新サイバー閑話(39)謹賀新年

あけましておめでとうございます。

 正月5日に「男はつらいよ お帰り寅さん」を見てきました。平日とはいえ、劇場は高齢者でほぼ満席、パンフレットを買おうとしたら、売り切れでした。

 記念の50作目は寅さんの甥の満男とかつての恋人、泉が再開する3日間の出来事からなっており、その間にかつてのマドンナたちやいくつかの名シーンが織り込まれ、懐かしくもあり、楽しくもありました。マドンナではリリーを演じた浅丘ルリ子だけが登場しています。

 私は公開された49作は全部見ています。昨年夏、本サイバー閑話<平成とITと私>で『ASAHIパソコン』創刊をめぐる思い出を記録するため古い書類を整理していたら、まだ新聞社の整理部時代(1970年代中ごろ)に書いた、忘年会用寸劇のシナリオが出てきました。地元の大学の女子大生に助演を頼み、参加者に寅さん役を演じてもらったのですが、セピア色した用紙の手書き文字を見ていると、「当時、こんなことをしていたのか」と懐かしくなりました(登役は幹事がつとめた)。

 新年のご挨拶代わりに、そのシナリオを仮名遣いもそのままに復刻して、ここに紹介しておきます。まさにご笑覧ください。

男はつらいよ

西部整理部忘年会脚本復刻

 物のはじまりが一ならば、国のはじまりが大和の国、島のはじまりが淡路島。泥棒のはじまりが五右衛門なら、博奕打ちのはじまりが熊坂長範。ねえ兄さんは、寄ってらっしゃいの吉原のカブ。産で死んだか三島のおせん。四谷からこうじ町、ちゃらちゃら流れるお茶の水、粋な姐さん立ち小便……

寅次郎 どうぞ近くによって見てやって下さい。結構毛だらけ猫灰だらけ、これまた結構な××新聞だよ。

女学生A トラさん、いつから新聞売りはじめたの。

寅次郎 今は情報化社会。地道に勉強しないと時勢に遅れるからね。(観衆に向って)やあ、××新聞の労働者諸君、ごくろうさん。あぶらと汗とインクにまみれて、一生懸命働いているかい。そう、赤えんぴつ握って、めしも食わずに訂正出して……。考えてみれば君たちも貧しい人たちだなあ。

女学生B そんなこと言うもんじゃないわ、トラさん。ではあなたは一体何階級の人なの。

寅次郎 そうだなあ、まあ中流じゃないの。

女学生B 中流ってのは、カラーテレビとか、ステレオとか持っていないとだめなの。あなたが持ってるのは四角いトランクだけじゃないの。

女学生A 物を持っているから偉いという考えはちょっとおかしいわ。大きな屋敷で鯉飼っててもくだらない人はいるのよ。財産がない人にこそ本当に立派な人がいるものよ。

寅次郎 いいこというねえ、学生さん。たいしたもんだよ、カエルのションベン。今のこと、何という本に出てるの?

女学生A トラさんはカラーテレビやステレオは持ってないけど、そのかわり、誰にも負けない、すばらしいものを持ってるわ。

寅次郎 えっ、何だって。俺のカバンあけて見たのか。

女学生A 形のあるものじゃないわ。

寅次郎 屁みたいなものか。

女学生A 違うわよ。つまり愛よ。人を愛する気持ちよ。

女学生B そんな高級なものを持っているとしたら、トラさん、さしずめ上流階級ね。

寅次郎 上流階級? 俺が? 気がつかなかったなあ。上流階級ねえ、この僕が……。では、今夜はこの辺でお開きにするか。

<カネの音>

寅次郎 鐘の音か。貧しい人びとがやすらかに眠りにつくんだろうなあ。

(おしまい)

 

 

 

新サイバー閑話(38)<よろずやっかい>⑤

「良識派」がネットから撤退するやっかい

 ここで「良識派」というのは、ものごとをまじめに考えようとしている人びとという程度の意味である。リベラルな人もいるし、保守的思考の持ち主もいる。要はまっとうな人生を生きようとしている人びとである。

 そういう人びとが、かつてインターネットに希望を見出した。彼らにとってネット上のサイバー空間は現実世界のかなたに広がるフロンティアであり、ユートピアだった。よく言及されるロックバンドの作詞家、ジョン・バーロウの「サイバースペース独立宣言」(A Declaration of the Independence of Cyberspace、1996)はその記念碑的文書である。サイバー空間は現実世界と離れた別の世界と思われていたが、インターネットの飛躍的発展によって、両者は分かちがたく結ばれるようになった。本サイトに掲載している「サイバー空間と現実世界の交流史」はそれを時系列で図示したものである。

 そして、インターネットの可能性を高らかに歌いつつ、その明るい未来をも唱導しようとしたのが2000年ごろから活発化したWeb2.0の動きである。合言葉は「誰もが情報発信できる」ということであり、ウェブの世界は「見る」ものから「使う」ものに変わった。象徴的ツールはブログであり、ケータイだったし、グーグル、アマゾン、アップルといったIT企業がこれを牽引した。それはシリコンバレー躍動の時でもあった。

・梅田望夫の失望と退場

 日本においてWeb2.0を唱道した典型的書物が梅田望夫『ウェブ進化論』(2006、ちくま新書)である。彼はシリコンバレーの熱気にふれて感激、この本を書いた。「米国が圧倒的に進んでいるのは、インターネットが持つ『不特定多数無限大に向けての開放性』を大前提に、その『善』の部分や『清』の部分を自動抽出するにはどうすればいいのかという視点で、理論研究や技術開発や新事業創造が実に活発に行われているところ」である、と彼は羨望の念をこめて書いた。根底にはアメリカ人特有の技術楽観主義が流れており、彼は同じような動きを日本の若者に期待したわけである(「彼はシリコンバレーに行って、結局アメリカ人になった」というのが私の読後感だった)。

 そして、期待は完全に裏切られたようである。彼は2009年、ITmediaのインタビューで「日本のWebは『残念』」という言葉を残して以降、少なくとも日本のネットでの発言を控えているように思われる。

 こんなことを話している。「残念に思っていることはあって。英語圏のネット空間と日本語圏のネット空間がずいぶん違う物になっちゃったなと」、「英語圏の空間というのは、学術論文が全部あるというところも含めて、知に関する最高峰の人たちが知をオープン化しているという現実もあるし。……。頑張ってプロになって生計を立てるための、学習の高速道路みたいなのもあれば、登竜門を用意する会社もあったり。そういうことが次々起きているわけです。……。日本のWebは、自分を高めるためのインフラになっていない」。

 彼はどちらがいいとか悪いとか言っているわけではないが、日本のウェブのあり方に失望した様子が随所に読み取れる。日本のネットが英語圏のものとはずいぶん違うものになっているのは事実だと私にも思われる。

・東浩紀の深い徒労感

 東浩紀もまたネットの可能性に強く期待し、それを育てるために積極的に行動してきた人である。私はウェブ2.0が喧伝されていた2005年に彼にインタビューしているが、当時まだ33歳の若手哲学者で、グローコムを拠点にサイバー空間の制度設計や情報倫理の確立にエネルギッシュに活動していた。

 インタビュー冒頭で彼はこう語っていた。「いまの情報社会をめぐる論議はビジネスと政策が中心で、あとは技術的な視点が加わるぐらいで、人文科学的もしくは社会学的視点が少ないと感じています。僕としては従来の社会学、哲学、思想の文脈の上に、いままでの情報社会論の蓄積をうまく接続し、過去との差異を明らかにしつつ、情報社会論という学問領域の輪郭をはっきりさせたいと思っています。例えば『情報倫理』と言ったとき、いままで言われてきた倫理とどこが違うのかということですね」。

 「情報がネット上にないと、存在しないと同じになってしまう」というラディカルな発言もあった。

 彼のその後の活動は多くの人が知るところで、2011年には「この国の情報社会の経験を生かして、民主主義の理念を新しいものへとアップグレード」することを夢見た『一般意志2.0』(2011、講談社)という意欲的著作も世に問うている。その東が2017年には雑誌『AERA』で「ユーストリームが終了 『ダダ漏れ民主主義』の曲がり角」という原稿を書くに至った。

 動画にかぎらず、情報技術はつねに社会改革への希望と結びついてきた。WWWもブログもSNSも、出現当初は新たな公共や民主主義の担い手として期待を集めていた。しかし普及とともに力を失い、単なる娯楽の場所に変わる。いまやネットはフェイクニュースと猫動画ばかりだ。
 昨年の米大統領選は、まさにネットの限界を感じさせた出来事だった。その翌年にユーストリームの名が消えることは、じつに象徴的に思える。ぼくたちはそろそろ、ネットが人間を賢くしてくれるという幻想から卒業しなくてはならない。

 最後の「ネットが人間を賢くしてくれるという幻想から卒業しなくてはならない」という箇所に彼の深い徒労感と失望が表明されているだろう。

 何が起こったのか。

 ここには、いまの(日本の)ネットではまっとうな議論ができにくいという彼の気持ちが表明されている。この辺の心境の変化は、それより少し前に出版された小林よしのり、宮台真司、東浩紀『戦争する国の道徳 安保・沖縄・福島』(2015、幻冬舎新書)という、一見インターネットとは無関係なタイトルの本に興味深く記されている。

 この本は東が主宰する「ゲンロンカフェ」が小林、宮台という従来なら保守とリベラルを代表する論客を招いて、東が司会をした記録をもとに出来ている。ここでかつて論敵だった小林と宮台は完全に共闘モードに入っているが、そういう歴史的推移もまた興味深い。いまの日本でまともにものごとを考えようとすれば、自然に同じ土俵に乗ってしまうということだろう。

