新サイバー閑話(101)<折々メール閑話>㊸

寒暖差激しい秋の夜長のだらだら閑話

A 先日の日曜日に知人と鈴木宣弘東大教授(農業経済学)の講演会に行って来ました。鈴木教授は以前から日本の食料危機に警鐘を鳴らし、「今だけ、金だけ、自分だけ」の情けない風潮を強く危惧されています。志摩市出身なので親近感もあります(^o^)。講演の中で「MTNが新自由主義の三悪人」と言われたので、質問タイムに真っ先に「Nとは誰のことですか?」とお聞きしたら、新浪剛史サントリー社長とのことでした。Mはオリックスの宮内義彦、Tは言わずもがな、竹中平蔵氏のことですね。
 後に質問した方が「この食料危機の現状を打破する政党はどこだと思われますか?」と聞かれたので、思わず「れいわ!」と大きな声で叫んだのですが、鈴木先生もれいわの農業政策を高く評価されていて、我が意を得たり、でした。さらに、「れいわ新選組は他の野党とは違い、与党と裏で手を結んだりせずに真正面から与党に挑んでいる」ともおっしゃいました。講演終了後に名刺交換させていただきました(^o^)。

B 講演会の主催はどこですか。

A 三重県教職員組合で、聴衆は約30人、男女同数という感じでしたが、やはり若い人は少なかったですね。

B 鈴木教授は農業問題における国の姿勢を厳しく糾弾していますね。国の安全保障の根幹である農業政策に、この国のダメさ加減が集中的に表れていると言っていいでしょう。現在の食料自給率は38%という情けない事態ですが、ここに鶏や牛、豚の飼料や野菜の種の自給率などを勘案すると、自給率はぐっと下がるようです。昼食にも事欠く児童がいる一方でコメの減反が進められ、酪農行政の矛盾の表れとして、生乳が無残に廃棄されるという事態が進んでいます。
 彼は、種子法の廃止、農業競争力支援法など一連の政策変更は、「公共政策や共助組織により維持されてきた既存の農林漁業の営みから、企業が自由に利益を追求できる環境に変える」ことだと言っています(『農業消滅 農政の失敗がまねく国家存亡の危機』平凡社新書、2021)。
 私たちの財産でもあった自然環境が企業が儲かる商品に変えられていく神宮外苑再開発と軌を一にする動きで、極端に言えば、自動車輸出のために農業が犠牲になっている。アメリカには、自国農業を保護し育成し世界に進出させるという大きな戦略があるわけですが、日本は情けないことにその戦略に唯々諾々として従い、自国に不利な条件を率先して呑むという、まさに政治家たちの「国家私物化」とも言うべき事態が進んでいるわけです。
 また『食の戦争 米国の罠に落ちる日本』(文春新書、2013)には「目先の自分の利益だけしか目に入らない人々が多すぎる。しかも、国民の幸せではなく、目先の自分の利益しか見えない政治家や、人の命よりも儲けを優先する企業の経営陣が国の方向性を決める傾向が強まっている。‣‣‣。皆、自分たちの目先の利益のみに目を奪われ、支え合う気持ちを失い、 やがては、全体が沈んでいって、そこで初めて気づくのかもしれない」とも書いています。ここには、安くさえあればいいと、輸入農産物に飛びつく消費者の問題もありますね。「消費者にも、食の本物の価値をしっかりと認識して、それに正当な対価を支払うことが当然だという価値観を持ってもらうことが大事だ」という指摘はもっともだと思います。

A まことに昨今のこの国の政治はお粗末すぎる。岸田首相はこれまで増税を叫んでいたのに、支持率低下を気にして減税を打ち出した。政策の柱がない場当たり的な人気取りに過ぎず、国民からも、さらには政権与党や財務省当たりからも不興を買う始末です。首相としてこの国をよくするために自分は何をやるのだというビジョンがまったく見えてこない。と言うより、何もないと考えるしかない。自民党、公明党、野党を見渡しても、どんぐりの背比べ、骨のある政治家はいないですね。政治家ばかりでなく、官僚、企業人、メディア人も同じような印象です。

・国益を守る→自分の政治生命を守る

B  『農業消滅』には、「建前→本音の政治・行政用語の変換表」というしゃれた付録がついていて、「国益を守る→自分の政治生命を守る。アメリカの要求に忠実に従い、政権に結びつく企業の利益を守ることで、国民の命やくらしを犠牲にする」、「自主的に→アメリカ(発のグローバル企業)の言うとおりに」、「ウィン・ウィンの日米貿易協定→日米ともに利益を得たという意味ではなく、日本から農産物も自動車も両方勝ち取った、アメリカの一人勝ち」などと辛辣な指摘があります。

A いつから日本はこんな体たらくになったんでしょうね。高度経済成長真っ盛りのころ、日本経済を牽引しようと奮闘した通産官僚の姿を描いた城山三郎『官僚たちの夏』などを読むと、当時の官僚には省益ばかりでなく、日本全体の利益という大きな目標もあったようだけれど‣‣‣。

B 政治家もダメ、企業人もダメ、官僚もダメ、メディアもダメと、まさに「ダメダメ日本」ですねえ。

A われわれとしては、だからこその山本太郎とれいわ新選組ですが‣‣‣。

B これも『週刊文春』で知ったのだけれど、最近、朝日新聞の中堅記者が朝日新聞経営陣の姿勢に「絶望」し、沖縄の地方紙に転職したらしい。社をやめた記者がフリーになったりする例はこれまでも多かったけれど、他の地方紙に移ったのが印象的です。少なくとも彼は新聞記者という職にまだ意義を見出しているのだが、それが朝日新聞ではもはや無理だと言っているわけですね。OBとしては、まことに感慨深い出来事です。

A 日本人全体の知的レベルの劣化というのを感じざるを得ないですね。われわれの身の回りの市井の人々の中には、いまでも立派だと思う人がたくさんいるわけで、日本人全体というと語弊があるけれど、少なくとも知的職業と思われてきた政治家、企業経営者、官僚、メディア関係者というふうにくくると、その劣化は覆うべくもない気がします。

B その原因の一つに、日本人が漢籍や古典を読まなくなった、あるいはそれらの教育が重視されなくなったという事情があるように思いますね。大学でも人文科学が軽視されているように、人間として備えておくべき基本的なバックグラウンドが枯渇しつつあるのではないかと。
 鈴木先生が上げた新自由主義の信奉者や、昨今話題になった自民党議員の中にも、日本の一流大学を出て、ハーバード大学などのアメリカの名門で勉強し、語学も堪能、学力としては超エリートな人がけっこういるわけですね。だけど、経営などの技術・知識は抜群かもしれないけれど、人間としての資質はどうなのか、というと怪しい人がけっこう多い。以前にもふれたけれど、高等教育を受けると、かえって人間的にダメになるという傾向も見られますね(「まともな人間を育てない教育」、『山本太郎が日本を救う』所収、アマゾンで販売中)。「反知性主義」はここまで来た、というか。
 子どものころから塾や寺子屋で論語などの四書五経を意味もわからずに暗唱し、成長するにつれて、身にしみついたその言葉の真意を噛みしめるというような教育が日本人のバックボーンを育てていたのだと思わざるを得ないですね。
 ここで誤解を避けるために付言すれば、一時、自民党筋から修身教育復活などの声が上がったけれど、ここで言おうとしていることは、古い忠君愛国道徳を刷り込もうという発想とは違いますよ。だいたいそういうことを言いつのる人間は、自分をその枠外に置いているし、どちらかというと道徳観念の薄い人が多いですね。ここにはIT社会の進展という別の要素も大きく影響していると思います。

A 人間としてのバックボーンはどうなのか、まさにそれですね! 漢籍や古典は読まなくなり、一方では効率一点張り。廉恥と言う言葉を知っている国会議員が果たして何人いるのか? 何でもかんでもコ・ス・パ。世の中住みにくくなるはずです。
 日常の言語空間でも漢籍的表現で語られる言葉など聞いたことがない。あるのはカタカナ英語とアルファベット大文字連語の氾濫。自らの国の言語をおろそかにする国は滅びる、と池田晶子さんも語ってました。
 その昔、次男と甥の高校受験の家庭教師をやらされたのですが、その時に国語の勉強ということで、中島敦の「李陵」を音読させたことがあります。狙いは漢文調の文章の持つ魅力を感じさせることでしたが、見事に奏功しました(^o^)。

・支局は新聞記者の学校だった

B 「李陵」はいいですね。 僕も高校の教科書で接して以来、愛読しています。李陵については<平成とITと私>⑭『DOORS』突然の強制終了(『<平成とITと私>①『ASAHIパソコン』そして『DOORS』』所収、アマゾンで販売中)で苦い思い出とともにふれています。ご笑覧ください。
 当時から朝日新聞は駄目になって行ったというのが僕の持論で、その点は<平成とITと私>シリーズの続編でフォローしていくつもりです。ついでに思い出話をすると、我々の若いころは、これは他社も同じだと思うけれど、新人の4~5年の間に配属される支局が「新聞記者の学校」だったんですね。僕も2度目の佐世保支局時代に田中哲也支局長の薫陶を受け、少しはまともな記者になれたかと思っています。その思い出を書いた「これが新聞記者だ 反骨のジャーナリスト田中哲也」という論考にもリンクを張っておきます(写真は「正装」で任侠三部作を謳う故田中哲也さん。『追悼 田中哲也』から)。

A 今日は8人の仲間で構成するボランティア活動、恒例の「さくら苑に歌声花束を!」の日でした。さくら苑というのは伊勢市のデイサービスセンターで、訪問するのは今回が3度目、僕は十八番の「旅の夜風」を歌いました。ちなみに貴兄の尊敬される田中哲也氏の任侠三部作も好きで、よく歌います。中でも「流転」が好きですね。仲間のHさんはギター担当、Tさんはハーモニカ担当、これがプロ級でハーモニカも何本も持っています。おかげさまで好評、皆さん喜んでくださるので張り合いがあります。 

B 老々慰問かな。花も嵐も踏み超えて、仲間とともに講演会やボランティア活動に参加する充実した老年生活を送っておられますねえ。貴兄にはなんといっても、得意の裕次郎ばりの声があるからなあ。羨ましい(^o^)。

新サイバー閑話(100)<折々メール閑話>㊷

岸田首相と石丸安芸高田市長の器について

 B これまで「軍備増強」、「増税、増税」、「原発、再稼働、再稼働」と叫んでいた岸田首相が、どんどん下がる内閣支持率におびえてか、突然、10月23日の衆参両院本会議の所信表明演説で「経済、経済、経済」と連呼しました。「減税」とも言いましたね。

A 彼は何を考えているのか。

B 何も考えていないようですね。彼のメガネの奥に国民はいないし、国や世界に対する関心も、実はない。ただ仲間の利害だけがある。これは安倍元首相と同じだけれど、岸田首相の場合、安倍首相ほどにはその隠れた真意を表に出さなかった。しかし、安倍前首相が少なくとも仲間のことは考えていたのに対して、彼はどうも自分、あるいは家族のことしか考えていないようにも見えますね。最大の関心はいかにして首相の任期を維持するかだけのようです。

A 岸田首相の所信表明演説に関して、れいわの山本太郎が胸のすくような批判をしています。

 ひとことで言うなら、厚顔無恥、ポエムの連続、中身なしです。彼が一番力強く訴えたかったの経済の再生だっだと思うんですけど、三位一体の改革をやる、って言ってるんですよ。労働市場の改革、企業の新陳代謝の促進、物流改革――、労働市場の改革って、これいわゆる流動化でしょ。不安定な仕事をより広げていくってことですよ。企業の新陳代謝の促進は、中小企業潰しです。経済的に不安定な状況のとき、不況のときには、企業を守らなきゃダメなんですよ。でもそういうものをどんどんばらしていくっていうのは、失われた30年を作ってきた戦犯である自民党のやり方を一切変える気が ないってことです。それを、より拡大していくって訴えてるってことですね。だまされちゃいけない。よくそんなこと恥ずかしげもなく、大声で言えてるな、っていうことです。それに対して自民党席はやんやの大喝采です。劇団自民党と岸田さんと一席設けたみたいな光景を私たちずっと見せられてる状況だったということです。

 まさに一刀両断、痛快この上なしですね。これをツイッターにアップした人が「岸田総理の経済政策、平たく言えばこんなことだったんだね。こう言ってくれたら誰も投票しないよね」とコメントしていました。

