新サイバー閑話(66)<折々メール閑話>⑯

山本太郎発言集Ⅱ

生きててよかったと思える社会に

 この6年間、国会の最前列でみた景色は何だったか。金のためだったら人の命は後回しってことです。人々の生活を削り、人々の生活を破壊してでも大企業などを儲けさせるっていうようなことを徹底してきた6年間ですよ。でもこれは第二次安倍政権から始まったことじゃない、痛みを伴う改革、よく聞く言葉でしたよね。小泉、竹中時代から言われてきたことですよ。みなさんにお聞きしたい、痛みを伴う改革の後には、痛みしか残ってない、って話なんですよ。
 20年以上続くデフレ、だれの責任ですか。この国に生きる人が頑張らなかったって言うんですか、とんでもない。20年以上デフレが続くような異常事態の国は、日本しかないんですよ。みんなの消費が失われて、みんなの投資が失われた。つまり需要が失われ続けた20年間、これによってこの国は完全に衰退してしまった。このデフレからの脱却を行えるのは民間ではない、国が経済政策をしっかりと打つ以外には脱却できないんですよ。
 しかるべき投資を行ってこなかった。その結果、どうなったか。IMF国際通貨基金のデータでは、1997年からの20年間、世界140か国以上の政府総支出、日本は最下位ですよ。ドケチ国家のNo1が日本なんですよ。あなたの生活の苦しさをあなたのせいにされてませんか。20年間の名目GDPの伸び率、もっとも成長しなかった国は日本ですよ。20年以上続くデフレの原因は明らかなんです。
 間違った経済政策の連続によって傷ついたのはあなたの生活であり、あなたの人生じゃないですか。働いても働いても豊かになれない、当たり前ですよ。そんなふうに制度設計されてるんですよ。物価は消費税によって強制的に上げられる。賃金は上がっていかない。実質賃金は下がる。景気をよくするために何をすればいいですか。消費がもっと喚起されなければいけませんよ。GDPの6割が個人消費なんですよね。2014年に消費税が5%から8%に引き上げられたことによって、2014年に落ち込んだ消費が8兆円、リーマンショックのときの個人消費の落ち込み6.3兆円、リーマンショックを上回っとるやんけ!おかしいでしょ、こんなの。
 誰かの消費はだれかの所得、あなたが何かを買ったら、そのお金はだれかの所得に回る、当たり前の話です。個人消費が8兆円失われたということは8兆円の所得も失われているということですよ。何が「景気回復、この道しかない」だ。この道の先には崖しかないだろう。
 いまやるべきことは何か。お話します。まず消費税を廃止にしなきゃならない。消費税8%やめたら初年度は物価が5%落ちます。ということは、消費がより喚起されるっていうことですよ。消費税廃止を決めた途端、企業側はこれからものがもっと売れるぞと予測するわけですよ。そうすれば貯めこんだ内部留保だって、出しながら投資していくわけでしょう。もっと人を雇わなければ間に合わない、雇用も増えていくでしょう。数だけ増やしたって人は来ない、じゃ賃金も上がっていくでしょう、ってことですよ。今何より必要なのは消費税、強制的な物価の引き上げをすぐにもやめなきゃなんない、それによってこの国に失われた消費をすぐにでも喚起しなきゃならない、このままだと本当の衰退国家になってしまう。まず20年以上続いたデフレを脱却させる、当たり前のことですよ、かじ取りできるのは国だけ、あなたの生活をまず底上げすることを考えずしてどうして政治なんてやってんだよ。
 ダイヤモンドから紙おむつまで同じ税率なんてありえないだろう。れいわ新選組は消費税廃止を訴えています。みなさんにお聞きしたいんです。そんなこと無理だって思われますか。無理だと思われる根拠は何ですか。消費税を廃止した国、存在していますよ。マレーシア。マレーシアはどうして消費税なくせたんですか。マレーシアの人びとが決断したんですよ。マレーシアに出来て日本でできないことあるんですか、私一人やったって何もできない、そんなことできるはずがない、って思いこまされてません?あなた人には力がないって、あなた一人動いたって今まで何もならなかったじゃないか、とか、ずっと言われ続けているんですか。
 そんな社会こそ変えなきゃいけないだろうってことですよ、あなたには力がある、何よりもあなたがいないと始まらないってことですよ、いっしょにやってほしいんですよ、いままであなたのコントロールがきく政党ありましたか、いままであなたのコントロールがきく国会議員がいましたか、地べた這いずり回ってでも、与党や野党とガチンコで喧嘩してくれるような国会内勢力、今までありましたか。つくりたいんですよ。みなさんの税金で回されている議会が、闘っているふりだけしてるような、そんなことになってしまえば、その先に見える地獄はどんなものになってますか。
 すでにもう十分地獄ですよ。そんな社会を変えませんか、そんな社会を変えたいんですよ、その先頭に立たせてもらえませんか。生きててよかったと思える社会をつくる、きれいごとばかり言ってんな、という声も聞こえます。何言ってんですか、政治がきれいごと、つまりはビジョンを語らないで、誰が語るんですか。私たちが目指す世界はそういう世界なんです、力を貸していただきたい、大暴れしてやります。(街頭演説)

B 最後のくだりが山本太郎の真骨頂ですね。

A れいわ新選組の公約の目玉は積極財政と消費税廃止です。

 私がやりたいことは、まずは徹底的な経済政策。アメリカはコロナで800兆円ものお金を突っ込むことに決めた。税金を集めてバラまくんじゃない、自国通貨を増やして足りないところに入れていくってことを決めた。それでコロナ前より景気爆上がり、日本の1年間の予算は100兆円ですよ、そこに加えてもう100兆円あるならば数年にわたって安定的に出していける。
 
次に消費税をやめること、年間26兆円でそれができる、大学院卒業まで教育費無償、5兆円でできる、そして国がやっているサラ金、2人に1人が借りている奨学金、これチャラにしたい。それに9兆円。高齢化が問題なんでしょ。少子化も問題なんでしょ。だったら保育士、介護士、全産業平均100万円以上低いという現在の処遇、これ変えなきゃダメですよ。月10万円以上引き上げる、全体で3.7兆円でいける。わたしたちが言っている政策というのは決して荒唐無稽じゃない、当たり前の話なんです。(街頭演説)

