新サイバー閑話(91)平成とITと私⑫

『DOORS』は3Dメディア

 1995年3月10日、朝日新聞出版局のホームページ、OPENDOORSが店開きした。日本の大手マスコミが開設した初めてのホームページだった。私は編集長挨拶として、ホームページの冒頭で以下のように述べた。

 ギリシャ神話に題材をとったジャン・コクトーの映画『オルフェ』では、鏡がこの世と黄泉の国を結ぶ扉でした。詩人である主人公オルフェは、死んだ妻を取り戻すために、不思議な手袋の助けを借りて鏡を通り抜け、黄泉の宮殿にたどりつきます。
 いまパソコンのディスプレイは、私たちを未知の世界へと誘ってくれる鏡、新しい扉です。マウスやプログラムの力を借りて、インターネットで結ばれた多くの扉を次々に開けば、瞬時に世界中を飛び回ることができます。いずれは個人個人が自分たちの扉を作って相互に情報を交換することができるでしょう。「生きとし生けるもの、いずれか歌をよまざりける」とわが国の歌人はうたいました。「おぼしき事いはぬははらふくるるわざなり」と書いた人もいます。みなが自分のメディアを持って、自由に歌をうたい、ものをいうためのツール、それがインターネットです。新しいメディアの実験『OPENDOORS』の扉を開いてみてください。

 その少し前、OPENDOORS開設を知らせる社告が朝日新聞本紙の一面に大きく載った。初めての横組み社告だったはずである。全体が3段組みで、「OPENDOORS10日開設」の横カットがあり、縦に「初の本格的『ネットワーク・マガジン』」のカット、真ん中に「DOORS」のロゴが入った。骨子はこんな内容だった。

 新しい情報インフラとしてのインターネットの普及を受けて、朝日新聞社は今秋9月、インターネットとマルチメディアを対象とする月刊誌『DOORS』を創刊します。また、それに先立ち3月10日からインターネット上にホームページOPENDOORSを立ち上げます。
 雑誌のコンセプトは「情報社会の賢いナビゲータ」。OPENDOORSはそのネット版で、「わが国初の本格的ネットワーク・マガジン」として、ホームページの標準スタイルを築き上げたいと思っています。http://www.asahi-np.co.jp/経由で、どうぞアクセスしてみてください。

  お分かりのように、OPENDOORSは秋に発売される雑誌DOORSと連動したホームページだった。これから進展するマルチメディア化に対応するために、祇の雑誌、インターネット上のホームページ、雑誌の付録CD-ROM、の3つのDOORSのメディアミックスこそが、当プロジェクトのねらいだったが、それについては後述する。紙のメディアより先にホームページを開設する、それも日本マスコミ業界の先陣を切って、というのが私のねらいだった。

加速する時間に悪戦苦闘

  『DOORS』は『ASAHIパソコン』の土台の上に築き上げられるべきメディアだったが、実際にはふたたび「ガレージからの出発」となった。

 今度の相棒は、MITへの留学経験もある服部桂君と社外から来てもらった京塚貢君、後に林智彦、角田暢夫、久保田裕君などが加わった。多くは例によって社外協力者に頼った(『ASAHIパソコン』以来の知己、西田雅昭さんの紹介で加藤泰子さんが、今でいえば、契約社員として編集部に常駐してくれた。学生アルバイトの諸君にはたいへん助けられた)。とくに今回は大日本印刷に制作をお願いするにあたって、大日本印刷の社員2人(K、S君)が編集部に常駐するという破格の対応をしてくれた。

 5月には出版局の組織改革でデジタル出版部長が置かれることになり、私がデジタル出版部長兼ドアーズ編集長になった。したがって、私に才覚があれば、デジタル出版部全体を束ねるきちんとした組織にできたはずだが、新設された電子電波メディア局との対応や日々の誌面作りに忙殺され、『DOORS』さえ成功すれば道が開けるという思いも強く、当面の組織づくりはおろそかになった。最終的には『DOORS』廃刊、私自身の出版局更迭という事態に終わり、関係したすべての人びとにまことに申し訳ない結果になった。とくに加藤さんや大日本印刷の2人には、苦労ばかり強いて何の好結果も産めず、まことに慚愧に絶えない(桑島出版担当は『DOORS』創刊にあたって、私の要請を受けて、編集局科学部から服部桂君を引き抜く剛腕も発揮してくれた。その意味で当初の出版局の期待に応えられなかった非力は認めなくてはならない)。

 それはともかく、 私の構想は以下のようなものだった。

  これからはメディアミックスの時代である。紙のメディア、ホームページ、CD-ROM、そういった異なるメディアを組み合わせて新しいメディアを作り上げていかなければ、マスメディアの前途は多難である。最初は、紙のメディア「雑誌」で収支をとりながら、ホームページやCD-ROMを育て上げる準備をしたい。編集局とは違って小世帯で小回りがきく上に、印刷会社、取次、各種プロダクションなど外部組織とのつきあいも深い出版局は、これからのメディア開発のパイロットとして、勇猛果敢に新規プロジェクトに取り組んでいくべきである。

 その主力の紙のメディアがさっぱり売れなかったのが最初にして最大の躓きだった。

 『DOORS』創刊号(11月号)は、1995年9月29日に発売された。A4変形判、136ページ、今度は無線綴じで、CD-ROM付きで定価1480円だった。売りものは「3Dメディア」である。雑誌『DOORS』、CD-ROMのCOOLDOORS、ホームページOPENDOORSの三位一体であり、3つのDOORSという意味で、3Dメディアと呼んだ(3D=Three Dimensionでもあった)。創刊直後のある会合で、私は『DOORS』のコンセプトを敷衍して次のように話した。

 創刊号の特集は「デジタル・キャッシュの衝撃」。インターネットの普及につれてネットワーク上でのビジネスが盛んになりつつありますが、そこでの決済手段として電子のお金が使われます。欧米で進められているデジタル・キャッシュの先駆的実験を紹介しつつ、貨幣の本質にも迫ろうという企画ですが、DOORS創刊と同時に模様替えするOPENDOORSでも、この特集を全面展開します。
 雑誌に掲載した記事や写真をオンラインで流すのをはじめ、取材で撮影した8ミリビデオの映像も取り込みます。双方向メディアの特性を生かして、読者の意見を聞いたり、雑誌本体の定期購読の申し込みを受け付けたりもします。余力があれば、英語版も製作し、世界に向けて情報発信していきたいと思っています。
 インターネットは、回線容量やソフトウェアの関係で、実際には、映像や音を快適に受発信できるようになるのはまだ先の話です。その点をカバーすべく、映像などはむしろCOOLDOORSに収録することにしました。本誌の「ゼロから始める入門講座」で取り上げたソフトウェアの一部やWWWサーバーを見るためのブラウザー「ネットスケープ」日本版も期限付きながら収録することができました。入門講座につける用語解説もCOOLDOORSやOPENDOORSに収録し、これらは回を追うにしたがって増やしていく積み上げ方式で、いずれは立派な用語事典にするつもりです。 
 創刊号のCOOLDOORSには、週刊朝日編集部が製作した『’96大学ランキング』のデジタル・データも採録しました。検索できるので、紙のメディアとは一味違った利用ができるはずです。

 いま振り返っても、その意図や良し、というべきだが、小規模所帯である立場をわきまえず、あれもこれもに手を出して、いずれも中途半端だったと、正直に認めざるを得ない。それよりも私たちにとって誤算だったのは、冒頭でも述べたように、インターネットの普及ぶりがあまりに急激だったことである。

 ジム・クラークはインターネットの未来にかけて、ブラウザー開発者、マーク・アンドルーセンに接触し、短期間で新ブラウザー、ネットスケープを提供、脚光を浴びた人である。『DOORS』を創刊したころは、マイクロソフトのインターネット・エキスプローラと熾烈なシェア争いを続けていたころで、毎月、無料で提供される新しいアドインソフトを付録COOLDOORSに収録する作業だけでも大わらわだった。こうしてブラウザーは日に日に使いやすく便利なものになり、インターネットが拓く世界はそのたびに大きく姿を変えていった。

 そのクラークが前半生を振り返って書いた自伝がNETSCAPE TIME(邦題『起業家ジム・クラーク』(日経BP社、2000)である。彼は「わが社は全プロジェクトを3カ月で見直す」と言ったが、まさに「加速するスピード」こそがネットスケープタイム=インターネットタイムだったのである。このスピードは当時、「ドッグイヤー」とも呼ばれていた。

 私たちはそのスピードに負けたと言っていい。コンセプト上の混乱もあった。「デジタル・キャッシュの衝撃」という特集が象徴しているように、紙面作りの中心は、インターネットをめぐる欧米最先端事情の掘り下げた紹介・解説に置かれていた。「ゼロからはじめる入門講座」も用意していたから、これからインターネットを始めようとする初心者を対象にしていなかったわけではないが、日本でインターネットをやるのは、まだ一部の限られた人である、という認識が強く、当初の想定読者は、どちらかというと、一部専門家の方にシフトしていた。だから表紙も、専門誌的だったし、雑誌の価格も、他の雑誌と同じように、高かった。

 ここには、インターネットにはガイド誌より、メディアとしての本質を掘り下げた記事が求められるのではないかという私の思いが反映していた。だから、創刊前に発行したムックは『インターネットの理解(Understanding Internet)』だった。MIT時代にインターネット最先端を精力的に取材、人脈も築いていた編集委員、服部桂君が全身全霊を打ち込んだ、インターネットの解説本としては他に例を見ない傑作だったと今でも思っている。タイトルがマー シャル・マクルーハンの『メディア論』(Understanding Media)をもじっているように、インターネット黎明期のアメリカの最新事情を丁寧に紹介すると同時に、インターネットの預言者と呼んでもいいマクルーハンについても詳しく紹介した。巻頭ではジム・クラークやマーク・アンドルーセンなどにもインタビューし、アメリカでのインターネットの熱気について伝えている。

 ところが、このムックが予想に反してまったく売れなかったのである。

 アメリカではインターネットが切り拓く新しい社会や文化を紹介した雑誌『Wired』が評判になっていたが、日本の読者はそういう記事より、やはり初心者向けガイドを求めているのだろうか。しかし、ハードウェアとしてのパソコンにはガイド誌が成立しても、ソフトウェアとしてのインターネットにはガイド誌は成立しないのではないか。というわけで、インターネット事情とそのガイド情報という両天秤をうまく塩梅できないままに、『DOORS』は廃刊に追い込まれていったとも言えるだろう。インターネットというオンラインメディアと紙のメディアを共存させようとする試みそのものが、とくに日本においては、難しいということだったかもしれない。

 ムック刊行直後から、さまざまに軌道修正を試みたが、作り上げた仕掛けを直すのに戸惑うわ、釣り糸はこんがらがるわ、餌はなくなるわ――、初心者ガイドに力を入れると、今度は当初の最先端情報への目配りが足りなくなるといった悪循環で、日々のあまりの多忙さもあって、軌道修正はスムーズに進まなかった。一方、世の中は降って湧いたようなインターネット雑誌の創刊ブームで、1996年6月には、初心者向けガイドに撤した『日経ネットナビ』(日経BP社)も創刊された。老舗の『インターネット・マガジン』(インプレス)と新手の『ネットナビ』に挟まれて、『DOORS』はずっと苦戦を強いられたが、「3Dメディア」としての実績は、少しづつ築かれつつあったとも自負している。主なものを整理すると、以下のようになる(写真は1996年7月号の3DOORS案内)。

①出版業界の先陣を切っての出版案内開設(96.2)
  出版局発行の各種雑誌の案内や書籍の新館案内などをOPENDOORSで行い、ASA(朝日新聞販売店)、取次につぐ第3の販売ルート開拓をめざした。『週刊朝日』連載と連動した村上春樹の『村上朝日堂』ホームページはたいへんな人気だった。
②OPENDOORS及びCOOLDOORSでの「プロバイダー・パワーサーチ」の開始(96.9)
  全国で続々誕生しつつあったプロバイダーの紹介は、当初は本誌で行っていたが、その数が増えるにつれて、誌面の制約が生じ、それをCD-ROMやホームページ上に移し、かつサービス別、地区別などで検索できるようにした。
③「進学の広場」開設(97.4)
  出版局内の大学班と協力して、朝日新聞の強みを生かした教育ホームページのたち上げをめざした。
④イベントへの協力
  広告局の企画するイベント、「インターロップ」や事業開発本部の「朝日デジタル・エンターテインメント大賞」など、朝日新聞社主催のイベントにも協力して、マルチメディア部門への進出をめざした。