B 付け焼刃の減税政策、しかも後には増税路線が控えているような状況で内閣支持率が上がるとはさすがに思えないけれど、定見なし、首尾一貫しない首相の態度にはうんざりです。25日の参院本会議では、自民党の世耕弘成参院幹事長までが「(内閣)支持率が向上しない最大の理由は、国民が期待するリーダーとしての姿が示せていないことに尽きるのではないか。残念ながら現状において岸田総理の『決断』と『言葉』にはいくばくかの弱さを感じざるを得ません」と批判したくらいです。
 最近、興味をもって見ているのが、岸田首相とは対照的な広島県安芸高田市の石丸伸二市長です。この人と市議会の対立をめぐって、最近ではユーチューブでもたくさんの動画が上がっているのでご存知と思うけれど、石丸市長のやっていること、あるいはやりたいことは首尾一貫しています。

A 市政に取り組む姿勢がはっきりしていますね。私利私欲でもない。

B ちょっと石丸市長登場に至る経緯を整理しておきます。
 石丸氏が安芸高田市長になったのは3年前の2020年です。安芸高田市は岸田首相のおひざ元、広島県の広島市からやや北方に位置する人口2万7000人の市です。ちょっと因縁話めくけれど、2019年の参院選広島選挙区で、自民現職の溝手顕正議員を敬遠した安倍首相が対抗馬として河井克之衆議院議員の妻、案里氏を担ぎ出しました。溝手氏は岸田派の重鎮だったけれど、岸田氏は安倍首相のなすがまま、結果は河井案里氏の勝利となりました。この選挙が実は金まみれで、結果的に河合夫妻が公選法違反で逮捕されますが、そのとき安芸高田氏の市長、市議会議長がともに、河井陣営から金をもらっていたことが判明、市長は辞職し、そのための市長選が2020年に行われました。
 石丸氏は安芸高田氏の出身で、京都大学経済学部卒、三菱UFJ銀行に就職し、ニューヨーク駐在の経験もあるエリートビジネスマンだったのだけれど、安芸高田市長選で前市長の後釜として副市長だった人が立候補、対立候補はいないという記事を新聞で読み、いきなり会社に退職届を出し、立候補を決めたと言われています。「故郷への恩返し」というのが出馬の動機だったらしいですが、「新しい政治を始めよう」というスローガンを掲げて当選しました。当時、石丸氏は37歳でした。

A おもしろい経緯ですね。

B 話が〝面白く〟なるのは、彼が市長になってからです。初登庁後の市議会一般質問で、市議の1人がいびきをかいて寝ていたので、彼はいきなりツイッター(今はⅩと名を変えているが、以下ツイッターの旧名を使用)で、それを公開します。これが市長vs市議会のスタートですが、市議会でツイッターをやってる市議はほとんどいなかったらしく、ツイッターを見た報道陣がこの件について市議会議長に問い合わせると、議長は「居眠りがどうした?」と言ったかどうかはともく、居眠り議員を擁護すると同時に、議会内の出来事をSNSで発信した行為に対して市長不信を強め、徹底抗戦の姿勢を取り始めます。議会は本来公開されているものだから、それをツイッターで書いたから問題だということはないんだけれど、議員連中が驚いたのはわからないでもないですね。

A これがきっかけで市長と市議会のけんかが始まるわけですか。

B そうです。まず市長が空席の2人目の副市長ポストを公募して人選まで終えたのに、市議会はこれを否決、さらに副市長の定数を2人から1人に減らす条例改正案を可決して、新たな副市長設置を不可能にしました。それに対し市長が議員定数を半減する条例案を提出し、これを議会が否決、市長が市活性化のために道の駅への「無印良品」の出店を計画すると、それも拒否するという大騒ぎになっていきます。市長側は議会に提案するとき、古いしきたりである根回しを一切しない。市議会の方では、「俺は聞いてないぞ」と従来の慣習無視という理由でこれに反対するわけです。市長のやり方は、なあなあ政治の旧弊を打破し、合理的な政治確立をめざすものだったと言えますが、市長が制度上可能な専決処分を繰り出すのも気に入らなかったようです。

A  言い分としては市長に分がありますね。

B 市議会保守系の清志会が中心になって、政策論論争そっちのけで、とにかく市長に徹底抗戦という状態になり、市長問責決議を可決しました。ところが他の議員が出した市長不信任案は否決されます。市長けしからんと叫びながら、なぜ不信任案は否決なのか。不信任案を可決して市長が議会を解散するのを恐れたわけです。ともかく、こういう具合に市長と市議会の対立は2023年まで延々と繰り広げられ、大手メディアでは報道されないけれど、ユーチュブでは「人気コンテンツ」に育っていきます。
 最初にもふれたように石丸市長の初心は「故郷に対するご恩返し」です。まっとうな議会運営を目指しているだけで、市長の職に汲々としているわけでもない。自分の地盤を固めたいわけでもない。記者会見では「そんなことはダサい」とも言っています。頭脳明晰、論理明解、冷静な口調で繰り出す追及に市議側はアップアップの状態でもあります。

A 石丸市長の舌鋒は鋭い。市議会運営としては、あえて波風を立てるようなやり方に不満があるとしても、発言内容はむしろまっとうです。言っている内容より態度が気に入らないという心理的反発があるようですね。

B  その最高潮が7月、いまから3か月前の市長定例記者会見です。市長案件を説明する中で、地元の中国新聞記事を取り上げ、事実関係の記述があいまいだと中国新聞記者を問い詰めました。このことにより、第三者を標榜している新聞メディアが当事者として引き出され、石丸市長の鋭い追及に新聞社側はタジタジの事態となりました。

A マスメディアが議論の俎上に乗せられ、舞台は市長vs市議会&中国新聞へと転回したわけですね。新聞記事は、市長には市議会との調整という責任もあるのではないか、と対立の中には入り込まず、市議会混乱の責任は市長にもあるという形で、結果的に議会寄りになった。「紛糾の原因は市長方針を聞こうともせずやみくもに反対する議会にあるのに、なぜその事実を報道しないのか」というのが市長の言い分ですね。

B ここにはマスメディアのいわゆる「客観報道」の問題点が凝縮しているとも言えます。古くは 60年安保当時の7社共同宣言が反対デモによる死傷者発生を機に「暴力を排し議会主義を守れ」との見出しを掲げ、「その事の依ってきたる所以は別として、議会主義を危機に陥れる痛恨事であった」と、結果的に安保闘争を鎮静化させた例があるけれど、やはり「事の依ってきたる所以」を捨象して「混乱する議会」の正常化を叫んでも、解決にはならないですね。若い市長によって大手新聞社が批判されたと言うので、この安芸高田市制作の動画が再生回数100万回というヒットになりました。

A 痛快でもありますね。何をやりたいのかさっぱりわからない岸田首相と比べると、同じ広島出身でありながら、こうも器が違うものかと思います。方や一地方の首長、方や一国の首相です。地方だからできるとも言えるけれど、そうであれば、他の地方も見習うべきだと思いますね。国レベルでは山本太郎とれいわ新選組が頑張っているけれど‣‣‣。

B 岸田首相の広島サミットに関して、地元中国新聞の社説を紹介したことがあるけれど(㉝踏みにじられた「広島」の心、『みんなで実現 れいわの希望』所収)、ブロック紙としての中国新聞はけっこうまっとうだと僕は思っているんですね。これはマスメディア共通の問題です。私鉄ストなどの社会面原稿はともすると、「ストで失われた市民の足」みたいなものになりがちなわけです。

A 若い市長によって、メディア報道が批判された例として興味深いと思います。

B 石丸市長はトランプ前アメリカ大統領ではないけれど、ツイッターを駆使しています。政治をめぐるメディアのあり方も、これから大きく変わるでしょうね。これだけ再生回数が多いと、ユーチュブも無視できないでしょう。
 実はこの記事では中田敦彦氏のユーチューブ動画に多くを教わりました。ユーチューブには他にもすぐれた動画がありますね。政治とITの関係では、最近こういうニュースもありました。
 東京地裁は10月16日、ツイッターの匿名アカウント「Dappi」による虚偽の投稿で名誉を築づけられたとして、立憲民主党の小西洋之議員らが東京都内のIT関連企業「ワンズクエスト」と社長らに損害賠償を求めていた訴訟で、「投稿が会社の業務だった」と認め、計220万円の支払いと問題の投稿の削除を求めました。
 Dappiに関しては、早くから自民党との関係が取りざたされ、自民党から金が流れていたこともわかっています。判決も「自民によるネット操作の一環ではないかとの疑いは排除できない」としています。だれもが好きなことを投稿しているように見えるツイッターを政党や企業が大金を投入して操作できる余地があるというのも、新しいメディアの問題点です。直接関係のある話題ではないけれど、気になる出来事として追記しておきます。

新サイバー閑話(99)<折々メール閑話>㊶

統一教会・ジャニーズ・大阪万博

B 埼玉県議会に10月4日に提出された「虐待禁止条例改正案」にはびっくりしましたねえ。

A 何故こんなアナクロニズム以外の何ものでもない条例が起案されるのか💢

B 統一教会の亡霊を見た思いでした。統一教会(本欄では一貫して、旧統一教会と現世界平和統一家庭連合のことをこう表記している)に関しては、「⑬自民党&日本に深くたくみに潜行した統一教会」で詳しくふれましたが(『山本太郎が日本を救う』第1集参照、アマゾンで発売中)、統一教会は安倍政権下で国レベル、地方レベルを問わず、自民党内に深く浸透、自らの信条である古い国家間、家族観を自民党の政策に反映させようとしてきました。その〝成果〟が埼玉県議会の舞台を借りて躍り出てきたというか。

A 条例案の中身は、まず小学低学年(3年生以下)の子どものみで留守番させることを「虐待」だと禁じています。小学高学年(4年~6年生)の場合もそうさせないよう努力すべきだととし、さらにそのような児童を見つけた県民は「速やかに通告又は通報をしなければならない」と定めているんですね。罰則はありません。
 条例案は6日に県議会福祉保健医療委員会で自民公明の賛成で可決しました。NHKニュースによると(写真は反対運動のビラ)、自民党県議団が議会で説明した虐待にあたる行為には以下のようなものが含まれるようです。

・子どもを車の中に置き去りにすること
・子どもたちだけの自宅での留守番
・未成年の高校生に小学生などのきょうだいを預けて買い物に出かける行為
・子どもだけ家に残してゴミ捨てに行く行為
・子どもたちだけで公園などで遊ぶこと
・子どもたちだけでの登下校
・子どもにおつかいさせる行為

 自民党県議団は、子どもが車内に取り残されて熱中症などで死亡した事件などを念頭に置いていたようですが、なんともグロテスクな内容です。

B 保護者などから「現実の子育ての中でとても守れない内容だ」との批判が殺到、自民党県議団は10日に、そそくさと条例案を撤回しました。しかし、その時の記者会見で田村琢実団長が「説明が不十分だったが、法案そのものには瑕疵(かし、欠陥)がない」と、これまた驚くような発言をしたわけです(13日に正式撤回)。
 子どもをめぐる事故が多発、親が虐待している例が目立つのも確かですが、こういう悲惨な出来事が起こらないような社会の改善を図るべきなのに、まるで共稼ぎを否定し、母親は専業主婦として家庭に止まるのがいいと言わんばかりの、現実から遊離した家族観を臆面もなく露呈しています。
 しかもそれを法律で強制しようというのはアナクロニズムでもあり、グロテスクでもあり、それより何より「法は家庭に入らず」という近代法の理念からも外れています。ちょっと現実を見るだけで、こういうことでは事態を改善できないのは明らかでしょう。子どもをめぐる現状は長い自民党政権が引き起こした事態なのに、そのことが自民党県議団に見えていない。これは驚くべきことです。一方で、こういう議員を選んできた県民にも問題があると言わざるを得ないですね。
 東京新聞によると、オンラインで9万筆を超す反対署名を集めた東松山市の黒山湖子さんは11日、こども家庭庁を訪れ、子どもや子育て当事者の意見をよく聞くよう要望書を提出しましたが、その後の記者会見で「現実世界を生きている私たちと、議会の中で生きる議員との間に乖離がある。県民の声を反映するのが議会。こうなったのは大変残念な気分だ」と語ったようです。