新サイバー閑話(65)<折々メール閑話>⑮

山本太郎発言集Ⅰ

「れいわ新選組」を立ち上げました 


 自分で団体を立ち上げました。「れいわ新選組」という名前です。この国で一番偉いの誰? みなさんですよ、生きてていいんですかって、生きててくださいよ。死にたくなるような世の中、やめたいんですよ。生きててよかったと思えるような社会にしようよ。それができるのが政治ですよ。頑張るべきはあなたじゃない、政治なんだって思いません?
 頑張っても頑張っても普通に暮らせないっていう社会状況が25年以上続いているんですよ。お金は作れる、財源はある、その力はこの国にあるんです。この国のオーナーはみなさんなのに、みなさんの望まないことを政治が続けている、その理由は別に飼い主がいるからですよ。企業ですよ。自分たちの税金は減らして他の財源を作らせる、それが消費税増税ですよ。この国に必要なのは、徹底した財政出動です。そのためにみなさんの力を貸していただきたい。個人の命や人生に対して何のリスペクトもない、すべて票、すべて金です。この国を変えるカギを握っているのはみなさんお一人おひとりです。ひっくり返してやりたいんです。そういう思いでマイクを握っています。
 コロナの終わりが見えていないのに、持続化給付金、家賃支援給付金、民間金融機関を通じた無利子無担保融資、受付終了するんですか、支援をやめるんですか。終わりが見えていないのに、こういった救済策を終えるということは、体力ないところはつぶれていけ、という宣言でしかない。無茶苦茶ですよ。個人や企業の努力が足りないから潰れていくという状況ではないんです。
 残念ながらこいう政治を放置してきたのが私なんですよ。政治に対して興味持っていなかった。自分の人生が充実しているかどうかだけがメインテーマだったけれど、原発事故を境に、世の中こんなことになっているのかということに気づいて、それじゃあ何とかしないといけないなと――。私みたいに極端に考え方が変わった人は少ないかもしれないけれど、そこからなんですよ、知っちゃったらやるしかないもん、でも私たちだけではできない、この国のオーナーであるあなた方の力を借りなければ。
 あなたのために私は政治家をやっています、と言わなくてゴメン。自分のためにやってます、何かの拍子に生きづらくなったときに見捨てられない社会、そういう社会、ほしくないですか。家族に見捨てられても、仲間に見捨てられても、世界でたった一人ぼっちになっても、国だけは見捨てないよという存在だったらどんなに心強いか。
 まさに国会はいま、人の命の期限を決めるような議論がいつ始まってもおかしくない状況なんですよ。これ以上国の財政を圧迫させないために、お年寄りの皆さん、そろそろいいんじゃないですか、自分の期限を決めろ、みたいな論議ですね。国会議員やっていて感じました。そのきっかけになったのは麻生太郎さんです。2016年6月、北海道小樽の講演でこいうことをお話になったんです。「90になって老後が心配だとかわけのわからないことを言ってる人がテレビに出ていたけれど、お前いつまで生きてるつもりだと思いながら見ていました」と。居酒屋でおっさんが言ってる話じゃない、「ちょっとお父さん、言いすぎよ」みたいな話じゃないんです。この国の財務大臣であり、副総理である人がこういうことを言う。命の選別がこの先、始まっていくんだろうな、という危機感があったんですね。
 世の中で役に立たなくなった人は社会的な圧力によって死を選ばざるを得ない状況にされていくんじゃないか。「高齢者の方、あなたずいぶん長生きしましたねえ、あなたのために多くの人が力を使って大変ですよ。もうそろそろいいんじゃないですか」みたいな空気を許してしまえば、当然、高齢者が入口だったとしても、障碍者にも広がるし、それ以上にも広がっていきますよ。それが自分に降りかからないようにするには何が必要かというと、自分がどれだけ役に立つ人間か、自分がどれだけ生産性が高いに人間なのかということを世の中に示し続けなければならないような社会がより加速するということですよ。(2019年街頭演説)

B 山本太郎が街頭演説で聴衆に訴えたり、記者会見で語ったり、国会で質問したりした言葉を集めました。素材はいろんな人びとが「切り抜き山本太郎」とか、「れいわ新選組を伝える動画」とか、「涙の街頭演説」とかいうタイトルで、あるいは単独でユーチューブにアップしたものから書き起こしています。一部はツイッターのつぶやきやテレビ番組のインタビューからも採用しました。
 ユーチューブに上げる時にすでに素材の取捨選択が行われており、それを臨機応変に選んで活字にし、いくつかのテーマにわけて編集、若干のコメントを加えたわけですから、編集上の偏りもあるでしょう。しかし、山本太郎が2019年にれいわ新選組を立ち上げてからこれまで、何を訴えてきたかの全貌、とまではいかなくても重要な事柄について知ることができるように工夫しました。
 岸田首相や閣僚、さらには担当官僚のほとんどが誠意の見られない紋切り型の答弁をくりかえし、それに引きずられるように野党もまるで木を見て森を見ないような質問をし続け、またマスメディアも現代の政治状況を鋭利に分析できないといった状況の中で、山本太郎の主張のまっとうさ、大局を見る目、政治に対する情熱、いずれも出色のように思われます。
 本コラム14回でも述べていますが、なぜれいわ新選組および山本太郎への支持が思うように広がらないのか。それは山本太郎が「醜いアヒルの子」としての「白鳥」だからではないでしょうか。山本太郎が来るべき日本社会の白鳥として大きく羽ばたけるように願って収集したこの「貧者の一灯」が、ふだんあまりユーチューブなどを見ない活字世代の方々に、山本太郎のすばらしさを知ってもらえる一助になれば幸いです。もちろんこれは、最初に説明したように、多くのれいわファンの汗と努力の結晶(コラボレーションの成果)でもあります。
 なるべく山本太郎の口吻が反映されるようにしていますが、話し言葉と書き言葉はやはり違います。冗長な部分は削ったり、繰り返しは省いたり、一定の編集処理をしています。同じ街頭演説を別の個所に分けたものもあります。オリジナルな発言の真意は損ねていませんが、そっくり同じ体裁ではないことはご承知ください。
 素材はほとんど2022年の発言から取っていますが、それ以前のものはその旨表記しています。発言の最後に「街頭演説」、「記者会見」、「国会質問」、「テレビ・インタビュー」などと状況を付記しました。

A れいわ新選についてウエブでは以下のように説明しています。<れいわ新選組は、2019年4月に山本太郎参議院議員(当時)が立ち上げ、同年7月の参議院選挙ではALS難病患者の舩後靖彦、重度障がい者の木村英子が当選。2021年10月の衆議院選挙では、山本太郎、たがや亮、大石あきこが当選。2022年4月、山本太郎が参議院選挙に出馬するため衆議院議員を辞職、くしぶち万里が繰り上げ当選。2022年7月の参議院選挙では、山本太郎、天畠大輔、水道橋博士が当選。8人の国会議員が所属する国政政党です。大企業・労働組合、宗教団体などの組織に頼らず、一人ひとりの市民のボランティアと、ご寄附に支えられた、まったく新しい草の根政党です>。
 冒頭の街頭演説には彼の思いがよく表れていますね。れいわはまさに日本の希望だと思います。国会勢力としてはまだ弱小で、新聞各紙が定期的に実施している世論調査でも国民の支持率は高くて2%台という状況ですが、わずか3年で8人の国会議員を擁するようになったのは前進とも言えますね。

