新サイバー閑話(63)<折々メール閑話>⑬

自民党&日本に深くたくみに潜行した統一教会

B 安倍元首相の銃撃事件をきっかけに、統一教会(旧統一教会と現世界平和統一家庭連合を一括してこう表記)は、信者の世界だけでなく政治の世界にも深くたくみに潜行していたことが、日に日に明らかになっています。
 若いころ水中ダイビングで比較的浅い海底に立った時、ふと前の岩場を見ると穴から大きなウツボがこちらをにらんでいた。あの獰猛な面構え。目を移すとそこにも、振り向いた背中の後ろにもウツボがいて、ゾッとしてあわてて浮上したことがあります。その恐怖に似た感覚を今回、思い出しました。統一教会はこんなに日本社会にひたひたと浸透していたのか、と。長期に及ぶ異常とも言える安倍政権を支えていた構図の一断面がはっきり見えたようにも思います。

A 統一教会と議員に対する自民党の調査は相変わらずおざなりで、本丸ともいうべき安倍元首相、細田衆院議長などは調査の対象外、数々の関連が明らかになっている山際大志郎経済再生担当相も閣僚に居座ったままですね。
 岸田首相は最近の国会で統一教会に対する宗教法人法に基づく調査を「質問権」を行使してやると言ったものの、解散命令請求が認められる法令違反として刑法だけでなく民法まで含まれると答弁するのに、1日の朝令暮改がありました。こんな腰の軽さでは、本気で解散命令を考えているようにも思えません。世論調査の内閣支持率急減にあわてふためき、この場をなんとか切り抜けようという魂胆が見え見えではないですか。

B 国政選挙で選挙の手助けをする見返りとして、統一教会側が自民党国会議員に対して教団の政策を推進するよう「推薦確認書」を提示し、署名を要求していたことも明らかになりました。そりゃそうでしょう、選挙事務所に教団員を無償で応援にかけつけさせ、雑務や電話応対をさせていた教団側からすれば、当然の見返りだったとも言えます。しかしこれは教会が日本の政治に影響を与えようとしていた証拠としてきわめて重要です。この事実は自民党調査では表に出てこなかったですね。自らの恥部を隠そうとしたのだと思えます。

A 統一教会と自民党議員の癒着は地方議会も例外ではありません。教団員の一票の重みは地方自治体選挙でこそ増すわけだから当然でもあります。妙なツイート発言をめぐって紛糾した小林貴虎三重県議の統一教会との深い関係はすでに明らかですが、自民党富山県連会長は10日、国会議員や県議を集めた会議で「統一教会と県内議員との関りについて調査しないことに決めた」との方針を明らかにしました。
 日刊ゲンダイDIGITALが「調査したら大混乱となり、有権者の支持を失うと恐れて、調査しないと決定した可能性がある」と書いています。こういう「臭いものにふた」というのは、政界のみならず日本社会の悪弊だと思いますが、もはや悪臭芬々、すべてを明るみに出すべきときだと思います。
 富山県では県知事や富山市長の統一教会との関係も指摘されています。これも保守王国の岐阜県では、中日新聞調査によると、県政自民クラブの19人が統一教会や関連団体のイベントに出席したと回答したようです。この種の例は各県で見られるのでは。

B 推して知るべし、でしょうね。

A 統一教会の地方への浸透ぶりを示す一つの指標として、2012年以来、地方議会で成立している「家庭教育支援条例」の広がりがあります。財団法人、地方自治研究機構の調べだと、2022年9月現在で、都道府県条例が10、市町村条例が6成立しています(表)。
 提案者は議員や市長となっていますが、各種報道によれば、提案を働きかけた人物に統一教会(勝共連合も含む)関係者の影が見え隠れしています。提案議員と統一教会の直接的な関係が指摘されている例もあります。最初の熊本県条例が成立した2012年は第2次安倍内閣が発足した年でもあります。
 これとは別に、国レベルの家庭教育支援法を制定しようとする動きがあり(野党の反対で現在は棚上げ)、全国34の地方議会が家庭教育支援法の制定を求める意見書を可決しています。ここでもたとえば熊本県や神奈川県などで統一教会の関与が指摘されています。

B これは2006年、第1次安倍政権下で実現した教育基本法改正と歩調をあわせた動きです。いじめ、登校拒否、虐待などの原因は親の責任だとして、公権力の家庭への介入をめざしています。その背景には伝統的な家族観があり、核家族、共稼ぎ、貧困家庭、不十分な福祉政策など現在の家庭を取り巻く環境は捨象したままです。ジェンダーフリー・バッシングの動きとも軌を一にしており、個人(子どもや障碍者、性的マイノリティーなど)の基本的人権への配慮が極めて希薄です。
 実はこれは自民党改憲草案に脈々と流れる考え方でもあり、安倍政権や自民党、公明党、さらには維新などの保守勢力が推進しようとしている政策を、同じ考えに立つ統一教会が支援しているとも言えます。二人三脚と言ってもいいし、政権側が統一教会の強力なエネルギーを利用し、運動の下支えどころか実質的な駆動力にしているとも言えるでしょう。

A 統一教会は2015年に世界平和統一家庭連合と改称したように、「家庭」、「家族」が教えのキーワードで、その家族観は、創始者の故・文鮮明氏を「真のお父さま」と呼び「神様の下に人類が一つの家族である世界」を理想に掲げており、自由恋愛や婚前交渉は論外、信者には合同結婚式で相手が選ばれます。社会の構成単位が個人ではなく、教主を頂点とする家族なわけですね。個人の自由をまったく尊重していない。むしろ否定している。生まれた2世へのしばりもそうですね。

B 家庭が大事だというのはその通りで、子どもの教育には親もあずかってしかるべきですね。たしかに安倍元首相のふるまいを見ていると、この「金持ちのお坊ちゃん」は家庭でどういうしつけを受けてきたのかと不思議に思うことが多かったですね。その人が家庭教育が大事だというのも不思議と言えば不思議です。
 冗談はさておき、一連の動きの背景には国や地方自治体が家庭に介入する国家統制的な考えが潜んでいます。「法は家に入らず」という格言もあり、この種の立法には慎重でなくてはいけません。
 自民党と統一教会の癒着は、選挙で協力してもらう見返りに社会的認知と広報㏚をするというだけに止まらず、もっと深いところで結びついている。もはや同根と言ってもいいでしょう。来年4月に設置予定の「子ども家庭庁」の名称は、元は「子ども庁」だったらしい。統一教会側が自らの働きかけの成果として報告しているほどです。

