事 森治郎)

◎2021.1.30 「子育てとの両立をしながら働く女性を支援するためのオンラインサロン」

 高山れい子さんが主催する「子育てとの両立をしながら働く女性を支援するためのオンラインサロン」を西岡が手伝いました。事前に主催側とのZoomでの打合せ、当日サロン開始前にMC担当者とも打合せを行いました。
 講師の川崎市議会議員、各務雅彦氏の、地域の子育て環境の向上を目指して議員になった経緯や、銀行勤めをしながら2人を育てたシングルパパの奮闘ぶりを聞いた後、質疑応答がありました。土曜日の昼間ということもあり回線の不備があった方もいたが、8名参加のもと無事終了しました(N)。

◎2021.2.21 高承研でもミャンマーの若者から話を聞く

 Onlineシニア塾第13回<ミャンマーの若者に聞く>をきっかけに、私の主宰する「高度技術者育成と技能伝承研究会」(高承研)でもミャンマーの若者から話を聞きました。前日にマンダレーで国軍の発砲による死者の報道があった影響もあってか、星野さん、ミャンマーの若者2人、高承研側は私を含め9名が参加しました。
 話を聞いた後は、CDM(市民的不服従運動)について、アウン・サン・スーチーさんの評価、影で軍を支援する中国の影響力 への懸念、支援活動へのカンパ、広報活動の重要性などについて活発な議論がありました。
 最後に、年長者から60年安保や70年安保闘争のころの思い出や反省の弁を伺い、それに基づいて、短期的な思いに駆られて跳ね上がった活動は控え、理性的、科学的に対処することの重要性が語られました。参加したミャンマーの若者からも現状への考え方や抱負が語られて、自分の意見を堂々と話される様子に感心しました。たいへん有意義な会でした(「高度技術者育成と技能伝承研究会」主宰・大野邦夫)。

Onlineシニア塾報告①<2020.5~2021.4>

<Onlineシニア塾>については、<Onlineシニア塾への招待>をご覧ください。以下はそのOnlineシニア塾報告①です。

講座<若者に学ぶグローバル人生>

・第1回(2020.5.20) 
中国人留学生、ユー・プーホン(余浦弘)さん。北京の中央財経大学卒業後、UCLA、シカゴ大、スタンフォード大に短期研修留学、2019年から東大経済学部修士課程に在学中。

・第2回(2020.7.2) 
ベトナムのチャントゥチャン(TRAN THU TRANG)さん。ハノイ貿易大学在学中の2011年、日本文科省の奨学金を得て来日。東京外大日本語教育センター終了後、2016年に京大経済学部を卒業して日本の製薬会社に入社、2021年からシンガポール勤務。

・第3回(2020.7.17) 
ミャンマーのスータンギレッさん。ヤンゴン外国語大で仏語専攻。ミャンマーの日系企業で働いた後、2015年奨学金を獲得し来日。2018年法政大大学院でMBA取得。同大卒業後、2018年から日系総合商社に勤務。

・第4回(2020.7.24) 
スウェーデンで日本語を教える雪江しおりさん。大妻女子大在学中、北京師範大で2年間中国語を学ぶ。上海の日本語スクールでスウェーデン技師と知り合い、結婚してスウェーデンへ。ストックホルム大学で専門職学士の学位を獲得。現在、スウェーデン語学校のキャリアカウンセラーとして勤務。

・第5回(2020.8.19)
ネパールの青年実業家、パウデル・スンダ―さん。現地からの参加。ポカラ出身。祖父から「日本のラジオは世界一だ」と聞かされて育ち、ネパールの大学を卒業後、1999年に来日。武蔵工業大学で環境情報学を学び、卒業後、日本人と交流する場を作るためネパール・インド料理のレストランを開業した。その後、東洋大学大学院博士課程で木造建築を研究。ネパールで木造建築の普及を目指す会社を設立。

・第6回(2020.9.7)
ナイジェリアから留学中のチグメズ・イベグアムさん。2017年にあしなが育英会「アフリカ遺児高等教育支援100年構想」の奨学生として採用され、2018年春に来日。2年間、JASSO東京日本語教育センターおよび大阪YMCA日本語学校に通い、2020年4月より岡山大学グローバル・ディスカバリー・プログラムに進学中。
 参加者約15人。2年で修得したとは思えない流暢で〝訛り〟のない日本語に全員が驚く。いずれは故国に帰って児童教育に取り組みたいとのこと。あしなが育英会の沼志帆子さんから「アフリカ遺児高等教育委支援構想」についても話を聞く。

・第7回(2020.9.14)
ドイツ在住の映像ジャーナリスト、玉腰兼人さん。立命館大学国際関係学部在学中の2008年9月より交換留学生としてベルリン・フンボルト大学に1年間滞在、日本に帰国し大学を卒業後、再度渡独し「オペア・ホームステイプログラム」に参加、ハンブルグのドイツ人家庭で5人の子どもと1年間生活。2012年、ベルリンの映像制作会社に勤務、2019年にフリーの「VideoProducer/Coordinator」として活動。ドイツ・欧州各国において、主に日本のテレビ番組、各種プロモーション動画・写真の撮影、取材アレンジ・コーディネートなどを手がける。ドイツの難民支援組織にも所属している。玉腰さんのウエブhttps://www.kentotamakoshi.com
 一人の青年がドイツという社会でたくましく育っている姿は感動的だった。日本の教育のお粗末さを改めて感じさせられもした。

・第8回(2020.10.13)
シェラレオネから留学中のイジキエル・ガイネシさん。2018年にあしなが育英会「アフリカ遺児高等教育支援100年構想」の奨学生として採用され、2019年春に来日。JASSO東京日本語教育センターに1年間通い、2020年4月より東京国際大学に進学中。デジタル・ビジネス&イノベーション専攻。
 フェイスブックを通じてあしなが育英会を知ったのが彼の人生の大きな転機になった。学校では英語を使ってきたが、来日にあたって日本語に挑戦、大学院にも進んで、将来は国の発展に尽くしたいという。「シェラレオネの福沢諭吉をめざせ」とのエールも飛んだ。

・第9回(2020.10.22)
中国留学生、ショウ・ヨウレイ(焦燁泠)さん。江蘇省・南京市出身。南京外国語学校で中高時代を過ごし、北京科技大学に進学、英語を専攻。大学2年次に、北京大学・国家発展研究院で、経済の第2学位を取得。交換留学で北欧エストニアのタルトゥ大学に進み、その後カリフォルニア大バークレー校のサマースクールを受講。2019年秋に来日し、東大経済学部大学院研究科コースで、農業経済学や、ジェンダー労働経済学を研究中。趣味は、JーPOP、K―POP、テコンドー、ピアノ演奏。
 中国の学生は勉学意欲がすごいらしい。それに比べると日本人学生は「勉学をのんびり楽しんでいる」とのこと。喜ぶべきか、あるいは、そうでないのか。現在、日本企業への就活中。

・第10回(2020.11.10)
ベトナム出身の起業家、ドゥツク・ドバ(Duc Doba)さん。タンホア市生まれ。ハノイ国家大学IT学部を卒業したあと、ソフトウェアエンジニアとして来日。楽天、LINE、ソフトバンクなど大手テクノロジー企業で12年間、IT開発サービス研究開発に従事。日本でのSB Cloud (Alibaba Cloud)サービスの立ち上げに貢献した。2017年に9月に日本の深刻なIT人材の需要と供給のギャップを埋める事業をめざすTokyo Techiesを起業しCEOに。従業員はベトナムと日本側で合わせて35人。在日ベトナム青年学生協会(VYSA)会長も務めた。
 ベトナムの学生時代に縁あって日本企業に就職、いくつかの企業で研鑽を続け、実績も上げた経緯を、現場で覚えたという達者な日本語で、笑顔とともに話してくれた。IT技術者養成事業を日本で立ち上げた動機には篤志家の俤も。

・第11 回(2020.11.30)
セネガルから留学のアストゥ・ンジャイさん。あしなが育英会の高校留学プログラムに合格し、2016年~2019年の3年間は仙台育英学園で過ごす。卒業後、「アフリカ遺児高等教育支援100年構想」の奨学生として東京国際大学に進学。現在2年生で、経営学・マーケティングを専攻している。
公用語のフランス語、民族語、英語、日本語を話し、スペイン語、朝鮮語も勉強したという。「英語でテストがあると、私が85点ぐらいでも日本人は100点取ったりするけど、話すのはちょっと苦手」。グローバル人生としては、明るく前向きに生きる彼女に対し、日本の若者はかなり後れを取っているようである。

・第15回(2021.3.4)
  第2回にご登壇いただいたチャントゥチャンさんの紹介でベトナム在住の女性にスピーカーをお願いしていたが、現地の回線状況の関係でアクセスできなくなり、代わって3月にはシンガポールに転勤する予定のチャンさんに、在日10年の思い出や職場の国際的な顔ぶれ、今後の仕事などについて話を聞いた。まさに世はグローバル時代であることを実感させられた。

・第16回(2021.3.26)
ベトナムのブイハン(BUI THI THUY HANG)さん。2009年、ハノイの貿易大学入学。2011年、文部科学省の奨学金で日本へ留学、東京外国語大学日本語教育センターを経て2016年、一橋大学経済学部卒業して日本企業に入社。その後Warwick Business School大学院(イギリス)を卒業し、2020年ベトナムに帰国、現在は現地企業のプロジェクト品質管理に所属。
 第2回に登壇してくれたチャントゥチャンさんの紹介。ハノイの大学の同窓だが、同じ奨学金で留学後に日本で知り合ったとか。奇しくもご両人とも卒業後は医療関係の仕事に従事している。当日はチャンさんも参加してくれ、日本とベトナムの教育、医療関係の話題などで大いに盛り上がった。

・第18回(2021.4.3)
ベトナムのレマイフォン(Le Mai Phuong)さん。ハノイの貿易大学卒業後、一橋大学経済学部卒、現在は大阪大学経済学研究科博士課程在学中。
経済学に心理学を導入した新しい学問、行動経済学を研究しているというだけあって、テレビ番組に題材をとった日本人の東西比較(関東人と関西人の性格や習慣分析)から始めて、ベトナム人と日本人との商習慣の違い、実のある交流を促進するための技術など、「このところ日本語はあまりしゃべっていないので」と謙遜しつつ縦横無尽に展開する話に、質問攻めにあったシニアたちはタジタジとなりつつも、2時間近い授業は笑いが絶えなかった。

・第19回(2021.4.14)
ベトナムのグエンミンフェ(NGUYEN MINHHUE)さん。高校を卒業してすぐ日本に留学、町田市立看護専門学校を卒業して正看護師国家資格を取得、「勉強好き」(本人の弁)が高じてか、続いて放送大学教養学部卒業、さらに東京大学大学院創成科学研究科博士課程でメディカルゲノムを専攻した。JAXA(宇宙航空研究開発機構)などを経て、現在は日本の製薬会社勤務。   すごい知力とバイタリティ。その間に修得したペラペラ、かつ早口の日本語で、医療から見たベトナムと日本の違いなどについて、しじゅう笑顔で話してくれた。「Zoomのチャット機能を使って質問してくれれば、後からまとめてお答えします」と、Zoomの使い方指南もしていただいた(^o^)。

