名和「後期高齢者」(18)

「世代」ってなんだろう

 「世代」ってなんだろう、と考える機会が増えた。私は現役世代ではない。後期高齢者医療保険証を自分の身分証明のために使うことが多い。

 じゃあ、だれが現役世代か。アラフォー、イクメンなどいう流行語で指される人びとはあきらかに現役世代の核だろう。ただし世代という語は「性」には中立的に使われるだろう。『広辞苑』を引くと、

  「生年・成長時期がほぼ同じで、考え方や生活様式の共通した人々」

とあり、「ほぼ30年を1世代とする」と注記されている。

  私の語感では、「世代」にはやや排他的な意味を含む。そこで手元の『シソーラス』に当たってみた。多くの有名人が「世代」に言及している。そのいくつかを紹介しよう。

「それぞれの世代は、相対的な曖昧さのなかから、それぞれの使命を発見し、それを実行し、あるいはそれを裏切らければならない」

とある。フランツ・ファノンの言葉である。ああ、あの革命家の言葉か、と受けることのできる人は、自分の世代を発見したことになるのかも。

 ついで常識的な発言を紹介しよう。まず。リベラルな法律家オリバー・ウェンデル・ホームズ。

「世代とは、かれらの父がなしたと信じることを他者に期待する子供っぽさである」

 もう一つ、皮肉屋のサミュエル・ジョンソンの言葉。

「すべての老人は、・・・、新しい世代の不愉快さ、傲慢さに不満である」

 換言すれば、老人は、若い世代が新しい価値観を主張することが不愉快であり、かれら既成の価値観に無関心なことを傲慢と評する、ということだろう。本音ベースでいえば、現役世代には、じつは世代観などないのかもしれない。つまり、「世代」に関心をもつのは高齢世代のみ、ということかな。

 そうであれば、私はここで居直って、自分が現役世代だったときの関心事を列挙しても、それは許されるだろう。

 私の場合は、10代では浅草オペラとハイパーインフレと肺結核、20代では新制大学(蔑称だった)と「タイガー」(手回し計算器)と日曜娯楽版とLPレコード、30代では公害(当時は「ニューサンス」と呼んだ)と品質管理とカナモジカイ。『広辞苑』流にいえば、ここまでは子としての世代。

 ついで、40代では石油危機とバグ(ソフトウェアの)とアングラ、50代では知的所有権と公社民営化とローマ・クラブ、60代ではバブル経済とサリン事件と阪神大震災と、それからインターネットと。こちらが親としての世代。われながら雑然としているが、こうなるかな。

 ついでに私の脳裏に残っている著名人の名も順不同でメモしておこう。安部公房、梅棹忠夫、大西巨人、加藤周一、黒沢明、桑原武夫、越路吹雪、清水幾太郎、滝沢修、武谷三男、鶴見俊輔、西堀栄三郎、花森安治、松田道夫、三木鮎郎といったところか。いずれも昭和の名前ですね。外国人の名前がないのは、私が外国語を駆使できなくとも暮らすことができた時代に成長したということの反映である。

 話をもどして、ここに示したキーワードや人名が現高齢世代を特徴づける要素になるのか、私はにわかには判断できない。

 あれこれ言ったが、私たち退役世代の自己認識は、私たちは歩きスマホができない世代、つまりSNSに参加できない世代、という一点につきる。もう一つあった。それは原稿用紙を使った世代、ということ。ファノンのような強い世代観はもっていない。

 じつは、私は戦争に遭遇した世代がもつバイアスについて語るつもりであった。だが、それを果たすことはできなかった。私の文体では無理。

【参考資料】
Rhoda Thomas Tripp (compiled) “The International Thesaurus of Quotations”,  Penguin Books (引用文の編集物なので、著作権表示がきわめて複雑。そのために刊行年不明)

名和「後期高齢者」(17)

専門家との相性

 レイパーソン(すなわち患者)であっても専門家との付き合いはある。たとえば「先生」(すなわち医師)と。ここでは双方の相性というものが介在する。前回はここまで触れた。患者からみても先生は多忙。世迷言を並べ立てて先生の貴重な時間を奪うことは失礼という分別くらいはある。だから私は、診察をうける場合には、メモを持参し、余計なことは喋らないようにしている。メモを作るのは、当方の呆けで話がそれてしまうことを恐れるから、そして肝心の診断結果を生呑み込みしたまま帰ってくることがないようにしたいから。

 とはいいながらも、ついつい、先生に余計なご負担をかけてしまうことがある。いつのまにか先生に生半可な問い掛けをしている。先生は面白がってそれを受けてくれる。こんなとき、先生との相性がよい、ということになるのだろう。以下は、その例。

 ケースA:話題は、鎮痛剤の処方についてであった。私は、T剤が自分には効くと思い込んでいた。先生は教えてくれた。どんな薬でも副作用がある。いっぽう、T剤の効果はじつはあいまいである。その効用対非効用の比はきわめて大きい。だから、その服用を止めたほうがよい、と。私がつい反論した。プラシーボ(偽薬)というものもあるでしょう。本人にとっては効くのだから、ぜひ処方をお願いしたい。

 さらにお尋ねした。もし効用がなければ、薬局法では認められていないでしょう、と。先生は応えた。この画面を見てごらん、と。そして欧米諸国における、T剤の評価をつぎつぎと検索してみせた。私は外国語には、とくに専門用語には疎かったので、脱帽するだけだった。だが、先生のひたむきな姿勢に打たれた。