A 統一教会は、「山上家の悲劇」に象徴されるように、家庭を破壊しつつ、家族愛を訴える。大いなる矛盾を抱えた組織です。

・「ウツボの恐怖」と闇を払う覚悟

B 問題を広げると、自民党改憲草案と統一教会の政治組織、国際勝共連合の見解が「緊急事態」や「家族条項」などでほとんど一致していることが指摘されています。ニワトリが先か卵が先か、この辺は何とも言えないけれど、結果的に、統一教会の意向が陰に陽に最高法規にまで忍び寄ってきている感じがしますね。
 統一教会と政権与党の考えが一致しているから統一教会の影響を受けているとはもちろん言えませんが、統一教会の考えと家庭教育支援条例の内容が似ていることは確かで、自民党議員と統一教会のどちらが主導しているのかは非常にあいまいです。

A 暴力的とも言える献金などを強要していた「反社会的集団」の統一教会と政権与党が手を組んでいたと。

B 前回も言及しましたが、世耕参議院議員は「この団体の教義に賛同する我が党議員は1人もいない。我が党の政策に教団が影響を与えたことはない」と語ったけれど、語るに落ちるというか、影響を受けたのではなく、もともと同じ考えだと言うつもりでしょうか。その類似点、および相違点についても釈明してほしいですね。
 これに関連して、「文春オンライン」(9月22日)は下村博文衆院議員が政調会長時代、統一教会の関連団体幹部から陳情を受け、党の公約に反映させるよう指示を出していた疑いを報じています。統一教会の改称が認められた2015年の文科大臣は下村氏でした。

A 自民党の野田聖子・前男女共同参画担当大臣が超党派の女性議員らでつくる勉強会で、「伝統的な価値観を重視する宗教団体が自民のジェンダー政策に一定の影響を与えた可能性がある」という認識を示したとも報道されました。

B すなおに見ればこういうことだと思いますね。ここ十数年、戦前への回帰の動きが強まってきていますが、保守政治の着々とした動きの背後、少なくともその一部に、統一教会の存在があることがしだいに明らかになってきたということでしょう。
 それは安倍政治がめざしていたものであり、さらに言えば、彼が念願していた憲法改正への下準備でもあったように思われます。国会で改憲する、改憲すると言いつつ、裏ではなし崩し的な〝改憲〟状態を進めようとした面を否定できないですね。

A 自民党議員たちが選挙協力を受けることで、統一教会に隠れ蓑を貸したり広告塔になったりすること自体が大いに問題だけれど、自らの政策遂行のために反社会集団と手を組んでいる実態こそをより深刻に受け取るべきですね。まるで同じ穴のムジナではないですか。

B 自民党議員が統一教会との関係をあいまいにしようとしている真意は、どうやらそこにありそうです。冒頭でムジナならぬ「ウツボの恐怖」と言ったのは、統一教会がいつの間にか日本の深部に深く浸透してきていることへの驚きです。これが安倍政治の本質だったと思いますが、いま岸田政権はその安倍政治を踏襲すると言っています。
 この日本社会に広がる「深く暗い」闇を払うには、野党も、メディアも、私たち自身も、相当の覚悟が必要ではないでしょうか。

新サイバー閑話(62)<折々メール閑話>⑫

世襲議員の跋扈が日本政治をダメにする

A 国葬強行に加えて統一教会と自民党議員の関係清算に対するヌエな態度が岸田内閣の支持率をどんどん下げていますが、その折も折、岸田首相はわずか31歳の長男、翔太郎氏の首相秘書官起用を決めました。
 岸田首相は祖父の代から数えて衆議院議員3代目ですが、将来を見越して4代目後継を養成するためだとも言われており、日本の政治家、とくに自民党に顕著な世襲議員の跋扈、それを当たり前のように認めてきた国民の政治感覚の異常さが改めてクローズアップされています。安倍元首相も「光り輝く」3代目で、彼亡き後、家族や地元の関心は安倍後継選びだそうです。

B 日本では地方議会も含めて、2世、3世議員がけっこう目立ちます。ウィキペディアのデータをもとに、代表的な国会議員3代目の一覧を表にしてみましたが、国政の中心が3代目によって占められるという〝壮観〟ぶりです。2世まで範囲を広げると、世襲議員は野党も含めてけっこう多いですね。
A 政治をあたかも家業のように考えているのでしょうね。過去の偉大な政治家に「世襲」がいたとは聞いたことがありません。2代目3代目は政治的信念を継承するのではなく、ただ地盤と利権を継承するだけ。そもそも彼らに成し遂げたい政治的信念があるとは思えない。人望や実力がなければなれないヤクザの2代目3代目の方がまだ筋が通っていますね。もちろん、例外がないわけではない。

B 世襲議員について、日本総合研究所の寺島実郎が評論家、佐高信と行った対談『戦後日本を生きた世代は何を残すべきか(河出書房新社、2019)でこう言っています。

いま日本人が気づかなければいけないのは、続々と登場してくるリーダーが、まず政治家の2世3世ばかりだということです。日本のさまざまな現場で歯を食いしばって支えた人がリーダーになっていくのではなく、多くは家業として代々政治家をやっているからそういうものだろうというレベルでいる。そういう人たちが、政治家で飯を食っている人の大部分を占めている状況は、世界広しといえども日本にしかない。これは端的に、戦後日本の歴史が新しい方向感覚を見失って劣化しているということです。この国の政治に対する期待がどんどん低減している。

A 「家業」としての政治家が日本政治を壟断していることについて、そろそろ選挙民も考えるべきです。政治家を地盤、看板、鞄によって占おうとする報道の仕方そのものを改めないと。

B 主宰するOnline塾DOORSで、衆議院での一票の格差是正運動に取り組んでいる升永英俊弁護士の話を聞いたことがあります。なぜ国民に平等な一票を割り振る作業が進まないかというと、それは立法者である国会議員が自分の不利になるような選挙区改正に反対するからです。今の一票の不平等な制度では、国民の過半数が国会議員の過半数を選ぶというふうにはなっておらず、だから升永弁護士は日本を「国民主権国家」ではなく「国会議員主権国家」だと言っていました。
 そこで羽振りを利かしているのが地盤、看板、鞄という従来の選挙方式だから、国民の真の代表として国会議員を選ぶことができず、したがって議会の多数を占めた政党から出た総理は国民の総意とは違うものになる。
 日本の国会議員の数は人口比で見ると、アメリカの3倍とも言われています。しかも人口が減っているのに国会議員は減らない。こういういびつな選挙制度そのものを変えていくような議論、例えば議員定年や任期制限、さらには世襲制限を、現制度で選ばれた現国会議員が真剣に議論するのは難しい。ここが大きなネックです。

