COVID-19と情報法
このブログも、2017年9月14日の最初の投稿以来、2年9か月目となりました。COVID-19で世の中が変わりそうな雰囲気ですので、この辺りでとりあえず連載を閉じようと思います。最終回は、情報法のまとめの意味を兼ねて、COVIDのような「目に見えない」現象に対処する際の、基本動作を考えます。結論的には、① 見えないものを可視化して不安を和らげる、② 「偽陽性と偽陰性は不可避」と覚悟する、③ 情報によって情報を制御する、④ 最後は決定者が責任を負う、の4点を挙げたいと思います。
① 見えないものを可視化して不安を和らげる
私たちヒトが生きていく上で必要な情報の80%以上は、視覚から得られると言われています。「『視覚は人間の情報入力の80%』説の来し方と行方」という論文をネット上で見つけましたから、学問上は未だ議論の余地がありそうですが、「百聞は一見に如かず」に類する諺が各国にあることからも、私たちの常識に合うように思えます。
事実、視覚を失くしたり視覚に障害を持つようになると、行動が著しく制限されたり判断力が鈍ったりするようです。私も白内障を患っていた数年間は何となく不調だったのが、手術(今や日帰りが一般的です)後は「モノがはっきり見える」だけでなく、思考もまとまりやすく、全身の調和が戻ったように感じました。
この事実は、ヒトは「見えないもの」に対する反応には「見えるもの」に対するほどには自信を持ちにくいこと、従って余計な不安を抱いたり、逆に虚勢を張って無視したりといった「非合理的」な反応に走りがちなことを、暗示していると思われます。私はセキュリティの世界に入ってから、心理学などの先行研究に触れる機会が増えましたが、一般的なバイアスのうち「非合理」の代表とされる事例には、「見えない」ことから来るものが多いことに気づきました。
その中の1つに「可用性ヒューリスティック」(availability heuristic)があります。これは日常的な行為では「ついでの買い物の際、つい同じものを買ってしまう」というような例(この場合は、具体的な物が対象であることに注意してください)にも使われますが、災害のような場合(これは目に見えません)では「大災害としてメディアで報じられたものほど、被害が大きかったと誤認してしまう」といった傾向を指します。
例えば、飛行機事故は自動車事故よりも一度に多くの死者が出て悲惨ですので、事故の報道記憶が鮮明なため、年間の死亡者数の実データを無視して「飛行機の方が危険」と思いがちです。そこで9.11の後では、飛行機を避けて自家用車を選ぶ人が増えて、当然のことながら自動車事故が増えたと言われています。今回のCOVID-19も、一定の終息を見た後で死亡率を計算すると、インフルエンザと大差ないか、ひょっとすると低いかもしれません(そう願っています)が、恐怖心には雲泥の差があります。
ヒューリスティックは、視覚情報など脳の負担が多すぎることから、「最短で最も効果が高い (と思われる)対処法」として、「過去の経験や記憶から情報に優先度をつけて判断する」思考のショートカット機能のことで、進化的なものです。ショートカットが常に正しいとは限りませんが、結果的にヒトが今日まで生き延びてきたのですから、総じて有効な方法だったとは言えるでしょう。
しかし、それが「見えない」ものにも適用可能かどうかは、未だ実証されていません。その際の最も安易ですが、実は最も効果的な方法は、「見えないものを見えるようにする」こと、つまり「可視化」です。これによって一定範囲までは「見えない=不確実=不安」という直感的回路への耐性を作ることができます。コンピュータ・システムの売り込みで、「(社員の)貢献の見える化」というコマーシャルが流れていますが、それは理に適った方法と言えるでしょう。
しかし「見える化」ですべての問題が解消するならハッピーですが、世の中はそんなに甘くありません。Fake Newsで取り上げたように(連載第44回「公開と真実の間」)、「見えない」世界では、「何が正しくて何が間違っているのか」も、一筋縄ではいかないからです。その場合「見える化」で可能なのは、せいぜい「不安を和らげる」のが限界で、それ以上は王道に帰って、「見えないものに対するリテラシ―」を磨くしかないと思われます。
② 「偽陽性と偽陰性は不可避」と覚悟する
「あれか、これか」の二者択一の陥穽については、本連載で何回にもわたって取り上げました(第45回~47回)が、ここでは別の面から、偽陽性(false positive)と偽陰性(false negative)が避けられないことについて、注意を喚起したいと思います。新型コロナウィルスのPCR検査の少なさと遅さに疑問を感じたからでもありますが、それ以前に里見清一氏が「医の中の蛙:第123回 血液一滴の癌診断」(『週刊新潮』に連載中、2020年1月16日号)というエッセイで、次のような指摘をしていたことが直接の引き金です。