<Onlineシニア塾2020忘年会>

 12月16日、13人の仲間参加のもとにバーチャル忘年会を開きました(1人遅刻)。


 冒頭、フィリピン在住の鮎澤優さんの波乱万丈の半生を語っていただいたあと、Onlineシニア塾に参加しての感想や今後の運営に対する提案などを話し合いました。Onlineシニア塾は新年も月2回程度のペースで進める予定です。少しずつ講座も広げていければと考えています。参加希望者は<Onlineシニア塾への招待>をご覧いただいたうえ、<info@cyber-literacy.com>までご連絡ください。

講座<気になることを聞く>

・第12 回(2021.1.31)トランプ大統領によってあぶりだされたアメリカ社会の亀裂①

 在米数十年の翻訳家、宮前ゆかりさんにトランプ米大統領の4年とその退陣の混乱を通して浮かび上がったアメリカ社会の亀裂について聞いた。コロラド時間の30日午後9時からということで、日本時間は31日(日曜)午後1時からと変則的になったが、十数人の参加のもとに新講座<気になることを聞く>が無事スタートした。
 冒頭、1月6日のワシントンDCで反乱を起こした人々がParlerというアプリで内部の様子を撮影してアップロードしたビデオをProPublicaが時系列でまとめた動画の一部(写真は午後3時ごろの状況)を視聴した(担当/森治郎・矢野直明)。
宮前ゆかりさんはコロラド州ボルダー在住。フリーランスのリサーチャー、翻訳家。TUP(平和をめざす翻訳者たち)メンバー。ボルダーの独立非営利ラジオ局KGNUでニュース番組や音楽番組を手がけるプロデューサーでもある。元ナイトリッダー新聞社メディア研究員。訳書にダニエル・エルスバーグ著『世界滅亡マシン:核戦争計画者の告白』(共訳:岩波書店)、グレッグ・ミッチェル著『ウィキリークスの時代』(岩波書店)など。米国の市民運動に関する複数の記事を月刊『世界』に寄稿している。
 このセッションは引き続き開催する。

・第17回(2021.3.28)トランプ大統領によってあぶりだされたアメリカ社会の亀裂②

 今回のアメリ大統領選でバイデン候補が獲得した選挙人は306人、トランプが獲得したのはのは232人と、大差がついたようだが、投票状況を共和党(ブルー)と民主党()でカウンティ(郡)単位で図示すると、全体にパープル()模様になる(USA Today)。
  ここには共和党、民主党と支持を明確に決めきれない有権者の現状が反映されているとも言えるが、宮前さんによると、アメリカの選挙制度自体に複雑な歴史があり、黒人などの有色人種や移民などのマイノリティの人びとが投票しにくいように改変されて来ているのだと言う。つい最近も、ジョージア州で共和党の知事によって、選挙制度を厳密に運営する(「不正を防ぐ」)との大義名分のもとに、投票所(投函箱)の数を減らす、公共機関のバスなどでは行けない遠いところに設置するなど、現実には底辺の人びとが投票しにくくなる選挙制度改正案が成立している。
 これが、トランプ大統領が今回の選挙を「不正」だと攻撃し、共和党支持者の多くがそれを信じているという、日本では信じられない状況の背景である。今回は、選挙制度と銃規制をめぐるアメリカの建国以来の歴史について興味深い話を伺った。

銃規制と選挙制度と建国の精神  授業直前の3月22日に、私の住んでいるコロラド州ボルダーのスーパー内で無差別銃撃事件が起き、知り合いも含む買い物客や店員など一般市民10人が殺されました。
 ボルダーは、歴史的にも先進的な自治政策と平和運動の拠点として知られており、2018年に独自の襲撃銃禁止令を採択しましたが、NRA(全米ライフル協会)の訴訟をきっかけに、事件の10日前に州の裁判官が襲撃銃禁止はコロラド州法に違反すると裁定を下したばかりでした。犯人は21歳のシリアからの移民で、動機は明らかになっていませんが、以前にも暴力事件を起こしたことが知られており、精神的に不安定だったにもかかわらず身元調査も受けずに、事件の6日前に襲撃銃を手に入れています。
 アメリカでは、建国当時の有権者である白人地主階級が、先住民の土地の略奪と奴隷労働の搾取によって富を築いてきた歴史があり、その利権が結局は軍部や警察の肥大に貢献し、銃を保持する権利の根拠である憲法修正第2条(規律ある民兵団は、自由な国家の安全にとって必要であるから、国民が武器を保有し携行する権利は、 侵してはならない)を産み、それは同時に選挙権を抑圧する法律を支えてもきたのです。
 アメリカ建国以来の2つの理念、企業による富の集中を重んじる中央集権的考えと、地方の独立した農林業に重点を置く権力分散型の考えは、その後の歴史で変質、あるいは重複、錯綜しながらも、現在の民主党と共和党の対立に受け継がれています。
 一見唐突に見えるトランプ台頭や全米に吹き荒れる白人至上主義拡大は、歴史的必然とも言えるのです(M)。

・第13 回(2021.2.10)ミャンマーの軍事クーデターで苦悩する日本在住の若者たち①

 本講座<気になることを聞く>第2回(通算13回)は急遽、軍事クーデターの起こったミャンマーの若者、6人を招いて10日午後8時から2時間開催した(担当/星野真波)。
 2月1日のクーデターから10日、ミャンマーではヤンゴンなど主要都市で数万人規模の抗議デモ(軍事政権不服従運動、指3本の表示がシンボル)が行われているが(写真はフェイスブックから)、日本でも先日、外務省前に在日ミャンマー人、約3000人が集まって軍事政権への抗議の声を伝えている。

 当日は6人の若者(女4、男2。20~27歳)が日々の不安な生活の実態やミャンマー民主化を取り戻すための決意などを話してくれた。
 Onlineシニア塾はコロナ禍の自粛生活の中で、インターネットというツールを使ってシニア相集い、世代を超えたグローバルなコミュニケーションを行いたいと始めたものだが、激動する世界の息吹を身近に感じ、また日本人として何をすべきかというある種の責任についても考えさせられる機会となった。
 若者たちは「ミャンマーで起こっている事実を知ってほしい。ミャンマーの民主化のために日本の皆さんにもご尽力をお願いしたい」との強い気持ちから、故国の肉親の安否さえ心配な中で参加してくれた。それにしても、日本語が達者であるばかりか、自分の考えを堂々と開示できるすばらしさ。参加者からは異口同音に驚きの声が上がった。
 このセッションも適宜、開催する予定。

民主主義を守ろうとする社会の「粘り」 ミャンマー国会の8割以上の議席をNLDが占めながら軍事クーデターを許してしまった背景には、民主主義を守ろうという社会全体の「粘り」が薄れつつある世界共通の状況があるようにも思われる。アメリカしかり、日本ももちろん例外ではない。軍事政権はミャンマー国内ですでにインターネットを遮断、逆に、アメリカでは一IT企業たるツイッター社がトランプ大統領のアカウントを停止し、政治の動きに大きな影響を与えた。サイバーリテラシー的にもいろいろ考えさせられる昨今である(Y)。

「軍事政権不服従運動」 日本在住のミャンマーの若者たちと初めて話をした時、異口同音に「ミャンマーで起こっている事実を知って欲しい」と訴えていたのが印象的でした。その言葉には、事実が伝わらずに世界から見放された結果、暴力による支配に陥った時代には戻るまいという決意が込められていたからだと、今回の議論を通して感じました。 日本人の常識やこれまでの報道からは推し量りにくいミャンマーという国の背景や、人々に共有されている感情を汲み取るためにも、直接話を聞く意義を確認できる機会にもなったと思います。
 また彼らが最も伝えたかったこと一つである、「クーデター以降72時間は事態を静観したのと、デモが全国規模で平和的に展開しているのは、軍部側に民衆が暴徒化したという武力鎮圧の口実を与えまいという総意によるもの」だという話も、多くの人に丁寧に伝えられてほしいと思います。彼らは「軍事政権不服従運動」という言葉を使っています。
 ミャンマーと日本との深く、そして、複雑な関係にも話が及びました。彼らにも不安な思いが募っていると思いますが、思い描く進路、将来に向かって活躍できるよう、日本人としてできることを考え、不安な思いの中、話をしてくれた勇気に応えていきたいと思っています(H)。

・第14 回(2021.2.20)巨大地震などに備える燃料電池(災害時の非常用電源)について開発の現状を聞く

<気になることを聞く>第3弾(Onlineシニア塾通算14回)は、災害に備えた非常用電源ということで、自動車産業が先端的に取り組む燃料電池などの開発について、若い研究員、伊東直基さんに話を聞いた.(担当/松浦康彦)。
 冒頭、担当者から日本を取り囲む4大プレート(北米、ユーラシア、太平洋、フィリピン海)の説明と、東日本大震災より一桁大きな南海トラフ巨大地震が2035年±5年のうちに起こるという学者の警告などの報告があり、富士山大爆発も含めて非常用電源を準備しておく必要性が強調された。それを受けて自動車企業の研究部門で燃料電池などの研究開発に携わっている伊東さんの話を聞いた。
 活発な議論が展開され、燃料電池の利用は車に限った話ではなく、家庭用電源としての利用なども考えるべきではないかと、本来なら研究所長や社長に向けられるべき質問も飛んだが、新入社員が研究所長や社長に成り代わって日本社会の、ひいては世界の将来を考えるべき時代なのかもしれない。
 伊東直基さんは1993年生まれ。首都大学東京大学院で電磁環境工学研究室に所属し、電気自動車用ワイヤレス電力伝送装置の漏洩磁界のシミュレーションを実施。大学院卒業後は関東にある自動車メーカに就職し、充給電ユニットの開発に従事している。

 花見と直基とときどき松浦 コロナ禍の冬も終わり、急に春らしい季節になった。私は『ASAHIパソコン』を創刊した1988年から裏山の源氏山で毎年、見ごろの日曜日を選んで花見の宴をはってきた。多い時には100人ほどの参加者があり、紅白の垂れ幕を背に、敷きつめたゴザの上で女装した芸人が舞ったり、カラオケに興じたりした。雨の日は我が家に集まって花より酒の宴となり、花冷えの夕方もやはり我が家で二次会をした。つい最近まで30年以上続けてきたが、花も参加者も高齢化し、つい数年前に打ち切った。
『ASAHIパソコン』草創期にアルバイトとして3人の学生が手伝ってくれていたが、彼らは毎年、花見にも参加、そのうち彼女を連れてくるようになり、ほどなく結婚、そのうち親になった。子どもたちの中で同い年の男の子2人はすっかり仲良くなり、年に1度の出会いを楽しみにしていた。彼らは満開の桜の下でも、花吹雪の中でも、雨に打たれる花びらの上でも、ほとんど花には背いて、ゲームなどに興じていた。時がたち、2人は社会人になり、それぞれ自動車関係の会社に就職した。そのうちの1人が今回、花見の義理に背かず、講師役を買って出てくれたわけである。今回の授業を担当した松浦氏も花見後半の常連だった。
 金も組織もない「バーチャル井戸端会議」である我がOnlineシニア塾が、よって立つのが個人的なつながりだということを示すエピソードとして、この話を記した。インターネット上に半ば開かれ、半ば閉じた空間(トポス)が、IT社会のオアシス、あるいは核になる可能性に触れておきたかったからである(Y)。