A 毎回、世襲議員を唯々諾々と選んできた選挙民に問題があるのも確かですね。だからこそ選挙では投票すべきだと思うけれど、若者の投票率はきわめて低い。かつて某首相が「若者は眠っていてくれた方がいい」と言ったことがありましたが‣‣‣。

・それにつけても質の悪さよ

B いまの政治家の質の低さには驚きますね。
 自民党の世耕弘成参院幹事長は6日の参院本会議で安倍晋三元首相は「教団とは真逆」の考え方の持ち主だ、と臆面もなく言ったようです。その理由が、旧統一教会は「『日本人は謝罪を続けよ』と多額の献金を強いてきた団体」だが、安倍元首相は首相時代の2015年に発表した戦後70年談話で次世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と主張しているのではないか、だから「この教団とは真逆の考えに立つ政治家だった」というわけです。
 強弁もいいところです。安倍首相は表では韓国を過度に貶める発言をしながら、あるいはそういう行動をとりながら、裏では自分の選挙に有利になる統一教会とむしろ手を組むというダブルスタンダード、恥ずべき背信をしていたわけです。表の発言を通して裏の実態を否定する世耕氏の発言は誤り、というよりきわめて悪質なものです。世耕議員も祖父が衆議院議員です。

A これを正面から反論しない国会も情けないが、それをそのまま報じるだけのメディアもどうですか。世耕議員は「この団体の教義に賛同する我が党議員は一人もいない。我が党の政策に教団が影響を与えたことはない」とも語ったようです。それにはさすがに本会議場でどよめきが起きたらしいが、それを報じたオンライン上の記事では<インターネット上では、『ズバッと言ってくれてすっきり』と評価するコメントがある一方、「『我が党に一人もいない』とか寝言を言ってた」、「自民党の政策、改憲草案は、統一教会の教義と一緒ですが!偶然とは言わせませんよ」との声もあった>とネットの発言を紹介するだけで終わっている。ここはきちんと事の本質を指摘すべきだと思いますね。

B 寺島実郎は『シルバー・デモクラシー』という本では、「現下の日本で、政治で飯を食う人たちと向き合えば、その人間としての質の劣悪さに驚く。戦後日本の上澄みだけを吸ってきた愚劣で劣悪な政治家・指導者を拒否する意志、この緊張感が代議制民主主義を錬磨するのである」とも言っています。先の本ではこういう話も紹介していました。
 幕末の幕臣、勝海舟がアメリカに行ったとき、帰国後、老中にどうだったか聞かれて、「あの国では賢い人が上に立っています」と答えた。国父ともいうべきジョージ・ワシントンの子孫はどうしているかと聞いても、だれもが「さあ、どうでしょうか」としか答えられなかった。勝は驚きつつ「民主主義とはこういうものか」と思ったというんだが‣‣‣。

A 政治家の責任、倫理ということで言うと、なぜ山際大志郎経済再生担当相はいまだにやめないのか。

B それについては、文芸評論家の斎藤美奈子が12日の東京新聞「本音のコラム」で面白いことを書いていました。

これだけやり込められたら普通なら自分から辞めるだろうし、そうでなければ首相が引導を渡すはずだが、何のお咎めもなし。そこで思い出したのが海抜より低い国、オランダの堤防で水漏れを発見して、その穴に自分の腕を突っ込み、我が身を犠牲にして国を守った少年の話である。少年が手を抜いたらたちまち堤防が決壊する。それと同じで、他の統一教会がらみの議員に〝類〟が及ぶから手を抜くわけにもいかず、必死で頑張っている。しかし、もう「栓は限界だ。諦めてはどうか」と。

 山際議員はだれのために頑張っているのか。もちろん国民のためではなく、仲間の自民党議員を守るためです。改めて調べてみたら、同議員は世襲議員ではない。東京大学大学院を出た獣医学博士です。本コラムで取り上げた<⑨まともな人間を育てない「教育」>の成果というか、犠牲というか。現在の政治の退廃が世襲議員を減らせばすべて解決といかないこともまた事実ですね。

A れいわ新選組が進めている来期統一地方選に向けての候補者募集では、それこそ「まっとう」な人材が応募してほしいですね。ここから新しい政治家が生まれることを祈りたいです。

新サイバー閑話(65)<折々メール閑話>⑪

「国葬強行」転じて日本再生のテコとする

B 安倍政治の8年余をふりかえれば、彼が政治的にも、経済的にも、社会的にも、日本を徹底的に破壊したことは明らかでしょう。その異常さは、彼がとりもった統一教会と自民党議員の抜き差しならぬ関係が明らかになったことで、ようやく多くの人の認識するところとなりました。反日を掲げる勢力と裏で手を組みながら、表では不必要なまでの韓国敵視政策をとり、アジアにおける日本の地位をいよいよ孤立させました。また「異次元金融緩和」を柱とするアベノミクスで見せかけの高株価を演出、実体経済をむしろ著しく損なったと言えます。もたらしたのは、政治の腐敗であり、経済の衰退であり、倫理道徳の崩壊でした。
 我々が「アベノウイルス」と呼んできた腐臭芬々(ふんぷん)たる元首相およびその政権の体質が、7月8日の銃撃から9月27日の国葬に至る80日余の間に、徐々に明るみに出たことは一つの救いです。安倍政権の痛手を克服し、日本社会を改善していくという視点に立つとき、国葬の意味をきちんと総括することは不可欠です。国葬を強行した岸田政権が安倍路線の延長上で将来を考えているのは明らかだからです。
 平成の30年間はひと口に「失敗の時代」だったと言われますが、それを最終段階で徹底的に推し進めたのが安倍政権だったわけで、岸田政権は国葬を強行したために国民の信を失い失墜したということにしないとダメだと思いますね。

A 安倍国葬は自民党(岸田政権)にとって「成功」と言えるのかどうか。新聞報道によれば、国内の参列者3400人は歴代首相の葬儀に比べても少なく、9番目と言います。国内6000人に招待状を出し、4割超が欠席したとも。弔問外交という点では、Gセブン現職首脳の出席はゼロ。安倍首相が「同じ夢を見ている」と仲良しぶりを吹聴したロシアのプーチン大統領はもとより、アメリカのトランプ元大統領、ドイツのメルケル元首相などは最初から出席の意向がなかったようですね(まあ、プーチンは当然だけれど)。
 一般献花に2.5万人が訪れたことをもって成功と強弁する余地はあるかもしれないが、これも統一教会の動員ということかも。安倍政権の官房長官だった菅元首相の歯の浮くような弔辞は、誰が書いたのか知らないけれど、虫唾が走るもので、吐き気をもよおすというか、安倍政権の腐臭を感じさせられました。あんなものを全文、新聞に載せる必要があるのか。日本の恥さらしです。前の方しか読んでいないけれど‣‣‣。