(前略)仮にあなたが「99%」の精度の検診を受けて、「陽性」つまり癌の疑いがある、と出たとしよう。これでもうほとんど癌と極まったかというと、そうとも言い切れない。検診は自分が健康と思う人が受けるもので、検査の前、あなたが癌である確率(事前確立)は高くない。仮に0.5%とする。そして検査が、癌の人の99%を正しく「陽性」と判定し(感度)、癌でない人の99%を正しく「陰性」と判定する(特異度)として、「陽性」と出たあなたが癌である確率(事後確率)は約33%である。計算の詳細は省くが、これは私が医学生の試験に出すくらいの、基礎レベルの問題である。(後略)
読者の中には、この指摘は当然のことと思われる方もおられるでしょうが、念のため33%の証明をしておきましょう。まず、事前確率0.5%の意味は、被験者全体と1としたとき、「陽性」と判定されるべき集団が0.005、「陰性」と判定されるべき集団が0.995の構成であることを意味します。
すると、「検査結果が陽性」(Tested Positive = TP)になるのは、前者の99%(真陽性 Genuine Positive = GP)と、後者の1% (偽陽性 False Positive = FP) ですから、
TP= GP+FP = 0.005×0.99+0.995×(1-0.99)=0.00495+0.00995=0.0149
上式からTPのうちGPである確率は、
GP (%) = GP÷(GP+FP)×100 = 0.00495÷0.0149×100 ≒ 33%
となります。
上式の政策的含意は、「事前確率がさほど高くない集団を検知する際には、GPよりもFPが入り込む可能性より高いので、注意が必要である」という点に尽きるでしょう。そこで注意には、2つの異なった側面があります。
① 例えば情報セキュリティに100%がないことは関係者の共通認識ですが、上記のような事例にぶつかると、ともすれば直感に反することがあることを自覚して、より慎重な判断が必要であること。
② 正確な判断を期すには、データの収集段階では「なるべく多く」集め、分析段階では「(多数の)偽陽性のものを正しく棄却する」という矛盾したプロセスが必要であること。
① はリスク管理において常に注意すべき点(直感との違い)を、② はビッグデータの必要性を教えてくれます。また後者に関連して、新型コロナウィルス蔓延の初期段階において、わが国がPCR検査を政策的に絞り込んだことの是非は、このディレンマを考える上で格好のモデルとなるでしょう。わが国は、とかく「完璧主義」に傾きやすいのですが、どんなに優れた検査法でも「誤差」つまり偽陽性や偽陰性が避けられないことは、常に頭の片隅に置いておかねばなりません。新型コロナ以前から、私たちはこのような「不確実性の世界」に住んでいるのです。
③ 情報によって情報を制御する
情報に関して、もう1つ注意が必要なことは、最初の情報(原情報)から「付随的情報」が数多く生まれることと、そのベクトルに「派生的情報」と「制御用情報」という全く方向性が違うものがあることです。派生的情報としては、著作権法における「二次的著作物」を、制御用情報としてはコンピュータ処理のための付加コード(事前に付与する場合)やログ(事後的に自動創出される場合)をイメージしていただければ良いでしょう。
ここで前項との関連でまず問題が生ずるのは、原情報そのものが「絶対的に真」であることは保証できないことです。しかし問題はそれにとどまらず、付随的情報が何段階にもわたって生み出されるとすれば、その信頼度が「べき乗」で薄れていくことです。この現象の「派生的情報」における例としては、伝言ゲームを思い出していただくだけで十分かと思います。
これに対して制御用情報における現象は、それが原情報と1対1で紐づけられていることから、2つの問題が考えられます。まず事前付与の付加コードに関しては特定の個人が推定できるのではないかという個人情報保護法上の問題があり、安全管理措置が必要です。事後創出型のログに関しても同様の問題がありますが、こちらの場合は安全管理措置という受け身の行為に加えて、ログを利用して原情報を制御するという積極的な行為も可能になります。
具体例としてすぐに思いつくのは、バック・アップです。コンピュータ・システムは時々不具合を起こしますから、早期の原状回復を図るには「どのような操作をした結果ダウンしたのか」を逐一記録しているログに頼ることになります。また、仮に不正行為によって不具合が生じたのであれば、その原因を究明したり、行為者を特定するためにもログが使われます。いずれも場合も、ログという制御用情報によって原情報を復旧したり、証拠として役立てるという操作(制御の一種)をしているのです。
