新サイバー閑話(121)<折々メール閑話>62

なぜ兵庫県民は斎藤元彦知事を再選したのか

B 11月17日に投開票された兵庫県知事選で斎藤元彦知事が再選されたのには、正直言って大いに驚きました。午後8時すぎに早々と当確が決まったとき、神戸市元町商店街にある斎藤陣営の選挙事務所前に集まった市民の熱気がまたすごかった(写真はMBS=毎日放送から)。兵庫県で何が起こったのか。

A 斎藤知事が再選されるなんて、まったく想像していませんでしたねえ。

B 斎藤元彦兵庫県知事の内部告発問題およびその後の選挙過程には2つの物語があるらしい。黒澤明往年の名作「羅生門」(原作は芥川龍之介「藪の中」など)を見る思いです。

・第Ⅰの物語 斎藤知事は日常的に部下を激しく叱責したり、夜中でも構わずメッセージを送りつけたりするパワハラを行い、出先では贈り物をねだる「おねだり体質」で、それらの行状を糾弾しようとした県民局長の告発(内部告発文書)をでたらめな文書であると断定、作成者を割り出すととともに、当該局長を停職3カ月の懲戒処分にした。その結果、告発者は自殺している。他にもプロ野球の阪神・オリックス優勝パレードへの協賛金の見返りに、金融機関の補助金を増額して兵庫県に損害を与えたとして、背任の疑いで兵庫県警に刑事告発もされている。この手続きにあたった職員も自殺したらしい。
 これらの問題をただすために兵庫県議会が百条委員会を設置し知事を尋問したが、知事はパワハラやおねだりについて行きすぎがあったことを認めたが、自己の行状への告発問題については、一貫して「公務員にあるまじき行為で、処分は適法である」という態度を崩さず、結果的に知事は議会の全会一致で不信任決議をされ、出直し選挙(10月31日告示、11月17日投票)が行われることになった。
・第2の物語 実は斎藤知事は就任以来、職員の天下り人事の抑制、県庁者移転事業の規模縮小、自らの報酬削減などの行政改革を進めてきた。これを快く思わない守旧派が知事追い落としを図り、その一環として知事のパワハラ、おねだりなどを糾弾する文書がつくられ、関係方面に配布された。後に内部告発文書として再作成されたが、当初はただの「政治文書」で、知事が局長を処分したのは正当である。局長は百条委員会が開かれた直後に自殺したが、原因は他にあり、長年にわたる不倫問題が明るみに出ることを恐れたためではないか。
 告発文書やそれを書いた政治的意図、また自身の不倫問題などを記録した文書が彼の「公用パソコン」に残されているが、公用パソコンの内容すべてが百条委員会で公開されているわけではない。知事は当初の主張を変えないままに全会一致の不信任を受け、自らの政治改革をさらに前に進めるために、再選挙に出ることを決めた。

A 斎藤知事はエリート臭の強い傲慢な人間だという印象で、泉房穂・元明石市長など彼を「モンスター」だと言っていましたよ。

B これが大方の世間の見方だったと思いますね。しかし兵庫県知事選はそういう筋書きでは進まなかった。

 斎藤知事が辞任を選ばす、再選挙に出馬すると決断したことは大きな驚きをもって迎えられ、<折々メール閑話>でも「支持政党なしで立候補して、たった一人で街頭演説をし、そのときになってやっと支持者がほとんどいないことに気づくんでしょうか」と書いています。
 たしかに失職後に街頭に立った時は孤独の影が強かったようですが、選挙選が始まるにつれて、演説する知事を取り巻く輪が広がり始めます。N党(NHKから国民を守る党)の立花孝志氏がこの知事選に立候補、自らが当選するのではなく、「知事糾弾の真実」を県民に知らせるための応援演説をしたのが「触媒」にもなり、第2の物語は、兵庫県民にしだいに浸透していったようです。知事自身が「たったひとりの反乱」を前面に出した戦略も奏功、同情や憐憫の情からなのか、あるいは判官びいきからか、当初は本命視されていた元尼崎市長の稲村和美氏を追う趨勢になり、しだいに肉薄、ついに逆転したわけです。
 支持者から「マスコミは本当のことを書いていないけれど、ネットで色々調べると、事実とは違うことがわかった」、「知事さん、だまされていてごめんなさい」という声が聞かれるようになり、ついには投票日の「斎藤知事再選おめでとう」という万雷の拍手になったわけです。

A 何が起こったのかと思いましたねえ。あれだけ叩かれ、最初は駅頭での選挙活動もほとんど無視されていた人物が、あっと言う間に復権する。SNSの力に空怖ろしくなりました。

 B どちらの物語が真実に近いか、あるいは個々の真偽はどこにあるのかはともかく、兵庫県民の意識が選挙期間中に第1の物語から第2の物語に動いたというのは確からしい。17日の選挙期間に起こったことをあらためてふりかえってみましょう。これから詳細な検証が必要だと思うけれど、とりあえず以下のことが言えるのではないでしょうか。

<マスメディアは事実を報道したのか>局長の内部告発の意図、自殺の原因、すべてが記録されていたと言われる公用パソコンの中身、これらの重要な事実は、かつてならどこかの記者がスクープして、わりと簡単に明らかにされたことだと思うが、当今の記者はなぜこの真実に迫ろうとしないのか。「局長は『自死』した」というあいまいな表現でお茶を濁して平気なのが不思議です。公開するしないは別に、自らは記事を書く前提として押さえておくべき事実ではないのでしょうか。家族に当たればおのずから真実は現れるわけで、真相を知っていた記者もいるのではないかと思うけれど、「個人情報保護」のタテマエか、あるいはそれに寄りかかってか、マスメディア上ではこの事実は語られなかったように思われます。藪を突っつきもせず、周りを棒で叩いて足れりとする(やりすごす)とすれば、これをジャーナリズムとは言えないのではないか。マスメディア上に似たり寄ったりの記事しかなくなる道理です。
SNSの情報は正しかったのか>マスコミとは別の事実を流布するのに大きな役割を果たしたのがSNSのユーチューブやⅩだった。これがマスメディアが〝隠して〟きた事実を明らかにするのに貢献したのは確かでしょう。しかしSNSの情報の真偽ということを考えると、これほど危ういメディアもない。少なくともマスメディアでは情報の真偽はそれを担う既存組織が保証する建前だけれど、SNSでは真偽を判断するのは発信者ではなく、これを受け取る個人です。これはきわめて危うい構造と言っていい。
 ここで思い出すのは社会学者、清水幾太郎の古典的研究『流言蜚語」(ちくま学芸文庫)です。デマ(流言飛語)は表の情報が遮断されたときに、その不足を、あるいはあいまいさを補足するために裏で発生するもので、『社会学事典』(弘文堂)では「口から口へと伝えられる非制度的で連鎖的な『ヤミ』のコミュニケーションで、しかも人々から強い関心をもたれる内容を含み、一方で曖昧さを持つ情報であるため、異常なまでの意味増殖を生み出す言説内容とその形式をいう」と説明しています。
 今回のSNSによる情報流通をデマと同一視することはもちろんできないけれども、マスメディアの情報が一方的で真実を隠している、あるいはあいまいさを含んでいると考えられたことが、兵庫県民の心をSNSに向かわせたのは事実でしょう。しかも、SNSの情報は一方向に増幅しがちです。SNSの力とその危うさということを今回の出来事は改めて我々に突きつけたと言えますね。これは現下のマスメディアそのもののあり方に対しても、大きな警鐘を鳴らしていると思います。

A 斎藤知事の再選を知ってからずっと憂鬱です。原因は斉藤氏の復権というより、SNSの怖さですね。駅での演説にも立ち止まる人がなかったほど、人気が凋落していた人があっという間に復権する、この伝で行けば改憲、もっと言えば戦争にも容易に賛成するようになりかねない。民主主義の危機と言っても過言ではないのでは。

B 先の戦争におけるドイツの独裁者、ヒットラーを登場させたのはラジオだった。安倍政治を延命させたのはテレビと新聞だった(実際は、安倍政権がテレビや新聞を自らの権力で手なづけた)。つい最近まで、大阪での維新の躍進をもたらしたのが在版テレビ局だったのも確かなようだが、今回、斎藤知事を再選させたのは、これに変わって登場したSNSだったと言えますね。
 これが吉と出るか、凶と出るか。増幅能力が強いメディアだけに、どちらか一方に転ぶとあっという間に大きな流れになってしまう危険があります。

<既存秩序の崩壊と「浮遊する」個>マスメディア、政党などの既存秩序は崩壊しつつあるが、それに代わる新しい秩序は依然として生まれていない。インターネットによって既存組織から解放された個人が、今度はそのインターネットによって大きく動かされているのがIT社会の現実です。
 そういう状況下で注目されたのが立花孝志氏の「当選をめざさない立候補」という公職選挙法が想定していない動きです。彼の「兵庫県知事選の本質」を有権者に訴えるというねらいは、ある意味ではどんぴしゃりとはまったと思うけれど、既存秩序想定外の型破り行動は、今後、大いに検討を要すると思われます。彼は都知事選でもポスター掲示版ジャックなど公職選挙法を形骸化する行動に出ており、今のところ既存秩序の破壊者であり、混乱を助長しこそすれ、新しい秩序の建設者とはとても言えないですね。
<無党派層の政治参加と若者>SNSの政治に及ぼす力は、都知事選における石丸伸二候補の大活躍、衆院選における国民民主党の躍進と、しだいに大きな力を発揮するようになっています。しかも、無党派層および若者の力が大きくなっているようです。兵庫県知事選の投票率は55.65%。前回より10ポイント以上高く、先の衆院選よりも高い。
 ある出口調査によると、20~30代の若者の6割が斎藤知事に投票したと言います。若者とSNSの親和性は、このメディアの力、あるいは危険性を如実に示しているようです。
  既存の政治システムそのものがもつ「力」が急速に液状化、強度も粘りもなくなっているから、わずか17日の選挙期間中に事態が逆転するほどの変化が起こる。ここにIT社会特有の問題があると言えます。斎藤知事に投票した人はほとんど個人レベルで、そこには組織の力はあまり働かなかったようでもある。政党関係者で斎藤知事を応援した人もいるだろうが、それも個人的な支援ではなかったのでしょうか。
  もっとも今回は県議会全会一致の知事不信任という前提があり、前回斎藤知事を推薦した自民党は独自候補を見送り、他の野党候補は乱立気味という総すくみ、言い替えると「政党政治の空白」状況があった。しかしこれは特殊事情というより、今後の政治を占う兆候と捉えた方がいいように思います。一方でSNSの輪はどのようにして大きく広まったか。これは大いに検討すべき事柄ですね。

 A  立花氏は「自分には投票するな」と言っていたらしい。単なるカネ稼ぎの目立ちたがり屋ではないですか。10代〜30代の若者たちは、その人物の背景や政策、実績、本質などとは関係なく、「斎藤さんがかわいそう」、「イケメン」、「斎藤さんは東大卒」といった表面的な反応のようにも思えるけれど、これは老人の偏見かな。

B 斎藤元彦という人物は鉄面皮だと思っていたけれど、自分を攻撃する局長のプライバシーをも守ろうとしていたと考えれば、骨っぽい面もあるのかも。一方で、この不器用なキャラクターが事態を混乱させたとも言えますね。
 斎藤知事は19日、2期目の就任式にあたり、県職員を前に「謙虚な気持ちで丁寧に対話を尽くす」と強調したようですが、これでパレードをめぐる疑惑とか、パワハラ、おねだりなどの問題が一挙に雲散霧消するわけではないですね。
 第1と第2の物語のどちらが真実に近いのか。あるいは巫女(公用パソコンのデータ)の口を借りて死者が第3の物語を語り始めるのか。県民が評価した行政改革への取り組みも、それこそ前に進めなければ、県民を裏切ることにもなるでしょう。これからの斎藤知事、さらには県議会の対応があらためて注目されますね。

・トランプ大統領再選と石破内閣の発足

 B 兵庫県知事選問題を長々と続けてきたけれど、前回以来の世界および日本の出来事をふりかえると、第2次石破内閣の発足(11日)、米トランプ大統領復権(6日)という、より大きな出来事がありました。軽重逆さまながら、この問題に簡単にふれておきましょう。
 国内で言うと、11日に第2次石破内閣が発足しました。自公与党の衆院選惨敗にともな少数与党内閣です。立憲以外の野党は第1野党の野田佳彦・立憲民主党代表に投票せず、64票の無効票が出ての石破首相誕生です。しかし「与野党逆転」の証として、衆議院常任委員長は17のうち7つを、特別委員長は7つのうち4つを野党議員が占めました。30年ぶりに野党議員が務める予算委員長には、立憲民主党の安住淳氏が就任、ほとんどを自公が独占していたころに比べるとまさに様変わりです。ここに与野党逆転の成果が表れていると言えますね。少なくとも安倍1強体制の弊害は軽減するでしょう。また、そうなってもらいたいものです。
 しかし石破首相の組閣ぶりは政務官に今井絵理子、生稲晃子氏など、どう考えても資質に欠けると思われるタレント出身議員を起用するなど、まことにお粗末です。短命の石破内閣に変わって来夏にも「自民・立憲連立、財務省後援」の増税内閣成立が噂されるなど、参院選まで国内政治は不安定なまま進みそうです。

A れいわ9議席ではまだ委員長ポストには届かないですね。しかし、今回当選した新旧9議員は11日に国会前で元気な姿を見せていました。大いに活躍してほしいですね。今や野党にこそ知恵と政治力が求められるわけで、何もかもがよく考えもせずに決められてきた政治を変えるチャンスだと思います。

B 兵庫知事選で見られた選挙構造の変化は当然、国政にも反映されることになるでしょう。石丸伸二氏は来夏の都議選をめざして新たな地域政党を立ち上げる構想も明らかにしています。れいわが無党派層や若者の票を大幅に集めて、来夏の参院選でさらなる大躍進をしてくれることを期待しています。
 さて、アメリカのドナルド・トランプ次期大統領です。これも米大手メディア、それに寄りかかった日本のマスメディアではカマラ・ハリスの優勢、少なくとも互角という予想でしたが、蓋を開けてみるとトランプの圧勝でした。しかも共和党は上下院の議席数も制するトリプルレッド(大統領、上院、下院の3冠)を達成しました。来年アメリカおよび世界の政治情勢は激変するでしょうし、その余波は日本にもろにかぶってきますね。
 トランプ大統領の動きは素早いし、パワフルです。選挙戦に協力したロバート・ケネディ・ジュニア議員やIT起業家のイーロン・マスク氏を始め、若手の閣僚人事を次々に発表しています。とくに興味深いのは、「ワシントンの腐敗からわが国の民主主義を取り戻しDS(Deep State)を解体するための計画」を発表していることです。その内容は、①不正な官僚を解任する大統領の権限を回復する、②国家安全保障と情報機関にいる腐敗した役人を全員排除する、③わが国を分断してきた策略と権力の乱用を暴くために、真実和解委員会を開設し、DSによるスパイ行為、検閲、腐敗に関するすべての文書を機密解除し、公開する、などとちょっと驚く激しさです。
 DSについては本コラムでも折にふれて紹介してきましたが、トランプ次期大統領は世界の一部富裕層が絶大な影響力を持つ軍産複合体、医薬複合体、情報通信や金融複合体などの総称として、この言葉を盛んに使っています。DS勢力は当然、トランプ政権内にも根を張っていると思いますが、反ワクチン論者のロバート・ケネディ・ジュニアが厚生関係の要職に着くと、コロナワクチン問題にも大きな影響を与えるでしょう。
 いずれにしろ、こういう動きを見て感じるのは、アメリカという国は、いい意味でも悪い意味でも、メリハリがはっきしていることですね。そういう意味では、トランプその人が劇薬です。石破首相はやりたいこともはっきりしないし、人事はまさにヌエ的。トランプ攻勢に対等に渡り合えるとはとても思えないところが、なんともはや。対外的にも日本の前途は厳しいようですが、この件についてはまた取り上げることになるでしょう。