 ケースB:漢方の先生が語ってくれたことがある。漢方の歴史2000年というが、その成果の大部分は寿命が50歳だった時代の経験を集約したものだ。だから、老齢者にも効果をもつのかどうか、疑わしい、と。先生がなぜ問わず語りにこんなことをおっしゃったのか不明。これぞ相性のなせるわざか。

 ケースC:痛みの強さが問題となったことがある。胴回りの筋肉の痛みを訴えた私に、先生は問診票に10段階のどのへんになるか、それを記入せよと、ただし痛み「10」とは耐えられない痛みとして、と示した。これは私にとっては難問だった。現に私は先生と話をしている。とすれば「10」という答えはないだろう。

 私は先生に言った。体温計のような体調を指数化する装置はないのでしょうか。たとえば、「痛み計」というような。先生は苦笑いしながら、だから触診がある、と応じた。そして、私を横臥させ、全身にわたり、筋肉の反射を確かめ、くわえて刷毛で触覚の有無を調べた。

 痛みの指標化にもどる。じつは私は米国の法廷で、fMRIの画像が痛みをもつ証拠になるかどうかという論争があったことを知っていた。とすれば、fMRIの画像を痛み計の替わりに使うことはできないのか。たまたま「痛みの機能的脳画像診断」という論文を見つけたので読んでみた。

 この論文はレイパーソンには難解ではあるが、「痛み計」の実現可能性については肯定的であるかにみえる。くわえてfMRIによる画像診断も提案されている。ただし、その厄介さも紹介されている。

 まず、痛みの定義だが、それにはその部位や強度を弁別する感覚的な要素、不快感をもたらす情動的な要素、注意や予知とかかわる認知的な要素などと関係し、それも活発化であったり、抑制的であったりするという。痛がる写真を見せられただけで痛みを感じたり、注射のときに「チョットチクットシマス」と言われると痛みを抑制されるのも、その例であるという。

 話はさらにそれるが、プラシーボがどんな形で痛みの伝達を変えるのかという点で、論争が存在するらしい。 この解明のためにfMRIによる実験が役立ったという論文をみつけた。レイパーソンの私にその当否を判断する能力はないが、すくなくともこの論文をたどっているあいだ、私は自分の痛みを忘れることができた。私をこんなところまで誘導してくれた先生に敬意を表したい。

【参考資料】
Tor D. Wager  et  al.‘Placebo-Induced Changes in fMRI in the Anticipation and Experience of Pain‘, “Science”, v. 303,  pp. 1162-1167  (20  Feb. 2004)
名和小太郎「脳fMRIはハイテク水晶体か」『情報管理』, v.52, n.1, p.55-56 (2009)
福井弥己郎・岩下成人「痛みの機能的脳画像診断」、『日本ペインクリニック学会誌』、v.17,  n.4 , p.469-477  (2010)

 

名和「後期高齢者」(16)

「つねに先生」?

 米国の法学雑誌をブラウジングしていると、よく「レイマン」(layman)という単語にぶつかる。手元の英和辞典を引くと、「聖職者に対する平信徒」「専門家に対するしろうと」とある。念のために『オックスフォード英語語源辞典』にあたってみたが、語源はラテン語かギリシャ語、それ以上は不詳とある。しろうとを自認して、あちこち首をつっこんで喋りたがる私にとって、「レイマン」あるいは「レイパーソン」は気になる言葉。

 知り合いの専門家に聞いてみた。まず非主流派の法学者からの返事。そういえば「レイマン」は日本では聞かないが、英語圏ではよく聞くね。ただしそこに悪意はないようだ、と。つぎに大ボスの医者からの回答。私たちは「患者」(patient)か「依頼人」(client)と呼ぶね。前者は医療サービスについて、後者は介護サービスについて。ついでに中堅の文化人類学者に聞いてみた。自分たちは「レイマン」という言葉を使ったことはないが、「レイマン」と呼ばれることがある、と。

 視点を変えよう。たまたま手元にあった日本老年医学会編の『薬物療法ガイドライン』について、そこに示されていた専門用語をブラウジングしてみた。ここには、難読な、さらには難解な専門用語が頻出する。例示してみよう。壊死、悪心、潰瘍、誤嚥、骨粗鬆症、重篤、蕁麻疹、喘息、蠕動、脳梗塞など。いずれもレイパーソンの日常語として定着してはいるが、それを書けといわれると多くの人は困却するだろう。つまり、このようなジャーゴンを駆使できる人が専門家ということになるようだ。

 ついでにもう一つ。医師は端末からその所見をキーボード入力しているが、それは日本語なのか英語なのか。つまりかな漢字変換なのか、ローマ字漢字変換なのか、あるいは英字英語変換なのか。いずれを選択するかによって、医師という専門家への閾値は違うだろう。(ドイツ語はどうなのかな。『ガイドライン』の文献表には見当たらないが。)

 話はとぶが、私はある病院で治療を受けるかどうか迷ったことがある。それをみて担当医師はいった。あなたが自分で勉強しないかぎり、どの医師の答えも同一だ、医師にはEBM(Evidence-Based Medicine)用の学会編纂のマニュアルがあるから、と。患者の症状が『ガイドライン』の示すフロー・チャートからそれているときには、患者はそのフロー・チャートを完成するために、同意書なるものに署名しなければならない。

 そういえば、私自身、全身に痛みを感じた時のことだ。私は内科→外科→整形外科と遍歴した。このときに、専門科ごとに触診、CT検査などを受けさせられた。私はこのときに理解した。専門家は、病気を専門用語のみではなく、それを患者の身体のなかにおける実体と照合しているのだ、と。これを、小説家のギュスターヴ・フローベールは「医者はみな唯物論者」とまとめている。