B 自分のために行動しているのだという覚悟がいいですね。インドの賢人、ガンジーが言ったとされる言葉に、「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。それをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」というのがあります。もちろん山本太郎は日本を変えようとしているわけだけれど。 

  私は不安しかないですよ、いま自分、議員を落ちてますよ、党代表では来てますけど、先はわからない。私も生活困窮に足を踏み入れることがあるかもしれない、そのときに真っ先に行政が手を差し伸べてくれるような国であってほしい、だから社会を変えたい、っていうことですよ。自分のために変えたいんですよ。もちろん、みんなのためでもあるけれど。自分勝手でごめんね、だけど自分には自信がない、スーパーマンじゃない。芸能人だったけど、今は芸能人じゃない。芸能界に戻れるなんて思ってない、じゃ、変えるまでやるしかないじゃないか。変えるっていう希望をみなさんが見せてくれる限り、続けるしかないでしょうって。変えたいんだよ、こんな嫌な社会にしたくないんだよって、ことですよ。(2019街頭演説)

新サイバー閑話(64)<折々メール閑話>⑭

日本政治の劣化とれいわ新選組の出番

B この間の出来事を見るにつけて感じるのは、日本政治の劣化です。もとからそうだったかもしれないけれども、とくに昨今の統一教会をめぐる自民党の対応はひどすぎる。8年余の安倍政権下で落ちるところまで落ち、現岸田政権はそれを改善する意欲も能力もないことがいよいよ顕著になったように思えます。

A ひどくて何が悪い、という居直りすら感じますね。

B それは何故なのか。素人の床屋談義レベルの感想をデフォルメして記せば、まず自民党そのものの質が低下した。原因はいろいろあると思うけれど、まず1990年代から始まった政界再編ですね。日本新党、新生党、新進党、新党さきがけ、民主党、自由党、国民新党など、何がどう違うのかわからないぐらい新党が林立し、自民党を割って出た政治家が他党も含めて離合集散を繰り返した時期がありました。自民党vs.社会党という55年体制に代わる新しい二大政党制をめざす動きでもあったわけですが、そのとき自民党からかなりの人が離れた。それらの議員たちが優れた人材だったかどうかはともかく、このことで保守本流だった自民党の多様性が失われたのはたしかでしょう。自民党にとどまった人々には世襲議員が多かったようにも思えます。
 また政界再編時代に行われた選挙制度改革で衆議院が小選挙区比例代表制になり、小選挙区に立てる自民党の議員が原則1人となり、公認を決める党本部の力が強大になった。それまでの中選挙区では自民党から2人、場合によっては無所属も含めて3人も当選可能だったわけで、ここでは議員が所属する派閥の力が強かった。いっぱしの議員になるためには派閥で「雑巾がけ」をして修行をする、これが政治家としての生きた学校でもあったわけです。派閥の力が弱まることで所属議員の切磋琢磨の場は失われ、派閥のボスの力も弱まり、党としての多様性は一層失われました。
 昨今の自民党を見ていると、最大派閥だった安倍派というのは、古い体制に安住するというか、人間的に魅力のない人材のたまり場だった印象を受けます。カニは甲羅に似せて穴を掘る。そういう意味では、安倍元首相はかっこうのボスだったわけです。今回の一連の騒動での細田衆院議長、下村、萩生田、世耕など安倍派の重鎮の発言を見ていると、まことにお粗末な印象です。こういう人たちが安倍首相を支えていたわけですね。

A 安倍首相は8年余の政権担当を通じて、自分の山を彩るにふさわしい人材発掘に熱心だった。稲田朋美、杉田水脈、生稲晃子など新人もみな安倍元首相のお気に入りで、女性議員と言いながら、むしろ女性の敵的発言をしているのも目立ちます。

・統一教会と日本会議の二本柱

B 統一教会問題での議論が実りのないのには理由があると言えるでしょう。安倍首相銃撃事件以来、統一教会と自民党議員のずぶずぶ関係がクローズアップされていますが、安倍政権下で憲法改正準備、教育基本法改正、閣議決定による集団自衛権容認などの政策が進められていたころ、話題になっていたのは実は「統一教会」ではなく、神社本庁や生長の家と関係の深い「日本会議」でした。
 2016年の段階で『日本会議の正体』(平凡社新書)という本を書いたジャーナリストの青木理は、その正体について「私なりの結論を一言でいえば、戦後日本の民主主義体制を死滅に追い込みかねない悪性ウイルスのようなもの」と述べています。「悪性であっても少数のウイルスが身体の端っこで蠢いているだけなら、多少痛くても多様性の原則の下で許容することもできるが、その数が増えて身体全体に広広がりはじ始めると重大な病を発症して死に至る」とも書いています。
 この記述を統一教会との関連で読むと大変興味深い。安倍元首相は自らの政権、および自民党の基盤をきわめて偏った2つの勢力、統一教会と日本会議に置き、彼らが望むような政策を続けてきたと言えるでしょう。

A 内部にゴミをため込みながら、外からは右翼的な日本会議や統一教会からエネルギーをくみ取ってきた。そのパイプを太らせてきたわけで、政策が右傾化するのは必然だったと思います。

B なぜこのような政治状況が生まれたかについては、より大きな社会的要因があるのは確かです。労働組合の衰退、官僚機構の崩壊、社会におけるリベラル勢力の弱体、経済界の人材払底などで、その背景には日本経済の衰退という大きな問題が横たわっています。デジタル社会の影響も無視できません。対面の濃密な人間関係は希薄になり、メールやウエブを通しての離合集散が進んだとも言えます。

A 右翼的な主張は自民党のパイプによって政治の表舞台に吸い上げられ、実際に着々と成果を上げていく反面、そうでない、リベラルというか、常識的でまっとうな人々の思いを吸い上げるパイプはどんどん細くなった。だから政治から排斥され、あるいは政治にそっぽを向いて行ったのだと思います。野党やメディアのふがいなさの反映でもありますね。
 従来の地盤、看板、カバンという選挙基盤とは無縁のところから出てきて、あっという間に国会議員だけでも40人近い勢力を誇るにいたった松下政経塾はどういう役割を果たしたのでしょう。

B この松下政経塾というのが微妙ですね。政権再編の波にうまく乗り、雨後の筍のように政界に進出してきたのだけれど、一言でいうとぱっとしない。松下政経塾は松下電器(ナショナル、パナソニック)の創業者ですぐれた実業家だった松下幸之助氏が将来の国家指導者を育てたいという熱意のもとに、1979年に私費70億円を投じて開設したものです。同塾のウエブによれば、データは最新のものではないようですが、すでに300人近い卒業生を出し、そのうち政治分野に進出したのが121名、国会議員が35名となっています。国会議員35名というのはすごい実績ですね。