新サイバー閑話120<折々メール閑話>61

衆院選で自公過半数割れ、れいわは9議席獲得

B 10月27日開票の衆院選で自民党は裏金問題のあおりで旧安倍派を中心に大幅に議席を減らし、公明党とあわせても過半数に届かない惨敗となりました。第一野党の立憲民主党が大躍進、国民民主党は4倍増、れいわ新選組も3倍増の9議席を獲得しました。日本維新の会と共産党は議席を減らしました。
 れいわの9人は、大石あき子、くしぶち万里、たがや亮の現役3人のほかに、幹事長の高井たかしを始め、上村英明、佐原若子、さかぐち直人、やはた愛、山川ひとしが新議席を得ました。いずれもそれぞれ個性的な経歴の持主で、政治改革への意欲も旺盛だと見受けられます。れいわのウエブには9人勢揃いの写真が載っていますが、親の家業を漫然と引き継いでいるような世襲議員がいないのがさわやかです。

A 他党には見られない質の高さを感じますね。残念だったのは福岡の奥田ふみよ、北関東比例の長谷川うい子、東京比例の伊勢崎賢治などの落選ですが、勝手なことを言わせてもらえば、これらの人びとは来年の参院選の立派な候補ではないでしょうか。

B 神奈川2区の三好りょうも残念だったですね。彼は南関東比例でもあったので、地元候補を十分応援出来なかったのには力不足を感じました。

A 自公与党で過半数割れというのは15年ぶりとか。安倍政権以来続いていた自民一強体制が終焉を迎えたのは大きな変化ですね。もっとも与野党逆転と言っても、野党はバラバラ、大躍進した立憲民主党中心に政権交代が実現するような空気はまるでないですね。

B 最終的な党派別獲得議席数は表の通りです。左が新しい議席数、次が増減数、右が選挙前議席です。自民党が65議席も減らしたのはやはり「政治とカネ」、裏金問題に対する批判が強かったせいだと思います。裏金議員46人中当選したのが18人ですが、その中には萩生田、西村、世耕(離党して無所属で立候補)など旧安倍派の重鎮も含まれています。萩生田氏は統一教会疑惑の中心人物でもありますね。そういう点では世論の裏金批判も中途半端な印象です。
 今回の選挙の意味に関しては、さまざまに論評されていますが、ユーチュブ・デモクラシータイムスの「週ナカ生ニュース」で山田厚史氏が「安倍政治の終焉」だと言っていたのが正鵠を得ていると思います。彼は安倍政治を以下のように明快に総括していました。

 われわれは安倍的なるものを「アベノウイルス」と呼び、それが社会全体に蔓延していることを慨嘆してきたわけだけれど(「日本を蝕んでいた『アベノウイルス』」、『山本太郎が日本を救う』所収)、とくに「国会を無視して仲間内の解釈=閣議など=で法をまげる」、「人事で官僚を支配する」、「権力の私物化」などがいかに日本社会を腐敗させたかを考えると、今回の自民一強体制の崩壊は「アベノウイルス」の毒一掃に結びつけるチャンスだと思います。と言うより、ぜひそのようになってほしいものです。

A しかし立憲、国民、維新などが、そういう大局的な動きをするとは思えず、これからの自公に国民や維新がからむ合従連衡にはあまり興味がないですね。ただ自公がこれまでのように強引にことを運べなくなったのは大いにプラスだと思います。
 今回の選挙結果への感想を述べると、国民の7議席から24議席への4倍増にはちょっと驚きました。公明と維新は議席を減らしましたが、公明は石井啓一代表が落選したように、裏金議員を推薦するなど、自民べったり路線の代償だと思います。議員の高齢化も言われていますね。維新は議席数を落としているものの、大阪選挙区では19議席を独占しました。大阪万博や兵庫県知事をめぐる批判も不十分に終わった感じです。
 ところで、自民の裏金問題や石破政権の裏金議員への2000万円支給をスクープして自民退潮に少なからぬ〝貢献〟をした共産党が議席をむしろ減らしたのは、気の毒な気がします。こちらも高齢化や党名変更問題、体制改革などに問題があるんだと思います。
 それはそうと、開票日の山本代表は今まで見たことのないほどつらそうな表情でした。本人もはっきり「この選挙は辛かった」と言ってました。初めてですね、代表がこんなことを言うのは。一時は入院もしました。5年間走り続け、酒も止めていた訳ですから無理もないと思います。頬がげっそりこけ顔色も悪く、大いに心配しました。早い回復を祈っています。

B 投票率は53.85%と前回も下回り、戦後3番目の低さでした。つい3カ月前の東京都知事選では新人の石丸伸二候補に無党派層の支持が流れたことが大きな話題になりました。既存選挙制度の枠外に置かれた無所属若者層の票が戻ってきたようにも思えたのだが、衆院選では元の無関心に戻ってしまったのか。あるいは知事選特有の現象だったのか。
 あのときはこの無関心層の票がれいわ支持に向かってほしいと思ったのだけれど、どうでしょうね。テレビがやっていたある出口調査結果では、国民の支持者に若者が多かったらしい。古い政治地図の中で、あまりにひどい自民党政治への批判が高まり、自民敗北、野党躍進になったけれど、政治構造そのものはあまり変わっていないのかもしれません。

A 自民党はさっそく、萩生田、西村、世耕各氏など当選した6人を自民会派に取り組みました。石破自民党も裏金問題を真剣に考えていないということでしょうが、これで議席は197となります。まあ、大勢には影響ないですね。
 11日には国会で首班指名が行われます。自公による石破内閣が継続し、ケースにより維新、国民などと連携しつつ、参院選までだらだらとした政局が続くのではないでしょうか。国民はいずれ自民に近づいていく気がします。
 マイナカードのごり押し、インボイス制度、原発再稼働など、自公が過半数議席の上で推進してきたこの種の政策に変更が起こり得るのかどうか。立憲の野田体制を考えると、安全保障体制、消費増税といった基本政策に変化が起こるとも思えないですね。

B そこにれいわがどうか関わっていけるか。山本太郎代表は28日、国会内の会見で9議席獲得したことに手応えを感じつつも、節目の2ケタに到達しなかったことを悔やんでいました。衆参どちらかで2ケタに到達しないと、政党としての存在感がいま一つのようです。これまでの3議席に比べれば3倍増ですから、いろいろ工夫して戦ってくれると思いますが‣‣‣。

・明治製菓ファルマが原口議員を提訴の報道

A ところで29日の地元紙に気になる記事(共同通信ネタ?)が出ていました。前回紹介した『プランデミック戦争』の著者、立憲民主党の原口一博議員(当選)を明治製菓ファルマが提訴する方針だというニュースです。
 報道によると、「同社は原口氏を損害賠償などで近く東京地裁に提訴すると明らかにした」、「『国と取り組んできた公衆衛生向上への取り組みが攻撃された』として警告文を送ったが、改善が見られず提訴に踏み切る」ということでした。

B 実際にはまだ提訴していないようですね。原口議員は選挙期間中の「当て逃げ」報道だと言っていましたが、これについては、さっそくれいわの大石あき子議員がツイッターで、「レプリコンワクチン製薬会社が批判者を訴えるのは許されない」、「原口議員の考えがどうかは関係なく、これはワクチンを不安に思う全ての国民への脅し」と発言しました。
 ここでも興味深いのは、マスメディアには明治製菓ファルマの提訴方針に関する記事はありますが、われわれが前回、紹介したようなコロナワクチン行政に関する全体的な構図を解説したような記事が皆無に近いことです。こういう一方的な記事が垂れ流されることは世論を一定方向に誘導する危険があります。

A あの記事を読んだ時は、自社のワクチン開発に強い危惧を投げかけた『私たちは売りたくない』の著者、チームKの人びとはいま社内でどういう状況に置かれているのかということでした。なぜ報道機関はそういう問題に切り込むドキュメントを書こうとしないのでしょうね。

B 前川喜平さんと田中優子さんが共同代表をつとめる「テレビ輝け!市民ネットワーク」という団体が、テレビ報道の公正中立を求めて、6月27日のテレビ朝日ホールディングスの株主総会で、「政権の見解を報道する場合にはできるだけ多くの角度から論点を明らかにする」などの内容を定款に追加する」といった放送法の趣旨にのっとった株主提案をしました。結果的に否認されましたが、この件で田中さんが「アークタイムズ(Arc Times)」というネットメディアで事情説明をした内容に関して、テレビ朝日放送番組審議会委員長の見城徹氏と同氏経営の出版社、幻冬舎がアークタイムズの尾形聡彦代表や田中優子氏らを名誉棄損で2000万円の損害賠償訴訟を起こしています。その第1回口頭弁論が9月26日に行われ、その後に尾形、田中両人などが記者会見をして、カンパなどの訴訟支援を訴えました(写真)。
 尾形代表らは、これを「スラップ訴訟だ」として、徹底的に闘うと言っています。スラップ訴訟というのはSLAP(strategic lawsuit against public participation、市民参加を妨害するための戦略的訴訟)、言ってみれば、富裕な個人や大企業などが学者やジャーナリスト、市民組織に対して批判や反対運動を封じ込めるために起こす威圧的訴訟のことで、ウエブに「わかりやすく言うと、 嫌がらせ等の目的で法律上認められないことが明らかな訴訟を提起すること」という、たいへんわかりやすい説明がありました。
 れいわから先の参院選に立候補して当選(後に辞退)した水道橋博士が自分に対して起こされた「スラップ訴訟に対決したい」と述べたとき、この言葉が脚光を浴びましたが、訴訟を起こされた側は裁判をするために膨大な時間や資金が必要になります。訴訟を起こすと言って大々的に報道させ、実際は訴訟しないという場合もあるようです。

A テレビ朝日という大手メディアの幹部が弱小メディア、アークタイムズの報道内容を訴えるというめずらしい訴訟で、ともに「報道機関」ですから、「言論の自由」、「報道の自由」が争点にならざるを得ない。たいへん興味深いですね。

B こういう世情を見ると、いまさらではあり、また大いに陳腐でもあるが、「古き良き時代」という言葉が浮かびますね。かつては「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とか「ノブリスオブリージュ(高い社会的地位には義務が伴う)」など、学問や実業で大成した人や庶民の上に立つ政治家などは謙虚であるべきであり、富裕層や支配層は社会(世界)全体の平和や繁栄に責任をもつべきだ考えられていました。近代民主主義はそれらの理念を制度的に保障しようとしてきたと言えるけれど、「啓蒙」という言葉がダサいと思われるなど、いまはすっかり様変わりしました。
 弱肉強食的な風潮は世界共通でもあり、アメリカでは一握りの富裕層は自分だけが安全な場所に住めればいいと、大海原の孤島や宇宙の片隅に独自のコミュニティ用シェルターをつくり、外から攻撃されないようにガードマンを雇ったりしているようですし、「国際経済フォーラム(ダボス会議)」など超支配者グループの周辺からは「世界人口は多くなりすぎたから削減すべきだ」という声も公然と語られています。一方でコロナmRNAワクチンの危険性に関して、そういう大きな枠組みを踏まえて警告したり反対したりする勢力も少なからず存在します。
 『プランデミック戦争』ではないけれど、まさに世界は「戦争」状態にあるとも言えますが、日本の支配層はそういう大きな構図に気づいているんでしょうか。明治製菓ファルマの訴訟目的にある「国と取り組んできた公衆衛生向上への取り組みが攻撃された」という記事の文言は、実際にどうだったかはわかりませんが、その背景に「国の政策は正しい」、「我々は国策に沿っているのだから、それに反対するのは許せない」という考えがあり、それ自体が世界の潮流から遅れていると感じさせます。社員に見えていることが経営者には見えていない。
 これもまた自公政治の大きな問題点ではないでしょうか。私たち自身、世界の潮流に無知であってはいけないわけですが、大きな視野をもった政治家がいよいよ重要になっている今だからこそ、れいわへの期待も高まるわけですね。

新サイバー閑話(119)<折々メール閑話>60

日本の現状をよく考えて行動する秋!

 A 10月27日の衆院選投票日が迫ってきましたが、新聞社などの当落予想は「自民惨敗、立憲躍進」という大勢で、場合によっては自公で過半数割れもあるとか。さすがに自民政治への批判が高まっているようです。まさに「混沌の先に激変の兆し」ですねえ。
 その中でれいわ新選組の躍進が語られ、とくに「れいわは最大15議席獲得もあり得る」という、我々にとってはまことに喜ばしい報道(朝日新聞)もありました。選挙戦当初、山本太郎代表は「少なくとも現3議席の倍以上」と控えめに語っていましたが、本来予定していた衆参両院で20議席獲得の夢も実現しそうな趨勢です。

B 野党共闘がほとんど機能していない中で立憲が票を伸ばしそうなのは、歓迎しないわけではないが、それで現政治の何が変わるかと考えると、あまり期待できません。その中でれいわや国民民主党が伸びそうだというのは、自公や立憲という「大政翼賛」的な政治への不満の表れだとも言えますね。

A 安冨歩さんが一月万冊で「自民党は組織的犯罪を犯しているのではなくて、犯罪者集団だ」と痛快なコメントをしていました。
 ところで、選挙戦最中の23日に新聞「あかはた」が大スクープを放ちました。なんと石破新体制は「裏金議員10余人を非公認にすると同時に裏金議員の比例区重複立候補をさせない」と、裏金議員に厳しい措置を取ると公言しつつ、裏で非公認議員の所属する党支部に2000万円を振り込んでいたんですね。公認候補の支部には公認料500万円+活動費1500万円で計2000万円が支払われ、実際には非公認候補の支部にも「党勢拡大の活動費」2000万円が振り込まれていた。「統一教会とは組織的な関係はまったくない」としらを切ってきた岸田政権とまったく同じ「まっ赤な嘘」が明るみになったわけで、これがすでに劣勢の自民にとってさらなる追い打ちになるんじゃないでしょうか。

B 「嘘つき自民党」の本質が暴露されたわけだけれど、石破という人間のダメさ加減もはっきりしました。野にあるときはそれなりに筋を通していたけれど、組織の長になると、党内事情に流されて自己の主張を通せないというのか、自分が統治する組織の大勢に流されてしまう。最悪の状態だと思います。あれよあれよと太平洋戦争に突入していった近衛文麿によく似ている気がします。森山幹事長に押し切られたのかもしれないが、ダメですねえ、この人は。
 衣の下から鎧がのぞくと言うか。石破首相は「政党支部に出した政党活動費で、選挙には使わない」などと取り繕っていますが、騙せるものは騙そうという自民党の体質は安倍政権時代と変わらないですね。野党はここぞとばかりに「裏公認だ」(野田立憲代表)、「ステルス公認だ」(玉木国民民主党代表)などと攻撃を強めています。