 視点を変えよう。しろうとの患者はどのようにして自分の主治医をきめるのか。およそ二つの型に分かれる。自分で探す人、だれかの示唆にとよる人。前者の例として、統計学者Mさんがいる。(私はそのMさんからご自身の闘病記を頂戴した。同病相哀れむよ、ということだった。)

 二つ目の型には誰かかの紹介。私がかつて30年間ほどかかりつけ医として頼った医師がいた。職場の上司から旧制高校の同級生だとして紹介された人だった。その医師は患者用の椅子と自分用の椅子とを同じ仕様にしていた。通常、椅子は医師のほうが非対称的に立派である(第3回参照)。(その人は還暦をすぎると廃業し、自分は国境なき医師団の一人として海外にでかけてしまった。)

 じつは三つ目もある。それはテレビなどで評判の名医を追いかけること。この追っかけが私のヨガ教室仲間にもいた。その仲間はこぼした。相手が偉くなるほど勤務先が変わったり、予約日にいっても多忙でお弟子さんが代診したり、というようになりがちだ、と。

 *

 私のかかりつけ医は、当方がクリティカルな状況になると、ただちに専門病院へ紹介状を書いてくれた。医師になった友人の話によると、医師は自分が全能でないことを自覚しているので、その相互補完のためにそれぞれがネットワークをもっているはず、だから疑心暗鬼になるな、という。つまり個々の医師の後ろには専門家集団が控えているから安心せよ、というのだ。

 その友人に質した。医師と患者とのあいだには相性というものもあるだろう、と。そうだな、相性以前の問題があるね、との答え。新しい患者は、顔を覚える前に来なくなる確率が多い。それが治癒したためか、信頼されなかったためか分からない、と。この話を聞いた後、私はお礼のフィードバック――年賀、暑中見舞いなどを含めて――をお世話になった先生に出すことにしている。フロー-ベールにもどれば、かれは「医師」を「つねに先生」とも定義している。

 くどいが、私は自分の病状について、自分の思いを「つねに先生」に十分に語れたという経験がない。それはつぎのような悩みである。

(1)私は、現在、n種の病気をもっている。(2)それぞれの病気は、診療科が違う。しかも、個々の診療科の医師から見ると、いずれもトリビアルな症状のようだ。(3)だが、患者の私にすれば、その苦痛は、個々の症状の線形結合(足し算)ではない、交絡する部分(掛け算)がある。

 このへんの患者の迷いを、ぜひ「つねに先生」には留意してほしい。

【参考資料】
ギュスターヴ・フローベール(山田爵訳)『紋切型辞典』、青銅社 (1978)
紋切型辞典 (1982年)
宮川公男『統計学でリスクと向き合う』、東洋経済新報社 (2007)
統計学でリスクと向き合う―あなたの数字の読み方は確かか
日本老年医学会編『高齢者の安全な薬物療法ガイドライン』、メジカルビュー社 (2015)
高齢者の安全な薬物療法ガイドライン2015

名和「後期高齢者」(15)

お手洗いの広さ、狭さ

 ヒトにとって最適な狭さとはどんなものか。こんな取り止めもないことを考えたのは、かつて入院したときのこと。たとえば、お手洗い(以下、WC)の広さ、あるいは狭さ。

 患者は、たとえば点滴棒をもってWCを利用する。その点滴の管はなんにでも――扉の把手、ベッドの手摺、衣服の紐、点滴棒自体などに――絡む。

 WCは患者ならずとも、ヒトにとって必須の人工空間である。それは時代を問わない。すでに平安時代、紫宸殿には「御手水(ちょうず?)ノ間」があり、そこには多様な「澡浴の具」が置かれていたという。それはサービスの標準化を含む有職故実として定着していた。

 まず、WCの機能について確認しておきたい。私の手元に50年ほどまえに切り抜いた資料がある。それは洋式便器の図面だ。タイトルも出典も著作権表示もなし。

 面白いのはこの紙片が便器をコンピュータと比較していることにある。水槽を「主記憶装置」、水や排泄物を溜める部分を「中央演算装置」、排水レバーを「ファンクション・キー」、便器の蓋を「周辺装置」、給水・止水栓を「サージ制御装置」、巻紙ケースを「ソフトウェア」、排水路の清掃用刷毛を「デバッキング・ツール」、そばに置いてあるバケツを「バックアップ・システム」、そして便座を「インターフェイス」としている。くわえて「オーバー・フロー」――インプットとアウトプットによるエラー――として床の上に液体が零れている。隅にはマウスが走っている。現在では、さらにウォシュレットが、その操作盤(大と小、温と冷など)とともに付けられている。ユーザーはこれを日常的な道具として操作しなければならない。

 最近、「誰でもトイレ」が公共空間に設置されるようになった。ここでは狭さにたいする指向は抑制され、多様なユーザー――例、障害者、高齢者、子供連れ――が使えるように、WCは多機能化されている。当然、空間も広がり、WCと人間とのマン・マシン・インターフェイスが複雑になる。このインターフェイスが今回の話題となる。

 私は多機能型のWCを使わしてもらったことがあるが、そのときに不具合をしでかした。排水ボタンがどこにあるのか、それを見つけることができず、うっかり間違って緊急呼出しボタンを押してしまったのだった。

 このとき、便座に坐った私の体位では排水レバーの位置が背後になっていた。私は排水レバーを体を捩じって探しているうちに、私の衣服のどこかかがウォシュレット制御盤のどこかに触れたらしい。その制御盤の位置だが、壁に貼り付けられていたり、便座の脇に組み込まれていたり、さまざまである。ということで、WCのユーザー・インターフェイスは複雑かつ多様である。

