名和「後期高齢者」(8)

郵便番号のバイアス

 地名は難読なほど識別しやすく、平明なほど一意的には決めがたい、と前回に語った。平明にして一意的にするためには、どうしたらよいのか。番号を振る、という方式がある。いわゆる郵便番号である。ということで、今回は郵便番号にこだわる。郵便番号は記号にすぎないが、インフラストラクチャとしての機能をもつ。

 郵便番号については、じつは最近の『日経新聞』に解説が示されたので、先をこされた私はちょっとひるんだ。だが日経の記事は実用的な記事で、私のような引っ込み思案の拘忌高齢者(KK)にはよそよそしい感じ。だから以下、我流の郵便番号論を呟いておく。現役の方々は日経の記事を参照してほしい。

 郵便番号は、NNN-NNNNの7桁の数字で表示される。とりあえず、上3桁をたどってみよう。最初の001は札幌市にあり、最後の999は山形市、鶴岡市、酒田市にある。これだけでは、どんなアルゴリズムで付番されているのか、まったく見当がつかない。私が喋りたいのは、番号がどんなアルゴリズムによって、つまりどんな価値観によって付番されているのか、ということだ。

 その第一は、東京中心という価値観。記憶しやすい101は東京都千代田区になっており、東京周辺は、東西南北を問わず、東京都のあとになっている。

 その第二は、表日本優先という価値観。たとえば、501が岐阜市、601が京都市、701が岡山市、801が北九州市、901が那覇市。そして、920は金沢市、930は富山市、940は長岡市、960は福島市、970はいわき市、980は仙台市、990はすでに示したように山形市ほか。

 その第三は、残りは北海道という理解。青森、秋田,盛岡は北海道各地と等しく、0NNを付与されている。

 北方の上位は納得できるとしても、この時代、東京中心、裏日本(この表現を嫌う人は多いはず)は後回しという発想はいかがなものか。この件、KKならずとも、不審に思う人は多いだろう。

 以下は付け足し。NNN-85NNという番号が多い。役所、病院、大学、大企業、ホテルなどに割り当てられている。ユーザーからみれば、この組織、まあ、世間的には信用がおけるかな、といった感触にはなる。とすれば、東京都心の一等地にあり、かつ歴史をもつ組織の番号は「101-8501」になるはず。そこでこの番号を検索してみたら、「全国農業協同組合連合会全農東京支所」という住所が出力した。なるほど。いずれにせよ、101-85NNはオレオレ詐欺をたくらむものにとって格好の住所表示になるかもしれない。こんな益体もないことが気懸かりになるのは、郵便番号にもアフォーダンスあるからだろう。

 ここで漱石の秀作を一句。

   無人島の天子とならば涼しかろ

【参考文献】
名和小太郎「郵便番号を追いかける」『JDL AVENUE』v.5, p.1  (1994)
嘉悦健太「郵便番号50周年 どう割り振り?」『日本経済新聞』,5月26日朝刊付録, p11  (2018)

名和「後期高齢者」(7)

地図を読む

 前回、私は東京地下鉄の地上出口には理解しにくい地図があると言った。それは、上が南方向の地図があるということだった。飯田橋の駅にいたっては上が東方向の地図もある。以下はその続き。

 私はいま世界の中心にいるとする。その位置は「X座標=0,Y座標=0」の原点となる。その私が「天子南面」という故事に通じていれば、自分の視線の先を、つまり南方向をY軸の正方向とするだろう。さらに私が「左上位」という哲学を信じておれば、自分の左側つまり東方向をX軸の正方向とするはずだ。この発想で私が地図を描くとすると、上方向が南、左方向が東の地図となる。この図法を天子図法と呼ぼう。

 いっぽう、臣下は北向きに整列しているはずだから、その描く地図は、天子図法を180度回転させたもの、つまり上方向が北、右方向が東の地図となる。こちらを臣下図法と呼ぼう。私たちが見慣れた地図はこれだ。臣下のほうが、天子より圧倒的に数が多い。だからか、臣下図法のほうがデファクト標準になったということだろう。これが地下鉄地上出口で戸惑う理由。

 以上、ごたごた書いたが、これって「上ル」、「下ル」、「東入る」、「西入る」などと使い分ける京都人には些事かもしれない。

 話を進める。京都の地図をみてまず当惑するのは、難読名が多いことにある。たとえば「卜味金仏町」がある。「ボクミカナブツチョウ」と読むらしい。ほかにも「化野」、「蹴上」などという面妖な地名もある。だが、難読名は京都にかぎらない。東京には「石神井」、「等々力」、「雑色」などがある。かつて東京市電には「須田チョウ」→「小川マチ」→「淡路チョウ」という路線があった。

