東山明「禅密気功な日々」(6)

気を動かす=細胞を共鳴させる

 先に築基功のやり方に関して、「円緩軽柔=ゆっくり、柔らかく、なめらかに、そして速度は一定」が大事だと書いたけれど、それは体をなぞるようにして気を動かすということである。朱剛先生流に言えば、「白くて粘っこい」気を動かす。私流に言えば、体中の細胞を蠕動の動きに共鳴させる、ということになるだろうか。

 坐禅で呼吸を数える、いわゆる数息観でも、呼吸の速さはゆったりしたものでなくてはならない。「どのくらいの速さがいいのか」と問えば、「いろいろ試しているうちに、自分にぴったりの呼吸に落ち着く」というふうに教えられる。自分固有の速さというのが大事である。築基功で言えば、個々の細胞が共鳴するような動かし方がある、ということだと思われる。

 この点で興味深いのがバイオレゾナンスの考え方である。

 バイオレゾナンスはドイツ発祥の振動医学による治療法である。振動医学では、一般の西洋医学とは違って、人間の体を生命エネルギー(すなわち気)の場ととらえ、気が体の隅々にまでスムーズに流れることが健康な状態であるとする。逆に滞った状態は不調である。

 この気の捉え方は、私の気功の考え方と共通しているが、興味深いのは、バイオレゾナンスでは「『気の滞り』にも原因などによって固有の周波数の波動があり、その同じ周波数の波動による共鳴現象(ハーモナイズ)によって滞りを解消できる」としていることである。「生命エネルギー(=気)の振動(=波動)には、それぞれの器官、組織、働きなどにより固有の周波数があること。そして、その気が滞りスムーズに流れなくなることが、健康が損なわれるということであり、そのときには滞りと同じ周波数の波動による共鳴現象によって滞りが消えて再び気が活発に流れるようになる、これが健康を取り戻すということだ」(ヴィンフリート・ジモン『「気と波動」健康法』イースト・プレス、2019)。

 バイオレゾナンス理論は、プランクの量子論、前科学的な地中探査法であるダウジング(北米大陸やアンデスなどの先住民が地下水脈や鉱脈を見つけるために使ってきた)、そして東洋医学・チベット医学の「気」の三要素をもとに組み立てられたという。実際、診断治療においても、丸い球がついた揺れる竿のようなものを使う。

 私が注目するのはレゾナンス(共鳴) という言葉である。バイオレゾナンスについては門外漢なので、正面から論ずることはできないが、蠕動しながら体を動かしていると、体内の滓がほぐれ、気がゆるやかに流れるためには、やはり細胞を共鳴させてやる必要があるように思われる。その共鳴のしかたは、部署(筋肉や内臓)によっても違うし、日によっても違うようである。

東山「禅密気功な日々」(5)

禅密気功のすすめ

禅密気功鎌倉教室を訪れる人はけっこういるけれど、2、3度顔を出したきりやめてしまう人も多い。せっかく宝の山の前まで来て、そこに入らず、Uターンしてしまうわけで、まことにもったいない気がする。

 気功には他の習いごとと違って、具体的目標というか、習得すべきカリキュラムがあるわけではない。ただ体を揺するだけである。だから2、3度、教室に来ただけで、その良さを実感するのはむつかしい(禅密気功にもいろんな功法があるけれど、基本はあくまで築基功である)。

 習うべきポーズの型が具体的に用意されているヨーガや太極拳ともちがい、気功がとっつきにくいのは確かである。しかし、ただ体(背骨)を揺するだけという単純な動作にこそ、実は深い知恵、精神と肉体の健康を維持するための工夫が込められている。それを実感するためには、最低半年は通うのがいいだろう。私などは、そしてかなり多くの人が、10年以上も修行を続けているのである。教室だけでなく自宅で毎日実践するようになると、その良さがいよいよはっきりわかってくる。しかも、そのために、何の道具もいらない。必要なのは時間と意欲だけである。

・不立文字という言葉

 「不立文字(ふりゅうもんじ、文字に立たず)」。「悟りの内容は文字・言語では伝えられず、師の心から弟子の心へ直接伝えられる」(新明解国語辞典)という禅宗の教えだが、一般には、大切なものは言葉で言い表されないというふうに使われる。

 中国の古典『荘子』には、書に親しんでいる殿さまに向かって、車大工が「書には先人の粕しか記されていないのではないか」と皮肉る話が出ている。一流の車大工としての自分の腕(技術)は他人には(弟子にも)伝えられず、彼一代で終わるものである。だから書に記されたものも先人の知恵の粕でしかないのではないか、と。

 これは「身体知」とも言われるが、言葉には表現できない(えも言われぬ)知恵を体で感じるようになるのが気功修行と言ってもいい。

 話が少しそれるが、サ=テグジュペリの『星の王子さま』に、「大切なものは目では見えない」という言葉もある。

It is only with the heart that one can see rightly, what is essential is invisible to the eye.