A たしかに主婦たちが置かれている現実と自民党県議団の頭の中がまったく乖離していますね。

B こういう議員が当選した背景には、やはり統一教会の影があるように思います。以前も話したけれど、地方議会にこそ統一教会の影響は深く潜行していたわけです。統一教会と関係する議員もいますし、自民党保守派の考えと統一教会のそれとがきわめて近いという問題もあります。
 ひるがえって考えると、国会議員、とくに自民党議員と国民との乖離も大きいですね。多くの国民が反対していた安倍首相国葬は強行され、アメリカの意向を忖度した安保政策が大手をふって横行している。相次ぐ値上げに多くの人が悲鳴を上げているのに、武器調達のための増税を押しつけようともしてきました。
 ここでもなぜこのような議員を国民が選んでいるのかという問題があります。埼玉県議会は国会の相似形ではないか。自民党県議団、自民党国会議員団、いずれも県民や国民から浮き上がった別世界(まさに「ムラ」)を構成し、自分たちの都合のいいように政治を動かし、あるいは動かそうとしているけれど、それを結局は有権者が支持している(あるいは投票権を行使していない)という、どうにもやるせない現状ですね。

A 統一教会をめぐって文部科学省は12日、宗教法人審議会を開き、13日には統一教会への解散命令を東京地裁に請求しました。請求そのものが危ぶまれていたことを考えると一歩前進と言えるけれど、裁判所がはたして解散命令を出す決定をするのかどうか。岸田内閣には依然として統一教会との関連が指摘された人も入閣しているし、今回の解散命令請求は問題解決へのスタートにしか過ぎないですね。
 折りしもすでに衆院議長辞任を表明している細田博之議長が13日、議長公邸で記者会見、そのとき初めて統一教会との関係について説明しましたが、「会合に呼ばれたら出るという程度で、特別な関係はない」と釈明しただけです。統一教会の会合で挨拶、「安倍首相にも伝える」などと発言したことが「特別な関係ではない」というのはまさに強弁です。自民党と統一教会の関係は依然、ヌエ的なままだということでしょう。

B 一般社会から遊離したムラ的支配が浸透しているということでは、ジャニーズ問題も同じですね。謝罪のための会見に記者のNGリストを用意したことで批判が高まりましたが、いろんな情報を懸案すると、ジャニーズ側は記者会見をまるで株主総会と見立てて、なるべく異説(強硬意見)を排するためのさまざまな工夫を巡らしていたらしい。NGリストもその一環だけれど、そのリストに載っていたために発言できなかったジャーナリストの鈴木エイトさんは「後方で大きなヤジを上げながら、自分は質問しなかった人がいた。一見してメディアの人とは思えなかった」と言っていました。
 日本の芸能界に大きな影響をもった事務所が企業の社会的責任という考えを持たず、会社としてのシステムすら不十分で、それこそ大きな「ムラ」でしかなかったことが露呈しています。彼らもまた世の常識とは無縁のようですが、そういう一企業にテレビ界もメディアも翻弄されてきた。それが可能だったということが、まさに問題の核心だと言えます。

・大阪万博を推進する維新政治と大阪府民の支持

A 2025年春から秋にかけて開かれる予定の大阪万博(正式には2025日本国際博覧会)問題も同じ構図ですね。大阪府知事および大阪市長の二大ポストをおさえて大阪で絶大な支持を得ている日本維新の会が進めてきたプロジェクトですが、同時に構想されているカジノ計画も含めて、最近いろんな問題が指摘されています。

(写真上は万博会場完成予想図、下左は夢洲の開発区分図、下右は2023年7月時点の進捗状況、上は大阪万博ウエブから、下2枚はデモクラシータイムス2023.7.20から)

B 会場の予定地、夢洲(ゆめしま)は元ゴミ処理場で地盤が弱い上に環境汚染という問題もあります。そこへきて、まず当初予算の1250億円が2020年に1850億円に増額され、2023年には2300億円となりました。当初予算の8割増です。世界各国の参加状況も開幕まで2年を切った現段階でなお不透明で、パビリオン建設もほとんど進んでいない。隣接するカジノ建設も地盤の関係で難題山積という状況です。

A 「ゴミの島を夢の島へ」を売りものに大阪維新が進めたカジノ誘致、万博推進に関しては、れいわ新選組の大阪選出国会議員、大石あき子が終始厳しい批判を続けています。一見夢を呼ぶような派手な企画に税金を大量につぎ込み、国威を発揚、あわせて客を呼んで景気浮揚につなげようという発想が古いんじゃないですか。東京五輪は金まみれに終わり、その影響もあって札幌五輪の30年開催は断念することになりました。おわこん(時代遅れのすでに終わったコンテンツ)とも揶揄されているようですが‣‣‣。

B 万博開催は1年延期となり、しかも規模も縮小するのではないかとの憶測もあります。その上でカジノも挫折ということになると、この計画を推進した日本維新の会の幹部、松井一郎(元大阪府知事、元大阪市長)、吉村洋文(現大阪府知事、元大阪市長)両氏の責任はどうなりますか。地盤の弱い夢洲を会場候補地に選んだ構想そのものが、今となっては大向こうの人気取りだけをねらった、いかにも軽率な印象を受けます。その陰で本当にやらなくてはいけない問題から目をそらしているとも。最近では、思うにまかせぬ進捗状況を背景に、国と大阪の間で責任のなすりつけをしているとの報道もあります。
 写真を援用させていただいたデモクラシータイムスの動画でジャーナリストの西谷文和さんは、この計画は「当時の安倍首相、菅幹事長、日本維新の会の橋下、松井両氏の4者会談で決まったのではないか」と推測していましたが、それが事実とすると、ここにも安倍首相の負の遺産があります。大阪の維新勢はそれこそ大きなムラを構成しているようですが、少なくとも大阪府民には圧倒的に支持されてきました。ここが悩ましいところだと思います。

A 大阪での維新人気の背景には、それ以前の自民府政がひどすぎたという指摘もありますね。

B なるほど。しかし現状を見ると、埼玉県の黒山さんが言った「現実世界を生きている私たちと、議会の中で生きる議員との間に乖離がある。県民の声を反映するのが議会。こうなったのは大変残念だ」という声を大阪府民に届けたい気がします。

新サイバー閑話(98)<折々メール閑話>㊵

今日も孤軍奮闘するれいわ新選組

B 例のジャニーズ問題でジャニーズ側が10月2日に開いた謝罪の記者会見(写真、東京新聞から)にはマスメディア、フリーランスを含めて300人の記者が出席したけれど、この会見に特定の記者を指名しないための写真と氏名入りの「NGリスト」があったことがNHKの報道でわかりました。ジャニーズ側から記者会見の設営を任された外資系㏚会社(FTIコンサルティング)が作ったらしく、司会の元NHKアナウンサー、松本和也氏はそのリストを見ながら発言者を指名していたようです。

・ジャニーズ謝罪会見に「NGリスト」

 会見に出席していたフリーランスの尾形聡彦、鈴木エイト氏などは「会見が始まってからずっと挙手していたが、司会者と目が合っても指名されなかった」と述べています。謝罪のための記者会見としてはきわめて不誠実と言えるでしょう。

A FTIコンサルティングは5日にリスト作成を認め、謝罪しました。ジャニーズ事務所側は「NGリスト作成には関与していないし、特定の人を当てないでほしいなどというような失礼なお願いはしていません」と言っているけれど、詳しい事情はわかりません。その前の9月7日の記者会見が4時間にもおよぶ長時間になっためにコンサルティング会社と相談、質問は1社1問、時間も2時間に制限したわけですね。その過程でNGリストが作成されたらしい。

B 会見に参加したけれど指名されなかった東京新聞の望月衣塑子記者は、同紙上で「指名されなかった理由が、私もNGリストに入っていたからだと後でわかった。改めて記者会見を開き、一連の経緯を詳細に説明するべきだ」と署名記事で書いています。
 ここで思うのは、謝罪のための記者会見をなぜ㏚会社にまかせたのかということです。番組宣伝ならともかく、不祥事を起こしたことへの謝罪と今後の対策を説明するための記者会見なんですね。ここには芸能とジャーナリズムという区別がない。と言うか、以前にも安倍政権の特徴として書いた「報道機関より広告代理店」という現代の風潮が如実に反映しています(㉗「メディアの根底を突き崩した安倍政権」、『みんなで実現 れいわの希望』所収)。

A オリンピックも世界陸上選手権も、サッカーワールドカップも、広告代理店が運営を請け負う時代です。先の東京オリンピックでは、そのために大がかりな汚職事件まで起こっています。芸能一筋に生きてきたジャニーズ側の面々にはそれがいかに場違いな選択なのかがわからなかったんでしょうね。

B 現代社会のいびつさの反映とも言えますね。いまや一般に「記者会見」そのものが形骸化しているのは、政治の世界における総理大臣会見、官房長官会見などでも明らかです。発言は制限され、しかも回答に対する再質問ができない。これは記者会見というもののあり方からは大きくそれています。先の望月記者など、菅官房長官から「あなたに答える必要はない」などと言われ、他の記者がそれに抗議することもなかった。ジャニーズ会見ではジャニーズ側に拍手を送る記者もいたらしく、望月記者は「記者側が会見者に拍手を送るのを始めて見た。何のために会見に来たのか」と疑問を呈していたけれど、官房長官会見で黙っている記者と大差ないと言ってもいい。
 ひな型は国会にある。ある意味で世間ずれしていないジャニーズの面々が安易に㏚会社に仕切りを頼んだ。芸能プロダクションの記者会見ではあるが、そこには現代の記者会見の姿が拡大投影されていると思うわけです。ジャニーズ問題では、なぜこメディアはこれまで沈黙していたのかが問われたけれど、いま盛んにジャニーズを攻撃している記者に対してもいささかの感慨無きにしもあらず、ですね。
 ところで、また我田引水になるけれど、こういう全体状況にクサビを打ち込めるのは、やはり山本太郎とれいわ新選組だけだと思いますね。というわけで、最近のれいわの活動ぶりを紹介しておきましょう。

 ・「つまりはなにか」と街頭デモ作戦

 ユーチューブ上に『つまりはなにか』という「れいわ新選組拡大チャンネル」ができました。サイトの説明によれば、「日本の政治の危うさは、最近海外でも報道されています。つまりはなにかchでは、れいわ海外勝手連(れいわ新選組の海外ボランティアチーム)のご協力のもと、ネイティブチェック済の【ドイツ語字幕】と【英語字幕】付の動画配信を始めました。日本の腐った政治を海外から見守り、監視して頂きます。 皆様のご理解をよろしくお願いします」とあります。
 日本にもまっとうな政党があるということを海外の人に知ってもらうのはいいことですね。

A そこには「猛烈な野次を浴びながら何年間も私達の先頭に立ち続け、どれほど過酷でも”まだ努力が足りない”と言う。一般人には決定権が無くて、勝手に決まる悪法に絶望しそうになる度に『まだこの国には希望がある』と奮い立たせてくれる。私達の支え。いつもありがとうね」という投稿がありました。
 こういうのもありますね。
 「そっか・・・。自民党が最も恐れているのが政治に関心の無かった人達が政治に関心を持って投票に行くことなんだな。政党間の支持者の奪い合いなんてのはホントに些細なことなんだな。自分も絵にしか興味無くて政治に関心なんてほぼ無かったクチで、投票には行ってたけどむしろ自民党に投票していたような人間で、2019年の消費税増税でやっと目が覚めたという・・・。絵にしか興味がないとか、音楽にしか興味がないとか、スポーツにしか興味がないとか、そういう人が、なんかおかしいぞって目が覚めるきっかけはインボイスでも、消費税でも、保険証の廃止でも、処理水海洋放出でも、バラマキクソメガネでも、子ども食堂でも、カルト校則でもなんでもいいんだよね。絵だけ描いていたいけど、だまってる訳にいかない程、今は酷いと思った。自分みたいな人が増えれば、これはひっくり返せるんだってことも分かった」。

 B こういう投稿を見ていると、れいわの支持者がだんだん増えているようで希望が持てます。実際、れいわが最近、各地で始めた街頭デモ作戦には多くの人が参加しているようです。大石あき子議員の発案で、最初は大阪で始まったとか、いま全国で実施、あるいは計画されています。9月30日の渋谷デモをユーチューブの「ミもフタも愛」というサイトが終始撮影して投稿していますが、にぎやかなものです。
 予想以上に参加者が多かったために、4グループに分かれての行進で、警備の警察官もたくさん出ていましたが、とにかく見物人が多い。スマホで撮影したり、応援したり、飛び入り参加したり、ブラスバンドの演奏もあって、なかなか楽しいデモのようでした。昔懐かしい風景でもあり、これぞ街頭行動の典型ですね。