 めくら蛇に怖じずで、よくもまあ、いろんなことをやろうとしたものだと、列記しつつ、その〝蛮勇〟に我ながら恐れ入るが、 OPENDOORSは1ヵ月に200ヒット近く、出版業界のホームページとしては屈指のアクセス数を得た。そして、創刊1周年を迎えたころには、編集部態勢も整い、DOORSらしい誌面作りも軌道に乗り出した。部内にはシステムエンジニア、編集者、デザイナーなどからなるOPENDOORS作業班もできて、いよいよこれからという時、『DOORS』は突如として休刊を宣告され、1997年5月号という中途半端なタイミングで、短い命を終えた。

新サイバー閑話(90)平成とITと私⑪

インターネット誌『DOORS』創刊

 私は『月刊Asahi』の3代目編集長となり、総合月刊誌の新しいスタイルを確立したいと悪戦苦闘したが、結局はうまく行かず、A4変型判から従来の総合月刊誌のA5判、いわゆる「弁当箱」スタイルに移行するなどの経過を経たのち、その休刊に立ち会うことになった。『20世紀日本の異能・偉才100人』(1992.7号)など発売直後に完売する特集をしたなどの思い出もあるが、ITと直接関係がないので、ここではその後、取り組むことになったインターネット情報誌『DOORS』に話を移したい。

 『DOORS』は結論を言えば、失敗した。責任はひとえに私の非力にある。それは編集者としての力量にも関連するが、より多くは編集長としての部内統率力、および社内政治力の不足にあった。これから書き進めるにあたって、そのことをまず認めておきたい。

 『ASAHIパソコン』のように成功した雑誌を語るときは、関係者の懐かしい顔も浮かび、微笑ましくも楽しいけれど、失敗について語るのは辛い。その折々に浮かぶ関係者に対しては申し訳ない思いが先立つし、逆に今更ながらに怒りを噛みしめることもある。  

 また『DOORS』の経過には、インターネット時代に翻弄された朝日新聞社のネット戦略の混乱と、出版局を一貫して軽視した姿勢が大きく影を落としている。私自身は、小規模所帯でさまざまな実験が行える出版活動の方がむしろインターネットと相性があると考えて、その実験プロジェクトとして『DOORS』を創刊、その過程で折にふれて要路の人びとにそう提言もしてきた。しかし、インターネットの台頭に驚いて長期計画も見識もなく、新聞紙面をそのまま電子化すればいいと、asahi.comをあたふたと立ち上げた社幹部にとって、それに抗おうとする『DOORS』と私自身が気に入らなかったのだろう、『DOORS』はこれからというときにいきなり休刊となり、私は出版局を外され、総合研究センターに〝放逐〟された。それが当時の出版局の幹部連中の利益でもあったらしい。彼らは率先してその動きを〝支援〟、私はその後、出版局に戻ることなく退社した。

 それは、出版局が文藝春秋社から花田凱紀氏を招いて新女性誌『ウノ』を創刊した出来事とも複雑に絡んでいた。編集局から天下り的に送り込まれた桑島久男出版担当によって強行されたものだが、花田氏は文藝春秋社の月刊誌『マルコポーロ』でユダヤ人虐殺の「ガス室はなかった」という記事を掲載、その結果として同誌は廃刊、編集長を更迭された人物である。彼はその後、朝日新聞批判を続けると同時に、安倍政権応援とでも言うべき『Hanada』や『WiLL』などの編集長をしている。この「異例の決断」が朝日新聞にとって何の益もなかったことは歴史的に証明されている。

 折りしも2023年5月末日、創刊1922年で「日本最古の総合週刊誌」を誇った『週刊朝日』が6月9日号で休刊した。まことに象徴的な出来事である。『DOORS』創刊と休刊、asahi.comスタート、『ウノ』創刊、このころに朝日新聞出版局、それと同時に朝日新聞本体も滅びの道を歩み始めたと私は思っている。大きく見れば、インターネットの発達によってマスメディアが衰退していく過程のできごとだが、ときに「失敗の時代」ともいわれる平成という時代の苦難を背負っているとも言えよう。私はその激動の渦中にあり、その波に翻弄され、そして挫折した。この点については最後で振り返ることにして、まずは『DOORS』について述べておこう。

・1995年はインターネット元年

 最初に、私が『ASAHIパソコン』を去った1991年から『DOORS』を創刊した1995年までのインターネットの発達史を概観しておこう。

 インターネットは東西冷戦下のアメリカで構想され、そのアイデアは、核戦争によってネットワークがずたずたにされても、生き残ったコンピュータがいくつかのルートをたどりながらコミュニケーションできるように、ネットワークを管理する中枢を置かず、すべてのコンピュータを平等に結んでいくことだった。そのため、各コンピュータに固有のアドレスを割りふり、メッセージは小さな固まり(パケット)に分けて複数のルートで送り、到達した時点で組み立て直すという方式が採用された。

 1968年、アメリカ国防総省の高等研究計画局(ARPA)が全米4大学にノード(拠点)を置いて、ホストコンピュータの接続実験を始めたのがインターネットの初めである。しだいに全米各地の大学、研究機関、さらには外国からもアーパネットへの接続が行われ、ノード間は高速回線で結ばれ、幹線のバックボーンが整備されていく。その後、運営は全米科学財団(NSF)に引き継がれ、TCP/IP(Transmission Control Protocol/Internet Protocol)がインターネット標準プロトコルに指定された。

 1993年に発足した米クリントン政権はインターネットを重視したNII(National Information Infrastructure 全米情報基盤)構想を発表、「情報スーパーハイウエイ」という言葉とともに、インターネットが広く流布されることになった。軍事用、学術用に発展したインターネットは、しだいに商用利用へと道を開き、1995にはつながれたホスト数で、学術関係よりもビジネス関係の方が多くなっている。同年にはNSFネットのバックボーンも民間ネットワーク・プロバイダーへ移された。日本で初期のインターネット普及に取り組んだのがJUNET(Japan University Network)であり、それが発展したWIDE(Widely Integrated Distributed Environments)プロジェクトで、その中心人物が村井純氏だった。

・WWWとブラウザーの発明

 私たちがネットワーク・マガジンOPENDOORSを立ち上げ、後に雑誌DOORSを創刊した1995年こそ、「インターネット爆発」の年だった。私は1994年夏ごろから、新しいネットワーク雑誌に取り組むことになった。当時はクリントン政権(とくにゴア副大統領)の音頭で「情報ハイウエイ」構想が喧伝されていたが、インターネットという言葉はまだほとんど知られていなかった。だから同年末に発足した編集部は「情報ハイウェイ編集部」を名乗った。最初は誌名も『情報ハイウエイ』にしようと商標登録もとったが、インターネットがまたたく間に普及すると、「情報ハイウエイ」という言葉はすっかり古びてしまい、結局は使わなかった。このとき私はインターネットの普及の激しさを実感したが、事態はそんな生易しいものではなかったのである。

 出版局を去った後の1998年に出した『マス・メディアの時代はどのように終わるか』(洋泉社)のデータをもとに、1995年の状況を再現してみよう(本書は絶版となっている。『ASAHIパソコン』および『DOORS』について丁寧に振り返っており、本<平成とITと私>前半の記述の多くは本書に寄っていることをお断りしておく)。

「インターネット」という言葉を含む記事が朝日新聞紙面に扱われた件数の推移を年別に見ると、以下のようになる(ASAHIネットの朝日新聞記事データベースから)。

1991          6 
1992          8
1993         10
1994       105
1995       676
1996     2381
1997     2487

 1996年から格段に増えているのが一目瞭然である。それより数年前に遡るが、技術専門家のためのものだったインターネットを飛躍的に普及させる原動力になった開発が2つあった。

 1つはWWW(World Wide Web、ワールドワイドウエブ、ダブリュ・ダブリュ・ダブリュとかスリーダブリュなどと呼ばれる)である。1992年、スイスのセルン(欧州合同原子核研究機関)に勤務していたティム・バーナース=リーが、ネットワークで結ばれたコンピュータ内の情報を相互に関連付け、参照できるソフトを開発した。これによって、いったんWWWに載せられた文書は、インターネットを通じてリンクを張ることで、世界中の文書やプログラムと連動できるようになった。ユーザーはまさに「クモの巣」内に取り込まれたさまざまなデータを、瞬時にしかも自由に利用できるようになった。『ASAHIパソコン』の項で述べたテッド・ネルソンの「ハイパーテキスト」構想はWWWによって実現されたともいえよう。WWW用に使われる言語がHTML(エッチティエムエル、Hyper Text Markup Lunguage)である。

 そして、もう1つの発明が、今もふつうに使われているブラウザー(閲覧ソフト)だった。1993年、イリノイ大学の学生だったマーク・アンドルーセンによって開発された。WWWにビジュアル要素を取り込み、テキストばかりでなく、音も映像も扱えるようにしたものだ。技術者の間に広まっていったインターネットを万人向けの道具に変えたキラー・アプリケーションだった。

・Windows95発売、インターネットが流行語となる

 アメリカを中心に世界的に進んだインターネットの急成長が、ほとんど同時に日本に押し寄せてきたというのが1995年の状況だった。この年に日本で何が起こったかを整理してみると、

①阪神淡路大震災で、災害に強い情報手段として注目される
 この年1月に起こった阪神大震災(写真は高石町会のウエブから)で、パソコン通信とともに、インターネットでの情報伝達が、被害速報、被災者の安否の確認、地域に密着した活動報告などで、大いに貢献したことが注目され、インターネットへの社会的関心が一挙に高まった。
②ネットスケープ・ナビゲータがインターネット商用化に拍車
 3月にブラウザーNetscape Navigatorの発売元ネットスケープ・コミュニケーションズ社の日本法人が設立され、日本のインターネット商用化に拍車がかかった。
③さまざまなレベルでのWWWサービスが始まる
 マスメディア、大手メーカー、商事会社、銀行、公共機関、経営団体、地方自治体、さらには個人まで、さまざまなレベルで、WWWを使った製品紹介、求人情報などの実験的サービスが始まった。
④関連雑誌の創刊ラッシュ
 インターネット関連雑誌で一番早かった『インターネット(INTERNET magazine)』(インプレス)の創刊は1994年だが、月刊化したのは1995年6月。日本版『ワイアード(WIRED)』、『DOORS』などみなこの年の創刊。雑誌ばかりでなく、インターネットをタイトルにつけた単行本も百冊以上刊行された。
⑤低価格の商用プロバイダーが続々誕生
 比較的簡単に開業できることから、個人経営や地方自治体経営など、雨後のタケノコのようにプロバイダーが誕生し、その紹介がインターネット雑誌の一つの柱になった。
⑥Windows95発売とパソコン狂騒
 マイクロソフトが開発したグラフィカル・インターフェースを備えたパソコン用基本ソフト、Windows95が、アメリカに続いて日本でも11月に発売され、パソコン・ブーム、インターネット・ブームに拍車がかかる。騒ぎに煽られてパソコンを買う人が増え、暮の東京・秋葉原はさながらお祭りの様相を呈した。「超初心者」目当てのガイドブックも多数発売された。
⑦インターネット、流行語になる
 年末恒例の「日本新語・流行語大賞」のトップテンに「無党派」「NOMO」「官官接待」などと並んで、「インターネット」が選ばれた。喫茶店に置いたパソコンでインターネットを体験できるインターネット・カフェも各地の流行現象となった。

    こうして見ると、これまで一部専門家のツールだと思われていたインターネットが突然、誰もが興味を持つ情報ツールに変貌した年だったことがよく分かる。

 

新サイバー閑話(89)

『山本太郎が日本を救う』第2集、7月5日発売!