A 最近、国会で安倍追悼演説をした野田佳彦、一時は民主党代表も務めた前原誠司、立憲民主党前幹事長、福山哲郎、現自民党政調会長、高市早苗‣‣‣、野党に多くの人材を提供しているけれど、その野党人脈が野党らしくないですね。

B 野田議員の追悼演説の質の悪さがそのすべてを象徴しているように思えます。国葬で弔辞を読んだ菅前首相同様、歯の浮くような言葉を臆面もなく並べる下劣な品性にはまいりました。政敵を悼むのだからある程度のひいき目は必要でしょうが、安倍首相その人の業績、というより果たした役割を真摯に振り返れば、それなりの批判をせざるを得ないはずですが、それが出来ない。そもそも追悼演説を引き受けるのが間違いで、立憲民主党も国葬に反対するのなら、追悼演説も拒否すべきだったのだと思います。
 弔辞を読むことの礼(小さな善)を守ることで、安倍政治の大きな悪を見逃し、あるいは是認した。これは追悼演説を引き受けたときにわかっていたことで、野党政治家失格と言われてもしょうがない。この演説に野党からも賛辞があったというのも不思議です。
 沖縄密約をめぐる毎日新聞記者のスクープに対して、当時参議院議員だった市川房枝さんが「取材方法が女の人を脅迫するみたいなやり方で卑劣だった」と新聞で語ったことに対して、ノンフィクション作家、澤地久枝が「政治家としての市川房枝氏には、もっと本質を透視する目を持っていただきたかった」(『密約』)と書いているけれど、それと同じだと思います。
 政界全体にものの本質から目をそらし、適当にその場を繕うような軽さを感じますね。自民党の村上誠一郎議員が安倍元首相を「国賊」と言って自民党から処分されたとき、同党の石破議員が「私ならああいういい方はしない」とあいまいな表現ながら、結局は村上氏を批判したときも同じような印象をもちました。ハンナ・アーレントの「凡庸な悪」という言葉を思い出しますねえ。

・松下政経塾が果たした役割

 話を松下政経塾に戻すと、「松下政経塾は失敗だった」という手厳しい評もあります。押しなべてビジョンがない、自己の理想に殉じる気概がない。カルチャーセンターで文章修行をしてきた新米が「原発に関する我が社の見解はどういうものですか」と上司に確認してから、その見解に合わせてすらすら原稿を書くのを見てびっくりしたことがあるけれど、新聞記者になるべきでない人が新聞記者になり、政治家になるべきではない人が政治家になっている印象すら受けます。
 日本会議や統一教会は自民党の中枢に食い込み、その一部になることで自民党を堕落させたと思いますが、松下政経塾は自民党、野党問わず、政界の中心にはなばなしく登場したけれど、そのことで政治家が小粒になったり、与党と野党の区別のはっきりしない液状化状態が起こったり、日本の政治そのものを堕落させたようにも思えます。出井康博というジャーナリストが「松下政経塾の研究」に関する本を書いていますが、そのタイトルが『襤褸の旗』(飛鳥新社)というんですね。「襤褸とはつぎはぎだらけのボロ布のこと」と説明がついているのだが、言い得て妙だと思います。

A 右翼的傾向の人びとは安倍政治を謳歌してきたと思いますが、その間の野党の体たらくで、我々が折々に言及してきた「まっとうな人びと」の関心は政治の場に吸い上げられない状態が続いてきた。選挙のたびに自民党が圧勝し、野党が衰退していった構造はこれですね。

B 朝日新聞政治部出身の鮫島浩が「山際辞任と野田演説はセットの関係で、これを機に立民、維新が共同して自民党に近づき、自民・公明・立民・維新という新しい体勢ができる」と鋭い予想をしていました。国会での統一教会批判も今後は下火になるだろうと(Samejima Times)。
 これは本人も言及していたけれど、悪いことばかりではないと思いますね。ダメな政治家集団が談合することで、れいわと共産を軸にするそれこそまっとうな野党体制がようやくできる素地が固まったとも言えます。そこに他党のまともな人材が合流してほしいです。

A いよいよれいわの出番ですね。

B 主宰するOnline塾DOORSで<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>、<よりよいIT社会をめざして>、<超高齢社会を生きる>といったテーマ授業をしていますが、30年近い経済停滞を含め、議論すべき課題が山積しています。しかし国会論議はまことに低調。これからの日本をどうするかという大問題を真剣に考えているのは、まさにれいわと共産党ぐらいでしょう。

A 従来、官僚機構が国づくりのシンクタンク的役割も果たしてきたのだけれど、安倍・菅の官邸主導の強権人事で官僚機構はガタガタになっています。骨のある人材は外され、忖度官僚が跋扈しています。官僚には官僚としての本分をつくしてもらい、まっとうな人間の政治への関心を高めていくことが大事です。その条件がいまようやう整いつつあるとも言えるかもしれません。

B この<折々メール閑話>はサイバー閑話のメニュー中の<令和と「新選組」>の一部として始めました。2019年8月6日の第1回では、<幕開けは風雲急  かつての新撰組は幕藩体制維持を掲げたが、れいわ新選組は安倍政権打倒を旗印としている。新撰組は剣を武器としたが、れいわ新選組はSNSというコミュニケーションツールを駆使する。声の広がりが武器である。山本代表は、「命をかけている」、「本気だ」という意思を「新選組」に託したのだろう><れいわ新選組は日本の希望です>などと書いています。
 最後に「悲憤慷慨メール 鳴きやまぬ 老いの夏(^o^)」との駄句を添えているが、その悲憤慷慨メールをもとに<折々メール閑話>を始めたのが2022年4月22日。今夏に始まる参院選をめざしてれいわ応援からスタート、安倍襲撃事件以後は目まぐるしく動く政局を話題にするようになりました。
 これからしばらく、原点に返って、混乱する政情下で孤軍奮闘するれいわと山本太郎をはじめとする議員諸氏の活動を見ていきたいと思います。れいわ新選組は私たちが思ったほどの世論の支持をまだ獲得できていないように思われますが、それは、れいわが「アヒルの中の白鳥」、「狂気の中の正気」だからではないでしょうか。

A ちょっと国会中継を見たり、それを切り取ったユーチューブ番組などを見れば、れいわ議員の質の高さがよくわかります。日本社会を改善するために何をすべきか、小手先の解決でなく、問題の本質を正面からとらえようとする熱意が感じられます。
 大石あき子衆議院議員の予算委員会での3分の質問時間が2分3秒に削られ、そのことに他野党も異議を唱えないという「れいわいじめ」もあるようですが、れいわを支援する声が高まれば事態は好転すると思います。れいわは間違いなく、これまで政治と距離を取ってきた「まっとうな人びと」の声を政治の場に引き戻すパイプ役になってくれるでしょう。