A れいわは今、衆院選に向けて全国でポスティング大作戦を各プロック毎に展開中です。愛知、岐阜、三重は東海ブロックに属し、各県支部にポスティングチームが編成されています、というか現在も参加者募集中です。三重でも、北部、中部、南部に分けられていまして、僕も南部のチラシ保管係を仰せつかりました。三重の割り当てチラシ枚数は75,000枚です。

B 岸田政権は相変わらず、一向に元気の出ない現状ですが、こういう少なからぬ人びとの地道な活動が実を結び、次期衆院選では、山本太郎が言うように、心ある野党議員を1つの塊として終結させるためのプラットホームになれるよう、最低20人の国会議員を誕生させたいですね。

 

 

新サイバー閑話(97)<折々メール閑話>㊴

ジャニーズ事件と「自浄能力」を喪失した日本

 A 今週号の『週刊文春』を購入して、隅から隅まで目を凝らしても、木原官房副長官の木の字もない! 文春が政権に忖度したとは思いたくないけれど、ネットでこの件に関して検索しても、さしたる記事はありません。一方で、岸田首相が木原を留任させるという記事は随所に見られます。政権の中枢にいる人物によって、木原問題の進展が押さえ込まれたの間違いないのでは。

B かつて山本太郎が国会で岸田首相に「あなたはなぜ政治家を志望したのですか」とズバリと質問したことがありました。多くの人が感じている、もっともな質問ですね。中学生の作文のような、まるで熱意の感じられない答弁をしていましたが、この人は何がやりたいのか、まったくわからない。政治家を家業とする2世、3世議員の喜劇と言うか悲劇と言うか。こういう議員が跋扈している今の政治がどうしようもないのは当然という気もしますね(<折々メール閑話>⑫「世襲議員の跋扈が日本政治をダメにする」参照、『山本太郎が日本を救う』所収)。

A 一方で、木原問題に関して勇気ある証言をした警視庁のレジェンド捜査官、佐藤誠さんに地方公務員の守秘義務違反として逮捕の手が伸びているとか。もうこの国はめちゃくちゃです(怒)。

B この国のダメさ加減は、いまテレビ、新聞などで大々的に取り上げられているジャニーズ問題でも言えますね。芸能事務所オーナーによる所属タレント(未成年男性)に対する性加害を長年にわたって黙認、そのことで被害を拡大してきたわけだけれど、問題は社会的不正義に対するこの国の自浄能力のなさです。同じように、殺人の疑いがある事件を木原官房副長官が政治の力で闇に葬ったのではないかという疑惑がかなりはっきりと存在するのに、それがきちんと議論もされず、それこそ「闇に葬られ」そうなわけです。
 ジャニーズ事件の経過を整理すると、ジャニーズ事務所のオーナー、ジャニー喜多川氏が半世紀におよんで、数百人の少年たちに性被害を加えてきた。このことに対して親族をはじめ多くの所属タレント、タレントを使ってきたテレビ局、スポンサー企業、ジャーナリズムを担うとされるマスメディアも、自分たちの利益だけを考え、あるいは「長いものには巻かれろ」と口をつぐんできたわけです。

A 実はこの事実も1999年に『週刊文春』が告発していました。しかしテレビも新聞も、多くの人気タレントを抱えている事務所に忖度して、ほとんど後追いもしなかった。事務所側が週刊文春を相手に起こした訴訟では、2審の東京高裁がセクハラ行為があったことを認め、最高裁もそれを認定していましたが、ジャニー喜多川氏の行為が止まらなかったのは、この忖度のせいでしょう。

B 今年2023年3月に、外国である英国BBC放送が大々的に報じました。それに支えられて勇気を出して告発する被害者も現れ、ようやく国内でも話題になった。7月には国連の「ビジネスと人権の作業部会」のメンバーが来日し、被害を訴える当事者らから聞き取り調査をした結果、「タレント数百人が性的搾取と虐待に巻き込まれる疑惑が明らかになった」とする声明を発表します。この作業部会は他の人権問題の調査もしており、ジャニーズ事件はその一部だったわけですが、事態はこれをきっかけに大きく動きます。同事務所が設置した「外部専門家による再発防止特別チーム」が9月29日、ジャニー喜多川氏の性加害の事実とそれを関係者が組織的に隠ぺいしていたことを認め、藤島ジュリー景子社長の辞任を提言しました。

A その結果が9月8日の会見となり、藤島社長は辞任、東山紀之新社長誕生となりました。正式に性被害を認めて謝罪、被害者の補償にあたると認めました。
 新社長になった東山さんは、事務所最古参の「長男」的存在らしく、これまでのしがらみも多く、抜本改革ができるのか危ぶむ声もあるようです。彼自身は俳優としての今後の「夢」をすっぱりと諦め、この問題に取り組むと言っており、これはこれで大きな決断ではありますね。

マスメディアの沈黙と人権意識の希薄さ

B この件に関しては、外部チームも言うように、「マスメディアの沈黙」が大きい。国連作業部会は「日本のメディア企業が数十年にわたりハラスメントのもみ消しに加担した」と糾弾しています。「人権意識の希薄化」も指摘されました。ジャニーズ事件は過去の話だけれど、木原事件は現在の問題です。共通しているのが「マスメディアの沈黙」という、なんとも情けない事実です。

A いちおう決着のついた事件を、今になって大きく報道するメディアには「恥を知れ」と言いたいですね。それより、なぜ木原事件を報道しないのか。

B これまで忖度を繰り返してきたテレビ局やメディアは、自己の行動への真摯な反省は置き去りに、今度は「地に落ちた権威」というか、「水に落ちた犬」を、これ幸いと叩こうとするでしょうね。一部企業はさっそく、ジャニーズ事務所のタレントを使わないことを明らかにしていますが、テレビ局もそうだけれど、極端な「手のひら返し」を繰り返すだけでは、事態はあまり変わらないと思います。ネットも同じで、「いまこそ告発のチャンス」とばかり、真偽とりまぜて、いろんな声が出てくるでしょう。

A オリンピックや各種スポーツの世界大会になるたびにジャニーズなどの若手タレントを起用して特別番組を作るという風潮もありました。集団でにぎやかに登場する彼らは、当該スポーツに通じているわけでもなく、まともな解説などできるわけがない。すべてをお祭りモードではやし立てるだけです。視聴者も視聴者で、そういう空っぽな話題に一喜一憂、タレントの出番がなくなると、テレビも見ないという状態だったとも言います。テレビ局はそういう情けない番組作りに狂奔してきたわけで、安易な番組制作態度こそ反省してほしいです。

B この「手の平を返す」ような対応は、いまさら驚くことではないとも言えますね。そのいい例が敗戦後の日本です。「鬼畜米英」、「大東亜共栄圏」と叫んでいた人びとが、急に「アメリカさん(マッカーサー)ありがとう」、「民主主義万歳」と叫ぶようになった。いまはまた逆転し、先祖返りのように民主主義を否定しようとしています。自分の考えや行動を律する基準が自己の内にないから、その場を支配する「空気」に流される。戦後、政治学者の丸山真男が「超国家主義の論理と心理」、「軍国支配者の精神形態」などで、天皇制ファシズムを支えた精神構造を鋭く分析しましたが、その日本的構造は、基本において今も変わっていないようです。

A これからの被害救済は大事だけれど、むしろ外圧に弱く、自分では問題を解決できない、というか自浄作用の働かないない状況をどうすれば変えられるかですね。
 折りしも7日、国連ユネスコの諮問機関、イコモス(国際記念物遺跡会議)が、東京・明治神宮外苑の再開発事業をめぐり、「文化的資産が危機に直面している」として、事業者や認可した東京都に計画の撤回を求めたというニュースがありました。

B 8日になって小池東京都知事が「適切な手続きを経て進めている」と反論したようですが、問題の本質にはふれていない。外苑地区は元国有地で、これがいくつかの条件をつけて明治神宮に払い下げられたものです。再開発計画では1000本近い樹木が伐採されるほか、市民が気軽に参加できる施設を大幅に削り、プロスポーツを優遇するなどの基本計画にも批判が出ています。

A そもそも樹齢百年を超える樹木を何百本も伐採して、高層マンションを建てるという発想が信じられない。樹々も生きているという当たり前の事実に全く気がついていないですね。その目的は一にも二にも金。ジャニーズ問題以上に醜悪だと思います。

B これを図式化すると、国有地の格安払い下げ→企業による「より儲けるための」再開発→市民の公有財産ともいうべき「憩いの場(コモン)」の縮小、となります。前々回にふれた花火大会で有料席を設けて、そのために市民を締め出すような話です。
 この外圧が計画変更へと結びつくのはもちろん歓迎だけれど、今の日本の政治状況を「外圧」で変えようとするのは無理ですね。なんといってもアメリカ追随だから。事態はむしろ逆に動いており、放射能汚染水放出で反対派を説得するために、政府の方がIAEA(国際原子力機関)のお墨付きを仰ぐ形で「外圧」を利用しようとしている。そういう意味では、これからは一層、自律した精神が大事になってきますね。
 われわれが山本太郎とれいわ新選組に期待するのは、日本政治にようやく自浄能力をもった政党が登場してきたのではないかと思うからです。政治を永田町の論理で考えるのではなく、市民の立場で変えていくという重要な戦いを山本太郎とれいわ新選組はしているのだと思います。だからこそ、その支持はまだ思うように広がっていないけれど、これからの日本を救うのはれいわ新選組しかない。れいわとともに、我々も変わっていかないといけないわけです。
 れいわの考えは、櫛渕万里議員が国会で懲罰委員会に抗弁した「櫛渕万里の弁明」によく表れています(<折々メール閑話>㉞「れいわによって守られた国会の品位)」、『山本太郎が日本を救う』第2集所収)。それを全文活字に掘り起こしたところに、我々の思いをくみ取っていただけるとありがたいですね(^o^)。

新サイバー閑話(96)<折々メール閑話>㊳

原発汚染水放出と鎌倉市庁舎移転

 A 岸田政権が福島原発汚染水の海中放出を決め、8月24日から実際に放出を始めました。これに関連して野村哲郎農水相が記者団に説明するとき、「処理水」というべきところを〝誤って〟「汚染水」と言ったことが話題になっています。岸田首相は農水相を厳しく叱責、発言の撤回と謝罪を求め、農水相は大いに恐縮したようだけれど、放射能汚染水を「汚染水」と言って何が悪いのか。海外報道では、ふつうにcontaminated water(汚染水)と呼んでいるわけですね。ジャーナリストの青木理氏も「欧米のメディアの書き方が一番正確で、『処理水』なんて生ぬるく書いてるメディアはない」と語っていました。
 微妙な問題に対する配慮を失した政治家のセンスに疑問を投げかけるのはわからないでもないが、局地戦での敗戦を「転戦」と言いくるめた戦前の政府発表を思い出させる話です。福島原発の放射能汚染水をALPSという多核種除去設備で「浄化」、それを薄めて海に放出するわけで、専門家によれば、話題になっているトリチウムはもちろん、他の放射性物質も完全に除去できるわけではない。漁民の反対の声を「聞き置いた」だけで、実際には無視して放出を決めたというのが実情です。
 それを知ってか知らずか、立憲民主党の泉健太代表を始め多くの政治家が「放出に反対している中国側をいたずらに刺激する発言で、農水省は自覚が足りない」と批判、テレビのバラエティ番組でもタレントが訳知り顔に「風評被害を心配している福島の人びとに失礼」などと言っているのは、さらに奇妙なことです。「汚染水」と言うと現地の人に迷惑がかかるということのようだけれど、海洋放出には地元漁民は反対しているわけですよ。「汚染水」などという刺激の強い表現を使うべきでないという「配慮」自体がおかしい。放射能汚染水をなぜいま海に流してしまうのかという基本的な議論が忘れられていることが、この国の政治のレベル、さらに言えば、知的レベルを疑わざるを得ない。そのことをそっくり同じ論調の中で報道しているメディアもどうかと思いますね。