 地名をたどるためには、漢字表現は不明であっても、その読みが分かれば十分。読みさえ正しければ、あとはスマホが引き受けてくれる。だからといって前スマホ時代が不便であったとはいえない。かつて新聞の漢字にはルビが振られていた。ルビははなたれ小僧にとって漢字の読みを習得するために絶好の教材だった。(今回は新聞に賛辞を呈します。いずれ悪口も書きます。)

 難読地名にも利点はある。難読なほどその一意性が保たれるということがある。逆に、平明な地名であるほど特定しにくくなり、その確認に手間取ったりする。たとえば、「大手町」、「中町」、「田町」などという地名は、全国にわたって存在する。

 ついでに、東京メトロの路線名についてみると、「丸の内線」、「日比谷線」、「千代田線」は、一見したのみでは、それがどこを走っているのかが不明、よいのは東西線のみ、という事実がある。この指摘をしたのはロゲルギストという物理学者の匿名グループであった。もう半世紀もまえの話ではあるが。地名にもアフォーダンスの善し悪しがある、のか、な?

【参考文献】
ロゲルギスト「道順の教え方」『新物理の散歩道:第一集』岩波書店 p.80 (1974)
新 物理の散歩道〈第1集〉 (ちくま学芸文庫)

名和「後期高齢者」(6)

地下鉄の乗換

 電車の乗降のアフォーダンスには乗換のアフォーダンスもついてまわる。ということで話題を乗換に移す。

 戦前の物理学者、寺田寅彦に「銀座アルプス」というエッセーがある。銀座についての個人的な記憶を、当時流行していた映画のモンタジュ技法を駆使して、まとめたものである。ここにいうアルプスはデパートを指す。寅彦は、その屋上の見晴らしはよいがそこへの登攀が苦労だ、とこぼしている。当時,寅彦は初老に達していた。

 この時期、私は就学前の小僧っ子ではあったが、デパートにはすでにエレベータがついていた、と覚えている。たしか日本橋高島屋には50人乗りと称する巨大エレベータがあった。当時、東京地下鉄道(現、メトロ銀座線)には「デパート巡り」という切符があり、それらのデパートの屋上には回転木馬や小動物園があったりした。これによって、小市民はディズニーランド的な夢をみることができた。

 話を現代にうつす。銀座アルプスは、地上だけではなく、地下へと拡がっている。東京都心では、地下鉄が縦横に交差しているからだ。このために拘忌高齢者(㏍)には、地下鉄の乗換という新しい難行が出現した。

 乗換といったが、そのまえに客は、降車後にまず、乗換先の路線が上を走っているのか、下を通っているのか、これを確かめ、そこへたどり着くためのエレベータやエスカレータを探さなければならない。この乗換だが、いったんは改札口を抜けなければならないこともある。これを随所に貼ってある案内板をたどりながら試みる。この複雑さは、たとえば『都営地下鉄バリアフリーガイド』をみれば知ることができる。スマホのユーザーであれば現地で誘導してもらえるのかもしれないが、私はあいにくガラケーしか使えない。

 アルプスであれば、上り下りに応じて景観を楽しむことができるが、地下ではそれもかなわない。新しい路線ほど深く、大江戸線がもっとも深いという。大江戸線は新しいためか、駅の構造も標準化、単純化されているが、いっぽう、古い路線はアドホックにできているので、双方のインターフェース、つまり接続路は乗客からみるとテンデンバラバラ。㏍は利用のつど学習しなければならない。くわえて片手に杖の姿で地中を彷徨しなければならない。

 目的地に着いた。地上に出る。おおくの場合、そこには近隣の地図が示されている。地下鉄の地上出口に置かれた地図には、往々にして、自己中心型のものがある。自己中心型とは、地図のまえに立った人を中心とし、その視線の先の方向を上、とするものである。だから、ときには上が南、右が西ということもある。このとき、土地勘のないものは一瞬立ちすくむ。ねがわくは、ぜひ足もとに東西南北を示す座標軸を刻んだ敷石を埋め込んでもらいたい。ということで、地図にもアフォーダンスがあった。

 地下鉄のアフォーダンスといえば、格好の話題がある。銀座線の初代車両の吊り手だ。「リコ式」といったらしい(グーグルで確認した)。この車両は戦後もしばらくは運用されていたから、ご存じの向きも多かろう。その吊り手は、使い手のないときには、座席上方に跳ね上がり、車内空間を明るく広くした。さらに、その吊り手の動きの自由度は拘束されていた。左右には振れるが、進行方向には揺れない。だから、ユーザーは発車や停車のときに踏ん張ることもない。しかも、つねに隣人と一定の間隔を保つように誘導される。