 この辺の事情は、たぶん、「ノーマライゼション」、「ユニバーサル・デザイン」、「バリア・フリー」などいう概念を駆使する専門家諸氏がすでに議論されていることだろう。だが、シロウトの私があえて言いたいことは、モノの標準化とともに、サービスの標準化がここに絡んでいることである。

 ということで、WCのインターフェイスは、その狭さ、あるいは広さもかかわるだろう。私は、たった一度ではあるが、茶室のようなWCに案内されたことがある。半世紀もまえのことなので記憶は不確かだが、違い棚があり、床は畳敷、一隅の躙り口のような場所に便器があった。このときに落ち着かなかったことといったら。先に紹介した御手水ノ間が現代にも残っていたということか。私の世代は、たとえば三等寝台「ハネ」の狭さに慣れていたので、狭さに慣れていたのかもしれない。そういえば「坐って半畳、寝て一畳」という言葉もあった。

 つまりWCの場合は、空間の広さ狭さも快適さにかかわるインターフェイスとよぶことができるかもしれない。そういえば、建築家のル・コルビュジエも「モジュロール」という生活空間用の尺度を提案していたよね。

  *

 近年、ヒューマン・インターフェイスの関係者のなかで「ユーザビリティ」という理念が検討されている。ここでは、その対象にシステム、製品とともにサービスを含めている。そのサービスは「ユーザーが実現を欲する結果を容易にすることにより、そのユーザーに価値を提供する方法」と定義されている。ここで与えられるユーザー満足度を「ユーザー・エキスペリエンス」と呼ぶらしい。

【参考資料】
河鯺実英『有職故実:日本文学の背景』、塙書房 (1960)
有職故実―日本文学の背景 (1971年) (塙選書〈8〉)
戸沼幸市『人間尺度論』、彰国社 (1978)
人間尺度論 (1978年)
福住伸一「サービスエキセレンスに向けた人間工学の動向と関連規格」『情報処理』、 v.59, n.5, p.421-424 (2018)
「「だれでもトイレ」誰でも使える?」、『日本経済新聞』2018年7月6日夕刊、p.5

 

名和「後期高齢者」(14)

待つ

 大阪北部で地震が発生した。テレビで伝えられる映像は「待つ」人びとの姿であった。電車やバス、タクシーを待つ、路の空くのを待つ、消防車を待つ、給水を待つ、お手洗いを待つ、ゴミの収集を待つ、電力供給を待つ、ガスの供給を待つ、など。映像にはならなかったが、スマホの充電を待つ、エレベータからの脱出を待つ、もあったよし。ここだけをみれば、「いつやるか? 今でしょ!」ということになる。

 いま「待つ」といったが、その姿は多様。上記の地震についても、公共空間で待つ場合(例、バス)もあれば、密室で待つ場合(例、エレベータ)もある。対応措置を的確にするために待つ場合(例、鉄道)もあれば、対応措置が不十分だったために待つ場合(例、水道)もある。(注:この地震による復旧の待ち時間は、通信は、まあ、なし。電力は2時間、鉄道は丸1日、水道は3日間、ガスは6日間、と報道されている)

 自分がこのような「待ち」に巻き込まれていたらどうなる。高齢者となってしまった私は、つまり知力と筋力を失ってしまった私は、どれにも対応できない。路上に寝そべるしかない。戦中世代流にいえば「倒れてのち止む」の精神かな。私はかつて突然の体調不良に襲われたときに、救急車を呼んだ自分の取り乱した姿を思い出した。こんなことをしたら、渋滞を加速するのみ――これは理解しているのだが。

 「トリアージ」(患者の重症度に基づいて治療の優先度を決定する)という医療処置にかんする選別法がある。私の場合はどうなるのか、そのフロー・チャートをたどってみた。結論は、カテゴリーⅢの保留群、つまり緑のタグを付けられて現場に放置される身、となった。

 この「待つ」だが、この言葉は私たちの世代にとっては眩しい感触をもつ。戦争が終わり、海外から一挙に流入してきた新しい技術の一つに「オペレーションズ・リサーチ(作戦研究)」があり、その中心にあった手法が「待ち行列」であった。

 もともと「待ち」は理系の人びとにとって、興味の対象であった。寺田寅彦には「電車の混雑について」、あるいは「断水について」といった小文がある。前者の趣旨は、「満員電車で急ぐか、空いた電車を待つか」は、その人の趣味と効用感覚による、というもの。後者の要旨は、第1にインフラの保守を忘れるな、第2に対応措置を分散化せよ(自家用の井戸を作れ)、というもの。つけ足せば、近年でも『渋滞学』などという本がベストセラーになった。

 話をもどす。高齢者の避けて通れない「待ち」にはなにがあるか。それは病院の待ちである。まず、受付の待ち、ついで検査の待ち、ついで診察の待ち、ついで治療の待ち、ついで会計の待ち、ついで診療費支払いの待ち、さらには門前薬局での待ち。大病院だと、一日がかりとなる。冬だと、「星ヲイタダイテ出デ、月ヲ踏ンデ帰ル」という所業にあいなる。

 病院の待たせ方も多様。予約時刻順、先入れ先出し(first in, first out)が原則というところがまあ標準である。だが、そこに初診を割り込ませるアルゴリズムは不明。それは担当医師の気分しだいなのかもしれない。とにかく上記のアルゴリズムはどんなものか。この探索は拘忌高齢者(㏍)にとって絶好の頭の体操になる。ということで、㏍は診察室への呼込用掲示板に示される番号を注視する。