A 自公政治のいい加減さにうんざりする声が、れいわへの支持拡大につながっているのでは。実は先日、「れいわのポスターを分けてください」と訪ねて来られた方がいました。もちろんお分けしたのですが、市内でギフトショップを経営している80歳の方で、後に改めてご自宅にお伺いしたとき、「自民党政権は貧困層を意図的に作り出しているのだから、国民目線になるはずがない」とおっしゃっていました。こういう人がれいわを支持してくれているのはたいへん心強いです。

・製薬メーカー社員の慟哭の書、『私たちは売りたくない』

B 自民党を中心とする「嘘の政治」に関して、この機会にちょっと言っておきたいことがあります。10月に緊急出版された、コロナワクチンに関する2冊の本を読んで、コロナワクチンをめぐる深刻な現状をあらためて痛感しました。
 チームK『私たちは売りたくない! 〝危ないワクチン〟販売を命じられた製薬会社現役社員の慟哭』(方丈社)と 、原口一博『プランデミック戦争 作られたパンデミック』(青林堂)です。
 前者は10月から日本で接種が始まった新手のレプリコンワクチン製造元、Meiji Seikaファルマの社員が「私たちはこの危険なワクチンを売りたくない」と訴えている、まさに「慟哭」の書です。後者はコロナワクチンが原因で悪性リンパ腫にかかった衆院議員(立憲民主党)が、国および世界の「つくられたパンデミック」という大きな〝犯罪的〟構図に異を唱えた「告発」の書です。
 コロナワクチンをめぐる問題は、衆院選の争点として大きく触れられていないけれど、ここには現代の日本人および世界の人びとの命が脅かされている大問題が横たわっています。投票日が目前に迫るなか、現在の政局を見渡した場合、こういう大きな構図を射程にとらえられる政党はどこなのか、よくよく考えて一票を投じてほしいと、あらためて思います。

A 前にも言ったと思うけれど、僕はコロナワクチンは最初から打っていません。頓着していなかっただけでもあるが、金持ちがアメリカまでワクチンを打ちに行くとか、関係者優先で接種が行われたとかいう馬鹿騒ぎに腹が立ったのも一因です。だけど、今ではコロナよりもワクチンの方が危険だという声が高まっているようですね。そういう危険なワクチンを国はなぜ打たせようとするのか。それは「脅しによる金儲けじゃないか」と感じていました。

B 『私たちは売りたくない』の方から紹介すると、Meiji Seikaファルマはワクチン製造では名のある会社です。だからワクチンそのものが問題というのではもちろんなく、ポリオ(小児麻痺)などワクチンで〝根絶〟された病気もあります。焦点は今回のコロナ禍で急遽開発され、多くの日本人もすでに何度も接種している米ファイザーやモデルナなどのmRNAワクチンです。
 このワクチンは、①開発期間がほぼ1年と従来のワクチン開発に比べてきわめて短い治験期間しか取っておらず、長期的な影響などが検証されていない、②従来のワクチンの抗原は工場で作られ、それを無毒化して体内に注入、そのことで抗体をつくって疾病を予防する仕組みだが、mRNAワクチンは遺伝子情報を体内に送り込み、抗原を被接種者の体内で作らせる方式で、従来ワクチンに対して副作用がひどく、ワクチン接種による死亡事例もすでに700件以上報告されている(予防接種健康被害救済制度認定者数の死亡者は2024年8月現在で773人)、などの理由で安全性に強い疑義が投げかけられています。
 その中で今度、Meiji Seikaファルマが世界に先駆けて製品化し、すでに高齢者を対象に接種が始まっているレプリコンワクチンは、遺伝子情報そのものを体内で増幅させることで効率化しようとする「自己増殖型」ワクチンで、それ故に一層危険だという声も強いわけです。
 Meiji Seikaファルマの若い社員がこのmRNAワクチン接種が原因で急死、その死をきっかけに心ある仲間がワクチン研究チームをつくり、さままざまデータを集めた結果、mRNAワクチンやレプリコンワクチンを「私たちは売りたくない」という結論に達したのだと言います。彼らの主張は、<私たちは、「安全だ」と胸を張れないワクチンは、『売りたくない!』のです>というのに尽きます。「社員として生きるか、人として生きるか」と自らに問いかけ、自社が世界に先駆けて製造販売するレプリコンワクチンの危険性を敢えて世に問うたわけです。ただの「会社人間」には、なかなかできないことだと思います。

A まさに義挙そのもの。日本にもこういう方たちがいるという事実には、大いに勇気づけられます。

B 小さな出版社から刊行され、初版1万部だったとか。これがあっという間に売り切れ、さらに3万部増刷したがそれも売り切れという状況らしい。大手出版社なら一気に何十万部も刷り、ベストセラーになってもおかしくないと思いますが、大手出版社から出版できない事情があったのだと推察されます。
 ユーチューブなどSNSでは「驚愕の書」としてかなり紹介されていますが、検索履歴で見る限り、大手新聞や雑誌による紹介や書評はありません。ここにこそ現代の危うい側面が表れていますね。
 朝日や毎日など大手メディアのレプリコンワクチン接種の記事には、これが「世界初」だという説明はあっても、危険性についての記述はほとんどなく、厚労省発表を鵜呑みにした「発表記事」になっています。
 次に厚労省の姿勢が大いに問題です。ワクチン接種促進をはかるために、「製薬会社がやればすぐ業務停止命令を受けるようなデータの提示の仕方をして、コロナにかかったときのリスクを過度に少なく示した」と告発しています。それを率先して行ったのが河野太郎ワクチン推進大臣で、自身のブログで「【長期的な安全性はわからない】という主張はデマだ」と書いたりしていたようです。常識外れのワクチン行政ですが、例によって、それに加担した学者の信じがたい発言もありました。「ワクチンを打たないと死者が圧倒的に増える」というデータを発表した人もいたわけです。

A 河野太郎元大臣が選挙演説中に聴衆から厳しい批判を受けて立ち往生したというのも、むべなるかなと思いますね。今や日本は支配者階級と被支配者階級に二分されていると、前川喜平さんがユーチューブで述べていましたが、その通りだと思います。

B ユーチューブはユーチューブで問題があるらしい。ワクチン問題を取り上げた動画にはワクチン、レプリコンなどの表記をあえて伏字にしたものがあり、これはAIによる検閲を避けるためだと見られます。この問題は後に取り上げる『プランデミック戦争』でも原口議員の体験として頻繁に言及されていますが、大手メディアの自主規制ばかりでなく、SNSもまた検閲されている。SNS上の偽情報を取り締まるという大義名分で設立された機関が、政治的な検閲で威力を発揮しているわけで、これはサイバーリテラシー的にも由々しき事態です。このテーマについては後にふれる機会があるでしょう。

A 僕もツイッターでメッセージを削除された経験がありますね。

B 読者にはMeiji Seikaファルマの社員の思いをくみ取ってほしいと思います。自分たちの健康を守るためですからね。
 本書は、現代日本人必読の書と言ってもいい。奇をてらったり、ことさら言上げしようとしたりしてはいない。専門家らしく従来のワクチンとmRNAワクチンの違い、それがなぜ危険なのか、丁寧な叙述がかえって胸を打ちます。従来型製法で安全とされる現在のインフルエンザワクチンも今後、mRNAワクチンに切り替えられそうだという記述には驚きました。まったく怖い話が、私たちの知らない間に進んでいるわけですね。
 おそらくは愛社精神の強い著者たちは、以下のように会社の将来を心配しています。

・レプリコンワクチン接種で被害を受けた接種者から、多数の訴訟を提起されるリスク
・危険性を認識していながら、歴史的大薬害を推し進めた企業として名を連ねるリスク
・医師をはじめとする医療従事者からの信用を失墜するリスク
・社員のエンゲージメントが著しく低下するリスク
・不買運動の拡大など、明治グループ全体のブランド価値の低下、株価下落など、ステークホルダーに対して大きな不利益をもたらすリスク

 なぜMeiji Seikaファルマが世界に先駆けてレプリコンワクチンを製品化したかの背景についても説明があります。そこには、コロナ禍での巨大なビジネスチャンスを逸した日本の製薬メーカー、および政府の焦りがあり、世界に先駆けた新手のレプリコンワクチン開発で一気に〝汚名を返上したい〟という野望があると言います。疾病者に打つふつうの注射とは違い、ワクチンは健康な人、言ってみれば国民全員が対象であり、だからこそ巨大な利潤を生む。ファイザーやモデルナなどの米製薬メーカーはコロナ禍で一気に業績を上げ、世界のトップに躍り出たわけです。「彼らはワクチンを売るために、コロナの新株をつくっている」と告発する人もいるようです。
 詳しくは本書をぜひ読んでください。医者でさえワクチンについてはあまり知らないのが現実らしいが、健康、命に大きくかかわる事柄が、私たちの知らないうちに進んでいる現状は、それこそ危険だと言えますね。「政治の嘘」より怖い「政治の闇」です。 
 日本人はことさらワクチン接種に熱心だったらしく、「国民の8割の方が2回接種をし、3回接種を受けられた方も6割以上、なかには7回接種されたという方もいます」とか。実は僕も4回打っています。
 コロナワクチン問題については、主宰するOnline塾DOORSで「情報通信講釈師」唐澤豊さんに4度話を聞いています。その記録を再読してみると、時々の的確な指摘にあらためて感心します。こちらもぜひご覧いただければと思います。
www.cyber-literacy.com/cll/category/zoomsalon/senior_report

A チームKに何人いるか知りませんが、真のサムライだと思いますね。これぞ国士と言ってもいい。

・コロナ・パンデミックは『プランデミック戦争』

B 『プランデミック戦争』については簡単にふれます。「プランデミック」というのは著者の造語らしく、「計画されたパンデミック」という意味です。「プラン」で「パンデミック」ということですね。原口議員自体、コロナワクチン接種が原因で悪性リンパ腫にかかったといい、それが彼にコロナワクチン問題に取り組ませることにもなったようです。
 ここで語られているのは、パンデミックそのものが国連機関であるWHO(世界保健機構)やその背後に存在する巨大なグローバル権力によって引き起こされた、飽くなき利潤を求める戦争だということです。著者は「グローバリズムこそが人類の敵、人間の恐怖につけ込んだ全体主義」であり、「軍産複合体、医薬複合体、あるいは情報通信や金融複合体、WHOに関連する組織、ビッグファーマなど」をその主体として糾弾しています。これも一読をお薦めします。
 いまやWHOを動かしているのは米バイデン政権と日本だと言われているようですが(トランプ前大統領はWHO脱退を通告したが、バイデン政権で復帰)、問題はそのこと自体が日本人にほとんど知らされていないことです。彼の次の言葉は、なかなか興味深いですね。
<軍産複合体やビッグファーマ、またはアメリカの圧力から抜け出せない面々。あるいは日本弱体化装置である消費税を肯定する人々、そしてワクチンという人工物から逃れられない人々がいかに与野党で多いか。この問題について、解決しようと思っていない人たちを再編して政権交代だといっても、まるで意味がないことです>。

新サイバー閑話(118)<折々メール閑話>59

いざ衆院選、れいわは新たに17人擁立

B 自民党は石破茂新総裁が決まり、臨時国会で首相に指名され、ただちに組閣を実施しました。総裁選のころは「予算委員会の論戦を経て国会を解散する」と言っていたのに、いざとなると前言を翻して10月9日に解散、総選挙は同月15日公示、27日投開票の日程が決まりました。
 石破首相は6日、次期衆院選では、政治資金収支報告書に不記載があった、いわゆる裏金議員に対して、旧安倍派の萩生田光一、下村博文、西村康稔ら6人を公認せず、約40人の同様議員は公認するけれど、比例代表への重複立候補を認めないとの方針を明らかにしました。8日には、新たに6人の非公認を発表しています。
 内閣発足以来、石破首相は総裁選で表明していた持論を引っ込めるなど、党内基盤の弱さを反映してか、煮え切らない態度が目立ちましたが、ここは一定の筋を通した感じです。少なくとも高市早苗総裁が実現していたら、こういうことは起こらなかったでしょう。新聞社などの世論調査で新内閣の支持率が予想外に低かったことも反映したようですが、この方針には旧安倍派を中心に党内から激しい非難が起こっており、「コップの中の嵐」も相当、煮詰まっているようです。

A 何事も最初が大事ですよ。岸田首相の旧安倍派追随は発足直後に安倍元首相の国葬を決めたのが発端だと思いますが、長年、自民党内で冷や飯を食わされ、5度目の挑戦でようやく首相の座を射止めたのだから、思い切って自説を展開すればよさそうなのに、今度は党内事情に配慮してか、自ら好んで束縛されたような感じでしたが‣‣‣。
 裏金議員にとってはけっこう手痛い決定ですが、裏金議員を公認しないというだけで政治とカネをめぐる不明朗な関係が解消されるわけではない。実質賃金が伸びない中で税金を払い続けている国民を尻目に、組織的に脱税まがいの裏金を集めて何の痛痒も感じない自民党議員の腐敗した体質をどう改めることができるのか。本質的な問題は置き去りのままの衆院選突入です。

B 9日には党首討論も終わり、国会は解散、ともかくも選挙の季節となりました。石破内閣に対する党内不協和音、この間の政治不信への世論の高まりもあって、自民党が現勢力を維持するのは難しいようですね。自民党公認を外された議員は苦戦するでしょうし、比例との重複立候補が認められないことは、たいした識見もなく、付和雷同的に当選してきた議員にとっては痛手だと思います。
 このところ矢継ぎ早に立憲民主党は野田佳彦、公明党は石井啓一とそれぞれ新代表が決まりました。野田新代表が保守色を強めたことで、自民党の混乱に劣らず、野党もばらばらの状態で、とても団結して自民党に当たる態勢は取れていませんね。今回の選挙は稀に見る混戦になり、どういう結果になるのか、なかなか予想もつかない状況です。

・伊勢崎賢治、高井たかし、長谷川うい子‣‣‣。

A れいわ新選組は7日、すでに立候補が決まっている11人(その一部候補については、第46回=ついに「れいわの出番」がやってくる、第47回=いま力強く羽ばたくれいわの「白鳥」、に詳しい紹介があります。『山本太郎が日本を救う・第3集 混沌の先に激変の兆し』所収。アマゾンで販売中)のほかに新たに17人の候補擁立を決め、公表しました。これまでのところでは、現職の3人も含め、全員28名の陣容となります。
 その中で注目されるのは、高井たかし(崇志)幹事長が埼玉13区・比例北関東ブロック、経済政策を担当している強力スタッフの長谷川うい子(羽衣子)が比例北関東ブロックから出馬するほかに、政府代表として国際紛争の現場で活躍してきた伊勢崎賢治が比例東京ブロックから出馬することです。
 7日の会見で伊勢崎は「余生をれいわ新選組に捧げる決意である」と力強く述べていました。著名な彼の参戦は、れいわにとって大きな力になると思います。れいわのホームページでは「真綿で首を絞められるようにじわじわと生活と将来への不安がつのっていく。本来ならこれはマクロな国政の失策が累積した結果であるが、マイノリティ・異邦人に、大衆の注意を向けさせる。同胞人の機会を蝕んでいると、アラ探しをさせる。それをこれよとばかりに吹聴させ、またはその喧伝を黙認することで、マクロな失策をマイノリティのアラで覆い隠す。国を愛することはやぶさかではないが、こんな愛国主義は御免被りたい」と書いています。
 また長谷川は「積極財政を基盤としたグリーン・ニューディールなどの政策を実現するため、れいわ新選組の躍進に力を尽くしたい」と述べています。
 すでに大阪13区・近畿ブロックで立候補が決まっている、やはた愛の母親のやはたオカン(八幡さゆり)が兵庫8区から立候補し、母娘が同時に立候補するというめずらしいケースとなりました(やはたオカンは姫路市議会議員に立候補、落選した経緯があります)。