特別講座<もっとZoom、初めてのSlack>

・第20回(2021.4.21)
 新たに特別講座を設けました。通常講座とは別に、ときどきの話題などを取り上げると同時に、Onlineシニア塾の「オープンキャンパス」として、従来の会員以外にも広く参加を募ります(info@cyber-literacy.comまで)。
 特別講座第1回として、Zoomのより便利な使い方ガイドと、Onlineシニア塾としても導入を始めたコミュニケーション・ツール、Slackの紹介を行った(担当/星野真波、西岡恭史、高橋慈子)。
もっとZoom
 Zoomをより効果的に利用するノウハウの紹介と「ブレイクアウトセッション」の体験。Onlineシニア塾ではまだ参加者が少なく、分科会を同時開催する必要はあまりないが、将来に備えて(^o^)。
初めてのSlack
 Slack(スラック)は2013年に開発されたチーム・コミュニケーション・ツールで、またまくまに世界中に波及、もはや多くのIT企業で必須のコミュニケーションツールとして使われている。Onlineシニア塾でも遅まきながら導入、事務連絡をはじめ授業前の情報交換、授業後のさらに掘り下げた議論などに活用したい。とくにスピーカー同士の交流に威力を発揮するのでは(ベトナムのチャンさんやレマイさんも参加)。

Online塾DOORSへの招待

ネットのオアシスを求めて

 Online塾DOORSは2023年5月で3周年を迎えました。2020年春に朝日新聞OBで始めた「Zoom勉強会」が発端で、オンライン・ミーティングツール、Zoomを使ったコミュニケーション塾です。当初はOnlineシニア塾と名乗っていましたが、2周年目の2022年5月にOnline塾DOORS(略称OnDOORS)に改めました。これまで60回近い授業(年平均20回)を続ける中で、授業内容も参加者も当初のシニア本位の枠を離れて、よりグローバル、より多世代交流的なものに発展してきました。国境を越え、世代を超えた<Online塾DOORS>です(なお、本ウエブの古い活動履歴などは、これまでのOnlineシニア塾をそのまま使っています。ご了承ください)。

これまでの講座は本ウェブ上で講座別に梗概を紹介しています。

講座<若者に学ぶグローバル人生>
講座<気になることを聞く>
講座<とっておきの話>
講座<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>
講座<よりよいIT社会をめざして>
講座<超高齢社会を生きる>
講座<女性が拓いたネット新時代>

<若者に学ぶグローバル人生>海外から日本にやってきた外国人留学生や逆に海外で活躍している日本人の若者から話を聞いています。
<気になることを聞く>メンバーが日ごろから気にしている話題、あるいは最近のニュースなどに関してその道の専門家や当事者、研究者などから話を聞いています。アメリカ最新報告、ミャンマー問題を考える、レオナルド・ダ・ヴィンチ天才の証明などの授業を行っています。
<とっておきの話>メンバーが取り組んでいるか、あるいは取り組んできたテーマや趣味などについて話し合い、メンバー相互の交流を促進しようというものです。
<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>躍進するアジアの国々の最新事情を、IT起業家などに聞いています。
<よりよいIT社会をめざして>矢野が提唱するサイバーリテラシーを通奏低音に、このところ目覚ましく発展するメタバース、ChatGPTなどの最新情報をメンバーの<情報通信講釈師>唐澤豊さんのリーダーシップのもとに取り上げ、その意味と今後への影響などを語り合っています。
<超高齢社会を生きる>超高齢社会日本の現状を考えたり、各分野で活躍中の高齢者の話を聞いたりしています。
<女性が拓いたネット新時代>ネット新時代を築いてきた女性パイオニアに話を聞いています。

インターネット黎明期の雑誌『DOORS』

 2023年5月現在、新聞社OB、ライター、編集者、IT起業家、日本語教育従事者、大学関係者、主婦など30人以上が参加、在日50年の米国人修道女やフィリピンで活躍する起業家もいます。
 これから世界に大きく羽ばたこうとしている若者、すでに社会の一線を離れ、組織との縁が薄れたとは言うものの、心理学者、ユングが言う「人生の午後」を有意義に過ごしたいと思っている人、伊能忠敬の「一身二生」を生きようと考えている人、さらに言えば、藤沢周平の描く三屋清左衛門のように「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」を実感している人々などなど、さまざまな境遇の人びとがお互いを隔てている扉を開け放ち、広い世界に飛翔できるOnline塾DOORSであってほしいと願っています。

 私はインターネット黎明期(1995年)にその情報誌『DOORS』を創刊し、紙のメディアである雑誌、電子メディアとしてのCD-ROM、オンライン雑誌としての「OPENDOORS」の三位一体メディアをめざしたことがありました(OPENDOORSはマスコミ最初のオンライン雑誌でした)。創刊2周年を前にメンバーで話し合った結果、DOORSの新装復活となった次第です。インターネットがいよいよ私たちの生活に浸透するようになった時代のOnline塾DOORSに、多くの人が参加してくださることを期待しています。

半ば開き、半ば閉じたオアシス

 パーソナルメディアの雄、SNSも「SNS疲れ」ではありませんが、一時の勢いは衰え、新たなメディアの曲がり角だとも言われています。かつてセカンドライフとして話題になったネット上のバーチャル空間でのビジネスがメタバースとして脚光を浴びてもいます。最近は対話型AIによるChatGPTが大変な話題です。

 これからは、社会に常にむき出しになった場ではなく、インターネットを使っているのだが、完全には開かれていない半開半閉の「新たなトポス」が見直されるのではないでしょうか。

 この種の場は、〝古くは〟パソコン通信、最近でもメーリングリスト(ML)などがあったわけですが、Zoomもまた現実世界の生き方をより豊かなものにするための場として機能することが可能だと思います。

 朝日新聞の先輩でもある名文記者、深代惇郎を扱った後藤正治『天人』に、深代の青春日記にふれた箇所で、(彼は)「ドイツにおける時代状況を見詰め、マスコミの果たした役割を考察している。ナチズムがマスコミを支配しつつも数人の集まりを警戒したことを取り上げ、小さなコミュニケーションの意義を強調している。学生らしいというべきか、『それは小さなレジスタンスであるが、最も大切なレジスタンスである』と生硬な言葉で論考を締め括っている」とあります。深代流に言えば、こういう市井の小さなコミュニケーションの場を広げることに<Online塾DOORS>の意義もあると考えています。

<Online塾DOORSの概要>

・メンバー資格
 ウエブ<サイバー燈台>上の招待文を読んで参加を希望する人は、事務局(info@cyber-literacy.com)か矢野まで申し込めば、簡単なプロフィルを提出していただいたうえで、基本的に参加を許可する。日本語を主な言語として使用しているが、年齢、性別、国籍の制限はない。会費は無料である。スピーカー(講師)を務めてくれた方は、自動的にメンバー資格を得る。

・メンバー心得
 Online塾DOORSを通して活動の幅を広げるとともに、何らかの形で社会貢献することを考える。完全なボランティア活動なので、スピーカー発掘、参加者の拡大、新たな授業計画など、率先して会の運営に協力する。入会と同時にslackにも参加し、会員間のコミュニケーションに役立ててほしい。若いスピーカーには新風を、シニアの方には昔とった杵柄で若者に助言を与えるなど、塾に積極的に貢献することを期待している。

・ゲスト
 ゲストとして、毎回参加するのではなく、興味のある会だけ参加することも可能である。また時々開催する特別講座は、大学の「オープンキャンパス」のように広く参加者を募っているので、まずゲストとして参加していただくのもいいだろう。参加希望者は名前とURLを添えて事務局に申し込めば、当該授業への参加が許可される。

・サイバー燈台
 Online塾DOORSの活動はウエブ<サイバー燈台>のOnline塾DOORS報告で逐一報告される。それぞれの授業においてはスピーカー紹介、話の概要、エピソード、感想、みんなに知らせておいた方がいい知識などを適宜編集して公開、一般の人が当塾に興味を持ってくれるように心がけている。メンバーの寄稿も歓迎している。

2023年5月 Online塾DOORS・矢野直明

新サイバー閑話(44)

林さんの「情報法」連載ピリオド 

 本サイバー燈台プロジェクト欄の長期連載、林紘一郎さんの「情報法のリーガル・マインド その日その日」が奇しくもこの6月4日、第64回をもって終了しました。私がウエブをサイバー燈台としてリニューアルしたのと、林さんが『情報法のリーガル・マインド』(勁草書房)を上梓したのが同じころで、その機をとらえて、サイバー燈台に寄稿をお願いしたのがきっかけです。原稿料なし、まったくのボランティアというまことに図々しい申し出を快諾してくれたころを懐かしく思い出します。たしかにお互い、歳をとりました(^o^)。

 タイトルに「情報法のリーガル・マインド その日その日」と付けたのは、新著にまつわるエピソードのようなものを気軽に書いていただければと思ったからですが、「闘魂の人」林さんは過去をのんびり振り返ることを潔しとせず、本では十分書けなかったことを敷衍したり、新たに起こった事態に題材を求めたりと、情報法研究の最先端をさらに究めるべく、毎回、大原稿を書いてくださいました。そういう意味では、まさに「情報法 その日その日」の記録ともなりました。まことにありがたく、厚く感謝しています。

 途中で著書が大川出版賞を受賞したときの挨拶や、「法と経済」などさまざまな学会にパネリストやコメンテーターとして参加した報告、さらには長らく学長を勤められた情報セキュリティ大学院大学の最終講義の様子なども挿入されていますから(後半では私の連載、「インターネット万やっかい」に関しても言及していただきました)、硬軟取り混ぜた内容になっていますが、ここには「情報法の現在」が詰まっていることは、ご愛読いただいた方にはご理解いただけると思います。

 林さんは情報法の今後を若い研究者に託したい意向を末尾に添えられていますが、サイバー燈台主宰者としては、アフターコロナの激動が林さんの知的好奇心をさらに刺激し、折に触れて投稿していただける機会もあるのではないかと、勝手に期待している次第です。

 長い間、精力的にご寄稿いただき、ほんとうにありがとうございました。ときどき打ち合わせと称して横浜北口の中華レストランで食べたランチも懐かしい思い出です。

新サイバー閑話(43)<よろずやっかい>⑨

加速する時間のやっかい

 今回のやっかいは、高速で動くコンピュータおよびインターネットの恩恵を受けながら、そのスピードがあまりに速いために私たちの日常的なリズムが追いつけないことに起因する。コンピュータを使いこなすというより、むしろそのスピードに振り回される「やっかい」である。

