郵便番号のバイアス
地名は難読なほど識別しやすく、平明なほど一意的には決めがたい、と前回に語った。平明にして一意的にするためには、どうしたらよいのか。番号を振る、という方式がある。いわゆる郵便番号である。ということで、今回は郵便番号にこだわる。郵便番号は記号にすぎないが、インフラストラクチャとしての機能をもつ。
郵便番号については、じつは最近の『日経新聞』に解説が示されたので、先をこされた私はちょっとひるんだ。だが日経の記事は実用的な記事で、私のような引っ込み思案の拘忌高齢者(KK)にはよそよそしい感じ。だから以下、我流の郵便番号論を呟いておく。現役の方々は日経の記事を参照してほしい。
郵便番号は、NNN-NNNNの7桁の数字で表示される。とりあえず、上3桁をたどってみよう。最初の001は札幌市にあり、最後の999は山形市、鶴岡市、酒田市にある。これだけでは、どんなアルゴリズムで付番されているのか、まったく見当がつかない。私が喋りたいのは、番号がどんなアルゴリズムによって、つまりどんな価値観によって付番されているのか、ということだ。
その第一は、東京中心という価値観。記憶しやすい101は東京都千代田区になっており、東京周辺は、東西南北を問わず、東京都のあとになっている。
その第二は、表日本優先という価値観。たとえば、501が岐阜市、601が京都市、701が岡山市、801が北九州市、901が那覇市。そして、920は金沢市、930は富山市、940は長岡市、960は福島市、970はいわき市、980は仙台市、990はすでに示したように山形市ほか。
その第三は、残りは北海道という理解。青森、秋田,盛岡は北海道各地と等しく、0NNを付与されている。
北方の上位は納得できるとしても、この時代、東京中心、裏日本(この表現を嫌う人は多いはず)は後回しという発想はいかがなものか。この件、KKならずとも、不審に思う人は多いだろう。
以下は付け足し。NNN-85NNという番号が多い。役所、病院、大学、大企業、ホテルなどに割り当てられている。ユーザーからみれば、この組織、まあ、世間的には信用がおけるかな、といった感触にはなる。とすれば、東京都心の一等地にあり、かつ歴史をもつ組織の番号は「101-8501」になるはず。そこでこの番号を検索してみたら、「全国農業協同組合連合会全農東京支所」という住所が出力した。なるほど。いずれにせよ、101-85NNはオレオレ詐欺をたくらむものにとって格好の住所表示になるかもしれない。こんな益体もないことが気懸かりになるのは、郵便番号にもアフォーダンスあるからだろう。
ここで漱石の秀作を一句。
無人島の天子とならば涼しかろ
【参考文献】
名和小太郎「郵便番号を追いかける」『JDL AVENUE』v.5, p.1 (1994)
嘉悦健太「郵便番号50周年 どう割り振り?」『日本経済新聞』,5月26日朝刊付録, p11 (2018)