 3人に共通しているのが、インターネットが日本社会にもたらした負の側面を強く意識していることである。東だけの発言を拾えば、「人びとは共同体から剥ぎ取られ、都市に集められ、流動するアトム化した個人と化した。その状況を土壌として、いまや大衆迎合的なポピュリズムや全体主義の危険が無視できないレベルにまで高まっている」、「この数年で、インターネットというものに対する希望がかなりなくなってしまいました」、「いまの若い人は、とにかく、なにか問題がおきるとすぐにネットに書いちゃうんですね。『ネットで騒げば勝ち』という発想が刷り込まれている。……。内容が正しければまだいいけれど、さんざん膨らませて書く。こちらがそれに反応すると、また騒ぐ。『最近の若者は』的な愚痴にしかならないけれど、苦労してます」。

 同じような感慨は他の2人からも聞かれるが、3人が異口同音に「これからの社会を維持していくためにはインターネットと離れたコミュニケーションが大事」だと言っているのは少し意外な感じがする。もちろん、サイバー空間と現実世界の共存の道を探ってきた私としては同感するところがあるけれど、インターネットの旗手とも目されてきた東、宮台両氏にして、こういう感慨を抱くに至ったというのが興味深い。

 宮台はユーチューブでの動画配信などの啓蒙活動は続けているが、ネットでのコミュニケーションにはやはり愛想をつかし、現実世界に回帰しようとする気持ちが強くなっているようである。

 今度は宮台の発言を拾おう。「意味のある仲間との深い関係を築こうとするなら、ネットから見えないようにするほかはない」、「ネットでは議論をしてもしょうがないと思います。ツイッターでもブロックばかりしている」、「マクロにはもうどうにもならないと思う。そうであれば、マクロなこういう劣化現象から、自分の周囲にいる子どもたちを守るべく、インターネットから自立した『見えないコミュニティ』を作った上、子どもを『立派な人』―先生だったり先輩だったり近所の人だったり―の影響下に置くほかない」、「いまはネットでバカが大手を振る。『摩擦係数が小さい』がゆえに万人が平等な発言権を持って参加できるネット空間を、再構造化して、権威の階層システムをつくり直さなくちゃダメだと思うな」。

・「ネット上の争いでは、リベラルは99%負ける」

 もう一つ、ネット上の議論に関して言えば、いわゆるリベラルより保守の方が攻勢に出やすい面もありそうである。これもネット上で活躍してきたジャーナリストの津田大介はこの点に関して、「ネット上の争いでは、リベラルは99%負ける」と言っている。

 彼はネット上の言論でリベラルが守勢に立たされがちな理由として、①保守の人のほうがマメで、自分たちはどういう思想で、何を目指しているのかをちゃんと主張する、②本来は「革新」であるにも関わらず、リベラルな人のほうがスマホ率やSNS利用率が低い。日本の労働運動はテクノロジーを敵視してきた一面があった、③中道的な意見は左右両方から叩かれ、過激な意見を持つ人に支持が集まっていく結果、普通の人が発言をしなくなっていく、などを上げている。「リベラルが『多様であることがいい』、『多文化であることがいい』と訴えると、保守派の言っていることも認めなきゃいけないが、保守派はリベラルの主張を認めないから、その点がそもそも非対称なんです」とも言っている。

 フランスの思想家、ボルテールではないが、ネット上で「私はあなたの意見には反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」などと悠長なことを言っていれば、「お前の言っていることは間違いだ」と一刀両断する言論には歯が立たないわけである。

 これは、わずか140文字(英語などでは280字に拡大)のツイッターのつぶやきやスマートホンの小さな画面でのやりとりが多いというメディアの制約にも大きく関係している。マーシャル・マクルーハンにならえば、「メディアはメッセージである」。あるメディアを使うことが伝えるメッセージのありように影響を与える。

 宮台が最後にいった発言は<よろずやっかい>②「1人1票のやっかい」そのものだが、現在のネット上の言論が大きなバイアスを加えられているのは明らかだろう。もっとも、グループによって、あるいはジャンルによって、そして国際的なオンライン会議などでは、有益な議論が積み重ねられているはずだし、そのことを否定しているわけではもちろんない。

 一時(2008年ごろ)、生まれながらにインターネットに親しむ世代として「デジタルネイティブ」という言葉が話題になった。これら若者たちが、金儲けのビジネスではなく、国際的な社会貢献にインターネットを駆使している姿も報道された。ここにはインターネットの大きな利点が示されている。

 また、欧米はさておき、韓国でもユーチューブ上の政治番組が大流行しているというニュースを聞いた。日本でも自らの主張を直接ユーザーに届けるやり方として動画配信が盛んになりつつあり、それなりの効果を上げているように思われる。ただ、本シリーズの意図は現下のネット状況にはやっかいな問題があることを指摘するところにある(蛇足ながら、私自身「インターネット徒然草」と自認するほどの拙文をここにアップしているのは、見知らぬ誰かがひょっとして読んでくれるのではないかと期待してのことである(^o^))。

・サイバー空間の再構築と現実世界の復権

 私はサイバーリテラシーの課題として以下の3点を上げている(『サイバーリテラシー概論』2007、知泉書簡)。

①デジタル技術でつくられたサイバー空間の特質を理解する
②現実世界がサイバー空間との接触を通じてどのように変容しているかを探る
③サイバー空間の再構築と現実世界の復権

 いま大事なのは③ではないだろうか。サイバー空間再設計の努力であり、現実世界の重要さを見つめ直し、それを復権することである。言葉を変えて言えば、現実世界に軸足を置きつつ、インターネットを便利な道具として使う知恵を紡ぎ出すことだと思われる。

 ところで、この原稿を書いているまさに最中、ニュースサイト・BLOGOSのコメント欄が2020年1月をもって廃止される(正確には匿名コメントができないようにする)という報に接した。まともな意見、反論より、匿名による誹謗中傷、罵詈雑言が氾濫しているからである。

 今年(2019年)暮には、多くの人に利用されてきたフリーウェアのML(メーリングリスト)サービス、freemlも閉鎖した。ジャンルごとに息の長い議論を積み重ねていく仕組みや、書いたメールの内容を送稿前にチェックできる機能なども用意されたすぐれものだった。私も多くの恩恵を受けてきたが、実際の参加者はあまり議論することには使わず、ただの連絡用に重宝することが多かった。閉鎖の報を聞いたとき私は、インターネット上のコミュニケーションのあり方が大きく変わり、メーリングリストそのものが役目を終えたのだと悟らされた。

こんなはずではなかった、やっかい

 

新サイバー閑話(37)<よろずやっかい>④

「人間フィルタリング」が効かないやっかい

 2019年11月17日(日曜)、大阪市で行方不明になった小学6年生の女児(12)が約1週間後に栃木県小山市で保護された。この事件で印象深いのは、女児も、未成年者誘拐容疑で逮捕された容疑者A(35)も、先に容疑者宅に〝監禁〟されていた茨城県の家出女子中学生(15)も、いずれも周囲の環境から切り離されていた印象を受けることである。

 女児には兄姉がおり、母親との4人家族だった。彼女が家を出た午前中のひととき、姉も兄も家にいたというが、とくに気にもとめなかったらしい。母親は忙しい仕事の合間に仮眠していたようである。容疑者の方は立派な大人ではあるが、父親が早くに死亡、母親は親の看護で別居しており、一軒家に一人で住んでいた。3人兄弟で弟と妹がいるという。

 同月29日には東京・八王子市の会社員B(43)が愛知県内の女子中学生(14)を自宅に誘い出したとして未成年者誘拐容疑で逮捕されている。彼もまた一人暮らしだった。

・#(ハッシュタグ)家出少女

 少女と容疑者の中を取り持ったのはオンラインゲームやSNSだった。

 小学生とAはオンラインゲームで知り合い、その後の連絡は、ツイッターの当事者だけでメール交換できる(一般には非公開の)ダイレクトメッセージを使った。最初の接触から容疑者が少女を迎えにくるのに10日ほどしかたっていない。 

 A宅には先に中学生もいて、Aは彼女ともSNSで知り合った。その中学生の話し相手として小学生を誘い出したらしい。中学生の父親から出された行方不明届を受けて、茨城県警がA宅を訪れたことがあったが、その時、中学生は床に隠れていたというから、彼女の場合は監禁とは言い切れないようだ。小学生は、スマートフォンを使えなくされたり、脅されたり、1日1回しか食事がなかったりした環境に嫌気して逃げ出し、警察に駆け込んで事実が明るみに出た。

 八王子市の例では、各種報道によれば、中学生がまず「部屋を貸してくれる人いませんか」とツイッターし、Bが「のんびりしてください」、「ワンルームマンションなので一緒に寝ることになりますが大丈夫ですか」などと応答し、23日ごろに女子中学生を自分の部屋に住まわせたという。中学生と同居する祖母が行方不明届を出して保護されたが、彼女はB宅を自由に出入りしていたというから、これも監禁容疑で立件するのは難しいだろう。

 実はSNS上には家出少女の書き込みがいっぱいある。ツイッターのジャンル、たとえば#(ハッシュタグ)家出、あるいは#家出少女で検索すると、虚実とりまぜて、「家出したので(しようとしているので)誰か泊めてくれませんか」といったメッセージがたくさんあり、それに男たちが「とめよーか?」、「泊まる場所、決まっちゃいました?」、「お近くですけど、お助けしましょうか」などと答えている。その後に両者がダイレクトメッセージで交信すれば、あとはだれにも気づかれず話が進むわけである。

 ちなみに某日、ツイッターで検索してみると、「今日、家出しました。 誰か家に泊めてくださる方いませんか?1日だけでもいいので 性別問わないです。 盛って18歳の女子高生です。 助けてください。あと出来たらお酒を少々。つまみはなんでもいいです」などというのがあった。まじめな相談なのか、男を誘おうとしているのか、真偽は不明だが(盛ってはバストが大きいという意味)、こういう深刻度のあまりないメッセージがあふれているのが実態である。そして、子どもと大人が、女と男が気楽に会い、悲惨な事件が起き、あるいは犯罪とまではいかないようなアブノーマルな事態が発生している。