 <折々メール閑話>で連載してきたコラム『山本太郎が日本を救う』第2集が7月5日にアマゾンで販売されます。定価は第1集と同じ1300円(税込み1430円)です。サイバー燈台叢書第3弾になります。

 タイトルを『みんなで実現 れいわの希望』としました。れいわとはれいわ新選組であり、令和という時代に生きる私たちの意味でもあります。日本の将来を山本太郎とれいわ新選組に賭けようと思っているすべての人に読んでほしいし、山本太郎をまだよく知らない人もぜひ手に取ってほしいと願っています。国会で懲罰動議にかけられ登院停止10日間の処分を受けた櫛渕万里議員が国会で行った警世の名演説「櫛渕万里の弁明」を全文掲載しています。
 安倍政権以来、日本社会は完全にタガが外れ、それは岸田政権にも引き継がれていますが、その趨勢に抗っているれいわ新選組に大いなる希望を抱きつつ、日ごろの悲憤慷慨を書き綴ったものです。
 唯一の被爆国であり、つい最近は悲惨な原発事故も経験、しかも平和憲法を奉ずる国がなぜ、戦争回避や世界平和への努力をほとんどしないのか。逆に安保法制強化、軍備増強、軍需産業支援、原発再稼働への制限緩和など、戦後の政治路線を大きく変更するような重要政策を、国会でのまっとうな議論抜きで強行しています。
 その路線を推し進めたのが安倍政権でしたが、銃弾に倒れた元首相の国葬を決めた岸田政権は、その後も安倍路線を踏襲しています。このような状況にもかかわらず、国民の選挙への関心は薄く、自民党の横暴を許し、野党も闘う姿勢を失っています。その中でほとんど唯一、覚醒しているのが山本太郎とれいわ新選組で、それ故にと言うべきか、第2集ではれいわの孤軍奮闘が目立ちました。れいわだけが日本の救いであるとの思いはいよいよ強くなっています。
 第1集に引き続き、PARTⅠは山本太郎名言集です。今回はウエブ掲載とは別に5本を厳選しました。PARTⅡは2022年12月から2023年6月までの<折々メール閑話>を収録しました。戦前回帰をめざす危うい時代を記録した同時進行ドキュメントにもなっていると自負しています。
 PARTⅢは補遺として、「生成型AI、ChatGPTとサイバー空間」と「この際の憲法読書案内」を掲載しました。目次は以下の通りです。

PARTⅠ<山本太郎発言集>
<1>いっしょにやらなきゃ変えられない
<2>コロナ行政をめぐる質疑
<3>「闘わない野党」への檄
<4>広島サミットは残念な集まり
<5>入管法改正案に体を張った

PARTⅡ<折々メール閑話>
『山本太郎が日本を救う』新春発売!
れいわ新選組の新体制に期待㉒
新春を揺るがす奇策「議員連携の計」㉓
『山本太郎が日本を救う』への思い㉔
訪れた春を愛でつつ、つれづれ閑話㉕
なお安倍政権の腐臭漂う高市問題㉖
メディアの根底を突き崩した安倍政権㉗
小西議員の発言は「サルに失礼です」㉘
『通販生活』の特集に納得しました㉙
選挙が機能しない政治と新しい息吹㉚
76年目の憲法記念日に想う日本の針路㉛
タイムの「慧眼」とれいわの「本気」㉜
踏みにじられた「広島」 (核廃絶)の心㉝
れいわによって守られた国会の品位㉞
虐げられるれいわ新選組へのエール㉟
「連帯を求め孤立を恐れぬ」山本太郎㊱

PARTⅢ<補遺>
<1>生成型AI、ChatGPTとサイバー空間
<2>この際の憲法読書案内

新サイバー閑話(88)<折々メール閑話>㊱

「連帯を求めて孤立を恐れぬ」山本太郎

A 6月8日の参院法務委員会で入管法改正案が可決されました。自民、公明、維新、国民民主の賛成で、立憲民主と共産は反対し、委員長席に詰め寄り、強行採決に抗議しましたが、ここで「体を張って」採決を止めようとしたのが山本太郎で、委員長を取り囲む与野党議員の後ろから身を乗り出して、委員長に採決させないようにしたわけです。「戦うれいわ」、「戦う太郎」の姿を目の当たりにして、胸が熱くなるのを感じました。

B れいわとしては、衆院の大石あき子、櫛渕万里に続いての「実力行使」そろい踏みですね。最初にこの報に接した時、また「れいわバッシング」の波にもまれるのではないかと、むしろ心配の方が強かったのだけれど、動画を見たり、その後、山本太郎が千葉・船橋で行った街宣や「おしゃべり会」で冷静に話す姿を見ながら、国会弱小勢力のれいわとして出来ることをやっているのだと改めて感じました。与野党はここでも山本太郎を懲罰動議にかける協議をしているようだけれど、かつて自らも野党だったころ、それぞれ実力行動に出た経験もあるのに、どういうことでしょうね。

A 山本太郎は確信犯です。懲罰動議、上等じゃないですか。入管法改正案は日本の難民政策を改悪するもので、これが成立すると、難民で命を落とす人が出るかもしれない大問題です。山本太郎はかつて「野党全員が浜幸のようになったら、悪法は止められる」と言っていたから、「あるいは?」と思っていたけれど、第一報を聞いたときは、「ついにやったか!」と感じました。それにしても、入管法に限らず、さまざまな悪法を問答無用に次々と成立させる岸田政権こそ問題です。

B 今朝の東京新聞を見たら、一面肩に<改正入管法きょう成立 参院委可決 立・共「強行」と批判>の見出しの記事が出ていましたが、山本太郎のヤの字もないですね。山本太郎は法務委員会のメンバーではないから、法務委員会の記事に山本太郎が出てこなくても筋としてはその通りでもあるが、与野党が山本太郎を懲罰動議にかける協議までしているのに、この問題にいっさい触れないのはやはりどうかと思いますね。捉え方によっては、「山本太郎、たった一人の反乱」という堂々たる記事ができると思うのだが‣‣‣。
 結局、新聞記事上は入管法改正案は立民と共産党などの反対はあったけれど、賛成多数で委員会を可決、9日には参院本会議でも可決、成立する、という型通りの進展になってしまう。山本太郎の体を張った抵抗は完全に無視され、彼の懲罰だけが問題になるわけで、今国会のいびつさはまったく知らされない。と言うより、山本太郎およびれいわ2議員の行動は単なる逸脱行動になってしまうわけです。

A 駅まで行って、朝日、読売、毎日、産経など各紙を購読してきましたが、大差ないですね。しかしツイッターなどインターネット上では、山本太郎への賛辞、激励、感謝などの声がむしろあふれています。ここに救いがありますね。少なくとも、社会全体の空気と国会、およびメディアのあり方がずいぶんずれていることを示しているとも言えるでしょう。
 山本太郎に「サルに謝りなさい」と言われた立憲民主の小西洋之議員がツイッターで山本太郎の懲罰動議に異議を唱えています。

B 貴君は殴り込みに出かける高倉健に「ご一緒、願います」と番傘をさしかけた池部良の心境のようですね(^o^)。僕は以前にも上げたガンジーの言葉を思い出しました。「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。それをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないためである」
 山本太郎は体を張ったけれど、国会ではそれこそ逆に「茶番」扱いされ、メディアも「太郎の義挙」に応えて立ち上がる気配がない。かつての全共闘時代、彼らのスローガンの1つは「連帯を求めて、孤立を恐れず」だった。山本太郎は国会での孤立を恐れず、国民との連帯を求めているわけです。心ある人びとが山本太郎に応える番ですね。

A メデイアが立ち上がらなくとも、国民は山本太郎に連帯すべきだと思いますね。彼は日本を救う漢(男子)です。国民の全員が池部良になれば日本は変えられる(^o^)。

B ガンジーと言えば、最近、AP通信社東京支局総支配人もつとめた我孫子和夫さんに聞いたのだけれど、ガンジーとAPとの関係は深いらしい。そのメールの一部を紹介させてもらうと、こうです。

 AP特派員だったジェームズ・ミルズはマハトマ・ガンジーが指導したインド独立運動を取材し、ガンジーを「狂信者あるいは奇人としてではなく、強く人を惹きつける特質を持った人間」として扱い、彼の信頼を得た。1932年1月に逮捕された時、ガンジーはミルズに向かい、「私は牢獄で死ぬかもしれない。そしてあなたに二度と会うことができないかもしれない。それ故、私の活動やインド国民会議の運動の進展を綿密に、そして公平に報じてくれたあなたとAP通信社に感謝したい」と伝えた。
 数か月後、深夜過ぎにガンジーが人里離れた駅で釈放された時、彼は闇の中を覗き込み、見覚えのある顔を見つけた。それはミルズだった。ガンジーはどうしようもないなといった表情で頭を振り、「思うに、私が来世へと旅たち、天国の門の前に立った時、最初に出会う人間はAP通信社の特派員だろう」とミルズに語った。

 この言葉はAPのマーケティング・パンフレットにも使われていたらしいけれど、山本太郎にはどこか求道者、ガンジーの面影もありますね。その山本太郎に寄り添い、後に彼から深い信頼の言葉をかけられるジャーナリストが日本にいることを望みたいです。

 

新サイバー閑話(87)<折々メール閑話>㉟

虐げられるれいわ新選組へのエール

B 櫛渕万里議員は6月1日の衆院本会議で10日間の登院停止という懲戒処分を受けました。2番目に重い処分で、衆議院議員の処分は16年ぶりとか。自民、公明、日本維新の会などの動議です。

A れいわ新選組の山本太郎、櫛渕万里、大石あき子の3代表は同日、記者会見を行い、この処分に強く抗議しました。櫛渕議員は「議会制民主主義そのものを茶番と言ったわけではない。かつて国会審議において野党が国会の玄関を封鎖するような行為までして法案を止めたこともあった。今回、予算審議において悪法が粛々と通っていくのに、そのことに真剣に立ち向かわない野党のあり方を含めて、国会全体が茶番だと言ったわけです」と自分の行動の真意をあらためて説明しました。
 山本太郎代表は、「品位のない自民党とあきらめの野党がこの国を壊してきた。それに対してもう一度やり直そうじゃないか、闘おうじゃないかということを提案した者に対して、このような懲罰は不当でしかない。逆に言えば今後、野党は闘いません、体など絶対に張りませんということを、今回の懲罰で示した。自分たちの手足を縛ったことになるわけだから、間抜けもいいところですね」と批判、最後にぽつりと「狂っているとしか思えない」とつぶやいていました。
 大石議員も「思い通りにならないからといって、やっていいことと悪いことがあるというふうに懲罰理由に書かれているんですよ。逆でしょう? 自分たちが思い通りにどんどん国民を苦しめていこうとしていて、れいわや心ある国会議員たちが、それに対して声を上げて、体を張って戦おうとしている。それに対して、自分たちの思い通りにならないからと、このような懲罰をすることはあり得ない」、「品性がないのは自民党、恥を知れ」(大石)などと激しく抗議の意を表明しました。国会の品位を汚しているのはどちらなのかと思いますね。

B 立憲民主党は、より軽い戒告動議を出したようですが、懲戒動議そのものには賛成していた。「野党第一党がなぜ他の野党を守らないのか」という声もあるけれど、野党第一党が立憲民主党である限り、こういう国会状況は続きますね。

A 櫛渕万里こそ真の国会議員です。彼女の出演するテレビ番組、「朝まで生テレビ」を見ていましたが、意気軒昂たるものがありました。大石さんは、ほんとに肝っ玉が坐っていますね。「もし悪法を身体を張って止められるなら、除名でも何でもやります」と、さらっと言ってましたが、戦慄が走りましたよ。かつて「府政のジャンヌダルク」と呼ばれていたことを思い出しました。みなさん、こんなことで萎縮することはないでしょうが、より一層の活躍を期待したいです。

B かつて山本太郎は「醜いアヒルの子」としての「白鳥の子」なんだと話したことがありますね。今は自民、公明、維新などのアヒルの子に嘴で突かれたり、足で蹴られたり、大いにいじめられていますが、時期が来れば成長して美しい白鳥になるんだと、あらためて大きなエールを送りたいです。

A 最近の政局を見ていても、岸田首相の息子の首相秘書官更迭があったり、維新の躍進で自公連立にさざ波が立ったり、立憲民主の依然としての危機感のなさが際立ったり、コップの中の嵐のようなごたごたが報じられています。コップの中と言えば、今は6月解散するかどうかの自民党内の駆け引きがすごいようです。
 その間に日本の将来に暗雲を生じかねないような問題法案がどんどん成立していきます。こんなことで日本はいいのか、と焦燥感にかられるのが当たり前なのに、そういうまともな議員を懲戒処分するんですからね。統一教会問題で逃げまくっている議長がよく、「櫛渕万里君を懲戒処分とします」なんて言えると思いますよ。