 その1つの例が、<よろずやっかい>⑥でふれた「等身大精神の危機」だろう。一瞬のケアレスミスが何百億円に上る被害をもたらしたわけで、軽い「引き金」が重大な「結果」を引き起こす高速コンピュータの〝暴走〟。これにどう対すればいいのか。

 個人的にはコンピュータの扱いにもっと慎重になる、画面の警告音を見逃さないという心構えが大事であり、社会工学的には、1つのアクションをより肉体感覚と連動するものにするといったシステム設計が必要になるだろう。

 コンピュータの誤作動を引き起こすバグはなくしてもらわないと困るが、そうでなくても、スマートフォンで住所録の他の宛名にひょっとふれて間違い電話をしてしまったり、翌日になれば怒りがおさまるほどの些細なことがらを感情の赴くままに書きつけ、そのまま送信して炎上という事態を招いたり……、電子の文化のスピードにはついていけないとつぶやく人(とくに高齢者)も多いはずである。やっかいと言えば、まことにやっかいである。

 サイバーリテラシーに引き寄せて言えば、コンピュータをどう使いこなすかという知識(スキル)だけでなく、コンピュータとはどういうものか、それを扱うにはどのような心構えが必要か、コンピュータにまかせない方がいい領域は何か、というリテラシー(基本素養)教育が必要ということにもなる。

 私は林紘一郎さんに誘われて、横浜の情報セキュリティ大学院大学の経壇に立ったことがあるが、当時、こういうことをすると危険である、それは法に違反するという「脅しのセキュリティ」だけでなく、こうすれば快適なIT生活が送れるという「明るいセキュリティ」も大事ではないか、という話をしたことを思い出す。

 このシリーズは「インターネット徒然草」と自認するエッセイ集みたいなものである。「つれづれなるまゝに、ひぐらしパソコンにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」。そして、前回の⑧は「おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざ」という思いが強かったけれど、今回、念頭に浮かんだのは、芥川龍之介の『侏儒の言葉』の一節である。

人生を幸福にする為には、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲の光り、竹の戦ぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。

 対象が自然と技術の違いはあるけれども。インターネットを無視して生きていくことはできない。もっとも後段でこうも言っている。

人生を幸福にする為には、日常の瑣事に苦しまなければならぬ。雲の光り、竹の戦ぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。

・『ネットスケープタイム』

 以下、コンピュータおよびインターネットがもたらした時間の変化、加速するスピードについて考えてみる。 

 インターネット初期に「ドッグイヤー」ということが言われた。IT企業1年の成長発展は従来の企業の7年分に相当するという意味である。今はもっと速くなっているかもしれない。

 1995年はインターネットが社会に普及したという意味で「インターネット元年」と呼ばれるが、そのころ活躍したジム・クラークという一起業家が書いた自伝的書物は、ITがもたらしたスピードの変化の生々しい記録である。

 インターネットで扱える情報を活字(テキスト)だけの世界から絵や動画まで拡大した閲覧ソフト、ブラウザーの発明こそインターネット飛躍の原動力だったが、最初のブラウザーはイリノイ大学の学生、マーク・アンドリーセンによって開発され、モザイクと名づけられた。

 クラークは、自分が創業したシリコングラフィックス社を退任に追い込まれた1994年、アンドリーセンの名を聞き、直ちにこの若者に電子メールを出して、2人で新会社を作る。モザイクという名は使えなくないので、同じようなブラウザーを開発してネットスケープと名づけた。マイクロソフトのビル・ゲイツもモザイクをもとにしたブラウザー、インターネット・エクスプローラーを開発して追撃、1995年は2つのブラウザーの機能拡張競争が繰り広げられた年でもあった。

 同年、私はインターネット情報誌『DOORS』を創刊し、付録CD-ROMに両ブラウザーのプラグインソフトを収録していたが、毎月、新たな機能追加が行われ、その対応にてんてこ舞いしたものである。最終的にネットスケープはエクスプローラーに負けてしまうが、クラークの本のタイトルはNetcapeTimeだった(邦題は『起業家 ジム・クラーク』水野誠一監訳、2000、日経BP社)。

 ネットスケープタイム。加速する時間こそが勝負だったわけで、彼は「我々のビジネスでは、安定性や安全は、スピードから生まれる。つまり、競争相手より早く製品を市場に出せということである」、「私の頭の中を占領していたのは、スピードそれ自体ではなく、加速のスピード、特に企業のライフサイクルのペースが加速していることであった」と書いている。

 彼によれば、創業から株主公開までの期間は以下のように短縮した。

ヒューレットパッカード 創業1939 株式公開1957(18年後)
マイクロソフト 創業1975 株式公開1986(11年後)
アップル 創業1976 株式公開(4年半後)
ネットスケープ 創業1994 株式公開1995(1年4ヶ月後)

 製品のバージョンアップについて、こんなことも書いている。「ソフトウェアに問題があっても、ちょっと改良したバージョンとして発表し、後はこれを繰り返せばいい。車が衝突すれば、人が死ぬが、ソフトがクラッシュしてもリスタート・ボタンを押せばよいだけなのだから」、「いつも火を噴くようなトースターを製造している家電メーカーは長く生き残ることはできない。だが、バグだらけで有名な製品を市場に送り出すことでマイクロソフト社は大成功を収めている。発展初期の段階にあるテクノロジーでは、その技術の新しさ故に不完全さの苦労が許される猶予期間があるものだ」。

 ビル・ゲイツには散々煮え湯を飲まされたらしく、「私は、個人的に、ビル・ゲイツは、その一見陽気なオタク的外見の下に、殺人的な本能と、飽くことのない攻撃性を抱いていると確信している。彼の反応は、常に凶暴性を帯びているからだ」、「他社より優れた製品をつくることで競争に勝つというやり方でマイクロソフト社がトップに立ったことは一度もない。なぜなら同社は他社より優れた製品を他に先駆けて世に出したことがほとんどないからである」などと非難している。「今日では、世界を変えようとするのでもなく、何か新しいエキサイティングなことを起こそうというのでもなく、マイクロソフト社に一日も早く買収されるという目的のみを持つスタートアップ企業が増えている」とも。

 このネットスケープタイムがIT企業のみならず、多くの企業のものになった。企業経営ばかりでなく、コンピュータシステムがそれこそ急速に社会に広まるにつれ、私たちの日々の生活もスピード化の波に呑み込まれた。実際、コンマ0秒をはるかに上回る電子の速度で金融取引が行われ、そこでは人間の判断が介入する余地さえない。時間がどんどんスピードアップするのはもはや止めようがない状況である。

・自然農と経頭蓋直流刺激装置

 現代IT社会における時間はいかにあり得るのか。一端に自然のリズムのままに生きる時間があり、他端にコンピュータのスピードと共生する生き方がある。

 本サイバー燈台で古藤宗治氏に「自然農10年」という連載を続けてもらっているが、自然農というのは土地を耕さず、肥料をやらず、ほとんど機械も使わず、土地が持っている本来のエネルギーのおすそ分けで作物を収穫する。生産量は限られているし、1年のサイクルに縛られる。それ以上のことを求めない生き方の典型が第10回で紹介されている。

 私もある初夏、畑を見せてもらったが、むんむんとする草いきれと、農作物のまわりを飛び交うチョウの群舞に懐かしい思いがした。弥生式農業以前の農業と言ってもいい。ここには現代においても経験できるのどかな時間がある。

 その対極にあるのが、コンピュータの力を借りたスピードの世界である。ハラリの『ホモ・デウス』に、米軍が訓練と実践の両方で兵士の集中力を研ぎ澄まし、任務遂行能力を高めるためにやっている実験が出ている。経頭蓋直流刺激装置という、いくつもの電極がついたヘルメットをかぶると、微弱な電磁場が生じ、脳の活動を盛んにさせたり抑制したりするのだという。

 某誌の記者がその実験を体験した話が出ている。

 最初はヘルメットをかぶらずに戦場シミュレーターに入ったら、自爆爆弾を装着し、ライフル銃で武装した覆面男性20人がまっしぐらに向かってきて、「なんとか1人撃ち殺すたびに、新たに3人の狙撃者がどこからともなく現れる。私の撃ち方では間に合わないのは明らかで、パニックと手際の悪さのために、銃を詰まらせてばかりだった」。そのあとヘルメットをつけると、「20人の襲撃者が武器を誇示しながらこちらに駆けてくるなか、私は落ち着き払って自分のライフル銃を向け、間を取って深呼吸し、最寄りの敵を狙い撃ちにしたかと思うと、そのときにはもう、静かに次の標的を見極めていた」、ほんの一瞬の出来事のように思われたが、すでに20分が過ぎ、彼女は敵20人全員を倒していた。

 コンピュータを使えば、通常の頭の回転スピードを上回る速度を獲得できるということだろう。こういう装置はどんどん開発が進み、私たちはそれらで武装し、いよいよ「ホモ・デウス(神の人)」になっていく、というのがハラリの予想だった(博学の発明家、レイ・カーツワイルの「ポスト・ヒューマン」が典型的である)。

 コンピュータに限らず、文明の発展にともなって私たちの時間が加速しているのは間違いない。足で歩く→自転車に乗る→鉄道を利用する→車→飛行機と、交通手段の発達はまさにスピードアップの歴史であり、電信、電話などの通信手段もまた時間の克服に大きく貢献した。

 スティーヴン・カーンはTHE CULTURE OF TIME AND SPACE(1880-1918)(1983、翻訳は『時間の文化史』『空間の文化史』の2分冊、浅野敏夫他訳、法政大学出版局)で、「1881年頃から第1次大戦が始まる時期において、科学技術と文化に根本的な変化が見られた。これによって時間と空間についての認識と経験にかかわる、それまでにない新しい様態(モード)が生まれる。電話、無線、X線、映画、自転車、飛行機などの新しい科学技術が、この新しい方向づけの物的基盤となった。一方で、意識の流れの文学、精神分析、キュビズム、相対性理論といった文化の展開がそれぞれに、人の意識を直接形成することになった」と述べている。

 私は常々、サイバー空間の登場は人類史を2分できるほどの出来事である(BC=Before CyberspaceとAC=After Cyberspace)と述べてきたが、その最大の特徴は飛躍的スピードの増大にこそ求められるかもしれない。

・快適な時間とはどのようなものか

 IT社会を快適(幸福)に生きるためには、結局、高速化する社会(サイバー空間)との距離をうまく取る才覚が必要だということになりそうである。

 個人にとって快適な時間とはどのようなものか。

 のんびり屋、せっかちなどの性格にもよるし、年齢にもよる。年齢にはその人が生きてきた時代の時間が大きく影響しているだろう。若いころ感激し、あるいは血沸き肉躍る経験をしたハリウッド映画を見直してみると、やはりかったるい思いをする。私自身、学生時代に感激した『ウエストサイド物語』にそれを強く感じた。一方で、ゲームをしている孫の手の動きを見ていると、驚くほど速い。

 これは一部のSFファンの間では有名な話のようだが、『銀河ヒッチハイク・ガイド』などの作者が提唱した「ダグラス・アダムスの法則」というのがある。

人は、自分が生まれた時に既に存在したテクノロジーを、自然な世界の一部と感じる。15歳から35歳の間に発明されたテクノロジーは、新しくエキサイティングなものと感じられる。35歳以降になって発明されたテクノロジーは、自然に反するものと感じられる。