・フィルタリング&人間フィルタリング

 インターネットには危険がいっぱいだから、安易に異性と付き合わないように、知らない人にはついて行かないように、保護者はケータイにフィルタリングを設定するように、などと、かつては私も呼びかけたりしたものだが(『子どもと親と教師のためのサイバーリテラシー ネット社会で身につける正しい判断力』2007、合同出版)、スマートフォンが小学生の間でも広まり、フィルタリング機能を利用しないケースも多く、インターネットは子どもにとってまさに〝危険〟な道具になっている。

 今回の事件で思うのは、ケータイやスマートフォンの技術的なフィルタリング以前の問題、子どもたちを守るべき周囲の環境(人間フィルタリング)がほころびつつあることである。「人間フィルタリング」という言葉は、下田博次『ケータイ・リテラシー』(2004、NTT出版)から借用した。

 彼によると、インターネット以前は子どもの周囲に親、家族、学校、地域などがあり、大人たちが子どもに有害な情報をうまくより分けていた(フィルタリングしていた)が、いまは有害情報が子どもたちに直接入り込んでくる。

 いま有害情報のフィルタリング機能を強化することがあらためて叫ばれているわけだが、むしろ人間環境の側に大きな問題が生じている。人間フィルタリングが介在していないというより、フィルタリング機能を果たすべき、しっかりした大人が周囲にいない。「人間フィルタリングの不在」と言うより、「人間フィルタリングそのものの解体」である。

 それは言い古された表現ではあるが、家庭、地域、教育、あるいは会社という既存秩序の崩壊である。2つの事件を見てみても、子どもたちを取り巻く環境はまことにお寒い。大阪の女児はゲームにふけるようになって以降、不登校気味だったというし、周囲に「家も学校も嫌や」と話していたらしい。茨城の女子中学生も保護されたあと、「家には帰りたくない」と言ったという。容疑者の側にしても、2人とも一人暮らし、Aの場合は、父親の死をきっかけに生活の歯車が狂ったようである

 家庭の紐帯がゆるむ一方で、インターネットを通して外界との接触は容易になった。地に足がつかない状態の子どもたちは、大人たちの誘いにふらふらとさまよい出て行く。

・「第三の郊外化」

 家族の崩壊や教育現場の荒廃は、日本社会全体から見るとまだ一部で、その背後には健全な市井の社会が広がっているという見方もあるだろう。人気テレビ番組の「カラオケバトル」などを見ていると、家族ぐるみで参加者を応援する微笑ましい風景、親子の断絶とは無縁の世界が繰り広げられている。どちらが現在日本社会の縮図なのか、それを見極めるのは難しいが、両者の間に深い亀裂が存在するのは確かだろう。

 ここでこのシリーズの視点について、ふれておきたい。

 私は「小さな事実に注目しつつ、その裏に潜んでいる大きな問題を掘り起こす」手法を「一点突破豪華絢爛」と呼んで、ひとにも推奨してきた(『情報編集の技術、2002、岩波アクティブ新書)。新聞より雑誌向きだが、あえて1本の木を通して森全体を浮かび上がらせようとするものである。

 日本広報協会の月刊誌『広報』で12年以上、「現代社会に潜むデジタルの『影』を追う」という連載を続けてきた。デジタルの「光」の部分はむしろ他にまかせ、「影」の部分を追ってきたのも同じ考えからである(本サイバー燈台の「サイバー閑話」や「いまIT社会で」参照)。

 閑話休題。

 今夏は、かつて経験したことのないような集中豪雨が長野、千葉などを襲ったが、それが地球温暖化による天候異変のせいであるのは間違いないだろう。この地球全体の難題の被害が一部に集中して現れる。それと同じように、インターネットの抱える問題が「人間フィルタリングの解体」として目に見えるかたちで、ここに先駆的に現れているのではないだろうか(もちろん経済的、政治的、社会的な要因が絡んでいる)。

 社会学者の宮台真司は『日本の難点』(2009、幻冬舎)で、日本社会の「郊外化」について書いている。彼によれば、日本の郊外化は、1960年代の「団地化」と80年代の「ニュータウン化」の2段階に分けられる。団地化は専業主婦化に象徴され、その特徴は地域の空洞化と家族への内閉化(閉じこもり)だった。一方、ニュータウン化はコンビニ化に象徴され、ここでの特徴は家族の空洞化と市場化&行政化だという。

 宮台は郊外化の特徴を「<システム(コンビニ・ファミレス的なもの)>が<生活世界(地元商店的なもの)を全面的に席巻していく動き」だと述べているが、この言を借りると、ソーシャルメディア、スマートフォン、クラウド・コンピューティングと、パーソナルなデジタル機器が生活にすっかり浸透した現在は「第三の郊外化」と言っていいだろう(『IT社会事件簿』前掲)。

 第三の郊外化は、現実の都市の周辺に新たな物理的空間が出現する従来の郊外化とは違い、郊外は「サイバー空間」上にある。現実とサイバー空間が渾然一体となったことで、生活世界は根こそぎ空洞化し、社会そのものの風景が一変している。今回の事件はその象徴ではないだろうか。

・「データ至上主義」の予兆?

 サイバーリテラシー第3原則は「サイバー空間は『個』をあぶり出す」である。

 サイバーリテラシーの提唱では「水が水蒸気となって空中にただようように、私たちもまた既存の組織から解き放たれ、社会に浮遊する存在となる。家族の壁も、学校や企業の壁も、国境や民族の壁も突き破って、世界中の人びとと自由に交流できるようになるが、一方で、浮遊する自由のたよりなさは、人びとを困惑させ、孤独感や不安定さをも生んでいる」と書いたが、事態はいよいよ深刻になったとの思いが強い。

 やっかいなことに、今やその「個」が解体されて、個人のアイデンティティが喪失しかねない状況にある。ビッグデータは、さまざまな機会に個別に集められた個人のデータが、アルゴリズムで処理され、まったく別の用途に使われることだが、いつの間にかデータだけでなく、生身の個人がエキスを抜かれて腑抜けになっていく。だから、このような犯罪というか不祥事を解決するために、技術の力を借りて、スマートフォンのフィルタリング機能を強化しようとするのは、場当たり的な解決にすぎないだろう。

 現代社会の行く先に待ち受けているのは何なのか。それを鋭く洞察したのが世界的ベストセラーになったユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』(㊤㊦、原著2015、河出書房新社)だったのだと私には思われる。

 ハラリは「外部のアルゴリズムが人間の内部に侵入し、私よりも私自身についてはるかによく知ることが可能」になれば、「個人主義の信仰は崩れ、権威は個々の人間からネットワーク化されたアルゴリズムへ移る」と述べている。

 日本で個人主義が育っていたかどうかは大いに疑問で、この点については後にふれるつもりだが、日本人の伝統的な行動基準枠だった「世間」がインターネットによっていびつに変容しつつ、なお(かえって)根強く生き残っていることが、より一層、日本人のアイデンティティ喪失を早めているように見える。

 ハラリによれば、個人主義に対する従来の信念が揺らいだ後に待ち受けるものこそ「データ至上主義」である。そこでは、人間の心そのものが無視される。そういう観点で見ると、「人間フィルタリングの解体」をデータ至上主義の予兆、あるいはそれへの一里塚と見ることはあながち突飛なことではないだろう(ハラリのデータ至上主義に関しては<新サイバー閑話>(17)ホモ・デウス⑧を参照してください)。

やっかいなうえにも、やっかい

 

新サイバー閑話(36)<よろずやっかい>③

情報発信が金になるやっかい

 情報発信が金になるのがなぜやっかいなのだろうか。

 情報社会を成り立たせているのは商品としての情報と言ってもいい。情報を提供することで対価を得ること自体はふつうに行われてきた。新聞もそうだし、テレビもそう、出版活動も例外ではない。新聞はニュースを提供することで購読料を得、その大部数ゆえの広告収入も得てきた。テレビは企業からの広告料だけで成り立っている。そして作家たちはベストセラーを書けば、膨大な印税を得ることができた。

 だから普通の人がインターネットで情報を発信して、対価を得たとしても、それ自体は従来となんら変わらない。だれもが情報発信できる道具を得て、才覚のある人が、テレビ会社や出版社という既存のメディア産業と縁のないところで、ユニークな動画を配信したり、おもしろいブログを書いたりして、金を稼いでどこが悪いのか。悪いことなどあるわけがない、はずである。

・ケータイ小説・ユーチューバー・ピコ太郎

 2007年前後にケータイ小説ブームがあった。ケータイの投稿サイトで書きつけた若者の小説が人気になり、それを出版する業者が現れた。そのなかの『恋空』(美嘉、2006、スターツ出版)などは上下2冊で200万部を売り、映画にもなった。だれもが作家になれる時代が来たと言えなくもない。

 動画投稿サイトのユーチューブで人気の動画をアップすると、閲覧回数に応じて相応の収入を得ることができる。基準は1再生=0.1円とも言われ、ユーチューブの動画収入だけで生活する「ユーチューバー」が話題になったのも、もう「昔」のことである。月2000万円以上、年にすると1億円以上稼いでいる人もいるらしい。動画の再生回数を見ると、何万回、何千万回というのがけっこうあるから、塵も積もれば山となる計算だ。そのほかに自分のブログや動画に添付された広告収入も入る。

 サイバー燈台の<いまIT社会で>では、「ペンパイナッポーアッポーペン」(PPAP)という動画で世界的ブームを起こしたピコ太郎を紹介しているが、ある時点での再生回数は9467万回だった。彼の場合は、あっという間に人気者となり、テレビ出演や関連グッズ販売などの収入も大きかった。制作費10万円以下の動画で、1億円以上は雄に稼いだはずである。人気アーチストのジャスティン・ビーバーのように、ユーチューバーからメジャーに躍り出た人もいる。