B 山本太郎代表は8日の参院質問で、とくに地震と大雨のダブルパンチで悲惨な状況に見舞われている能登地区救済に関して補正予算も作らないままに解散しようとしている石破政権に対して厳しく追及していましたが、17人の候補を擁立した記者会見では、野田代表選出で自民党政権とたいして差がなくなったように見える立憲民主党にも激しい闘志を見せていました。消費税廃止や積極財政などで当初から立憲とは相容れない関係でしたが、原則として現状容認に傾いた国家安全保障体制などをめぐり、もはや共同歩調を取る姿勢はないですね。

A 立憲民主党や日本維新の会などの野党も、政界・財界・官界の鉄のトライアングルに率先して包含されようとしている中で、いま国民の頼りになるのはどの政党なのか、少し考えればわかることだと思います。れいわ新選組こそ真の野党です。
 たとえば、菅義偉元首相のお膝元、神奈川2区では早くから、れいわが若手の元外務官僚、三好りょう擁立を決めていましたが、立憲民主党はここに落語家をぶつけて来ていますし、沖縄4区でも、れいわの山川ひとしと別にオール沖縄が候補を擁立しました。一方でれいわも野田代表や前代表の枝野幸男などの選挙区に対立候補を擁立するなど、両者の亀裂は深まっているようです。

B いまや野党と呼べるのはれいわと日本共産党、社会民主党ぐらいですね。立憲民主党は裏金や統一教会問題などで高まる政権批判の世論と自民党内部の混乱に乗じて政権交代を目指すとしていますが、そこにはれいわも共産党も含まれていません。自民党政権がつぶれても、政策的にたいして変わり映えしない政権が誕生するとすれば、現状を抜本的に解決することは難しい。山本代表は早くから、れいわが議席を増やし国会での発言権を増大させることを第一義としていますが、その戦略の正しさががいよいよはっきりしてきたと言えますね。
 山本太郎は記者会見で、衆院選での見通しを聞かれて「最低でも今の倍以上」と述べましたが、かつての「衆参両院で国会議員あわせて20人獲得をめざす」という目標からは控えめな発言でした。

A 自民vs立憲より、立憲vsれいわの対立図式が目立つようにも思います。

B 立憲は維新や国民民主と選挙協力をするかもしれませんが、れいわと共産党はそこからは外れた形ですね。選挙後にどのような合従連衡が行われるのか、ちょっと見通せない状況です。だからこそ、次期衆院選はれいわが議席を大幅に増やし、国会での発言権を増大するチャンスでもあります。

A 9月23日に野田代表が選出された直後に三重県津市で開かれた「おしゃべり会」に出ましたが、山本代表は「死人が蘇りましたね」と、消費税導入を決めて退陣に追い込まれた、かつての民主党、野田首相を皮肉交じりに批判していました。立憲は国民民主と合体して第2与党化するんじゃないですか。
 会場はそう広くはなかったのですが満員の状態で、高校生が真っ先に手をあげて「山本太郎さんはなぜ政治家になったのですか?」と質問したら、「あ、デモの時にいたよね?」と、よく覚えていて、丁寧に答えていました。代表が「三重県は凄いですね〜、めちゃくちゃ手が上がる」と驚くくらい質問者が多かったです。 
 そもそも安保法制を容認する党が野党と言えるのか! れいわが先頭に立つしかない! そのためにもぜひとも衆参両院で20議席は確保したいですね。今回のおしゃべり会をきっかけに三重サポーターズは一気に会員が増え、79名になりました! 心強いです。マスメディアの世論調査では、れいわの支持率はそれほど上がりませんが、草の根レベルでれいわ支持がじわりと増えているのは確かだと思いますよ。

 ・有権者の見識と覚悟がためされる

 B 今回の選挙では、有権者一人ひとりの判断がいままで以上に重要になってくると思います。それぞれの選挙区で与野党入り乱れた、しかも構図の違う選挙戦が繰り広げられるわけで、誰に投票するのか、どの政党に日本の将来を託すのかが、個別に試されます。加速する生活苦、裏金問題、統一教会問題、原発推進政策、憲法改正など、争点はいろいろあります。
 統一教会問題にだけ言及すると、岸田前首相は統一教会と自民党との組織的な関係を一貫して否定してきましたが、それが真っ赤な嘘であったことは、9月3日に朝日新聞が報じた1枚の写真で明らかです。自民党本部の総裁応接室で写したと見られ、そこには安倍首相や萩生田光一、教団トップ会長らが写っていました。記事によれば、時期は自民党が政権復帰した翌13年の参院選公示直前で、教団側による自民党の比例区候補の選挙支援を確認する場だったとされています。
 これだけ明白な証拠があるのに、統一教会問題に蓋をしたまま。今回衆院選で統一教会がどういう対応をするのかも含めて、よく注視していくべきでしょう。

A 今度の衆院選はかつてない混沌模様になると思いますね。自民党がダメだと言っても野党も乱立して票の奪い合いです。

B ところで、選挙ということで思い浮かぶのは、石丸伸二候補が大躍進した東京都知事選以後の政治ニュースをほぼ独占してきた斎藤元彦・兵庫県知事もまた、選挙によって有権者に選ばれたということです。兵庫県議会満場一致で不信任決議が可決され、9月30日に失職しましたが、彼はこれまでの県政運営に何の反省もないのか、再度兵庫県知事選(10月31日告示、11月17日投開票)に立候補するようです。
 知事のさまざまな公私混同やパワーハラスメントを告発した県幹部が「自殺」し、他にも自殺職員が出ているらしいことを考えると、彼が再出馬する神経そのものを疑うし、どこの政党の支持もなく再出馬しても、当選できるとはとても思えないけれど‣‣‣(兵庫県の市民団体は10月9日、プロ野球の阪神・オリックス優勝パレードへの協賛金の見返りに、金融機関の補助金を増額して兵庫県に損害を与えたとして、斎藤前知事と片山前副知事を背任の疑いで兵庫県警に刑事告発している)。

A 泉房穂・元明石市長が言う通り、彼はモンスターですね。おそらくこれまでの人生は順風満帆で、上から頭を押さえつけられたことはないのでしょう。たまたま出先で県議会百条委員会の中継を見ましたが、まったくの無表情、およそ人間らしい感情が感じられませんでした。
 こういう非常識な人間が首長になることに現代の政治のいびつさを感じます。自民党と維新が支援しており、両党にも責任はあるでしょうが、要は有権者もまた斎藤知事を選んだということですね。

B 支持政党なしで立候補して、たった一人で街頭演説をし、そのときになってやっと支持者がほとんどいないことに気づくんでしょうか。その衝撃は大きいようにも思いますね。
 彼もまた選挙で選ばれたということを、兵庫県民だけでなく、すべての有権者がよく考え、今度の衆院選挙では、一票の重みをよくよく噛みしめるべきだと思います(文中敬称略)。

『山本太郎が日本を救う』シリーズ3巻の電子本が出来ました!

 山本太郎が2019年にたった一人でれいわ新選組を立ち上げて以来、山本太郎とれいわ新選組が「日本を変えよう」と奮闘してきた記録(その意気込み、主張、国会内外の行動など)をつぶさにフォロー、あわせて同時代の政治状況ウオッチングを続けてきた『山本太郎が日本を救う』シリーズ(既刊3巻、サイバーリテラシー研究所刊、各1300円)の電子本が完成しました。定価600円と紙の書籍に比べると格安です。山本太郎ってどういう人? とお考えの人や、れいわ新選組の躍進を望んでおられる方々に、この場を借りてご案内させていただきます(書籍も含め、アマゾンで購入できます)。
 どうぞご一読ください。

新サイバー閑話(117)<折々メール閑話>58

地に落ちて破綻したリテラシーの復権

 A 毎日ホント、殺人的猛暑ですね! 7月末から最近まで暑い最中の現場打ち合わせや機械のトラブルで振り回されていました。お盆休みに入ってホッとしています。何もしないでいい時間がホントにありがたいです。
 暑い暑いという話になると、いつも「地球が怒ってるんやよ」と答えています。涼を求めるにしても、身近の緑陰はほとんどなく、エアコンがなけれはどうしょうもない。母子家庭ではそのエアコンもつけられないとか。学生時代の寮生活では、炬燵でよもやま話の記憶はありますが、涼を求めて苦労した思い出はないですね。うちわがせいぜい。「神は天にいまし、すべて世はこともなし」(ロバート・ブラウニング)という世の中は来るのでしょうか? 

 B たしかに暑い。今年はセミの鳴き声をほとんど聞きませんね。とくにアブラゼミのあのいかにも夏を思わせるジージーという声を聞かない。裏の源氏山のセミは死に絶えたかと思うほどです。一説に35度以上の暑さになるとセミ鳴かないとか。セミが姿を消したのではなく、鳴かないということだと、これはこれで哀しい夏ですねえ。去年からあまり聞かなくなった。

 閑さやとんと聞こえぬ蝉の声

  長いレンジで見ると、地球は「冷却化」に向かっているらしいけれど、その周期に異変が起こっているのかな。この暑さの中、その年で、現役の野外作業というのは大したものです。あまりの暑さに線路がゆがんだり、信号機が故障して列車の運行にも支障が出ている中でねえ。

A こちらでもまったくセミの声が聞こえません。朝の洗顔で水道の蛇口をひねると、高温?の湯が出てきてびっくりします。
 さて、岸田首相が総裁選に出ないと14日にようやく決断しました。「悪の安倍」に対して「無能の岸田」だったけれど、この3年で安倍路線を加速し徹底させ、対米従属を一層強めたことで、安倍首相に勝るとも劣らぬ悪い役割を果たしました。何のために政治家になったかわからない人が最高権力を握ることの怖さを思い知りました。

 ・読み書き能力の急激な凋落

 B 岸田退陣で秋には誰が自民党総裁になるのか。同時期に予定されている立憲民主党の代表選も含めて、前回都知事選での「石丸現象」がどう影響するか興味がないわけではないけれど、あまり変わったことにはなりそうもない。大山鳴動して鼠一匹かな。
 ところで、7月28日の東京新聞「時代を読む」というコラムに、江戸文化の研究家(法政大学名誉教授)、田中優子さんが、我が意を得たりの文章を書いていました。

 東京都知事選の結果の背後には、この25年ほどの間に起こった、日本人のリテラシー、つまり読み書き能力の、急激な凋落があったのではないかと思っている。たとえば、人々は政策を読めない、理解できない、ということを前提に、政策を説明せずに経験談を語って共感を呼ぶ。真剣な議論をしない。質問されると別の話題にそらす。あるいは冷笑して質問し返す。街頭演説は短く発信の言葉も短く、数は多く、という手法を徹底するなど、「ともに学び考える」のではなく、できるだけ考えずに投票できるように導く。そういう候補者に票が集まった。

 A 記者の文章力のむごさも含め、このままだとさらにリテラシーは凋落するのでは?

B 田中さんの念頭にあったのは、石丸候補および彼に投票した若者層の心理だと思うけれど、「真剣な議論をしない」、「質問されると別の話題にそらす」、「できるだけ考えずに投票できるように導く」というような態度は、じつは国会の大臣や閣僚答弁、あるいは小池都知事答弁などで繰り返されてきたものであり、一時は「正論には弱い(正論には一目置く)」とされていたジャーナリズムですら、筋を通す考えを放棄しているありさまです。
 日本人のリテラシーは経済衰退と軌を一にするように、ここ30年来凋落し続けており、ほとんど回復不能です。と言うより、ここにあるのは明らかにリテラシーの破綻です。たとえば岸田首相、あれだけ在任中は軍国主義化を推し進めながら、敗戦記念日の8月15日に行われた全国戦没者追悼式では「人間の尊厳」とか「不戦の誓い」とかいう言葉を平気で使う。しかも時に「自分は被爆地広島の出身である」と臆面もなく言う。言行不一致の最たるものだが、本人はそのことに気づいているのかいないのか。メディアも発言をただ掲載するだけで、その矛盾を突いたりはしないですね。「恥を知れ、恥を」と言いたい(^o^)。

A 大学生が漫画を読んでいると騒がれたのも今は昔の話ですね。

B 石丸候補に投票した人びとには危うい側面があると思いますが、それでは何も考えずに既得権擁護のためだけに小池氏に投票した、その倍近い人びとはどうなのか。

A 十数年前、2011年の都知事選の獲得票を見ると、タレントの東国原英夫氏が石丸氏とほぼ同じ169万票を獲得している。そのときの169万票と今回の165万票の質的差異は何なのかですね。

B 今回注目されたのは、田中さんが書いているように石丸氏の街頭演説手法であり、それに共鳴して投票した無党派層の心理です。SNSによる情報発信の影響が大きく、立候補者、投票者ともに既存選挙の枠外からなだれ込んできて旋風を起こしたメカニズムが関心を呼んだ。2011年から劇的に変ったわけでもないのに大いに話題になったのは、以前からのリテラシー欠如の風潮が一気に顕在化したからでしょう。そういう意味で石丸氏はトリックスターだった。そこに我々が何度も言及してきた、日本に広がる「明るい闇」が介在しているのは確かです。
 だから今回の新しい動きは「危うさ」もはらむけれど、保革ともに、何も考えずに既存組織の思惑に身をゆだねてきた「沈滞モード」から見ると、動きがある分、可能性がないわけでもない。今後の課題は、その動きをどうすればまっとうな政治の方向に変えていけるのか、危うさがが新たな混沌を生むことにならないためにどうすればいいのか、ということだと思います。

A そのためには、ものごとの理非を考えて投票する態度が必要です。それがリテラシーの復権ですね。政治をまっとうなものにしようと奮闘しているのが山本太郎とれいわ新選組であり、だから我々としては石丸現象をきっかけに、無党派層がれいわ支持に一層傾くことを期待したいです。

・山本太郎と石丸伸二の違いは何か

B 山本太郎の演説と石丸伸二のそれを比べてみると、その差は明瞭です。たとえば以下は和歌山市での山本太郎の街頭演説です(2.18)。

 維新は私から見てどう見えるかってお話ですね。維新は新自由主義を煮詰めたような政党、人でいうならば竹中平蔵さんみたいな政党だと思うんですよ。もうちょっと柔らかく言うと、弱肉強食が極まった政党だなと。民間なら、たとえばある部門が不採算で、このままいくとマイナスが余計広がって本体に影響が出るから、この部分を切り捨てようかみたいな話は一般にあることですね。でも、国や行政が弱肉強食みたいなことをやっちゃったら、行政の意味がなくなっちゃうんですよ。社会から人間を退出させることはできないっていうのが基本なんですよ。
 彼らはいろんな無駄があるって言ってるんだけれど、彼らがやっていることが一番無駄なんですよ。なんでいまさら万博? コロナで一番住民の命を失わせたのは大阪の行政です。それだけじゃない、カジノとかね。どっちむいて政治をやってるんですか。
 もっと言うと、大きな政府と小さな政府。大きな政府というのは、たとえば私たちが行っているような話です。教育費は無償にすべきだとか、基本的に生きる上で絶対必要なことに関しては、コストは国が持とうと。だって30年不況が続いて賃金上がらない中で、みんな生活するだけでももう精いっぱいだから、とにかく負担を減らしながら、ちゃんと社会におカネが回るってことをやっていかなきゃいけない。人間として当然生きていくということが、尊厳をもって生きていけるっていうことを担保するために、それが必要なんですね。
 たとえば水道。民間はだれの利益のために働くかって考えたら、株主のために働くんですよ、これは世界でもある話です。水道を民営化する、その結果、水道の水質が悪くなっちゃった。水質上げていくためにはコストかかるでしょ、今の料金のままで利益を上げようと思ったら水質落とすって言うか、仕事を減らすしかないんですね。水道管の交換が必要になっても、ぎりぎりまで変えませんよ、オーバーしても変えないかもしれない。世界で水道が民間に売り飛ばされた後に何が起こったかって言ったら、不透明な会計や不正です。いまこの15年間で水道事業が再公営化された事例は世界で35カ国、少なくとも180件あります。それなのに日本ではこれからそれをやろうとしている。賛成しているのがおそらく維新なんでしょう。公を売り飛ばして金儲けの道具にしているんですよ。