【参考文献】
吉村冬彦「銀座アルプス」『蒸発皿』岩波書店 p99 (1933) (吉村冬彦は寺田寅彦の筆名)
銀座アルプス (青空文庫POD(大活字版))
蒸発皿 (青空文庫POD(大活字版))

名和「後期高齢者」(5)

プラットフォームにて

 杖の使い手の困惑について、もう少し続ける。とくに難儀なのが電車の乗降。プラットフォームと電車とのあいだの隙間が気になる。まず、乗車のとき。このときに頼れるのは杖1本、あとは隣人とぶつからないように、最後に乗る。だから、席の取り合いには不利。ただし、ラッシュ時でなければ、当方のよれよれぶりを察知して、席をゆずってくれる人は多い。ここで思い出した。吉野弘に「夕焼け」という作品がありましたね。あとで紹介したい。

 降車のときはどうか。電車の扉の内側には握り棒があり、そこを残った片手で掴めばよいのだが、多くの場合、そこには大きな鞄を肩に掛けた屈強の若者が立っていたりする。ただし、ほとんどの人は声をかければ避けてくれるので助かる。それでも、こちらは最後の降り手となるので、せっかちな乗り手とぶつかることがしばしば。

 ここで飯田橋駅(JR中央線)について不満をぶつけたい。この駅のプラットフォームは曲率が大きい。だから車両とのあいだの隙間も大きい。とくに、4号車とその前後のあたりがひどい。なぜ4号車の前後かといえば、この付近でレールの曲率がもっとも大きいためだ。

 もう一つ。隙間は下り列車のほうが大きい。なぜ下りかといえば、曲線のレールには付きもののカントがあるためだ。カントとは曲線部分で走行中の車両が遠心力で脱線することを防ぐために、外側のレールを高くすることを指す。この駅では下りプラットフォームが外側レールに接する。つまり隙間に高低差が加わる。

 もしあなたが飯田橋駅の乗降者であれば、お節介ながら申し上げたい。乗降ともに、4号車は、とくにその車両中央部の扉は、絶対に使わないように。ここがプラットフォームからもっとも離れる。しかも足場となるプラットフォームが階段脇の狭い通路になっているので。

 そもそも、駅はヒトを車両に誘導するための人工物である。その誘導という機能のなかにはアフォーダンスも入るだろう。とすれば、飯田橋駅はわざとアクセスを不便にして乗降客を少なくしようと企んでいるとしか思えない。

 だからか、「飯田橋駅 ホーム隙間」という検索語を入れてみると、24万件の記事が現れる。私と同じ危惧を持つ方が多いということだろう。現在の飯田橋が貨物駅として建てられたのが大正末期。とすれば、この駅はほぼ1世紀にわたり人びとにとって尋常ならざる存在であったということか。ただし、いま飯田橋駅は改良工事中である。プラットフォームを200メートル西に移し、直線化するという。

 ついでに隣のJRお茶の水駅についてもひと言。この駅の周辺には病院が多い。だが、なぜか乗降の手段は階段のみである。エレベータもなければエスカレータもない。

 最後になったが、ここで吉野弘の「夕焼け」について、その梗概を紹介しておこう。詩の梗概とは乱暴な話だが、許してほしい。「いつものことだが 電車は満員だった。・・・・・・うつむいていた娘が立って としよりに席をゆずった。・・・・・・やさしい心にせめられながら 娘はどこまでゆけるのだろう。・・・・・・美しい夕焼けもみないで。」(私事にわたるが、吉野弘は私にとって労働組合運動の先輩だった。)

【参考文献】
吉野弘『幻・方法』飯塚書店 (1959)
幻・方法 (愛蔵版詩集シリーズ)

名和「後期高齢者」(4)

喫茶店にて

 椅子のアフォーダンスについて、もう少しこだわりたい。足腰の衰えた私は、外出時には椅子を探し求める。もっとも手軽な解決法は喫茶店の利用。ただし、問題がある。その店の椅子が、私の変曲した姿勢になじむかどうか。クッションの硬さ、背もたれと肘かけの有無、キャスターの有無、座面の高さ、など。いずれも、事前に調査はできない。

 近年は、ほとんどの店がセルフサービス。私はすでに片手を杖に奪われている。残る1本の手で、トレーを持ち、そこにコーヒーを載せ、さらに財布を操つらなければならない。もし、店が混んでいれば、トレー上のコーヒーが零れて他の客人の衣服を汚さぬように、片手に杖、片手にコーヒーを持った姿勢のまま、こり固まっている自分の身体を制御しなければならない。つまり、椅子のみではなく、店の空間的な仕切りもアフォーダンスをもつ。

