新サイバー閑話(79)<折々メール閑話>㉘

小西議員の発言は「サルに失礼です」

B 元朝日新聞記者・鮫島浩氏のSAMEJIMA TIMESが毎週続けている動画「ダメダメトップ10」は、近ごろ大手メディアでは聞けない正論が堂々と展開されていて、常々愛聴していますが、とくに4月10日の放送には感心しました。
 例の放送の公平性問題で高市総務相を追及した立役者、立憲民主党の小西洋之議員が衆議院憲法審査会の議論を「毎週開催するなんてサルのやることだ」などと批判したことで、当の立憲民主党から参院憲法審査会の野党筆頭幹事を更迭され、党参院政審会長も辞任することになりました。いろいろ開いた口がふさがらない事態です。
 小西議員はせっかくの功をフイにしかねない言動をしたわけで、まことに浅慮、残念だったと言えますが、一方で、立憲民主党が他党の批判攻撃から小西氏を守ることなくそそくさと処分し、せっかくの放送法をめぐる論議に自ら蓋をしてしまったのは、敵に塩を送るようなもので、最大野党としての闘争姿勢を大いに疑わせました。
 そういう中でSAMEJIMA TIMESがこの問題をダメダメトップ2に位置づけた理由は立憲民主党のふがいなさです。しかもそこで山本太郎の参院憲法審査会の発言を取り上げたところに、ジャーナリストの慧眼を見た思いですね。
 山本発言は一部しか紹介されていませんが、要旨は以下の通りです。

これ、たしかに問題発言なんですね。サルに対して失礼であり、サルに対して謝罪すべきだと(思います)。サルは高度に社会性のある動物で、群れの明確なルールを守り、実力者が裏でこそこそルール変更したりしません。力にものを言わせた政治支配とも無縁と言えます。いま一部与野党の国会議員がやっているような姑息な火事場泥棒的なルール変更をサルは画策したりはしない、これらの国会議員たちと同列に置くのは、サルに対する冒涜です。
憲法審査会を毎週開くのが問題であるわけではないです。いま日本にはびこるさまざまな違憲状態、憲法に定められた国民の権利を無視した政策をチェックし、改善するための議論に集中するなら、週何回開催されてもたりないくらいです。‣‣‣。自公政権は生活保護基準引き下げを進め、憲法25条が定める最低限の生活を壊してきました。‣‣‣。同じ群れの中で、生殖の権利を奪い、飢え死にするところまで追いやるなどサルならば絶対にやらない。最近の憲法審査会では、国民の権利をさらに制限しようとする改憲提案ばかり議論し、回数を重ねたことを口実に国民が望んでいない改憲案を発議しようという意図が見え見え、本国会の衆議院憲法審査会では内閣に国会の賛成が不要な緊急政令制定権、政府の裁量で予算執行する緊急財政処分権限を付与する提案が出されている。国民が経済的に疲弊し、コロナから立ち直れないうちに戦前の法体系に戻そうとする動きです。こんな姑息なルール変更はサルはやらない。ほんとうにサルに申し訳ない限りです。小西議員にはすべてのサルに対する真摯な謝罪を求めたいと思います。

 サルへの謝罪にことよせ、自民党の改憲審議のやり方を批判しているわけです。もう少しましな議論をしないようでは憲法論議が泣くというように、小西議員の舌足らずな失言、と言うより暴言を丁寧にフォローして、ある意味で小西援護を行ったとも言えます。この山本演説に対する立憲民主党などの政界、さらにはメディアの鈍感な対応も含めてダメダメ2にランク付けしたようです。
 遠い昔、中国は三国志の時代、蜀の丞相、諸葛孔明は作戦に失敗した部下の首を泣いて斬った。「泣いて馬謖を斬る」という諺の由来だけれど、泉健太立憲民主党代表のいつもニコニコというかニタニタ笑っている表情には闘う野党代表の表情は見られないですね。
 鮫島記者によると、立憲民主党内で堂々と小西議員を擁護したのは原口一博議員程度で、参議院憲法審査会に出ている護憲派の雄(?)、辻元清美議員は発言なしだったと言います。一人気を吐いた山本太郎代表に言及したSAMEJIMA  TIMESの意図は、山本太郎の正論に対する敬意だと思いました。

A 参院憲法審査会をリアルタイムで見ましたが、途中で馬鹿々々しくなりました。各議員が原稿を読み合わせるだけで、読み終われば散会ですよ! 学芸会かよ! こんな状況では、まったく自公の思うがままですね。
 山本代表の小西議員のサル発言を逆手にとった政権批判はまことに見事でした。短い時間なのでやむをえないとは思いますが、原稿読みではいつもの舌鋒鋭い論調とはちょっと物足りない気もしたが、まあ、これは贅沢過ぎますね(^_^;)。共産党の山添拓さんと仁比聡平さんは、やはり原稿読みでしたが、共に正論でした。

B 審議の場数を増やして長時間審議したように見せかけ、それを既成事実に自民案を一方的に押しつけようとするやり方に、野党はなぜなすすべもなく呑み込まれてしまうのか。まことにふがいないと思います。
 社会民主党の福島瑞穂議員が言及していたけれど、戦前の帝国議会でも斎藤隆夫議員の「反軍」演説のような立派な意見陳述が行われた歴史があるけれど(1940年、この演説の結果、斎藤議員は衆議院議員を除名されている)、いまの国会の論議はまことに情けない。気迫も知力も戦前にすら及ばない状況です。
 この山本発言は名演説の一つに加えていいと思いますね。山本太郎には斎藤孝夫に匹敵する勇気と気概があると思います。メディアは例によって、この問題を正面から論じないし、その見識もなさそうに見えるけれど、メディアについては前回ずいぶん言及したので、いまさら論ずる気も起りません(^o^)。

・れいわはなぜ神奈川に候補を擁立しなかったのか

A 統一地方選の前半(知事選、県議選など)が終わりましたが、維新だけが躍進、共産党はだいぶ票を減らしました。問題はやはり立憲民主党の不振ですね。奈良や徳島の知事選では保守分裂になりましたが、奈良では維新候補が当選、徳島では3分裂の中で自民候補が当選しました。大阪で知事、市長ダブル当選、しかも圧勝した維新は、関東でも勢力を拡大しました。こういう報道に接すると脱力感しかないですね。

B 神奈川は選挙期間中に黒岩祐治知事のスキャンダルが報じられましたが、残念ながら対立候補が共産党ではやはり勝てませんでした。今の立憲民主党には政権交代をめざす気力がまったく見えません。もはや滅びるしかない印象すら受けます。
 れいわはなぜ神奈川で候補を立てなかったのか、というのが僕の大いなる疑問です。れいわは今回、1議席も獲得できずに終わったわけですね。それはそれでやむを得ないとも思いますが、SAMEJIMA TIMESも選挙総括でふれていましたが、もし神奈川で名もある立派な候補を立てていれば、黒岩スキャンダルの影響もあって少しは票を獲得できた、というより、勝てた気もするわけです。
 れいわの選挙戦略には山本太郎の演説のような冴えが見られない。現体制のけっこう深刻な欠点ではないかと思います。

A 山本代表は統一地方選後半に向けて意気軒高なところを見せていますが……。共産党が議席を減らしたのは委員長公選制要求に対する党本部の威圧的な態度が影響したとも言われるけれど、野党で上り調子なのは、自民よりタカ派の維新だけという状況はまことに情けない。その責任はどこにあるかというと、結局、立憲民主党のふがいなさ、闘争意欲喪失に帰着せざるを得ないですね。まったく笑っている場合じゃないですね。

新サイバー閑話(78)<折々メール閑話>㉗

メディアの根底を突き崩した安倍政権

 A 放送の中立性という「表現の自由」にも関わる重要な問題が、「文書捏造だ」、「捏造という言葉はきついかもしれないが、文書は不正確である」、「私の言うことが信用できないなら、質問しないでください」などという高市元総務相の頓珍漢なやりとりで、参議院予算委員会は迷走気味だけれど、この件をきっかけに、2014年当時の安倍政権、というより安倍晋三首相その人の強引なメディア介入の実態が改めて浮かび上がっています。

B 一部は前回の繰り返しになるけれど、2014年から2016年の前後におよぶ安倍政権とメディアにからむ出来事を整理してみました。

2013
 2013/9/8           アルゼンチンで開かれた2020年夏季オリンピック開催都市を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会で、安倍首相は東京電力福島第1原発の汚染水漏れ問題について「(汚染水の)状況は制御できている。東京には今までもこれからも何のダメージもない」と説明。
2014
 2014/1/25         新任のNHK籾井勝人会長が就任記者会見で、領土問題に関して「政府が『右』と言うものを『左』と言うわけにはいかない。政府と懸け離れたものであってはならない」と述べた。2013年11月には作家の百田尚樹氏らがNHK経営委員に任命されている。
 2014/3/21       安倍首相、フジテレビのバラエティ番組「笑っていいとも!」に出演。
 2014/8/5        朝日新聞が慰安婦報道で訂正記事を掲載。
 2014/11/18     安倍首相がTBSの「ニュース23」に出演中、街頭インタビューの視聴者の声がアベノミクス批判ばかりだとして、「おかしいじゃないですか」と発言。
 2014/11/20     自民党が「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」という文書(萩生田光一副幹事長などの名)を在京テレビキー局の編成局長、報道局長宛に出す。①出演者の発言回数と時間の公平を期すること、②ゲスト出演者等の選定も公平、公正を期する、③テーマについて特定の立場からの意見の集中がないようにする、④街角インタビュー、資料映像等で一方的な意見に偏る、特定の立場が強調されないようにする、など番組制作の細部に介入するものだった。  
 2014/11/21     衆院解散。12/14投票、自公両党で議員総数の3分の2を確保。
2015
 2015/3/27       テレビ朝日「報道ステーション」降版に際し、コメンテイターの古賀茂明氏がI am not  ABE のフリップを掲げる。同氏は1月13日の段階で中東政策に関する政権批判として、日本国民は世界に向けてI am not  ABEであると主張すべきだとの発言をしていた。
 2015/5/12       高市総務相が参議院総務委員会で「一つの番組でも放送法に抵触する場合がある」と答弁。
 2015/9/19       安倍政権が安全保障関連法を強行成立させる。
2016
 2016/2/8        高市総務相が衆議院予算員会で、「放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、電波停止を命ずる可能性もある」と答弁。
 2016/2/12       総務省が「政治的公平性の解釈について」政府統一見解を出す。「一つの番組のみでも、たとえば、①選挙期間中又はそれに近接する期間において、殊更に特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間にわたり取り上げる特別番組を放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合。②国論を二分するような政治課題について、放送事業者が、一方の政治的見解を取り上げず、殊更に、他の政治的見解のみを取り上げて、それを支持する内容を相当の時間にわたりくり返す番組を放送した場合のように、当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合 といった極端な場合においては、一般論として『政治的に公平であること』を確保しているとは認められない」。総務省ではこの見解を「『番組全体を見て判断する』というこれまでの解釈を補充的に説明、より明確にしたもの」と説明した。
 2016/8/21       リオデジャネイロ五輪閉会式に安倍首相、ゲームキャラクターのスーパー・マリオに扮して赤いボールを手に登場(写真)。
[その後]
 2019/4/20       安倍首相、吉本新喜劇「なんばグランド花月」にサプライズ出演、大阪で6月に開かれるG20サミットについて協力を呼びかける。
 2020/9/16       安倍内閣総辞職、安倍首相辞任。
 2020/12/21     安倍首相が「桜を見る会」懇親会をめぐって国会で行った答弁のうち、検察の捜査に関する情報と食い違う答弁が少なくとも118回あったことが衆議院調査局の調査で明らかになる。別に森友学園への国有地売却をめぐる財務省の公文書改竄問題でも安倍政権が行った国会答弁のうち、事実と異なる答弁が計139回あったとも。
 2021/7/23       東京オリンピック開催(8/8まで)。
 2022/7/8        安倍元首相、参議院選挙の応援演説中、銃撃され死亡。
   2022/8/17       東京地検特捜部は東京オリンピックをめぐる汚職事件で、高橋治之大会組織委理事(元電通専務)を受託収賄容疑で逮捕。