A わかりやすい山本太郎の「辻説法」ですね。

B 山本太郎の演説を聞いて、大いに感心して、れいわ支持者になって行く人も少なくないけれど、石丸伸二氏が都知事選のわずかの期間に160万票も集めるというような劇的なことは起こらない。石丸候補のアジテーションには感応するが、山本太郎の演説に共鳴する人は相対的に少ない。ここに日本人のリテラシー能力の低下が反映している。じっくりものごとを考えないわけですね。今回の都知事選における無党派層の票がれいわに向かうために何をすべきかを考えなくてはいけません。
 ある母親に「子どもには本を読ませた方がいいよ」と言ったら、その母親は「今はゲームとかアニメとか読むものがいっぱいあるし、学校では専門書なんかも読んでいますから」と言った。明らかに小説とか社会科学、哲学などの人文科学の本は念頭にない。政府が「人文科学より手っ取り早く金の儲かる技術系の知識を」、「資本計画は投資で」と言ってきたことが立派に実を結んでいる。日本企業から創造的な開発がほとんどなくなったのもそういう教育の〝成果〟です。
 戦後すぐのころは雑誌や本も少なく、「活字中毒」なんてことも言われましたが、いまは漫画、アニメのみならず、ゲーム、ユーチューブなどがあふれ、子どもたちが接するメディアは無尽蔵にあります。だから分厚い小説などは読まなくなっています。

A 従来なら、表面的な情報ばかり追いかけていても、そのうち飽きるか、友人の一言とかほんのちょっとしたきっかけで、こんなことではいかんと思いなおすことも起こり得たけれど、今ではスマホを通して、次々と目先の新しい情報が飛び込んでくるから、飽きるということもない。深く考える習慣はどんどん死に絶えている。ここに社会のIT化が濃い影を落としているわけですね。

・「文字の文化」から「電子の文化」へ

B リベラルアーツなどの一般的リテラシーが軽視される中で社会のIT化が進み、いよいよリテラシーが衰退している。インターネットなど「電子の文化」は書籍中心の「文字の文化」とは違う影響を人類に及ぼす。これからはIT社会を生きるための基本素養である「サイバーリテラシー」が必要だというのが20年来の持論です。
 たとえば「サイバーリテラシーの提唱」では、「書くとは、言葉を空間にとどめることであり、文字によって言語の潜在的な可能性が無限に拡大し、思考は組み立てなおされた。その特徴をより強固なものとし、同時に変えていったのがグーテンベルクによる活版印刷術の発明である。そして情報のデジタル化は、言葉を埋め込まれた文脈から解き放ち、受け手が自由に再構成することを可能にした。印刷術が、近代という時代を用意したように、いま進みつつあるデジタル情報革命は、これからの人類の歴史を、私たちの感性、思考、行動様式を大きく変えていくだろう。大きなうねりだけに、かえって見えにくい歴史の転換点をしっかりと見据え、電子の文化がもつ本質を見きわめる努力をしていきたい」と書いています。
 これに関連して、最近、たいへん興味深い本を読みました。ダグラス・ラシュコフ『デジタル生存競争』(原題 Survival of the Richest、境屋七左衛門訳、ボイジャー、2023)で、こういう恐ろしいことが書いてあります。
 一握りのIT起業家などの億万長者は、自分たちのせいでこの地球が破壊されようと、そういうことにはまったく関心がなく、ただ自分たちだけが生き残るにはどうすればいいかのみを考えている。それは砂漠や大平原の中の宮殿だったり、広大な地下シェルターだったり、太平洋に浮かぶ孤島に築かれた要塞だったり、さらには他の惑星だったり――。ノアの箱舟のように自分たちだけが生き残るための資材を確保すると同時に、その「城」が一般大衆に襲撃されないために防御(警備)にも気を使っている、と。
 彼らは地球がどうなろうと、自分たちだけが隔離された別転地で生きながらえれば良しとしているらしい。それは決してパラダイスではなく、むしろ地獄だと思うけれど、世の中がここまで苛烈になっていることに多くの日本人はほとんど気づいていない。と言うより、何が起こっているかの理解力や想像力を喪失しているように思いますね。
 ただの読み書き能力だけでなく、IT社会の本質を見通すサイバーリテラシーが必要だと言えるでしょう。以下は余談だけれど、この本には中国の「タンピン(躺平)運動」も紹介されています。
 タンピン運動というのは「寝そべり族」、「寝そべり主義」と言われるものらしく、ウイキペディアでは<中華人民共和国において若者の一部が競争社会を忌避し、住宅購入などの高額消費、結婚・出産を諦めるライフスタイルであり、具体的には、”住宅を買わない、車を買わない、恋愛しない、結婚しない、子供を作らない、消費は低水準(不買房、不買車、不談恋愛、不結婚、不生娃、低水平消費)〟を貫き、「最低限の生活を維持することで、資本家の金儲けマシーンとなって資本家に搾取される奴隷となることを拒否する」ポリシー>だと説明しています。
 国家資本主義の最先端では、こういう生き方も出ている。さすがに「竹林の七賢」の伝統を持つ中国ならではの話です。日本にもよく似た傾向がないわけではないが、精神の持ちようというか覚悟が違う。
 とりあえず日本の現状としては、せっかく眠っていた人びとが石丸候補によって呼び覚まされ、投票に向かう気になったのだから、それをさらに覚醒させるように努力すべきだと思いますね。

新サイバー閑話(116)<折々メール閑話>57

「混沌の先の激変」が可視化させた「明るい闇」

 B ユーチューブなど SNS以外ではほとんど無名だった石丸伸二氏は都知事選で若者、無党派層の大量票を集めて、選挙後はテレビをはじめとするマスメディアの寵児へと変身しました。テレビや新聞の手の平を返すような対応はいかにも日本的な変わり身の早さですが、では今回の石丸善戦の意味は、となるとあまり深い分析はされていないようです。当の石丸氏は当選直後のインタビューでテレビ局側の場当たり的な質問に独特の話法でけむに巻くなどしており、これにはテレビ局側の批判も起こったけれど、喝采を叫ぶ声も強かったですね。

A 石丸氏自身がエリート銀行員出身で、考え方の基本が日本維新の会に近い新自由主義的傾向をもつことについては、前回すでに話題にしました。各地で精力的に街頭演説を行い、それがユーチューブでどんどん報道されることで集めた金は3億円に上ったと、彼自身が出演したテレビの「TVタックル」で話していました。SNS恐るべし、ではありますね。

B 石丸氏は政党本位の選挙図式の枠外に置かれ浮遊していた無党派層、若者層を選挙の場に呼び込んだという点で、一種の「トリックスター」だったと言えます。トリックスターには詐欺師、ペテン師という意味もあるけれど、ここでは原義の「神話や民間伝承などで、社会の道徳・秩序を乱す一方、文化の活性化の役割を担うような存在」(広辞苑)という意味で使っています。もっとも、これが「文化の活性化」なのかどうか、これが今回のテーマでもあります。
 問題はこの若者層、無党派層が今後、政治にどのような形で参加していくのか、あるいはいかないのかということですね。前回も紹介した知人がOnline塾DOORSの第1回読書会で都知事選を総括する報告をしてくれました。というわけで、都民でもあるこの知人に特別にゲスト参加してもらい、都知事選、とくに石丸現象を総括してもらうことにしました。

C 私はインターネット上の情報を丁寧に(才覚をもって)探せば、がれきの中にも価値ある情報が多く存在することを示す「情報通信講釈師」を自称しています。したがって、今回の都知事選に関しても、ネット上の言論を渉猟して紹介しつつ、あわせて私の見解もお話したいと思います(下図は読書会報告のPPTファイルの1画面。北川高嗣・筑波大学名誉教授の評価で、既存政党の混乱ぶりを鋭く指摘している)。
 都知事選での上位3人の候補に対する私の評価は<1位小池:現職の立場を利用し、組織票を固めた老練な悪徳政治家、2位石丸:間接的に金を払ってYouTuberを使い若いネット民の心を巧みに掴んだが、安芸高田市では典型的なパワハラ上司タイプで訴訟されている、3位蓮舫:現職批判に徹し過ぎ、何をやるのかを明確に示せていなかった>となります。私自身はこれ以外の候補に投票しました。
 石丸躍進については、作家・古谷経衡さんの日刊ゲンダイ「石丸伸二氏を支持した『意識高い系』の空っぽさ」という論考が出色だと思います。まず「石丸氏は自己顕示欲や承認欲は旺盛だが、具体的な知識や教養が伴わないため、キラキラした空論しか言えない典型的な『意識高い系』である。 彼の2冊の著書『覚悟の論理』、『シン・日本列島改造論』から分かることは、コスパ(コスト・パフォーマンス)、つまり合理性と効率、損得勘定がすべてで、彼のコスパ最優先の世界観は都内の若年有権者に響いた」と分析しています。
 さらに「損なこと・無駄なことはやらない。得だと思えば最短で結果が出る戦略を実行する。要は弱者切り捨ての正当化であり、自己責任論の亜種である」と断じ、「 出口調査では、10代~30代の若年層から強く支持されたことが明らかになっており、若者に限ったことではないが、コスパとタイパ(タイムパフォーマンス)が社会をハック(うまくやり抜く)する必須の道具と理解している」と書いています。

B なるほど、鋭い分析ですね。とくに今回選挙で躍り出た若者の精神風土についての考察は考えさせられます。以前、このコラムでも紹介したけれど、某大学教授が「最近の若者は寅さんのおもしろさがわからない」と嘆いていたのを思い出します。若者の感性がもはや日本の伝統と切り離されているというか。

C 古谷氏は、彼らについても今の若者は 2時間を超える映画を見ることができず、15分に短縮したファスト映画が横溢し、本や記事を読むことが苦痛で、要点だけをまとめた『見出し記事』で何かを分かった気になっており、議論より『論破』を好む。こうした知的怠惰の層は確実に増えており、ユーチューブなどのまとめ動画にふれたのがキッカケで石丸支持に向かった者も多い。彼を支持した西村博之氏、堀江貴文氏らのメンツを見れば、支持層の知性水準がおのずと明らかである、と。

B これまで選挙や政治と無縁に生きてきた若者がユーチューブのスター、石丸氏によって政治の場に引きずり出されたわけで、だから彼らは小池氏に投票しなかった以上に、既成野党に支えられた蓮舫候補に見向きもしなかった。そういう意味では今回、可視化された若者の参加はプラスとも言えるが、内実を見ると、きわめて心配な点がありますね。

C 古谷説の説明が長くなりますが、彼は「石丸の大番狂わせは政治不信の結果なのだろうか。否である。既存の政治家が何を言い、何をやり(あるいはやらないか)すら、自分で調べることが面倒で小難しいと考えている人々が石丸を支持した層の主体である。世の中に全く無関心というわけではないが、民主主義に参加する際の最低限度の作法すら身に付けておらず、具体的な知識も持っているわけではない──。こういう空っぽな連中には、『石丸程度』がちょうど良かったというだけではないか」と核心を突くことを言っています。

B 思わず、うーんと唸ってしまいます。ここには長い間の日本の教育行政が反映している。大学では人文科学より手っ取り早く金が稼げる工学系を重視すべきだとか、政府批判をするような学者や大学は排除するとか、学術会議を政府寄りに改組すべきだとか、長い間の文教教育のいびつさが生み出した奇形的学生が増えているわけで、中立というのは政府の考え方に従うことだとマジメに思っている学生も珍しくないとか。
 寅さんではないけれど、泥臭さ、一生懸命さが一番嫌われる。こういう若者と石丸氏の嗜好はぴったりかも。マスメディアの軽薄さについては後に触れますが、ユーチューブなどで論陣を張っている人にも、こういう若者に受けそうな軽薄な人が多いように思います。
 ちなみに古谷氏が「意識高い系」という言葉を使っているところが興味深い。「意識が高い人」とはむしろ逆の存在で、ウイキペディアでは、<自己顕示欲と承認欲求が強く自分を過剰に演出するが相応の中身が伴っていない人、インターネット(SNS)において自分の経歴・人脈を演出して自己アピールを絶やさない人などを意味する俗称」と説明しています。<本当の意味で意識が高い人の表面的な真似に過ぎないため、「系」と付けられている>ともあり、この「系」というのがいかにも現在の精神状況を反映しているように思います。

A 古谷氏はれいわ新選組が代表選挙をやったときに立候補した人ですね。

B そこで、前回も書いたように、今回ともかくも投票所に行った若者たちが今後、れいわ支持に向かうのか、石丸氏など維新の風潮になびいていくのかはきわめて重要ではないかとも思ってるんですね。
 ユーチューブ大学の中田敦彦氏との対談やテレビ「TVタックル」での発言を見ていると、「自民党政治の密室性を排する」とか、「国政には当面関心がない」とか言っていて、しっかりした印象も受けるけれど、突然、論理的には「明日地球が破滅する可能性もないわけではない」という意味で、「国政進出の可能性もある」、「広島一区とか」というふうなメディアが飛びつくようなことを言って敢えて波風を立てようとするなど、人間的な誠実さは感じられないですね。

C 橋下、ホリエモン、東国原などの人とは知的レベルが違うかも知れませんが、品性の無さは同程度かと思います。「論語と算盤」の観点からすれば、算盤ばかりで論語を勉強していない、片手落ちの人間なんだろうと思います。そうでなければ、一夫多妻制とか遺伝子組み換え人間といったことを早計に口にすることはないと思いますね、ましてや公共の電波を使って。

A 「義理と人情が、たとえわずかであっても、金絡みの世の中を救っているんだ」(宇江佐真理『髪結い伊三次捕物余話』の主人公、伊三次のセリフ)に共感する身としては、算盤だけの石丸氏には大きな違和感を感じます。

B 現代日本社会が抱えている大きな滓(氷山)の一部が一気に浮上したというか、可視化した印象があります。ここをよく考えないといけないですね。しかも、北川先生の言うように、蓮舫陣営は「完敗の説明も整理もできない」呆然自失の状態です。泉健太代表をはじめとする立憲民主党は、たとえ党首をすげ替えても、蘇生に向かえるかどうか。