 年代区分はともかく、マーシャル・マクルーハン的な警句として興味深い。たしかに、インターネットはもはや大半の人には技術というより所与の環境になっている。この説に言及した「いまIT社会で」は異論も紹介しているが、これも時代とともに快適な時間が変わっていくことと関係しているだろう。

 個人差はあるけれど、個々の人間にとってそれぞれの快適な時間、速度(スピード)があるというのも確かだと思われる。

 たとえば、バイオレゾナンスというドイツ発祥の治療法では、病気の原因となる体内の気(エネルギー)には固有の周波数の波動があり、同じ周波数の波動で共鳴を起こすと、気の滞りが解消、病気が治ると言っている。「滞りと同じ周波数の波動による共鳴現象によって滞りが消えて再び気が活発に流れるようになる、これが健康を取り戻すということだ」(ヴィンフリート・ジモン『「気と波動」健康法』2019、イースト・プレス)。

 個人差もあり、それは日によっても異なるけれど、その人固有のリズムというものを大事にすることが、目まぐるしく変化するIT社会においてはとくに重要である。それが才覚である。そのためには、四六時中、つまりひぐらしパソコンやスマートフォンにかじりついて、サイバー空間の影響を受け続けるのではなく、一定の距離を置く。つまり、日々の生活の軸足を現実世界に置く意識を忘れない。そうすれば、インターネットの影響を少しは対象化して考えることもできよう。ファーストフードに対してスローフードの運動もあるように、人それぞれに自分にあうスピードを大事にするしかない。

 <よろずやっかい>➆の最後にふれたように、技術がもたらした問題の多くは技術によって解決できるはずである。サイバー空間と現実世界の接点における快適な時間の確保ということに関しても、秀逸な<よろずやっかい解決アイデア>が求められるとも言えよう。ノーベル賞級か、あるいはイグノーベル賞級の。

 ちょっと話がそれるが、この稿を書き上げたころ、友人が「最近の政治の動きは腹立たしいばかりで、ときどき藤沢周平の小説や小津安二郎の映画を見るようにしている」と言っていた。たしかに小津安二郎の映画にはゆっくりした時間が流れている。「君、どうなの?」、「どうってこともありませんわ」、「そうかねえ」、「そうですよ」なんていうセリフも懐かしい。

 当面は才覚で切り抜けるしかない、やっかい

 

新サイバー閑話(42)<よろずやっかい>⑧

日本社会特有のやっかい

 インターネットは世界同時に進行する情報革命だから、その影響もグローバルに現れるわけだが、やはりその国の従来の社会構造によって変化の態様は異なってくる。私はかつて「IT技術は日本人にとって『パンドラの箱』?」というタイトルで、インターネットが与える日本特有の影響について考えたことがある。そのとき念頭にあったのは、日本人とインターネットの相性は必ずしもよくないということだった。

 日本社会はインターネットによってどのように変化しつつあるのかを、日本社会をめぐる典型的な2つの見解、社会人類学者、中根千枝の「タテ社会」と、歴史学者、阿部謹也の「世間」を手がかりに考えてみよう。

 中根千枝は1967年に『タテ社会の人間関係:単一社会の理論』(講談社現代新書、初出は「日本的社会構造の発見」雑誌『中央公論』1964年5月号所収)を発表し、日本社会は欧米などとは違うタテ型の人間関係によって成り立っていると述べた。「世間」は古くからある言葉だが、阿部謹也は『「世間」とは何か』(1995、講談社現代新書)、『「世間」論序説』(1999、朝日選書)、『日本人の歴史意識』(2004、岩波新書)などの著作で「世間」がいかに日本人の行動を規定してきたかを論じた。

 本稿のテーマは、その後のインターネット発達によって日本社会はタテ型からヨコ型(ネットワーク型)にシフトしつつあるのか。「世間」はインターネットによってどのように変わったのか、あるいは変わらなかったのか。そして、それらの事情が日本社会にどのような影響を与えているのか、ということである。

 結論的に言えば、日本社会はインターネットがもたらす変革の波に真正面から向き合ってこなかったために根底から揺るがされ、①その過程で社会の長所は失われ、逆に短所は増幅されている、②しかも変革の時代に対応する新しい社会システムはいまだ生み出されておらず、日本社会はいよいよ混迷の度を深めている、ということである。<よろずやっかい>⑥の最後に「古い秩序が持っていた長所もまた消えていく」と書いたけれど、その根はきわめて深い。ここに「日本社会特有のやっかい」がある。

・「タテ型」はだらしなくゆるんでいる

 欧米では(アジアのインドなどでも)「資格」が問題とされるのに対して、日本では「場」が問題とされる――これがタテ社会論の骨子である。タテにつながる序列が重視される結果、日本企業の終身雇用制、年功序列賃金、家族ぐるみの労務政策、企業内組合などの特徴が生まれた。

 『タテ社会の人間関係』には「一体感によって養成される枠の強固さ、集団の孤立性は、同時に、枠の外にある同一資格者の間に溝をつくり、一方、枠の中にある資格の異なる者の間の距離をちぢめ、資格による同類集団の機能を麻痺させる役割をなす」、(年功序列制に関係して)「個人の集団成員との実際の接触の長さ自体が個人の社会的資本となっている……、その資本は他の集団に転用できないものであるから、集団をAからBに変わるということは、個人にとって非常な損失となる」という、ある程度年配の人なら(とくにタテ社会をヨコに生きようとした私の場合)身につまされる記述もある。

 この辺の事情は、当然のことながら、インターネットによって劇的とも言えるほどに変わった。いまや終身雇用制は崩れつつあり、転職する人は増え、ヘッドハンティングもめずらしくない。資格が重視されるようになった面もあり(資格取得が一種の流行ともなっている)、「枠」集団としての一族郎党、あるいは家の求心力は減退している。つい最近まで「社畜」だと揶揄されていた企業従業員も、いまでは非正規雇用が4割を占め、家族ぐるみの雇用形態はほとんど消えつつある。

 日本人を縛る「場」の力は明らかに弱まっている。転職すれば必ず給料が下がることもないし、上司が仕事帰りに部下を赤ちょうちんに誘う行為もときにパワハラであると非難される。会社主催の忘年会、新年会もだいぶ様子が変わってきた。

 日本社会がヨコ型にシフトしているのはたしかだが、問題は、タテ社会の絆が緩んだ割にはヨコ型の連携、あるいは競合が密になったようには思えないことである。タテ社会という基本構造(骨組みとしての枠)は残っているが、だらしなくゆるんで形骸化しつつある。その結果、組織のタガは緩み、働く人びとのアイデンティティは薄れがちである。

 内部はシロアリに食い尽くされながら外見は保っているマホガニーのドアのようで、一蹴りすれば一挙に崩れそうで、しかもなかなか崩れない。その間に食品の不当表示、製品の検査結果改竄などの企業不祥事が多発している。

 中根は、連帯性のない無数の大小の孤立集団を束ねるものとして中央集権的政治組織、いわゆる官僚機構に着目し、「日本社会における社会組織の貧困が政治組織の発達をもたらした」と述べているが、それを支える官僚たちの使命感はすっかり薄れ、省益と天下りと政権への忖度だけが幅を利かせている。タテ社会空洞化の象徴とも言えよう。

・「世間」という身の回りの世界

 日本社会の宙ぶらりんな現状は「世間」を通して、よりはっきり見えてくる。

 世間という言葉はもともと、移り変わる世をさす仏教用語だが、私たちの回りを取り囲むぼんやりとした集団として、万葉の昔から意識されていた。阿部謹也は「仕事や趣味や出身地や出身校などを通して関わっている、互いに顔見知りの人間関係」だと述べている。

 ひと昔風に言えば、地域の青年団だったり、学校共同体だったり、会社組織だったり、あるいは作家などの文壇だったり、企業内組合だったり、弁護士団体だったり……、私たちはいくつもの世間に取り囲まれて生活してきた。この世間という場がタテ社会を形づくってきたとも言えよう。

 個人(individual)も社会(society)も明治初年に外来語として輸入され、社会科(公民)教科書などでは、個人が集まって社会を構成するという西欧的な考えが教えられたけれど、それを教える教師も、教えられる生徒も、彼らの家族も、地域の人びとも、自分たちは世間を生きていると感じてきた。世間は学問の対象にならず、それゆえにかえって強い力を発揮した。

 世間の特徴の最たるものは、個人が存在しないこと、内と外を区別することである。身内にはやさしく、他人には冷たい(あるいはよそ者として無視する)。内と外に対しては異なった道徳が適用され、欧米流の個人は社会を作り、社会はどこまでも広がっていくという発想は育たなかった。世間は「差別の道徳」、内と外のダブルスタンダードである。また世間は生まれ落ちた時から身の回りにあり、したがってそれを変えるという発想も育たず、「長いものには巻かれろ」式の事大主義的発想が強かった。

 阿部は「日本人は一般的にいって、個人として自己の中に自分の行動について絶対的な基準や尺度をもっているわけではなく、他の人間との関係の中に基準をおいている。それが世間である」と言っている。

 中根の本に、日本の学者が海外で同僚研究者に言及されたとき「彼は私の後輩である」と言ったとかいうエピソードが紹介されているが、彼もまた世間の住人だったわけである。

 世間論が話題になった二十数年前、阿部謹也や佐藤直樹のような人が強調していたのは、戦後日本においても世間は衰えるどころかかえって強固になって、高度経済成長を支えてきたということだった。

 さて、インターネットと世間はどう関係しているのだろうか。

 若い人が世間を意識することはあまりないと思うが、それでも「世間の目」とか、「世間体が悪い」とか、「世間に対して申し訳ない」というような言い方は聞いているだろう。ここに世間が残っている。

・「世間」が「社会」への目を曇らす

 1対多の関係で個人が社会と向き合わざるを得ないIT社会は、日本人が個としての主体性を確立できるチャンスかもしれないと私は思ってきたが、期待は裏切られたようである。ここに世間が強い影を落としている。

 問題は、グローバルに開かれているはずのインターネット上にも世間は存在するということである。むしろ、しぶとく生き残っていると言った方がいい。世間は主として顔見知りの人びとからなる比較的小さな集団だから、「サイバー空間における世間」というのは理屈の上でも、規模から見ても矛盾だが、サイバー空間上でいびつに変容した「世間」がその良さを失うととともに、日本人の「社会」への関心を曇らせている、というのが私の見方である。<よろずやっかい>➆でふれた「サイバー空間の行動様式が現実世界に逆流する」傾向のために、これが現実世界にも無視できない影響を及ぼしている。

 Web2.0でブログが話題になったころ、日本の多くのブログは必ずしも社会に向かって何かを発言し、それについて意見を交換するという構えをとらず、むしろ仲間うちのおしゃべり道具として使われた。「眞鍋かをりのココだけの話」というタイトルが象徴的だが、井戸端会議の延長のように考えられたのである。また、はてなとかニフティとかいったIT企業が日本人のために用意したブログサイトには、ネット上に「共同住宅(世間)の心地よさ」を保証する工夫もほどこされていた。人びとは原則的には開かれた場所で情報発信しながら、ある程度隔離された仲間内の空間にいる幻想を与えられたと言っていい。