 こうして並べてみると、安倍首相は自らメディアに積極的に登場して大衆の支持を獲得しつつ、一方で自分の意に沿わない放送局や新聞には徹底的に圧力をかけ続けてきたことがはっきりします。そのピークが奇しくも2014年から2016年だったと言えるでしょう。

A 今になって、その当時の出来事が改めて脚光を浴びています。
 2014年に古賀茂明氏がテレビ朝日の「報道ステーション」でI am not  ABEのフリップを掲げた時、菅官房長官の秘書官から直接、番組関係者に「古賀は万死に値する」というメールが入って、番組の裏方は大騒ぎになったそうです。本人のユーチューブの発言によると、その秘書官は中村格氏で、彼は伊藤詩織さん「レイプ事件」で逮捕状が出ていた被疑者の逮捕執行を見合わせた警視庁刑事部長、後に警察庁長官となった人です。
 これは完全な「報道の自由」への介入であり、憲法に反する行為と言ってもいいと思いますが、そんなことが許され、現場は混乱したけれども、社としてはとくに抗議もせず、むしろ政権に対してもモノ申そうとするキャスターやゲスト、さらには番組制作責任者の降版や更迭が行われていたわけです。同「報道ステーション」では古賀さんに続いて、「報道ステーション」の屋台骨を支えてきたプロデューサーの松原文枝さんも更迭されています。

・「言論機関」よ、さようなら 「広告代理店」よ、こんにちは

B 結局、安倍元首相はテレビを自分の都合のいいように徹底的に利用しつつ、反対する報道などを禁じようとしてきたわけで、それはメディアを私物化することでした。心あるキャスター、ジャーナリストたちは、当時も反対声明などを出して抗議しましたが、テレビ局の大勢は完全に政権追随色を強めていったわけです。
 これを一言で表現すると、<「言論機関」よ、さようなら。「広告代理店」よ、こんにちは>ということになりますね。政権に批判的な「報道」を封殺するばかりか人事にも介入しつつ、一方では金を出せば都合のいい「宣伝」をしてくれる電通のような広告代理店を重用したわけです。

A 2019年の参院選でのれいわ街宣に登壇した前川喜平さんが、「自民党は資金潤沢だから憲法改正の国民投票になった時、その資金を使って大量のコマーシャルで国民を誘導するだろう」と警告していたのを思い出します。

B 安倍政権はメディアの基盤を解体しつつ、安保法制成立といった懸案を推し進めた。その間、以前にも何度も取り上げた統一教会や日本会議などとの関係を深めていったわけでもあります。報道機関の表現の自由は著しく狭められ、ジャーナリズム機能は弱まりました。
 これは本欄で以前書いたことだけれど、たとえば2022年参院選で山本太郎が衆議員の椅子を投げ出して参議院選挙に出馬する過程などもずいぶんドラマチックな話だけれど、これをそういう観点から報道するメディアは皆無に近かった。これは総務省見解「①選挙期間中又はそれに近接する期間において、殊更に特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間にわたり取り上げる特別番組を放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合」に該当するからで、これでは興味深い選挙報道はできるわけがない。かつてなら選挙を野次馬的関心から面白がって報道するようなことはふつうにあったわけですね。放送ばかりか新聞もその制約に習ったように思われます。同選挙でれいわに対する報道が少なかったのもむべなるかな、というか、少数者あるいは弱者は切り捨てられる構造になっている。これでは社会はなかなか進歩しない。
 対立する見解を天秤にかけて過不足なく報道することが「公正中立」だと考えれば、それは権力にとって有利であり、ジャーナリズムの基本である「権力の監視」など絵にかいた餅になります。言論機関の矜持において何を報道すべきか、何がおもしろいかを独自に判断するのが「表現の自由」の醍醐味だと思いますね。今回、ネット上で雑誌『創』のバックナンバー(2016年8月号)が再掲されているけれど、そこでキャスターの岸井成格さんの言っていることは、まことに正論だと思います。

安保法制と原発に関して批判的な報道をすることは許さんと、そういう基本方針が政府にはあったし、今もそれはあるんじゃないかと思っています。私が先輩から受け継いだジャーナリズムの基本というのは「権力は必ず腐敗し、時に暴走する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」ということです。これを見誤ってしまうと、後々になって取り返しのつかないことになる。そういうことを、我が国は経験してきている。しかもその中に、メディアは積極的に参加してきてしまっているんです。これだけは二度と繰り返してはならないということは、メディアの使命だと思うんですね。ですから、権力の腐敗とか暴走というものに、どうやってブレーキをかけるか、つまり権力の監視役というのがどれだけできているのか、ということがメディアやジャーナリズムにとっての生命線なんです。これが、だんだん崩れているというのが今の状況です。

 そもそも安倍首相は放送法の理念とか、民主主義社会における「表現の自由」の重要さなどに関してほとんど無知、無関心だったように思えます。自分の意向を忖度して動いてくれる磯崎陽輔補佐官のような人を官邸に集めて、既存の秩序や手続きも無視して官邸主導でことを運んだ。それに官僚たちも忖度しつつなびいて行った。この構造は安保法制成立のころに石川健治東大教授が言った「非立憲政権によるクーデーター」そのものでした。

A その結果、生まれたのが汚職まみれの東京オリンピックでもあったわけだけれど、検察当局の捜査もその膿を出すまでは至らなかったですね。日本は根底から破戒されたとも言えます。新聞社は軒並みオリンピックのスポンサーになるなど、自らのジャーナリズム性を放棄しました。
 最近公開された映画『妖怪の孫』はまだ見ていませんが、安倍政権のメディア制覇の実態や覆面官僚による赤裸々な告発もあるようです。

B 僕はかつて『総メディア社会とジャーナリズム 新聞・出版・放送・通信・インターネット』(知泉書館、2009、大川出版賞受賞)という本を書いたことがあります。インターネット以前は、メディアと言えばいわゆるマスメディアだけでした。しかも新聞、出版、放送などのメディア企業は、ふつうの企業とは違う一種の「文化産業」とみなされ、そこでは不十分ながらも、「表現の自由」や「権力監視」といったい言論機関の役割が自覚されていたわけです。
 放送は公共の電波を使用する制約上、電波法や放送法によって規制されていましたが、一方で、放送の公正中立性も保証されていました。本書は、インターネットの発達でマスメディアとパーソナルメディアが錯綜するようになった社会を「総メディア社会」と呼び、そこにおける民主主義を守る基盤としてのジャーナリズムのあり方を考察したものです。
 昨今の状況を見ていると、マスメディアはジャーナリズム機能を急速に失いつつありますね。安倍政権は時代の流れをうまく利用する形で、新聞、放送をほぼ完全に骨抜きにしました。
 それは「表現の自由」や「ジャーナリズム」という公共的役割を担う言論機関を敵視し、自らの都合のいいことを宣伝してくれる「広告代理店」を活用したと言えるわけです。「表現の自由」は民主主義社会を維持するための大切な権利であり、ジャーナリズムは表現の自由を行使する社会的活動だと認識されていたわけですが、昨今の国会審議などを見ても、「表現の自由」を正面から議論するような雰囲気はありませんね。

A かえってインターネット上に骨のある番組があるのでは。

・インターネットと「表現の自由」の危機

B ここには、インターネットの発達ですべての人が「表現の自由」を行使する手段を得た時、その表現の自由はどう変質するか、という大きな問題があります。たしかに、ユーチューブには我々もよく見ている『一月万冊』、『SAMEJIMA TIMES』といった硬質、かつ良質なコンテンツがありますが、一方で、政権ヨイショものも多いわけです。
 基本的には通信であるインターネットには現在のところ、電波法も放送法も適用されませんし、グーグルが開発した検索連動型広告に象徴的なように、「記事」と「広告」の区別もありません。新聞ももちろん広告収入に依存していましたが、大部数を持ち影響力がある媒体として広告を集めるけれど、あくまでも報道記事が主であるとの認識があり、それを「編集権の独立」とも呼んでいました。記事と広告は、少なくともタテマエとしては独立していたわけです。記事と広告の境界線が薄れたこともインターネット時代の情報の質を大きく変えました。
 またSNSに特徴的ですが、閲読率(ビューポイント)を高めるために記事をゆがめたりする傾向(針小棒大、意図的な虚偽情報)もありますし、政権が都合のいい情報をアルバイトやそのための専門業者を使って故意に書かせることはもはや日常的ですらあります。
 これもすでに触れましたが、インターネットという仕組み自体が、知りたい情報はどんどん集まるが、それに対抗するような情報からは自然に隔離されてしまう制度的特徴があります(『山本太郎が日本を救う』P21)。またユーチューブの硬派番組を支えているのは旧マスメディアから飛び出した人が多く、マスメディアが骨抜きにされた後はどうなるのか、これはこれで心配な状況でもありますね。