 広告王手の電通が毎年2月に発表している「日本の広告費」によると、2018年は、毎年増え続けているインターネット広告が1兆7589億円で、テレビとほぼ拮抗するまでになった。既存マスコミ4媒体の中のラジオ、雑誌を抜き、ついで新聞を抜き、いまやテレビも凌駕する趨勢である。この広告費がクリック連動型広告などによって情報発信する個人にも配分されているのだが、これが「やっかい」な問題を生んでいる(追記参照)。

・広告のために事実をあっさり曲げる

 前回、匿名発言に関連して、2つの事例を紹介したけれど、両者には大きな違いがある。最初の例では、発信者は他人の発言を信じ、うっぷん晴らしに、それに輪をかけた激しい書き込みをしていた。それだけと言えば、それだけである。後者の場合には金がからんでいた。摘発された3人は警察の調べに対して、「広告収入を得るためだった」、「ブログを読んでほしかった」と述べたのである。

 ブログのアクセス数を高めることで、広告収入を稼いだり、ブログ運営者からの見返り収入を期待したりする背景がここに示されている。多くの人に読んでもらおうとすれば、事実よりも話題性に関心が向かう。だから週刊誌の記事では匿名だった人物を勝手に西田敏行と断定したように、どうしても表現は過剰になり、極端な場合、嘘でもいい。フェイクニュースが頻発する原因はこういう事情にもよる。

 既存雑誌などのイエロージャーナリズムとの境界をどこで引くかという問題はあるけれど、出版社やテレビ会社が社(組織)の責任において情報をコントロールしようとするのと、何もチェックする者がない個人との間ではどうしても差が出る。新聞で1本の記事が掲載されるまでには、筆者、デスク、整理部、校閲部など多くの人の目が通っており、それなりに正確さや文章などがチェックされている。

 今回も2つの事例を上げよう。

 2016年のアメリカ大統領選挙の際、ヨーロッパの小国マケドニアで10代の少年がつくったサイトが話題になった。彼がトランプ大統領に関するいい加減な記事を自分のウェブにアップしてフェイスブックにリンクを張ったら、思いのほかの反響があり、グーグルのオンライン広告でいくらかの収入も得た。これに味を占めた少年はサイトの名前もそれらしいものにして、トランプ支援の右派サイトから適当に記事をカットアンドペースト(コピペ)するようになる。大統領選が過熱していた16年8月から11月の4カ月間で、マケドニアの平均月収の40倍以上、16000ドルの収入を得たという。

 実情をルポした記事によれば、彼は「トランプが勝とうとクリントンが勝とうと興味はなかった。ただ車、時計、スマートフォンを買うお金やバーの飲み代がほしかった」と述べている。他国の話だから当然とも言えるが、それではなぜトランプ支援を選んだのか。そちらの方がアクセス数を稼げた、すなわち金になったからである。コピペする材料には事欠かなかったから、英語の能力が貧弱でも支障はなかったのだとか。

 次は国内、キュレーションサイトをめぐる事件である。

 ここでキュレーションサイト(まとめサイト)というのは、医術、健康、ファッションといったジャンルごとにインターネット上にあふれている情報を適当にまとめて読者の便宜をはかろうとするサイトで、2016年にDeNAが閉鎖した10サイトの実態を見ると、インターネット上で書くことがいかに事実、あるいは真実とかけ離れた行為だったかがよくわかる。

 記事の眼目は読者に正しい情報を届けるところにはなく、インターネット上の情報を適宜つなぎあわせた記事を量産して検索エンジンの上位に表示させ、そのことで莫大な広告料を稼ぐことだった。

 紙の新聞などでは記事と広告は分離されており、あくまで記事が中心、広告はサブ的扱いだけれど、インターネットでは当初から記事と広告は同居していた。キュレーションサイトはそれをさらに推し進め、記事は広告を集めるための手段にすぎず、だから情報の真偽はほとんど問題にされなかった。

 記事の多くを書いたフリーライターは、「知識のない人でもできる仕事です」としてクラウドソーシング(インターネットを通した求人)を通じて集められた。彼らは取材するよりもインターネット上の情報を適当に張り合わせることに専念、原稿料は異常なほど安く、比較的単価の高い医療系でも1文字当たり0.5円程度だったという。まるで記事を大量生産するブロイラー工場のようで、誤りも散見されたし、著作権侵害も頻発していた。それでも〝頑張る〟ライターの中には月収30万円という人もいたらしい。

 ここでは、かつてメディアというものが漠然とではあるが持っていた「正しい事実を伝える」といった姿勢そのものが消えている。それまでいわゆる「メディア産業」とは縁のなかったインターネット・ベンチャー大手、DeNAは、これら広告本位のサイトを有望事業と考えて大金を投じて買収、運営していた。個人のみならず、IT企業そのものも、インターネット上の情報が陥りやすい危険を体現していたことになる。

・「書く」という行為の変遷

 ネットの大半がどのような情報で占められているかは、たとえば中川淳一郎『ネットは基本、クソメディア』(2017、角川新書)に具体的事例をあげて紹介されている。

 ちょっと対象が限定されるけれど、彼によると、それほど知られていない某芸能人ってどういう人なのか、グーグルで検索すると、まず出てくるのが公式サイト、公式ブログというPRページであり、ついでウィキペディア、最近のニュースの順になる。そのあとにずらりと出てくるのが、彼が「勝手サイト」と名づける「『とにかく人々の興味を持ちそうなネタを網羅し、検索上位に表示させよう』といった意図を持ったサイト群」である。

 要は金稼ぎが目的で、従来の記事づくりが「足で稼ぐ」ものだったとすれば、これはインターネット上の情報をコピペするだけの「コタツ」記事だと彼は言っている。こうしてコピペ転がしの類似情報が氾濫する(中川の初期の著作は『ウェブはバカと暇人のもの』という直截的なものだった)。昨今では芸能、話題になった事件などをめぐるニュース仕立てのサイトでも同じ手法が踏襲されている。

 一時「ブログの女王」と言われたタレントの眞鍋かをりが「眞鍋かをりのココだけの話」というブログを始めたのが2004年、有吉弘行のツイッターフォロワー数が孫正義を抜いて日本1位になったのが2012年である。タレント、芸能人がSNS(ソーシャル・ネットワーキング・システム、あるいはサービス)を使っていっせいに情報発信を始め、それへの応答が増えたことが、ネットの風景をだいぶ変えたのも確かなようだ。

 かつて清水幾太郎は「書く」という行為について、以下のように語っていた(『論文の書き方』1959、岩波新書)。

読む人間から書く人間へ変るというのは、言ってみれば、受動性から能動性へ人間が身を翻すことである。書こうと身構えたとき、精神の緊張は急に大きくなる。この大きな緊張の中で、人間は書物に記されている対象の奥へ深く突き進むことができる。しかも、同時に、自分の精神の奥へ深く入って行くことが出来る。対象と精神とがそれぞれの深いところで触れ合う。書くことを通して、私たちは本当に読むことが出来る。表現があって初めて本当の理解がある。

 ケータイやスマートフォンの書き込みは、書き言葉ではなく話し言葉で、文章は短く、断片的、断定的になりがちである。その極限が絵文字で、隠語めいたものもある。書くという行為の内実がずいぶん変わってきたわけで、こういうやりかたでコミュニケーションしていれば、思考方法もまた変わってくるだろう。そこに安易に金が稼げるという事情が覆いかぶさり、表現をめぐる状況自体が大きく変わってきた。

 フェイクニュースが量産されるのもやっかいだが、美しい文章への心配りが失われていくのもまたやっかいである。昔は一定年齢になると、『文章読本』などで書き方を学んだものだが、今はそういう教育はどうなっているのだろうか。

 これはたしかに、やっかい

 

追記 2020.3.13

   電通が2020年3月に発表した「日本の広告費」によると、インターネット広告費は、テレビメディア広告費を超え、初めて2兆円を超えた。「デジタルトランスフォーメーションがさらに進み、デジタルを起点にした既存メディアとの統合ソリューションも進化、広告業界の転換点となった」としている。

 

新サイバー閑話(35)<よろずやっかい>②

「1人1票」のやっかい

 1人1票というのは選挙の基本である。男も女も、老いも若きも、金持ちも貧乏人も、賢者も愚者も、すべての人に平等に1票が与えられる。これは民主主義の前提でもある。

 インターネットのおかげですべての人が自ら情報発信できるようになった。それ以前は、日本人の多くが年賀状ぐらいしか文章を書かず、自分の意見は新聞に投書するしかなかったことを考えると、画期的変化である。老人や子どもなどの例外はあるとはいえ、すべての人が情報発信できるということは、インターネット上(サイバー空間)でも「1人1票」が保証されるわけで、これはめでたいことである。

 いや、めでたいはずだった、というべきだろう。これまでの社会システムの不備やコミュニケーション不足をインターネットが是正してくれるだろうという多くの人の期待は、たしかに飛躍的にかなえられたが、その背後で新たな「やっかい」な問題を生んでいる。

 めでたさも中ぐらいなりインターネット

 「1人1票」のやっかいは、端的に言えば、考え抜かれた責任ある言論と無責任な付和雷同型意見、さらにはためにする書き込みや虚偽情報(フェイクニュースなど)の間の区別がつかない、あるいはつきにくいことに由来する。

・匿名発言に意義を見出す試み

 問題はやはり、インターネットの匿名性(ハンドル、仮名を含む)にある。

 かつて1990年代初頭、まだパソコン通信の時代に、ネットでの匿名発言に高い意味を認めようとした試みがあった。場所はニフティの「現代思想」フォーラムで、参加者の討議を経て作られ、フォーラムで公開された議論のためのルール(えふしそのルール)は、きわめて格調高いものだった。

 議論の原則は「自由に発言し、議論し、そしてその責任を個々の会員が自己責任として担う」ものとされ、発言はハンドルという愛称のもとに行われた。本名は名乗らない匿名主義を採用した理由は、「どこの誰の発言であるか」ではなく、「いかなる発言であるか」が重要だと考えられ、「議論内容を離れて、発言者の性別・門地・社会的身分等々を畏れたり侮(あなど)ったりする態度は、思想と最も遠いもの」とされたからである (ニフティ訴訟を考える会『反論』2000、光芒社)。