B トリチウムの毒性は比較的弱いようだけれど、ALPS処理水には他の放射能もかなり含まれているわけですね。ALPS処理水=トリチウム水=薄めれば無害、といういい加減な方程式で海水放出を正当化していますが、いくら薄めても大量に放出すれば、その影響は無視できないでしょう。その辺の説明もおざなりです。原子力専門家の小出裕章さんはユーチューブの動画で、日本が進めている原子力基本計画ではトリチウムを大量に海水に放出することになっており、その前提からしても放水せざるをえない、要するに日本が現在の原子力政策を続けている以上、放射能汚染水を「処理水」と強弁してでも放出せざるを得ない、と言っていました。
 日本が長年取り組んできた核燃料再処理とか、取り出したプルトリウムを再利用して夢の原子炉をつくろうという動力炉開発計画は、東日本大震災での東電福島第一発電事故を経て頓挫しています。また動力炉「もんじゅ」はたびたびの事故の末に廃炉になるなど、日本の原子力政策は暗礁に乗り上げていると言ってもいい。
 岸田政権は、そういう全体状況はいっさい枠外において、福島原発事故の教訓をほとんど忘れたように、原発推進、再稼働に舵を切っているわけですね。最近、山口県上関町長が原発の使用済み燃料の中間貯蔵施設設置のための調査を受け入れる見解を表明しましたが、これなど過疎県が補助金(原発マネー)という飴に釣られた結果です。たとえ中間貯蔵施設がもう1つ増えたとしても、最終的な処分への道は示されていない。こういう全体計画があいまいなままにことが進む状況が、無謀な戦争にあれよあれよと突き進んだ戦前にいよいよ似て来ています。

A 岸田首相には、まともな政治を行おうという気構えがまるでない。しかも全漁連との話し合いで、「漁業者が安心してなりわいを継続できるよう、たとえ数十年にわたろうとも全責任をもって対応することを約束する」などと歯の浮くようなことを平気で言う。安倍元首相の「アンダーコントロール」発言と同じで、無責任この上ないですね。

B 岸田首相は就任時に「聞く力」を強調したけれど、それは「反対意見も含めて、他人の話を真剣に聞いて、よく考えたうえで、自らの責任で決断する」というような力ではない。仲間の政治家、官僚、さらにはバイデン米大統領などごく一部の人間の言うことを「そのままうのみにして従う」わけで、そういうことを「聞く力」とはふつうには言わないですね。

A しかも、今回の汚染水放出にあたっては、原子力推進のための国際機関、IAEA(国際原子力機関)のお墨付きまで仰いだ。訪米前の岸田首相にインタビューした米誌『タイム』の記事(折々メール閑話㉜『山本太郎が日本を救う』第2集、アマゾンにて販売中)がまさに正鵠を得ていたと思うけれど、日本のメディアにはその役割を期待することはもはや無理ですね。

B 福島原発事故を経験した日本は、あらためて原子力政策について考えなおすべきなのに、そういう空気が日本全体に希薄なのが情けない。国会審議で言えば、やはり頼りになるのはれいわ新選組の山本太郎で、6月の参議院環境委員会では、汚染水放出に反対しつつ、プランクトンから小魚、そして大魚へと放射能が体内濃縮されながら、最終的に人間の口に入る危険性を考え、それに対応する検査体制が出来るまでは、「海洋放出しない選択肢がもっとも賢明な、リスクを減らす環境政策」ではないかと厳しく追及していました。西村明宏環境長官の紋切り型の答弁に対しては、「まったく話がかみ合ってない。ゼロ回答っていうんですね。そりゃそうですよ。心から、というか大臣のお立場で答えてないから。それも作られた作文を読んでるだけなんですね」と大いに落胆していました。

A 最近の与党協議で、他国と共同開発した武器を日本から直接第三国に輸出できるように見直すことなども決めています。岸田政権になって、戦後日本が大切にしてきた平和主義の精神はかなぐり捨てられたと言っていい。一方で、岸田首相は広島出身であることを強調して「核なき世界を実現するのが悲願」などと平気で言うわけです。知的レベルというか、人間としての誠実性を疑われてもしょうがないと思いますね。
 後藤田正晴いま在りせば!と思う気持ちがいよいよ強まります。中曽根首相のイラン・イラク戦争への自衛隊派遣の閣議決定署名を拒否した。こういう骨のある政治家は見当たらなくなりました。後藤田氏はたしか戦争経験者が国会からいなくなる日の事を危惧されていたと記憶します。それが現実になった。
 自公は多数を頼んでやりたい放題、確実に戦争する国になろうとしている。しかも、それは強固な信念に基づくものでもなんでもなく、ただただ対米従属。情けないの一言です。

・成熟した人間がいなくなったのにはワケがある

B 岸田政権の支持率はいろんな不祥事で最近は低迷気味とは言え、それでも世論調査をすると、30%程度の人びとは支持するわけですね。このところ選挙もないということで、岸田首相は汚染水問題だけでなく、国民無視のやりたい放題です。安倍、菅、岸田と続く自民党政権はもっての外として、野党も、メディアも、そして政権を支持する国民も含めて、成熟した政治のあり方とはとても思えない現実です。しかもこういう状況は国レベルだけでなく、地方自治体でも、まったく小型化した形で起こっており、いよいよ絶望的な気持ちにさせられます。

A 今だけ、金だけ、自分だけの新自由主義にどっぷりつかり、国民は分断されて格差は広がる一方です。

B 僕が住む鎌倉市ではいま市庁舎移転が大きな話題になっています。鎌倉駅のすぐ近く、昔から市の中心部だった御成町にある市庁舎が老朽化したのと、現在地が材木座海岸などから比較的近く、津波の危険性があるというような理由から、これを西部の深沢地区に建て替えようというものです。
 なぜいま市庁舎を他に移転、建て替える必要があるのか、現在地で震災などの補強工事をすることでいいのではないかという根強い反対があり、昨年暮れには鎌倉市議会でこの市庁舎移転に伴う位置条例が否決されました。賛成3分の2に足りなかったためです。これで移転問題は蹴りがついたかと思われましたが、松尾崇市長はいまだに市庁舎移転を諦めず、再度位置条例を議会に提出する意向です。
 その手法が福島原発の汚染水の海洋投棄を決めた岸田政権のやり方とまったく同じなんですね。議会で条例案が否決されても、「まだ考えの揺れている人がいるのでもう一度提出したい」と議員の決断を尊重しない傍若無人ぶりです。国でも地方自治体でも民主的な政治が機能していない。そして税金を使って自説を㏚する広報誌を出して、市民の考えを都合のいいように誘導しようとしています。それらの文書は、広告代理店が作成したような、それこそ歯の浮くような美辞麗句で埋められています。
 鎌倉の市庁舎移転は深沢地区の再開発という民間デベロッパーもからむ大プロジェクトの一環であり、その中には消防署や図書館、体育館などの統廃合も含まれています。これらの施設は統廃合するよりも分散している方が住民サービスの観点から言えば、むしろ合理的なわけです。
 僕は市庁舎近くにある中央図書館や鎌倉体育館に自転車で出かけてこのサービスを快適に受けていますが、これが廃止され、遠方に一本化されれば、もう行くことはないわけですね。だれのための統廃合なのかと考えると、それはその事業の建設や運営を請け負う一部企業の利益のためとしか考えられない。まさに逆転した地方自治です。これは、東京・明治神宮外苑地区の再開発計画とまったく同じ構造です。
 前回もふれたけれど、すべてを食いつぶす新自由主義が古都、鎌倉でも猛威を振るっている。先日、市長と市民の連絡会というのに出かけてみましたが、今の政治状況は地方から変えていく姿勢が大事なのだと痛感しました。
 松尾市長は岸田首相の真似をしているのか、一応、市民の意見を聞いているようで、ほとんど何も聞いていない。というか、岸田首相同様、基本的な「聞く力」を喪失しており、しかもそのことに無知だという印象でした。小池百合子都知事も含めて、これが現在の多くの為政者に共通する精神構造ということでしょう。

A 市民、あるいは国民の側がしっかりした批判精神を持たないといけないということでしょうが、首相、都知事、鎌倉市長、いずれも選挙で選ばれているわけですね。

B 連絡会には30人ほどの市民が集まり、なぜいま市庁舎を移転する必要があるのかについて多くの反対意見が出ていましたが、残念ながら、やはり若い人の姿がほとんど見えませんでした。
 以前、現代社会ではまっとうな大人が育ちにくくなっているとして、教育のあり方を話題にしましたが(<折々メール閑話>⑨「まともな人間を育てない教育」。『山本太郎が日本を救う』第1集、アマゾンで販売中)、すでに大人になった人もそうだが、とくに若者に危惧すべきことが多いように思います。
 社会学者の白井聡は「大学における『自治』の危機」(斎藤幸平+松本卓也『コモンの「自治」論』集英社、所収)で、「いまや大学は若年層の市民的成熟を実現する場として成立しえなくなっています。学園 紛争の反動であらゆるリスクを排除し、学生を保護した結果、逆説的に市民的成熟の機能が失われてしまつたのです」と嘆いています。
 ある私立大学のゼミでは、安倍政権を肯定する意見が7割を占め、学生からは「そもそも、総理大臣に反対意見を言うのは、どうなのか」、「(政権に批判的な学生に対しては)空気を読めていない。かき乱しているのが驚き、不愉快」などの発言があるといった〝悲惨〟な実情報告も紹介されています。
 大学自体、教授会の自治が失われ、文科省からの支配が強まっているけれど、大学教育において「まっとうな人間」がすでに育てられなくなっている、というか、そうして育てられた(育てられなかった)大人がいま社会の中枢を占めている。資本主義の価値観を完全に内面化して、自己というものを失った人間が続々と生まれているようなのです。こうなると問題の根はきわめて深いけれど、この現象は他国に比べて、とくに日本で顕著であることを示す同書添付のは、大いに考えさせられますね。

A れいわ新選組の次期衆院選公認候補に決まった辻恵氏が記者会見で「今の日本は、国破れて山河あり、城春にして草木深しではなく、その山河が残っているのか、草木はちゃんと育っているのか!」と悲痛な叫びを発していました。こういう状況を選挙だけで変えられるわけではもちろんないけれど、次期衆院選では、何としてもれいわに躍進してもらいたいと思いますね。これは「悲願」です(^o^)。

新サイバー閑話(95)<折々メール閑話>㊲

花火を「商品化」して地元民を締め出す倒錯

  A 国会休会中も、相変わらず腹立たしい出来事が続きますね。木原誠二官房副長官の2018年における捜査介入疑惑に関しては、『週刊文春』のスクープが続きます。僕は9週連続で文春を買いしましたよ(^o^)。他のメディアはほとんど報道していませんが、2006年段階における木原副長官の妻の元夫変死事件に関して、露木康浩警察庁長官が改めて「事件性なし」と表明したのに対し、2018年段階で捜査にあたった現場の刑事が実名で反論、後には記者会見までしました。根の深い問題だと思いますね。他の自民党大物政治家も登場して、松本清張の推理小説を読んでいるようです。

B 自民党女性局長の松川るい参院議員や局長代理の今井絵理子参院議員が、7月下旬に研修旅行としてフランス・パリを訪問した際に、はしゃいでエッフェル塔前でポーズ写真を撮り、それを自分のSNSにアップしたことも非難されました。実態はほとんど観光で、松川議員は〝研修中〟、娘を大使館に預けていたようです。昨今の政治家の「公私」混同は岸田首相を筆頭に目を覆いたくなる惨状です。こういう議員を選んで恥じない国民にも問題があるけれど、半数近くは棄権しているわけですね。政治を選挙だけで考えるのはもはや無理ではあるとしても、やはり「有権者」としての権利行使はきちんとしないと、こういう高学歴ながら人間的には非常識な政治家が誕生するわけです。木原副長官、松川議員ともに東大法学部卒、その後も、財務省や外務省の主流を歩いてきた人です。そうであるからこそ、日本の現状に対するみじめな感じが強まります。

A マイナカードの混乱も目に余ります。デジタル化の利便性、と言ってももっぱら政府にとっての話だけれど、それだけを強調して、何のために個人情報をデジタル化するのか、その危険性を最小化するにはどうすればいいのか、ということがまったく議論もされていない。河野太郎デジタル相が政治家として失格であることがわかったのはよかったかもしれないけれど、それに代わる人材が自民党にも、主だった野党にも見当たらないところが大いに問題です。もちろん、山本太郎を別にして(^o^)。

B 腐敗は国レベルにとどまらないですね。それを強烈に見せつけたのが花火大会の高額有料席設置です。花火は地元のお祭りであり、みんなで楽しむものなのに、有料席を多数用意して、金を稼ぐことが優先された。そのために金を払わない一般人には見えないように2キロにわたって幕まで張った。
 この滋賀の「びわ湖大花火大会」はコロナ禍で中止されていたのが今年4年ぶりに開催されたようですが、有料の観覧席が設置された会場の周辺約2キロにわたって目隠しとなるフェンスが張られ、地元民はその隙間から覗くという情けないことになりました(写真)。さすがに地元の自治連合会が開催反対を求める決議文を提出するなどしたようですが、これは「公私」混同というより、本来「公」のものである花火大会を自治体が「私」的に囲い込み、金を払わない地元民を「排除した」ものです。
 地元民が反乱を起こして幕などはがしてしまってもいいくらいですが、こういう騒ぎも起こっていない。もっとも騒ぎを起こせば、今度は警察の出番となって、逮捕者が出る恐れもある。祭りが「商売の手段」となり下がり、本来の姿を失っています。フェンスはコロナ以前にも張られていたというのも不思議です。

 A 琵琶湖花火の異常さには暗然たる気持ちになります。やはり4年ぶりに開催された地元、宮川の伊勢神宮奉納花火大会と大淀花火大会を見てきました。みんな、思い思いの場所で楽しんでおり、同行の友人が「花火は平和でいいですね~」と言った言葉が耳に残っています。聞くところによると、青森のねぶた祭りも京都の祇園祭りも、四国の阿波踊りも有料観覧席が設けられ、あっと言う間に売り切れたとか。世も末ですねーっ!