A 今日はれいわファンの知人宅を訪問、最新ポスターを分けてもらったのですが、岸田首相夫人の単独米国訪問計画や最近の内閣支持率上昇に憤懣やるかたない感じでした。放送法問題の火付け役、立憲民主党の小西洋之議員のツイッター上のバッシングも話題になり、「裏で金が動いているのではないか」と疑念を呈していました。

B 『総メディア社会とジャーナリズム』の巻頭に、以下の言葉を掲げたのですが、現状はまことにお寒い。

21世紀の自由社会では、数世紀にもわたる闘いの末に印刷の分野で確立された自由という条件の下でエレクトロニック・コミュニケーションが行なわれるようになるのか、それとも、新しいテクノロジーにまつわる混乱の中で、この偉大な成果が失われることとなるのか、それを決定する責任はわれわれの双肩にかかっている。(イシエル・デ・ソラ・プール『自由のためのテクノロジー』堀部政男監訳、東京大学出版会)

 今回の出来事で総務省は放送の公平について安倍(高市)以前の見解に復帰するような答弁をしたようですが、放送局自らの力によって押し戻したというわけではなく、むしろ完全に既成事実に屈服しているのが現状ですね。新しいメディア環境の中で、表現の自由を守るためにはどうすればいいのか、これが本書の課題だったのだけれど、技術の目まぐるしい進歩に幻惑されたのか、それを利用した権力側の攻勢にメディア側がただ追随し、まさに屈服しつつあるのか。だからこそIT社会の本質を洞察する基本素養(サイバーリテラシー)が必要だと僕は長年、提唱しているわけです。
 この機会にそういった問題への議論が喚起されることを願わざるを得ないですね。

新サイバー閑話(77)<折々メール閑話>㉖

なお安倍政権の腐臭漂う高市問題

B このところ国会で続いている高市早苗元総務大臣(現経済安全保障担当大臣)をめぐる放送の「政治的公平」にからむ質疑にはまったくうんざりしますね。このような人が大臣として国の安全保障を担っている岸田政権のお粗末さを感じざるを得ません。

A 参議院予算委員会で立憲民主党の小西洋之議員が、安倍政権当時の2014年から16年にかけて首相官邸と総務省の担当者が協議したとされる文書を示しながら、「個別の放送番組に圧力をかける目的で従来の法解釈を変えた経緯が示されている」と追及したのが発端です。
 総務省は従来、テレビ放送などの政治的公正に関し「一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断する」との見解を示していましたが、2015年5月、当時の高市総務相が「一つの番組でも、極端な場合は政治的公平を確保しているとは認められない」と答弁、その後、政治的公平を欠く放送を繰り返した放送局への電波停止を命じる可能性にも言及しています。小西議員の提示した文書には、この法解釈変更を推進したのが当時の磯崎陽輔首相補佐官であり、高市答弁には安倍首相の意向が反映していることをうかがわせるものでした。
 この辺の経緯は当時から安倍政権の放送(マスコミ)への介入として話題になり、実際、テレビで政権に批判的なスタンスをとっていたキャスターや出演者が徐々に姿を消していきました。「報道の自由」という観点からは由々しき事態でもあったわけですが、テレビ局も正面から批判反論するようなことはなく、なんとなく政権側に「押し切られた」というのが実態です。
 今回の小西議員の追及は、総務省の内部文書をもとに、この間の政権側の動きを明るみに出したもので、これに対して答弁を求められた高市前総務相が、どういうわけか「その文書は捏造だ」と居丈高に反論し、小西議員が「もし本当なら大臣も国会議員も辞めるのか」とただすと、「結構ですよ」と答弁したんですね。
 文書は総務省の行政文書であることが確認されると、今度はそこに書かれている総務省と大臣とのやり取りに関わる文書が「不正確である」と論点をすり替えました。その後の国会質疑は、高市氏の支離滅裂と言ってもいい対応で迷走を始めたので詳しくはふれませんが、自分が総務大臣のときの議論を時系列で整理したメモを「不正確だ」と反論するのも妙だし、それで「捏造文書でないとわかったら大臣も議員も辞める」と言った答弁が覆されるわけでもないのに、なお国会は紛糾、当時の関係者を喚問しようという流れになっているわけです。

B 文書を素直に読めば、政権に批判的な声を「封殺」したい安倍首相の意向を受けて、磯崎補佐官が総務省に圧力をかけようとした、当初総務省や高市総務大臣も躊躇気味だったのが、しだいに官邸側に押されて、大臣の国会答弁につながった経緯は明らかなように思えます。
 それをなぜ高市氏は「捏造だ」などと言って、否定しようとするのか。高市氏は放送法の解釈変更、さらには電波停止の可能性といった強硬発言をしたけれども、それが安倍首相の意向を反映したものであることをどうも認めたくないらしい。その思惑はいろいろ憶測されています。

A 安倍首相に取り入る高市氏の戦略(忖度)だったと思うけれど、いまや彼女を守ってくれるだろう安倍元首相はこの世に存在しません。彼女が安倍首相の何を守ろうとしているのかもよくわかりません。
 一方で、岸田首相が高市大臣を首にすればいいだけだとも思うけれど、それが出来ない。腹立たしい気持ちが収まらないですね。問題がこれだけ長引くのは、政権側の意図ではないかとすら思いたくなります。

B <折々メール閑話⑧日本を深く蝕んでいた「アベノウイルス」>で提起した「アベノウイルス」の腐臭が、今なお自民党を深く覆っているということでしょう。当時も総務省見解としては、放送の政治的公平に対する考えは、「解釈の変更ではなく、これまでの解釈を補充的に説明し、より明確にしたもの」と説明、現在でもその通りだとしているけれど、一連の出来事を通じて実際に起こったことが、放送局の番組をより「規制」するものだったのは確かです。そのころ放送現場では国谷裕子(NHKクローズアップ現代)、古舘伊知郎、古賀茂明(テレビ朝日報道ステーション)など、わりとはっきりものを言っていたキャスターやコメンテイターの降版が相次いでいます。それぞれ理由はついているけれど。

A 高市氏のやけ気味の発言につられて迷走している質疑には、木を見て森を見ず、の感が強いですね。本質的な問題が論議されていない。
 また高市大臣の答弁を見ていると、往生際が悪いというか、まことに見苦しい。こういう人物をのさばらせてきた国民にも責任があると言えますね。

20年前のNHK番組改編事件

B 安倍亡きあとのアベノウイルス罹患者の断末魔、というと言いすぎかな。この事件で思い出すのはもう20年前、安倍政権誕生以前の2001年に起こったNHK番組のシリーズ「戦争をどう裁くか」の第2回、「問われる戦時性暴力」をめぐる番組改編問題です。
 政治家の放送番組介入として大きな話題になり、またさまざまな余波を生んだ出来事ですが、NHKに働きかけた政治家として登場するのが、自民党の中川昭一、安倍晋三の両議員です。当時、中川氏は経済産業相、安倍氏は内閣官房副長官で、2人は「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の代表、および事務局長でした。
 当該番組が放送されたのが2001年1月30日で、戦時下の慰安婦問題の政治責任を問う報道姿勢に対して番組制作の過程から右翼からの抗議が行われていたようですが、これが大きな社会問題になったのは4年後の2005年1月12日に朝日新聞に政治家が「番組内容が一方的である」とNHK幹部を呼んで内容を「改変」するよう圧力をかけたという記事が載ったのがきっかけです。その後、NHK幹部や両政治家の反論、それに反論する形でのNHKディレクターの告発会見、取材を受けた側からの「番組が不当に改変された」という提訴など、さまざまな波紋を呼びました。後にこの問題を告発したNHK永田浩三プロデューサーによれば、安倍議員はNHK放送総局長に対して、「ただではすまないぞ。勘ぐれ」と言ったといいます。なかなかドスの利いたセリフです。
 そして結果は、事実はあいまいなまま、最高裁では原告敗訴、朝日新聞が細かい事実の誤りをお詫びするというしりすぼみの結果に終わっています。たしかなことは、NHKがより一層の政権寄り姿勢を強めたことです。
 安倍政権下でメディア規制はいよいよ激しくなったわけですが、2014年と言えば、朝日新聞が慰安婦報道の誤りを認めて謝罪、急速に力を失っていく年でもあります。

A この出来事は、ウィキペディアに「NHK番組改変問題」として、詳しい経過が出ていますね。

B 放送は、公共の電波を使用することで、電波法によってかなりの制約を受けていますが、放送法によってもいくつかの制約が課せられています。
 第1条で「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」をうたい、第3条では「放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」と、放送番組編集の自由を認めていますが、一方で第3条の2①で、「放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない」として、以下の4つを上げています。

①公安及び善良な風俗を害しないこと
②政治的に公平であること
③報道は事実をまげないですること
④意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること

 これが一般に「放送番組準則」と呼ばれるもので、その理由としては、放送が有限の資源である電波を独占的に使用することと同時に、その社会的影響力の大きいことが上げられています。この番組編成準則は、放送局の公共性を保つための、あるいは一般視聴者がそれを要求するための盾となってきた面がありますが、他方で、権力が放送内容に介入する口実となってきたわけです。
 そして2014年の事例は、安倍政権のメディア規制をめぐる内幕を暴露するものだということになりますね。

A イギリスの国営放送BBCをめぐり最近、こういう報道がありました。サッカー元イングランド代表主将のゲーリー・リネカー氏が政府批判の発言をしたことで、BBCが同氏を看板サッカー番組の司会者から降版させたところ、視聴者から抗議が殺到したために、BBCは同氏を復帰させると発表したというのですね(2023年3月13日)。この決定には野党の批判や同氏を支持する解説者が番組出演を拒否したといった事情も反映しているようで、同氏は「復帰を非常に誇りに思う」とツイートしたそうです。日本の現状からは考えられない話です。