 若い人の場合、ブログが社会に開かれているという意識すら希薄だった。文章も第三者が読んでもチンプンカンプンの場合が多く、仲間(身内)に伝わりさえすればいいので、もともと第三者(他人、よそ者)に読んでもらおうと思っていない。

 それは、インターネットというメディアに対する無知、あるいは無関心に基づいていたが、当の本人たちはそれでいっこう差し支えなかった。もちろんブログの性格はさまざまで、堂々たる論陣を張ったり、自分の知見を惜しげもなく公開したりして、多くの人に読まれている質の高いブログもある。また、仲間うちのおしゃべりがいけないわけでもない。<よろずやっかい>⑤で紹介した梅田望夫の「日本のWebは残念」という感想は、「サイバー空間における世間」によってもたらされたと言えるだろう。

 この「開かれたインターネット」上の「閉ざされた空間」という矛盾(というか幻想)は、日本社会に何をもたらしたか。

 第1は、世間がいびつに変容する過程で、身内だけに限られていたとはいえ、それなりに機能を果たしていた内なる道徳も失われたことである。外からの闖入者に対してまともに対応しない。あるいは外から傍若無人に侵入する。そこでは「炎上」は起こっても対話は行われない(村八分的ないじめはなお猛威をふるっている)。

 世間の内と外を区別するダブルスタンダードはなし崩し的に溶融し、スタンダードなしという無法状態が出現している。タテ型の仲間内の道徳は消え、しかもヨコ型の普遍的倫理は生まれない。そこでは、道徳的な身のこなしそのものが消えている。

 そして第2が、より重要だと思われるが、サイバー空間上に居座る「世間」が、日本人から「社会」に向かう視点をますます奪っていることである。そのため、グローバルな社会を生きていくための行動基準が生まれない。かくして「何をやってもよい、何も禁止されていない」という「何でもあり」社会が出現し、「禁止事項が破られ、事実上無法状態」に陥っている。

 社会心理学者の山岸俊夫は1998年の時点で『信頼の構造』(東京大学出版会)を書き、日本人は世間の中で「安心」を調達するのではなく、グローバル化する社会を生き抜くための「信頼」を勝ち取る生き方に踏み出すべきだと説いた。彼は「世間」という言葉は使っていないが、論旨は、世間という集団主義的な社会に生きる日本人に世間からの脱却を促したものと言っていい。そのブースター(推進力)として彼が力説したのが「信頼」という行為である。

 その主張はこうである。

集団主義社会は安心を生み出すが信頼を破壊する。日本人は内部の人間関係に安心を見出しているが、外部の人間は他者として排除する(信頼しない)。
流動性が高まるこれからの社会においては、安心という消極的な態度ではなく、信頼(する)というより積極的な態度をとることが賢明な生き方になる。このような社会の変化に直面して、どうしたら集団の枠にとどまらない広い一般的信頼を人々の間に醸成することができるかを考えることは、現在の社会科学あるいは人間科学に与えられた重要な課題の1つである。

 彼は、他人を信頼するという行為が所属する集団を離れた新しい人間関係を築くのに役立つという「信頼の解き放ち理論」も提唱した。日本人らしさは日本社会を生き抜くための戦略だったに過ぎず(「日本人は集団主義的な心の持ち主であるというのは「神話」である」)、だから社会システムを変えれば日本人の行動スタイルも変えられるとも主張した。

 その社会システムを変えようとする発想が日本社会からなかなか生まれない。世間はしぶとく生き残っているとも、すでに溶融しつつありながら、残滓(残骸)がなお威力を発揮しているとも言えるだろう。

 なぜ安倍首相は身内(世間)本位の政治を強行しながら、その異常さをたしなめる声が周辺(家族、派閥、支持者など)から上がらないのか、国民はなぜそのような政権をいまだに支持しているのか。ここに「世間」をめぐる日本社会の宙ぶらりんな状況が反映している。

 これは<よろずやっかい>④で取り上げた「人間フィルタリングの解体」とも関係するが、昨今の政治状況の混乱は、「変容する世間の悪影響」を通して考えないと、説明がつきににくい。

 ひと昔前まで不祥事を起こした企業経営者や政治家は記者会見で口をそろえて「世間を騒がせて申し訳ない」と謝った。自分の罪を認めるのではないが、新聞紙上で取り上げられたり、逮捕者が出たりして、世間(会社、派閥、役所など)に迷惑をかけた責任を取るという論法だった。ところが森友・加計問題、桜を見る会などの疑惑に関して、安倍首相から「世間を騒がせる」という表現すら聞いたことがない(「安倍首相」&「世間」で検索したかぎりでは、本人の発言と世間を結びつけるものはなかった)。「世間」にどっぷりつかった政治をしながら、頭の中では「世間」が消えているようなのだ。

 日本人論の古典、ルース・ベネディクトの『菊と刀』は、日本文化の型を「恥の文化」と規定した。欧米型の罪の文化は内面的な規範に従おうとするが、恥の文化は外面を保つことを優先すると言ったわけで、恥の文化を生んだのも世間だったと言える。しかしいま、一部の日本人から恥の文化も消えつつあるのは確かである。

 阿部謹也は世間の意義をそれなりに認め、世間を個人と社会の媒介項にできないかと提言したことがある。「現在、私たちは『世間』という観念を相対化しなければいけない状況にあります。『世間』のなかに個が縛られている状況を脱却しなければいけないと私は考えていますが、しかしそれと同時に『世間』が持っていたかつての公共性的機能を失うことなく保持することができるかどうかも大問題です」。残念ながら、世間は個人と社会の媒介項にはなりえなかったのではないだろうか。

 また、山岸は後に書いた『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』(2008、集英社)で、「戦後日本で長らく続いてきた集団主義の『安心社会』はもはや時代遅れのものとなり、日本もまたアメリカのような開放的な『信頼社会』へと変化しつつあるという印象を受けます」と述べる一方で、「残念ながら、今の日本人は信頼社会にうまく適応できているとはとうてい言いがたい状況であると考えます」、「本来ならば、安心社会の崩壊は既得権益を持った大人たちの危機であり、信頼社会の成立は未来ある若者たちにとっての福音であるはずです。それなのに、その若者たちが信頼社会への変化を嫌い、身の回りにある友人関係という小さな安心社会にしがみつき、その中での『平安』を求めているとしたら―これは日本の将来にとっても、また若者たち自身の未来にとってもゆゆしいことと言わざるを得ません」とも述懐している。

 まことに悩ましい日本の現状がここにある。

・「社会」に目を向けない政治

 世間も一つの社会資本(ソーシャルキャピタル)だと考えると、現下の政治や経済の動きは、従来世間が持っていた長所を積極的に解体しながら、それに代わる新たな社会資本は築こうとしない、というより深刻な問題が浮かび上がる。

 個人の視点で考えると、世間に包まれていた安心は無残に奪われ、IT社会に剥き出しで放り出されるようなものだが、皮肉なことに、こういう政治状況を私たちがむしろ支えているわけである。

 今春闘を前に経団連(経済団体連合会)が発表した「2020年版 経営労働政策特別委員会報告」は「新卒一括採用や終身雇用、年功型賃金を特徴とする日本型の雇用システムは転換期を迎えている。専門的な資格や能力を持つ人材を通年採用するジョブ型採用など、経済のグローバル化やデジタル化に対応できる新しい人事・賃金制度への転換が必要」と述べている。 

 日本型雇用システムの見直しという提言自体、すでに新味がないとも言えるが、従来の企業経営が引き受けてきた従業員丸抱え雇用のくびきから解放されたいという思いが前面に出ている。メンバーシップ型(新卒者を定期採用して社内教育によって一人前に育てる)からジョブ型(すでにスキルを持っている人材を採用する)に変えようというのは、一見、時代の波に適合しているように見える。しかし会社ぐるみの教育や福祉政策は重荷なのでやめたいと言っているに等しく、それに代わる社会的な教育方法、労働市場、あるいは福祉政策をどう進めるかについては言及がほとんどない。

 国内労働力が不足なら安い外国人労働者を雇えばいいとか、かけ声だけの「一億総活用社会」とか「働き方改革」などみな同工異曲である。日本の古いしがらみ(社会資本)は捨てるけれど、IT社会の今後にどう取り組めばいいのか、新しい社会資本をどう築き上げるべきなのか、日本はグローバル時代をどう生きてくのか、といったことへの真摯な取り組みは見られない。

 自分の仲間だけが、あるいは自分の任期中(生きている間)さえよければいいという、まさに阿部の言う「歴史意識の欠如」がいよいよ如実である(「政治家達も日本の将来などと口にするが、決して日本の将来を自分の今日の行動の中で考えているわけではない。彼らが考えているのは彼らの『世間』の中で今日をどう生きるかということだけである)。

 冒頭でも述べたが、日本人はインターネットの波にうまく乗ろうとするだけで、それが日本社会にもたらす影響に真剣に対応してこなかった。私は「IT技術は日本人にとって『パンドラの箱』?」の最後を、「社会システム全体が『組織』から『個』へと大きくシフトするとき、この新しい道具(インターネットのこと:引用時注)は日本人の『個』を育てないのみならず、かえって全体の『空気』を一方的に拡大する奇妙な装置として働きかねない。ITを金儲けの道具や便利さ追求の観点のみで使っていると、そこに出現するのは、『オープンな道具を使った不寛容な日本』という悪夢である」と書いたけれど、日本社会はいよいよ混迷の度を深めていると言っていい。

 ハラリの言うデータ至上主義によって、私たちの「個」そのものがばらばらに解体され、西欧的な個人主義の考え方そのものが試練に立たされている今、私たち日本人は待ったなしの状況に追い込まれている。

         混迷の度をいよいよ深める、やっかい

新サイバー閑話(41)<よろずやっかい>➆

ネットの行動様式が現実世界に逆流するやっかい

 私は、在特会(在日韓国人の特権を許さない市民の会) の参加者が、聞くに堪えないような激しく下品な言葉を投げつける心理がよくわからなかった。あんなことを面と向かってよく言えるものだと思っていたのである。

 その謎は、安田浩一『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』(2012、講談社)というすぐれたドキュメンタリーを読んで解けた。在特会の参加者たちは、ネットを通して集まり、ネットで悪口雑言を書きつけると同じ感覚で、目の前の人びとに過激かつ下劣な発言を浴びせていた。目前の在日韓国人を「見て」いるわけではなく、自らの内なるルサンチマン(憤り・怨恨・憎悪などの感情)を見て、と言うか、それに駆り立てられて、ただ闇雲に叫んでいるようである。

 本書によれば、在特会のデモに参加するのは日ごろから自分の境遇に強い不満を持っている人が多く、「市民の会」と名乗っているけれど、現実世界における相互の連絡というか、つながりはほとんどない。ネットのみを介して広がった団体で、彼らは現実の集会でも、ネットと同じように仮名しか使わない。