B テレビニュースでは連日、世界各地で洪水、干ばつ、山火事、地震と、同時多発的な災害がひっきりなしに起こっており、地球全体が悲鳴を上げているように見えます。コロナ禍も含めて、これらの天変地異は、経済活動ばかり考えて自然を酷使してきたことに対する自然の悲鳴と言っていいでしょう。
 少し前に、れいわの新党名として「れいわ新世党」はどうかと提案したこともありますが、最近、「人新世」の意味をあらためて考えています。
 実は、遺伝子学の権威で筑波大学名誉教授でもある村上和雄さんの『コロナの暗号 人間はどこまで生存可能か?』(幻冬舎、2021)という本が人新世に注目していました。以下はこの本の受け売りですが、人新世というのは、オゾン層の研究で1995年にノーベル化学賞を受賞したオランダの大気化学者、パウル・クルッツエン氏が提唱したもので、従来の時代区分では1万数千年まえから続く「ホロシーン(完新世)」が最新区分でしたが、彼はいまや「人類の経済活動が地質学的なレベルの影響を与えている時代」として「アントロポセン(人類の新しい世)」という新しい名を提唱したわけです。これを日本語では「人新世(ひとしんせい・じんしんせい)」と呼んでいます。「地球と人間の関係が、人間の営みの影響でそれ以前の時代とは大きく変わってしまった」というわけです。
 きわめてラフな地質年代の略図を示すと、 完新世は新生代第4紀に属し、更新世に続く年代です。クルッツエンはそこに人間活動の爆発的な影響力に注目して「人新世」を新たに加えた。第二次世界大戦後の1950年前後に始まったという捉え方が一般的のようですが、村上さんは「いままさに人類は、自らの手で自らを滅ぼす可能性に向かって突き進んでいるとしか思えない」と書いています。
 最近の天候異変、さらにはコロナ禍などを思い起こすと、この説が大いに納得できますね。それほど大きな人類史的テーマがいま私たちの目前に迫っており、日本も、世界とともに、そういう大問題に向かって叡智を結集すべきですが、国会はご覧のような体たらくということですね。そこで改めて思うのは、こういう時代を射程に収められるのはまさにれいわ新選組しかないということです(「れいわ新世党」を提唱する理由)。

A れいわに大いに頑張ってもらいたいと思いますが、それより、もっと多くの人が低次元のれいわいじめに加担することなく、次期衆院選でのれいわ躍進を求めてほしいです。

B 個人の寄金だけでなく、日本、さらには地球の将来を憂える企業や篤志家、IT起業家の支援も期待したいですね。
 話は突然、古い『三国志演義』の世界に飛びます。後漢末期に政情乱れ、黄巾の乱がし烈をきわめていたころ、劉備、関羽、張飛という3豪傑が後漢王朝の再興をめざして桃園で義兄弟の契りを結んだ。その直後に通りがかった旅商人が義挙に感じて馬、金銀、鉄をポンと寄付します。それで関羽はあの青龍偃月刀、張飛も大鋒を作り、500人ほどの義勇兵を集めたんですね。
 『三国志』の世界では、3という数字がいろいろ意味を持つ。魏、呉、蜀の「天下三分の計」もそうだけれど、三国志にあやかって言うと、れいわ新選組も3人の共同代表制です(^o^)。

新サイバー閑話(86)<折々メール閑話>㉞

れいわ2議員によって守られた国会の品位

B れいわ新選組の共同代表でもある櫛渕万里議員に対する懲罰動議が5月25日の衆院本会議で自民、立憲民主、日本維新の会、公明、国民民主各党の賛成多数で可決しました。櫛渕議員は、鈴木俊一財務相に対する不信任決議案採決が行われた18日の衆院本会議の投票時に、「与党も野党も茶番」などと書かれた紙を掲げたことで与野党双方から懲罰動議が出されていました。
 同じれいわ新選組の大石あき子議員も、12日の衆院本会議で塚田一郎財務金融委員長に対する解任決議案の採決が行われた際に、岸田文雄首相の写真に「NO!」のレッテルを張り、「もっと本気で闘う野党の復活を」と書いた紙を掲げたことで衆院議院運営委員会の理事会に呼ばれ、「秩序を乱す」行為だったとして厳重注意を受けています。
 今の大政翼賛的国会において岸田政権にはっきりとノーを突きつけている政党はれいわだけですね。そして、ふがいない他の野党に対して檄を飛ばしたわけですから、多勢に無勢、与野党歩調を合わせた懲罰動議にかけられてしまいました。しかしれいわ2議員の〝奮闘〟は今の国会のダメさ加減を浮き彫りにする「快挙」になったと思います。彼女たちのねらい通りでもあったわけですが、櫛渕議員が懲罰動議に対して行った「身上弁明」は、暴走する岸田政権への批判、真剣に闘わない野党への不満、れいわのあせりなどを開陳した名演説だったと思います。
 この動画はれいわ新選組や有志(たとえば「山本太郎を応援するべきと目覚めた者 トラジロ」などでアップされているので、ご覧いただくことをお勧めしますが、これを文字に起こして資料として保存しておくことにも意味があると考え、ここに全文を掲載することにしました。なるべく多くの人にご覧いただきたいと思います。メディアや国会議員の方にも、改めて。

A もう、腹が立って腹が立って仕方がないですね。議場で野次を飛ばす議員たちはよく恥ずかしくないなと思います。こんな連中を国費で養っていると思うと腸が煮えくり返る!とくに野党第一党の立憲民主党の方は熟読玩味してほしいです。それに引き換え、櫛渕万里議員の演説の見事さ!! れいわ新選組はまさに一騎当千です。

B 以前、戦前の国会における斎藤隆夫議員の反軍演説にふれたけれど、今回の櫛渕議員の演説はそれに匹敵すると思いますね。弾劾動議に対する「弁明」とは言うものの、堂々たるれいわおよび本人の「所信表明」演説であり、落ち着いて、はっきりした口調です。格調があると言ってもいいですね。

【櫛渕万里の弁明】

 私を懲罰委員会に付する動議につき身上弁明を行います。まず5月18日の壇上における行為について議場の皆様にお詫びをいたします。国権の最高機関である国会において言論の府として議会制民主主義の根幹を支える院の秩序とルール、これは本来尊重されるべきものであることに深く同意いたします。私としても考えに考え抜き、党の内部でも真摯な議論を重ねた結果、政治が暴走するその危機に対して、已むに已まれず今回の行動に至りました

・背中を押したのは憲法の前文

 最後の決断として背中を押したのは憲法の前文でした。国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。言うまでもありませんが、国会議員は国民の代表者としてこの議場に臨んでいます。国民の厳粛な信託に本当に応えているのか、国民は福利を享受できているのか、私たちは国会の中でも外でも常に国民のことを念頭に置いて行動しなければなりません。個人の尊厳や健康で文化的な最低限度の生活がすべての人びとに保障されるよう国会は機能しているでしょうか。平和主義を掲げた憲法の規範に沿って国会で徹底した議論が行われているのか、すべての国会議員は公務員として全体の奉仕者たりえているのか。今回もこのような自問自答を重ねました。先ほど述べました通り、院の秩序とルールは尊重されるべきものです。しかし国会における秩序とルールを守ることと国民の代表として求められている行動との間に大きな齟齬が生じた場合にどうすべきか、今回の私の悩みはすべての国会議員に共通するものではないでしょうか。
 
今から13年前の2010年5月12日、内閣委員会で国家公務員法改正案の採決が行われたとき、どうだったでしょうか。当時野党だった自民党議員が委員長席の周辺に詰めかけましたが、多くの方がプラカードを掲げておりました。中には、「天下り根絶をなぜやらない」というプラカードもありました。再び自民党政権となって10年以上たった今、元事務次官や現役の航空局長など国交省ぐるみで天下りを強要してきた疑惑があることを考えると、まことに興味深いものがあります。2015年7月15日、平和安全法制特別委員会はどうだったでしょうか。この時も野党だった民主党議員が「強硬採決反対」といった「プラカードを持って委員長席を取り囲みました。当時、委員室に無許可でプラカードを持ち込んだ人は今もこの議場にいらっしゃると思います。中には党の代表を務める方もいるかもしれません。あの時、議会の秩序とルールを守らなくていいのか、そういう葛藤を抱えながらもこんな法律は絶対に通してはいけない、何としても止めなければいけないと国民の代表として求められている姿の方を優先させた結果、委員長室での行動に至ったはずです。
 ここで胸に手をあてて考えてみてほしいのです。あの時ほどの熱い思いで、いま国民のために戦っているのか、と。もちろん国会は言論の府です。しかし委員会や本会議で反対を討論する正攻法だけでは、どうやっても止めることができない。そうした時にどうすればいいんでしょうか。選挙で勝って議席を増やし、与野党の議席が拮抗して抗えるようになるまではどんなに国民にとってひどい法律が作られてもしかたがないと諦めるしかないのでしょうか。岸田政権によって閣議決定で国の安全保障政策が大転換したり、東電福島第一原発の事故から12年しかたっていないのに、その教訓とした運転期間原則40年ルールを急に65年越えも可能としたり、国民のかけがのない健康保険証、これを廃止しマイナンバーカードに一本化したり、迫害の恐れのある外国人を強制送還することを可能とするなど、今ほど危機的な状況はありません。さらにこの間、防衛予算の大幅増の議論を進めるうえで、後期高齢者の医療保険料の負担を増やす法律が成立してしまいました。失業給付などに使われる雇用保険料の労働者負担を引き上げ、コロナの5類化を受けて、現在は無料としている検査や外来入院時の費用に患者負担を求めることも決まりました。そして政府はさらなる負担増として子育て支援財源を社会保険料の負担増で賄う見込みです。
 こうした状況に対して、れいわ新選組は委員会での質問はもちろんのこと、今年度の予算は組み替え動議も提出し、反対討論を行うなど徹底して議論で戦ってきました。限られた時間での質問は1分1秒を決して無駄にすることなく議論してきました。そのうえで、たった1人の小さな力でも諦めずに国民の生活を、命を守るために出来ることは何かと考え抜いて、已むに已まれず行動に及んだというのが今回の経緯です。