 店が混んでいる場合には、あらかじめ席を確保しておかなければならない。ここは私の席だよと主張するために、私たちはそこに何かを置くという行為をする。その何かには何が有効か。目立つものがよいが、たとえばカバンは、万に一つではあるが、だれかに攫われてしまうというリスクがある。だからといって、読みかけの新聞などは、屑と間違えられてしまうかもしれない。いつぞや、派手な柄入りのハンカチーフを置いた人がいたが、このへんが境目かな。ハンカチーフはプロクセミックスの強化機能をもつということか。ここでも、アフォーダンスとプロクセミックスとの衝突が生じる。

 前回、ワンボックスカーの3人がけ座席について喋った。ここで、車を替えてより大型のバンにしたらよいだろう、という異論がでたかもしれない。だが、私の住んでいる街の道幅は狭い。狭い道のアフォーダンスとしてワンボックスカーが採用されたともみえる。町の顔役に聞いたことがあるが、この街の道幅の狭さには歴史があり、道幅は人力車がすれ違えればよい、という発想があったからだという。とすれば、1世紀以上まえには、当時の乗物のもつアフォーダンスに応じて狭い道が建設され、それが半永久的に残っている、ともみえる。道路というインフラストラクチャーにもアフォーダンスあり、ということか。漱石が『硝子戸のなか』でふれていた公衆便所は、いまも同じ場所に残っている。

名和「後期高齢者」(3)

ワンボックスカーのなかで

 最近、私は筋力の「単調減少」(これは物理屋のジャーゴン)を避けるためにヨガ道場に通っている。往復はワンボックスカーに詰め込まれる。この椅子は3人掛けなので窮屈。多分、隣人とのあいだは30センチを超えないだろう。呆け老人であっても、こんな環境はこそばゆい。黙り込むか、ひたすら喋りまくるのか、どちらか。

 いや、ラッシュの通勤電車のなかでも同じではないか、という反論もあるかもしれない。だが、どうだろう。ワンボックスカーの場合には、安全ベルトで体を締め上げるという点が違う。体を動かすことができない。この椅子席のアフォーダンスは隣の人と呼吸や体温を伝えあう、という役割ももつことになる。

 ここでまた脇道に逸れる。上記の「30センチの距離」という表現をみて、「プロクセミックス」(proxemics)というジャーゴンを連想する人も少なくないだろう。それは、人間を取り巻く「なわばり」には4つの距離があるという理解であり、人類学者エドワード・T・ホールの説である。密接距離(intimate distance;45cm以内)、個人距離(personal distance;45~120cm)、 社会距離(social distance;120~360cm)、公共距離(public distance;360cm以上) がそれ。ここにいう密接距離は「ごく親しい人に許される空間」という意味をもち、ここには「プライバシー」という価値観がかかわる。孫引きになるが、T.S.エリオットに「鼻のまえ30インチのところ、私自身のさきがけが行く」という詩句のあることを、ホールが指摘している。

 とすれば、ワンボックスカー3人掛けの椅子は、アフォーダンスとプロクセミックスとがぶつかり合う場となる。拘忌コウレイシャ(KK)にとっては、いずれを優先することが望ましいか。自明とはいえない。

 もう一つ。それは医者と患者の椅子について。多くの場合、医者は背もたれ肘かけ付きの椅子に坐り、患者(こちらがクライアント)は背もたれ肘かけなしの丸椅子に坐らせられる。双方の椅子は非対称のアフォーダンスをもつはずだ。なぜか。

 憶測するに、医師は診察にあたり、患者とのあいだに生じるアフォーダンスの均衡を意図的に崩そうとしているのだろう。そうしなければ、プロクセミックスという呪文に阻まれて触診も問診もできない。(お医者さんについて語ることは、患者にとって遠慮があるので、ここまで。)

 ここでKKの本音を語るところにたどりついた。今日、世間のKKにたいする期待、あるいは掛け声は「歩け」「隣人をもて」というところだろう。だが私は、解はこれ一つではないと思っている。それがこの呟きの主題となる。シロウトの呟きなので、皆さま方には、とくに専門家諸氏には、自明のこと、あるいは間違っていることも多々あろう。そこはご教示ねがいたい。

【参考文献】
エドワード・ホール(日高敏隆、佐藤信之訳)『かくれた次元』
かくれた次元

名和「後期高齢者」(2)