 そんな病院で、私はたまたま隣りの席に坐った人から問わず語りに聞いた。それはおよそ他人には予想もできない待ちに堪えることであった。その人はオーケストラの追っかけをしており、つい先日にはセルビアへ行ってきた、などとさらりと言ってのけた。その人の悩みというのは、演奏会において、ながい曲の終わりを待つのが、あるいは楽章のあいだの切れ目を待つのが苦しい、とのこと。喉をいためているので咳払いを我慢しているのが辛い、というのだ。これぞ㏍の究極の姿というべきか。そういえば私も寄席で中座をしてしまったことがある。突然、食中りの症状になったためであった。

 最後に「待ち」を詠んだ句を一つ。

     バスを待ち大路の春をうたがはず  波郷

 この句についてだが、㏍には違和感がある。作者の若書きであり、くわえて当時には「後期高齢者」などという概念がなかったためだろう。

【参考文献】
寺田寅彦「電車の混雑に就て」、『万華鏡』、岩波書店、p.137-154 (1935)
吉村冬彦「断水の日」、『冬彦集:復刻版』、岩波書店,  p.372-384  (1987)

名和「後期高齢者」(13)

本を棄てる

 北大阪地震の報道を聞きつつ、私の脳裏を3.11の記憶がフラッシュバックした。その記憶を私の日記はつぎのように記している。

14時過ぎ、巨大地震、3回揺れる。M8.8(注:翌日9.0と変更)。震度5。長周期の揺れが数10分続く。この住まいはダメかと観念。本(ほぼ半数)とファイル(全部)は棚より落ちる。位牌は仏壇より跳びだす。テレビ台とCDラックは床を滑るが倒れず。鏡(100cm×20cm)が壁より脱落。

 このあとで私の苦労したことといえば、棚からこぼれ落ちた多くの本の片付けであった。本には重さがあることをこのときにはじめて痛感した。私はみずからの知力、体力に不相応な量の本を「死蔵」していたこと改めて知った。これは拘忌高齢者(㏍)の宿命だった。ということで、以下、話題を「本の重さ」に移す。

 宗教学者の山折哲雄が語っていた。「人生の重荷、その最たるものは書物」と。たぶん、多くの㏍は同様な愛着を本にもっているのではないか。この愛着は印刷技術の開発される以前からすでに存在し、書物は、たとえ写本であっても、机に鎖で結びつけられていた。大正期には、丸善を通さないで洋書を入手し、それをだれにも貸さない学者がいたという(和辻哲郎の言)。

 くわえて、ヒトは高齢者といえども、1日の半分以上は体軸を重力軸に添わせている、という。しかも、骨格も筋力も衰えている。結果として㏍は本の重さに苦しむという体たらくになる。とくに辞書とか美術書のたぐいは重い。私がしょっちゅうお世話になる『広辞苑』(初版)も“Etymological Dictionary of the English Language”も、その重さは2.5キロ弱といったところか。

 こんな事情で、退役後の私には、本の終活が重要な関心になった。その実践法の一つとして、地震災害後の書籍の片づけという意識が生じたこととなる。

 本の終活には、それを必要とする方がたに寄贈できればよい。だが近年は本が溢れ、くわえてその電子化も増えているので、引き取り手を見つけることが至難の業となった。私はある市役所から、本棚の寄付は歓迎するが本自体はダメ、と言われたこともある。結局は若い友人に、さらにはゴミ廃棄業者に頼み込むとことになる。

 本の終活には、まず、棄てる本を選別しなければならない。

(1)厚い本、重い本は棄てる。
(2) 出版年の新しい本、すでに文庫本化されたものは棄てる。
(3) 全集本、シリーズものであっても不必要なものは棄てる。
(4)外国語の本は棄てる。読むために不可欠な辞書が重く、そのフォントも小さいので。
(5)著者より恵与された本は手元に残す。
(6)慌ただしい時期――転居前、退院後、地震後など――を選ぶ。迷いを断つために。
(7)ジャーナルは棄てる、あるいは配布を謝絶する。増える一方なので。

 だが、これらの心づもりは乱れがち。手元には、まだ厚さ7センチという洋書(ケルビンの伝記)が残っていたりして。

 あれやこれやで、北大阪地震のあとでは、私は大阪地区にお住まいの多くの知友の書庫のありさまが気懸かりだった。そこにMさんからメッセージが届いた。それは乱雑に積まれている本の写真であった。私はさっそく反応した。「あと片付けがたいへんでしょう」と。

 同時期、たまたま私はKさんと「本の死蔵」についてやりとりをしていた。死蔵にこだわる私にKさんは適切(?)なコメントをくださった。「死蔵している本の中身がすべて白紙ということもあるでしょう」と。そういえば、ポーランドの作家スタニスタフ・レムは「存在しない本」にたいする書評集を出版していた。とすれば私はムダな苦労をしていたことになる。

 Mさんの写真にもどる。Mさんは私のコメントに早速返事をくれた。「じつは、あの写真は平常時の私の部屋の姿なんです」とさ。

 もう一つ、大切なことを忘れていた。本をまるまる暗記してしまえば、私は重力場の束縛か抜け出せる。たとえば、ルイ・ブラッドベリは『国家編』『ガリバー旅行記』『種の起源』を暗唱できる人びとがいたと伝えている。ただし、私にとって、これは非現実な解。なにしろ記憶力は単調減する一方なので。

【参考文献】
山折哲雄「私の履歴書①」、『日本経済新聞』,2018年3月1日朝刊,文化欄
和辻哲郎『ゼエレン・キェルケゴオル(新編)』、筑摩書房、(1947)
名和小太郎「“積ん読”の終わり」、『本とコンピュータ』,2期16号 (2005)
スタニスラフ・レム(沼野充義・他2氏訳)『完全な真空』、図書刊行会 (1989)
ルイ・ブラッドベリ(宇野利彦訳)『華氏451度』、ハヤカワ文庫 (1975)