・とくに問題な防衛財源確保法案

 今とくに問題なのは防衛財源確保法案です。5年間で43兆円の防衛費増額を行うためのものであり、その使途はアメリカから言い値で大量の武器を買い、復興税の流用で被災地を無視した挙句、苦しんでいる国民に増税を押しつけ、日本を戦争経済でボロボロにさせる、絶対にやってはならないものです。また防衛産業基盤強化法案も論外です。これは単に国内防衛産業の衰退防止だけでなく、海外への武器輸出を国が支援する内容や戦後初の防衛産業の国有化を可能にする条項まで盛り込まれた、日本が複合的に軍需産業の促進に突き進む恐れのあるきわめて問題の大きい法案です。この国に生きる人びとの暮らしよりも日米防衛協力の強化にお金が流れ、防衛装備品の輸出の支援によって日本全体が戦争経済化していく、すなわち死の商人となりかねません。安保3文書によって平和国家としての日本のありようが180度変わり、専守防衛は脅威対抗型の安全保障戦略と形を変える。敵基地攻撃能力の保有を可能とし、日米一体化のもと、米国が始める戦争の最前線に沖縄が、日本が立たされることになります。そのときの壊滅的な被害を、今でさえ苦しむ国民の暮らしのことをわずかでも想像して、これら予算や法案の採決に臨んでいるのでしょうか。
 たしかにわが国の周辺の安全保障環境は厳しさを増しています。しかしそれに対して、武力には武力を、核兵器には核兵器をのごとく、防衛能力を拡大し、さらには核抑止の拡大や核シェアリングが進んでしまえば、日本を含む北東アジアが核軍拡競争の新たな火種の地域になりかねません。私は昨年ウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議に出席しました。そこに集まる国会議員会議でその懸念を伝えたところ、NATO加盟国の議員からは「日本で核共有の議論があるというが、核兵器がシェアされることはあり得ない。核保有国の兵器が押しつけられるだけで、押しつけられた側には何の権限も与えられない」という声がありました。そして会議声明では「核抑止と核シェアリングを安全保障政策として正当化する動きを深刻に懸念する」とする表明が出されています。また先日は超党派で構成される北東アジア非核兵器地帯条約を推進する国会議員連盟のソウル会議へ、先輩議員の先生方と参加し、韓国の国会議員と議論してきました。朝鮮半島でさらに高まる危機を共有し、今こそ、この北東アジアを核の傘から非核の傘にしていく努力が必要であるあることで一致し、地域に共通の安全保障の枠組みを作るその努力をしていこう、その必要性を確認しあいました。
 平和憲法と非核3原則、これを持ち、唯一の戦争被爆国である日本が、2度と戦争せず、国の確かな安全保障と地域の平和と安定に貢献できる道は何か。アメリカに追従するだけではなくて、時代の危機感を共有するすべての人と知恵と力を出し合い、もっと国会で真剣な議論を尽くし、国民の生命と尊厳を守るために私はあらゆる努力と行動をしていく決意です。そして今、何より政治がやらなければいけないことは、この国に生きる、今苦しんでいる人びとを救うことです。我が国は30年も賃金が上がらない、日本だけが経済成長していません。コロナになる前から生活が苦しいという人が54%、母子世帯では87%、また子どもの7人に1人が貧困と、G7ではアメリカについでワースト2です。さらに年金支給額がどんどん減らされた結果、年金だけで生活していると答えている高齢者は今や4分の1以下になってしまいました。その上にコロナと物価高でいわば三重苦と言える非常事態に国民生活は陥っているんです。実質賃金は12カ月連続でマイナス、昨年1年間に自ら命を絶った人たちは、全国で2万1881人。小中高生の子どもの自殺者は過去最多の人数を記録しました。これから夏が始まるのに、電気代が最大40%も高くなるなど、国民を熱中症で死なせてしまうのですか。秋にはインボイスでフリーランスや事業者に増税を課して廃業させてしまうのですか。少子化対策で社会保険料の負担増とすれば子どもはますます減っていくでしょう。そうなれば国家自滅の道です。
 またなぜ海外の輸入を守るために牛を殺し酪農家を離農させてしまうのですか。食糧自給率はたったの38%、余った乳製品を政府が買い取ってそれを生活の苦しい人びとに配る救済策を行えばいいではありませんか。食料も自国で確保できない政権に安全保障を語る資格があるのでしょうか。砲弾あるけど食糧がない、それは先の大戦の歴史の教訓ではありませんか。アメリカから武器を爆買いし、ミサイルや銃はそろえるけれど、国内に目を向ければ86歳のお年寄りがコンビニでおにぎり1個万引きして逮捕される‣‣‣、

 <ここで細田衆院議長から「身上弁明の範囲を超えていると思いますからご注意をお願いします」の発言。議場からはよく聞こえないが、いろいろヤジが飛んでいる。賛同する声は皆無か>

・健全な民主主義には闘う野党が不可欠

 このような状況は私はあまりにおかしすぎると思います。なぜ政府は防衛費倍増にすばやく財源を確保するのに、国民や酪農家を救うために財源を確保しないのでしょうか。なぜ原発推進のために大量の新たな国債を発行するのに、子どもたちのために、少子化を克服するために積極財政で人に投資をしないのでしょうか。やればすぐできるんです。本気になればやれるのです。それが岸田政権の財政運営で分かったのですから、徹底的に野党が一丸となってこの国に生きるすべての人びとの権利と生活を守るために戦おうじゃありませんか。それを国会の中でも外でも可視化できるように行動を起こそうじゃありませんか。そして日々の生活に追われ厳しい現場を必死に生き抜いている人たちと手を取り合い、政治を変えていく。これが民主主義ではありませんか。それをリードするのが国民に負託された国会議員の役割、国会の現場を知る議員の勤めであると信じて行動してきたのが、繰り返しますが、私の今回の行動の真意であります。私は今回のことを機に自分が最初に政治を志した時のことを思い出してみました。
 NPOで17年間、人道支援や平和構築の活動に携わり、友人にも血縁にも政治家のまったくいない環境で育った私が政治を志した理由、それは政治の力で命を救えるからです。戦争をさせない。貧困で苦しむ人に手を差し伸べる。環境破壊を止める、すなわち、すべての生きる力を支えることのできるのが政治である。そう信じて、この世界に飛び込みました。もう1つ、理由があります。世界80か国の言語を生きながら気づいたのは、日本が先進国でありながら、ほぼ一党の長期政権が続いて政権交代の文化がない。つまり健全な民主主義が機能していないということでした。そして独裁や軍事政権から民主政権を樹立した他国の人びとや成熟した民主主義が確立している国々の人びとと対話して気づくことがあります。それは闘う野党がなければ、民主主義は機能しないんだということです。今回G7サミットが開かれました。自由と民主主義の価値を共有するとしているG7の中で、政権交代の政治文化が定着していないのは日本だけです。選挙があれば民主主義なのではありません。民主主義の目的は政治が常に国民の手の中にあるということです。そして政治は常に国民のことを考えているという状況にあることです。選挙があるのに政権交代がないということは、選挙そのものが目的化、政治化していることであり、闘う野党の不在が民主主義を後退させ、この日本を衰退させてきたのではないでしょうか。歴史の大きな転換点に国民から負託を受けた国会議員として、私は改めて今一度、勇気を出して議員の皆さんに呼びかけます。闘う野党を復活させ、苦しんでいる国民の生活と命を救おうではありませんか。日本の民主主義を正常化させて政治の暴走を止めようではありませんか。闘う野党の復活、それ以外に政治の暴走、国家の衰退を止める手段はありません。
 最後にケネディ大統領の言葉を紹介します。われわれは真に勇気のある人間であったか。敵に対抗する勇気の他に、必要な場合は、自己の仲間に対しても抵抗するだけの勇気を持っていたか。私の壇上の行動になぜ連帯すべき野党まで批判したのか、と問われることがあります。しかし冒頭に述べた通り、国会議員は国民の厳粛な信託を受けています。真の連帯とは、単なる仲間意識によるものもではなく、国民の信託によって繋がるべきものであると考えます。ならば仲間である野党が国民の信頼―

 <ここで再び細田発言、「すでに相当の時間を経過しております。結論を急いでください」>

 に十分応えていないと判断した時には、仲間に対しては抵抗することこそ自己に与えられた役割ではないでしょうか。議会のルールや秩序も重要ですが、本当に応えるべき国民の信託であるとの意識を呼び覚まし、戦う野党の復活、そのことに少しでも繋がるものではないか、こうした考えに基づく行動でありました。以上、行き過ぎた面があった点は改めてお詫びするとともに、已むに已まれぬ行動であった、その真意をぜひともお汲み取りいただくことをお願いして私の身上弁明といたします。

【櫛渕万里の弁明・終】

B 15分強の堂々たる「櫛渕万里の弁明」でした。用意した原稿を読み上げているので、文章はほとんど直してありません。ただ演説時の言い間違えとか繰り返しなど数カ所に手を入れました。
 ところで大石あき子議員が議運委から注意を受けた後で話した動画もあるので、そのさわりも掲載しておきます。

 私もやりたくてやっているわけではありません。この国で生きる多くの人びとが苦しんでいる中で、防衛増税法案を出してくる、こういった憲法25条や9条を無視したような政権のやり方に対して、憲法を守るものとして議員の務めだと思っています。実力行使については過去盛んに行われているということです。立憲・共産は今回この防衛増税法案に断固反対と、何としても止めるとおっしゃっていましたが、もっと体を張って止めましょうとういう呼びかけでもありましたから、それに対して処分でお答えになったというのは大変残念だなと。私自体は一人の国会議員として国民の期待に応えるために、自分が何をしていけばいいのか、ということについては、本当にできることが小さいと。だからこの国会の与党も野党もどういうことをやっているのかということを可視化して、まず国民の皆さんにお見せするということが、私の最大限できることなのかなと思います。

A れいわの2女性議員はほんとにすばらしい。後に現在を振り返るとき、彼女たちこそ日本の国会の品位を守ったと評価されるのではないでしょうか。れいわという政党がなかったら、国会、日本はどうなっていたのかと思うと、ゾッとしますね。他の政党も、それと櫛渕演説を正面からは取り上げていないように見えるメディアも、もう少し発奮してほしいですね。

B 動画をアップしてくれたトラジロさんは、まだ20代の若者だと思うけれど、最後にこんなことを言っていました。「与党も野党もヤジがすごいですよね。国会がこんだけ腐ってるということで、もうどうしようもないな、と思いました。国民を救おうと言っている国会議員のことを笑っているのが意味がわからないですね。ジャイアンについていくスネオみたいな奴ばっかりなんですよね。なんか小学校みたいな感じ。大石さんにしても櫛渕さんにしても、こんなところで戦っているのかと思いました。出る杭は打たれるというか。でも負けんといてほしいですね。れいわ新選組が負けたら僕、もう政治なんかまったく興味なくなるだろうなって、思ってます。とにかく応援してるので、みんなも応援しましょう」。

 こういう若者がいるということは、やはり希望です。

新サイバー閑話(85)<折々メール閑話>㉝

踏みにじられた「広島」 (核廃絶)の心

A 5月下旬に行われたGセブン広島サミット(先進7か国首脳会議)は、大方の新聞論調とは違い、惨憺たる結果に終わったと思います。「広島」出身を売り物にして意欲満々で取り仕切った(?)岸田文雄首相だが、実際は、核廃絶の象徴「広島」への背信行為だったのではないでしょうか。れいわ新選組の山本太郎代表が支持者との集会で「残念な結果になった」と、おとなしい表現ながら、鋭い意見を述べていました。聞いていて、胸がスカッとしました。彼が総理になってからのサミットを観たい!

 ウクライナのゼレンスキーも来ましたが、ほんとは来てほしくなかったですね。来るならプーチンとセットで来いというか。平和都市広島において、今行われている戦争停止に向けてテーブルを作るということなら、たとえゼレンスキーは来たけれど、プーチンは来なかったということがあったとしても、日本という国がいまある戦争を止めようとして仲介を果たそうとしているメッセージを世界に届けられたはずなんですよ。しかしそういう場にしなかった。
 もちろん戦争をはじめたのはロシアだけれど、そうは言いながらも、殺し合いは止めなければならない。その止めるためのカードとして日本が仕事をする、広島サミットはそういう場にふさわしかったと思うけれど、そうはならなかった。逆に言えば、むしろあおりに出た。一方でアジア諸国は冷静に判断している。アメリカ、中国、どっちにつくのかというようなことやめろよ、アジアでそんな騒ぎ起こさないで、というようなアジア諸国に対して、日本だけがアメリカの尻馬に乗って、イケイケになっちゃってる。これはもうサミットをビジネスチャンスと考えていると捉えるしかない。
 ほんとに迷惑です。というのはね、Gセブンは終わるんですよ、残されるのは私たちじゃないですか。ここまで最大限、アジアの緊張を高めるようなことを、最後にゼレンスキーまで来て、この後、どうして話し合いしていくの。戦争は終わらせられないし、逆に言えば、さらなる火種というものが生まれかねない。ほんとに残念な集まりだったな、と思います。

B 前回の米タイム誌のインタビューもそうだけれど、岸田首相はアメリカの言いなりになって、日本の軍事大国化をめざしているけれど、これが戦後一貫して平和主義を掲げてきた日本への裏切りであることは明白ですね。問題は、岸田首相にそのことがほとんどわかっていないように思われることです。ふつうの神経なら、西側諸国一体になって軍備強化を進めようという思惑のもとに、戦後日本の平和主義の象徴である「広島」を利用するなどできないはずです。このノンシャランなところがまさに岸田流と言うべきか。「広島に謝りなさい」と言いたいですね。

A 「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」というのは、まったくの作文でしかない。これについては日本共産党の志位和夫委員長が「被爆地から核に固執する宣言は許しがたい」との談話を発表しています。要旨は、①「核兵器のない世界」を言葉では述べているが、それは「究極の目標」と位置づけられ、永久に先送りされている、②核兵器そのものが非人道的な兵器であるという批判や告発は一言もなく、核の効用を認める核抑止力論を公然と宣言している、③90を超える諸国が署名している核兵器禁止条約について一言の言及もない。まことに正論だと思います。

B メディアはおしなべてG7の成功をほめたたえていますね。いまさらとは言うものの、批判精神の欠如もここに極まれりという感じがします。もっとも、地元の中国新聞の社説(オンライン)はまっとうです。