B 言論の自由(報道の自由)の擁護を目的としたジャーナリストによる非政府組織「国境なき記者団」が毎年発表している世界報道自由度ランキング(Press Freedom Index)の2022年調査では、日本はなんと71位、もちろんG7で最低です。その理由として「記者クラブの存在」や「特定秘密保護法」などを上げているようですが、もっと根源的な理由があると思いますね。
 戦前もマスコミは大政翼賛体制をむしろ積極的に推進する側だったわけで、戦後は占領軍(GHQ)の意向を受けて民主主義的傾向を強めたけれど、その後また、どんどん体制順応的な姿勢になっています。
 山本七平が『「空気」の研究』という本で、日本人には「臨在感的把握」という対象にべったりのめり込んでしまう傾向があり、すべてがその場を覆う「空気」によって決められる、と指摘しています。あのときはそういう空気だったからしょうがなかったと、安易に既成事実に屈服してしまう。それは同時に責任回避にもつながるわけですね。
 問題はその「空気」を醸し出しているものに対する洞察力です。山本七平は戦前の軍部、戦後の公害追及などを俎上に上げていますが、空気は右にも左にも大きく揺れます。
 戦前は第一線の軍人が勝手に(確信犯的に)暴走し、既成事実に弱い上層部がそれを追認、抵抗し難い「空気」に流されるように戦争に突き進んだわけだけれど、安倍政権の政策決定は、政権トップである首相の突撃モードを周囲の人間が忖度するかたちで成立していました。これが安倍政権の「空気」であり、アベノウィルスの培養器です。
 今回の文書はこの間の事情を明るみに出したことに意味がありますね。あいかわらず責任の主体が、個人の中にも、組織にもない。高市大臣はそういう政権の実態を隠したいのかもしれません。そして岸田首相も、安倍政権の手法を踏襲しているわけです。
 したがって、今回の出来事は、番組準則の意味とか「報道・表現の自由」のあり方について議論するいい機会だと思いますが、そういう「空気」はまるでありませんね。およそ瑣末な話に堕しているのが、まことに情けない。
 若者の間で「空気を読む・読まない」が流行語になっているのは皮肉でもありますね。

A 最近の山本太郎の街頭演説の一節を紹介しておきます。

 徹底的に抗う人たち、空気を読まない人たちの数を一人でも多くしなけりゃ、ほんとに地獄みたいな社会が広がっていくだけだと考えて、4年前に旗揚げしたのがれいわ新選組です。バックに宗教もない、企業もない。私のバックはあなたなんですよ。あなたが1人から2人に広げて、3人に広げたという結果、4年で8人の国会議員が生まれた、これって権力側が一番怖がるんです。
 私たちは屋台村なんです。それぞれが引いて行った屋台で公園に集合して、これから海渡ろうぜ、って言ってるんです。自民党が海渡るときは軍艦、野党第一党が渡るときは豪華客船、私たちが渡るときは手作りの筏です。これで太平洋を渡ろうぜ、という無茶苦茶なプランなんですよ。でもあなたの力があればできる、ここまで地獄を深めることができたんだったら、その逆もできる!

B 「山本太郎が日本を救う」。着地ぴったりですね(^o^)。

新サイバー閑話(76)<折々メール閑話>㉕

訪れた春を愛でつつ、つれづれ閑話

A 近くの梅園に行ってみました。春ですねえ。

B 訪れた春に背いて、世の中、暗い話題が多いですね。

A 山本太郎の3月2日の参議院質問を車の中で全身耳と目状態で視聴しました。超絶かっこいい! すでに総理の風格。一方の現総理大臣の、知識も信念も気概もない答弁は惨めの一言です。
 周到に準備し、官僚をこき使い、自論の正しさを証明させるなんて、まさに水際立った質問で、共産党の小池書記局長も霞んでしまうほどです。国の存立の根幹に係わる防衛問題から説き起こし、官僚が国連の敵国条項は死文化していると無駄な抵抗をするのを粉砕、最後は現政権が国民のための経済政策をまったくやってないことを明らかにして、退陣を迫りました。「自民党政権は退陣以外にない、骨のない野党の経済政策に超絶積極財政をビルトインさせて政権交代、日本経済を復活させるのは私たちれいわです」。

B 大石あき子、櫛渕万里も2月28日の衆議院本会議で予算案に反対して牛歩戦術をとりました。れいわの本気度というものが、国民の間に徐々に浸透していくといいですね。
 もう一つ、山本太郎の発言で感心したのがあります。沼津おしゃべり会で、かつてれいわに期待したけれど、いまは離れていっている人もいるという聴衆の質問(叱責)に対して、「政治は自動販売機のボタンを押したら出てくるような『消費する』ものではない。ある程度、いっしょに伴奏してもらわないと」と答えながら、最後にこう言いました。

去る人は追わない、けれども、どうせならいっしょにやろうよ。そういう気持ちなんですよ。だって、(世の中)変えられるもん、かなうかどうかわからないけど、絶対やってやるからなって、気概を持ってみんな集まってんですよ。議員になる人も、候補者になる人も、支援者も。私たちは皆さんの期待に応えられるように、ない頭絞りながら頑張っていく、全力でやる、これは約束する。しかし、やっぱり(みんなに)育ててもらわなあかん、もっと強いれいわに、もっと強い山本太郎にしてもらうためには、みなさんも山本太郎もいっしょに成長していきながら前に進んでいくしかない、そう思っています。

 まだ出来たてで〝不完全〟なれいわを完成品として「チェック」するのではなく、ともに伴走してほしい、そしてみんなで成長していこうではないか、という訴えですね。最後には聴衆から拍手も起こりました。

A 別件でウィキペディアを見ているとき、半藤一利さんに関する以下の記述を見つけました。

日本近代史の歴史観において、「40年史観」を提唱している。その主張は、明治以降の日本は40年ごとに興廃を繰り返しており、明治政府樹立から40年後である日露戦争で軍事大国化し、その40年後の第二次世界大戦で大敗し、さらに40年後にはバブル期の経済的絶頂をむかえ、バブル崩壊後の40年後には再び没落するという予測。その理由として、戦争による悲惨さを経験した世代が入れ替わる期間が40年ほどであるためとしている 。

 まことに説得力のある史観かと。後藤田正晴はもちろん、田中角栄も戦争経験者が居なくなった時の政治を危惧していました。

B 半藤一利は昭和史研究家で「歴史探偵」を自認していた人ですね。出典は彼の著書、『歴史に「何を」学ぶのか』(ちくまプリマ―新書、2017)でした。以下のようになりますか。

1865 幕藩体制崩壊(⤴)
1905 日露戦争勝利(⤵)
1945 敗戦(⤴)
1985 高度成長、Japan as No1(⤵)
2025 ?

 上昇の頂点は下降の始まりであり、完全崩壊が上昇の契機にもなっています。さて2025年に底を迎えるとして、その後に上昇に転ずる可能性はどのくらいあるのか、ということですね。

A 現下の状況には悲観的にならざるを得ません。菅義偉は、言うにこと欠いて、自分は戦後生まれだから沖縄の歴史は知らないとうそぶく。老害連中は当の戦争経験者なのに、まるで知らん顔、私利私欲のみで国民のことなど眼中にない。

B たしかに現下の日本は没落に向っている気がします。日露戦争当時、夏目漱石は『三四郎』で広田先生に「日本は滅びるよ」と言わせたわけだけれど、このセリフが生々しく響きます。
 半藤一利は2年前(2021年)に惜しくも亡くなりましたが、この本を書いたのが87歳の時です。我々もいい歳になってはいるが、残された時間はまだ少しはあるということでもありますね。「日残リテ暮ルルに未ダ遠シ」と言えるかどうかはともかく。
 最近、新聞社の同期で「戦後民主主義の申し子」を自認していた親友の硬骨漢が亡くなりました。長生きとは親しき人を失う悲哀に耐えることである、と痛感した次第です。
 彼は<サイバー燈台>を熱心に読んでくれていた読者でもあり、比較的最近もらったメールには、「れいわ新選組への肩入れには驚かされました。その裏にある思いを推察しました。『ASAHIパソコン』創刊からその後の奮闘ぶりももちろん、読んでいます。‣‣‣『明るい闇』には共感したので、仲間のMLでも紹介しました」などと書いてくれていました。「明るい闇」というのは、<折々メール閑話>への言及です。

A 『三屋清左衛門残日録』の最終章を思い出しますねえ。

衰えて死がおとずれるそのときは、おのれを生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終わればよい。しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして生き抜かねばならぬ。

 もっとも藤沢周平さんは、この文章に照れを感じていたみたいです。気負い込み過ぎたという意味の言葉を何かで述べられていた記憶があります。そこがまた藤沢周平らしい。

B 『藤沢周平全集』もお持ちの藤沢ファンなんですよね。『三屋清左衛門残日録』のそのくだりは僕の印象にも強く残りました。

A 作家の藤沢周平、哲学者の池田晶子、俳優の高倉健、これさえあれば、生きていけます(^o^)。

B 貴兄の「三種の神器」にまつわる話はいずれ聞くこともあろうかと思います。僕はインドの哲人、政治家のガンジーの次の言葉をモットーとしています。
 Live as if you were to die tomorrow, learn as if you were to live forever(明日死ぬと思って生きなさい、永遠に生きると思って学びなさい)

A テレビはまったく見ないので、成田悠輔とかいうイエール大学の若手経済学者がテレビで「日本の難題を解決するには高齢者が集団自決するしかないのでは」などと語ったのは知らなかったのだけれど、たまたまネットで「切腹はファッションだと思う」と発言していることを知り、怒り心頭です! しかも武士道に造詣が深いとの注釈付き。

B 成田某の発言は大いに問題だし、老人としての怒りも感じるけれど、このような過激発言の裏には日本の政界、財界、いや社会全体を覆う老人の「不当な居座り」に対する怒りがあるのは確かですね。
 ミャンマー国軍から名誉称号と勲章を贈られて喜んでいる自民党の麻生太郎副総裁など典型です。いっしょに勲章をもらった日本ミャンマー協会の渡辺英央会長も元郵政相で、授与式に出席し「ミャンマー発展と国軍の地位のために努力する」と述べたと報じられています。日本政府はクーデター後、公的には、民主的な政治体制への復帰を求め、国軍支配を認めていないのに、それを完全に反故にすることが一方で、平気で行われているわけです。
 岸田首相にしても、このところ安保法制の重要な変更を閣議決定したり、原発再稼働へ強引に舵を切ったりしながら、国会ではほとんど何の説明もしていない。表面的には安倍元首相のような強引さを見せないけれど、実際は、それ以上とも言える問答無用ぶりです。
 若い人から見ると、老人の跋扈する現代日本の政治、社会のしくみは許せないと思いますよ。大企業でも年長者は年功序列の残滓にすがりついて、けっこう高給を取っているわけで、若い人は非正規雇用を強いられている。しかも、そういう実態について何の説明も、対策もないわけです。今や組合も同じ構造の中にあります。
 そのあおりが若者の怒りとなって、その刃が〝善良〟なる我々に及んできているとも言えますね。若い人も選挙で投票するなり、若い人の代表を立てたりすればいいと思うけれど‣‣‣。