B 国葬に反対する側としては、それを強行されたこと自体「敗北」とも言えるけれど、はたしてそうか。国葬までの間に次々に明るみに出た自民党議員と統一教会の癒着ぶり、国葬前夜の抗議行動、国葬をめぐるさまざまなシンポジウム開催、世論調査における反対の声の拡大と岸田政権の支持率低下など、少なくとも国民総意で弔意を示したと、政権側に言わせないだけの成果はあったと言えますね。

A 国葬問題でまともな国民がさすがに覚醒したのではないかとも思いますね。自民党改憲草案と統一教会の政治組織、国際勝共連合の見解が「緊急事態」や「家族条項」などでほとんど一致していることが公然と指摘されるようになったのも、馬鹿げた改憲に対する一定の歯止めになったとも言えますね。改憲するなら、もっとまともなたたき台を出してこい、ということです。憲法を時代にあわせてどう変えるのか、日本の安全保障をどう再構築するのか、それをきちんと議論する姿勢がまるでない。これは野党も含めてだけれど、国の最高法規をどう定めるのか、広い構想力が求められます。議論などどうでもいい、とにかく自衛隊という文字を憲法に入れようというような態度では憲法が泣く。インテリジェンスのかけらもない。

B いまが綱引きの正念場で、ここで手を緩めては相手の思うツボです。今後の課題として思いつくことを数点上げてみます。

①国葬は成功だったと吹聴(強弁)させない歯止めを常に指摘していく。
②山際、萩生田、下村、細田(衆院議長として一時的に党籍離脱)といった統一教会ズブズブの自民党議員に何らかの制裁を課す。個人的に言えば今回の参院選で、何の定見もないのに統一教会に支援されて東京選挙区で当選した女性タレント議員には「愚かだった私」という国民としての反省の弁がほしい。どこかの雑誌で手記をとってもらいたいですねえ。
③野田元首相が葬儀に参列することを許し、国会でも有効な反論もできなかった立憲民主党の出直し的改革。芳野友子という奇妙な女傑に牛耳られている連合とは縁を切るべきです。

A 当面の関心事は、五輪汚職捜査で検察庁がどこまで安倍政権下の膿を出し切れるかですね。注目されるのは森喜朗元首相と竹中平蔵元内閣府特命担当大臣です。金が動いていると噂されていた通り、あるいはそれ以上に五輪は金権まみれだったわけで、五輪を踏みにじられたスポーツ選手はもっと声を上げるべきです。政権に取り込まれた橋本聖子東京五輪組織委会長など情けないほどダメですね。正々堂々のスポーツマン(ウーマン)シップに反するというか。

B 安倍政権下の検察庁を覆っていた政治圧力の重しが突然外れたような捜査の進展です。逆に言うと、あれだけの威圧感を安倍元首相はなぜ持てたのか。中身は空洞なのに「大いなる暗闇」として君臨できた謎を解くカギは、本コラムで指摘した「アベノウイルス」しかないと思います。安倍政権との癒着が問題となった黒川弘務東京高検検事長、中村格警察庁長官などは姿を消していますが‣‣‣。傍若無人、何をするかわからない「金持ちのお坊ちゃん」的体質が政界、官界、経済界、さらにはメディアを金縛りにし、忖度に次ぐ忖度の輪を築かせ、それが途方もなく膨れ上がった。

A いまの検察には期待するところ大ですね!検察の正義を国民に示して欲しい。心からのエールを送りたいです。

B 今回の安倍銃撃から国葬に至る経過を、日本再生のきっかけにしなくては、日本の将来はいよいよ危うくなるでしょう。<折々メール閑話>はいつの間にか10回を超えました。最初は山本太郎とれいわ応援一色だったけれど、安倍銃撃、国葬と事態が目まぐるしく進展するにつれて、こちらも「安倍元首相銃撃事件と言論の力」、「『安倍国葬』」にみる現代日本の『明るい』闇」、「日本を深く蝕んでいた『アベノウイルス』」、「まともな人間を育てない『教育』」、「『まっとうな人間』を政治の世界に送る秋」と現代日本批判的な様相を強めてきました。というわけで、もう少し続けることにしましょう。

新サイバー閑話(64)<折々メール閑話>⑩

「まっとうな人間」を政治の世界に送る秋

A 新聞各社が定期的に実施している世論調査では、そのすべてで安倍国葬反対が賛成を上回っているし、同時に岸田内閣への支持率は急激に低下しています。しかも調査が新しくなるほど支持率が低下している。最新の毎日新聞調査(9月17~18日実施)では、内閣支持率は29%とついに30%を切りました。不支持率は64%。国葬「反対」は62%、「賛成」は27%でず。自民党支持層でも2割超が「反対」だったようです。
 同時期に行われた共同通信調査でも支持は40.2%、不支持が46.5%、やはり不支持が支持を上回り、しかもこれまでの趨勢を逆転しています。もう一つ上げれば、時事通信調査(9~12日実施)では岸田内閣支持が32.3%、不支持が40.0%です。安倍国葬については「反対」が51.9%で、「賛成」は25.3%です(添付のグラフは時事通信調査における支持・不支持率の推移です)。 岸田首相の国会での「丁寧な説明」もこれまでの繰り返しに過ぎず、逆効果だったようですね。

B 地元の鎌倉市議会と隣の葉山町議会が国葬に反対する意見書提出を可決しました。鎌倉は9月12日、葉山は7日です。鎌倉で住民運動にかかわっている友人が「粘り強くやれば、なんとかなることあり」という感慨とともに教えてくれたのだが、ほかにも同様の決議をする自治体が出ていますね。このたび再選を果たした沖縄の玉城デニー知事も国葬欠席を表明したけれど、他の自治体のトップからも国葬への疑問が相次いでいます。

A 安倍元首相の地元でも来月15日に予定されている県民葬に関して、市民団体から反論がでているし、県知事たちが公費で国葬に参加することに対して、首都圏の弁護士らが公費支出指し止めを求める住民監査請求をしています。もはや、国葬反対は世論の大勢だと言っていいでしょうね。