・討議の成果としてまとめた核軍縮に関する「広島ビジョン」が、多くの原爆死没者が眠る広島の地名を関するにふさわしいとは思えない。
・ビジョンが核兵器禁止条約に触れていないことは許しがたい。
・われわれは条約への署名、批准を政府、国会に改めて迫る必要がある。少なくとも年内にある第2回締約国会議にはオブザーバー参加をするべきだ。

 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のメンバーは「核抑止論や核の傘で戦争をあおるような会議になって怒りを覚える。核兵器廃絶への希望を完全に打ち砕かれた」と述べたといい、東京新聞によると、サミットの拡大会合に参加したブラジルのルラ大統領は記者会見で、「バイデン大統領はロシアへの攻撃をけしかけている」と批判しつつ、「ウクライナ問題はロシアと敵対するG7の枠組ではなく、国連で議論すべきだ。グローバルサウスは和平を見出したいが、ノースはそれを実現しようとしない」と非難したようです。

・松岡洋右にも学ぶべき点がある

A なぜ岸田首相は主催国議長として、Gセブンを広島で開催するにふさわしいものにすることができないんでしょうね。たまたま総理になっただけの人物が何の信念も無く、ただただアメリカの言いなりになって、高揚している怖さを感じます。日本は本当に危険な状態だと思わざるを得ません。

B 真の同盟、あるいは友好関係を築こうとするなら、お互いの立場を認めつつも、言うべきことを言う態度が必要だと思いますが、戦後の日本外交は、からっきしだらしがない。
 戦犯として有罪になった悪名高き元外相、松岡洋右に関する興味深いエピソードがウイキペディアに紹介されています。敗戦後のある日、出入りしていた新聞記者が「アメリカ人はどういう人間か」と聞くと、彼は以下のように答えたと言います。

 野中に一本道があるとする。人一人、やっと通れる細い道だ。君がこっちから歩いて行くと、アメリカ人が向こうから歩いてくる。野原の真ん中で、君達は鉢合わせだ。こっちも退かない。むこうも退かない。そうやってしばらく、互いに睨み逢っているうちに、しびれを切らしたアメリカ人は、拳骨を固めてポカンときみの横っつらを殴ってくるよ。さあ、そのとき、ハッと思って頭を下げて横に退いて相手を通して見給え。この次からは、そんな道で出会えば、彼は必ずものもいわずに殴ってくる。それが一番効果的な解決手段だと思う訳だ。しかし、その一回目に、君がヘコタレないで、何くそッと相手を殴り返してやるのだ。するとアメリカ人はビックリして君を見直すんだ。コイツは、ちょっとやれる奴だ、という訳だな。そしてそれからは無二の親友になれるチャンスがでてくる。(出典は三好徹『松岡洋右-夕陽と怒濤』学陽書房)。

A 戦後の日本外交はほとんど殴られっぱなしだった。

B もうひとつエピソードを紹介しておきましょう。
 松田武『自発的隷従の日米関係史』(岩波書店、2022)という本に「スマート・ヤンキー・トリック」という言葉が紹介されています。南北戦争時にも使用され、第26代大統領、セオドア・ルーズベルトの行動を説明するときにも用いられたと言いますが、その意味はこうです。「ある国が相手国から何かを得たい、手に入れたいと思う時には、まず相手国にその旨を伝え、外交手段や時には力づくで欲しいものを手に入れていくというのが常道」だが、「『スマート・ヤンキー・トリック』の場合は、あらゆる手管を使って根回しをし、最終的には相手国から差し出される、場合によっては懇願されるという形で、欲しいものを相手国から手に入れるという方法である」。
 こういう手法は日常生活のレベルでは、とくに男女関係においては、よくあることだと思いますが(^o^)、これがアメリカ外交の基本に組み込まれていたと言うんですね。自発的隷従は日本の卑屈な態度の結果だと思ってきたのだが、そしてそれはその通りでもあると思うけれど、そこにはアメリカの巧妙な外交戦略があった、と。

A ゼレンスキー大統領の突然の登場で、今回のGセブンの思惑がかえって鮮明になりました。SABEJIMA TIMESが、これを画策したのはバイデン陣営ではないかと推測していましたが、サミットを奇禍としてウクライナにF16戦闘機を供与する道も開かれたようです。広島サミットは平和を追求するよりも、西側陣営の軍事的結束を強めるデモンストレーションだったように思えます。

B それにしてもメディアの扱いはひどいですね。戦前の戦争賛美の論調そのものではないですか。国民もそれにあおられて岸田内閣の支持率が上がったりしているわけですね。

新サイバー閑話(84)<折々メール閑話>㉜

米誌タイムの「慧眼」とれいわ新選組の「本気

A 岸田文雄首相は5月19日から地元広島で開かれるG7サミットに意欲満々なようですが、米誌タイムの5月22・29日号がその岸田首相を表紙に取り上げ、「日本の選択」というキャッチのもとに「岸田首相は数十年にわたる平和主義を放棄し、日本を真の軍事大国にしたいと望んでいる。Prime Minister  Fumiko Kishida wants to abandon decades of pacifism ‐and make his country a true military power」と紹介しました。
 記事は、「世界第3位の経済大国を、それに見合うだけの軍事的影響力のある大国に戻そうとしている」としつつ、日本の防衛力の増強が地域の安全保障状況を悪化させかねないとか、「核兵器のない世界」を目指すとする岸田氏の理念と相いれないのでは、などの意見も紹介しています。
 この記事がオンライン版で紹介されると、政府は「記事内容と見出しに乖離がある」などと反発、オンライン版は「平和主義だった日本に、国際舞台でより積極的な役割を与えようとしている。Prime minister Fumio Kishida is giving a once  pacifist Japan a more assertive role on the global stage」と変更されました。タイム本誌の表紙タイトルは変えようがないと思いますが‣‣‣。

B 日本の最近の動向をすなおに見ると「慧眼」と言うか、当然、そのように受け取られるタイトルだったと思いますね。それに政府が反発し、メディアも政府が見出しに異議を伝えた部分を強調して記事にしています。「退却」を「転進」と言い換えた戦前の発想を思い出させられるし、メディアの追随はまさに大政翼賛的でもあります。

A 「赤旗」はきちんと報道していましたね。大政翼賛的と言えば、国会がまさにそうですね。日本の針路を平和主義から軍事大国へ大きく変えようとする問題法案が次々衆院を通過、これから参院で審議入りします。健康保険法改正案は5月12日の参院で通過、すでに成立しました。防衛財源確保法案は現在、衆院財務金融委員会で審議中で、日本共産党と立憲民主党が委員長解任動議を出して抵抗していますが、いずれ委員会を通過、衆議院も通過すると見られています。
 こんな型通りの抵抗ではどうしようもないと思っていた矢先、れいわ新選組の大石あき子議員が、衆院本会議場でその野党の態度に異議を唱えました。「大量の売国棄民法案を廃案にするためにもっと本気で戦う野党の復活を」(写真)と訴えたわけです。
 れいわ新選組は同日、<「闘わない野党」への檄(げき)– 財務金融委員長解任決議案の否決を受けて>とする声明を発表、山田太郎代表と大石あき子共同代表が記者会見もしました。

・「ちょっとは闘いました」アピールの野党ではダメ

 れいわも委員長解任動議には賛成したようですが、こんな形式的な反対では法案を廃案に追い込めるとは思えない、もっと本気の抵抗が必要だという強い決意が表明されたわけですね。
 声明のさわりを採録しておきます。

 ・委員会や本会議で反対を延べる一般的な手法では、どうやっても(法案を)止められない。与党や太鼓持ちの衛星政党まで合わせれば圧倒的多数となるため、入り口に立ってしまえば(委員会の法案審査などが始まれば)、出口(委員会・本会議での採決)が見えることになる。会期延長まで視野に入れれば、全て法案は成立してしまう。
 ・現在の与野党のパワーバランスでは、正攻法では太刀打ちできない。選挙で勝って議席を増やし、与野党の議席を拮抗させてあらがえるようになるまでは、どれだけ酷い法律が作られても仕方がない、とあきらめるのか。私たちは、そのような政治家のメンタリティや永田町仕草が、日本をここまで破壊に導いたと考える。「ちょっとは闘いました」アピールの野党では、悪法の増産は止められない。話にならない。
 ・数が足りないなら身体をはって徹底的にあらがい、法案の審議入りを遅らせる。採決を阻止するための戦術を重層的に展開し、国会を不正常化させてでも、悪法の中身をメディアが世間に説明をしなければならない状態を作り出し、法案の廃案を国会の外の世論に対してうったえる。そんな、野党のゲリラ戦法が必要だ。
・1人であらがってバカだ、意味がない、と思う人もいるだろう。私たちも人の子。できればこのような行動は、やりたくないのが本音だ。けれども、与野党茶番の中、粛々と破滅に向かう状況で、最後まであきらめずにあらがう議員がたった1人でも存在することが重要であり、それが人々から託された議員の使命でもある。
・現在、日本の壊国に全力で取り組む政権のねらいを国民に提供するメディアは数少ない。一方、現在の日本が邁進する姿をシンプルに伝えているのが、海外のメディアである。

B 必死で戦おうとしているれいわには大きな拍手を送りたいし、我々としてもその危機感を共有すべきだと思います。問題法案とその審議状況を同声明から引用して表にすると以下の通りです。

A 声明の最後は悲壮感が漂っていますね。<今からでも遅くない。「闘う野党」の再生を私たちは国会の内外に向けてうったえる。れいわ新選組は、仮にそのような決意を野党第一党が新たにするのであれば、その戦線の一角に喜んで参加し、自公政権(そして維新、国民民主党)などの主導する大政翼賛会化を食い止めるために闘う>。

B それにしても現在、野党第一党の立憲民主党は何とかならないですかねえ。統一選挙で惨敗し、いま衆院を解散されて選挙になれば、日本維新の会が躍進、立憲は野党第一党の座から滑り落ちるのは火を見るよりも明らかですが、泉健太代表は何の対策も講じず、「次期衆院選で議席が150議席を割ったら辞任する」などと言っています。次期衆院選後の辞任は決まったとは言うものの、問題は今何をするかで、今こそ辞任すべき時だと思いますね。

A ユーチューブの動画「一月万冊」で佐藤章さんが岸田政権への舌鋒鋭い批判をしていますが、何よりもキツイと思ったのは、「国民が選挙で自民党を選んでいる結果なのだからしようがない」というコメントでした。

・今の政治家から消えた「ハマのドン」の男気

B 話は変わりますが、横浜の映画館、ジャック/ベティで『ハマのドン』と『妖怪の孫』を同時に見てきました。

A 2本同時に鑑賞できるとは羨ましい。文化の地域格差ですね~。「妖怪の孫」は6月20日に伊勢の新冨座でやっと観ることが出来ますが、「ハマのドン」は大阪まで出かけないと観られません。東海地区での上映館は皆無ですよ。

B なるほど。羨ましがらせるわけでは、もちろんあるが(^o^)、ちょっと紹介しましょう。『ハマのドン』は横浜へのカジノ誘致に反対して市民とも連携、最終的に本懐を遂げた横浜港湾界のボス、「ハマのドン」藤木幸夫さん(91)のドキュメントです。
 保守政界のドンでもあり、古くからの自民党員、菅義偉首相の育ての親的な存在でもあったようですが、港湾の仲間たちをカジノの犠牲にしてはいけないと反対運動に立ち上がり、推進を強行しようとした菅首相とも全面対決、2022年の横浜市長選で市民運動家たちが擁立した山中竹春横浜市大医学部教授の圧倒的勝利でついにカジノ誘致を中止させました。
 古き良き保守政治家の典型のような人で、人間的にも魅力に富み、しかも「亡き父や港湾の仲間が私にカジノ反対を叫ばせているのではないかと思うときがある」、「人生の引き際をきれいにしたいという思いもあった。これで世を去った先輩たちに顔向けができる」などと語る藤木さんの言葉は多くの人の心を打つでしょう。
 監督はテレビ朝日の報道ステーション・プロデューサーだった松原文枝さん。藤木さんの男気に共鳴してアメリカ在住のカジノ設計家、村尾武洋さんが助太刀として来浜するなど、ドラマチックな展開も描かれています。藤木さんという存在がなければ、時の最高権力、菅首相が保守候補としてカジノ反対を封印してまで押した小此木八郎候補を破ることはできなかったでしょう。同時にこの記録は、立派なリーダーを持てば市民の力を結集して時の政権に対抗、政策を覆せることができるという実例でもありますね。藤木さんは貴君にとっては早稲田の先輩ですよ。
 藤木さんは「戦前と同じような自由にものを言えない世になっている」と述べていましたが、勝利後に自民党の古い仲間から「あなたが最後は妥協してカジノ賛成に回ってくれると思っていたんだが、最後まで態度を変えないんで困ったよ。菅さんに顔向けできない」などと言われて、にこやかに笑いつつ、「今の自民党は悪すぎる」と言っていました。終焉後、観客から自然に拍手が起こったのも印象的でした。