 目(eye)ではなく心(heart)で見る、頭ではなく肉体で感じることを心がけるのは、IT社会を生き抜く知恵でもあるだろう。

東山「禅密気功な日々」(4) 気圧の魔

「気圧の魔」研究会報告について

 もう20年も前になるが、ウエブ黎明期(1998年)に<「気圧の魔」研究会報告>というページを立ち上げたことがある。このころひどい気圧アレルギーに悩まされており、インターネットなら日本国中、あるいは世界から仲間を集められるから、一致団結して「気圧の魔」克服をめざそうと、実験的に開設したものである。

 いま読み返してみると、けっこうおもしろい。作家の五木寛之が同じような症状を呈しているのを知って喜んだり(?)もしている。同じような症状に悩む人から研究会参加の申し出が来たり、ほかにも筆者あてに、何通ものメールをいただいたり、何度か往復メールの交換もしたように思う。その後、ブログに移動、立ち消えになってしまったが……。

 ちなみに「気圧の魔」は愛読書の1つであるニーチェ『ツァラトゥストラ』の「重力の魔」を援用した(本文参照)。もう20年も前の記録がこうしていまも閲覧できるというのも便利と言えば便利である。

 最近は低気圧への恐怖がだいぶ軽減していることを考えると、気圧アレルギーも体内の気滞留に関係あると思われる。いま問い合わせがあれば、必ず気功(禅密気功)を始めるようお勧めするところである(^o^)。

東山「禅密気功な日々」(3) 会報から③

朱剛先生直伝、これが禅密気功だ

 レポートを書くにあたって、あらためて朱剛先生の3部作、『気功生活のすすめ』(2004、清流出版=絶版)、『背骨ゆらゆら健康法』(2007、春風社)、『気功瞑想でホッとする』(2009、同)や『築基功 中国禅密気功基礎功法』(2000)などを読み返してみた。私が書いたことは、まことにつたないものだが、気功の心構えとしてはそれなりに意味のあることかもしれない。

 ご承知の方も多いだろうが、禅密気功は朱剛先生の師、中国の劉漢文師が代々、家伝として伝えられてきたものを1970年代末に公開したことに始まり、1986年に中国政府が認めた20大功法にも数えられている。朱剛先生は若いころから中国で武術、気功に親しみ、劉漢文氏からも直接指導を受け、1989年の来日以来、禅密気功の日本における普及に努められてきた。

 気功の功法にはさまざまな流派があり、禅密気功の中にも、20近い功法がある。そのうち私が履修したのは築基功、陰陽合気法(人部、天地部)、双雲功、吐納気法(1~5)、彗功、洗心法くらいである。また精神と肉体の健康を獲得、維持するのが気功だとすれば、中国には古来、仏教、道教、儒教などさまざまな教えがあり、それは部分的に気功にも取り入れられている。

背骨ゆらゆら健康法―自分でできるお手軽気功術

 朱剛先生が教室などでよく言われることだが、「山に登るにはいろんなルートがある。どのルートを登ろうが、頂上に到達できればいい。ルートの違いを論じたり、優劣を競ったりする必要はないのだ」と。立派な教えである。そして私はと言えば、気功という大きな山の麓あたりをなおうろうろしているに過ぎない。九州の九重登山で言えば、久住と大船(だいせん)という2つの山の間に広がる裾野、坊がつるを徘徊しながら、山小屋の白濁湯でのんびりしている風情か。明日はどちらかの頂上を目ざさねば。

 大船の鎌倉教室は会員の自主運営で、すでに20年近く続いている。元の松竹大船撮影所の一角に作られた鎌倉芸術館がフランチャイズだが、場所の抽選に漏れた時は他の会場に移ることもある。月に2回程度、土曜日の午前中に20人前後の人びとが集まり、練習に励んでいる。横浜教室に出かける前の朱剛先生を囲んでの昼食も楽しいひと時である。私も教室に通ってすでに十数年、精神的にはともかく、肉体的には健康を回復できた、あるいは回復しつつある気がする。老化が忍び寄りつつあるとは言え(^o^)。

気功瞑想でホッとする

 日本禅密気功研究所の江戸川橋本部教室は東京都新宿区山吹町にあり、そこで本部教室や各種功法の集中コース、瞑想会などが行われている。会員のほとんどの方が一度は訪れたことがあるだろう。