A 岸田首相は異次元の少子化対策などと言葉遊びばかりしているけれど、何を今ごろ寝ぼけたことを言っているのか! 30年続くデフレ、そこへコロナがやってきて物価高。親友に日本共産党三重県南部委員会の幹部がいますが、彼のところへ来る生活苦を訴える相談は、このところ倍増しているそうです。明日食べるものが無いという悲痛な叫びまで。この現状を知りもしないで、異次元の少子化対策などクソくらえですね。
 2022年の出生数が初めて80万人を切ったというニュースもありました。金をやるから子どもを産めという発想は、人間を労働力としてしか見ていないということ。そんな国は滅びてしまえ!と思ったりしますねえ。根本的なところで何かが欠けている。仁義礼智信は今いずこです。

B 友人に聞いたのだが、その人の知り合いで退職後はコミュニティとしての喫茶店を経営している人が、岸田首相がやけに力を入れている5月の広島サミットに向けて、1つの提案をしているようです。

<提案:5 月 19 日から 21 日にかけて広島で開かれる G7 サミットの議長とし て、岸田文雄首相が、プーチン・ロシア大統領、習近平・中国国家主席、金正恩・朝鮮労働党総書記の3人も招待することを求める>

 仲間内にメールを送り、賛同者には拡散を依頼している程度のようで、提案を公開したウエブはありません。荒唐無稽な話を外交の場に持ち出すべきではないと反論する人もいるし、当の本人の思惑はよくわからないところもありますが、おとぎ話的なアイデアとしては、ちょっと意表を突く斬新なところがありますね。それぐらいのことを頭の隅ででも考えるような日本の首相であってほしいという願いも感じます。

A おもしろい提案ですね。

B 世界はいま地震、火山爆発、集中豪雨による河川の氾濫、洪水、それとは真逆の干ばつ、と気候変動による災害のニュースであふれています。半藤説による2025年の日本の没落は政治、経済などの人的要素によるのか、あるいは大地震襲来、富士山爆発といった天変地異によるのか、それはわからないけれど、それにも関わらず、未来に向けての希望をもちたい。そのために、我々としては山本太郎およびれいわ新選組に賭けたい気持ちが強いということですね。
 安倍政権以降、日本は満州事変を契機に太平洋戦争へと突き進んでいった昭和10年代の空気に非常に近づいていますね。いま何が起こっているのか、これを丁寧に記録しておくことは、本<折々メール閑話>の役割だと言えるかも。

A タモリが「新しい戦前」と言ったのは、そのことでしょうね。なかなかセンスがいいと感心しました。

新サイバー閑話(75)<折々メール閑話>㉔

『山本太郎が日本を救う』に込めた思い

B <折々メール閑話>の内容を一冊にまとめて『山本太郎が日本を救う』を刊行してから1か月近くになりました。その間、友人知人やメディア関係者、われわれが言及してきた識者の方々に何部か送本しましたが、知人以外はほとんど何の反応もありません。山本太郎やれいわ新選組も含めて。
 これはなぜでしょうね。友人のジャーナリストから「山本太郎べったりのところが、癒着(プロパガンダ)の疑いを生む」と言われて、なるほど、妙な政治文書と見られて敬遠されているのかもしれないとも思いました。

A 反応がないのは、1つにはれいわファンなら誰でも知っている街宣の文字起こしに過ぎないととらえられているのかな?と。もう1つは、我々の往復メールには何ら政治的背景はなく、山本太郎を応援したいという純粋な思いに充ちているだけなのだが、そうは受け取ってもらえないのか、それともそんなゴタクは読みたくもないのか?
 手紙を添えたり、メールで案内したりして送本した人からも何の反応もないのは、皆さんお忙しいのかなと思ったりしますが、返信がないので追っかけメールを出したりしている小生としては、憮然たる感もありますね。『山本太郎が日本を救う』というタイトルは秀逸だと思いましたが‣‣‣。

B タイトルも大げさすぎると言われました。「特定の政治家への全面的な信頼と期待は、現状への失望と期待から来る一種の幻想にすぎず、危うい」とも書いてありました。なるほどジャーナリストの慧眼です。だけど、我々はれいわべったりというわけではなく、あくまで是々非々、あれは一種の酔人問答的な作品でしかない。そんなわけで、あの本出版の企図について、ここで説明しておこうと思います。これを「あとがき」に書くべきだったかもしれないと、後智慧で思いました。
 論旨は、3つあります。

①これは非政治的な市井の老人2人の、昔ふうに言えば、床屋談義ふうの放談で、とくに政治的な背景はない。日本の将来を考えて山本太郎に声援を送ると同時に、彼のことをもっと多くの人に知ってもらいたいという願いを込めた山本太郎応援集である。いわばロートル〝勝手連〟の小品であり、本でもふれているように、山本太郎ファンの努力の結晶(コラボレーション)でもある。『山本太郎が日本を救う』という大げさなタイトルはその気持ちを素直に表明したものと受け取ってもらいたい。
②取り上げた情報はメディアを通じた間接的なもので、インターネット、とくにユーチューブの情報に多くを負っている。とくにPARTⅠがそうで、我々が直接山本太郎に会いインタビューしたものではない。事前に何らかの接触をしたわけでもない。インターネット上の情報を取捨選択したところに編集の冴えがあると考えており、そういう意味ではインターネットの情報は使い方によってはきわめて有効だと言える。それを証明する試みが本書と受け取っていただけるとありがたい。
③この本はネクパブオーサーズプレスというサービスを使って、原稿執筆、レイアウトをすべて個人で行った。販路はアマゾンとごく一部の書店(神田の三省堂本店など)に限定されているが、取次経由でなくても店頭に置いてくれる書店では販売できるように図書コード(ISBN)も取得し、表示している。記事はすでに電子情報としてサイバー燈台で掲載したものだが、それをあらためて本という紙のメディアとして出版したことに意味があると考えている。電子のメディアと紙のメディアとは違うわけで、このメディアの両方の長所を生かした出版活動(メディアミックス)は、矢野が30年ほど前に創刊したインターネット情報誌『DOORS』以来の試みであり、本書の編者がサイバーリテラシー研究所となっているところにその意図が表明されている。

 山本太郎としても、この本を送られてきても、どう対応していいかわからなかったということはあると思いますね。れいわファンにとっては新味がなく、若い人にとっては古臭いゴタクを並べてあるだけで面白くないというのはわかります。だから、あくまで高齢者向き、れいわの存在は気にしているがよくは知らない人向けのガイドブックみたいなものだけれど、肝心のそういう人たちに届く可能性はきわめて低いというジレンマもあるかも。

A 話は変わりますが、日曜日に本屋で雑誌『月刊日本』と適菜収『それでもバカとは戦え』を購入しました。適菜さんは以前からファンです。
 その2冊の本の中で、なるほどと思う箇所がありました。1つは、『月刊日本』での政治家、山崎拓さんの言葉、「日本が再び国力を取り戻すには、見識と実行力のあるリーダーが不可欠です。そういう政治家が現れるかどうか、日本の将来はそこに懸っていると思います」。もう1つは、適菜さんの言葉、「国が危機にさらされた時、政治家は体を張らねばならない。それには危険が伴う。しかしその大義を忘れ、自分の次の選挙のことしか考えられないのなら、今度こそ国民から完全に見放されるだろう」。
 まさにその期待される政治家こそが山本太郎!と思いました。

B 『月刊日本』は保守系の雑誌だと思うけれど、適菜さんや白井聡さんも寄稿しているスタンスの広い雑誌ですね。適菜収は僕も一時期、けっこう読みました。『平成を愚民の時代にした30人のバカ』なんてタイトルの本もありますね。ニーチェ崇拝者のようです。安倍元首相批判として「ああいう立ち居振る舞いを見ていると、やはりひと前には出してはいけない人だったのだなと思います。冷静でまともな議論ができない。総理の器ではありません」などと書いてあり、「問題は安倍個人より今の世の中に蔓延る『安倍的なもの』である。安倍を引きずり下ろしたところで、社会が病んでいれば、この先も同じようなものが持ち上げられるだけだ」とも言っていました。
 たしかに安倍以後の菅、岸田政権を見ていると、野党も含めて、そう感じますね。もっとも、彼は「選挙には行きません」と公言しています。野党に入れても同じだと思っているからでしょうが、我々としては、ちょっと残念なところですね(^o^)。

A 例のれいわのローテーション問題は依然として賛否さまざまなようですが、AERA dot.に長谷川うい子さんのインタビュー記事が掲載されています。
 彼女の話だと、昨年暮れにZoom会議で今回のローテーションの対象となる5人が招集され、山本代表からローテーションの話を始めて聞いたようです。「山本代表は『水道橋博士から議員を辞任する意向を聞いた。もし、そうなった場合はローテーション制の導入を考えている』と説明されました。「突然のことだったので、みんな顔を見合わせながら驚いていました。ただ、私はかつてドイツの緑の党でローテーション制が採用されたことは以前から知っていましたので、これは面白い試みだと思いました」と言っています。「会議では『それでいいんじゃないか』という意見が多数でした。大島さんは本来なら5年の任期があったわけですから、いささか疑問があったかもしれません。ですが、度量の広いことに『比例代表は党の議席だから』と受け入れておられました」とも語っています。
 彼女は「私たちは、選挙制度にも一石を投じたい。ローテーション制もやってみなければわかりません。参院選は非拘束名簿式になりましたが、はたしてそれがいい選挙制度なのかという問いかけにもなると思います」とも冷静に述べていました。