椅子への適応

  「アフォーダンス」(affordance)という言葉だが、と書きながら手元の辞書にあたってみたら、’afford’ はあるが ’affordance’ はない。あれっ、とオクスフォードの『英語語源辞典』をみたら、すでに ’afford’ 自体、その素性がはっきりしない単語だ、と書いてある。

 あわてて『ウィキペディア』を参照してみたら、「アフォーダンス」とは、知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソンが、「与える、提供する」という意味の ‘afford’から作った単語であり、その意味は「環境が動物に対して与える意味」とのことである。

 だが現在、この言葉は認知心理学者のドナルド・ノーマンが示した「モノに備わった、ヒトが知覚できる行為の可能性」(1988年)という意味に使われている。とくに、ユーザーインタフェースやデザインの領域においては、「人と物との関係性をユーザに伝達すること」、あるいは「人をある行為に誘導するためのヒントを示すこと」という意味で使われているらしい。これは本来の定義からすれば誤用だとする意見が少なくないようだが、ここは専門家に任せ、以下、私はノーマンの理解にしたがいたい。

 ノーマンはアフォーダンスの見本として椅子を示し、椅子は支えることをアフォードし、それゆえ腰掛けることをアフォードする、と説明している。椅子は筋肉の衰えた高齢者にとっては不可欠のものなので、しばしば取り合いの対象となる。以下、しばらく椅子にこだわってみたい。

 椅子には、長椅子もあれば折畳椅子もある。デッキチェアもあればソファーもある。だが、それがどれであっても、どこにあっても、人はそこに腰掛けるように仕向けられる。椅子のうえで結跏趺坐をする人は、あるいは、椅子を亜鈴代わりに持ち上げる人は、まず、いないだろう。

(ところで、岡本太郎に『坐ることを拒否する椅子』(1963年)という作品がありましたね。その表面に坐り心地が悪そうな凹凸があり、しかも硬い陶製、くわえて原色の目玉が描かれている。「くつろがせてくれない」というコンセプトで制作されたとのよし。太郎はすでにアフォーダンスという概念を、逆の立場から把握していたのだろう。ついでに検索してみたら、いま、この作品には162万円の値段がついている。)

 椅子の一種として、プラスチックス製で、背もたれの屈曲した長椅子が、いかにもデザイナー好みの形をしたものが、公共空間に、たとえば駅のホームや病院の待合室に、置かれていることが多い。この背もたれの曲面に自分の身体の曲率がなじまない人にとって、これは悲劇。

 【参考文献】
D.A.ノーマン(野島久雄訳)『誰のためのデザイン:認知科学者のデザイン原論』新曜社 (1990)
誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

名和「後期高齢者」(1)

自転車が怖い

 「コウキコウレイシャ」(以下、KK)の一員になって久しい。ただし私はこの言葉を「拘忌コウレイシャ」と聞いてしまうことが多い。まれには「好奇コウレイシャ」か。まちがっても「好機コウレイシャ」とは聞こえない。そんな年寄りの世迷言を、以下、呟いてみたい。

 ㏍にとっての脅威、それは自転車である。音もなく、突如として出現し、高速度で自分の脇を通り抜けていく。反射機能が鈍く、姿勢制御が衰えた㏍にとっては、これが怖い。私は腹筋と背筋とが弱いので杖を使っているのだが、その杖が自転車をこぐ人へ注意を送るシグナルになることは、まず、ないようだ。

 念のために、いま、ウェブで確かめたら、自転車は車道を通行すべしというルールがあるようだ。だが、その実態は上記の通り。自転車はトレーラーなどが往来する車道上では弱者になる。たぶん、それを避けるために歩道に侵入するのだろう。これがデファクト標準になってしまった、ということかな。

 自動車には「左前方ニ注意」などと音声メッセージを呟いてくれる車載警報器がある。同種のものを自転車や杖につけるという手もあろうが、これは「ながらスマホ」と同じく、ユーザーの注意を分散させることになるかもしれない。

 老残の身にはこれ以上のことには考えが及ばないが、ここで「アフォーダンス」(affordance)という言葉があることを思い出した。ということで、まずは、KKのアフォーダンスについて考えてみたい。

 ここで編集者の矢野さんから助言をいただいた。歩道の自転車通行については、道路交通法でいくつかの場合には歩道通行がよしとされており、その一つに「運転者が13歳未満又は70歳以上、または身体の障害を有する者である場合」があるという。それで思い出したが、私は歩行に不自由な人(たぶんKK)が、何回か失敗したあとに、やっと自転車にまたがることに成功し、あとは、スイスイとその自転車をこいでいく姿をみたことがある。これ、ご当人にとっても周りの人にとっても、危ない。だが、ご当人にとっては欠かせない生活の一部であるはず。さて、いかがすべきか。