 教室の最寄り駅は東京メトロ有楽町線の江戸川橋である。近くに落ち着いた、昔懐かしい雰囲気が漂う、その名も地蔵通り商店街がある。集中コースのとき、薄皮でパリパリした、甘味の薄い餡子のたい焼きを食べたのが懐かしい。思い出と言えば、近くを神田川が流れている。三鷹市の井之頭公園に源を発し、都心をほぼ東に流れて両国橋あたりで隅田川にそそぐ。都心唯一の、どこにも暗渠のない一級河川で、南こうせつとかぐや姫がうたった「神田川」の舞台は下落合あたりとも西早稲田だとも聞いたけれど、詳しくは知らない。下落合は学生のころ下宿していた場所から遠からず、ときどき通っていた駅近くの喫茶店には、美人で気さくな若い女将がいた。彼女を慕って多くの常連が集まり、楽しいコミュニティを作っており、たしか野球チームなんかも出来ていたと思う。

 話がそれた。

 集中コースの昼食を近くの中華料理屋でとったあと、先生に案内されて神田川沿いを散策したことがある。6月だったから両岸の桜の葉がうっそうとした並木を作り、川はかなり深いところを静かに流れていた (春は有名な花見の名所である)。少し離れた椿山荘の裏門まで歩いた。芭蕉ゆかりの山荘には「古池やかわず飛び込む水の音」の無造作な立て札もあった。腹ごなしにはもってこいのコースである。

 先生の本を読み返してみると、私が考えてきたことはほとんどこれらの本に書かれている気がする。自説の根拠を見つけて嬉しい反面、これらの本はかつて読んだものだから、自分の考えはそこから導き出されたのかと、いささかがっかりした気持ちにもなった。以下、『気功生活のすすめ』の引用である。

「東洋医学では、病気の原因は、体内の気の流れが悪くなったことにあると考え、まず体内に気を十分取り入れ、気がスムーズに流れるようにすることから治療を始めます」(9)、「自己の免疫力や治癒力、調整力を向上させ、健康になることを目指すのです」(12)、「気功はまずリラックスすることによって細胞や毛細血管を活性化させ、そこからエネルギーを盛り上がらせるのです」(14)、「気功には人間の免疫機能を高める効果があることが、さまざまな実験で実証されているのです」(35)、「全身の力を抜いて、特に肩から首筋を柔らかくするような感じで、背骨を真っ直ぐにして座ってみましょう。……。いろいろな想念、感情、記憶などが沸き起こってきますが、これも流れに任せます」(65)、「気はもともと人間の体内を流れています。ただ、健康を阻害する方向に流れていたり、ストレスなどによって悪いエネルギーとして流れている場合もあります。気功の練習を通して気を正常に働かせ、全身のエネルギーを活性化させると、五臓が元気になります」(85)。

廬山煙雨浙江潮  廬山(ろざん)は煙雨、浙江(せっこう)は潮(うしお)
未到千般恨不消      未だ到らざれば千般恨み消せず
到得還來無別事      到り得て帰り来たれば別事無し
廬山煙雨浙江潮      廬山は煙雨、浙江は潮 
蘇東坡

 建長寺だか円覚寺だかの早朝座禅会の法話でこの漢詩を知った。廬山も浙江も名勝の地である。「別事なし」とはどういう意味か。自然はいつもと変わらないけれど、見る方の心に変化が起こったということらしい。冒頭と最後の句の間に、一種の悟り、心境の変化があったわけである。

 報国寺の座禅会では和尚から以下の教えを受けた。

 いいと思うことを心を込めてくりかえす

 名言の引用を、白隠禅師の有名な坐禅和讃の一節で締めよう。以上すべて自戒のためなのだが……。

 無相の相を相として  行くも帰るも余所ならず
 無念の念を念として  謡うも舞ふも法の声
 三昧無碍の空ひろく  四智円明の月さえん

桐一葉、落ちて天下の秋を知る

 悟りは突然やってくる。まあ、悟りと言うほどではないけれど、今までやってきたことが突然違って見えるということはよくある。これもまた、

待て 而して希望せよ

 2018年9月の総務省調査によると、70歳以上が総人口の20.7%を占め、5人に1人が70歳以上となった。また65歳以上の高齢者は28%近くを占め、そのうち75歳以上のいわゆる後期高齢者が65歳~74歳の高齢者の数を上回っている。日本社会の他国に例をみないほどの超高齢化は由々しき大問題ではあるが、高齢者も後期高齢者も、生きている間は元気で過ごしたいものである。