B 国葬に反対する人たちは国葬が予定されている27日に向けて国会周辺などで波状デモを行う計画ですが、これからも地方議会で国葬反対決議が出されることを期待したいですね。ちなみに統一教会関係者の自民党、国会、地方議会などへの働きかけはすさまじいほどです。自民党改憲草案の「緊急事態条項」や「家族条項」などの文面が統一教会の政治部門、国際勝共連合の改憲案と似ていることが指摘されていますし、下村博文衆院議員が政調会長時代に統一教会の関連団体幹部から陳情を受け、それを党の公約に反映させるよう指示していた疑いが『週刊文春』で報じられました。
 その癒着ぶりはともかく、統一教会の精力的な働きかけそのものには感心します。野党陣営にもそれに匹敵する執拗さがほしいと言うと語弊があるが、この点は見習うべきだと思いました。

A 国葬を言い出したのは麻生副総裁で、それに岸田首相が飛びついたというのが真相のようで、今では「だれがこんなこと言い出したのだ」とぼやいているというのだが、これほど無責任な話はないですね。結局は、自分でも納得いかない国葬を行い、税金を使うわけです。政治の堕落ですね。「過ちては改むるに憚ることなかれ」、あるいは「過ちて改めざる、これを過ちという」。岸田首相に『論語』を贈ろうかしらん。

B 折からイギリスではエリザベス女王が亡くなり、その国葬が19日に行われます。エリザベス女王は多くの国民に慕われており、女王の喪に服する英国民の行動をテレビで見ていると、これぞ国葬という感じです。それにくらべて日本は、問題が多く、さしたる実績もない政治家を、国民の多数意見にそむいて国葬にする国だということになると、彼我の差は著しい。

A 安倍元首相と親しかったというデビ夫人も、国葬に反対する意見をインスタグラムに上げ、はっきりと「彼には何の政治的実績もなかった」と指摘しています。こういう人を国葬にすること自体、国民として恥ずかしいですね。岸田首相は日本の国威を著しく損なったとさえ言えます。

B それでも国葬を止められない日本の現状をあらためて考える必要があります。日本共産党、れいわ新選組、社会民主党は早くから国葬欠席を表明しており、立憲民主党も15日の臨時執行役員会で、「執行部全員の欠席」を決めました。ずいぶんもたもたした決断だったけれど、野党第一党が欠席することの意味は必ずしも小さくはない。まさに国論の分裂を象徴しています。岸田政権は国葬決定を国会にはからなかったばかりか、裏での野党根回しもしていなかった。野党が完全になめられている現実も浮き彫りになりました。

A 維新、国民民主党などは出席の意向らしいですね。いまこそ野党再編が喫緊の課題になってきたと思います。独立言語フォーラム(Independent Speech Forum)のシンポジウムで、山本太郎れいわ代表と鳩山由紀夫元首相がエールを交換していたけれど、今後の政局はこの山本・鳩山を軸に進むのが理想的だと思いました。

B そこに日本共産党や社民党も結集してほしいですね。立憲民主党はこの際分裂して、まともな勢力はこちらに合流すべきじゃないでしょうか。同党は今回の決定にあたっても、党所属議員の国葬への出欠は個々の判断に委ねました。以前から思っているのだが、立憲民主党は労働組合の連合と手を切らないとダメですね。

A 連合の芳野友子会長は国葬出席の意向です。労働組合の最王手が連合だというのも不思議です。

・正しい行為をする人が正しい人である

B これからの結集の軸は「まっとうな政治家」対「そうでない政治家」というふうに区分けするのがいいですね。まっとうとは何を意味するのか。ずいぶんあいまいな基準で、誤解、あるいは曲解されるおそれもあるけれど、床屋談義ふう「常識」ということで言えば、大筋において正直であること(平気でうそをつかないこと)、利他的というほどでなくても利己主義に凝り固まっていないこと、金や権力より大事にしているものがあること、今だけでなく将来を見据えている、というようなことですね。

A 「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」幹事長の河合弘之弁護士が岸田首相の原発再稼働の推進策に反対するインタビューで、原子力ムラの行動原理は、「今だけ、金だけ、自分だけ」であると批判していましたが、今さえよければいい、金さえもうかればいい、自分の所属する組織さえ安泰ならいい、もっと言えば、自分が役職についているときだけうまく行けばいいという、きわめて利己的、短絡的な発想があらゆる組織に蔓延しています。後は野となれ山となれという発想が強すぎる。「国士よ、出でよ」と言いたいところですね。

B 古代ギリシャの哲学者、アリストテレスはこう言っています。「われわれはもろもろの正しい行為をなすことによって正しいひととなり、もろもろの節制的な行為をなすことによって節制的なひととなり、もろもろの勇敢な行為をなすことによって勇敢なひととなる」(『ニコマコス倫理学』岩波文庫版)。アリストテレスにとって政治は、善く生きる術を学ぶためにあり、善とは、善き市民を育成し、善き人格を養成することです。
 小さな規模の都市国家の理想をIT社会でどう実現するかはたしかに難しいけれど、サイバー空間の登場によって根こそぎ破壊されつつある既存秩序の長所を復活させ、さらには新しい秩序を生み出すためには、温故知新も必要です。いまこそ彼の素朴とも言える意見に耳を傾けたいと思うわけですね。

A 安倍襲撃から国葬決定に至るこの間の騒動をめぐって発言している中に、「まっとうな意見」を言う人がけっこういます。そういう人びとが、一時的であろうと、いったん政治の場に参加してくれるとずいぶん政治が変わるでしょうねえ。

B 具体名を上げるのは避けますが、大学の先生とか、評論家とか、ジャーナリストとか、あるいは政治家とか、ちょっと頭に浮かぶ人が結構います。それぞれに考えもあり、立場もあり、現実のしがらみもあるだろうけれど、希望としてはそういう方に政治の世界に、一時的でもいいから参加してほしい気がします。無名でも政治に関心をもつ「まっとうな人」は、いまこそ政治の場に進出してほしいし、我々有権者はそういう人に投票するようにしたいですね。

A 今回の参院選でれいわ新選組から大阪選挙区で出馬した八幡愛さんの母、「八幡おかん」が姫路市議選に立候補するとのことです。

B 冒頭の毎日新聞調査による政党支持率は、自民23、日本維新の会13、立憲民主10、共産5、れいわ新選組5、国民民主党4、公明4(各%)などで、「支持政党はない」と答えた無党派層は29%でした。自民支持率は前回の29から6ポイント下落している。