B 前回、奇策の考案者は山本太郎本人ではないかと述べていますが、ブレーンの存在はともかく、どうもそうらしいですね。

A 大島さんは立派です。さっそく参院で質問している姿をテレビで見て、拍手を送りました。

B 岸田首相の右旋回というか、変質はまことに急ですね。適菜さんではないけれど、いよいよ末期的になってきた印象です。去年、惜しくも世を去った名コラムニストの小田嶋隆さんは、駆け出しのころからよく知っていて、その才能を高く評価していたのだけれど(彼については、<平成とITと私④ムック『ASAHIパソコン・シリーズの刊行』㊤>で出会いのきっかけなどを回想している)、彼が2011年から2020年に至る10年間にツイッターでしゃべったものを別の人が編集した『災間の唄』(サイゾー、2020)という本があります。
 その切り口、包丁さばき、まさに一流の職人の腕で、その中に「自分の頭で考えてものを言う人は、周囲の顔色を読んで発言する人間と比べて、浮いた言葉を発する確率が高い。でも、世の中が混乱しているとき、指針となるのはそういう人の言葉なのだと思う♦狂った時代において、空気を読んで発言する常識人の言葉は、圧力しかもたらさない。狂った時代を打開できるのは、自分の頭で考えて発信する狂った人間の言葉だけだ(2015.6.17)というのがあります。
 これも同趣旨の発言ですね。歴史家、アーノルド・トインビーではないけれど、日本文明は明らかに衰退期にさしかかっていると思います。衰退期特有の特徴が各所に現れている。他のアジア諸国に先駆けて、脱亜入欧とばかりに近代化に成功、戦後も高度経済成長に乗ってジャパン・アズ・ナンバーワンと言われたこともあるけれど、いまは他のアジア諸国が躍進し、西洋文明に代わる東洋文明の時代がやってくるとさえ言われているときに、日本だけが衰退していくというのはまことに皮肉です。
 だからこそ、その再生を山本太郎に賭けたい、というのがロートル勝手連の応援席からの願いということになりますね。『山本太郎が日本を救う』は未熟な自己満足の本かもしれないけれど、我々の初心としては、それでいいわけでもあります。本書でも引用したガンジーの言葉があらためて頭に浮かびますが、今後も言いたいことを言っていきましょう(^o^)。

新サイバー閑話(74)<折々メール閑話>㉓

新春を揺るがすれいわの奇策「議員連携の計」

A 「れいわローテーション」についてはご存知だと思いますが、その発表動画を見て『山本太郎が日本を救う』という本のタイトルは大正解だと強く感じました。
 水道橋博士の病による辞任を受けて、れいわローテーションを創案する頭の回転の良さ。「パフォーマンスだ」とまた心ないバッシングにあうかも知れないが、個性的なれいわの5議員が活躍するのをぜひ見たい!大石さんは「れいわは転んでもただでは起きない」と笑いながら言ってましたが‣‣‣。

 新聞紙上などではいろいろ意見が出ていますね。立憲民主党や共産党なども強い違和感を示しています。
 水道橋博士が辞任したのは残念だけれど、山本太郎の言ではないが、「命より大事な仕事はない」。ここはゆっくり静養していただきたいですね。公職選挙法の規定によると、比例代表で当選した議員がやめるときは、その党の次点者が繰り上げ当選するわけで、今回の例で言うと、大島九州男がそれに該当します。
 ところがれいわは、大石あき子の言ではないが、「転んでもただでは起きない」。当選した人が辞任するというピンチをチャンスに変えるというか、この議席を1年交代で長谷川うい子、辻恵、蓮池透、依田かれんを含めて1年ごとに交代するというリレー方式を提案したわけです。
 そんなことありか、というのが大方の感想で、だからこれは既存の考えの盲点を突いた「奇策」です。記者会見では「議席の私物化ではないか」という意見が出ましたが、山本太郎は「私物化という感覚が理解できない。実験的という前置きは必要かもしれないけれど、これは有権者の票を最大限に生かす試みです」と答えていました。

A 今朝、朝毎読の3紙を購入してきて、れいわローテーションの扱い方を見てみました。毎日はかなりのスペースを割いており問題意識ありですが、朝日は相変わらずの両論併記、読売は論ずるに値せず。法的には何ら問題ないはずで、蓮池さんが言っている通り、現在の政治に一石を投じる快挙だと思います。
 これから批判も出てくるかもしれません。中央選挙管理委員会の判断には2週間を要するみたいですが、まさに「成り行きが注目」されますね。

 中国の古典、三国志(演義)に「連環の計」という作戦が出てくるけれど、これをもじって「議員連携の計」というのはどうですか。こういうことはめったに実現するものではないですね。まず当選した議員が自発的にやめることはちょっと起こらない。繰り上げ当選する人は、せっかく自分に回ってきた幸運をそんなに簡単に手放さないでしょう。次点最高点の大島さんがそれを了承し、個人票の多かった順に1年ごとに交代するとの合意ができたことに、れいわという政党の他党には見られない団結力を感じますね。

A 全員が日本の政治を良くしようという熱い気持ちを持っているからですね。こういう政党だからこそ、日本を変えてくれる期待も高まります。ただの員数合わせのためにタレント人気や組織票だけで当選してきた人とは次元が違います。まさに「異次元」の党です。

 れいわが日本の政治を変えようとしていることは、この一件にも明らかですね。
 話は変わるけれど、新年には、2021年の衆院選で立憲民主党から立候補して落選した若い女性(岐阜5区)が、今度は自民党から県議選に立候補すると表明して、これもちょっと話題になりました。
 この人が自民党に移ったことよりも、そもそもなぜ立憲民主党から立とうとしたかの方が興味深い。これはあくまで推測だけれど、若い彼女にとっては、野党の立憲民主党も与党の自民党も大して変わらなかったんじゃないでしょうか。イデオロギー的な立場はほとんど反映していないように思えます。
 つい最近まで立憲民主党の県支部で活動していたらしいから、その変わり身の早さにちょっと驚くけれど、それに対して立憲民主党の幹部が怒りまくっているのを見ると、言葉は悪いけれど、「目くそ鼻くそを笑う」というか、「目くそ鼻くそを叱る」ような感じを受けますね。実際、立憲民主党は日本維新の会と共闘するなど、どんどん与党化しているし、あの党にイデオロギー的背景があるとも思えない現状です。

A 維新にすり寄り、自民に秋波を送り、もはや野党の体をなしていない。

 というふうな現状をみると、れいわの奇策にかけた政治改革の意欲は多くの人びとの共感を生むのではないでしょうか。小党である立場を肯(がえん)ぜず、出来ることを最大限に繰り出すれいわの戦いに拍手を送る人も多いと思います。

A 実際、ツイッターには喝采の声がけっこう上がっています。記者会見での私物化発言に対して、「ちなみに私物化とは世襲議員のことを言うのですよ、記者さん」と揶揄するのもありました。 

 山本太郎には蜀の劉備玄徳に仕えた諸葛孔明のような軍師がいるのかな、いや山本太郎こそが孔明かな(^o^)。

新サイバー閑話(73)<折々メール閑話>㉒

れいわ新選組の新体制に期待

B すでにご紹介したように、本コラムの内容が『山本太郎が日本を救う』(サイバーリテラシー研究所)として新春早々に刊行されることになりました。「ネクパブオーサーズプレス」というサービスを使って自主制作したサイバー燈台叢書第2弾で、新年1月9日からアマゾンで購入できます。
 山本太郎がれいわ新選組を立ち上げた直後からコラムを始めていますが、安倍元首相襲撃事件をきっかけに迷走&暴走を始めた岸田政権の同時進行ドキュメントにもなっています。全記事が一覧できる紙のメディアの長所を実感していただければと思います。

A こうして本になると、山本太郎の主張もよくわかるし、今の政治に対する我々の怒りに共感してくれる人も増えるのではないでしょうか。ほとんどおんぶにだっこ状態だったけれど(^o^)、ともに本書刊行を喜びたいですね。
 ところでこの間、れいわ新選組は12月に初の代表選挙を行い、山本太郎が代表に再選されました。山本太郎は共同代表に櫛渕万里、大石あき子を選び、これで2023年新年から今後3年間の態勢が固まりました。作家の古谷経衡が保守の立場から代表選に立候補するなどの動きもありましたが、「前職、元職、現職で構成される政党政治こそ若者の政治離れを起こしている」という氏の主張は眼からウロコでした。大石あき子も彼に熱烈なラブコールを送り、れいわシンパの受け止め方も概ね好意的です。水道橋博士が辛い闘病の日々を送っているのはいたましいけれど‣‣‣。

B 今度の代表選挙を他党と比べると、開かれた党であるとの印象が強烈ですね。共同代表に女性2人が選ばれたことも画期的です。他党ではありえないことですね。女性の支援者が増えてくれることを祈りたいです。山本太郎は共同代表2人に「支持者とのパイプを太くするために力を尽くしてもらいたい」と要請、選ばれた2人は山本太郎の3年間の活動に敬意を払いつつ、「山本太郎を野に放つ」、「出る杭を3本に増やす」と、「新しいれいわ」づくりへの決意を表明していました。れいわ新選組が日本の政治を変えてくれるという期待も高まります。

A 少なくとも山本代表の負担の軽減は間違いないでしょう。結党以来、すべて自分で構想し、行動し、決定してきたわけですから、その負荷が軽減されるのは、れいわにとって大きなプラスだと思います。大石・政策審議会長、多賀谷・国対委員長、櫛渕・政策審議会長代理(副幹事長)という態勢には変化がないようですが、活動量をもっと増やして、山本代表のサポートをお願いしたいですね。もちろん独自の活動、行動もどんどんやってほしい(^o^)。
 腐れ立民、第二自民維新、コバンザメ国民と大政翼賛会化した国会で、れいわ、共産、社民が一致結束して年明け国会で気を吐いてほしいと切望します。令和維新を起こさねば、この国は衰退の一途しかないのでは?