・安倍元首相の存在のあまりの軽さ

 『妖怪の孫』は岸信介元首相の孫、安倍晋三元首相のやはりドキュメントですが、藤木さんのどっしりした存在感に比べると、安倍元首相のいかに薄っぺらなことか。彼はアベノミクスに対して、「やってる感だけだせればいいんだ」と、もはや驚くこともないけれど、これが首相の言かと思うようなことを平気で言っていました。
 番組に協力している古賀茂明さんの司会で霞が関の若手官僚が覆面インタビューに応じており、「今の霞が関は官邸に完全に支配されている」、「入省するまでに勉強した法律の知識と180度違うことが進められているので戸惑ってしまう」などと言い、メディアに関しての古賀さんの質問に、「かつてはネタを提供して記事にしてもらうということもあったが、いまはネタを提供して、たとえ記者が書こうとしても上から潰される」、「記者の方と話した内容が上司に筒抜けになったりするので、マスコミは怖くて話もできない」と語っているのは衝撃的でした。ナレーションに「野党とメディアの機能不全」という言葉がありましたが、まったく日本の重苦しい現状を告発する映画でした。

 A 映画の観客から拍手が起こるのは昨今、あまりないことでは? 健さんが全盛期には観客からかけ声が飛びましたけど(^o^)。それだけ岸、安倍、岸田現政権に対するマグマが溜まっているのかも。
 藤木さんには以前からその男気、人間的魅力に大変惹かれていました。まさに早稲田的ですね! 日本凋落の元凶、アベと比較するも愚かですよね~。タイプはちょっと違いますが、山本太郎にはその素質が充分にあると思いますね。
 松原文枝さんもテレ朝で冷遇されていても全然めげずにこういう作品を製作する。男勝りですね~。それにしても古賀さんのインタビューに答える霞が関官僚の言葉には慄然とします。志を持った、反骨の官僚はいないものですかね。平野貞夫さんの「3ジジ放談」での言葉、「政治家も悪いが官僚も悪い」を思い出しました。

 残念ながら、多くのマスコミもね。三すくみの中で頑張っているのはれいわだけです。多くの人びとがれいわの危機感を自らのものとして、ともに戦ってくれるのを期待したいです。

新サイバー閑話(83)<折々メール閑話>㉛

76年目の憲法記念日に想う日本の針路

 A 今年のゴールデンウィークはコロナ禍がひと段落したせいか、ずいぶんにぎわったようですね。先日、ビデオニュースドットコムの冒頭で神保哲生さんが「ゴールデンウィーク前に様々な悪法が成立してしまったわけですが、国民はそれどころじゃないみたいですね」と皮肉まじりに言っていました。フランスではメーデーに230万人が参加し、年金・公教育を守れと訴えたそうで、内田樹さんの「パワークラシー」という言葉も思い出しました。
 これからの国会も問題法案が目白押しです。前回にも話題にした原発の稼働延長をめざすGX脱炭素電源法案やマイナンバー法案はすでに衆院を通過し、参院での審議が本格化しますし、入国難民法改正案はこれから衆院本会議で取り上げらる予定です。国内軍需産業を強化するための軍需産業支援法案、防衛力強化資金の創設などを盛り込んだ軍拡財源法案など、名前を聞いただけでも、おどろおどろしい法案が続々審議入り、大政翼賛会政治で国会を通過しようとしています。まさに危機的状況で、今の政治家たちは先の大戦から何も学んでいないように思えます。歴史から学ばない国は滅びますね。

B いずれも岸田内閣が昨年末に閣議決定した安保関連3文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画)に基づくものです。そこでは、いわゆる敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有や、防衛費の大幅増を明記しており、岸田首相自身、これは「戦後民主主義の大転換」だと言っています。
 その背景にはウクライナ戦争、中国の台頭、北朝鮮の挑発行動など、世界情勢がきわめて不安定になっている状況があり、武器の性能向上で、敵がミサイルを撃ち込む前に敵基地をたたくのもやむを得ないという考えが強く反映しています。
 国際情勢が緊迫しているのは確かですが、それを武力によって防衛しようという考えが、日本国憲法の平和主義や国際連合憲章に違反するのは明らかです。憲法9条は「武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、これを永久に放棄する」と謳い、国際連合憲章2条は「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力による行使は、いかなる国の領土又は政治的独立に対するものも、また国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と宣言しているわけです。
 両者の文言がよく似ているのは、第二次世界大戦終了直後の「もう戦争はコリゴリだ」、「これからは国際連合を中心に平和な世界を築いていこう」という世界の人びとの夢が託されていたからです。その平和希求の思いが、戦争の記憶の風化とともに、国際的に希薄になっていますが、その中で日本はアメリカ戦略に追随しながら、同じ軍拡の道を歩んでいこうとしているわけです。
 唯一の被爆国として、いまこそ憲法の平和主義を高く掲げて、むしろ世界をリードしていくべきではないかと思うけれど、事態はまるで逆行しており、それを岸田首相は「戦後民主主義の大転換だ」とむしろ前進だと強弁しているわけです。ここに現代日本の由々しき問題があると思いますね。
 しかもその大転換が国会での審議も十分行われずに進められているのが大問題です。前回もふれたけれど、国会そのものが国民の半数と無縁な状態で、その国会における審議すら十分に行われていない事態です。

・前川喜平さんの講演をユーチューブで見る

A 今年は憲法施行76年。平和憲法の精神から、ずいぶん遠くへ来たものです。報道によれば、5月3日の憲法記念日の護憲派集会に東京・江東区の有明防災公園で2万5000人が参加したようで、自分も参加したかったと、80年の人生で初めて思いました。

B 数年前、横浜で開かれた集会に参加したことがあるけれど、当時は作家の大江健三郎さんが激しい安倍首相批判をしていました。彼も今は亡く、坂本龍一さんも他界と、平和主義陣営にも一抹の寂しさを感じる状況です。

A 元文部科学省次官の前川喜平さんが4月29日に高知県の「県民の集い」で講演した内容がユーチューブにアップされています。前半は森友、加計、統一教会について語っていますが、時に当事者でもあったわけで、この人ならではの分析は興味深いものでした。森友問題での文書改竄は菅官房長官が主導し、それを受けて財務省の佐川宣寿理財局長が行ったもので、菅官房長官はもちろん安倍首相にこのことを報告、たぶん「恩を売った」のではないか、と言っていました。
 統一教会問題では、関係が疑われた自民党議員も先の統一地方選挙ではほとんど影響を受けなかったけれど、統一教会は自民党に選挙協力しつつ、①解散命令を出さない、②刑事事件で捕まえない、③自分たちの政策を自民党の政策として実現する、などをずっと要求してきたようですね。安倍政権下の文科相は1人を除いてすべて安倍派(下村、萩生田など)で、岸田政権はいま統一教会に対して質問権を行使しているけれど、岸田首相は統一教会に解散命令は出さないだろうと予想していました。「出さないとは言わないけれど、出すための行動はとらず、国民が忘れてくれるのを待っているのだ」と。

B 講演会のタイトルは「戦争を回避する道すじ 武力で平和は守れない」だったけれど、政権の政策は憲法条文を変えることだけが関心事で、現実的な改憲は閣議決定による解釈改憲でどんどん進めてしまっているわけです。その山場がただいま現在なのだということですね。
 武器輸出3原則は、基本的に武器(兵器)の輸出や国際共同開発を認めず、必要のたびに例外規定を設けて運用する内容だったのを防衛装備移転3原則として、武器の輸出入を基本的に認め、その上で禁止する場合を規定するように逆転しました。アメリカ並みとは言えないまでも産軍複合体を作ろうとしており、最近の学術会議会員任命拒否は、そこに大学、研究機関も含めた産軍学複合体を作ろうという、まったく戦前の動きに回帰しようとしているわけです。

A 前川さんは、現在の憲法問題を深く、かつ分かりやすく話してくれる第一人者ですね。多くのことを教えられ、つくづく憲法を守る日本の知性だと思いました。話も分かりやすく、ユーモアを交えた話し方も上手いし、滑舌もいい。1時間40分ありますが、全然飽きさせない。バランス感覚に優れた当代有数の論客だと思います。れいわから立候補してもらいたいが、本人は政治家には絶対にならないと断言していますから無理ですね(^o^)。

B 日本も世界も、国際連合憲章などすっかり忘れて平和を追求する意欲がなくなっているようにみえますが、唯一の被爆国であり、平和憲法をもつ日本がこれでいいのか。いずれ近く改憲発議が行われることが予想される今こそ、憲法はいかにあるべきかをみんなで考え直すチャンスだと思います。
 これは恒例だが、憲法記念日に各党が談話を発表しますが、その中でれいわ新選組、山本太郎談話がやはり出色でした。

▽れいわ新選組(山本太郎代表談話)コンスタントに憲法審査会を開こうとする多数派の思惑は改憲へと進めるためだ。国家権力の暴走を止める鎖である最高法規、憲法を、最高権力者である国民が為政者たちから守る局面に来ている。今ある憲法を守れ。話はそれからだ。

 今の違憲状態をまず改善すべきだというのは正論ですね。いつまでも今の憲法条文を維持すべきだとは思わず、むしろ時代にあわせて変えていくのがいいと思っているのだけれど、ではどういう憲法にするのか。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という柱はしっかり引継ぎ、その上にアップデートしていくべきで、そういう憲法理念がまっとうに議論されていないですね。山本太郎が言うように、改憲に向けて審議したというアリバイ作りに使われているように思われます。
 実は5年前、安倍政権によって集団的自衛権を認める閣議決定がされ、その後に安保関連法が成立したのを受け、当サイバー燈台のプロジェクト欄でジャーナリストの森治郎さんに「日本国憲法の今」という連載をしていただき、そのときに付録として<この際の憲法読書案内>を掲載しました。30点以上あります。今でも十分通用する内容なので、興味のある方はその中の何冊かを読んでいただければ‣‣‣。
 サイバー燈台→プロジェクト欄→森治郎「日本国憲法の今」→【この際の憲法読書案内】

・れいわの党名について

A れいわ新選組は統一地方選でも擁立候補の半数以上が当選するなど、少しずつ躍進しており、共同通信の世論調査ではれいわ支持率が3%を上回りました。
 内訳は、自民39.4 、立憲7.6 、維新12.2、公明3.4、共産3.8、国民民主2.0、れいわ3.2、社民1.1、政治家女子0.5、参政党1.2、無党派層23.4。維新が伸びて、立憲は下落、公明は案外低い。そのなかでれいわ3.2%は上り調子を感じさせます。
 ところで、政権を取るには名前を変えた方がいいという意見がありますね。れいわ新選組というのは、山本太郎が一人で政党を立ち上げる時に名乗ったそれこそエッジの利いた先鋭な名前です。それを変える必要はあまり感じないのだけれど‣‣‣。

B その必要を今は感じないけれど、将来的には必ず議論になることだと思います。それを見越して、おせっかい的な意見を述べると、僕の考えはこうです。
 まず、政権を取るために、それにふさわしい名にした方が支持が広がるという甘言に惑わされないことが大事です。改名と同時に「いつまでも山本太郎商店ではダメだ」という意見も聞きますが、それには「山本太郎商店で何が悪い」、「山本太郎の精神を薄めることはれいわをむしろ殺す」と反論したいですね。映画『ゴッドファーザー』ではないけれど、ビトー・コルレオーネが死ぬ直前、息子のマイケルに「俺が死ねば必ず他のボスとの和解話を持ってくる奴がいる。それが裏切り者だ」と言いますね。親切ごかしの提案には注意が必要です。鳩山由紀夫氏や佐藤章氏の善意を疑うわけではないけれど。甘言には得てしてれいわを潰そうとする敵が入り込んでくる可能性がある。