A ちなみに共同調査による政党別支持率は、自民39.3、立憲民主9.9、日本維新の会9.8、共産4.3、公明3.5、国民民主2.9、れいわ新選組2.3、社民1.2(各%)という順です。

B 相変わらず自民が断トツで、我らがれいわの支持者はまだ少ない。しばらく国政選挙はない予定ですから、来年の統一地方選挙を「まっとう人間」が大躍進する画期的なものにできればいいですね。

A れいわでも統一地方選での候補者探しを進めているようです。玉城さんが当選した沖縄県知事選と同時に行われた宜野湾市議選ではプリティ宮城ちえさんが2番手で当選しました。統一地方選を党勢拡大のチャンスにつなげてほしいと思います。

 

新サイバー閑話(47)<令和と「新選組」>⑦

新庄剛志と山本太郎

 プロ野球日本ハムの新監督に新庄剛志が就任することになった。元阪神や日本ハム、米大リーグで活躍した個性豊かなこの人が「監督」になったのは大方の意表をつく出来事だと思うが、「正直、自分が一番びっくりしている。僕でいいのかなという思いの半面、僕しかいないなって。日本ハムも変えていくし、プロ野球も変えていくという気持ちで帰ってきた」という就任の弁はさわやかである。「これからは顔を変えずにチームを変えていきたい」とも言ったらしい。

 数年のブランクを経て国会に戻ってきた山本太郎には将来の総理をめざしてほしいが、新庄の語り口をまねれば、「ぼくでいいのかなという思いの半面、僕しかいないなって。国会も変えていくし、日本も変えていくと」という気構えで。

 前回、山本太郎およびれいわ新選組に対するメディアの取り上げ方がずいぶん控えめだったことにふれたけれど、11月6日の東京新聞におもしろい記事が出ていた。

 選挙期間中、ツイッターで各党首の投稿がどれだけリツイート(転載)されたかを調べた調査によると、れいわの山本太郎が18万7000回で圧倒的に多く、ついで共産党志位和夫委員長4万1000回、自民党岸田文雄首相3万6000回、国民民主党玉木雄一郎代表3万5000回などとなっている。立憲民主党の枝野幸男代表は1万8000回と少なかった。

 ツイッターに投稿した回数自体が、山本太郎167回、志位和夫120回、岸田文雄77回などと山本太郎が圧倒的だった面もあるし、転載は支持者間だけに止まっている傾向も強く、これらの数字が主張が広がったという意味での「拡散力」を示しているとは必ずしも言えないけれど、ネット空間におけるある程度の人気のバロメーターにはなっているだろう。

 新庄の去就に多くのメディアが集まったように、多くのメディアの目が今後は山本太郎およびれいわ新選組の行動に注がれてほしいとふと思ったのである(敬称略)。

新サイバー閑話(46)<令和と「新選組」>⑥

れいわの時代が始まる!

 今回の総選挙で、山本太郎をはじめとして、れいわ新選組の3人が議席を得たことは大いなる朗報だった。

 選挙結果全体をみれば、56%に満たない低い投票率はともかく、その中での自民党の安定多数確保、立憲民主党の大幅議席減、日本維新の会の議席3倍増と、野党共闘がさっぱり振るわず、むしろその票が維新に流れた構図で、維新を自民党の補完勢力と見れば、むしろ現政権の基盤は強まったとさえ言えるだろう。

 コロナ対策の不手際、相変わらずの金権体質、不誠実な政治姿勢などから、久しぶりに政権交代も話題になった選挙前の空気からすると、意外なほどの尻すぼみである。野党共闘不振の原因が野党第一党たる立憲民主党の枝野幸男代表にあるのは間違いないだろう。得難いチャンスを逸したわけだが、選挙直前にれいわの山本代表がいったん東京8区から立候補すると宣言しながら直後に取り消し、比例に回った経緯の中にも、枝野代表に野党共闘をまとめる度量も見識(ビジョン)もなかったことは明らかなように思われる(共産党との共闘が間違いだったわけではもちろんないが……)。

「枝野は野党のアンシャンレジーム(旧体制)」と言った友人もいた。いま野党(左派)に要請される資格として「想像力」と「創造力」をあげた文化人類学者がいるそうだが、これからの時代を見据えた想像力(イマジネーション)と創造力(クリエイティビティ)を兼ね備えたリーダーは、山本太郎以外にはいないように思われる。だからこそ、山本代表とれいわ新選組の活躍に期待したいが、それ以上に自民党に対抗する野党全体の戦線を組みなおすことが急務だろう。

 それにしても選挙前、選挙中を含めて、マスメディアの報道はれいわ新選組にずいぶん冷たかったように思われる。街頭活動の動画を見ていると、聴衆の山本太郎に対する熱い連帯が伝わってきたし、SNSではいろんなジャンルの識者、タレントがれいわへの応援メッセージを送っていたけれど、そして全体として(選挙区と比例あわせて)れいわは255万余票を獲得しているわけでもあるが、メディアでの露出はあまりにも少なかった。と言うより、れいわが担おうとしている政治活動に関する想像力自体が欠けているように思われた。

 私が駆け出し記者のころ、研修を受けた横浜支局の支局長から「ニュースとは時代の波がしらがはねたものである」と聞かされ、現役時代を通してそれを信条としてきたけれど、この波がしらがはねるのを目撃しながら、それを面白がる野次馬精神がまったく感じられなかったし、ましてや「波がしらをはねようとする」迫力はまるでなかったようである。

 立憲民主党の枝野代表は11月2日の党執行委員会で、敗北した責任をとり辞任する意向を表明、同党は執行部を刷新することになった(3日追記)。

新サイバー閑話(33)<令和と「新選組」>⑤

義を見てせざるは勇なきなり

 三重県伊勢市の市美術展で隅に小さく中国人の慰安婦像を組み込んだ「私は誰ですか」と題する作品が出展不許可になった。作者のグラフィックデザイナー、花井利彦さん(64)によれば、慰安婦像は最近の「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」の騒動を受けて制作したもので、クロを背景に赤く塗られた手のひらと白い石が大きく描かれ、左隅に慰安婦像が小さく配されている。

 この事件は地元の中日新聞が10月31日朝刊 1面で大きく報じたが、花井さんの言によれば、最初作品を持ち込んだ時は、主催関係者も慰安婦像とは気づかなかったらしい。彼が慰安婦像を挿入した意図を説明すると主催者側の態度が硬化、結局、10月29日から11月3日までの期間中に展示されることはなかった。花井さんは「市側の検閲で、憲法違反だ」と強く抗議している。