B この「公私逆転」と木原・松川議員の「公私混同」の根っこは同じです。資本主義が行きつくところまで行って、本来はみんなの公共財産(コモン)である祭りまでも商品化されているけれど、その資本主義のいびつな精神を内面化させられた(飼いならされた)人びとは、それを批判しない。「お金出しても、いいところで見られた方がラッキー」と思うわけです。お金を出せない人が締め出されることに痛痒を感じるという、ごく普通の倫理観もなくなっている。この倫理観の欠如は、木原、松川ご両人とほとんど同じです。恵まれた自分たち以外の人びとへの想像力が欠けた人びとが政治家をしているわけで、社会的格差はこういうところまで進んでいるとも言えますね。もっとも地元見物客のマナーの悪さという別の倫理観欠如の問題もあるようです。
 観光立国という言葉自体が危うい側面を持っています。世界から観光客を呼んで金を落としてもらおうというわけだから、商品化できるものはすべて商品化し、そのためにコモン的なもの(祭りとか共同体とか自然環境とか)が失われても意に介さない。ブラジルのカーニバルも同じです。観光用の形骸化した祭りだけが残るというか、肥大化するというか。いまや貧しい人ばかりでなく、自然環境、地球そのものが破壊されるという危機的状況だと思います。
 若いマルクス経済学者、斎藤幸平が力説しているように、私たちはもはや資本そのものから離れることを考えるしか将来の展望はないと思いますね。と言って、暴力革命だとか、前衛一党独裁とかいうような化石話を思い出す必要はない。祭りは地元の共有財産なのだから、みんなで管理運営して、みんなで楽しもうという当たり前のことでいいわけです。そのためには金にならないことでも奉仕するという相互扶助精神が大事だけれど、これって、昔はどこの地域でもやっていたことで、何も難しいことではないですね。
 斎藤によれば、コモン主義(コミュニズム)は中国やロシアの「社会主義」=「国家資本主義」体制とは無縁です。新自由主義は、ショック・ドクトリン(災害便乗型資本主義)に象徴的なように、人間の不幸も含めて、あらゆるものを商品化するけれど、今や地球そのものが搾取されて疲弊化、適度のバランスを失い、各地で災害を起こしている現状です。
 また彼は、物事を「構想する」人と「実行する」人の分離が資本主義を極端に推し進めたと言っています。本来、大工は家を構想し、同時にそれを作る人だったけれど、いまは設計する人、販売する人、作る人と分離され、大工はいまや「作る人」でもないですね。
 最近、大手建設会社の請け負った新築工事を近くで見る機会がありましたが、外見は立派な大きな住宅が積み木細工のように、部品を張り合わされるようにして作られて行きます。建築現場には、大工がカンナで見事に木を削る姿も、乾燥した槌の音も、釘すらもない。棟上げの儀式はもちろん、大黒柱もありません。家を作る人としての大工職人は、とっくに死んでいます。
 物質ばかりでなく、自然を、さらには私たちの精神までも「商品化」して狂い咲く末期の資本主義社会を抜本的に改革するためには、彼の言うように、「コモン」と「アソシエーション」の再興が不可欠だと思いますね。

A 最近、日本維新の会の馬場伸幸代表が「共産党は日本からなくなった方がいい」と発言して共産党から強い抗議を受けているけれど、馬場代表は古い共産主義のイメージに踊らされているんでしょうね。

B 不見識というより不勉強ですね。こんなことを言って平気な人がいまや日本の政治家で、メディアがこれをからかうということもない。この知的レベルの低さは、岸田首相、木原官房副長官、松川参議院議員、共通して言えるんじゃないでしょうか。日本共産党こそ、新しいコモン主義を敢然と打ち立てるべきだと思いますが、どうなんでしょうね。そういう意味でも、僕は「れいわ新世党」に賭けたいわけです。

 というわけで、ちょっとコマーシャル。<折々メール閑話>も少し期間があきましたが、この間のコラムを『山本太郎が日本を救う』第2集『みんなで実現 れいわの希望』としてまとめました。前著同様、1300円(税込み1450円)でアマゾンで購入できます。興味のある方はどうかご購入ください。見出しは以下の通りで、「櫛渕万里の弁明」全文書き起こしが目玉です。

PART<山本太郎発言集>
<1>いっしょにやらなきゃ変えられない
<2>コロナ行政をめぐる質疑
<3>「闘わない野党」への檄
<4>広島サミットは残念な集まり
<5>入管法改正案に体を張った

PART<折々メール閑話>
『山本太郎が日本を救う』新春発売!
れいわ新選組の新体制に期待㉒
新春を揺るがす奇策「議員連携の計」㉓
『山本太郎が日本を救う』への思い㉔
訪れた春を愛でつつ、つれづれ閑話㉕
なお安倍政権の腐臭漂う高市問題㉖
メディアの根底を突き崩した安倍政権㉗
小西議員の発言は「サルに失礼です」㉘
『通販生活』の特集に納得しました㉙
選挙が機能しない政治と新しい息吹㉚
76年目の憲法記念日に想う日本の針路㉛
タイムの「慧眼」とれいわの「本気」㉜
踏みにじられた「広島」 (核廃絶)の心㉝
れいわによって守られた国会の品位㉞
虐げられるれいわ新選組へのエール㉟
「連帯を求め孤立を恐れぬ」山本太郎㊱

PART<補遺>
<1>生成型AI、ChatGPTとサイバー空間
<2>この際の憲法読書案内

 

新サイバー閑話(88)<折々メール閑話>㊱

「連帯を求めて孤立を恐れぬ」山本太郎

A 6月8日の参院法務委員会で入管法改正案が可決されました。自民、公明、維新、国民民主の賛成で、立憲民主と共産は反対し、委員長席に詰め寄り、強行採決に抗議しましたが、ここで「体を張って」採決を止めようとしたのが山本太郎で、委員長を取り囲む与野党議員の後ろから身を乗り出して、委員長に採決させないようにしたわけです。「戦うれいわ」、「戦う太郎」の姿を目の当たりにして、胸が熱くなるのを感じました。

B れいわとしては、衆院の大石あき子、櫛渕万里に続いての「実力行使」そろい踏みですね。最初にこの報に接した時、また「れいわバッシング」の波にもまれるのではないかと、むしろ心配の方が強かったのだけれど、動画を見たり、その後、山本太郎が千葉・船橋で行った街宣や「おしゃべり会」で冷静に話す姿を見ながら、国会弱小勢力のれいわとして出来ることをやっているのだと改めて感じました。与野党はここでも山本太郎を懲罰動議にかける協議をしているようだけれど、かつて自らも野党だったころ、それぞれ実力行動に出た経験もあるのに、どういうことでしょうね。

A 山本太郎は確信犯です。懲罰動議、上等じゃないですか。入管法改正案は日本の難民政策を改悪するもので、これが成立すると、難民で命を落とす人が出るかもしれない大問題です。山本太郎はかつて「野党全員が浜幸のようになったら、悪法は止められる」と言っていたから、「あるいは?」と思っていたけれど、第一報を聞いたときは、「ついにやったか!」と感じました。それにしても、入管法に限らず、さまざまな悪法を問答無用に次々と成立させる岸田政権こそ問題です。

B 今朝の東京新聞を見たら、一面肩に<改正入管法きょう成立 参院委可決 立・共「強行」と批判>の見出しの記事が出ていましたが、山本太郎のヤの字もないですね。山本太郎は法務委員会のメンバーではないから、法務委員会の記事に山本太郎が出てこなくても筋としてはその通りでもあるが、与野党が山本太郎を懲罰動議にかける協議までしているのに、この問題にいっさい触れないのはやはりどうかと思いますね。捉え方によっては、「山本太郎、たった一人の反乱」という堂々たる記事ができると思うのだが‣‣‣。
 結局、新聞記事上は入管法改正案は立民と共産党などの反対はあったけれど、賛成多数で委員会を可決、9日には参院本会議でも可決、成立する、という型通りの進展になってしまう。山本太郎の体を張った抵抗は完全に無視され、彼の懲罰だけが問題になるわけで、今国会のいびつさはまったく知らされない。と言うより、山本太郎およびれいわ2議員の行動は単なる逸脱行動になってしまうわけです。

A 駅まで行って、朝日、読売、毎日、産経など各紙を購読してきましたが、大差ないですね。しかしツイッターなどインターネット上では、山本太郎への賛辞、激励、感謝などの声がむしろあふれています。ここに救いがありますね。少なくとも、社会全体の空気と国会、およびメディアのあり方がずいぶんずれていることを示しているとも言えるでしょう。
 山本太郎に「サルに謝りなさい」と言われた立憲民主の小西洋之議員がツイッターで山本太郎の懲罰動議に異議を唱えています。

B 貴君は殴り込みに出かける高倉健に「ご一緒、願います」と番傘をさしかけた池部良の心境のようですね(^o^)。僕は以前にも上げたガンジーの言葉を思い出しました。「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。それをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないためである」
 山本太郎は体を張ったけれど、国会ではそれこそ逆に「茶番」扱いされ、メディアも「太郎の義挙」に応えて立ち上がる気配がない。かつての全共闘時代、彼らのスローガンの1つは「連帯を求めて、孤立を恐れず」だった。山本太郎は国会での孤立を恐れず、国民との連帯を求めているわけです。心ある人びとが山本太郎に応える番ですね。

A メデイアが立ち上がらなくとも、国民は山本太郎に連帯すべきだと思いますね。彼は日本を救う漢(男子)です。国民の全員が池部良になれば日本は変えられる(^o^)。

B ガンジーと言えば、最近、AP通信社東京支局総支配人もつとめた我孫子和夫さんに聞いたのだけれど、ガンジーとAPとの関係は深いらしい。そのメールの一部を紹介させてもらうと、こうです。

 AP特派員だったジェームズ・ミルズはマハトマ・ガンジーが指導したインド独立運動を取材し、ガンジーを「狂信者あるいは奇人としてではなく、強く人を惹きつける特質を持った人間」として扱い、彼の信頼を得た。1932年1月に逮捕された時、ガンジーはミルズに向かい、「私は牢獄で死ぬかもしれない。そしてあなたに二度と会うことができないかもしれない。それ故、私の活動やインド国民会議の運動の進展を綿密に、そして公平に報じてくれたあなたとAP通信社に感謝したい」と伝えた。
 数か月後、深夜過ぎにガンジーが人里離れた駅で釈放された時、彼は闇の中を覗き込み、見覚えのある顔を見つけた。それはミルズだった。ガンジーはどうしようもないなといった表情で頭を振り、「思うに、私が来世へと旅たち、天国の門の前に立った時、最初に出会う人間はAP通信社の特派員だろう」とミルズに語った。

 この言葉はAPのマーケティング・パンフレットにも使われていたらしいけれど、山本太郎にはどこか求道者、ガンジーの面影もありますね。その山本太郎に寄り添い、後に彼から深い信頼の言葉をかけられるジャーナリストが日本にいることを望みたいです。