 先にふれた『寿命1000年』に、老化というのは子孫を繁栄させるために長く生きすぎないようにする「進化の知恵」であるという説も紹介されていた。子孫のためには、高齢者は率先して世を去るべきかもしれない。しかし、いますぐにではなく(^o^)。

 となると、やはり健康でいたいものである。そのために気功がいかにすぐれているかを述べてきたわけだけれど、丼を持とうとして手首を痛めたとか、石につまずいたわけでもないのに踵をくじいたとか、日常生活を送るうえでの具体的支障が出る腰、脚、踵、腕、手首など個々の筋肉の衰えや、気になる皴を防ぐには、筋肉トレーニングもした方がいい。

 私は1986年から約20年、ジョー・ウイダーの雑誌 ”Muscle & Fitness” を定期購読していた(雑誌が身売りされて購読を中止した)。ジョー・ウイダーはボディビルディングを立派なスポーツ、さらには文化へと発展させた人で、そこからアーノルド・シュワルツェネッガーやコーリン・エバーソンなどのスターが生まれ、ボディビルはあらゆる運動の基礎ともなった。1990年にはすでに両スターは現役を退いていたけれど、それでも私の好きだったフランク・ゼーン、モニカ・ブラントなどとともに同誌のグラビアを飾っていた。雑誌にはときどき「Longevity(長生き)」の特集があり、そこでは70歳を過ぎたボディビルダーの、老いてなお若々しく美しい肉体写真やノウハウ記事が載っていた。

 プロビルダーがよく言うのは「必要なことはすべて自分の肉体が教えてくれる」ということである。私はスポーツクラブにも通っていたが、前半は多忙な仕事のために、後半は度重なるがん手術のために、十分なトレーニングは出来なかった。しかし、高齢者トレーニングに必要な知識は十分に身につけたと思う。

 いずれは『若返リアス(若返りイリアス)』としてまとめようかとも思っているが、気功、とくに蠕動と簡単な筋肉トレーンングは、老化防止、さらには若返りのための悪くない取り合わせである。そのミソを先回りして記せば、筋トレだけではかえって逆効果になることもあり、それを防ぐためには丹念な蠕動が不可欠だということである。

東山「禅密気功な日々」(2) 会報から②

背骨ゆらゆら、身も心もすっきり

 気をスムーズに流すにはどうすればいいか。体を揺するのが一番である。朱剛先生は「背骨で体全体の気をかき回す」と言われたことがあるけれど、禅密気功の築基功は体を揺することに特化したすぐれた功法と言えるだろう。そして、ただひたすら背骨を揺する築基功には、禅密気功の精髄が詰まっている。背骨(脊柱)はまさに体のバックボーンであり、中心であり、ここには内臓諸器官の神経も集まっている。背骨こそ滓がたまりやすい場所のようにも思われる。

 縦に揺するのが蛹動(ようどう)、横に揺するのが擺動(ばいどう)、回す、と言うより体を絞るのが捻動(にゅうどう)、すべてを組み合わせて体全体の気を動かすのが蠕動(じゅうどう)である。そのやり方は教室で朱剛先生の直接指導を受けつつ、テキストのCDやDVDを参考にしてほしい。事前に整えるべき態勢としての、密処を緩める(緩密処)、彗中を開く(展彗中)、三七分力(体重の7割を踵に)、三点一直(天中―密処―両踵を結ぶ線の真ん中が一直線上に来る)は守る。

 動きはいずれの場合も、「円緩軽柔」、「ゆっくり、柔らかく、なめらかに、そして速度は一定」でなくてはならない。導引として手を動かすけれど、蛹動の場合、その手が体の両脇で円を描きながらゆっくり、なめらかに、同じ速度で動くように意識する。ゴツゴツと角ばったりしない。イメージとしては、今はあまり言わないようだけれど、やはり「蛇のように」体を動かすのがいい。あのしなやかで強靭な動きを見よ。体は前に思いっきり出し、後にはぐっと押し出す。蛹動も擺動も体をどちらかというと「くの字」型にする。私も昔は「反り(そり)がたりない」とよく言われた。

・背骨を使って気を動かす

 動かす箇所に意念を集中する。「気を動かす」ためにはそれが不可欠である。気を動かすといっても、最初はよくわからないと思うけれど、たとえば、地下鉄のホームの黄色い帯を想像してみよう。列車が入ってくるとランプが点滅するが、目には黄色い信号がホームの端から端へ走っていくように見える。運動会の組体操の波づくりも同じ理屈だけれど、細胞一つひとつの気が活性化して、それが動いていくのを意識する。あるいは見る。