B この間の岸田首相の動きはひどいですね。支持率低下で政権基盤はガタガタ、いつ倒れるかわからない状態になっているのに、平和憲法の趣旨を踏みにじる敵基地攻撃能力の保持を閣議決定したり、国防費増のために増税を提案したり、原発稼働を推進したりと、安倍政権譲りの国民や国会の存在を無視するような暴挙を続けています。まことに恐るべき政権に変質しているわけだけれど、これらの日本の将来に大きな影響を与えるような事柄が「よくもまあヌケヌケと」、「ヘッポコ内閣の下で行われている」(斎藤美奈子の言)ことこそが、現代政治の底が抜けた状況を反映していますね。野党、とくに第一党の立憲民主党がまったくの歯止めにならないという絶望的な状況ですが、だからこそ、山本太郎とれいわへの期待が高まります。

A 憤懣やるかたない! 岸田は一体誰に踊らされているのか! 各紙大きく取り上げていましたが、憲法無視、国会無視、国民無視の安保法制の歴史的転換であり、断じて許すことはできないですね。昔来た道に戻るのか! 
 昨日、健さんの映画「動乱」を久しぶりに観ましたが、決起した青年将校達の姿を観て、この百分の一でもいい、国民を救うという情熱と行動力が今の政治家にあればと思いました。

B れいわは4月の統一地方選に100人近い候補者を立てる用意ができたといいます。国民よ、怒れ。そして山本太郎を理解し、れいわ新選組を支持してほしいですね。

A れいわオーナーズへの直筆の手紙にあった「国会が大政翼賛状態にならぬよう歯止めになる。れいわが炭鉱のカナリアとして最大限の抵抗を行います」という決意に打たれました。山本太郎のリーダーシップにいよいよ大きな期待がかかります。 

新サイバー閑話(71)<折々メール閑話>㉑

山本太郎発言集Ⅶ

 この一滴が大河につながる

  参議院議員の水道橋博士が休職することになりました。命より大切な仕事なんてありませんからね。心と体を壊してまで成し遂げることなんてこの世の中に存在しないと私たちは考えています。(記者会見)

 A タレントの水道橋博士は7月の参議院選挙でれいわから出馬し当選しました。自らが維新によるスラップ訴訟を受け、その規制法を立法化したいとの初心のもとに頑張っておられましたが、うつ病になって山本代表に辞任を申し入れたそうです。それに対して、山本太郎が慰留、休職を奨め、その報告のための記者会見です。

 B 山本太郎は、水道橋博士に対して悪意の非難、中傷が起こることも予想して、そういう行為についてはしっかり監視していくようなことも言いましたね。立派なリーダーです。「士は己を知る者のために死す」。れいわの仲間が発奮するのももっともだと思います。

 よだかれんさんが新宿区長になる姿を見たかった! (当選した)吉住区長には是非、小さき声もすくいあげる区政を実行していただけるようお願いいたします。投票率28%ってすごい数字。ノビシロしかないな。頑張るぞ!(ツイッター)

A 11月の新宿区長選でれいわ新選組から出馬したよだかれんさんが落選した時の発言です。当選できなかったのはもちろん残念だけれど、吉住5万余票に対して、よだ2万余票は健闘とも言えますね。

B たとえば好物のワインを飲みながら、グラスが半分になったとき、「まだ半分残っている」と思うのが楽観主義者、「もう半分しかない」と思うのが悲観主義者だとよく言われ、楽観・悲観の差は個人の性格による面もあるけれど、楽観主義には、放置しておくと悲観的になる心の動きを意志の力で持ちこたえる面もあります。山本太郎の楽観には、政治に対する情熱の強さが感じられますね。

  山本太郎は16歳のメロリンキューよりも常識がありません。おそらく山本太郎は16歳のメロリンキューよりもさらに空気を読んでいません。

A 参議院選挙での街宣のアトラクションとして、かつてタレントだったころの自分のキャラクターで登場し、パフォーマンスをした後で言った言葉です。

B 山本太郎、48歳。自らを叱咤激励しているわけですね。

 母子家庭だったんですね。姉が2人。長男です。母はすごく正義感の強い人間で、昔から寄付をするという習慣があったんですね。たとえばお年玉をもらいました。その数%は徴収されて、寄付をするというようなことがあったんですよ。それが「国境なき医師団」だったり「ユニセフ」だったり、「グリーンピース」のような環境保護団体だったり、ということで原発ということの危険性をまったく知らなかったというより、ちょっとはわかっていた。(活動を始めてから) 忙しさは10倍、収入は10分の1以下です。ときどき売名行為ではないかと言われますが、こんな売名行為、だれもしないですよ(笑)。僕の行動のブレーキになるとしたらやっぱり母だと思うんですよね。若い時に迷惑かけたから老後は幸せにしてやりたいという気持ちはあります。やはり経済的なことって大事じゃないですか。母に言われたのは「自分の信念に従っていけ」と。母であり、親友であり、戦友であり、一番付き合いの長い女でもありますよ(笑)

A 山本太郎は2011年の東日本大震災での東電事故に衝撃を受けて、所属事務所もやめ、たった一人で反原発運動に飛び込みました。各地の市民集会で「3.11デビュー、にわか原発野郎です」と挨拶していた年に、テレビで放映された、映画監督、山本晋也のインタビュー番組がやはりユーチューブにアップされています。当時の山本太郎は37歳。
 開口一番、晋也監督に「いい目つきになったなあ」と言われて、照れ笑いしながら「アップでお願いします」とおどけるところから番組は始まっているが、晋也監督が最後に「この一滴はほんとうに大河になる一滴だ」と述べているのは、現在の彼およびれいわ新選組の躍進を見ると、たいへん感慨深いですね。

B 山本太郎の発言は、新しい事態に即してこれからも続くわけですが、ひとまずここで打ち切ることにします。山本太郎の人となり、基本的考えについて、一定のバックボーンを提示できたと思います。場合によっては、<折々メール閑話>で別途紹介することにしましょう。

 

新サイバー閑話(70)<折々メール閑話>⑳

山本太郎発言集Ⅵ

 寝言は寝てから言え


 (岸田首相の「資産倍増計画」について聞かれて)一言で言うと、「寝言は寝てから言え」と。最初は所得倍増だった。総裁選に出る時はそう言っていたのがいつの間にか、資産という話になっていて、海外に行ったときに、インベストメント岸田みたいなことを言い出した。何かというと、日本の金融資産を見てくれと、こんなに金があるんだっていう話、これをどんどん投資させていくから、みたいな話に代わってますよね。それっておかしいんですよ。投資って当然リスクがあるわけですよね。リスクがある物に対して国が推奨するのはおかしな話だと思うんですよ。それをやって喜ぶのは誰ですか? 金融市場で儲け続けている人なんでしょう? 海外の投資家にとっては嬉しい話でしょう。でも日本に目を移した場合、そういう話を景気をよくするための一丁目一番地として語ること自体がおかしい。もっと地道なものだろうってことですよ。
 この25年、もっと大きなことに投資してこなかったですよ、たとえば少子化、たとえば介護、少子化が起こらないようにするには何が必要だったか。ヨーロッパで出生率が上がった国を見てみれば、3つぐらいの要素がありますよね。1つは本人、家族に負担がかからないようにする教育、国が金出すしかないんですよ、でもこの国は教育に対して一番金を使わないドケチ国家なんです。人間に投資しない国なんですね。これは将来に対する先行投資ですよ。現実はどうなってるか、一番わかりやすいのが大学生、大学院生、2人に1人が奨学金借りてるわけでしょ。そして社会に出るまでに500万円ぐらいの借金しょってるわけですよ。大学院までなら1000万円、社会に出てから返済が始まるんだけれど、初任給とか安いじゃないですか、それで家族作れますか? 借金背負ったままで結婚する理由になると思う? 私、結婚を断られる理由になると思うよ。
 パートナーもいっしょに借金背負ってたらどうなる? 少子化が問題だって、お前らのやり方が問題だって話。それは若い人たちを金融商品化した末の話なんですよ。奨学金には利息もつくんです、6割から7割、どうして利息取るの、おかしくない? 年間380億円ぐらいの金を懐に入れたいから取るわけでしょ、もう金融商品なんですよ、若い人たちは。返せなくてもいいんですよ、なぜかって言うと、取り立てる仕事が生まれるから。そんな国滅びますよ、少子化が問題ならやるべきことがある、若い人たちにその周辺の家族に負担が極力かからないようにするっているのが絶対なんですよ。
 もう1つは住まい。自分で独り暮らししたいと思ったら、気軽にアクセスできるようにしなけりゃいけない。公的住宅がこの国には圧倒的に少ない、所得の40%ぐらい家賃に使うみたいな話。敷金いる、礼金いる、おまけに保証人いる、その資産、もともと持ってなかったら、部屋借りられないんですよ。じゃあ実家に居続けるしかないって、無茶苦茶じゃないですか、そんなの。少子化という問題に関してしっかり手を打ったヨーロッパの国々がやってきたこと、教育に、本人、家族に負担がかからないようにする、公的住宅を整備する、さらには、収入が少ない者に関して、しっかり給付してお金を積み上げてあげる、使えるお金を増やす、この3点セットをやった国は出生率が上がったっていう話です。
 何を言いたいかというと、総理の戦略として、金融資産をもっと増やしましょう、みたいな話って、いったい何のことなんですか、国の成長戦略として、みなさん株買いませんかって、どこのどんくさいおっさんの話なんですか。どこの金融業界の回し者なんですか。金融業営んでいる方々はそれでやってるわけだから、そこに対して私、何か言いたいわけじゃない。25年間この国の経済を疲弊させて、コロナにも本気でやらずに、物価上昇にも消費税さえ下げないという間抜けしかやってない政治が、いまこそ非常に重要なときなのに、インベストメント岸田、寝言は寝てから言えなんですよ。
 岸田さんが今まで言われた言葉で心に残っていることがあるなら教えてほしいです。「あの岸田さんの一言は忘れられんなあっ」というような。
 ないでしょう、何かって言ったら、彼は透明人間なんですよ、味のないパスタなんです。存在感がない。でもやろうとしていることは、けっこうえげつない。だからこれが一番危険なんです。やろうとしていることに対して、その中身のえげつなさがわからないってことですね。(街頭演説)

  れいわの経済政策はMMTではありません。私たちの財政政策の元は何かというと、財務省です。これまで財務省が言ってきたこと、やってきたことを勘案したうえで今のルールでできる最大限、これが私たちの政策のもとになっているということです。自国通貨建て国債を発行している国は破綻することがないという当たり前の話なんです。
 国債は返さなくてはいけないが、みなさんが個人で借金を背負わされているような感覚と、政府の借金とはまったく質が違うものです。社会にお金が回っていない時はお金を作って供給します、そのことで社会を安定させる、というのが政府の借金と言われるものの正体です。これが増えすぎると弊害があります。それは何故かというと、インフレが進む可能性が出てくる、過度なインフレになるのはよくないので、そのときにはお金を回収しなくてはいけない、回収する行為を税金と呼びます。
 個人の負う借金というものとはまったく違う話です。政府の借金は民間の資産である。政府の赤字は民間の黒字なんですね。景気を調整するのが政府の仕事です。(テレビ出演)