 

新サイバー閑話(87)<折々メール閑話>㉟

虐げられるれいわ新選組へのエール

B 櫛渕万里議員は6月1日の衆院本会議で10日間の登院停止という懲戒処分を受けました。2番目に重い処分で、衆議院議員の処分は16年ぶりとか。自民、公明、日本維新の会などの動議です。

A れいわ新選組の山本太郎、櫛渕万里、大石あき子の3代表は同日、記者会見を行い、この処分に強く抗議しました。櫛渕議員は「議会制民主主義そのものを茶番と言ったわけではない。かつて国会審議において野党が国会の玄関を封鎖するような行為までして法案を止めたこともあった。今回、予算審議において悪法が粛々と通っていくのに、そのことに真剣に立ち向かわない野党のあり方を含めて、国会全体が茶番だと言ったわけです」と自分の行動の真意をあらためて説明しました。
 山本太郎代表は、「品位のない自民党とあきらめの野党がこの国を壊してきた。それに対してもう一度やり直そうじゃないか、闘おうじゃないかということを提案した者に対して、このような懲罰は不当でしかない。逆に言えば今後、野党は闘いません、体など絶対に張りませんということを、今回の懲罰で示した。自分たちの手足を縛ったことになるわけだから、間抜けもいいところですね」と批判、最後にぽつりと「狂っているとしか思えない」とつぶやいていました。
 大石議員も「思い通りにならないからといって、やっていいことと悪いことがあるというふうに懲罰理由に書かれているんですよ。逆でしょう? 自分たちが思い通りにどんどん国民を苦しめていこうとしていて、れいわや心ある国会議員たちが、それに対して声を上げて、体を張って戦おうとしている。それに対して、自分たちの思い通りにならないからと、このような懲罰をすることはあり得ない」、「品性がないのは自民党、恥を知れ」(大石)などと激しく抗議の意を表明しました。国会の品位を汚しているのはどちらなのかと思いますね。

B 立憲民主党は、より軽い戒告動議を出したようですが、懲戒動議そのものには賛成していた。「野党第一党がなぜ他の野党を守らないのか」という声もあるけれど、野党第一党が立憲民主党である限り、こういう国会状況は続きますね。

A 櫛渕万里こそ真の国会議員です。彼女の出演するテレビ番組、「朝まで生テレビ」を見ていましたが、意気軒昂たるものがありました。大石さんは、ほんとに肝っ玉が坐っていますね。「もし悪法を身体を張って止められるなら、除名でも何でもやります」と、さらっと言ってましたが、戦慄が走りましたよ。かつて「府政のジャンヌダルク」と呼ばれていたことを思い出しました。みなさん、こんなことで萎縮することはないでしょうが、より一層の活躍を期待したいです。

B かつて山本太郎は「醜いアヒルの子」としての「白鳥の子」なんだと話したことがありますね。今は自民、公明、維新などのアヒルの子に嘴で突かれたり、足で蹴られたり、大いにいじめられていますが、時期が来れば成長して美しい白鳥になるんだと、あらためて大きなエールを送りたいです。

A 最近の政局を見ていても、岸田首相の息子の首相秘書官更迭があったり、維新の躍進で自公連立にさざ波が立ったり、立憲民主の依然としての危機感のなさが際立ったり、コップの中の嵐のようなごたごたが報じられています。コップの中と言えば、今は6月解散するかどうかの自民党内の駆け引きがすごいようです。
 その間に日本の将来に暗雲を生じかねないような問題法案がどんどん成立していきます。こんなことで日本はいいのか、と焦燥感にかられるのが当たり前なのに、そういうまともな議員を懲戒処分するんですからね。統一教会問題で逃げまくっている議長がよく、「櫛渕万里君を懲戒処分とします」なんて言えると思いますよ。

B テレビニュースでは連日、世界各地で洪水、干ばつ、山火事、地震と、同時多発的な災害がひっきりなしに起こっており、地球全体が悲鳴を上げているように見えます。コロナ禍も含めて、これらの天変地異は、経済活動ばかり考えて自然を酷使してきたことに対する自然の悲鳴と言っていいでしょう。
 少し前に、れいわの新党名として「れいわ新世党」はどうかと提案したこともありますが、最近、「人新世」の意味をあらためて考えています。
 実は、遺伝子学の権威で筑波大学名誉教授でもある村上和雄さんの『コロナの暗号 人間はどこまで生存可能か?』(幻冬舎、2021)という本が人新世に注目していました。以下はこの本の受け売りですが、人新世というのは、オゾン層の研究で1995年にノーベル化学賞を受賞したオランダの大気化学者、パウル・クルッツエン氏が提唱したもので、従来の時代区分では1万数千年まえから続く「ホロシーン(完新世)」が最新区分でしたが、彼はいまや「人類の経済活動が地質学的なレベルの影響を与えている時代」として「アントロポセン(人類の新しい世)」という新しい名を提唱したわけです。これを日本語では「人新世(ひとしんせい・じんしんせい)」と呼んでいます。「地球と人間の関係が、人間の営みの影響でそれ以前の時代とは大きく変わってしまった」というわけです。
 きわめてラフな地質年代の略図を示すと、 完新世は新生代第4紀に属し、更新世に続く年代です。クルッツエンはそこに人間活動の爆発的な影響力に注目して「人新世」を新たに加えた。第二次世界大戦後の1950年前後に始まったという捉え方が一般的のようですが、村上さんは「いままさに人類は、自らの手で自らを滅ぼす可能性に向かって突き進んでいるとしか思えない」と書いています。
 最近の天候異変、さらにはコロナ禍などを思い起こすと、この説が大いに納得できますね。それほど大きな人類史的テーマがいま私たちの目前に迫っており、日本も、世界とともに、そういう大問題に向かって叡智を結集すべきですが、国会はご覧のような体たらくということですね。そこで改めて思うのは、こういう時代を射程に収められるのはまさにれいわ新選組しかないということです(「れいわ新世党」を提唱する理由)。

A れいわに大いに頑張ってもらいたいと思いますが、それより、もっと多くの人が低次元のれいわいじめに加担することなく、次期衆院選でのれいわ躍進を求めてほしいです。

B 個人の寄金だけでなく、日本、さらには地球の将来を憂える企業や篤志家、IT起業家の支援も期待したいですね。
 話は突然、古い『三国志演義』の世界に飛びます。後漢末期に政情乱れ、黄巾の乱がし烈をきわめていたころ、劉備、関羽、張飛という3豪傑が後漢王朝の再興をめざして桃園で義兄弟の契りを結んだ。その直後に通りがかった旅商人が義挙に感じて馬、金銀、鉄をポンと寄付します。それで関羽はあの青龍偃月刀、張飛も大鋒を作り、500人ほどの義勇兵を集めたんですね。
 『三国志』の世界では、3という数字がいろいろ意味を持つ。魏、呉、蜀の「天下三分の計」もそうだけれど、三国志にあやかって言うと、れいわ新選組も3人の共同代表制です(^o^)。

新サイバー閑話(86)<折々メール閑話>㉞

れいわ2議員によって守られた国会の品位

B れいわ新選組の共同代表でもある櫛渕万里議員に対する懲罰動議が5月25日の衆院本会議で自民、立憲民主、日本維新の会、公明、国民民主各党の賛成多数で可決しました。櫛渕議員は、鈴木俊一財務相に対する不信任決議案採決が行われた18日の衆院本会議の投票時に、「与党も野党も茶番」などと書かれた紙を掲げたことで与野党双方から懲罰動議が出されていました。
 同じれいわ新選組の大石あき子議員も、12日の衆院本会議で塚田一郎財務金融委員長に対する解任決議案の採決が行われた際に、岸田文雄首相の写真に「NO!」のレッテルを張り、「もっと本気で闘う野党の復活を」と書いた紙を掲げたことで衆院議院運営委員会の理事会に呼ばれ、「秩序を乱す」行為だったとして厳重注意を受けています。
 今の大政翼賛的国会において岸田政権にはっきりとノーを突きつけている政党はれいわだけですね。そして、ふがいない他の野党に対して檄を飛ばしたわけですから、多勢に無勢、与野党歩調を合わせた懲罰動議にかけられてしまいました。しかしれいわ2議員の〝奮闘〟は今の国会のダメさ加減を浮き彫りにする「快挙」になったと思います。彼女たちのねらい通りでもあったわけですが、櫛渕議員が懲罰動議に対して行った「身上弁明」は、暴走する岸田政権への批判、真剣に闘わない野党への不満、れいわのあせりなどを開陳した名演説だったと思います。
 この動画はれいわ新選組や有志(たとえば「山本太郎を応援するべきと目覚めた者 トラジロ」などでアップされているので、ご覧いただくことをお勧めしますが、これを文字に起こして資料として保存しておくことにも意味があると考え、ここに全文を掲載することにしました。なるべく多くの人にご覧いただきたいと思います。メディアや国会議員の方にも、改めて。

A もう、腹が立って腹が立って仕方がないですね。議場で野次を飛ばす議員たちはよく恥ずかしくないなと思います。こんな連中を国費で養っていると思うと腸が煮えくり返る!とくに野党第一党の立憲民主党の方は熟読玩味してほしいです。それに引き換え、櫛渕万里議員の演説の見事さ!! れいわ新選組はまさに一騎当千です。

B 以前、戦前の国会における斎藤隆夫議員の反軍演説にふれたけれど、今回の櫛渕議員の演説はそれに匹敵すると思いますね。弾劾動議に対する「弁明」とは言うものの、堂々たるれいわおよび本人の「所信表明」演説であり、落ち着いて、はっきりした口調です。格調があると言ってもいいですね。

【櫛渕万里の弁明】

 私を懲罰委員会に付する動議につき身上弁明を行います。まず5月18日の壇上における行為について議場の皆様にお詫びをいたします。国権の最高機関である国会において言論の府として議会制民主主義の根幹を支える院の秩序とルール、これは本来尊重されるべきものであることに深く同意いたします。私としても考えに考え抜き、党の内部でも真摯な議論を重ねた結果、政治が暴走するその危機に対して、已むに已まれず今回の行動に至りました

・背中を押したのは憲法の前文

 最後の決断として背中を押したのは憲法の前文でした。国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。言うまでもありませんが、国会議員は国民の代表者としてこの議場に臨んでいます。国民の厳粛な信託に本当に応えているのか、国民は福利を享受できているのか、私たちは国会の中でも外でも常に国民のことを念頭に置いて行動しなければなりません。個人の尊厳や健康で文化的な最低限度の生活がすべての人びとに保障されるよう国会は機能しているでしょうか。平和主義を掲げた憲法の規範に沿って国会で徹底した議論が行われているのか、すべての国会議員は公務員として全体の奉仕者たりえているのか。今回もこのような自問自答を重ねました。先ほど述べました通り、院の秩序とルールは尊重されるべきものです。しかし国会における秩序とルールを守ることと国民の代表として求められている行動との間に大きな齟齬が生じた場合にどうすべきか、今回の私の悩みはすべての国会議員に共通するものではないでしょうか。
 