 同美術展は市、市教委などが主宰し、市民から絵画、書道、彫刻などの作品を募集、展示するもので、花井さんの作品は自らがつとめる運営委員作品として持ち込まれていた。

 芸術の秋である。

 全国各地で行われている、どちらかというと出品する人も見物する人も高齢者が多い、ささやかな展示会の話だが、市の言い分が大いに気になる。同紙によれば、市教委の課長は「あいちトリエンナーレで注目を集めた『平和の少女像』と、それに伴う混乱を予想させるとして、慰安婦像の写真の使用を問題視した」と言っている。11月2日付同紙では同展運営委員長が「市民の安全を第一とした市の判断に従わざるを得なかった」と述べている。

 あいちトリエンナーレでは脅迫やテロ予告などもあったけれど、今回はそういう動きはなかったようである。市は何を恐れ、何から市民を守ろうとしたのだろうか。

 美術展の意義は何か、地方自治体の文化的取り組みは如何にあるべきかといった本質的議論は抜きに、「市民の安全が脅かされる」というよくわからない漠然とした理由で、「臭いものにフタ」をした事大主義的発想が問題だと思われる。最近よく聞く「税金を投入したイベントだから政権の意向に反すべきではない」という、これも妙な考えも反映しているかもしれない。

 関係者の思惑を「忖度」すると、「慰安婦像を認めると、時節がら問題になるんじゃないの」、「とりあえずやめとこう」という軽い気持ちで、結局は、表現の自由を侵すような強権を発動したように思われる。この思考の軽さと結果の重さのアンバランス(その間のコミュニケーション不在)。これは安倍政権が推し進める諸政策の特徴でもあるが、それが「遠隔忖度」の波に乗って地方都市に押し寄せているということではないだろうか。

 今回は当の花井さんが強く抗議したから公になったけれど、彼が黙っていれば、それで終わった話でもあるだろう。安易に表現の自由を制限してしまうような、重苦しい「空気」はこれからどんどん各地に波及していく可能性が強い。これも前回の語り口を借りれば、「もうすでに一部で起こっているかもしれない」。

 表現の自由をめぐる一連の動きとしては、川崎市で開催した「KAWASAKIしんゆり映画祭」で、やはり旧日本軍の慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画の上映がいったん中止になったが、これをめぐる関係者討論会がきっかけで最終日の4日に一転、上映された経緯がある。

 どう考えてもおかしいと思う、あるいは自己の信念・信条に反することがらに対して、現場でひるまず立ち向かう勇気が、いま私たちに求められているのではないだろうか。「義を見て為(せ)ざるは勇なきなり」(論語)である。

新サイバー閑話(32) 令和と「新選組」④

トップから腐っていく社会

 ちょっと前になるけれど、10月4日の東京新聞一面が大見出しの記事3本だけでほとんど占められていた。

 トップが「関電金品受領 監査役、総会前に指摘 社長ら公表見送る」、肩4段が「トリエンナーレ補助金不交付 文化庁有識者委員が辞意『相談なく決定 納得できず』」、下方4段が「かんぽ報道 NHK会長、抗議影響否定『編集の自由損なわれず』」である。

 いずれも事件自体はあらためて説明するまでもないだろうが、トップ記事は、関電の金品授受問題を今年6月の株主総会を前に監査役が把握し、経営陣の対応に疑問を投げかけていたが、問題の公表は見送られたという話。トリエンナーレに関するものは、文化庁が補助金7000余万円を交付しないと決めたことに関し、採択の審査をした委員の一人が「不交付は委員に相談なく決定された。これでは委員を置く意味がない」として辞任を申し出たというもの。最後は「クローズアップ現代+」の報道に関して、日本郵政グループがNHK経営委員会に抗議、経営委員会が上田良一会長を厳重注意した問題で、当の上田会長が定例記者会見で「番組編集の自由が損なわれた事実はない」と述べたというものである。

 3本の記事には、はっきりした共通性がある。それは、社会制度が本来の趣旨にそって適正に運営されるために、あらかじめ設定されているチェック機能が無化(無効化)されていることである。

 何のための監査役か、何のための有識者委員会か、何のための経営委員会か。

・「非立憲」政権によるクーデター

 本来果たすべきチェック機能を崩していくのが安倍政権発足以来のやり方である。まず権力チェックの重要な機能を持つとも言われる新聞、テレビなどの報道機関を早々に切り崩しにかかった。アベノミクス実現の環境づくりとして日銀総裁を替え、安保法制強行のために憲法の番人とされてきた内閣法制局長官を替えた、などなど。

 この点について、改憲問題に関連して石川健治東大教授が書いた論考「『非立憲』政権によるクーデターが起きた」が実に明快に論じてくれている(長谷部恭男・杉田敦編『安保法制の何が問題か』所収、岩波書店、2015)。

 「現政権の全体的な政権運営の特徴として、ナチュラルに非立憲的な振る舞いをしてしまう傾向を上げることができます。もともと統治システムの中には内閣が独走できないように、いろいろな統制と監督の仕掛けが内蔵されているわけですね。ところが、安倍政権は、政権にとって、歯止めをかける対抗的な役割を果たしかねない要所要所に、ことごとく『お友達』を送り込んで、対抗勢力の芽を摘んでいく――、そういう手段を駆使していると思います。故・小松一郎内閣法制局長官の人事がそうでしたし、日銀総裁、NHK会長の人事の場合もそうです」、「たとえば、憲法は、内閣に国政の決定権の一部を委ねているかもしれませんが、コントラ・ロールとして、その責任を追及する立場にあるのが、いうまでもなく国会です。……。政府内部にも、伝統的に内閣法制局という、お目付け役を果たしてきたコントラ・ロールがいます(いました)。対抗的存在は、世論やメディアなど、制度外にもさまざまに用意されています。内からも外からも内閣が独走しないようコントロールしているのです。そのような存在が多重的に仕組まれていて、権力が暴走しないようにシステムができ上っています。ところが安倍政権は本来コントロールを受ける立場にありながら、自分から対抗的存在に圧力をかけたり、つぶしにかかったりします」、「恐らく安倍首相個人のパーソナリティによるとこころが大きいのだと思いますが、とにかく批判を受けるのを嫌がります。自らに対する批判を抑圧したいという動機がむき出しになっています。……。その姿勢そのものが、非立憲だといわざるを得ません。そういう政権に日本の行く末を委ねていいのか、直感的に不安を抱く人は多いのではないでしょうか」。