 社会から取り残されて行き場のない不安や怒りを抱えた人びとが、その怒りの矛先を自分よりも恵まれない在日韓国人などにぶつけている。いや、自分たちより恵まれないはずなのに、特権を得てぬくぬく生きているという誤った情報をもとに、それを仲間内で拡散しながら、デモに参加、うっぷんを晴らしている。

 彼ら自体、生活基盤をほとんと喪失しているので、言動はネットの書き込み同様、激越なものになる。現実世界ではほとんど惰性で生き、在特会デモという特殊な空間でのみ過激に生きる、そしてデモが終わると、すっきりした気分になって、たとえば、淋しいアパートの一室に帰っていく。パソコンやスマートフォンの電源を切ればすべてが消えていくように、自分の行動も忘れていくように思われる。

 こんな参加者の感慨も記されている。「はっきり言えば……酔いました。自分は大きな敵と闘っているのだという正義に酔ったんですよ。いまとなってみれば、なぜに在日を憎んでいたのかは自分でもよくわかりません」、「在日が、なんとなく羨ましかった。……僕らが持っていないものを、あの連中は、すべて持っていたような気がするんです」。

・現実世界で孤立した人びと

 著者は「私が接した在特会の会員は、友人や家族には活動のことを隠していたり、または最初から理解させる努力を、なかばあきらめているケースがほとんどだった。この運動は、あくまでもネットを媒介として進められる。けっしてリアルな人間関係から生まれたものではない」、「事件当日の様子はすべて在特会側によってビデオに撮影され、動画投稿サイト『YouTube』『ニコニコ動画』に即日アップされている。それらを映した動画は大量にコピーされ、一時期はネット上を埋め尽くす」、「恐ろしいことに、このような『在特特権』のデマは、何の検証もなしにネットでどんどん拡散されていく。それを見て『真実を知った』と衝撃を受け、在日を憎む人々が増えている」などと記している。

 だから彼らは、ネットの中(サイバー空間)と同じように現実世界で過激にふるまう。現実世界の人的、地理的な制約がなく、周囲にブレーキ役もないネットの言動が、現実世界に流れ出て、大きな力になり、それが現実世界を動かしている。在日韓国人たちに肌で接触することも、直接の悩みを聞くことも、彼らの存在についてゆっくり考えることもない。

 著者は在特会の現、あるいは元活動家にも果敢にインタビューし、次のような興味深い発言を引き出している。

「ネット言論をそのまま現実世界に移行させただけなんですよ。要するにネットと現実との区別がついていないんです」、「在特会ってのは疑似家族みたいなもんだね」、「地域のなかでも浮いた人間、いや地域のなかで見向きもされていないタイプだからこそ、在特会に集まってくるんです。そして日の丸持っただけで認めてもらえる新しい〝世間〟に安住するんです。……。朝鮮人を叩き出せという叫びは、僕には『オレという存在を認めろ!』という叫びにも聞こえるんですね」、「連中は社会に復讐しているんと違いますか?私が知っている限り、みんな何らかの被害者意識を抱えている。その憤りを、とりあえず在日などにぶつけているように感じるんだな」。

・日本人の行為から消えた「佇まい」

 在特会に集う人びとは、現実世界のどちらかというと下層に住む「うまく行かない人」(一登場人物の表現)、屈折した信条をもつ人、社会にもやもやとした不満と憎悪を持つ人びとであり、それがネット内の書き込みを通じて在特会に引き寄せられた。彼らはスケープゴートとして在日韓国人とその「特権」を見つけたのである。

 著者は「在特会を透かして見れば、その背後には大量の〝一般市民〟が列をなしているのだ。私が感じる『怖さ』はそこにある」、「在特会は『生まれた』のではない。私たちが『産み落とした』のだ」とも述べている。

 2016年のアメリカ大統領選でトランプ大統領に投票したと言われる、東部から中西部に広がる「ラストベルト」(さびついた工業地帯)の白人労働者の心情ともダブるところがあるように思われる。

 ついでながら<よろずやっかい>⑤に関係することとして、「ネット言論では〝激しさ〟〝極論〟こそが支持を集める」と述べた後で、リベラル派の退場について、「彼らはそうした〝大衆的な〟舞台から降りることで、いわばネット言論をバカにした。いや、見下ろした。結果、大衆的、直情的な右派言論がネット空間の主流を形成していく」という興味深い指摘もあった。

 在特会はネット社会の落とし子である。現実世界で孤立していた人びとがネットで結びついて街頭に出てきた。その時にネットでの行動様式をそのまま現実世界に持ち込んだ。聞くに耐えないような罵詈雑言の温床はネットにあったというべきである。

 少し古いが、一時期、出版危機について精力的な発言を続けていた小田光雄(『出版社と書店はいかにして消えていくか』や『ブックオフと出版業界』)は日本人の行動がかつて持っていた「佇まい」について、以下のように記している。

昔でしたら、駅弁を買うとフタの裏側についている御飯を食べることからはじめるというのが当り前で、駅弁を食べる姿にもそれなりの佇まいがありました。それがひとつの食の文化ではなかったでしょうか。……。食べ物が捨ててある風景も日常茶飯事のものとなりました。食事なら捨てられませんが、エサだから捨てるんではないでしょうか。……読書が精神の営みではなく、単なる消費的行為になった。本が精神にかかわるものなら捨てられないが、消費財や単なる情報だったら簡単に捨てることができる。

「佇まい」という言葉はすでに死語になったようだが、昨今における国会論議(首相答弁)の殺伐とした光景を見ると、ここにもネットの行動様式が現実世界に逆流している影響を感じざるを得ない。

 かつて私はすべての人が情報発信できる時代には、万人が「情報編集の技術」を身につけ、ネットの環境を美しくすべきだと主張してきたが、ネットの情報環境がどこまで美しくなっているかはともかく、サイバー空間における悪しき行動様式が現実世界に逆流し、それが現実世界をいよいよとげとげしいものにしている。

 ここにもIT社会の深い闇がある。何もかもインターネットのせいにするのは技術決定論だと批判されるかもしれないが、インターネットという技術はそれほどの強い力を持っている。

 そして、在特会を力で押さえつけても、あるいは現実に彼らの行動を規制できたとしても、問題を根本的に解決するのは難しい。ここには政治の貧困が横たわっているが、在特会に集うかなりの人びとが、これら底辺の社会問題を正面から解決しようとしているとは思えない安倍政権に抗議せず、むしろ支持さえしているのは皮肉である。

 ネットの行動様式が現実世界に逆流し、それが現実世界を動かすパターンの変種としては、以下のようなケースもある。

 政権シンパがネットを使って、自分たちの気に入らないイベントを「税金を使って〝非中立的な〟政権批判するのは許されない」などと騒ぎ立て、それを一部の政治家や著名人が受け、あるいはそれを扇動して、イベントを主催する役所や管轄官庁に圧力をかける。それに役人が唯々諾々と従う。

 こういう風景は日常茶飯になっているようだが、その変種、と言うより亜種について、<令和と「新撰組」⑤>で取り上げているので参照してほしい。

見れども見ない、やっかい

 恒例となった冬の避寒旅行で、今年はマレーシアのペナン島に来ている。到着早々、インターネットの配車サービスを使ったら、近くでコールを受けてくれたドライバーが「耳が不自由だけれどいいですか」と聞いてきて、了解の返事を出すと、ほどなくやってきた。しゃべることもできないが、インターネットならそれでつとまるわけである。乗車地も降車地もスマートフォン上の地図に表示されるし、代金も自動決済、何の問題もない。ドライバーは実に気のいい若者だった。

 ちなみに宿はインターネットの宿泊施設斡旋サイトで探した。コンドミニアムには日本各局のテレビ番組も配信されているから、日本にいたときと同じように「カラオケバトル」や「ポツンと一軒家」などを見ている。インターネットの便利さを十分に堪能しているわけである。

 それでも書きつける<インターネット万やっかい>である。

 読者(がいるとして)の中には、インターネットの影ばかりでなく、光についても言及すべきであるという意見が、あるいはあるかもしれない。たしかに、やっかいな問題を解決することこそがサイバーリテラシーの使命だが、何がやっかいなのかを明らかにするのが先決である。だからこのシリーズはなお続けるつもりだが、その後で、あるいはそれと並行する形で<よろずやっかい解決アイデア集>のようなものも始めたいと考えている。

 技術がもたらした問題の多くは技術で解決することが可能だろう。法による規制も有効である。ローレンス・レッシグがかつて述べたように、コンピュータのプログラム(アーキテクチャー)で工夫することも試みるべきだし、市場が解決に一役買うチャンスもある。さらに言えば、IT社会を生きるための基本素養(リテラシーと処世訓)を教える教育の役割も大きいと思われる。 

 これこそ周知を集めるべきテーマである。知人や読者の皆さんからもアイデアを教えていただき、それを紹介できればと思っている。堂々たる論考をお寄せいただけると望外の幸せでもある。以上、今後の心づもりを述べつつ、ご協力をお願いする次第です。

 

新サイバー閑話(40)<よろずやっかい>⑥

既存秩序の崩壊とアイデンティティ喪失のやっかい

 トランプ米大統領の突然のイラン攻撃とかカルロス・ゴーン元日産自動車会長の劇的日本脱出などに比べると、話は一気に小さくなるが、新年20日の通常国会での安倍晋三首相の施政方針演説はひどかった。

 昨年後半の大きな政治問題となった首相主催の「桜を見る会」に関しては、年をまたいでも関連文書の廃棄をめぐり内閣府の歴代担当者が処分されるなど紛糾しているのに、これに関して一切ふれず、政権が成長戦略の柱に位置づけてきたカジノを含む統合型リゾート施設(IR)に関しても、元内閣府副大臣(衆院議員)らが汚職をめぐり逮捕、起訴されているのに、これにもいっさいふれなかった。

 多くの国民が桜を見る会の首相説明は不十分と考え、IR推進に関しては強い異論もあるのだから、まずこのことにふれ、真相究明への努力を約束するなり、混乱に対する責任に言及するなり、何らかの態度を表明するのが一国の首相としてやるべきことだと思われる。

 安倍首相は、それをしない。

 その代わりに、今夏開催される東京オリンピック、パラリンピックを成功させようと訴え、日米安全保障条約署名60年の節目にふれて、日米同盟の強いきずなを誇示した。あとは政権のスローガンを羅列しただけとも言えるが、最後に改憲にふれている。意外なほどのわずかな分量だが、意欲が減退したと言うよりも、大事なことをさりげなく、かつ電撃的に、あっさり強行する「衣の下の鎧」が透けていると見るべきだろう。しかもそこで、あろうことか「未来に向かってどのような国を目指すのか。その案を示すのは国会議員の責任ではないでしょうか」と、野党議員の〝奮起〟を促した。

 盗人猛々しいと言うべきだろう。

 国会を無視、とまで言わなくても、軽視してきた当の本人が、自らの「悲願」である改憲に関してのみ、国会議員の責任を果たせなどと言う神経は常人には理解できないことである。