 小泉、竹中時代から日本の雇用ぶっ壊されて、労働者を部品のように使える状況がどんどん加速していっている。そこに好景気がきたって、労働者においしい思いがしたたり落ちてくるわけないじゃないですか。
 2割から3割の人しか生活保護を受けられていないんですよ。生活保護から漏れた人がどこへ行くかっていうと、刑務所しかないんじゃないですか。もしくは生きるのをあきらめるしかないんじゃないですか。好景気を謳っておきながら、低収入の人たちの収入格上げがまったくされてないんですよ。ここを変えなければ本当の景気回復なんて来ないんじゃないですか。
 初年度の20143%の税収、これが5兆円だった。うち社会保障費の増額に使われたのはたった5000億円。たったの1割。2017年度は8.2兆円のうち1.35兆円で1.6割。全額使うと嘘を言ったうえに、5年総額で社会保障費を3.45兆円削減している。はっきり言って詐欺ですよ。やっていることが無茶苦茶じゃないですか(街頭演説)

B れいわの積極財政政策に大きな影響を与えた松尾匡立命館大学教授は『この経済政策が民主主義を救う』という2016年に書いた本で、「日銀の緩和マネーを福祉・医療・教育・子育て支援にどんどんつぎ込む」、「日銀がおカネをどんどん出して、それを政府が民衆のために使うことです」と明解に述べています。赤字国債を発行すると国民一人当たりの借金が膨らむ(だから禁じ手である)と長い間言われてきましたが、現在日本の超緊急事態を救うには、ケインズ経済学の「復活」が必要だという考え方です。ここで大事なのは、何にお金を使うかということで、れいわの長谷川うい子さんは「グリーンニューディール」を標榜しています。山本太郎も言及していますが、お金は野放図に刷れるわけではない。れいわの積極財政についてはウエブにある解説をご覧ください。
 松尾教授によれば、積極経済政策は最近では左翼の世界標準として熱狂的に支持されているらしく、その代表的論者はノーベル経済学賞受賞者、ポール・クルーグマンなどで、アメリカ大統領選で民主党候補として善戦したバニー・サンダースもその提唱者です。

新サイバー閑話(69)<折々メール閑話>⑲

山本太郎発言集Ⅴ

改憲より先にやるべきことがある

  憲法改正は立法府が取り組むべき優先順位としてはかなり低いものであることをしっかり政治家が認識しなければなりません。2022年参議院選挙後の7月の共同通信世論調査では、選挙で投票する際もっとも重視した政策で見てみると、
 1位 物価高・経済対策 42.6
 2位 年金・医療介護 12.3
 3位 子育て・少子化対策 10.4
 4位 外交・安全保障 9.6
 5位以降にコロナ対策、原発(エネルギー対策)とならび憲法改正5.6
 国民にとっての最重要課題は目の前の生活です。改憲を直ちに進めたいという人には申し訳ない話なんですけど、憲法を変えなければ直ちに不都合がある状態ではございません。むしろ、現行憲法が順守されていないために命や暮らしが脅かされている事態が存在します。
 25年におよぶ経済不況、そこにコロナの感染拡大、そして輸入物価高という三重苦の中で明らかに生存権・幸福追求権が脅かされ続けている、先進国の中で唯一不況が続き、衰退し続ける国が日本、先進国の中で唯一日本だけが賃金が上がらない国、一部の勝ち組を除いて多くの国民が貧しくなった、それが日本なんですね。この30年近くの間、ほぼ一部政治家のためだけに政治は機能してきた。たとえば憲法25条、守られてませんよね。憲法改正云々する前に、やるべきことあるんです。(国会質疑)

 B 憲法改正をめぐっては、国会でもいろいろ議論されているけれども、いま憲法改正よりも差し迫った問題があるからそちらからやろう、というような話は、野党からもあまり聞かれませんでした。9条をどうするかという各論に入る前に、もっと議論すべきことがあるだろうと、彼は言っているわけで、まことに正論だと思います。政府やマスメディア調査などのデータをきちんと提示し、なるべく客観的な事実に基づいて話そうともしている姿勢も共感を持てます。

A 岸田政権の閣僚が「私の記憶にはないが、そういう写真があるなら、それが事実だと考えられる」といった答弁をしたのとは、まるで逆ですね。国会をまっとうな議論の場にしなければ。

  法律はみんなを縛るもの、憲法は誰をしばるものですか。憲法はご存じの通り権力者を縛るものなんです。権力を持った人が暴走すると人びとを傷つけることになりかねないんですね。戦前、戦中を見れば、政府に対して不都合なことを言う人は次々に捕らえられ、拷問にかけられた。黙っておけ、閉じ込めておけ、っていうことも可能になる。権力ってすごいコワいものだから、ルールで縛ろうぜ、というのが憲法。だから憲法の存在が神なんです。新しい憲法がどういうものになるかということで、世の中大きく変わっちゃいますよ。
 ちょっと考えていただきたいんですが、権力者を縛るためのルールを権力者側から変えたいと言う、その時点で怪しいと思わなきゃダメなんですよ。泥棒が窃盗罪緩めてくれっていうぐらいの警戒感が必要。だって権力の暴走から守ってくれているルールを権力者自ら変えたいと言ってきてるんですよ。
 もう一つ、注意しなければいけないのは、変えたいと言っている人が今ある憲法をちゃんと守ってるのか、ってことです。今あるルールを守ってない連中が新たなルール作りたいなんて、そんな都合の良い話ある?そんなツラの厚い話なんてないですよ。図々しいにも程がある。
 たとえば憲法25条、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。最低限度で生きていけることを求めているものじゃないですよ。健康でなければダメなんです。安くて高カロリーなもんばっかり食べるような経済状況じゃダメなんですよ。
 文化的って何かと言ったら、読みたい本が読めるとか、買えるとか、年に何回かは自分の好きな舞台見に行けるとか、ということも含めて文化的なんですよ。厚生労働省のコロナ前の調査では、生活が苦しいと訴えている人が全世帯の54.4%、母子世帯では86.7%。この状態で憲法25条が守られているって、私思えないんですよ。というより、社会の底がぬけちゃってる。(街頭演説)

 A 憲法を変えようとする人たちが、だれもが守るべき国の最高法規を現に守っていない、守ろうとすらしていないというこの国の現状はまことにおぞましいですね。

 ピンチはこの国に山ほどあると思うが、一方でチャンスをつかめていない。とくに原発事故に関してはチャンスに出来てない。溶け落ちた核燃料、どこにあるかもわからないと、これでは廃炉など夢のまた夢なんです。だからこそ世界最悪の事故を教訓として日本が廃炉ロボットの再生産技術を生み出せば世界に貢献できるのではないか。これがまさにピンチをチャンスに変えることではないですか。
 廃炉ロボットにしても国産ではなく海外メーカーに開発を頼んで、それを日本が購入したりしているわけですよ。残念ながら日本は原発事故後、廃炉を前に進めて、かつ産業発展につながるような実用性のあるロボットをほとんど作れなかったんですね。原発事故をチャンスにしたのは実は海外企業なんです。国内企業は一方で埋没しているんです。これっておかしくないですか。発注を受けた海外メーカーは、特殊な環境下、とてつもない高汚染下での実験まで行えると。廃炉ロボットは海外から調達、おまけに海外技術のさらなる発達にも貢献している。このままでいいのかな、と思うんです。
 政府はこの分野に投じる予算、一桁少なかったんじゃないですか。世界中の知能と技術力を日本に集結させて、廃炉という新たな産業を大々的に進める覚悟がないから日本は負けたんじゃないですか。私はそう思っています。ロボットでは負けました。ボロ負けです。勝てる可能性のあるもの、ほかにもあるんですね。ピンチをチャンスに変えていただきたい。ビジネスチャンスです。それは汚染水処理です。10年前に最新とされた知見を、いまも最新とされているのはおかしくないですか。この10年間、技術革新は起こさなかったんですか。技術などどうでもいい。さっさと汚染水を海に流して、なかったことにしたいんですか。2015年の検証試験が終了して現在まで国内国外のトリチウム分離技術にどのような進歩があったか政府は承知していますか。
 ちょっと問題意識薄すぎません? 危機意識がなさすぎるんですよ。本来なら公募の段階から政府のプロジェクトとして行うべきことでしょ。どうして国が一生懸命力を尽くさないの?これがピンチをチャンスに変えるということでないですか。すべて民間任せではないですか。政府はトリチウム分離技術に関して前面に出たくないのではないか。
 (西村環境大臣の答弁に関して)逃げたらダメなんですよ。大臣は。安倍さん、菅さんのときも言っていたじゃないですか。閣僚全員が復興大臣なんでしょう。頭が変わったら全部変わるんですか。自分は縦割りだから、って絶対に言っちゃいけないことではないですか。(国会質疑)

A これは参議院環境委員会の発言です。この動画を編集した人は「これぞ鮮やかな国会質疑。今回は山本太郎さんが見事に岸田内閣を論破したシーンを分かりやすく編集しました」とコメントしていますが、それにしても西村大臣の情けない答弁は岸田内閣の人材不足を感じさせます。
 山本太郎の質問に対して、環境庁の役人は「これらの事業は私企業がやっていることで、東京電力などがその都度公表している」と述べ、また一般論と断りつつ、「応募した企業に関する情報に関しては、当該法人の権利、その他正当な領域を侵害することになるので慎重な判断をする必要がある」などと、まったく当事者意識のない紋切り型の答弁をしています。最後は西村大臣が「それぞれ司司(つかさつか)の問題だから、環境庁としては環境モニタリングをしっかりやっていきたい」と、述べたことに対する山本太郎の怒りの発言です。

 B 洪水、津波、山火事、火山爆発などの気候変動危機、依然として収まらないロシアのウクライナ侵攻、居座るミャンマー軍事政権――、世界で激動が続いているけれど、それらの問題に国を挙げて、役所の壁を越えて対応しようという気力が日本政治にほとんど見られないですね。日本で深刻なのは世界一の超高齢社会だということだが、まさに山本太郎の言う「ピンチをチャンスに変える」覚悟があれば、日本が世界に貢献する道も開かれるでしょう。世界情勢が緊迫しているから防衛費をGDPの2%以上にしようと、アメリカから武器を買い入れることばかり考えている政治のお寒い現状を山本太郎は撃っているわけです。臆面もなく、いまだに「司司」などという表現を使う環境大臣しか持たない日本の悲劇を感じますね。