今から13年前の2010年5月12日、内閣委員会で国家公務員法改正案の採決が行われたとき、どうだったでしょうか。当時野党だった自民党議員が委員長席の周辺に詰めかけましたが、多くの方がプラカードを掲げておりました。中には、「天下り根絶をなぜやらない」というプラカードもありました。再び自民党政権となって10年以上たった今、元事務次官や現役の航空局長など国交省ぐるみで天下りを強要してきた疑惑があることを考えると、まことに興味深いものがあります。2015年7月15日、平和安全法制特別委員会はどうだったでしょうか。この時も野党だった民主党議員が「強硬採決反対」といった「プラカードを持って委員長席を取り囲みました。当時、委員室に無許可でプラカードを持ち込んだ人は今もこの議場にいらっしゃると思います。中には党の代表を務める方もいるかもしれません。あの時、議会の秩序とルールを守らなくていいのか、そういう葛藤を抱えながらもこんな法律は絶対に通してはいけない、何としても止めなければいけないと国民の代表として求められている姿の方を優先させた結果、委員長室での行動に至ったはずです。
 ここで胸に手をあてて考えてみてほしいのです。あの時ほどの熱い思いで、いま国民のために戦っているのか、と。もちろん国会は言論の府です。しかし委員会や本会議で反対を討論する正攻法だけでは、どうやっても止めることができない。そうした時にどうすればいいんでしょうか。選挙で勝って議席を増やし、与野党の議席が拮抗して抗えるようになるまではどんなに国民にとってひどい法律が作られてもしかたがないと諦めるしかないのでしょうか。岸田政権によって閣議決定で国の安全保障政策が大転換したり、東電福島第一原発の事故から12年しかたっていないのに、その教訓とした運転期間原則40年ルールを急に65年越えも可能としたり、国民のかけがのない健康保険証、これを廃止しマイナンバーカードに一本化したり、迫害の恐れのある外国人を強制送還することを可能とするなど、今ほど危機的な状況はありません。さらにこの間、防衛予算の大幅増の議論を進めるうえで、後期高齢者の医療保険料の負担を増やす法律が成立してしまいました。失業給付などに使われる雇用保険料の労働者負担を引き上げ、コロナの5類化を受けて、現在は無料としている検査や外来入院時の費用に患者負担を求めることも決まりました。そして政府はさらなる負担増として子育て支援財源を社会保険料の負担増で賄う見込みです。
 こうした状況に対して、れいわ新選組は委員会での質問はもちろんのこと、今年度の予算は組み替え動議も提出し、反対討論を行うなど徹底して議論で戦ってきました。限られた時間での質問は1分1秒を決して無駄にすることなく議論してきました。そのうえで、たった1人の小さな力でも諦めずに国民の生活を、命を守るために出来ることは何かと考え抜いて、已むに已まれず行動に及んだというのが今回の経緯です。

・とくに問題な防衛財源確保法案

 今とくに問題なのは防衛財源確保法案です。5年間で43兆円の防衛費増額を行うためのものであり、その使途はアメリカから言い値で大量の武器を買い、復興税の流用で被災地を無視した挙句、苦しんでいる国民に増税を押しつけ、日本を戦争経済でボロボロにさせる、絶対にやってはならないものです。また防衛産業基盤強化法案も論外です。これは単に国内防衛産業の衰退防止だけでなく、海外への武器輸出を国が支援する内容や戦後初の防衛産業の国有化を可能にする条項まで盛り込まれた、日本が複合的に軍需産業の促進に突き進む恐れのあるきわめて問題の大きい法案です。この国に生きる人びとの暮らしよりも日米防衛協力の強化にお金が流れ、防衛装備品の輸出の支援によって日本全体が戦争経済化していく、すなわち死の商人となりかねません。安保3文書によって平和国家としての日本のありようが180度変わり、専守防衛は脅威対抗型の安全保障戦略と形を変える。敵基地攻撃能力の保有を可能とし、日米一体化のもと、米国が始める戦争の最前線に沖縄が、日本が立たされることになります。そのときの壊滅的な被害を、今でさえ苦しむ国民の暮らしのことをわずかでも想像して、これら予算や法案の採決に臨んでいるのでしょうか。
 たしかにわが国の周辺の安全保障環境は厳しさを増しています。しかしそれに対して、武力には武力を、核兵器には核兵器をのごとく、防衛能力を拡大し、さらには核抑止の拡大や核シェアリングが進んでしまえば、日本を含む北東アジアが核軍拡競争の新たな火種の地域になりかねません。私は昨年ウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議に出席しました。そこに集まる国会議員会議でその懸念を伝えたところ、NATO加盟国の議員からは「日本で核共有の議論があるというが、核兵器がシェアされることはあり得ない。核保有国の兵器が押しつけられるだけで、押しつけられた側には何の権限も与えられない」という声がありました。そして会議声明では「核抑止と核シェアリングを安全保障政策として正当化する動きを深刻に懸念する」とする表明が出されています。また先日は超党派で構成される北東アジア非核兵器地帯条約を推進する国会議員連盟のソウル会議へ、先輩議員の先生方と参加し、韓国の国会議員と議論してきました。朝鮮半島でさらに高まる危機を共有し、今こそ、この北東アジアを核の傘から非核の傘にしていく努力が必要であるあることで一致し、地域に共通の安全保障の枠組みを作るその努力をしていこう、その必要性を確認しあいました。
 平和憲法と非核3原則、これを持ち、唯一の戦争被爆国である日本が、2度と戦争せず、国の確かな安全保障と地域の平和と安定に貢献できる道は何か。アメリカに追従するだけではなくて、時代の危機感を共有するすべての人と知恵と力を出し合い、もっと国会で真剣な議論を尽くし、国民の生命と尊厳を守るために私はあらゆる努力と行動をしていく決意です。そして今、何より政治がやらなければいけないことは、この国に生きる、今苦しんでいる人びとを救うことです。我が国は30年も賃金が上がらない、日本だけが経済成長していません。コロナになる前から生活が苦しいという人が54%、母子世帯では87%、また子どもの7人に1人が貧困と、G7ではアメリカについでワースト2です。さらに年金支給額がどんどん減らされた結果、年金だけで生活していると答えている高齢者は今や4分の1以下になってしまいました。その上にコロナと物価高でいわば三重苦と言える非常事態に国民生活は陥っているんです。実質賃金は12カ月連続でマイナス、昨年1年間に自ら命を絶った人たちは、全国で2万1881人。小中高生の子どもの自殺者は過去最多の人数を記録しました。これから夏が始まるのに、電気代が最大40%も高くなるなど、国民を熱中症で死なせてしまうのですか。秋にはインボイスでフリーランスや事業者に増税を課して廃業させてしまうのですか。少子化対策で社会保険料の負担増とすれば子どもはますます減っていくでしょう。そうなれば国家自滅の道です。
 またなぜ海外の輸入を守るために牛を殺し酪農家を離農させてしまうのですか。食糧自給率はたったの38%、余った乳製品を政府が買い取ってそれを生活の苦しい人びとに配る救済策を行えばいいではありませんか。食料も自国で確保できない政権に安全保障を語る資格があるのでしょうか。砲弾あるけど食糧がない、それは先の大戦の歴史の教訓ではありませんか。アメリカから武器を爆買いし、ミサイルや銃はそろえるけれど、国内に目を向ければ86歳のお年寄りがコンビニでおにぎり1個万引きして逮捕される‣‣‣、

 <ここで細田衆院議長から「身上弁明の範囲を超えていると思いますからご注意をお願いします」の発言。議場からはよく聞こえないが、いろいろヤジが飛んでいる。賛同する声は皆無か>

・健全な民主主義には闘う野党が不可欠

 このような状況は私はあまりにおかしすぎると思います。なぜ政府は防衛費倍増にすばやく財源を確保するのに、国民や酪農家を救うために財源を確保しないのでしょうか。なぜ原発推進のために大量の新たな国債を発行するのに、子どもたちのために、少子化を克服するために積極財政で人に投資をしないのでしょうか。やればすぐできるんです。本気になればやれるのです。それが岸田政権の財政運営で分かったのですから、徹底的に野党が一丸となってこの国に生きるすべての人びとの権利と生活を守るために戦おうじゃありませんか。それを国会の中でも外でも可視化できるように行動を起こそうじゃありませんか。そして日々の生活に追われ厳しい現場を必死に生き抜いている人たちと手を取り合い、政治を変えていく。これが民主主義ではありませんか。それをリードするのが国民に負託された国会議員の役割、国会の現場を知る議員の勤めであると信じて行動してきたのが、繰り返しますが、私の今回の行動の真意であります。私は今回のことを機に自分が最初に政治を志した時のことを思い出してみました。
 NPOで17年間、人道支援や平和構築の活動に携わり、友人にも血縁にも政治家のまったくいない環境で育った私が政治を志した理由、それは政治の力で命を救えるからです。戦争をさせない。貧困で苦しむ人に手を差し伸べる。環境破壊を止める、すなわち、すべての生きる力を支えることのできるのが政治である。そう信じて、この世界に飛び込みました。もう1つ、理由があります。世界80か国の言語を生きながら気づいたのは、日本が先進国でありながら、ほぼ一党の長期政権が続いて政権交代の文化がない。つまり健全な民主主義が機能していないということでした。そして独裁や軍事政権から民主政権を樹立した他国の人びとや成熟した民主主義が確立している国々の人びとと対話して気づくことがあります。それは闘う野党がなければ、民主主義は機能しないんだということです。今回G7サミットが開かれました。自由と民主主義の価値を共有するとしているG7の中で、政権交代の政治文化が定着していないのは日本だけです。選挙があれば民主主義なのではありません。民主主義の目的は政治が常に国民の手の中にあるということです。そして政治は常に国民のことを考えているという状況にあることです。選挙があるのに政権交代がないということは、選挙そのものが目的化、政治化していることであり、闘う野党の不在が民主主義を後退させ、この日本を衰退させてきたのではないでしょうか。歴史の大きな転換点に国民から負託を受けた国会議員として、私は改めて今一度、勇気を出して議員の皆さんに呼びかけます。闘う野党を復活させ、苦しんでいる国民の生活と命を救おうではありませんか。日本の民主主義を正常化させて政治の暴走を止めようではありませんか。闘う野党の復活、それ以外に政治の暴走、国家の衰退を止める手段はありません。
 最後にケネディ大統領の言葉を紹介します。われわれは真に勇気のある人間であったか。敵に対抗する勇気の他に、必要な場合は、自己の仲間に対しても抵抗するだけの勇気を持っていたか。私の壇上の行動になぜ連帯すべき野党まで批判したのか、と問われることがあります。しかし冒頭に述べた通り、国会議員は国民の厳粛な信託を受けています。真の連帯とは、単なる仲間意識によるものもではなく、国民の信託によって繋がるべきものであると考えます。ならば仲間である野党が国民の信頼―

 <ここで再び細田発言、「すでに相当の時間を経過しております。結論を急いでください」>

 に十分応えていないと判断した時には、仲間に対しては抵抗することこそ自己に与えられた役割ではないでしょうか。議会のルールや秩序も重要ですが、本当に応えるべき国民の信託であるとの意識を呼び覚まし、戦う野党の復活、そのことに少しでも繋がるものではないか、こうした考えに基づく行動でありました。以上、行き過ぎた面があった点は改めてお詫びするとともに、已むに已まれぬ行動であった、その真意をぜひともお汲み取りいただくことをお願いして私の身上弁明といたします。

【櫛渕万里の弁明・終】

B 15分強の堂々たる「櫛渕万里の弁明」でした。用意した原稿を読み上げているので、文章はほとんど直してありません。ただ演説時の言い間違えとか繰り返しなど数カ所に手を入れました。
 ところで大石あき子議員が議運委から注意を受けた後で話した動画もあるので、そのさわりも掲載しておきます。

 私もやりたくてやっているわけではありません。この国で生きる多くの人びとが苦しんでいる中で、防衛増税法案を出してくる、こういった憲法25条や9条を無視したような政権のやり方に対して、憲法を守るものとして議員の務めだと思っています。実力行使については過去盛んに行われているということです。立憲・共産は今回この防衛増税法案に断固反対と、何としても止めるとおっしゃっていましたが、もっと体を張って止めましょうとういう呼びかけでもありましたから、それに対して処分でお答えになったというのは大変残念だなと。私自体は一人の国会議員として国民の期待に応えるために、自分が何をしていけばいいのか、ということについては、本当にできることが小さいと。だからこの国会の与党も野党もどういうことをやっているのかということを可視化して、まず国民の皆さんにお見せするということが、私の最大限できることなのかなと思います。

A れいわの2女性議員はほんとにすばらしい。後に現在を振り返るとき、彼女たちこそ日本の国会の品位を守ったと評価されるのではないでしょうか。れいわという政党がなかったら、国会、日本はどうなっていたのかと思うと、ゾッとしますね。他の政党も、それと櫛渕演説を正面からは取り上げていないように見えるメディアも、もう少し発奮してほしいですね。

B 動画をアップしてくれたトラジロさんは、まだ20代の若者だと思うけれど、最後にこんなことを言っていました。「与党も野党もヤジがすごいですよね。国会がこんだけ腐ってるということで、もうどうしようもないな、と思いました。国民を救おうと言っている国会議員のことを笑っているのが意味がわからないですね。ジャイアンについていくスネオみたいな奴ばっかりなんですよね。なんか小学校みたいな感じ。大石さんにしても櫛渕さんにしても、こんなところで戦っているのかと思いました。出る杭は打たれるというか。でも負けんといてほしいですね。れいわ新選組が負けたら僕、もう政治なんかまったく興味なくなるだろうなって、思ってます。とにかく応援してるので、みんなも応援しましょう」。

 こういう若者がいるということは、やはり希望です。