 

 

新サイバー閑話(63)<折々メール閑話>⑬

自民党&日本に深くたくみに潜行した統一教会

B 安倍元首相の銃撃事件をきっかけに、統一教会(旧統一教会と現世界平和統一家庭連合を一括してこう表記)は、信者の世界だけでなく政治の世界にも深くたくみに潜行していたことが、日に日に明らかになっています。
 若いころ水中ダイビングで比較的浅い海底に立った時、ふと前の岩場を見ると穴から大きなウツボがこちらをにらんでいた。あの獰猛な面構え。目を移すとそこにも、振り向いた背中の後ろにもウツボがいて、ゾッとしてあわてて浮上したことがあります。その恐怖に似た感覚を今回、思い出しました。統一教会はこんなに日本社会にひたひたと浸透していたのか、と。長期に及ぶ異常とも言える安倍政権を支えていた構図の一断面がはっきり見えたようにも思います。

A 統一教会と議員に対する自民党の調査は相変わらずおざなりで、本丸ともいうべき安倍元首相、細田衆院議長などは調査の対象外、数々の関連が明らかになっている山際大志郎経済再生担当相も閣僚に居座ったままですね。
 岸田首相は最近の国会で統一教会に対する宗教法人法に基づく調査を「質問権」を行使してやると言ったものの、解散命令請求が認められる法令違反として刑法だけでなく民法まで含まれると答弁するのに、1日の朝令暮改がありました。こんな腰の軽さでは、本気で解散命令を考えているようにも思えません。世論調査の内閣支持率急減にあわてふためき、この場をなんとか切り抜けようという魂胆が見え見えではないですか。

B 国政選挙で選挙の手助けをする見返りとして、統一教会側が自民党国会議員に対して教団の政策を推進するよう「推薦確認書」を提示し、署名を要求していたことも明らかになりました。そりゃそうでしょう、選挙事務所に教団員を無償で応援にかけつけさせ、雑務や電話応対をさせていた教団側からすれば、当然の見返りだったとも言えます。しかしこれは教会が日本の政治に影響を与えようとしていた証拠としてきわめて重要です。この事実は自民党調査では表に出てこなかったですね。自らの恥部を隠そうとしたのだと思えます。

A 統一教会と自民党議員の癒着は地方議会も例外ではありません。教団員の一票の重みは地方自治体選挙でこそ増すわけだから当然でもあります。妙なツイート発言をめぐって紛糾した小林貴虎三重県議の統一教会との深い関係はすでに明らかですが、自民党富山県連会長は10日、国会議員や県議を集めた会議で「統一教会と県内議員との関りについて調査しないことに決めた」との方針を明らかにしました。
 日刊ゲンダイDIGITALが「調査したら大混乱となり、有権者の支持を失うと恐れて、調査しないと決定した可能性がある」と書いています。こういう「臭いものにふた」というのは、政界のみならず日本社会の悪弊だと思いますが、もはや悪臭芬々、すべてを明るみに出すべきときだと思います。
 富山県では県知事や富山市長の統一教会との関係も指摘されています。これも保守王国の岐阜県では、中日新聞調査によると、県政自民クラブの19人が統一教会や関連団体のイベントに出席したと回答したようです。この種の例は各県で見られるのでは。

B 推して知るべし、でしょうね。

A 統一教会の地方への浸透ぶりを示す一つの指標として、2012年以来、地方議会で成立している「家庭教育支援条例」の広がりがあります。財団法人、地方自治研究機構の調べだと、2022年9月現在で、都道府県条例が10、市町村条例が6成立しています(表)。
 提案者は議員や市長となっていますが、各種報道によれば、提案を働きかけた人物に統一教会(勝共連合も含む)関係者の影が見え隠れしています。提案議員と統一教会の直接的な関係が指摘されている例もあります。最初の熊本県条例が成立した2012年は第2次安倍内閣が発足した年でもあります。
 これとは別に、国レベルの家庭教育支援法を制定しようとする動きがあり(野党の反対で現在は棚上げ)、全国34の地方議会が家庭教育支援法の制定を求める意見書を可決しています。ここでもたとえば熊本県や神奈川県などで統一教会の関与が指摘されています。

B これは2006年、第1次安倍政権下で実現した教育基本法改正と歩調をあわせた動きです。いじめ、登校拒否、虐待などの原因は親の責任だとして、公権力の家庭への介入をめざしています。その背景には伝統的な家族観があり、核家族、共稼ぎ、貧困家庭、不十分な福祉政策など現在の家庭を取り巻く環境は捨象したままです。ジェンダーフリー・バッシングの動きとも軌を一にしており、個人(子どもや障碍者、性的マイノリティーなど)の基本的人権への配慮が極めて希薄です。
 実はこれは自民党改憲草案に脈々と流れる考え方でもあり、安倍政権や自民党、公明党、さらには維新などの保守勢力が推進しようとしている政策を、同じ考えに立つ統一教会が支援しているとも言えます。二人三脚と言ってもいいし、政権側が統一教会の強力なエネルギーを利用し、運動の下支えどころか実質的な駆動力にしているとも言えるでしょう。

A 統一教会は2015年に世界平和統一家庭連合と改称したように、「家庭」、「家族」が教えのキーワードで、その家族観は、創始者の故・文鮮明氏を「真のお父さま」と呼び「神様の下に人類が一つの家族である世界」を理想に掲げており、自由恋愛や婚前交渉は論外、信者には合同結婚式で相手が選ばれます。社会の構成単位が個人ではなく、教主を頂点とする家族なわけですね。個人の自由をまったく尊重していない。むしろ否定している。生まれた2世へのしばりもそうですね。

B 家庭が大事だというのはその通りで、子どもの教育には親もあずかってしかるべきですね。たしかに安倍元首相のふるまいを見ていると、この「金持ちのお坊ちゃん」は家庭でどういうしつけを受けてきたのかと不思議に思うことが多かったですね。その人が家庭教育が大事だというのも不思議と言えば不思議です。
 冗談はさておき、一連の動きの背景には国や地方自治体が家庭に介入する国家統制的な考えが潜んでいます。「法は家に入らず」という格言もあり、この種の立法には慎重でなくてはいけません。
 自民党と統一教会の癒着は、選挙で協力してもらう見返りに社会的認知と広報㏚をするというだけに止まらず、もっと深いところで結びついている。もはや同根と言ってもいいでしょう。来年4月に設置予定の「子ども家庭庁」の名称は、元は「子ども庁」だったらしい。統一教会側が自らの働きかけの成果として報告しているほどです。