 安倍政権は発足以来、既存制度に組み込まれていた、民主主義を健全に運営するためのチェック機能を解体し、多くの憲法学者が違憲とする集団的自衛権容認を閣議決定するなど、自らの政策を強引に推し進めてきた。一方で森友、加計問題などの不祥事に関しては、のらりくらりと他人ごとのような答弁を繰り返し、挙句の果ては、肝心の証拠書類を官僚に改竄させている(官僚が勝手にやったことになっているけれど、忖度の任を果たした彼らにはその後の処遇で応えた)。こういった政権のあり方を「『非立憲』政権によるクーデター」と批判した石川健治東大教授の論考については、本<新サイバー閑話>の別稿でふれたのでそちらを参照してほしい。

 盗人猛々しいと言えば、自民党が昨年暮れ税制改正大綱を提示したとき、三木義一・青山学院大学長は、桜を見る会で税金の使い方が問題にされているときだっただけに、「税を公正に使ったことを証明できない人たちが税制を『改正』する」ことの不条理を指摘していた(東京新聞2019.12.13)。

 問題はこういうことではあるまいか。

 平気で嘘をつき、国会での野党質問に誠実に答えないような人物がなぜ総理大臣なのか、さまざまな不祥事にもかかわらず、なぜいまだに独裁的な力を誇示できているのか、安倍政権の閣僚たる人びとはなぜ「安倍首相はポツダム宣言を当然読んでいる」「安倍首相の妻・昭恵氏は公人ではなく私人」などという奇妙な閣議決定を連発しているのか、官僚たちはなぜ唯々諾々と政権の意向を忖度し、それに従うのか。野党の反撃はなぜかくも手ぬるいのか、メディアはなぜ問題の所在を的確に報道しないのか。それより何より、なぜ今なお、かなり多くの人びとが安倍政権を支持し、これでいいのだと思い続けているのか。

 この現代日本の深い病根の背景にも「デジタルの影」がある、というのが今回の<よろずやっかい>のやっかいなテーマである。

 ここにはインターネット発達以来、現実世界と並行するように、あるいはこれと入り混じるように成立したサイバー空間が既存秩序を突き崩しつつある現状が反映されている。もちろんその崩壊には、改善されてしかるべきものも多かったが、一方で人びとが長い間の生活で守り育ててきた地道でまっとうな生き方もまた同時に失われた。安倍政権をめぐる政治状況はその象徴のように思える。

 これは必ずしも日本だけの話ではない。世界中で、倫理観など持ち合わせていないような指導者が権力を私物化し、政治の理念を語るより権力闘争に明け暮れている。大国の指導者の中には安倍首相のお手本になりそうな人もいる。

 前回にも引用したカナダのメディア研究家、マーシャル・マクルーハンは、ラジオというメディアがなかったら、ヒットラーは歴史の舞台に登場しなかっただろうと言った(「ヒットラーの統治下にテレビが大規模に普及していたら、彼はたちまち姿を消していたことだろう。テレビが先に登場していたら、そもそもヒットラーなぞは存在しなかったろう」『メディア論』、原著1964、栗原裕・河本仲聖訳、みすず書房)。そのひそみに倣えば、トランプ大統領も安倍首相もインターネットがなければ、現在のような〝活躍〟はできなかなかったように思われる。

 もちろん、彼らがインターネットをうまく利用して権力を握ったとだけ言っているわけではない(たしかにトランプ大統領はツイッターをよく使うけれど)。インターネットが人びとに与えた衝撃(驚きや歓喜だったり、逆に当惑と失望だったりしたけれど)がもたらしたかつて経験したことのない変化のうねりが私たちの足元を洗い、思わずふらついたその不意を突くような形で、現代の政治状況は成立しているのではないだろうか。

・「何でもあり」の風潮

 ここではその当惑と失望についてふれたい。パチンと割れる風船というよりも、音もなく消えてしまうシャボン玉に似て、ほんのかすかなものであろうと、それは全世界の片隅で、四六時中起こっている。そして塵も積もれば山となり、コロナウイルのように私たちを襲いつつあるのではないだろうか。以下はその塵の一部を素描したものである。

 私がまだ新聞社に在籍していたころの経験だが、1999年3月、広告会社・電通の発案で新聞の全国紙、ブロック紙、地方紙91紙を使って「意見広告キャンペーン」、題して「ニッポンをほめよう」キャンペーンが行われた。全国・ブロック紙では2ページ見開きで、左側に吉田茂元首相の顔写真が大きく載り、右側には「ニッポンをほめよう。」との大きな活字。本文は「『ニッポンをほめよう』は、わたしたち60の企業が発信する、共同声明です」で終わっており、59の企業名の最後に、朝日新聞には朝日新聞社、読売新聞には読売新聞社、日経新聞には日経新聞社というふうに、それぞれの掲載紙の会社名が載った。

 本文にはこう書いてあった。「政治が悪い、官僚が悪い、上司が悪い、教育が悪いと、戦犯さがしに明けくれるのは、もうよそう。ダメだダメだの大合唱からは、何も生まれはしないのだから」。

 まるでジャーナリズムを否定するかのような文言が含まれている意見広告に新聞社自らが名を列ねていることに対しては、当然、私の職場でも異論が出された。そのとき社員の1人から「今は何でもありだから」という発言を聞いた。折しも新聞産業はネットなどの新興メディアに押されて、部数も広告も減少しつつあった。発言の裏には「こんなうまい(おいしい)広告はめったにない」という気持ちが込められていただろう。今は何でもあり、できることは何でもして生き延びるしかないという諦観でもあったと思う。

 私は社外にも公表しているレポートで「現下のマスメディアに顕著に見られるのが『アイデンティティの喪失』である。多メディア化は、一方では新しいメディア企業による娯楽、スポーツ、生活情報など『売れる実用情報』提供を促進しつつ、他方では既存マスメディアにおけるジャーナリズム精神を衰退させているが、残念ながらその構図は、巨大資本の攻勢にたじたじとなり、あるいはそれに煽られて、マスメディアがジャーナリズム性を手放しつつある姿と捉えられるのかもしれない」と書いた(『表現の自由』の現代的危機について―インターネット規制と『サイバーリテラシー』」『朝日総研リポート』1999.6 NO.138)。

 インターネットが既存社会を破壊していくことに対しては、プラスマイナスの両面があるだろう。シュンペーターではないが、創造的破壊を通して経済(社会)は発展する。まず創造があって、ついで破壊が行われるのである。しかしインターネット(コンピュータ)という強力なイノベーションは、内部的な「創造」の契機が生ずるより先に、既存産業の「破壊」をもたらす。メディアに関して言えば、各企業はジャーナリズム機能を拡充するためのITを自ら開発するというよりも、シリコンバレー出来合いの技術を何とか利用して生きのびることしか考えるゆとりがなかった。

 外部からやってきた思わぬ破壊に直面した企業が、当の外部技術であるITを使って延命をはかろうとすれば、ITが持つ力にすがるのが精いっぱいで、自らのアイデンティティを保ちつつ、真の創造的発展を達成するのは難しい。そこではITの専門家、技術コンサルタントがもてはやされるばかりである。これは、多かれ少なかれ、他の産業の技術革新や異分野転出にも言えるのではないだろうか。

 ちなみに「何でもあり」という言葉は一般の辞書には載っていないようだが、オンラインで見つけた「実用日本語表現辞典」には「何をやってもよい、何も禁止されていない、といった状況を指す語。禁止事項が破られ、事実上無法状態に陥っているさまなどを指すことも多い」と説明されている。

・「等身大精神」の危機

 2005年に起きたみずほ証券の株誤発注事件も象徴的である。同証券の社員が人材派遣会社株の売り注文を「61万円で1株」とすべきところを「1円で61万株」と入力ミスしただけで、みずほ証券は約400億円の損害を受けた。

 ここで特筆すべきなのは、ほんのちょっとした、だれにでも起こりがちなコンピュータ入力ミスで、あっという間に会社に400億円の損害を与えてしまった社員はどう責任をとればいいのかということである。会社にかけた損害を賠償するという、ある意味でまっとうな考えはまったく意味をなさない。

 一方で誤発注を奇禍とした投資会社は多いところで120億円という大儲けをした。個人で20億円儲けた人もいた。20億円といえば、これまたサラリーマンが一生に稼ぐ額の十数倍である。

 かつてエコロジーの世界で、「等身大の技術」ということが言われた。過剰な技術によって自然を破壊するのではなく、ほどよい技術を使うことが大事だという考えで、たとえば、大型船でマグロを一網打尽にするのではなく、食べるに必要な分だけ一本釣りしながら自然のおすそわけにあずかるという共生の知恵だった。

 いまはコンピュータという精神機能拡張の道具が、私たちの知能の限界を打ち破る途方もない世界をもたらしている。こういうシステムに支えられていると、コツコツものを作り上げるといった仕事のありようが、どうにも馬鹿らしくなってくる。そこでは「等身大の精神」、別の表現を使えば、人間的なまっとうな生き方が危機に瀕していると言っていい。

 同じ年に起こったマンション耐震強度偽装事件は、設計の中核部分である「構造計画書」の数値が偽造され、震度5程度の地震がくれば倒壊の危険があるマンションやホテルが全国規模で建てられていたことが発覚したものだが、ここでも、一つの行為がもたらす結果があまりに膨大なために、建築士にしても、欠陥マンション量産業者にしても、犯した罪の責任をとりようがない状況が生まれている。

 逆に言うと、責任のとりようのないことを何の痛痒も感じずに行える状況に置かれている。両事件に共通するのは、「引き金の軽さ」と、それがもたらす「結果の重さ」である。

・盥の水といっしょに赤子を流す

 制度設計された当初の意図が空洞化し、恣意的に運営されがちな例は今に始まったことではない。問題はそのタガが完全に外れ、恣意的運営でどこが悪いというほどの野放図なものになっていることである。

 2つの事例を通して浮かび上がるやっかいな「塵」は、安倍政権、およびその周辺、さらには私たちにも大量に降りかかっている。

 先に上げた「何でもあり」の説明、「何をやってもよい、何も禁止されていない、といった状況を指す語。禁止事項が破られ、事実上無法状態に陥っているさまなどを指すことも多い」は、いかにも〝安倍〟的である。また「重大な結果」を熟議もせず、国民の声も聞かずに決めてしまう「引き金の軽さ」もまた安倍政権に特徴的である。

「サイバーリテラシーの提唱」で私は「毛虫がみずからの内部諸器官をいったんどろどろに溶かしてサナギとなり、一定期間をへたあとチョウへと変身するように、現代社会もまた時代の転換点にある」と書いた。既存秩序の崩壊は歴史が進むべきサナギ化の過程であるのは確かだが、問題はいま現代、どこにもチョウへと変身するきっかけが見えないことである。

 為政者、官僚、あるいは経営者、企業従業員、さらにはメディア企業、教育現場に至るまで、これまで営々と築いてきた価値を臆面もなくないがしろにする傾向が見られる。「決める政治」も、規制改革やイノベーションも、「盥の水といっしょに赤子を流す」結果になりがちで、古い秩序が持っていた長所もまた消えていく。

気が重い、我らが内なるやっかい