名和「後期高齢者」(12)

同意する

 ひょいと気づいたら、私は携帯で指示を受けながらATMを操作している老人そっくりの状態に置かれていた。ただし、私のまえにあったのは固定電話であり、PCであった。私はすでに同意ボタンをクリックし、数件の個人情報を入力していた。数年前のことであった。

 相手は大手電話会社の代理店と名乗り、新しいサービスへの契約を代行したいと提案してきた。私はそのようなサービスが計画されていることを知っており、そのサービスに興味をもっていた。相手は丁寧に時間をかけてこちらの疑問に答えてくれ、気が付いたらすでに同意ボタンを押していた、ということ。しまったと思い、私は相手との通話を切った。

 直後、私はグーグルで当の代理店の評判を検索した。そしてよくないコメントを少なからず見つけた。私はまず当の代行システムに再アクセスし、さらなる上書きによって先刻の入力を無効化し、つぎに区役所の消費者保護センターの手助け得て、当の契約を解消することができた。

 ところで、この「同意する」だが、契約全文をキチンと読んでこれをクリックする人は何人いるのだろう。昔話だが、電電公社の時代、私はその約款が100ページを超えていたことを覚えている。時代が移り、サービスが多様化し、利害関係者が増大した現在、契約に関する文書は、より複雑になり、より増加していることは容易に推測できる。

 だから、ユーザーのリテラシーは、とくに拘忌高齢者(㏍)のリテラシーが、サービスの多様化に追いつかない、ということになる。矢野さんがこのホームページを運用されているのも、このリスクを抑えたいためだろう。

 そういえば、かつて「シュリンクラップ」という契約方式があった。それはソフトを記録したCDの購入について、そのパッケージを破った時点で契約が成立するという商慣行であった。とすれば事業者は考えるだろう。「ブラウズラップ」あるいは「クリックラップ」があってもよいではないか、と。前者はユーザーがソフトをダウンロードした時点で、後者はユーザーが「同意する」をクリックした時点で、よしという方式となる。

 調べてみたら、すでに米国の経済学者は「インフォームド・マイノリティ仮説」という概念を示していた。市場に敏感な買い手がいればそれで十分、という説。なぜならば、それで市場の競争は維持されるから、と理由を示した。だがオンライン取引の実情をみると、利用規約をクリックし、ここに1秒以上滞在したユーザーは0.12%にすぎない、という報告もあったりした。

 いっぽう、米国の法廷は「平均的インターネットユーザー」という概念を示し、平均的ユーザーが認知できればよいという提案を認めたりしている。この概念を受け入れれば、大部分の人はスマホやPCをもっており、したがって「平均的インターネットユーザー」に入ってしまう。この理解は上記の「インフォームド・マイノリティ仮説」のそれと折り合うものではないが。

 ということで「同意する」の理解には諸説あるようだ。当面は「存在するものは合理的である」という哲学にでも頼ることとしようか。その結果か、私は自動更新のサービスをいくつか、それも何年も、続けている。

 たまたま昨日、手元に「アマゾン・エコー」がとどいた。そこで質問した。「アレクサ!“同意する”とはどんなこと?」。アレクサは答えた。「すみません。わかりません」。

【参考文献】
名和小太郎「ブラウズラップ、クリックラップ、スクロールラップ、あるいは?」『情報管理』 v.58, n.8, p.564-567  (2015)

名和「後期高齢者」(11)

友だちの友だち

 「友だちの友だち」という関係を6回くりかえせば、地球上のだれとでも知り合いになれるという研究成果がある。ここでの友だちはファースト・ネームで呼び合える仲とされている。研究者の名前をスタンレー・ミルグラム、この現象を「6次の隔たり」と呼ぶ。

 この話を聞いたとき、もう十数年もまえの話だが、私も追試をしてみた。ただし私の目標は2次の隔たりまでたどること、と矮小化した。このために、まず、私とまったく交流のない人、そんな人の自伝を購入し、そこへ登場する人物のなかに私の知り合いがいるかどうか、確かめた。

 その自伝としては、相手が日本人であること、世代が重なっていること、人名索引の充実していること、とした。この条件を充たすサンプルとして、私は柴田南雄の『わが音楽 わが人生』を選んだ。巻末の索引には1000人を超える人名があり、うちほぼ7割は同時代の日本人名だった。

 私自身びっくりしたのは、ここに私の知人が6人も見つかったこと。小学校の同級生のNさん、大学教師であったTさんとBさん、たぶん役所の審議会でご一緒したJさん、飲み友だちだったKさん、そして近所付き合いのもう一人のTさん、だった。Jさんの記憶は消えているが、確かめたら名刺は手元に残っている。つまり私は大作曲家の柴田南雄と「友だちの友だち関係」を6つももっていたことになる。当方はしがない企業人の一員であったにもかかわらず、だ。 

 じつは「友だちの友だち関係」(2次の隔たり)のまえに、「友だち関係」(1次の隔たり)がある。それはファースト・ネームで呼び合う関係、年賀状交換の関係、名刺交換の関係、共同研究者、師弟、ヨガ教室の仲間など。私たちはそれぞれに対して、自己についてここまでは開示、ここからさきは隠蔽と使い分けている。

 なお、本人の氏名は公共領域にあるが(第9回)、その友だちは本人のプライバシーに属する。

 フェイスブックはこのような友だち関係を含む「友だちの友だち関係」を、それも隔たりの次数を制限せずに、捌けるのだろうか。拘忌高齢者(KK)たる私には素直には信じられない。