A 統一教会は、「山上家の悲劇」に象徴されるように、家庭を破壊しつつ、家族愛を訴える。大いなる矛盾を抱えた組織です。

・「ウツボの恐怖」と闇を払う覚悟

B 問題を広げると、自民党改憲草案と統一教会の政治組織、国際勝共連合の見解が「緊急事態」や「家族条項」などでほとんど一致していることが指摘されています。ニワトリが先か卵が先か、この辺は何とも言えないけれど、結果的に、統一教会の意向が陰に陽に最高法規にまで忍び寄ってきている感じがしますね。
 統一教会と政権与党の考えが一致しているから統一教会の影響を受けているとはもちろん言えませんが、統一教会の考えと家庭教育支援条例の内容が似ていることは確かで、自民党議員と統一教会のどちらが主導しているのかは非常にあいまいです。

A 暴力的とも言える献金などを強要していた「反社会的集団」の統一教会と政権与党が手を組んでいたと。

B 前回も言及しましたが、世耕参議院議員は「この団体の教義に賛同する我が党議員は1人もいない。我が党の政策に教団が影響を与えたことはない」と語ったけれど、語るに落ちるというか、影響を受けたのではなく、もともと同じ考えだと言うつもりでしょうか。その類似点、および相違点についても釈明してほしいですね。
 これに関連して、「文春オンライン」(9月22日)は下村博文衆院議員が政調会長時代、統一教会の関連団体幹部から陳情を受け、党の公約に反映させるよう指示を出していた疑いを報じています。統一教会の改称が認められた2015年の文科大臣は下村氏でした。

A 自民党の野田聖子・前男女共同参画担当大臣が超党派の女性議員らでつくる勉強会で、「伝統的な価値観を重視する宗教団体が自民のジェンダー政策に一定の影響を与えた可能性がある」という認識を示したとも報道されました。

B すなおに見ればこういうことだと思いますね。ここ十数年、戦前への回帰の動きが強まってきていますが、保守政治の着々とした動きの背後、少なくともその一部に、統一教会の存在があることがしだいに明らかになってきたということでしょう。
 それは安倍政治がめざしていたものであり、さらに言えば、彼が念願していた憲法改正への下準備でもあったように思われます。国会で改憲する、改憲すると言いつつ、裏ではなし崩し的な〝改憲〟状態を進めようとした面を否定できないですね。

A 自民党議員たちが選挙協力を受けることで、統一教会に隠れ蓑を貸したり広告塔になったりすること自体が大いに問題だけれど、自らの政策遂行のために反社会集団と手を組んでいる実態こそをより深刻に受け取るべきですね。まるで同じ穴のムジナではないですか。

B 自民党議員が統一教会との関係をあいまいにしようとしている真意は、どうやらそこにありそうです。冒頭でムジナならぬ「ウツボの恐怖」と言ったのは、統一教会がいつの間にか日本の深部に深く浸透してきていることへの驚きです。これが安倍政治の本質だったと思いますが、いま岸田政権はその安倍政治を踏襲すると言っています。
 この日本社会に広がる「深く暗い」闇を払うには、野党も、メディアも、私たち自身も、相当の覚悟が必要ではないでしょうか。

新サイバー閑話(62)<折々メール閑話>⑫

世襲議員の跋扈が日本政治をダメにする

A 国葬強行に加えて統一教会と自民党議員の関係清算に対するヌエな態度が岸田内閣の支持率をどんどん下げていますが、その折も折、岸田首相はわずか31歳の長男、翔太郎氏の首相秘書官起用を決めました。
 岸田首相は祖父の代から数えて衆議院議員3代目ですが、将来を見越して4代目後継を養成するためだとも言われており、日本の政治家、とくに自民党に顕著な世襲議員の跋扈、それを当たり前のように認めてきた国民の政治感覚の異常さが改めてクローズアップされています。安倍元首相も「光り輝く」3代目で、彼亡き後、家族や地元の関心は安倍後継選びだそうです。

B 日本では地方議会も含めて、2世、3世議員がけっこう目立ちます。ウィキペディアのデータをもとに、代表的な国会議員3代目の一覧を表にしてみましたが、国政の中心が3代目によって占められるという〝壮観〟ぶりです。2世まで範囲を広げると、世襲議員は野党も含めてけっこう多いですね。
A 政治をあたかも家業のように考えているのでしょうね。過去の偉大な政治家に「世襲」がいたとは聞いたことがありません。2代目3代目は政治的信念を継承するのではなく、ただ地盤と利権を継承するだけ。そもそも彼らに成し遂げたい政治的信念があるとは思えない。人望や実力がなければなれないヤクザの2代目3代目の方がまだ筋が通っていますね。もちろん、例外がないわけではない。

B 世襲議員について、日本総合研究所の寺島実郎が評論家、佐高信と行った対談『戦後日本を生きた世代は何を残すべきか(河出書房新社、2019)でこう言っています。

いま日本人が気づかなければいけないのは、続々と登場してくるリーダーが、まず政治家の2世3世ばかりだということです。日本のさまざまな現場で歯を食いしばって支えた人がリーダーになっていくのではなく、多くは家業として代々政治家をやっているからそういうものだろうというレベルでいる。そういう人たちが、政治家で飯を食っている人の大部分を占めている状況は、世界広しといえども日本にしかない。これは端的に、戦後日本の歴史が新しい方向感覚を見失って劣化しているということです。この国の政治に対する期待がどんどん低減している。

A 「家業」としての政治家が日本政治を壟断していることについて、そろそろ選挙民も考えるべきです。政治家を地盤、看板、鞄によって占おうとする報道の仕方そのものを改めないと。

B 主宰するOnline塾DOORSで、衆議院での一票の格差是正運動に取り組んでいる升永英俊弁護士の話を聞いたことがあります。なぜ国民に平等な一票を割り振る作業が進まないかというと、それは立法者である国会議員が自分の不利になるような選挙区改正に反対するからです。今の一票の不平等な制度では、国民の過半数が国会議員の過半数を選ぶというふうにはなっておらず、だから升永弁護士は日本を「国民主権国家」ではなく「国会議員主権国家」だと言っていました。
 そこで羽振りを利かしているのが地盤、看板、鞄という従来の選挙方式だから、国民の真の代表として国会議員を選ぶことができず、したがって議会の多数を占めた政党から出た総理は国民の総意とは違うものになる。
 日本の国会議員の数は人口比で見ると、アメリカの3倍とも言われています。しかも人口が減っているのに国会議員は減らない。こういういびつな選挙制度そのものを変えていくような議論、例えば議員定年や任期制限、さらには世襲制限を、現制度で選ばれた現国会議員が真剣に議論するのは難しい。ここが大きなネックです。