 気を前後左右天地に動かしながら流れを整え、スムーズに流れるようにする。前にも書いたけれど、体の一部がゴツゴツしてスムーズに動かないとすれば、そこに滓がたまっている。ゆっくり丁寧になぞりながら、スムーズに動くようになるのを「待つ」。最初は背骨を「揺らし」ていても、いずれは自然に「揺れる」ようになるのが理想である。

 建長寺の修行僧に「坐禅とは何か」と聞いた時、間髪を入れず「丹田を練る、としか言いようがない」との答えが返ってきた。「練る」というのは言い得て妙である。そば打ちのように、筋肉や内臓をこねて粘りを生み出す。

 禅密気功にはいろんな功法があり、築基功はどちらかというと体内の気の流れを整えることに重点があり、陰陽合気法、吐納気法などは体内の気と外気との交流を重視すると言えるようだ。彗功には緩密処、展彗中の重点的な修練もある。ただいずれも相対的な違いであり、さまざまな功法の中では築基功が基本の基本だと思う。ある先達も「築基功からはじめて、最後はやはり築基功に戻っていく」と言っていた。

 鎌倉教室ではもっぱら築基功の習得に時間が割かれている。あるとき先生が蠕動の指導をしながら、「これをやっていれば、腰もくびれて、すっきりした体になりますよ」と言った。その後で、「なぜそのことを強調しないかというと、安っぽく聞こえるから」と。何という高潔、なんという奥ゆかしさ(^o^)。

 蠕動を続ければ、贅肉も取れ、腹や腰が締まるのは事実である。1日30分以上の蠕動を続ければ、若いころのズボンやスカートがはけるようになる。ここを強調してPRすれば、若い女性会員も増えるだろうが、それは気功の本筋ではないと言えば、たしかにそうである。ちょっともったいない気もするが……。

 逗子市で鍼灸室を運営しており、一時は鎌倉教室にも参加していた山本エリさんに診察を受けた時、「滓と贅肉はどう違うのか」聞いてみた。彼女は即座に「無駄なエネルギーということでは同じ」と言ったのだが、なるほど。滓は骨、筋肉、内臓およびその周辺にたまり、贅肉は腹周辺にたまるということかもしれない。蠕動で滓がほぐれれば、贅肉が取れないわけはない。

・大山元動ぜず、白雲おのずから去来す

 体を動かすのが動功、坐って静かに瞑想するのが静功である。動功は究極的には静功をめざすのだと言う。精神の安定をはかりつつ、最終的には至高の境地に到達するのが目的と言われるが、瞑想に関しては、道なお遠しのわが身である。

 静かに坐って、緩密処、展彗中を実現する。大事なのはリラックスである。リラックスと一言でいうけれど、言うは易く行うは難し。リラックスしようしようとしてかえって全身を、あるいは体の一部を緊張させていることはよくある。まことに心は天邪鬼である。

 静功では椅子に坐っても、床に座り込んでもいい。私はむしろ坐禅を好んでいる。その方が緩密処を実現しやすいように思うからである。

 坐禅は結跏趺坐が理想的とされるが、私はどうしてもこれができず、半跏趺坐でやっている。この場合も両膝を必ず床につけることが大事である。腰に座布団や坐蒲(ざふ)を敷くのがいい。両膝と臀(密処)を結ぶ三角形で上半身を支える。肩と首をゆったりさせ、最初は少し前かがみになっている背骨をしだいに伸ばす。天中を頂点とする三角錐が気の安定した姿だと思われる。調身、調息、調心である。

 坐りばなは、邪気や雑念がむしろ湧いてくる。これは体が清められていると考えて、湧いてくるにまかせるのが正解である。無理に抑えようとするのはよくない。坐禅では「大山元動ぜず、白雲おのずから去来す」と教えている。雑念も邪気も自然に抜けていくのを「待つ」。雑念を追いかけない。たとえて言えば、車窓に映る風景をぼんやり見ている。ふりかえってその景色を追わない。

 あるとき、えらい坊さんが弟子を連れてリヤカーを引いていた。傍らを流れる川から「助けて―」と溺れる人の声が聞こえ、2人はあわてて川に飛び込み、浴衣姿の妙齢の女性を助け上げた。やわらかい腿にさわった弟子はすっかり興奮してしまい、リヤカーを押しながらも、心は千々に乱れた。そのとき師匠は「お前はまだ女の体に触っているのか」と言ったという。恐らくこれが煩悩の本質だろう。

 雑念を払い、気の流れがスムーズになると、自律神経や免疫機能が働きやすくなるのは確かである。これも坐禅・瞑想の大きな効果である。ふだん私たちは、この生理機能を妨害するようなことをしている。生理の働きに介入するのはよくない。カエサルの物はカエサルに、である。朱剛先生はよく「気にしない」ということを言われるが、「見ない」にこしたことはないのである。