 匿名だからこそ、現実世界の権威などから離れた真摯な議論が可能だとする考えは、いま思うと、目がくらくらするほどの真摯さである。だが、このフォーラムの議論が名誉棄損訴訟に発展した経緯を見ても、その意図は当初から波乱含みだったし、パソコン通信というなかば閉じられた言語空間だからこそ実現可能な試みだったとも言える。理屈の上ではグローバルに展開するインターネット上で、このような思いで匿名発言する人は、少なくとも日本では、ほとんどいないだろう。

 もう一つ、インターネット初期には、匿名による発言に積極的な意味を認めようとする意見もあった。匿名だからこそ、現実世界のしがらみの中で抑えられがちな社会の底に鬱屈した意見をすくい出してくれるのだ、と(森岡正博『意識通信』1993、筑摩書房)。

 しかし現実は、面と向かっては言えない心の叫びが浮き彫りにされるのとはけた違いの規模で、匿名情報の毒があふれ、社会が窒息しかねない状況にある。

・無責任な匿名発言の氾濫

 ネットの匿名発言は、自分は安全な場所に身を隠して他人を攻撃するために使われることが多い。とりあえず、2つの事件を上げよう。

 2009年2月、お笑いタレントKさんのブログに「殺す」などと書き込んでいた女性会社員(29)ら19人が脅迫や名誉棄損の疑いで警察に摘発された。彼らは20年も前に起きた都内の女子高生コンクリート詰め殺人事件にKさんが関与したと決めつけて、インターネットの掲示板やKさんのブログに「人殺し」、「犯人のくせに」などと悪質な中傷記事を書き込んでいた。地域も年齢もさまざまな人びとで、半数近くは30代後半の男性だったが、女性も含まれていた。

 書き込みは「××(芸名を名指し)、許さねぇ、家族全員、同じ目に遭わす」、「××鬼畜は殺します」といった過激なもので、23歳の女性のものは、「てめーは いい死に方しねーよ 普通に死ねても 確実に地獄行き 一人の女を無惨に殺しておいて、てめーは行きつけのキャバクラかスナックで人殺しの自慢してたんだよな てめー人間としてどうなんだよ 人殺しを自慢してそれで何になんの? おしえろや おまえ狙ってんのたくさんいるぜ」という凄まじいものだった。

 身元がわかると思っていなかった彼女は警察の調べにびっくり仰天、「掲示板の書き込みを本気で信じてしまい、人殺しが許せなかった」と話し、さらに追及されると、「妊娠中の不安からやった」と供述した。摘発された19人は氷山の一角で、多くの同じような書き込みがKさんを恐怖に陥れたのである(矢野直明『IT社会事件簿』2013、ディスカヴァー21)。

 2017年には俳優の西田敏行さんが覚せい剤で近く逮捕されるという偽情報を流していた3人の立派な大人(40代から60代の男女)が、偽計業務妨害の容疑で書類送検されている。彼らは週刊誌記事の匿名容疑者を勝手に西田敏行と断定して、自分たちのブログに書き込んでいた。

 警察がこの種の事件を捜査、摘発すること自体がきわめて珍しいわけで、インターネット上にはこのような無責任な発言があふれている。もちろん顕名、あるいは匿名で、専門研究や趣味の分野で中身の濃い情報がアップされており、それが有益な役割を果たしているのも確かである。考えるべきなのは、匿名による無責任な発言の数の多さである。

・見ないですませるのは無理

 部屋が汚れているのが気になって仕方がないと悩む潔癖症の女性に高僧が「ゴミなど見なければいいのだ」と言ったという話があるが、サイバー空間では、見ないでいようとしても、あるテーマに沿った意見集約ということになると、それらのデマ情報も、付和雷同的な意見も、考え抜かれた専門家の意見も、一つのデータとして、1票は1票として集計されがちである。

 それらの意見の格付けをすることは難しいし、そういうことをやろうとすれば、その基準をめぐってより深刻な事態が発生するだろう。というわけで、暇な人に金を払って賛成、あるいは反対意見をどんどん投稿してもらおうとする人が出てくるし、それが技術の力で量産されたりもする。いろんなIDを作って「1人何票」の人もいるし、他人に成りすましている人もいる。そういうメカニズムの増幅作用で、これまでなら社会の片隅に潜んでいた極端な意見が主流に引き出され、大きな力になって社会を動かす。見ないですませておくのも無理なのである。

 行方昭夫『英文翻訳術』(DHC)の暗記用例文集に’That all men are equal is a proposition to which, at ordinary times, no sane human being has ever being given his assent’というのがあった。訳はこうである。「ひとはみな平等だという命題は、普通は、まともな人なら誰一人認めたことのないものです」。

 人間はみんな平等であるというのは、フランス革命の人権宣言でも、アメリカ独立宣言でも、日本国憲法においても、高らかに宣言されている。一方で、この例文にあるように、建て前や原則はそうであり、それは尊重すべきものではあるにしても、個々の人びとを見た場合、やはりすべて平等というわけはないという実感、というか暗黙の了解もまた多くの人が認めるところであろう。

 言葉の背後にある、曰く言いがたい暗黙の了解(含意)が社会を円滑に動かす妙薬というか潤滑油、英国風に言えば、コモンセンスだった。碩学や専門家の意見には一目置く。自分も勉強して一歩でも尊敬する人に近づく努力をする。立派な人が醸し出すオーラに接して、見習いたいと思う……。これは現実世界にただようエトスであり、明文化されてはいないものの、それなりに規範として機能していた。

 この妙薬、潤滑油がヒエラルキー秩序のないフラットな世界ではなかなか働かない。考え抜かれた碩学の言であろうと、専門知識に基づいた深い理解であろうと、自己の利益のみを考えた意見だろうと、自分では何も考えず、他人に付和雷同して叫んでいる書き込みであろうと、あるいはただためにする投稿だろうと、「1票の価値」は変わらない。顕名であろうと、匿名であろうと、1票は1票である。そして機械的に集計される時、そのデータ(票数)のみが大きな意味を持つ。

 情報の質的変化も見逃せない。「電子の文化」では、言葉に表せない意味やニュアンスは「文字の文化」(活字の文化)以上にこぼれ落ちていく。2019年のノーベル化学賞を受賞した吉野彰さんがインタビューで「なまじネット社会になったことで、表面的な情報はみんなが共有しているけど、肝心な情報は意外とつかめていない。『世間ではこう言われているけど、実はこうなんだよ』というような情報を得られていない」と言ったあとで、「情報を出す側は差し障りのない情報は出すけれど、ひそかに自分で考えているアイデアなんて、絶対に出さないですよね。もし出すとしたら、夜の席でワインを傾けながらでしょう」とつけ加えているのは、この辺の機微を指しているだろう(朝日新聞 2019.12.4 朝刊)。肉体的コミュニケーションの重みである。

現代の特徴は、凡俗な人間が、自分は凡俗であることを知りながら、敢然と凡俗であることの権利を主張し、それをあらゆる所で押し通そうとするところにある。

 100年近く前、スペインの哲学者、オルテガ・イ・ガセットが勃興する「大衆」を前に語った言葉である (『大衆の反逆』、1930、桑名一博訳、白水社)。これをそのままインターネット上の匿名発言に適用するつもりはないけれど、かつての哲学者が恐れた事態がサイバー空間上でより先鋭に現出しているのはたしかではないだろうか。

なにはともあれ、これぞ、やっかい

 これからインターネットにまつわるやっかいな現象をとりあげていく。やっかいとは厄介と書き、『広辞苑』によれば、もともとは「①他家に食客になっていること」を指すが(たとえば「厄介になる」というふうに)、ここでは、もっと一般的な「④面倒なこと。手数のかかること。迷惑なこと」くらいの意味で使っている。

 2002年に本サイトに掲げた「サイバーリテラシーの提唱」は今でもそのまま通用するし、サイバー空間のアーキテクチャーとしての「サイバーリテラシー3原則」もまた変更の必要を認めない。

サイバー空間には制約がない
サイバー空間は忘れない
サイバー空間は「個」をあぶり出す

 当初喧伝されたインターネットの長所はWeb2.0を通じて飛躍的発達を遂げ、私たちの生活はもはやインターネットなしでは考えられないが、一方で、それがもたらすメリットが無視できない悪影響を社会に及ぼすようになっている。2015年ころからそれが加速しているというのが私の見立てで、それを仮にWeb3.0と呼んでいる。長年、IT社会とつきあってきた身にとっては、「こんなはずではなかった」と当惑することも多い。

 便利さと不都合が表裏一体になって展開しているのが「やっかい」なのである。そして、本シリーズではインターネットの負の部分に焦点があてられる。「サイバーリテラシー」は、IT社会をインターネット上の情報環境(サイバー空間)と現実の物理的環境(現実世界)との相互交流する姿と捉えることで豊かなIT社会を実現しようという試みである。その原点を踏まえて、これからいくつかの問題を取り上げていきたい。解決策は容易には見いだせない。それが「やっかい」のやっかいなところである。

新サイバー閑話(34) <インターネット万やっかい>①

はじめに

 これから始めるシリーズ<インターネット万(よろず)やっかい>は、サイバーリテラシー提唱以来念頭にありながら、取り扱う範囲があまりに広く、浅学菲才の身ではとてもカバーできないと、長らく放置してきたものである。どこかの財団あたりが総力を上げて取り組んでしかるべき課題でもあると思うが、『ホモ・デウス』を読んだ時は一時的に大いに発奮し、サイバーリテラシー協会を組織し、ハラリを顧問に迎えたいなどと夢想したものでもある(ホモ・デウス⑭)。

 それぞれのテーマは複雑にからみあっており、いずれも個々の研究分野、あるいは専門家の見解としてはすでに指摘され、改善策が必要だともされているようだが、具体的な制度設計になると、どこからどう手をつけていいのか、関係者の意見もさまざまで、とりあえず問題の指摘だけに終わっている(問題を先送りにしている)ことも多いのではないだろうか。