A 毎回、世襲議員を唯々諾々と選んできた選挙民に問題があるのも確かですね。だからこそ選挙では投票すべきだと思うけれど、若者の投票率はきわめて低い。かつて某首相が「若者は眠っていてくれた方がいい」と言ったことがありましたが‣‣‣。

・それにつけても質の悪さよ

B いまの政治家の質の低さには驚きますね。
 自民党の世耕弘成参院幹事長は6日の参院本会議で安倍晋三元首相は「教団とは真逆」の考え方の持ち主だ、と臆面もなく言ったようです。その理由が、旧統一教会は「『日本人は謝罪を続けよ』と多額の献金を強いてきた団体」だが、安倍元首相は首相時代の2015年に発表した戦後70年談話で次世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と主張しているのではないか、だから「この教団とは真逆の考えに立つ政治家だった」というわけです。
 強弁もいいところです。安倍首相は表では韓国を過度に貶める発言をしながら、あるいはそういう行動をとりながら、裏では自分の選挙に有利になる統一教会とむしろ手を組むというダブルスタンダード、恥ずべき背信をしていたわけです。表の発言を通して裏の実態を否定する世耕氏の発言は誤り、というよりきわめて悪質なものです。世耕議員も祖父が衆議院議員です。

A これを正面から反論しない国会も情けないが、それをそのまま報じるだけのメディアもどうですか。世耕議員は「この団体の教義に賛同する我が党議員は一人もいない。我が党の政策に教団が影響を与えたことはない」とも語ったようです。それにはさすがに本会議場でどよめきが起きたらしいが、それを報じたオンライン上の記事では<インターネット上では、『ズバッと言ってくれてすっきり』と評価するコメントがある一方、「『我が党に一人もいない』とか寝言を言ってた」、「自民党の政策、改憲草案は、統一教会の教義と一緒ですが!偶然とは言わせませんよ」との声もあった>とネットの発言を紹介するだけで終わっている。ここはきちんと事の本質を指摘すべきだと思いますね。

B 寺島実郎は『シルバー・デモクラシー』という本では、「現下の日本で、政治で飯を食う人たちと向き合えば、その人間としての質の劣悪さに驚く。戦後日本の上澄みだけを吸ってきた愚劣で劣悪な政治家・指導者を拒否する意志、この緊張感が代議制民主主義を錬磨するのである」とも言っています。先の本ではこういう話も紹介していました。
 幕末の幕臣、勝海舟がアメリカに行ったとき、帰国後、老中にどうだったか聞かれて、「あの国では賢い人が上に立っています」と答えた。国父ともいうべきジョージ・ワシントンの子孫はどうしているかと聞いても、だれもが「さあ、どうでしょうか」としか答えられなかった。勝は驚きつつ「民主主義とはこういうものか」と思ったというんだが‣‣‣。

A 政治家の責任、倫理ということで言うと、なぜ山際大志郎経済再生担当相はいまだにやめないのか。

B それについては、文芸評論家の斎藤美奈子が12日の東京新聞「本音のコラム」で面白いことを書いていました。

これだけやり込められたら普通なら自分から辞めるだろうし、そうでなければ首相が引導を渡すはずだが、何のお咎めもなし。そこで思い出したのが海抜より低い国、オランダの堤防で水漏れを発見して、その穴に自分の腕を突っ込み、我が身を犠牲にして国を守った少年の話である。少年が手を抜いたらたちまち堤防が決壊する。それと同じで、他の統一教会がらみの議員に〝類〟が及ぶから手を抜くわけにもいかず、必死で頑張っている。しかし、もう「栓は限界だ。諦めてはどうか」と。

 山際議員はだれのために頑張っているのか。もちろん国民のためではなく、仲間の自民党議員を守るためです。改めて調べてみたら、同議員は世襲議員ではない。東京大学大学院を出た獣医学博士です。本コラムで取り上げた<⑨まともな人間を育てない「教育」>の成果というか、犠牲というか。現在の政治の退廃が世襲議員を減らせばすべて解決といかないこともまた事実ですね。

A れいわ新選組が進めている来期統一地方選に向けての候補者募集では、それこそ「まっとう」な人材が応募してほしいですね。ここから新しい政治家が生まれることを祈りたいです。

新サイバー閑話(65)<折々メール閑話>⑪

「国葬強行」転じて日本再生のテコとする

B 安倍政治の8年余をふりかえれば、彼が政治的にも、経済的にも、社会的にも、日本を徹底的に破壊したことは明らかでしょう。その異常さは、彼がとりもった統一教会と自民党議員の抜き差しならぬ関係が明らかになったことで、ようやく多くの人の認識するところとなりました。反日を掲げる勢力と裏で手を組みながら、表では不必要なまでの韓国敵視政策をとり、アジアにおける日本の地位をいよいよ孤立させました。また「異次元金融緩和」を柱とするアベノミクスで見せかけの高株価を演出、実体経済をむしろ著しく損なったと言えます。もたらしたのは、政治の腐敗であり、経済の衰退であり、倫理道徳の崩壊でした。
 我々が「アベノウイルス」と呼んできた腐臭芬々(ふんぷん)たる元首相およびその政権の体質が、7月8日の銃撃から9月27日の国葬に至る80日余の間に、徐々に明るみに出たことは一つの救いです。安倍政権の痛手を克服し、日本社会を改善していくという視点に立つとき、国葬の意味をきちんと総括することは不可欠です。国葬を強行した岸田政権が安倍路線の延長上で将来を考えているのは明らかだからです。
 平成の30年間はひと口に「失敗の時代」だったと言われますが、それを最終段階で徹底的に推し進めたのが安倍政権だったわけで、岸田政権は国葬を強行したために国民の信を失い失墜したということにしないとダメだと思いますね。

A 安倍国葬は自民党(岸田政権)にとって「成功」と言えるのかどうか。新聞報道によれば、国内の参列者3400人は歴代首相の葬儀に比べても少なく、9番目と言います。国内6000人に招待状を出し、4割超が欠席したとも。弔問外交という点では、Gセブン現職首脳の出席はゼロ。安倍首相が「同じ夢を見ている」と仲良しぶりを吹聴したロシアのプーチン大統領はもとより、アメリカのトランプ元大統領、ドイツのメルケル元首相などは最初から出席の意向がなかったようですね(まあ、プーチンは当然だけれど)。
 一般献花に2.5万人が訪れたことをもって成功と強弁する余地はあるかもしれないが、これも統一教会の動員ということかも。安倍政権の官房長官だった菅元首相の歯の浮くような弔辞は、誰が書いたのか知らないけれど、虫唾が走るもので、吐き気をもよおすというか、安倍政権の腐臭を感じさせられました。あんなものを全文、新聞に載せる必要があるのか。日本の恥さらしです。前の方しか読んでいないけれど‣‣‣。