 それにしても、フェイスブックでは、友だち1000人を超す顔をおもちの方が少なくないのにはただただ感嘆するばかり。モーツァルトの、「さてスペインでは おどろくなかれ 千三人 千三人 千三人」というカタログの歌を、つい連想したりして。

 はっきり言って、友だち1000人の人と友だち10人の人とでは、「いいね」の価値が違うだろう、ということ。そういえばプロスペクト理論もあったよね。たしか、富者と貧者とでは同じ一万円であっても有難みが違うよね、というあの理論だ。「友だちの友だち関係」はどこまで「スケールする」のかな。

 ところで私の場合だが、友だち数は142人、うち77人が1次の隔たりをもつ人、さらにいえばうち5人が80代の方である。だが、80代の方はほとんど黙して語らない。私の本音は同世代の方と㏍としてよしみを復活したかったのに。しかも、ほとんどの方が好奇高齢者あるいは高貴高齢者になっておられるのに。

 これで文章を閉じるつもりであったが、思いがけなくも、フェイスブックに好意的ともいえる意見を発見した。それを引用しておく。

「平生さしたる要用はなきときにも、折々一筆の短文にて、互いに音信を通ずるの習慣を成し来れば、マサカの時の大事に鑑み、片言以て用を弁ずる利益あり。」

 発表は明治29年、著者は福沢諭吉である。\(^o^)/

【参考文献】
柴田南雄『わが音楽 わが人生』、岩波書店 (1995)
アルバート=ラズロ・バラシ(青木薫訳)『新ネットワーク思考:世界のしくみを読み解く』、NHK出版、p.41-62 (2002)
新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く
福沢諭吉「交際もまた小出しにすべし:福翁百話(五十八)」『福沢諭吉全集:第十一巻』岩波書店, p132-134 (1981)

名和「後期高齢者」(10)

「いいね」の意味は?

 この呟きブログをはじめてほぼ半月、他愛のない拘忌高齢者(KK)の独り言につきあってくださり、「いいね」といってくださった方が十数人いらした。ありがとうございました。現役の方からはネグリジブル・スモールじゃないかと冷笑されるかもしれないが。

 びっくりしたのは、船山隆さんからの「マーラーを連想したよ」というコメント。その真意をただしたら、「嘆き節の振りをしていながら、じつは攻撃的なメッセージだね」との答えをいただいた。褒められたのか、けなされたのかは図りかねたが、船山さんはマーラー研究の専門家であるので、私自身としてはどちらにしても嬉しい。

 ここで本論に入る。もし、船山さんの上記のフェイスブックでのコメントに私が「いいね」を返したら、どうなるのかな。私は自分の攻撃性を自認することになってしまう。「いいね」の含意は複雑ですね。近年、「いいね!」「超いいね!」「うける」「すごいね」「悲しいね」「ひどいね」などと細分化された表現ができたのは、このためかとも思う。

 ただし、上記の細分化表現は、いずれも相手に共感を寄せるメッセージと理解できる。とすればフェイスブックは共感メッセージの交換システムという役割をもつ、と解してもよいだろう。ここに注目すればフェイスブックはユーザーに共感せよというアフォーダンス(第2回)をもつ。このアフォーダンスは物理的にも心理的にも孤立しがちなKKにとって望ましい特性となる。

 そのアフォーダンスは友だちリクエストという仕掛けで実現されている。くわえて友だちリクエストは「友だちの友だちは友だち」というルール(詳しくは次回)に支えられている、ともみえる。

 ここで私のフェイスブックとの付き合いを振り振り返ってみたい。7~8年前のある日、突然、数十年間、行き来のなかった知人から友だちリクエストが届いた、これがきっかけ。ちょっと戸惑ったが、懐かしさが先だって、「承認」を返した。その後、多くの方からリクエストがあいついで舞い込んだ。いずれも面識のある方からであり、「承認」を返した。

 ただし友だちの数が30人を越えるころになると、面識のない方からのリクエストが舞い込むようになった。私自身、とうの昔に退役しているし、自分の仕事に対する引用数などロングテールに埋もれてしまっているので、嬉しかった。

 私は、古臭いねと言われることを自覚してはいるが、それでも

           マジック・ナンバー=7±2

というJ.ミラーの法則を信じている。だから7人はともかく、同時に数10人の方と友だち付合いできるとは思わなかった。ここにいうマジック・ナンバーとは一度に処理できる短期記憶の数、つまり「統制の限界」を指している。(私はこの数を、占領軍が日本のビジネス界に残した下士官教育で学んだ。その教科名をManagement Training Programと呼んだ。)

 ということで、私は100人をこえる友だちをもつ方からのリクエストと「友だちの友だち」からのリクエストは謝絶することにした。いずれも私の統制の限界からはみ出してしまうから。

 当初、私は内心では友だちの数の上限を7人にするつもりであったが、ほとんどの方がすでに30人以上の友だちをお持ちなので、そして私自身の友だち数がすでに30人を超えてしまったので、上記のようにした。それでも、私自身の友だちは、思いがけない方がたからのリクエストに戸惑いつつ、現在142人にもなっている。なかには、30年ぶりで旧交を温めた人もいる。退役したものにとっては予想外。

 入稿後に林紘一郎さんから下記のようなメールを頂戴したことを思い出した。すっかり忘れていた。それを紹介しておきたい。

以前、「年長者がネットで意見交換できるのは、30人が限度」というメールをいただいたかと記憶します。また、それをインターネットの世界では著名なEさんに伝えたら、「30人ないし∞」という彼らしい反応があったことも、お伝えしたかと思います。
ところが、ネット・ジャーナリストとして著名な、中川淳一郎さんの『ネットのバカ』(新潮新書)を読んでみたら、何と彼自身も「30人の法則」を主張しているではありませんか(p.213以降)。
これはもはや「年長者の法則」ではなく、「普遍的法則」あるいは「ネットのバカが認めようとしない法則」ではないかと思った次第です。ぜひ、ご一読を。