 木下順二の戯曲『夕鶴』では、貧しい農民、予ひょうに助けられた鶴の化身、つうが恩返しに毎夜、部屋に閉じこもり、立派な織物を作ってくれるが、予ひょうがある夜、「見ないように」言われていた部屋をのぞくと、彼女は鶴になって飛び立ってしまう。象徴的な話である。そう言えば、ギリシャ神話の竪琴の名手、オルペウス(オルフェ)は冥界に落ちた愛妻、エウリディケーを助け出すべく冥界に赴くが、「地上に戻るまでは後に着いてくる妻をふり返ってはならぬ」との教えに背いて、帰還直前に振り向いたために、妻はまた冥界に引き戻された。

 瞑想では目をつむり、彗中で無限の宇宙を見るようにする。坐禅の場合は1~2メートルほど先の床に目を落とし、見るとも見ないとも言えない状態で一点を見る。目に力を入れる必要はないが、たしかにそこに目を落としていることが大事である。瞑想の展彗中に相当するように思われる。

 陰陽合気法の集中コースの時にもらったテキストに、彗中を広げることと密処を緩めることの大切さが書いてあった。「彗中は気功に対する特別感知器官の一箇所であるとともに、また、内外の気が往来する通路でもある。密処は、内気の通らなくてはならないルートなので、ターミナルのような存在である」とあり、「注意事項」として、「彗中を広げ、密処を緩めるとき、いずれも〝点着〟(穴を守ること)しないで、〝面顧〟(全体意識)すること。でないと、結果はよくならない」とも。

 密処も彗中もその周辺を含めてリラックスする。力むのは最悪である。無限の宇宙は暗いというより、ほのかに明るく、彗中が開くと、宇宙との一体感が生まれ、体をさわやかな風が吹き抜ける気がする。色や光も見えてくる。

 密処は「鉄の門」とも呼ばれるくらい、緩めるのは難しい。私には、それは「硬い蕾」のように思われる。先生の本には、密処が緩むと「尿意があるような、ないような」感じがすると書いてある。密処は、深くは地殻のマグマに達する道であり、また富士山の忍野八海、柿田川などの湧泉のような、気の泉ではないだろうか。

 密処と展彗中は同時に実現するようにする。そうしてこそ、体内の気は活発に動き出し、宇宙の気との交流も促進される。密処が緩めば(たとえわずかでも)、実際に尿意を催す。と言うより、股間全体が緩むことで、これまで尿を体内に押しとどめていた緊張がほぐれ、驚くほど快適に排尿できるようになる。「安っぽくなる」のは本意ではないけれど、年配の男性にとっては、排尿効果だけでも気功をするに十分値するのではないだろうか。

 若い女性にも、高齢の男性にも、もちろん若くない女性にとっても、ありがたい気功の功徳である。一時というか今でもマインドフルネスという健康法が話題になっているが、先刻承知のことのように思える。まさに、故きを温ねて新しきを知るということではないだろうか。

東山「禅密気功な日々」(1) 会報から①

はじめに

待て、而して希望せよ。

 友の裏切りによって絶海の孤島の牢獄につながれて十数年。マルセイユの若い船乗りエドモン・ダンテスが、命をかけた脱獄のあと、譲り受けた莫大な財宝のもとに壮大な復讐をとげる『モンテ・クリスト伯』(アレクサンドル・デュマ作)は、世にある小説の中で一、二を争うおもしろさだと私は思うが、最後はこの言葉で終わっている。

 若いころは、すべてを成就したモンテ・クリスト伯が、愛人となった、若く、美しい元奴隷エバとともに新しい人生に向かう帆船上の姿を、羨望の念で思い浮かべたものだが、いまは別の感慨のもとにこの言葉を噛みしめている。

 それは私が闘病の過程で禅密気功と出会い、それなりの修行の間、何度も噛みしめた言葉だった。気功を始めたからと言ってすぐ具体的効果がでることは少ないかもしれないが、希望を失わずに訓練を続ければ、それは莫大な富以上のもの、健康を与えてくれるのではないだろうか。だから、こう書きかえてもいい。