・「忖度」する人、「模倣」する人

 安倍政権の体質をもっともあからさまに浮き彫りにしたのが森友加計問題だろう。文書改竄を進めた財務省幹部は訴追を見送られ、あるいは海外に転出した。憲法問題においても、安保法に異議を唱える憲法学者の声やパブリックコメントでの国民の声に何の配慮も払わなかった。沖縄問題も同じで、要は異論の完全無視である。

 しかも安倍首相や菅官房長官は、事態を自らの問題として受け止めず、他人ごとのように答弁したり、問題の所在をはぐらかしたり、あっさりと、断定的に否定したりしてきた。「こんなことが許されるのか」と怒ったり、慨嘆したりする人も当然いるわけだけれど、逆にそういう(うまい)手があるのかと率先してまねる人が出てきても不思議ではない。手続きを無視したごり押し路線の「模倣」である。今回の関電幹部や文化庁(文部科学省)やNHK経営委員会がそうだと「断定」するわけではないが、そこには政権の〝得意芸〟も反映しているように思われる。

 ユーチューブの動画によると、10月9日の官邸記者会見で、例によって望月衣塑子記者が「森友加計問題など政府の疑惑に関しては何の第三者委員会も設置しなかったのに、関電に対しては第三者の徹底的な調査を求めるというのは整合性があるのか」という趣旨の質問をしたのに対し、菅官房長官は「まったく事案が違う」、「適切に対応したと考えている」、「何か勘違いしているのではないか」と木で鼻をくくったような答弁をし、それで記者会見は終わっている。

 国会やメディアも含めて、チェック機能がかくも働かなければ、人びとの政治不信、政治的無関心の流れはさらに加速するだろう。今回の組閣人事を見ても、ごり押し路線を強化、徹底しようとしているばかりで、いま進む深刻な事態(深い病)への認識、想像力はまるで見られない。政権中枢のモラル崩壊は確実に周辺に及び、それは国民全体にまで徐々に広がっていくだろう。それは、台風19号襲来時の気象予報官の語り口をまねれば、「もうすでに一部で起こっているかもしれない」。

 老子に「大道廃れて仁義あり」という言葉がある。大道が廃れるから仁義が出てくる(大道が行われていれば仁義などは無用である)と、儒教における仁義強調を批判したものとして知られているが、いまや大道廃れて仁義なし。

 この言葉は、「国家混乱して忠臣あり」と続いていて、これも国家が混乱すると忠臣が出てくる、国家が正しく運営されていれば忠臣など出てくる必要はない、という逆説的意味だけれど、これも今は、国家混乱して忠臣なし。

 老子のくだりを友人にメールしたら、「山本太郎こそ真の忠臣である」との返事が来た。彼は自分の会社の窓にれいわ新選組のポスターを張っている(下)。
 NHKのかんぽ報道に対して、逆ギレのように居丈高に抗議している日本郵政上級副社長は元総務省事務次官だが、彼が事務次官になったのは菅総務相(当時)に抜擢されたためらしい。そういう意味では、現政権は早くから「忠臣」の育成に乗り出していたようである。

 

新サイバー閑話(29) 令和と「新選組」③

新聞はこれでいいのか

 消費税が10%に上がった10月1日、購読紙に「消費税軽減税率の適用にあたって」と題する3段抜きの社告が出ていた。日本新聞協会と当該紙の連名になっているから、ほとんどの新聞に同じ社告が載ったと思われる。

 新聞に軽減税率が適用され、8%に据え置かれたことを「報道・言論により民主主義を支え、国民に知識・教養を広く伝える公共財としての新聞の役割が認められたと受け止めています」と書き、「この期待に応えられるよう、責務を果たしていきます」と続けているのだが、昨今の新聞のあり方をふり返るとき、ずいぶん身勝手な見解だとシラケる人も多かったのではないだろうか。

 たとえば、以下のユーチューブの動画を見てほしい。

 東京新聞の望月衣塑子記者が官邸記者会見で萩生田光一氏が文部科学大臣になった件などを追求したときの菅義偉官房長官の記者をバカにしきった、いかにも醜い表情が映し出されているのだが、こんな記者会見を許している新聞が「公共財としての役割が認められた」とよく言えたものだと思う。

 すでに日常的な会見風景になっていると思われるが、仲間の新聞記者がこんなふうにあしらわれているのを他の記者が放任していること自体が信じがたい。ひと昔前なら、だれかが「国民の代表たる新聞記者に向かって何という態度だ」と、これもいささかどうかと思う発言ながら、とにかく為政者の横暴に抗議する、あるいはたしなめるような反骨精神が発揮されたはずである。

 そのひと声、その一突きが事態をがらりと変えると思われるが、そのひと声を発しようとせず、その一突きを繰り出す勇気がない。

 新聞よ、お前はもう死んでいる。

 もはや、そういう状況なのに、政府に公共財としての役割を認めていただきありがたい、と言わんばかりに軽減税率適用を喜んでいる(ように見える)のは、まことに恥ずかしいことではないだろうか。

新サイバー閑話(27) 令和と「新選組」②

まかり通る理不尽 

 テレビ朝日が開局60周年夏の傑作選と銘打って、平成19(2007)年に制作したドラマ『点と線』の特別編集版(8月4日放映)を見た。松本清張の社会派推理小説の傑作で、制作当時も大いに感心したが、今回はまた別の意味で大いに考えさせられた。わずか十数年前にはテレビ局もこのような重厚な傑作を生みだしていたということである。原作、脚本、演出、鳥飼刑事を演じたビートたけしをはじめとする豪華出演陣、すべてにおいて今昔の感がある。その底には、巨悪を憎む市井の人々の素直な怒りがたぎっているように思われた。

 政官界の汚職を隠蔽するため、事情を知っている下級役人が心中と見せかけて殺される。警察の執拗な捜査で事が明るみに出そうになった時、殺人の実行犯は自殺するが、その間に隠蔽失敗の責任を問われて、某官庁局長が青酸カリで自殺することを迫られるシーンがあった。それを見ながら、森友疑惑で決裁文書を改竄したとされる財務省の佐川宣寿局長(その後国税庁長官)も怖い目にあったのではないかと想像していたら、今朝(8月10日)の新聞に大阪地検特捜部が佐川元国税庁長官らを再度不起訴にしたとの報道があった。これで佐川氏は司法的な責任追及を免れたわけである。 

「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」の中止に関連しては、企画展の芸術監督をつとめたジャーナリストの津田大介が参加するという理由だけで、神戸市の外郭団体が企画していたシンポジウムが、やはり抗議を受けて中止に追い込まれている(9日)。

 理不尽なことへの怒りの声が市井からも衰退していくように思われる令和である。