 その現状を断片的ではあるが、俯瞰して提示できれば、少しは意味があるのではないかと、ぼつぼつ書き始めることにした。拙著『インターネット術語集』的な、エッセイに毛が生えた程度の読み物で、古風な表現を使えば一老書生の手慰みだが、コメント欄などを通して、最新事情にもとづくご意見なり、ご感想なりいただければ、大変ありがたく、また議論を深めることもできるだろうと思う。

 取り上げるのは以下のようなことがらである。

 それ自体は結構なことだけれど、それによって生じた新たな矛盾を解決できないことがら。
 技術(インターネット)が現実世界の長所を失わせ、矛盾を拡大することがら。
 本来取り組むべき課題がよく見えないために、あるいはあまりに多忙な日々の作業の中で、身近な小さな矛盾解消でお茶をにごしがちなことがら。
 地球温暖化のように個別に対応できず、また早急に対応しなくても当面生きていけるという安心感から、とかく等閑視されがちなことがら。
 既存の秩序に安住していても自分の代は大丈夫だろうと、支配層が真剣に取り組もうとしないことがら。
 サイバー空間(ネット)の行動様式が現実世界に持ち込まれ、既存の秩序が混乱していることがら。

<はじめに>

 2000年ごろのWeb2.0をインターネットが持っていた潜在的可能性が花開いた画期だとすると、2015年ごろ以降はインターネットの抱える潜在的問題点が顕在化しつつある時代と言えるのではないだろうか。本シリーズでは、これをWeb3.0と呼ぶことにする。

 2.0ではIT企業主導でインターネットのプラス面が強調されたが、3.0ではむしろインターネットが社会にもたらすマイナス面を見極め、それにどう対処すべきなのかを、周知をあげて考えるべき時だと思われる。

 2.0をあえて上からの動きだと考えれば、3.0は下からの動き、突き上げが必要になってくるだろう。巨大IT企業がいよいよ躍進する中で、社会に、学者や研究者や技術者に、あるいは現場で奮闘する人びとやユーザーである私たちに、3.0を遂行する力があるのかどうか。

 これはイスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリが『ホモ・デウス』で提起した問題とも重なる。本シリーズでは、折々の出来事を振り返りながら、IT社会のやっかいな問題とは何か、私たちはそこでどう生きればいいのかを少しずつ考えていきたい。 

新サイバー閑話(33)<令和と「新選組」>⑤

義を見てせざるは勇なきなり

 三重県伊勢市の市美術展で隅に小さく中国人の慰安婦像を組み込んだ「私は誰ですか」と題する作品が出展不許可になった。作者のグラフィックデザイナー、花井利彦さん(64)によれば、慰安婦像は最近の「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」の騒動を受けて制作したもので、クロを背景に赤く塗られた手のひらと白い石が大きく描かれ、左隅に慰安婦像が小さく配されている。

 この事件は地元の中日新聞が10月31日朝刊 1面で大きく報じたが、花井さんの言によれば、最初作品を持ち込んだ時は、主催関係者も慰安婦像とは気づかなかったらしい。彼が慰安婦像を挿入した意図を説明すると主催者側の態度が硬化、結局、10月29日から11月3日までの期間中に展示されることはなかった。花井さんは「市側の検閲で、憲法違反だ」と強く抗議している。

 同美術展は市、市教委などが主宰し、市民から絵画、書道、彫刻などの作品を募集、展示するもので、花井さんの作品は自らがつとめる運営委員作品として持ち込まれていた。

 芸術の秋である。

 全国各地で行われている、どちらかというと出品する人も見物する人も高齢者が多い、ささやかな展示会の話だが、市の言い分が大いに気になる。同紙によれば、市教委の課長は「あいちトリエンナーレで注目を集めた『平和の少女像』と、それに伴う混乱を予想させるとして、慰安婦像の写真の使用を問題視した」と言っている。11月2日付同紙では同展運営委員長が「市民の安全を第一とした市の判断に従わざるを得なかった」と述べている。

 あいちトリエンナーレでは脅迫やテロ予告などもあったけれど、今回はそういう動きはなかったようである。市は何を恐れ、何から市民を守ろうとしたのだろうか。

 美術展の意義は何か、地方自治体の文化的取り組みは如何にあるべきかといった本質的議論は抜きに、「市民の安全が脅かされる」というよくわからない漠然とした理由で、「臭いものにフタ」をした事大主義的発想が問題だと思われる。最近よく聞く「税金を投入したイベントだから政権の意向に反すべきではない」という、これも妙な考えも反映しているかもしれない。

 関係者の思惑を「忖度」すると、「慰安婦像を認めると、時節がら問題になるんじゃないの」、「とりあえずやめとこう」という軽い気持ちで、結局は、表現の自由を侵すような強権を発動したように思われる。この思考の軽さと結果の重さのアンバランス(その間のコミュニケーション不在)。これは安倍政権が推し進める諸政策の特徴でもあるが、それが「遠隔忖度」の波に乗って地方都市に押し寄せているということではないだろうか。

 今回は当の花井さんが強く抗議したから公になったけれど、彼が黙っていれば、それで終わった話でもあるだろう。安易に表現の自由を制限してしまうような、重苦しい「空気」はこれからどんどん各地に波及していく可能性が強い。これも前回の語り口を借りれば、「もうすでに一部で起こっているかもしれない」。

 表現の自由をめぐる一連の動きとしては、川崎市で開催した「KAWASAKIしんゆり映画祭」で、やはり旧日本軍の慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画の上映がいったん中止になったが、これをめぐる関係者討論会がきっかけで最終日の4日に一転、上映された経緯がある。

 どう考えてもおかしいと思う、あるいは自己の信念・信条に反することがらに対して、現場でひるまず立ち向かう勇気が、いま私たちに求められているのではないだろうか。「義を見て為(せ)ざるは勇なきなり」(論語)である。

新サイバー閑話(32) 令和と「新選組」④

トップから腐っていく社会

 ちょっと前になるけれど、10月4日の東京新聞一面が大見出しの記事3本だけでほとんど占められていた。

 トップが「関電金品受領 監査役、総会前に指摘 社長ら公表見送る」、肩4段が「トリエンナーレ補助金不交付 文化庁有識者委員が辞意『相談なく決定 納得できず』」、下方4段が「かんぽ報道 NHK会長、抗議影響否定『編集の自由損なわれず』」である。

 いずれも事件自体はあらためて説明するまでもないだろうが、トップ記事は、関電の金品授受問題を今年6月の株主総会を前に監査役が把握し、経営陣の対応に疑問を投げかけていたが、問題の公表は見送られたという話。トリエンナーレに関するものは、文化庁が補助金7000余万円を交付しないと決めたことに関し、採択の審査をした委員の一人が「不交付は委員に相談なく決定された。これでは委員を置く意味がない」として辞任を申し出たというもの。最後は「クローズアップ現代+」の報道に関して、日本郵政グループがNHK経営委員会に抗議、経営委員会が上田良一会長を厳重注意した問題で、当の上田会長が定例記者会見で「番組編集の自由が損なわれた事実はない」と述べたというものである。

 3本の記事には、はっきりした共通性がある。それは、社会制度が本来の趣旨にそって適正に運営されるために、あらかじめ設定されているチェック機能が無化(無効化)されていることである。

 何のための監査役か、何のための有識者委員会か、何のための経営委員会か。

・「非立憲」政権によるクーデター

 本来果たすべきチェック機能を崩していくのが安倍政権発足以来のやり方である。まず権力チェックの重要な機能を持つとも言われる新聞、テレビなどの報道機関を早々に切り崩しにかかった。アベノミクス実現の環境づくりとして日銀総裁を替え、安保法制強行のために憲法の番人とされてきた内閣法制局長官を替えた、などなど。

 この点について、改憲問題に関連して石川健治東大教授が書いた論考「『非立憲』政権によるクーデターが起きた」が実に明快に論じてくれている(長谷部恭男・杉田敦編『安保法制の何が問題か』所収、岩波書店、2015)。

 「現政権の全体的な政権運営の特徴として、ナチュラルに非立憲的な振る舞いをしてしまう傾向を上げることができます。もともと統治システムの中には内閣が独走できないように、いろいろな統制と監督の仕掛けが内蔵されているわけですね。ところが、安倍政権は、政権にとって、歯止めをかける対抗的な役割を果たしかねない要所要所に、ことごとく『お友達』を送り込んで、対抗勢力の芽を摘んでいく――、そういう手段を駆使していると思います。故・小松一郎内閣法制局長官の人事がそうでしたし、日銀総裁、NHK会長の人事の場合もそうです」、「たとえば、憲法は、内閣に国政の決定権の一部を委ねているかもしれませんが、コントラ・ロールとして、その責任を追及する立場にあるのが、いうまでもなく国会です。……。政府内部にも、伝統的に内閣法制局という、お目付け役を果たしてきたコントラ・ロールがいます(いました)。対抗的存在は、世論やメディアなど、制度外にもさまざまに用意されています。内からも外からも内閣が独走しないようコントロールしているのです。そのような存在が多重的に仕組まれていて、権力が暴走しないようにシステムができ上っています。ところが安倍政権は本来コントロールを受ける立場にありながら、自分から対抗的存在に圧力をかけたり、つぶしにかかったりします」、「恐らく安倍首相個人のパーソナリティによるとこころが大きいのだと思いますが、とにかく批判を受けるのを嫌がります。自らに対する批判を抑圧したいという動機がむき出しになっています。……。その姿勢そのものが、非立憲だといわざるを得ません。そういう政権に日本の行く末を委ねていいのか、直感的に不安を抱く人は多いのではないでしょうか」。