C 文化放送「大竹まことゴールデンラジオ」で大竹まことが「選挙が終われば普通は沈静化するのに、今回は石丸伸二がメディアで引っ張りダコみたいな現象になっている」と指摘しつつ、こんなふうに述べていました。「これまで自公政権がずっと社会を引っ張って来たけど、何十年も低迷していて、給料も上がらない、誰がやっても良くならないという諦めムードの中、イキのいい人が出て来た。今までの政治は組織票が強く、若者の意見は届かない。そこに、この人は何を考えているんだろう?どうしたいんだろう?と年寄りも若者たちも、石丸現象を不思議に思っている」と。
 日刊ゲンダイは都知事選・都議補選の結果で与野党にショックが広がっており、その一因として連合会長の言動が問題だとして、以下の発言を紹介しています。

・ 選挙前後の芳野友子連合会長の言動に立民、共産、蓮舫が猛反発中しているが、連合会長が共産党排除を言う資格があるかは疑問である。労働組合は賃金引き上げのために組織されたものだが、企業が550兆円以上の内部留保を持つ中、連合はアクションを起こさず、労働貴族化している(精神科医・和田秀樹) 
 ・連合は一体どこを見ているのか? 労働者を代弁する組織なのか? 野党を応援しているのか? 第2経団連を目指しているのか? 第2自民党か? 自民党の手下のように振る舞ったり、立ち位置がさっぱり分からなくなっている。連合の動きが野党に対する誤解を招き、ひいては国民にとってマイナスに作用している (政治ジャーナリスト・角谷浩一)

 私としては、自民党トップと会食する連合芳野と大手マスコミ各社トップが日本の政治・経済の低迷化を加速している元凶だと思いますね。

B いよいよマスメディアが登場しました(^o^)。今回はっきりと可視化されたのがメディアの悲惨な状況でもありました。その象徴的事例として、ここでは朝日新聞政治部記者K氏の蓮舫批判というか、これが政治部記者なのかと根本を疑わせるケースに触れておきます。
 K氏のⅩの書き込みは右の通りだが、文字起こしすると、こうなります。「ザ蓮舫さん、という感じですね。支持してもしなくても評論するのは自由でしょう。しかも共産べったりなんて事実じゃん。確かに連合組織率は下がっているけれど、それは蓮舫さん支持しなかったかではないでしょう。自分を支持しない、批判したから衰退しているって、自分中心主義が本当に恐ろしい」。
 芳野連合会長が「蓮舫陣営は共産党から支持されたことで票を逃した」と余計な横やりを入れたのに対して、蓮舫氏が「小池氏を支持した人に言われる筋合いはない」と反論したことに対して、茶々を入れた投稿ですね。小中学生なみの書き方「じゃん」。
 こういうことを朝日新聞政治部記者が書くようになった。本コラム53回でやはり朝日新聞編集委員の朝日デジタルでの書き込みを取り上げたけれど、あれも新聞記者の素質を疑わせるものでした。いまの朝日新聞にはジャーナリズム精神と無縁のこの種の記者が過半を占めるのではないかとさえ思わされます。
 先日、ある会合で汐留シティセンターの42回レストランから朝日新聞社屋を望む機会があったけれど、再開発ビル群に囲まれた朝日新聞ビルのなんと小さく見えたことか。後ろに広がるのが築地市場跡地ですが、その再開発事業を推進するのは、明治神宮外苑再開発も手がける三井不動産を代表企業とするグループで、構成企業にはトヨタ不動産、読売新聞グループ本社、鹿島や清水建設、大成建設、竹中工務店、日建設計、パシフィックコンサルタンツとともに朝日新聞社も名を連ねています。
 前回、「組織のトップが無能であると、自分の非力を補完する有能な人材を回りに集めるのではなく、むしろ自分の地位を脅かす有能な人材を排除し、自分を忖度して動いてくれる、あるいは自分の地位を脅かさない無能な人材を集める」と、組織における「無能移譲の原則」とも言うべき〝法則〟にふれたけれど、朝日新聞はこのところどんどんダメになりつつ、いよいよダメな人間を培養してきたのだと思います。
 もちろん、それは自民党にも、野党にも、企業にも言えますね。小林製薬、東京モータースなど世襲企業の名がすぐ浮かぶけれど、日本の政治をダメにしたのが世襲議員でもあります。

A 新聞記者劣化の一つには、貴兄の若き記者時代に於ける田中哲也氏のような、先輩記者に恵まれなかったこともあるかも知れませんね(㊸、『混迷の先に激変の兆し』補遺として「これが新聞記者だ 反骨のジャーナリスト田中哲也」を収録、アマゾンで販売中)。
 氏の任侠三部作は好きな歌です。またスナックで歌おうかな(^o^)。ちなみにこれもときどき本コラムに登場してもらう友人のH氏も記者の劣化を憂いて、「朝日は戦前戦中に回帰するのか!」と嘆いていました。

B 以前、「『安倍国葬』に見る日本の明るい闇」(『山本太郎が日本を救う』所収)をテーマにしたことがあるけれど、戦前の「暗い闇」とは違い、ある意味ではもっと絶望的な「明るい闇」がいま日本を覆っているといえますね。
 僕が心配しているのがこの地滑り的流動化が、これまで山本太郎やれいわ新選組が営々として掘り起こしてきた無党派層、若者層の政治への掘り起こしを促進する方向に働くよりも、むしろ引きはがしに向かうのではないかということです。
 ちょっと気になるのが選挙後の20、21両日に共同通信が行った世論調査で、れいわ新選組の支持率が3.3%と前回(6月22、23日)の5.1%より減り、次期衆院選での比例代表制で投票する政党では3.0%とやはり前回の4.4%より減っていることです。
 自民の裏金問題がピークのころ、次期選挙では自民激減、立憲大幅増という予測もありましたが、あのころ(と言っても数カ月前)までは人びとの意識に政権交代への幻想があったけれど、事態はまたがらりと変わりつつありますね。

A 我々としては、地道にやっていくしかないですね。昨日は事務所のポスターを張り替えました。 

[空気を読まない馬鹿にしかこの国は変えられない]
[世界に絶望してる?だったら変えよう]

 誰が考えたのか実に力強いメッセージですね!山本代表の顔はますます風格を感じさせます。
 グループラインでれいわサポーターズ三重の仲間からいいねの大絶賛。参加した時は40名弱だったけれど、今では総勢60名を超えました。何よりも皆若くて、30代から40代前半のメンバーが多いのが強みです。活動量も多く、中でも女性陣ががんばっています、主婦も多い。

B 海の向こうではとうとうバイデン大統領が次期大統領選からの撤退を表明しました。土壇場まで引きずったことの痛手は大きいけれど、ともかくも彼は撤退を決断した。民主党も新大統領候補、カマラ・ハリス副大統領を支援する態勢を立て直し、トランプ候補に堂々と対決してほしいですね。

新サイバー閑話(115)<折々メール閑話>56

小池都知事3選と健闘した石丸候補の危うさ

B 7月7日投開票の東京都知事選は現職の小池百合子氏3選で終わりましたが、考えさせられることの多い選挙でした。石丸伸二候補は無党派層、無組織層の票を吸収し、蓮舫候補を上回る2位となりました。とくに若年層の支持を集め、それも関係してか投票率が60.6%、前回の55%に比べると5ポイントも増加しました。
 本コラム53回のタイトルは「混沌の先に激変の兆し」で、これを『山本太郎が日本を救う』第3集のタイトルにもしています。外野席からひそかに期待した「小池知事3選阻止」はかなわなかったとは言え、まさに「激変」したと言っていいでしょう。
 小池知事は裏金自民の支援を表に出さない戦略で、現職の強みを生かしつつ、実際は自民党、公明党、さらには組合の連合などの組織票を固めて292万票を得ました。これに対して小池都政リセットを掲げた前立憲民主党参院議員、蓮舫候補は立憲民主党と共産党のやはり組織層を基盤にして闘い、無党派層の支持を獲得するのには失敗しました。
 ここだけを見ると、既存の選挙パターン、大票田の無党派層を枠外に置いて繰り広げられる組織本位の選挙戦と同じです。そこでは保守が強く革新はじり貧、その外側に存在する無党派層、無組織層、若年層はむしろ選挙に無関心で、したがってどんどん投票率も低くなり、選挙そのものが形骸化すらしていたわけですね。

A 蓮舫応援に立ったのが立憲の野田佳彦、枝野幸男といった古色蒼然たる顔ぶれだし、共産党は組織そのものが高齢化しており、これでは利権政治の自民党に勝てるわけがないですね。

B そこに新風を巻き起こしたのが石丸候補でした。安芸高田市長としての活躍ぶりに興味を持ち、選挙中盤の街頭演説に多くの聴衆が集まるのを見て、一時は打倒小池百合子の期待を抱いたほどでした(写真は新宿での石丸候補と聴衆)。彼はたしかに無党派層、若年層の支持を集め、それが蓮舫を上回る166万票も獲得した理由です。蓮舫候補の128万票をたすと、294万票で、わずかではあるが、小池票を上回っています。小池百合子が勝ったとはいえ、内実を見ると、圧勝とは言えないですね。
 しかも、4、5位にほとんど無名だったIT専門家の安野貴博、医師・作家の内海聡の各氏が入っており、この2人の票をあわせると、4位の田母神俊雄候補を上回る27万余票です。安野、内海両氏の得票も既存の保革対決の図式を外れたところに選挙民の関心がある証拠ではないでしょうか。都知事選の詳しい投票分析が待たれますね。

A 既存の組織中心の選挙から離れようとする兆候が見られ、その最大の証拠が石丸善戦でしょう。石丸候補の周辺には橋下徹氏など維新の影がちらついて敬遠気味でしたが、石丸陣営が選挙前に日本維新の会に選挙協力を申し出ていたことも選挙後に明らかになり、さもありなんと思いました。

B ここが注目すべき点ですね。石丸候補の参謀は維新に近い人だとも言われていました。既存組織とは一線を画した新しい勢力として台頭、安芸高田市長時代からのユーチューブファンを中心に若者の支持も集めたけれど、それでも小池打倒とは行かなかった。だから個人的には、彼の役割は終わった感じがしますが、問題はむしろその先にある。今回、石丸候補を支持した若者は、今後どこに向かうのか。
 山本太郎は既存の政党には吸収されない無関心層、あるいは若者層に働きかけて新しい政治をやろうとしているわけだけれど、都知事選ではれいわ独自の候補を立てず「静観」の態度をとりました。
 今回、石丸候補は多くの若者層の関心をとらえたけれど、これを別の観点から見ると、若者の関心が石丸候補を媒介としてさらに保守の方向に流れる危険を感じます。れいわ支持層をはぎ取って保守へと回帰させる恐れもあるのではないか。したがってこの「激変」はれいわにとって大いに警戒すべきではないかとも思うわけです。
 選挙中に流れたいろんな番組のなかで、たとえば「ユーチューブ大学」の中田敦彦氏との対談などを見ていると、古い密室政治と一線を画する考えに感心することもあったのだが、選挙後は新たな「政治屋」の誕生という面が浮き彫りになっているのは、大いに残念というか、幻滅ですね。もっとも、彼が日本のマスメディアのダメさ加減をあぶりだしてくれたのはプラスだったと言えます。

A くだらない質問をするメディアを一刀両断で切り捨てる態度には快哉を叫びたいところもあったけれど(^o^)、若い女性アシスタントの質問を頭から無視してバカにする一方で、橋下徹氏などには下手に出るなど、人間的な誠実さを疑わせました。

B 知人で最初から石丸候補に「維新の臭い」をかぎ、さらばと言って蓮舫では勝てそうにない、いっそ自分が信じるまっとうな人に投票しようと、内海聡候補に投票した人がいます。選挙リテラシーということを考えると、2位の候補に投票し小池打倒をめざすのがいいけれど、もはや小池3選阻止は無理と考え、意中の人に投票したわけで、これはこれで見識とも言えます。そういう人が安野さんに投票した人も含め27万人いたということでしょう。
 ところで、その知人が石丸候補独特の話法を皮肉った「マックの注文」というインターネット上の辛口パロディを教えてくれたので紹介しておきます。
 石丸氏には安芸高田市長選をめぐるポスター制作費をめぐって印刷会社から代金未払の訴訟を起こされ最高裁で負けたり、安芸高田市議から「恫喝した覚えはない」と訴えられた裁判でも高裁で敗訴するなど、これも橋下徹譲りなのか、訴訟されても平気という体質もあるようで、だんだん化けの皮がはがれてきたようですね。

A 彼には弱者に対する思いやりをいささかも感じない。これも橋下徹と同じ。山本太郎との大きな違いです。ポスター代金不払い訴訟では担当弁護士に「モンスタークレーマー」だと一刀両断されていました。
 共産党の友人が「今回の結果は、ジャーナリズムの責任と言うより、大衆の心理を見極めることが出来なかった立憲民主党と共産党の責任だと思います。私も蓮舫に期待していたが甘かった。大衆は強いヒーローを待ち望んでいる。特に10代〜50代。石丸にも橋下が出て来た時と同じ様に感じます」と言っていました。

B 都知事選で同時に行われた9選挙区での都議補選では、自民党は8人を擁立しながら当選は2人で、裏金自民への批判の風当たりは弱まっていないこともわかりました。
 石丸候補が今後どう政局に絡んでくるのか、もはやあまり興味もないのだが、むしろ大事なのはれいわの今後です。
 山本太郎は投票翌日の9日も栃木でのおしゃべり会に参加し、持論を展開しつつ次期衆院選に向かっての構想を話していたけれど、石丸候補によって掘り起こされた(とにかく投票に行った)無党派層、若年層が、石丸候補や維新の方向に流れないように一層の活動が必要だということになりますね。
 われわれも「貧者の一灯」を掲げ直して、次期衆院選でのれいわ国会議席20人以上を目指しましょう。

A 先の友人は「山本太郎と石丸伸二は月とスッポンです(!)」と言ってくれました。石丸氏は広島一区から衆院選出馬の意志もあるみたいですが、無脳キシダの代わりにとんでもないモンスターが誕生する恐れもありますね。

B あまり注目されなかったけれど、2022年7月8日は先の参院選最中に街頭演説中の安倍元首相が統一教会の信者2世の若者に銃撃された日です。奈良市で起こったこの事件については本コラムでもリアルタイムで取り上げましたが、あれから2年がたちました。統一教会問題に関しては、7月11日に最高裁で画期的な判決が出ています。信者が献金に際して「損害賠償請求をいっさいしない」と書いた念書は、「教団の心理的な影響下にあった」もので無効であると、下級審の教団勝訴の判決を破棄しました。こういう教団に対して時の首相がメッセージを送っていたわけで、この銃撃事件の裁判の行方も注目されます。
 安倍政権の膿はまだいっぱいたまっているわけで、都知事選で見えた「激変の兆し」を、政治を本道に戻す「兆し」にしてもらいたいものです。

 