希望をもって待て、と。

病んで知る禅密気功のありがたさ

 私が禅密気功教室を見学するために、鎌倉芸術館をはじめて訪れたのは2005年7月30日だった。その前年の2004年夏、南方海上からだらだらと迷走しながら北上してきた台風10号をきっかけに風邪が悪化(私は気圧アレルギーだった)、1カ月以上の闘病を強いられた。翌05年2月、ハワイに寒さを逃れたつもりが、そこで突然、耳鳴りに襲われた。最初は冷蔵庫のモーター音のようなブンブンという小さな音だったが、しだいに大きくなり、寝ていても突然頭が割れるように痛くなり、飛び起きたりした。さらに私は1998年暮れに膀胱がんを発症、その時点までに4度の手術を受けていた。

 長年の疲れがどっと出たようで、このころの私の体調は絶不調、ハワイや鎌倉の鍼灸師、指圧師、泌尿科医、耳鼻咽喉科医、内科医などを転々とする状態だった。

 鎌倉気功教室はインターネットで見つけ、世話人の菅井一美さんに連絡した上で出かけた。教室に通い、朱剛先生の話を聞き、築基功を中心とする功法を習いながら、自分の体調不良が気の乱れのせいだということはすぐわかった。当時、鎌倉教室では、渡部悌子さんが教室開始前に初心者指導をしてくれており、ときどき行われる合宿へも誘ってくださった。

 そんなふうにして私は鎌倉教室に通い、湯河原や山中湖での合宿、中国の黄山、蘇州への研修旅行にも参加、多くの先達からいろんなことを教わり、少しずつ気功に親しんでいった。とくに黄山合宿は楽しく、いまでも何人かの〝猛者〟の顔を懐かしく思い出す。東京・江戸川橋の本部道場で行われる瞑想教室や各種功法の集中コースにも通った。

 長年の苦難の旅、我が「耳鳴りオデュッセイア」については、ここでは触れないけれど、気功13年でようやく見えてきた気についての自分なりの考えを、浅薄さを棚に上げて、記してみようと思う。

①    人は体内に滓をためながら生きている。

 私の家系にはがんは無用である。なぜ私だけががんになったのか、については大いに思い当たる節があった。会社員時代、ひどいストレス状況に追い込まれ、そのいらいらを下腹部に押し込めて何とか日々を過ごしているのを、自分でも十分意識していたからである。だからがんと言われたとき、これはストレスのためだと直感した。

 そこで私はこう考えた。

 人間はだれでもストレスをため込んで生きているのではないか。怒り、悲しみ、嫉み、妬みといったマイナス感情を、体内にためず、すぐ発散できる人がいるのもたしからしいが、多くの人はそれを少しずつ体内にためていく。「酒は愁えを掃う玉箒」と言うから、適度の飲酒は悪くないと思うが、当時の私は酒の飲み方も悪かったから、かえって愁えはたまったように思われる。

 それらのストレスをため込みながら、なんだかんだと言っても、倒れることもなく、それなりに健康で生きてきたということが、考えようによってはすごいことだと思われた。逆に言えば、人間の体はすごい潜在能力を持っていると言えるのではないだろうか。

②    還暦はまさに曲がり角である。

 がんが見つかったのは2年後に60歳の定年を迎えるころだった。そこで私はまた考えた。ストレスを体内にため込む能力の限界に達したために、不具合が顕在化してきたのではないか。これが還暦の意味ではないだろうか、と。

 人間、だれしもこの歳になると、体の異常を訴えるものである。不具合や病気がどこに出てくるかは人さまざまで、そこには長年たずさわった仕事の性質、日々の姿勢、食習慣、心のありようなど、その人の長い人生が反映されているように思われる。病気もまた個性的であらざるを得ない。私の場合、主なる病巣は下腹部にあり、だから後年の2007年には胆嚢結石の開腹手術もしている。

③    スムーズに流れなくなって、はじめて「気」づく。

 なぜ多くの人はストレスを体内にため込んでしまうのだろうか。それは気の流れが滞るためだと、私は気功をしながら強く思うようになった。滞るというより、滞らせるからで、気がスムーズに流れていれば、このように体内に滓がたまることはない(はずである)。

 気とは何か。それはエネルギーである。粒子のようでもあり、波のようでもある、などと言われるけれど、私には気が実在するのは明らかなように思われる。なぜ西洋医学的に気の実在を証明できないのか。それは証明する気がないから、あるいは簡単には証明できないから、とりあえず保留されているのかもしれない。現段階では、いろんな計器がその片鱗を拾うことはあっても、それを雑音(ノイズ)として捨て去っているのではないかと私は思っている(バイオレゾナンスという治療法は、これらのノイズを拾おうとする努力ではないだろうか)。

 もっとも、健康な人は気をあまり感じないようである。気は、その流れが妨げられて初めて「気」づくのかもしれない。耳鳴りはもちろん三半規管など器官の損傷によるものも多いだろうが、私の場合、頭にたまりすぎた気が痙攣する音だった気がする。今でも耳鳴りようの音はときどき聞こえるが、気の流れる音だと思うとあまり「気」にならない。