これは、コンピュータ・システムの進歩とともに登場した「仮想化」の一種と見ることができます。仮想化とは、物理的な存在としてのコンピュータを離れて、ソフトウェアの工夫で「あたかも存在するかのように」コンピュータ機能を拡充することです。その際は、仮想化するのもソフトという「情報」ですが、仮想化されるコンピュータも、その実態面(有体物という属性)を離れて、「情報」という次元で扱われている、と言えるでしょう。
だんだん説明が複雑になってしまったので、COVID-19に関連付けて説明し直しましょう。第1波の流行が一段落したので、現在の関心はワクチンがいつできるかに移っています。特定の病原体に対する攻撃準備を、感染前に免疫系にさせておくのがワクチンですが、従来は「生ワクチン」と「不活化ワクチン」の2種類しかありませんでした。
生ワクチンは、弱毒化した病原体を使います。抗体に加えてキラーT細胞も誘導されるので、強い免疫反応が期待できますが、稀にうった人の体内で病原体が増えることがあります。一方、不活化ワクチンは増殖力を無くした病原体を使うため、体内で病原体は増えませんが、キラーT細胞が誘導されないことが多く、免疫反応は比較的弱いとされます。
この2者に対して、最近開発されたDNAワクチンは、病原体のうちとくに免疫反応を強く起こす「抗原」と同じ配列のDNAを合成したもので、体内では生ワクチンとほぼ同じ反応が起きます。病原体DNAの一部だけを使うため、体内で病原体が増える恐れがなく、しかも理論的には強い免疫反応が起きると期待されています。これを本稿の文脈に直せば、DNAワクチンはワクチン作成方法の仮想化で、病原体そのものを操作するのではなく、その情報を制御する方法を考えている、ということになるでしょう。
医学的な説明では、以下のようになっています。「病原体のDNAをワクチンとしたもので、注射後、DNAに従いたんぱく質が合成され、そのたんぱく質に対する免疫を獲得することで、疾患に対する免疫を得ます。DNAを投入するだけなので、抗原たんぱく質の生成が不要になります。そのため短期間で製造が可能となるのです。また弱毒化したものではないため、病原性がなく安全性が高い点も利点と言えます。ウイルスは使いませんから、製造工程の感染は起こりませんし、副作用も少ない。期間も非常に短い。」(ネット検索で見つけた表現を合成しています)。
私が『情報法のリーガル・マインド』で、「情報によって情報を制御する」ことの説明に、かなりの紙幅を割いたのは、このような現象が一般化することを予見したからですが、具体例として取り上げたのは、品質表示情報(と、その偽造)でした。「情報によって情報を制御する」ことが、まさかワクチンにまで及ぶとは、執筆当時は想定していませんでした。
④ 最後は決定者が責任を負う
そして最後は、上記3点の不確実性にも拘わらず、対策を策定する必要が生じたら即応しなければならないし、その責任は最終的には決定者が負わなければならないことです。これは、今回のコロナ騒動で私たちが見聞し、実感したことでしょう。
失敗例とされる国々(アメリカ・イギリス・イタリア・スペイン・ロシア・ブラジル)、一時的には成功したが現時点では第2波が心配される国々(韓国・シンガポール)、リスク管理の教科書には反するのに感染者も死者も少ない不思議の国(日本)など、世界はお互いを比較し、教訓を得ようとやっきになっています。未だワクチンも特効薬もない状況では、何が正解か分からないまま、責任だけは負わされるとすれば「これ以上の不条理はない」と言いたいところでしょうが、誰も許してくれません。
考えてみれば近代法は、損害賠償という形での私的な責任を、a) 故意または過失によって、b) 他人の権利か法的利益を侵害し、c) 実際に損害を生じさせ、d) 行為と損害の発生の間に因果関係が認められる場合に限っていますが、「リスク社会」ではこの4要件を満たさない異例・重大な事故が、多数発生しています。また、判例で形成されてきた「予見可能性」「結果回避可能性」という尺度も、今後も有効であるかどうかが問われています。
私たちは、このような不確実な社会に生きており、従来の発想では責任が蒸発して、誰に責任を負わせたらよいかが不確実な状況を、何とか辻褄を合わせて生き延びてきました。情報という見えないものの比重が増せば増すほど、このような状況は加速化し、拡大していくでしょう。私の拙い本が、状況の理解に若干でも貢献できたのなら、それだけで十分満足ですが、事態は私の想定を超えたスピードで進展を続けるようです。これからは、書き手を変えて、このテーマを追ってくれる若者に期待したいと思います。