新サイバー閑話(114)<折々メール閑話>55

国会無視の「集団的自衛権行使容認」から10年

 B 安倍内閣が閣議だけで集団的自衛権の行使を容認して、すでに10年がたちます。それまでの政府解釈では「集団的自衛権は憲法違反」だとされてきましたが、安倍内閣は2014年7月1日、国会の審議も経ずに、一内閣の決定だけでこれを覆したわけです。「非立憲内閣の上からのクーデター」とまで言われた暴挙だったわけですが、この決定により、日本は「専守防衛」から大きく舵をとり、「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、日本国民の権利や生命が根底から覆される明白な危険がある」場合は武力を行使できることになりました。
 本来、立法府である国会で議論し決めるべき事柄が、行政府である内閣によって安直に、そして恣意的に決めていいのだという風潮がこれ以来、一気に広がりました。悪貨が良貨を駆逐するように、民主主義的な政治手続きが骨抜きになり、国会を無視するばかりか、民意などどこ吹く風、大事なことは何も説明せず、不都合なことはあえて隠して、強引にことを運ぶという路線の上にここ十年、アメリカ追随の軍事大国化への道を突き進んできたわけです。
 安倍内閣は2015年にその閣議決定をもとに集団的自衛権行使容認を柱とする安全保障関連法を成立させましたが、この動きは岸田政権へと受け継がれます。2022年12月には、防衛力強化に向けた新たな「国家安全保障戦略」などの安保関連3文書が、これも閣議決定され、敵基地攻撃能力(反撃能力)保有も明記されました。また防衛財源確保法、防衛産業基盤強化法なども成立、武器輸出ルールの緩和も進んでいます。

A その安倍政権は2020年1月、当時「政権の守護神」とまで言われていた東京高検検事長、黒川弘務氏の定年を、これも突然、これまでの慣例を無視して閣議決定だけで「検察官の定年に国家公務員法は適用できる」ことにし、黒川氏が63歳の定年を迎える数日前に半年間延長することを決めた。半年延長する間に彼を65歳定年の検事総長に昇格させようという恐れ入ったごり押しです。

B 森加計問題や桜を見る会など安倍政権の強権政策への国民の批判を、検察当局に「身内」の人材を送り込むことで糊塗しようとしたわけですね。集団的自衛権容認のために法の番人ともいうべき内閣法制局長官の首をすげ替えたのと同じ手法です。
 この点については本コラム「日本を蝕んでいたアベノウイルス」(『山本太郎が日本を救う』所収)で取り上げ、以下のように書きました。

 なぜ安倍政治は短期間の間に日本をかくも無残な状態に陥れることができたのか。それは安倍晋三という個人の資質と大いに関係があります。一方に愚鈍というほどの無神経があり、他方に一国の首相という絶大な権力があった。この不幸な組み合わせが、他の人ならさすがにここまではやらないと思うような事柄を臆面もなく実行させ、しかもそれが実行された暁には、多くの人が「そういうことも許されるのか」、「それもありか」と安易に追随するという連鎖が起こった。それが「決断する政治」の内実です。ここには既成事実に弱い日本人の特性が大きく影響していると言えるでしょう。この結果、政治の世界のみならず、日本社会の隅々までアベノドクが蔓延しましたが、銃撃事件によってそれが国民の目に可視化されたわけです。

A 折りしも今年6月27日、検事長定年延長に関する文書の開示を求めた訴訟に対して、大阪地裁は「法解釈の変更は元検事長の定年延長が目的」だと明快に断じ、国に文書開示を求める判決を出しました。

B 今更ながらとは言うものの、まっとうな判断が出てほっとしました。従来の判決ではクロであるものをシロと言い含めるために、やたらに複雑な判決になりがちですが、すなおに考えればこういう判断になるしかないと思わされる明解な判決文でもあります。
 結局、この10年で日本の立憲政治は完全に空洞化したと言ってもいい。安倍内閣の罪はきわめて大きい。自分ではほとんど何も考えない岸田首相は、安倍元首相の路線上で対米追随外交をしゃにむに推進しており、日本の主体的外交というものはまったくない。訪米時にバイデン大統領の専用車に乗せてもらってにやついている岸田首相の顔は見苦しいですね。

A そのバイデン大統領もひどい。年末の大統領選をめぐるトランプ元大統領との最近の討論会では年齢的な衰えが目立ち、正視するのもつらい状況で、ニューヨークタイムズなど「あなたが国に貢献できる唯一の方法は大統領選から撤退することだ」と述べたほどです。

B 彼は自分の年齢的衰えを自覚しているのだから、潔く身を引いて、トランプ大統領再選の「悪夢」を実現させないように最善を尽くすべきだと思いますね。これは政治家のモラルの問題です。いつまでも権力にしがみつく彼の姿はまことに醜い。日本の新聞が嘘にまみれた小池都知事に引導を渡せないのに比べると、ニューヨークタイムズは立派だとも思いましたね。

A 裁判の話題ということでは、7月3日、最高裁大法廷で「旧優生保護法は個人の尊厳と人格の尊重の精神に反しており」違憲であるとの判決が出ています。これも特筆すべきだと思います。
 いまは東京都知事選が真っ盛りですが、混沌の先に激変の兆しは見えますかね。最近はこんなことも考えます。

 宇江佐真理の小説に出てくる人情あふれる長屋共同体はどうして跡形もなく消えてしまったのか。小学生から中学高校まで過ごした小さな町の7棟の2軒長屋時代には、それは間違いなくあった。14家族のそれぞれの家族が何人構成で、一家の主の職業はもちろん、子どもたちの名前や誰が何年生でどこに通っているか、成人した家族はどこで働いているかなどすべてが分かっていた。嫌なおばさんもいて、少々うるさく思うこともあったが、それは江戸時代の長屋生活でも同じだろう。おおむね親切で優しいおばさんが多かったし、年寄りは年寄りらしくそれなりに尊敬され、暖かく皆も接していた。お金の貸し借りがあったかどうかは知らないが、味噌や醤油の貸し借りは普通だった。当時は毎日風呂を沸かす家など多くはなく、お互いもらい風呂というときもあった。皆等しく貧乏でお金持ちはいなかった。電話は親しい商店にかかって来て呼び出し電話だったし、テレビも無かった。

 B 僕のところも風呂は共同で、風呂焚きは住人の当番制でした。風呂が沸くと拍子木をもって町内をふれ歩いたことを思い出しました。戦後まもなくのみんな貧しいころで、だから相互扶助というか助け合いの精神は豊かでした。と言うか、当たり前の風景でした。
 メソポタミア文明の石に書かれた文字を解読したら、「最近の若い者はだらしがない」というようなことが書いてあったと、これは真偽定かではないけれど、歳をとると昔の生活が懐かしくなるのは古今東西変わらぬようですね。しかし、このことを差し置いても、戦後の日本の歴史は急速に衰退に向かっているように思います。
 戦後の貧しさから立ち直り、やがて高度経済成長になり、みんな故郷を離れて都会に出るようになりました。団地やニュータウンに住み、生活は豊かに、そして便利になったけれども、かつての人びとが大事にしていた大切なものも失われた。
 有名なエズラ・ヴォ―ゲルの ジャパン・アズ・ナンバーワン が出たのは1979年です。1980年から90年代にかけて、世界でも最高水準の経済大国とみなされるようになったわけですが、スイスの有力ビジネススクールIMDが毎年発表している世界競争力ランキングによると、2024年の段階で日本は38位です。3年連続で過去最低を更新しています。企業の生産性や効率の低さなどへの評価が落ち込んだことが主な理由と言われますが、まことに昔日の感に打たれます(表は日本経済新聞から)。
 安倍政権はその衰退の時期に生まれ、それを立ちなおすべきときに、むしろ破壊し尽くしたと言えますね。この期間は政治の堕落と経済の衰退が軌を一にしています。いまの若者は高度経済成長も知りません。日本の過去の長所の多くが失われ、それに代わる新しい秩序、倫理が生まれないことに、ITの発達が関係しているというのが僕の持論でもあります。
 過去の誤りの指摘はそれ自体としては必要であり、また意味あることでもあるが、その間の歴史を取り戻すことはできないですね。

 A こういう状況下にありながら、たとえば東京都知事選では依然として小池百合子現知事の優勢が伝えられているわけでしょう。公明党婦人部が小池百合子を支持しているのもどうかと思うけれど、労働組合の連合が小池支持というのは開いた口がふさがらないですね。小池百合子のどこが働く者の味方というんでしょうね。

B 前回もふれたけれど、僕は前安芸高田市長、石丸伸二氏の街頭演説の熱気に新しい政治の息吹を感じています。彼が保守の小池支持層を突き崩してそのまま突き進むか、その余波で蓮舫が浮上してくれることを、外野から期待している状況です。

新サイバー閑話(113)<折々メール閑話>54

「終わりの始まり」の予感、あるいは期待

B 第213回通常国会は6月23日に閉会しました。歴史的な評価は後世の史家に委ねるとして、ここ数年、政情を見てきた身には、最低の国会だった気がしますね。閉会間際の19日に岸田政権初の党首討論があり、立憲民主党(泉健太)、日本維新の会(馬場伸幸)、日本共産党(田村智子)、国民民主党(玉木雄一郎)の各党首が、政治資金規正法改正のザル法ぶりなどを批判して、岸田首相に「国会を解散し改めて国民の信を問うべきだ」と迫りましたが、岸田首相はただ突っぱねるだけ。玉木代表の「あなたはいま四面楚歌ですよ」という指摘に対して「私自身は四面楚歌であるとは感じておりません」と答える一幕もありました。総じていえば岸田首相の相変わらずの無責任ぶりと、野党側の迫力不足を感じさせられました。

A 党首討論にれいわの山本太郎が入っていないのが残念でした「だからこそ国会の議席を増やさないといけない」という山本代表の悲願がわかりますね。

 B 政治資金規正法改正はザルだらけで成立しましたが、岸田首相は政権の支持率低下などの世論の風向きを見て、形だけの改正法を成立させればいいと考えているから、企業献金をやめるというふうな抜本改正をやる気はまったくない。実質的に規制するのではなく、規制の外観だけをとりつくろうとする思惑が見え見えで、審議中に自民党議員に対して、抜け穴は十分あるというふうな背景説明などもしていました。
 彼が自民党だけを見て、国民にはまったく目を向けていないのは明らかで、改正法をあえてザル法にしたり、細かい規定は後に考えたりというまやかしの法づくりです。このようないい加減な法案づくり自体、前代未聞の気がします。

 A 規正法改正の細かい条文をめぐり公明、維新と折衝をくりかえし、そのたびにメディアは経緯を詳しく報道しましたが、本質にはあまり関係のない話です。たとえば、政治資金パーティー券購入者の公開基準額を「20万円超」から「5万円超」に引き下げるとか、国会議員に月額100万円が支給される「調査研究広報滞在費(旧文書通信交通滞在費)」をめぐる改革とか。後者では、首相が今国会での改革を維新代表と合意したのに、結局は見送ったことで、維新の会は「嘘つき岸田」と批判して、衆院で賛成した法案に参院では反対にまわったりしています。

B 今回の国会は「荒れた」わけではなく、荒れるほどのエネルギーが野党になかったということだと思います。
 今国会で成立した地方自治法改正、子ども・子育て支援法改正など、みんな問題含みだったと言えますね。自民流(岸田流)の政治手法は、①法制定は極力細部をあいまいにして、事後に裁量でどうにでも解釈できる余地を残しておく、②国会では十分な議論を尽くさない(民意の代表としての国会を軽視する)、③不都合な抵抗は無視して、問題を何度も蒸し返し、その間に大金を投じた世論工作をし、自らの意向をごり押しする、といったものだと思うけれど、その当然の結果として国民の順法精神も形骸化、末端ではルール無視が日常化しているのではないでしょうか。
 5月30日までの折々メール閑話をまとめて、『山本太郎が日本を救う・第3集 混迷の先に激変の兆し』を刊行し、その表紙に山本太郎の「野党を強くしていくためには、国会で徹底的に戦う姿勢と国の経済を立て直すための太い経済政策が必要です。そのためには、私たちがまず強くなる必要がある」という発言を掲げましたが、まったくその通りだと思います。

A まっとうな議論が行われない国会にしたのは、やはり国民にも責任がある。

B タイトルの「混迷の先に激変の兆し」というところに、我々としては一抹の希望を見たいと思っているわけです。それを感じさせてくれる一つが、20日に告示された東京都知事選挙における石丸伸二・元安芸高田市長の善戦ぶりです。前回の折々メール閑話で石丸伸二が台風の目になるとの観測を述べましたが、告示後1週間までの街頭演説に多くの聴衆が集まっているのを見ると、ひょっとすると、という思いが強くなりますね。

A 石丸陣営にはいつのまにか大きな支援グループが出来ているようですね。大物財界人が支援しているとか、「選挙の神様」と言われる選挙のプロが事務局長に就任したりしています。
 何と言っても彼には安芸高田市長としての実績というか、市議会の旧態依然たる保守政治家と対決してきた経緯があります。この動画がユーチューブで全国配信され、人気動画になったために、これまで政治にそっぽを向けてきた若者層の関心も呼び起こしました。

B 彼については当コラム「岸田首相と石丸安芸高田市長の器の差」(㊷、第3集に収録)でも取り上げていますが、既成政治家とはだいぶ違うスタンスをとっています。彼の言動を見ていると、自民党、公明党、さらには労働組合の連合など保守的組織の支持を見込んでいる小池百合子陣営、立憲民主党や共産党など革新的な組織票を見込む蓮舫陣営に比べ、石丸陣営には、とりあえず組織の支援というものがない。
 保守にしろ、革新にしろ、高齢者にしろ、若者にしろ、いずれも既存の組織と関係のない、要は組織票と無縁なところに新味と強みを感じます。硬直化した既存の選挙戦とは違います。

A 「東京を動かそう」、「政治屋一掃、恥を知れ!」という彼のフレーズはいい。実践エコノミストである点、政策への期待もあります。ただ山本太郎と比べると、弱者目線が弱い。何と言っても彼はエリートですからね。
 今回の都知事選には有名なIT専門家も立候補しており、少し選挙風景が変わってきたかも。しかし、打倒小池百合子という観点から見ると、蓮舫、石丸が競いあって、共倒れする心配もあります。われわれには選挙権はないけれど、都民が今後の情勢をよく見極め、賢い選択をしてほしいです。

B れいわ新選組は都知事選では候補を立てず、「静観」という態度をとっていますが、石丸陣営が体現するものとれいわ新選組が求めてきたものとは似ている点がある(もちろん違う点もある)。
 石丸陣営の強みは硬直した既存政治の否定ですが、保守層からもかなりの支持を得ているようです。この「新しいうねり」は、山本太郎がこれまでの活動を通じて掘り起こしてきたものと重複するところも大きい。
 今回の都知事選は既存の政治に不満を抱いている人びとが、あらためて政治に関心を持つきっかけになりそうな気がします。石丸氏が当選できるかどうかはもちろんわかりませんが、落選したとしても、多くの人に「新しい政治」の可能性を感じさせた点で大きな意義があったと言えるでしょう。
 それは、れいわの次期衆院選での躍進を予感させるものでもあります。既存政治の退廃から抜け出す「終わりの始まり」の予感、あるいは期待というものを感じさせますね。

 例によって、㏚です。
 『山本太郎が日本を救う第3集 混沌の先に激変の兆し』(サイバーリテラシー研究所刊、アマゾンで販売)は前回同様、定価1300円(+消費税)で、目次は以下の通りです。2023年8月14日から2024年5月31日までの「折々メール閑話」を採録しています。補遺に本文㊸でふれた反骨のジャーナリスト、田中哲也の紹介文とかつて読売新聞文化欄に寄稿した論考を採録しました。

PARTⅠ <折々メール閑話>
花火を「商品化」し地元民を締め出す倒錯㊲
原発汚染水放出と鎌倉市庁舎移転㊳
ジャニーズ事件と「自浄能力」喪失日本㊴
今日も孤軍奮闘するれいわ新選組㊵
統一教会・ジャニーズ・大阪万博㊶
岸田首相と石丸安芸高田市長の器の差㊷
寒暖差激しい秋の夜長のだらだら閑話㊸
岸田政権崩壊で加速する政局の「液状化」㊹
いよいよ沈みゆく泥沼の日本政治㊺
ついに「れいわの出番」がやって来る㊻
いま力強く羽ばたくれいわの「白鳥」㊼
号外・山本太郎が次期総理候補第2位に
多難な年明け れいわの真価が試される㊽
#大石あき子、橋下徹に完勝したってよ㊾
菜の花咲く春なのにまともな政治はまだ来ない㊿
もはや自民党政権にはつける薬もない 51
小池都知事の「嘘で固めた」人生の黄昏? 52
混沌の先に激変の兆し。焦点は都知事選 53
PART Ⅱ補遺
<1>これが新聞記者だ 反骨のジャーナリスト 田中哲也
<2>IT技術は日本人にとって「パンドラの箱」?
 