④ リラックスして気の流れを整え、体のごみを出す。

 だから全身をリラックスして気の流れを整えることが、健康維持に不可欠である。そのための優れた功法こそ「禅密気功」と言っていい。

 しかしすでに大量にため込んだ滓を除去することはできないのだろうか。何度も膀胱がん(と言ってもポリープ用のもの)が再発するのにうんざりしていたころ、医者が「膀胱のまわりにはタケノコの根っこみたいに、がんの素がびっしり張り巡らされているのだから、何回でも出てきますよ」と言った。なるほど、がんそのものよりタケノコの根っこが問題なのだ。

 このタケノコの根っこを退治するにはどうすればいいのか。また、なぜ胆嚢や腎臓に石が出来るのだろうか。石をつくる作用が体に必要だとすれば、それは骨づくりのためである。その造骨作用が脱線して他の臓器に及ぶのはまことに不思議である。意識してやれることではもちろんない。医学的には、がんも含めて、これらの疾病は遺伝子の先天異常あるいは突然変異だと説明されるようだが、この遺伝子突然変異もまた気の流れと関係しているのではないか、と私はひそかに、というか、勝手に〝睨んで〟いる。だから、気功でがんが消えることもあっておかしくない。

 アメリカの科学記者が長命科学の最先端をルポした『寿命1000年』という本によると、老化は生物に避けられない「宿命」ではなく、ただの「病気」だという。病気なら直せるわけで、本書に登場する一奇才は、「老化は基本的には体の細胞にゴミがたまることで起きる。だからそのゴミを除去することができれば、969歳まで生きたとされる旧約聖書メトセラの夢を実現できる」と言っているらしい。

⑤    滓を解凍して気を放散する。

 さて、タケノコの根っこである。気功修行の試行錯誤の中で、私は患部に意念を強く当てることで、体の滓を解凍する技を会得しつつあると思っている。滓とは体内のごみだけれど、とくに内臓や筋肉の内部、あるいは周辺にたまった気のわだかまりである。滓は細胞レベルでたまっている。滓が解凍すると、気がほぐれて出てくる。解放された気はすみやかに体外に出してやらないと、かえって体に害を及ぼす。

 閉じ込められている良性腫瘍と外に出てきたがんとの違いに似ている。そうであれば、滓はほぐさない方がいいかというと、それは違う。老化を促進するだけである。滓の堆積こそが老化と言えるのではないだろうか。東洋医学では虚実補瀉、「まず病邪の実を瀉す、ついで正気の虚を補う」と言う。

 私の修行の大半は、日々の気功で体の気をうまく流してやりつつ、同時にすでに蓄積してしまった滓を解凍放散することに費やされた。4年ほどがんは再発しなかったのに、2007年に5度目の手術をして、それからまた頻繁に再発、2016年には2度の手術をした。これは正直言って辛かった。医者には「気功なんかで治るわけがない。抗がん剤を使った方がいい」とも言われたが、抗がん剤には抵抗があり、別の病院で免疫療法をしてもらった。これはこれで厳しい治療だったけれど、その後2年間は再発せずに過ごしている。免疫療法の効果だけではなく、タケノコの根っこがほぐれつつあるように思われる。

 後年、がんが頻発したのはよく言われる好転反応だと思う。解凍で発生した気をうまく排斥できなかったため、それがかえって悪さをしたのだろう。

⑥ 「待つ」ことが大切である。

 体を動かして、どこかひっかかるところに滓がたまっている。右に回す時はスムーズだが、左周りの時にひっかかるということもある。首筋、肩の関節、脊柱など、ボリボリ、ギシギシなるのも滓のせいであることが多い。筋肉や関節を取り巻く滓のせいでもあるし、筋肉そのものが膠やビーフジャーキーのようにひからびてしまった場合もある(この場合は音すらしないわけである)。私も、長い間、左肩と左肘がギシギシして、動かすと痛くもあり、これは治らないかもしれないと思ったけれど、数年たつと消えていた。時間はかかるが、ここは待たなくてはいけない。

 筋肉トレーニング前のストレッチで、インストラクターが「筋肉が緩むのを待つ」と指導しているのを見て、大いに納得した。ストレッチにも緊張は禁物、無理に緩めようとするのではなく、緩むのを「待つ」わけである。気のわだかまりも、それほど大きくなければ、青空に浮かぶ雲が次第に薄くなって消えていくようにほぐれていく。

待て、而して希望せよ


会報から①
会報から②
会報から③