・「忖度」する人、「模倣」する人

 安倍政権の体質をもっともあからさまに浮き彫りにしたのが森友加計問題だろう。文書改竄を進めた財務省幹部は訴追を見送られ、あるいは海外に転出した。憲法問題においても、安保法に異議を唱える憲法学者の声やパブリックコメントでの国民の声に何の配慮も払わなかった。沖縄問題も同じで、要は異論の完全無視である。

 しかも安倍首相や菅官房長官は、事態を自らの問題として受け止めず、他人ごとのように答弁したり、問題の所在をはぐらかしたり、あっさりと、断定的に否定したりしてきた。「こんなことが許されるのか」と怒ったり、慨嘆したりする人も当然いるわけだけれど、逆にそういう(うまい)手があるのかと率先してまねる人が出てきても不思議ではない。手続きを無視したごり押し路線の「模倣」である。今回の関電幹部や文化庁(文部科学省)やNHK経営委員会がそうだと「断定」するわけではないが、そこには政権の〝得意芸〟も反映しているように思われる。

 ユーチューブの動画によると、10月9日の官邸記者会見で、例によって望月衣塑子記者が「森友加計問題など政府の疑惑に関しては何の第三者委員会も設置しなかったのに、関電に対しては第三者の徹底的な調査を求めるというのは整合性があるのか」という趣旨の質問をしたのに対し、菅官房長官は「まったく事案が違う」、「適切に対応したと考えている」、「何か勘違いしているのではないか」と木で鼻をくくったような答弁をし、それで記者会見は終わっている。

 国会やメディアも含めて、チェック機能がかくも働かなければ、人びとの政治不信、政治的無関心の流れはさらに加速するだろう。今回の組閣人事を見ても、ごり押し路線を強化、徹底しようとしているばかりで、いま進む深刻な事態(深い病)への認識、想像力はまるで見られない。政権中枢のモラル崩壊は確実に周辺に及び、それは国民全体にまで徐々に広がっていくだろう。それは、台風19号襲来時の気象予報官の語り口をまねれば、「もうすでに一部で起こっているかもしれない」。

 老子に「大道廃れて仁義あり」という言葉がある。大道が廃れるから仁義が出てくる(大道が行われていれば仁義などは無用である)と、儒教における仁義強調を批判したものとして知られているが、いまや大道廃れて仁義なし。

 この言葉は、「国家混乱して忠臣あり」と続いていて、これも国家が混乱すると忠臣が出てくる、国家が正しく運営されていれば忠臣など出てくる必要はない、という逆説的意味だけれど、これも今は、国家混乱して忠臣なし。

 老子のくだりを友人にメールしたら、「山本太郎こそ真の忠臣である」との返事が来た。彼は自分の会社の窓にれいわ新選組のポスターを張っている(下)。
 NHKのかんぽ報道に対して、逆ギレのように居丈高に抗議している日本郵政上級副社長は元総務省事務次官だが、彼が事務次官になったのは菅総務相(当時)に抜擢されたためらしい。そういう意味では、現政権は早くから「忠臣」の育成に乗り出していたようである。

 

新サイバー閑話(31) 平成とITと私③

最先端技術の世界に挑む

 『アサヒグラフ』のコンピュータ特集が好評だったことに気をよくした私たちはその後も、躍進するバイオテクノロジーの世界、コンピュータで武装するサイボーグ、進化するバーチャルリアリティとコンピュータ・ゲーム、巨大技術としてのロケット開発や核融合技術、がん治療最前線などの最先端技術の世界を立て続けに特集した。当時、ニュー・テクノロジーとかハイ・テクノロジーとかう言葉が盛んに喧伝されていた。

 全国の大学や民間の研究室、ロケット打ち上げ現場、国立がんセンターなどの病院をいろいろ取材したから、私と岡田カメラマンは一年中、全国を歩き回っていた。種子島宇宙センターにNⅠロケット打ち上げの取材に行って台風に遭遇、車を借りて〝強行取材〟、台風の写真で誌面を飾ったこともある。

 旅の先々でおいしそうなラーメン屋を勘で見つけて、ラーメン&餃子を食べるのが私たちの楽しみだった。しゃれた店構えや店頭に自動券売機を設置している店は避け、小さくて古い佇まいながら、これは良さそうだと思う店を選んで、それが成功したときは嬉しかったものである。

 巻頭カラーだけでなく、モノクロページでも、コンピュータ達人になった少年たち、町工場に進出しはじめたヒューマノイド・ロボット、土を忘れて〝翔ぶ〟農業(水耕栽培)、建設が急ピッチで進められる東北新幹線上野地下駅など、技術が変えていく社会の風景も取材した。

 これらの仕事は後にカラー版の旺文社文庫に『コンピューターの衝撃』(1983)、『現代医学の驚異』(同)、『巨大科学の挑戦』(1984)の三部作としてまとめられた。


 この取材を通して私は多くのことを学んだ。

 まず技術の目覚ましい躍進ぶりである。しかも技術現場のシステムは巨大化し、個々の技術者が全体を見ることはどんどん不可能になっていた。『巨大科学の挑戦』のあとがきでは「科学技術の営為が巨大プロジェクト化すればするほど、プロジェクト全体を掌握することは難しいし、また実際に現場の技術者たちは、自分たちに与えられた職務にのみ忠実で、その計画全体に思いをいたすことが少なくなっているようである」と書いている。

 当時、国家予算600億円を投じた原子力船「むつ」が放射能漏れ以来十年、東北―九州間を漂流したあげく廃船になるとのニュースが流れていた。

 もう一つは、技術の進歩は果たして人間を幸せにするだろうかという疑問だった。『現代医学の驚異』のあとがきで、がん取材でお会いしたある教授の言を紹介している。

「がんは簡単には撲滅できませんが、それでいいのかもしれません。もしがんが克服され、寿命が延びたとして、人類の未来はバラ色ですかね。ひとびとはますます子どもを産まなくなり、社会はそれだけ高齢化し、いよいよ活力がなくなるでしょう。それは灰色の世界かもわかりませんよ」

・日本情報社会の進展とパソコン

 最先端技術の世界を取材していたころは、日本が高度経済成長を謳歌していた時期であり、同時に社会が情報化へと向かう転換期でもあった。

 先にアルビン・トフラーの『第三の波』(1981)がコンピュータ取材を始めたきっかけだったことにふれたが、日本でも1980年以降、「高度情報化社会」という言葉が脚光を浴びるようになっていた。

 1980年には通産省(当時)産業構造審議会情報産業部会中間報告が「S家の一日」というエッセイ風の文書で、バラ色の情報社会の青写真を提示していたし(「団地」に代わって「ニュータウン」という言葉が登場していた。下図はそのイラスト)、雑誌『日経ビジネス』が「産業構造―軽・薄・短・小の衝撃」という特集を組んだのは1982年だった。

 パソコン、ワープロ、電卓、軽自動車、携帯用ヘッドホンステレオ、ミニコンポステレオなど、当時ヒットしていた商品の特徴をつぶさに検討すると、それは軽い、薄い、短い、小さい。我が国の高度経済成長を支えてきた鉄鋼や石油化学などの重く、厚く、長く、大きい重厚長大商品の時代は終わりつつあるという、鋭い洞察だった。

 日本情報社会論の古典とも言える増田米二『原典・情報社会 機会開発者の時代へ』(TBSブリタニカ)は1985年に出ている(サイバー燈台プロジェクト欄で小林龍生さんが梅棹忠夫『情報産業論』を読み解いているが、その1963年という発表年がいかに時代を先んじていたかは驚異的である)。

 情報社会出現を推進したのがコンピュータだったから、最先端技術シリーズの取材対象の中心には常にコンピュータがあった。特集「コンピューター」でもワープロ、パソコン、電卓を取り上げているが、パソコンはNECの8ビットマシン、8801シリーズであり、ワープロは小型化してきたとは言え、まだ50万円以上した。

 ちなみに私は1983年4月に富士通のワープロ、マイオアシスを86万1200円で買っている。「ザ文房具」というキャッチコピーで大相撲の高見山が宣伝していた機種である。これを月々1万5500円、ボーナス月6万5500円のリースにしていたのだが、ワープロもどんどん小型化、価格も安くなって、たしか85年ごろには1台10万円台の小型ワープロが登場、しかもより多機能になっていた。そのとき私のローン残高は20余万円、さすがに馬鹿らしくなって残金を一括で支払ってケリをつけた。コンピュータの小型化、それと同時の高機能化、低価格化を身をもって知った最初の出来事だった。

 さて海の向こうに話を移すと、世界最初のパーソナル・コンピュータは1974年に開発されたアルテアだと言われる。当時のアメリカは、ベトナム戦争をめぐって激しい反戦運動が巻き起こっていたころで、この小さなマシンは、IBMが君臨していた大型コンピュータ(官僚主義、大企業の権化)に対抗するカウンターカルチャーの強力な武器として、ヒッピー世代の若者たちの熱狂的歓迎を受け、そこからいくつかの成功物語が生まれた。

 学生だったビル・ゲイツと友人のポール・アレンは、アルテアを見て大いに驚くと同時に、大型コンピュータで使われている言語、BASICをアルテアでも使えるようにするビジネスを思いつく。同じころ、カリフォルニアのスティーブ・ウオズニアックとスティーブ・ジョブズという「2人のスティーブ」は、ガレージで「アップル」というパソコンを作り、1976年に同名の会社を起こした。

 大型コンピュータの雄、IBMも1981年にパーソナル・コンピュータIBM-PCを売り出し、時代はパソコンの時代へと移っていく。日本にも伝わっていたその一端を私は取材していたことになる。

・最先端技術シリーズとデスクの大崎紀夫さん

 ところで『アサヒグラフ』は週刊誌である。その1回の特集を作るために私たちは1カ月以上をかけて全国を取材した。当時のメディア業界、さらには朝日新聞という会社の鷹揚さを考えると隔世の感があるが、デスクにして名編集者だった大崎紀夫さんの存在なしには考えられない企画だった。