新サイバー閑話(112)<折々メール閑話>53

混沌の先に激変の兆し。焦点は7月の都知事選

B ここ1年ほどの日本を見ていると、どんどん悪くなっていくというか、いよいよ衰退し、沈滞していく傾向をひしひしと感じますね。政治の堕落が官界、経済界、メディア界に広がり、日本全体がまさに混沌として、「液状化」という言葉がぴったりです。こういう状況を象徴しているのが、人物で言うと、岸田文雄首相と小池百合子東京都知事、政党では、自民党とその亜流とも言うべき日本維新の会ではないでしょうか。
 最近のニュースを拾うだけで、彼らが繰り出す日々の行動の軽薄なこと、自分本位なことにあきれてしまいます。まさに「今だけ、自分だけ、金だけ」、彼らの念頭には政治理念も国民の存在もありません。
 たとえば岸田首相。6月から始まる「定額減税」を自分の手柄と印象づけたいために「減税額を給与明細書に明記する」ことを企業側に義務づけた。企業、とくに中小企業の煩雑な手間のことは考えていない。たとえば小池都知事。都議会で経歴詐称疑惑に関して追及されても、それを役人に答弁させる。7月の都知事選は立憲民主党の蓮舫参院議員が名乗りを上げるなど熱気を帯びてきましたが、28日には都内の区市町村長有志などが小池知事の3選出馬を要請するパフォーマンスがありました。62区市町村長のうち52首長が名を連ねたというが、1関係首長が明らかにしたところでは「先方の応援依頼」が「当方の出馬要請」へとすり替わったものらしい。経歴詐称疑惑打ち消し工作を彷彿させるやり方です。日本維新の会の大阪万博をはじめとする政策の綻び(無責任さ)はひどいものだが、同党はいま露骨に自民党にすり寄っています。当の自民党の裏金問題は言語道断ながら、最近、自民党議員の何人かが、自分が代表を務める政党支部に自ら寄付することで、所得税の一部を還付させるという、個人献金促進のための税制を悪用した〝私腹肥やし〟をしていたらしい。いやはや。

A これらの出来事をメディアは、ただ事実として垂れ流すだけの報道をして、権力者の宣伝に大いに貢献している。昭和の時代にはあったブンヤ精神がいつの間にか無くなって、「両論併記」で事足れりとするサラリーマン化した連中ばかりになった。本田靖春の名著『警察(サツ)回り』に生き生きと描かれているブンヤの交流風景など今は望むべくも無いのですかね。

B こういう状況になった遠因を考えると、まず、組織のトップが無能であると、有能な人材が集まらないという古今東西を通じての真実に気づきます。自分が無能だからそれを補完する有能な人材を回りに集めるということは起こりにくく、むしろ自分の地位を脅かす有能な人材を排除し、自分を忖度して動いてくれる、あるいは自分の地位を脅かさない無能な人材を集める。優秀な人材を回りに集めるような人は、すでに無能ではないですね。
 自民党政権はこの負の連鎖を拡大生産してきた。岸田首相もそうだし、管元首相もそうだと思うけれど、やはりその前、12年も続いた安倍元首相が負のサイクルを大々的に醸成し、促進した。いったん出来上がった負のサイクルを変えることは至難であり、そういう実態が長引けば長引くほど、弊害は幾何級数的に大きくなります。無能であるために選ばれた幹部が、さらに無能な人材を回りに集め、有能な人材を芽の若いうちに摘み取ってしまう。将来のためにすぐれた人材を育てようとは思わない。その結果が現在日本の政治状況、ひいては社会状況だと言っていいでしょう。
 そこではまっとうな思考そのものが駆逐される。負のサイクルに抗い、正論をはいたり、誤った意見を批判すると排除される。これが権力監視を旨とすべき記者たちにも及び、悪貨が良貨を駆逐するように、大手メディアのジャーナリズムは死滅しつつあります。

A 最近、前川喜平さんが「朝日新聞読むの、もう止めようかな」と発言した「悩みのるつぼ」問題はその象徴ですね。
 朝日新聞土曜版「Be」に「悩みのるつぼ」という人生相談コーナーがあって、そこに50代の男性が、「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています。ロシアの軍事侵攻、イスラエルのガザへの攻撃―最近では、アメリカ大統領選の報道。‣‣‣絶望的な気分になり、夜も眠れません」という投稿をした。その回答者がタレントの野沢直子さんで、彼女は「このお悩みを読んで、まず最初に思ったことは、そんなに心配なさっているのなら実際に戦場に出向いて最前線で戦ってくればいいのにな、ということです‣‣‣あなたがそこまで心配しているなら、その地に行って自分の目で確かめてくるべきだと思います。‣‣‣人間とはないものねだりな生き物で、あまり幸せだと『心配の種』が欲しくなってくるのだと思います。失礼ですが、それなのではないでしょうか」と驚くべき回答をしたわけです。まるでバラエティ番組で、すべてが「やらせ」ではないかとすら思えてきます。
 しかし問題はその先にあった。編集委員だという人が朝日新聞DIGITALで「野沢さんの回答、ぶっ飛んでいうようで重いです。そこまでしなくても、沖縄に行かれて、本土ではまれな米軍基地と隣り合わせの生活をご覧になればどうでしょう。相談者の方がそこで『不正義や理不尽』を感じたなら、同じ日本人として声を上げるという『手だて』があります」とコメントしたんですね。
 彼の態度は完全な第三者というか傍観者的で、ジャーナリストとして投稿者に向き合う姿勢や社会の矛盾に切り込むという覚悟がまるでありません。

B 自分がジャーナリストだとも考えていないわけですね。しかも編集委員氏は「政治・外交・憲法」が専門だと自ら名乗っている。小池都知事の経歴詐称疑惑をめぐっても、真正面から知事を追及しようとしない都庁担当記者の無気力と同じものを感じますね。前川さんが「朝日新聞をやめようかな」と思うのもむべなるかなです。
 泉房穂・前明石市長が「マスコミの政治部は解体せよ」と言っていたけれど、朝日新聞も中枢から腐って全部門に及んでいる気がしますね。
 自立精神を失い、その場の空気に流されていく。明らかにおかしいと思われることも、一部の批判の声はかき消され、だらだらと続いていく。統一教会と自民党議員とのずぶずぶの関係、コロナ対策の無策、東京オリンピックの利権構造とそれを摘発しない検察当局、自民党の裏金問題――メディアが歯止めになるどころか、それと同じ空気の中にどっぷりつかっている。

A 国際的なNGO「国境なき記者団」が5月3日、2024年の「報道の自由度ランキング」を発表しましたが、日本は前年からさらに順位を下げ、G7主要7か国で最下位の70位となりました。
 発表によると、180の国と地域のうち、1位はノルウェーで、2位はデンマーク。「国境なき記者団」は日本の状況について、「伝統やビジネス上の利益、政治的な圧力や性別による不平等などが権力の監視役としてのジャーナリストの役割をしばしば妨げている」と指摘、「日本では政府や企業が主要メディアに日常的に圧力をかけていて、汚職、セクハラ、健康問題、公害など、センシティブとされるテーマについて、激しい自己検閲が行われている」とも言っています。こういう指摘に当のメディアが正面から反論することもないし、「ロシア、中国、北朝鮮、ミャンマーなどの独裁国家に比べればはるかに自由である」、「指標の取り方に問題があるのではないか」などと言って、恥ずかしいとも思っていない。特ダネを雑誌、とくに『週刊文春』に抜かれっぱなしでも何の痛痒も感じない。何のために新聞記者になろうとしたのか、その根本に疑念を感じます。社内教育も行われていないのではないか。

・進む既存制度の空洞化、骨抜き

B もう1つの遠因は、無能なリーダーほど権力を自己に集中したがることです。安倍元首相の安保法制定の時、これは「非立憲政権による上からのクーデター」だと批判した憲法学者がいたけれど、安倍首相は民主主義という制度に埋め込まれていたチェックアンドバランスの仕組みである三権分立制度を、自分の仲間を行政や司法のトップに送り込むことによって破壊した。メディア攻撃も激しく、朝日新聞がダメになったのも、1つには、この攻勢に負けたからです。報道の自由度ランキングは、安倍政権以前の2010年には17位だったこともあったんですね。
 既存制度の空洞化、骨抜きの例として、最近、興味深い例がありました。横浜市立学校教員による児童生徒へのわいせつ事件の裁判で、市教育委員会が横浜地裁法廷に職員を動員し、破廉恥事件の公判をなるべく部外者が傍聴できないようにした。市教育委員会の5月21日の発表では、2019、23、24年度に審理された4事件の公判計11回で延べ525人に職務として傍聴を呼びかけたそうです。裁判の公開原則を力づくで封じたわけです。だれがこんな臆面もないことを考えつくんでしょうね。
 この事件が明るみに出たきっかけは、東京新聞記者の「さして有名な事件でもないのに、やけに傍聴人が多い」というちょっとした疑問でした。東京新聞紙上で当該記者が経緯を書いていますが、傍聴席は48しかないのに、法廷入口にスーツ姿の男女60人ぐらいの行列ができていた。記者が閉廷後、傍聴の1人の後をつけたら、教育機関が入居するビルに入った。その取材が記者会見に結びついたようです。
 教育を看板に掲げる機関がこういうことをやっている。何の疑問も感じず、動員される人もどうかと思いますが、出張旅費なども支給されていたようで、まことに開いた口がふさがりません。

A ここで新聞記者魂が発揮されたことにはほっとします。そういう記者が社内で評価され、また社会的にも讃えられるようになってもらいたいですね。もっとも、2019年からそういうことがやられていたのに、だれもそれに異論をはさまなかったというのは、ちょっと考えさせられます。

B 危急存亡のときは国や首相に権限を集中すべきだと考えがちなのも、同じ発想の延長線上にあります。そのために都合のいいように法やシステムを変えようとするし、国民の代表である国会の役割は、当然のように軽視する。いざという時に中央の司令塔が誤った判断をすると、その被害は全国に広まる危険については考えない。
 戦国時代の骨肉相食む権力闘争はすさまじくはあるが、そのころは技術が未発達で、影響は直接には庶民に及ばなかった。現代IT社会では事情が違います。だからこそ権力集中は恐ろしいという健全な良識というものが働かない。

A 今国会の衆院で可決した地方自治法改正もそうですね。大規模災害や感染症の蔓延など「国民の安全に重大な影響を及ぼす事態」と政府が認定すれば、個別法に規定がなくても政府が必要な対策を自治体に指示できるようになり、これは一見効率が良さそうだが、危急存亡の時に政府が誤った場合は一億総崩れです。しかも、いまの政府に賢明な判断をする可能性はきわめて低い。身近な住民と直接接している地方自治体が個々に判断する方がいいと思いますね。コロナ禍のときの「小中高の一斉臨時休業」とか「アベノマスク」の愚を思い出すべきです。

B 2000年に施行された地方分権一括法は、国と地方の関係をこれまでの上下・主従関係から対等・協力関係へと転換し、個々の市町村において、政策を立案、実行していくための行財政基盤の強化をめざしました。今回の改正法はこれに逆行、地方を国に従わせようとするものですね。地方自治体からも反対意見が聞かれます。何もかも中央で判断する体制ができると、地方は国頼みの発想をいよいよ強め、判断能力そのものを喪失してしまう恐れも強いでしょう。

A これと軌を一にするように、力づくの政策への同調圧力も強まっています。

B 社会の潮流に異論をさしはさむと異端視されるばかりか、逆に処分されることは、これまでも山本太郎やれいわ新選組の大石あき子、櫛渕万里議員などの例で紹介してきましたが、最近、東京都議会でも同じようなことがありました。
 小池知事の経歴詐称疑惑については前回、詳しく紹介しましたが、東京都議会で答弁を求められた知事は、本人に関わる個人的な質問にすら答弁せず、代わりに側近の政策企画局長が答弁するという異常な事態が続いてきました。
 5月13日の都議会予算特別委員会で立憲民主党の関口健太郎議員が、小池知事は「知事に対して厳しい質問や耳障りなことを言う議員には76%の確率で答弁拒否する」、「質問する議員によっても違いがあり、これは答弁差別である」などと小池知事を追及しました。当の知事(右写真左端)はその答弁も拒否、政策企画局長がまさに官僚的な答弁をしていました(気の毒ではありますね)。問題はその後で、都民ファーストの会、自民党、公明党が「質問者は答弁者を決定する権限はない」などとして、同議員の発言は不穏当であるとして発言の取り消しを求める動議を提出、それが可決されたわけです。

・蓮舫、石丸伸二、そして小池百合子

A さすがに政権交代を求める国民の声も強まってきました。先の東京、長崎、島根の衆院補選に続いて、静岡県知事選でも自民候補が破れました。目黒区の都議補選もそうで、このところ自民党は選挙で全敗(不戦敗も含む)と言っていいですね。
 そして7月には焦点の都知事選です。小池知事の経歴詐称問題は尾を引いていますが、今回選挙では石丸伸二安芸高田市長に続いて、蓮舫立憲民主党参議院議員も立候補を表明しました。小池知事は31日現在、立候補を正式表明していませんが、3選に名乗りをあげてまた「カイロ大卒」の肩書を掲げたら「経歴詐称で告発する」と元側近の弁護士(小島敏郎氏)が言っている中でどう対応するのか。また小池知事の定見のない都政については、ようやく都庁内部からも批判の声が高まっているようです。

 B 小池知事が初めて都知事選に打って出た2016年には反自民を掲げていたのだが、その後は自民党と歩調を合わせてきました。最大の関心が権力の座をいかに維持するか、さらに上をめざしたいということだから、ときどきの風向きで政策が変わる。要するに政治理念というものはない。
 これは岸田首相も同じで、精神の下劣さは勝るとも劣らないでしょう。岸田首相をめぐる自民党内の駆け引きも熾烈を極めているようですが、とりあえず解散は先に延びたようで、当面の焦点は7月投開票の都知事選になるでしょう。
 石丸伸二安芸高田市長は次期市長選に立候補せず、都知事選に出馬することを表明しています。彼に関しては、<岸田首相と石丸安芸高田市長の器について㊷>で詳しく紹介しました。保守党市議との間で派手な喧嘩をしてユーチューブの人気動画になりましたが、主張はきわめて明解、今回も「東京を通して地方を活性化させる」と述べており、台風の目になる可能性もあります。他にも続々名乗りを上げる人が出ており、混沌の先の激動を占う選挙戦として大いに期待したいですね。