A 山本太郎が警戒しているのは、そういうことだと思いますね。

B それはそれとして、新党名に1つのアイデアがあります。「れいわ新世党」というのはどうですか。新生党ではありませんよ。新世という言葉は、少なくとも『広辞苑』(第6版)には載っていません。比較的最近唱えられた地質学上の新しい年代区分です。
 ウィキペディアの人新世に関する解説は以下の通りです。

人新世(じんしんせい、ひとしんせい、英: Anthropocene)とは、人類が地球の地質や生態系に与えた影響に注目して提案されている地質時代における現代を含む区分である。人新世の特徴は、地球温暖化などの気候変動(気候危機)、大量絶滅による生物多様性の喪失、人工物質の増大、化石燃料の燃焼や核実験による堆積物の変化などがあり、人類の活動が原因とされる。

 経済学者の斎藤幸平が『人新世の「資本論」』(集英社新書)を書き、ベストセラーになったので有名にもなりました。地質時代をおもな生物種族の生存期間に基づいて区分、普通は動物の進化が規準にされ、古いほうから順に、始生代、原生代、古生代、中生代、新生代と続くけれど、その最近区分として「人新世」を加えようという、地球45億年の歴史を背景に持つ壮大な考え方です。
 新世=新世紀、新世界、新世直し。新しい時代を切り開こうという、れいわにふさわしい名前だと思いませんか。れいわ新選組と語感は似ているし、略称は今まで通り「れいわ」。今は改名問題に深入りしない方がいいとも思いますが、他党に取られないように唾をつけておいた方がいいのではないかとも(^o^)。

新サイバー閑話(82)

生成型AI、ChatGPTとサイバー空間の歪み

 生成型AIを名乗るChatGPTの話題が絶えない。

 私がChatGPTのことを知ったのは、主宰するZoomサロンのOnline塾DOORSでメンバーの「情報通信講釈師」唐澤豊さんに報告を聞いたときである。今年(2023年)2月13日開催の第54回で、サイバー燈台の報告に「昨年暮れ、彼から『緊急事態発生』とのメールをいただいた。11月に公開したばかりのAI(人工知能)サービス、ChatGPT(チャットジーピーティー)をめぐって、グーグルのサンダー・ピチャイCEOがコード・レッド(緊急事態)を宣言、即座に経営方針を変更したというニュースを受けてのことだった」と書いている。

 その直後から朝日新聞など各種メディアでも盛んに取り上げるようになり、その後もChatGPTやAIをめぐる報道が引きも切らない。ChatGPTの開発元、OpenAIに投資しているマイクロソフトはChatGPTを組み込んだ検索エンジンやブラウザーを実用化することを発表、グーグルも自社で対抗して開発した対話型AI、Bardの検索エンジンへの追加を予定しているという。

 その間、唐澤さんから寄せられた最新情報は、目を見張るものだった。

・「情報通信講釈師」の最新情報と『探見』の実験

 いわく、ChatGPTを使ってコンピュータ・プログラムを「COBOL から Java にマイグレーション(移行)」できたとの報告があった。唐澤さんは「ソフト業界ではCOBOLという大型計算機時代に使われたソフトを使える技術者が高齢化して退職してしまい困っている、という話があったのですが、最近使われているメジャーなソフトに移行することが簡単にできるというのは、ソフト業界には朗報でしょうが、ソフトウェアの初級技術者には辛い状況かも知れません」と書いていた。

 いわく、「AIとチャット後に自殺」という事件が毎日新聞の有料記事にあった。ベルギーで30代の男性がチャットボット(ChatGPTと同じような自動会話システム)との対話にのめり込んでいるうちにやんわりと自殺に誘導されたらしい。唐澤さんのコメントは「オープンAIは倫理規定をきちんと策定しているということですが、オタク相手のサービスを開発・提供しているような企業は、倫理観などそっちのけで、面白ければ・利用者が増えればいい、といったことで、こうしたサービスを開発・提供している可能性はあるでしょうね。これでEUは規制強化の方向になりそうな感じがします」とあった。
 ちなみに、私にはこの対話システムがイライザと名乗っていたのが興味深かった。「イライザ」というのは、AI黎明期にアメリカのコンピュータ科学者、ジョセフ・ワイゼンバウムが自分の対話プログラムにつけた名前で、彼はプログラムの被験者が、コンピュータと深い感情的交流を持ち、人間と同等に扱いたがるようになったり、一部の精神治療医がコンピュータによる自動診断をめざしたりし始めたことにショックを受けたらしい。そのため『コンピュータ・パワー』(1976)という本を書き、「人間と機械の間には差があること、コンピュータに出来ることでもコンピュータにさせてはいけないことがある」ことを警告した。ワイゼンバウムが生きていたら、「それ見たことか」と言うかとも思うが、現在のAIがワイゼンバウムの想像をはるかに超えた能力を持ち、現代人がもはやコンピュータ抜きで生きていけないのも確かである。ノーベル物理学賞を受賞したロジャー・ペンローズが当時から言っていたように、物質と意識の関係はもっと親密なようでもある。

 さらに唐澤さんいわく、ダイヤモンドオンラインに「ChatGPTは世界を根底から変えるが、日本は開発の遅れで12兆円もの経済損失が生じる恐れがある」という記事が出ている、などなど。

 やはりOnline塾DOORSのメンバーで、ミニコミ誌『探見』を主宰している森治郎さんもChatGPTに大きな関心を持ち、そのオンライン会議にも唐澤さんを呼んで話を聞いたが、その後、会員にChatGPTに実際に質問をしてもらい、その結果を『探見』誌上で詳細に報告している。タイトルは<使って分かる欠陥・欠点 「ウソ」をつく癖がある>という堂々13ページの特集である。
 ChatGPTに何を聞くとどんなふうに答えてくれるか、「俳句と川柳の違い」、「プロ野球史上最高の投手10人」、「相対性理論とは?」など多岐にわたる質問が繰り出され、ChatGPTの回答とその評価が試みられている。商用週刊誌の立派な特集になる内容である。ちなみに投手の中に長嶋茂雄の名前が上がり、ユーザーが再質問すると、「申し訳ありません。長嶋茂雄に関する情報は誤りでした」と素直に訂正した例も報告されている。自分について質問したら、すでに死亡していると言われた人もいる。

 私の身の回りだけでも、これだけの波紋を広げているのである。世の騒ぎようも押して知るべしだろう。

・サイバー空間に蓄えられた情報の知恵と制約

 私がIT社会を生きるための基本素養として「サイバーリテラシー」を提唱して、すでに20年以上になる。インターネットの出現で成立したIT社会を、サイバー空間と現実世界の相互交流する社会ととらえ、これからのIT社会をより豊かなものにする知恵をさぐってきた。

 最近は、これもOnline塾DOORSで唐澤さんに報告してもらったメタバースを始めDX(デジタル・トランスフォーメーション)など、サイバー空間を新たに再構築しようとする試みが飛躍的に進み、いまやサイバー空間と現実世界の切れ目はほとんどなくなった。そこへサイバー空間に蓄えられた情報をうまく統合整理してそれなりの回答を提供してくれる強力な武器が現れた、というのが私のChatGPTに対する感想だった。
 つい最近までサイバー空間は、ユーザーの関心がある、あるいはユーザー好みの情報を彼らの履歴を参考に自動的に選んで提供してくれるから、人びとは知らない間に自分好みの情報だけに取り囲まれて、結果的に社会は分断される(イーライ・パリサーのフィルター・バブル、『閉じこもるインターネット』2012、早川書房)と言われていたのである。もちろん今もその傾向は拡大しているが、一方で、ChatGPTは誰が質問しても同じような回答を返してくる。これも「今のところ」と制約をつけるべきかもしれないが、ともかく当面は私が質問しようと、他の人が質問しようと、質問が同じならば回答も同じではないかと思われる(もっとも、同じ質問でも条件を付けると回答が変わるし、同趣旨の質問でも、ちょっと表現が異なると答え方も変わってくる。利用する心構えとしては、よい質問をすることが重要になってくる)。

 さて、ChatGPTが普及し、多くの企業や役所がChatGPTを使うようになれば、社会は分断されるより統合されるのだろうか。かつて新聞の機能として「社会を束ねる」ことが言われた。これからはChatGPTが社会を束ねるのだろうか。実際にはそうはならないと思うが、もしそうなったとしても、問題はもっと深いところにあるように思われる。

 ChatGPTが引き出す回答は世界中の個人、企業、学者などがサイバー空間に日々蓄積してきた情報を、オープンAIの人たちが校正したデータベースに基づいており、オンライン経由で購入した商品の履歴や閲覧したサイトの記録は含まれていない(当然ながら、デジタル化されていない文書や個人の見解などは含まれない)。
 <注>この部分の説明は唐澤さんのご教示によるもので、彼のコメントは「正確なプロセスはオープンAIからは発表されていないので解りませんが、私の想像では、それぞれの文章の語順や表現を、正しく、誹謗中傷などが無いきれいな表現に、オープンAIの社員なり契約社員なりが書き換えているのだと思います。英語ではPre-Trainedですから、人間が『事前研修』をしないとAIが判断することはできないということだと思います。ここでは「校正」という言葉が一番近いかな?、だからその結果、出て来る回答は優等生的な文章になる、ということだろうと思います。現時点では、AIが勝手に学習することはありません」ということだった。

 これもインターネット黎明期に『「みんなの意見」は案外正しい』(ジェームズ・スロウィッキー、2004年、角川書店)という本が話題になった。「正しい状況下では、集団はきわめて優れた知力を発揮するし、それは往々にして集団の中でいちばん優秀な個人の知力よりもすぐれている」として、最大公約数的な意見はけっこう正しいということを主張した本だが、それではChatGPTの提供してしてくれる情報は正しいと言っていいのだろうか。

 いくつか気になることを記しておこう。

 スロウィッキーは「そのような集団の智恵が発揮されるためには、いくつかの条件が必要だ」として、参加者の「意見の多様性(各人が独自の私的情報を多少たりとも持っている)、独立性(他者の考えに左右されない)、分散性(身近な情報に特化し、それを利用できる)、集約性(個々人の判断を集計して集団として一つの判断に集約するメカニズムの存在)」を上げていた。最後の集約性という意味では、ChatGPTはそれなりに正しい情報を提供してくれるすぐれたメカニズムと言ってもいい。

 しかし、サイバー空間上の情報がそれぞれ独立した立場で発せられていればともかく、ここに意図的に仕組まれた情報が入り込むと、その答えは大きい意味で歪められたものになるだろう。為政者や権力者、大企業がサイバー空間の情報に介入しているのはすでに明らかで、これからむしろそういう動きは増してくるだろう。ChatGPTは多様性、独立性、分散化をうまくすくいとるより、むしろ画一化を推し進める恐れが強い。

 さらにこういう興味深い指摘が、すでになされている。たとえば日本のある女性利用者によると、ChatGPTのようなデータベースに蓄積された情報を書いたのは圧倒的に白人男性が多く、そのため男性視点というバイアスがかかっているという。また、少数民族の人たちから、自分たちの言語や文化を良く知らないのに、生成系AIのデータとして許可なく勝手に使うな、という反対運動の動きもあるという。これらはなかなか解決が難しい問題で、LGBT・マイノリティーの尊重という問題とも関わってくる。

 歴史的に見れば、こういうことは時代の風潮、地域の特性といった形で常に存在した制約であり、何が正しいのかを判断するのは難しい。だからサイバー空間だけが問題だということはないけれども、にもかかわらずサイバー空間は全地球を覆う単一の空間であり、為政者や権力者が資金や労力をふんだんに使って思うがままに操ることができる点で特有の危惧を抱かせる。

 群馬県高崎市で開かれていた先進7か国デジタル・技術相会合は4月30日、「信頼できるAI」の実現をめざす共同声明を発表したが、大きな視野での議論が必要になるだろう。<折々メール閑話>㉚でも紹介した孫泰造『冒険の書』は、コンピュータに代替できる知識はもはやコンピュータにまかせて、コンピュータではできない知的活動をしていくことが大切であり、またそのための新しい教育システムを築き上げるべきであると提言していた。妥当な意見である。私たちのOnline塾DOORSでも、こういう問題に積極的に取り組んでいきたいと考えている。