 彼はすでに大物編集者として社内外に知られた存在だったが、私たちのコンピュータ特集に巻頭25ページをあてがい、しかも大胆なレイアウトをしてくれたのである。社内モニターで高く評価されるなどの事情もあってシリーズ化へと結びついたけれど、いまでも彼には深く感謝している。

 編集局の出稿部(社会部)、整理部を経て、出版局『アサヒグラフ』にやってきた私は、希望して異動してきたとは言え、当初大いに戸惑った。新聞でももちろん写真は大きな力だが、やはり記事が中心だった。それがグラフでは「写真がつまらなければそれで企画は没」というふうに、記事と写真の関係は逆転した。大崎さんは常々「いい写真が撮れたらカメラマンの手柄。つまらない写真しか撮れなかったら編集者の責任」と言っていたが、写真と記事の関係ばかりでなく、私は大崎さんはじめアサヒグラフの先輩同僚から雑誌編集の基本を学んだ。

 記者と編集者とではまるで違う役割があることに気づかされたし、雑誌というメディアをどう作り上げていくかという編集ノウハウも学んだ。編集者としての私はアサヒグラフで、最先端技術シリーズで培われたのだった。

 日大全共闘の猛者だった岡田明彦カメラマンはずっと頼もしい相棒だった。「腰が痛い、腰が痛い」と言いながら、個々の対象物に鋭く迫って、豊穣なイメージを切り出す(紡ぎ出す)彼の写真が私は好きだった。シリーズ後半のころ、写真家団体の賞の新人賞候補になったと聞いたが、受賞を逸したのは少し残念だった。彼は無冠の帝王を標榜していたけれど……。

 こうして私は「メディアとしてのコンピュータ」をテーマにする雑誌を構想するようになる。

 

新サイバー閑話(30) 平成とITと私②

『アサヒグラフ』のコンピュータ特集

 これは平成というより昭和の話だが、私が『ASAHIパソコン』を構想するきっかけとなったのが『アサヒグラフ』のコンピュータ特集である。『ASAHIパソコン』前史として、このコンピュータ特集についてふれておきたい。

  1981年11月27日号で私は、大型コンピュータはもとより、登場しつつあったパーソナル・コンピュータ、さらにはすでに普及していた電卓まで、ハードウェアとしてのコンピュータのすべてを、全国の工場や店頭を隈なく取材して、巻頭25ページで特集した。

 パーソナル・コンピュータのもととなるIC(集積回路)の素材であるウエハーがシリコンの塊(インゴット)から作られる過程、小さなチップに複雑な回路が埋め込まれていく様子、そのチップの配線拡大図、されには使用済みコンピュータがうず高く積み上げられたコンピュータの墓場まで網羅したから、当時としては画期的なコンピュータ特集だったと自負している。トップページには、当時世界一計算が速いと言われたスーパーコンピュータ、クレイー1の写真を使った。当時のアサヒグラフは米誌「ライカ」のような大判だったから、裁ち落としの見開き写真が並ぶ巻頭25ページの特集は相当に迫力があった。

・後に日米特許紛争の舞台となったIBM3081

 技術には門外漢だった私がコンピュータを取材しようと思いたったのは、同じ年、アルビン・トフラーの『第三の波』 (1981年、NHK出版) が翻訳出版され、エレクトロニック・コテッジとかプロシューマ―という言葉が話題になるなど、これからはコンピュータが大きな力を発揮しそうだったからである。

 秋葉原には、「マイコンショップ」が雨後のタケノコのように開店し(当時はパソコンではなく、マイコンと呼ばれていた。マイクロチップ・コンピュータとマイ・コンピュータを掛け合わせたネーミングだった)、新宿では、中学生の講師が大人のサラリーマンにコンピュータの扱い方を教えていた。コンピュータにはたしかに世の中を変える力がありそうだった。「コンピュータって一体何なのか。物としてのコンピュータをきっちりカメラにおさめて、ずらりと並べてみたらイメージが湧いてくるのではないか」と思って取材を始めたのである。

 グラフ誌のメインは言うまでもなく写真である。その撮影をフリーカメラマンの岡田明彦さんに頼んだ。

 このコンピュータ特集にはいろんな思い出がある。そのいくつかを紹介しておこう。

 当時はまだメインフレーム(大型コンピュータ)の時代だった。その主力はIBMの3033シリーズで、最新機種として3081が売り出されていた。日本アイ・ビー・エムに取材を申し込むと「3081は受注生産を始めたばかりで企業秘密もあってお見せできません。ひとつ前の3033シリーズは、それこそ旧式で、お見せするほどのものではございません」とあっさり断られた。

 そこを粘って、「興味があるのはコンピュータそのもので、生産台数が分かる生産ラインなどは撮りませんから」と取材意図を説明して、結局、両機種とも見せてもらえることになり、我々はいそいそとIBMの滋賀県野洲工場に出かけた。

 雑誌には配線がびっしりと入り乱れた3033シリーズの中央演算処理装置や、逆にすべてがモジュール化されて金属の覆いが黒光りしている3081の中央演算処理装置が、ともに見開き写真として掲載されている。私たちは配線だらけの3033の方がいかにもコンピュータらしいと思っていたのだが、この3081はまさに最新機種で、後年、富士通との間で日米特許権争いが展開された機種だった。めくら蛇におじずというべきか、その核心部分を堂々と掲載していたのだが、もちろんハードウェアの写真だから、ソフトウェアは見えない(^o^)。

 ICチップ製作工程を熊本の九州日本電気で取材したのも楽しい思い出である。

 岡田君は別の仕事ですでに九州入りしており、当日午後1時に私が空路熊本に向かい、九州日本電気で落ち合うことにしていた。ところが当日は悪天候で熊本空港は閉鎖、私は福岡空港で下された。あわててタクシーを飛ばして現地に到着したのは午後3時である。簡単な打ち合わせはしてあったとは言うものの、何を撮るかまでは詰めてなかった。しかも共同取材を始めた初日である。結局、彼に2時間待ちぼうけをくわせることになった。

 いや、そう思っていたのだが、岡田君は広報担当者の案内で、どんどん撮影を進めていた。九州日本電気の鈴木政男社長のご協力もあり、撮影は私抜きでずいぶん進展していたのである。担当者が「ここの撮影は駄目です」と言う部屋にも、豪放磊落な社長決断で許可が下りたりした。最後の懇談の席で、鈴木社長が言った言葉が忘れられない。

「プロのカメラマンはさすがですねえ。私どもが見せたくないところの写真ばかり撮りたがるんですから」

 コンピュータ特集は岡田君と組んだ初めての仕事で、彼はそれこそコンピュータのコの字も知らなかった。彼の鋭いジャーナリスト感覚には私もすっかり感心、意気投合もして、その後、ずっと取材を続けるようになった。

・次いでソフトウェアに挑戦

 ハードウェアのコンピュータ特集が好評だったことを受けて、私たちは翌1982年4月30日号で、やはり巻頭25ページを使って、「特集コンピューター・イメージ 『幻視者』が生みだす衝撃の世界」を掲載した。

 前年は、三和銀行(当時)のベテラン女子行員がオンラインの端末を操作して1憶3000万円を詐取したのをはじめ、コンピュータを利用した犯罪が続発したため、雑誌もコンピュータ特集ばやり。単行本も続々刊行されていたが、ソフトの世界は絵になりにくく(写真に撮るのがむずかしく)、まともな写真はほとんどなかった。

「ソフトって何だ」
「プログラムのことだろう。計算式を撮ってもしょうがないなあ」
「ソフトってのはプログラマーの頭の中にあるんだから、プログラマーの頭のCT写真を撮れば、それがソフトだ」
「ソフトが、目に見えない『透明人間』だとしても、包帯を巻けば、見えてくるわけだなあ」

 などと言いながら、私たちは取材の焦点をコンピュータ・イメージに絞り、コンピュータが複雑な計算を経て作り出す画像の世界を見てまわることにした。

 取材を始めてみて驚いた。リモートセンシングの分野で、コンピュータ・グラフィックスやシミュレーションの世界で、あるいはがんなどの医療診断の最前線で、先端技術導入に意欲を燃やす技術者たちが、コンピュータを駆使して新しい画像を次々に作り出している最中だったのである。

 地球観測衛星ランドサットから見たカナダとアメリカの「国境」、日本列島の全容写真、気象衛星「ひまわり」が赤外線放射でみた地球の雲の動き、この年の台風1号の目、アンドロメダ大星雲、ようやく導入されつつあった航空自衛隊や日本航空のパイロット訓練用フライトシュミレータ、CT写真やサーモグラフィで見る人体などなど。

 今では日々の天気予報などでちっとも珍しくない写真だし、画面をそのままカラー印刷することもできる。しかし当時は、それらの画像をディスプレイに暗幕を張りつつ、アナログ写真に収めていたのである。しかし、これはこれで当時としては衝撃的で、けっこう話題にもなった。

 当時、日本電子専門学校の講師だった河口洋一郎さんのコンピュータ・グラフィックスも大々的に掲載した。彼はすでにわが国コンピュータ・グラフィックスの第一人者で、アメリカのSIGGRAPHで自己増殖する造形理論「グロースモデル(The GROWTH Model)」を発表し、話題になっていた。記事は「数学から美へ迫ろうというなんとも壮大な試みで、彼はコンピュータ―・グラフィックスを『画像表現の全過程を論理的に構築されたアルゴリズムに基づいて行う新しい芸術行為』と位置づけている」と書いている。

 後に川口氏本人が人懐こい笑顔に若干の口惜しさを交えて述懐したところによると、彼の作品を科学雑誌『ニュートン』が大々的に紹介してくれることになっていたのに、アサヒグラフに先行報道されたので、企画中止になったらしい。物心両面でずいぶん迷惑をかけた取材になった。

 活躍が日本でも評価されるにつれ、彼は筑波大学助教授、東京大学情報学環教授へと栄進した。2018年には東大教授を定年退官したというから、『アサヒグラフ』特集はずいぶん昔の話である。同誌は私が在籍中に判型が小振りになり、2000年には休刊している。