【参考文献】
船山隆『マーラー』,新潮文庫  (1987)
マーラー (新潮文庫―カラー版作曲家の生涯)
名和小太郎「7±2」『情報セキュリティ:理念と歴史』、みすず書房、p.43-44 (2005)
情報セキュリティ―理念と歴史

 

名和「後期高齢者」(9)

名前はだれのものか

 地図から地名へと追いかけてきたので、つぎは地名から氏名へとたどっていきたい。

 電話をかける。「こちらナワです」。相手が聞き直す。「お名前は」。「ナワです」。「もう一度」。・・・。こんな問答を数回くりかえしたあと「名前のナと平和のワです」。これは私にとって日常的な現象。たしかに、私の姓は短くかつ子音がないに等しいために、聞きとりにくいのだろう、と思う。

 私の知人に本田さんと本多さんと誉田さんがいるが、皆さん、私の場合と理由は違うが、同じようなご苦労をなさっているのではないかな。漢字に「アルファのA」、「ブラボーのB」というようなフォネティック・コードのないことが厄介。

 フォネティック・コードで思い出したが、かつてアマチュア無線では、ユーザーには「暗号を使うな」という縛りが課せられていた。当時、この暗号には俗語も含まれており、うろ覚えだが、たとえば養毛剤だったかの商品名を「この先、凍結」という意味に転用することについて議論があった。

 スマホが、そしてSNSが日常的な環境に組みこまれた現在、この規制はとうに消えてしまったかと思うが、もしいまでも生きているとすれば、「いいね!」も、親指の絵文字も、暗号になるのでは。

 ここで本題に入る。地名の一意性、そして不変性を確保するためには、その番号化がよいだろう、と――これが前回の主題であった。この論議の先に、戸籍名の扱いとその番号化とがある。

 まず戸籍名について。それを表現する字体は、その初期値のまま世代を越えて継承される(婚姻、養子縁組といった例外はあるが)。その字体が権威ある漢字辞典に載っていなくとも、俗字、誤字であっても、本人はそれを改めることはできない。不満な人は芸名、筆名、字(あざな)などを使う。屋号というものもある。ハンドル・ネームもある。つまり戸籍名は本人のものではない。それは自治体のものらしい。諸説あるようだが。

 つまり、戸籍名は不変性を確保している。だからといって、戸籍名はその一意性を保証するものではない。同性同名の方は多い。フェイスブックで友達リクエストをするとき、複数の同姓同名の候補者が現れ、そのどれが当の本人かに戸惑うことは、だれもがもつ経験だろう。

 とすれば、一意性を確保するためには、氏名についても、その番号化が、つまり個人番号が、必要という流れとなる。ただし、個人番号をとる手順は厄介。このためには本人確認のためのトークンが必要である。それは旅券、運転免許証、健康保険証など。(そう、私の少年期には米穀通帳という身分証明書もあった。)

 いっぽう、旅券、運転免許証などを入手するためには個人番号カードなどが必要。ということで循環論法になる。ここでは「クレタ人は嘘つきだとクレタ人は言った」などとややこしいことは考えない。

 循環論法から脱出するためには、一意性、不変性を保証できる身分証明用のトークンを探さなければならない。それは失ってしまったり、盗まれたりするものであってはダメということになる。つまり、本人自身を、たとえば本人の容貌を、あるいは本人の遺伝子配列を、身分証明用のトークンとしなければならない。

 この点で、氏名は、そして個人番号も、本人自身の識別用としては十分ではない。そのカードがどこかに紛れ消えてしまうこともあり、そのデータが他人にコピーされることもありうるから。

 作家のホルヘ・ルイス・ボルヘスはこの面妖な「私」の識別法について語っている。「私は私自身のなかにではなく,ボルヘスのなかに留まることになろう」と。ここにいう「ボルヘス」とは本人識別用の戸籍名、あるいは個人番号に、また「私」とは本人の容貌、あるいは遺伝子配列に相当するのかな。あるいは逆かな。われながら混乱してきた。

 話をもどす。戸籍名は本人のものではなかった。しからば個人番号についてはどうか。それには住民基本台帳の番号とマイナンバーとがある。前者は本人にも秘匿されていたが、後者は本人はおろか第三者にも開示されている。後者は前者からあるアルゴリズムにしたがって変換されたものであるにもかかわらず、だ。だから前者も後者も本人のものではないことは自明。

 そもそも論でいえば、名前は「呼びかける」というアフォーダンス(第2回)を持っている。だから、孤立しがちな拘忌高齢者(KK)としては自由に使いたい。だが、どうだろう。近年、町内会名簿、同窓会名簿などは私たちの周辺から消えてしまった。私たちの社会が、いつの間にか、プライバシー保護という泥沼に足をとられている。

 KKとしては、「まだ名前はない」と猫の真似でもしてみるか。

【参考文献】
ボルヘス, ホルヘ・ルイス( 牛島信明訳)「 ボルヘスとわたし」『 ボルヘスとわたし:自撰短篇集』. 筑摩書房, 2003. p.158(原著 1956)
ボルヘスとわたし―自撰短篇集 (ちくま文庫)
名和小太郎「納税者番号制度にかんする思考実験」『電子メディアとの交際術』、勁草書房、 p.224 (1991)
電子メディアとの交際術