B 国葬に反対する側としては、それを強行されたこと自体「敗北」とも言えるけれど、はたしてそうか。国葬までの間に次々に明るみに出た自民党議員と統一教会の癒着ぶり、国葬前夜の抗議行動、国葬をめぐるさまざまなシンポジウム開催、世論調査における反対の声の拡大と岸田政権の支持率低下など、少なくとも国民総意で弔意を示したと、政権側に言わせないだけの成果はあったと言えますね。

A 国葬問題でまともな国民がさすがに覚醒したのではないかとも思いますね。自民党改憲草案と統一教会の政治組織、国際勝共連合の見解が「緊急事態」や「家族条項」などでほとんど一致していることが公然と指摘されるようになったのも、馬鹿げた改憲に対する一定の歯止めになったとも言えますね。改憲するなら、もっとまともなたたき台を出してこい、ということです。憲法を時代にあわせてどう変えるのか、日本の安全保障をどう再構築するのか、それをきちんと議論する姿勢がまるでない。これは野党も含めてだけれど、国の最高法規をどう定めるのか、広い構想力が求められます。議論などどうでもいい、とにかく自衛隊という文字を憲法に入れようというような態度では憲法が泣く。インテリジェンスのかけらもない。

B いまが綱引きの正念場で、ここで手を緩めては相手の思うツボです。今後の課題として思いつくことを数点上げてみます。

①国葬は成功だったと吹聴(強弁)させない歯止めを常に指摘していく。
②山際、萩生田、下村、細田(衆院議長として一時的に党籍離脱)といった統一教会ズブズブの自民党議員に何らかの制裁を課す。個人的に言えば今回の参院選で、何の定見もないのに統一教会に支援されて東京選挙区で当選した女性タレント議員には「愚かだった私」という国民としての反省の弁がほしい。どこかの雑誌で手記をとってもらいたいですねえ。
③野田元首相が葬儀に参列することを許し、国会でも有効な反論もできなかった立憲民主党の出直し的改革。芳野友子という奇妙な女傑に牛耳られている連合とは縁を切るべきです。

A 当面の関心事は、五輪汚職捜査で検察庁がどこまで安倍政権下の膿を出し切れるかですね。注目されるのは森喜朗元首相と竹中平蔵元内閣府特命担当大臣です。金が動いていると噂されていた通り、あるいはそれ以上に五輪は金権まみれだったわけで、五輪を踏みにじられたスポーツ選手はもっと声を上げるべきです。政権に取り込まれた橋本聖子東京五輪組織委会長など情けないほどダメですね。正々堂々のスポーツマン(ウーマン)シップに反するというか。

B 安倍政権下の検察庁を覆っていた政治圧力の重しが突然外れたような捜査の進展です。逆に言うと、あれだけの威圧感を安倍元首相はなぜ持てたのか。中身は空洞なのに「大いなる暗闇」として君臨できた謎を解くカギは、本コラムで指摘した「アベノウイルス」しかないと思います。安倍政権との癒着が問題となった黒川弘務東京高検検事長、中村格警察庁長官などは姿を消していますが‣‣‣。傍若無人、何をするかわからない「金持ちのお坊ちゃん」的体質が政界、官界、経済界、さらにはメディアを金縛りにし、忖度に次ぐ忖度の輪を築かせ、それが途方もなく膨れ上がった。

A いまの検察には期待するところ大ですね!検察の正義を国民に示して欲しい。心からのエールを送りたいです。

B 今回の安倍銃撃から国葬に至る経過を、日本再生のきっかけにしなくては、日本の将来はいよいよ危うくなるでしょう。<折々メール閑話>はいつの間にか10回を超えました。最初は山本太郎とれいわ応援一色だったけれど、安倍銃撃、国葬と事態が目まぐるしく進展するにつれて、こちらも「安倍元首相銃撃事件と言論の力」、「『安倍国葬』」にみる現代日本の『明るい』闇」、「日本を深く蝕んでいた『アベノウイルス』」、「まともな人間を育てない『教育』」、「『まっとうな人間』を政治の世界に送る秋」と現代日本批判的な様相を強めてきました。というわけで、もう少し続けることにしましょう。

新サイバー閑話(64)<折々メール閑話>⑩

「まっとうな人間」を政治の世界に送る秋

A 新聞各社が定期的に実施している世論調査では、そのすべてで安倍国葬反対が賛成を上回っているし、同時に岸田内閣への支持率は急激に低下しています。しかも調査が新しくなるほど支持率が低下している。最新の毎日新聞調査(9月17~18日実施)では、内閣支持率は29%とついに30%を切りました。不支持率は64%。国葬「反対」は62%、「賛成」は27%でず。自民党支持層でも2割超が「反対」だったようです。
 同時期に行われた共同通信調査でも支持は40.2%、不支持が46.5%、やはり不支持が支持を上回り、しかもこれまでの趨勢を逆転しています。もう一つ上げれば、時事通信調査(9~12日実施)では岸田内閣支持が32.3%、不支持が40.0%です。安倍国葬については「反対」が51.9%で、「賛成」は25.3%です(添付のグラフは時事通信調査における支持・不支持率の推移です)。 岸田首相の国会での「丁寧な説明」もこれまでの繰り返しに過ぎず、逆効果だったようですね。

B 地元の鎌倉市議会と隣の葉山町議会が国葬に反対する意見書提出を可決しました。鎌倉は9月12日、葉山は7日です。鎌倉で住民運動にかかわっている友人が「粘り強くやれば、なんとかなることあり」という感慨とともに教えてくれたのだが、ほかにも同様の決議をする自治体が出ていますね。このたび再選を果たした沖縄の玉城デニー知事も国葬欠席を表明したけれど、他の自治体のトップからも国葬への疑問が相次いでいます。

A 安倍元首相の地元でも来月15日に予定されている県民葬に関して、市民団体から反論がでているし、県知事たちが公費で国葬に参加することに対して、首都圏の弁護士らが公費支出指し止めを求める住民監査請求をしています。もはや、国葬反対は世論の大勢だと言っていいでしょうね。

B 国葬に反対する人たちは国葬が予定されている27日に向けて国会周辺などで波状デモを行う計画ですが、これからも地方議会で国葬反対決議が出されることを期待したいですね。ちなみに統一教会関係者の自民党、国会、地方議会などへの働きかけはすさまじいほどです。自民党改憲草案の「緊急事態条項」や「家族条項」などの文面が統一教会の政治部門、国際勝共連合の改憲案と似ていることが指摘されていますし、下村博文衆院議員が政調会長時代に統一教会の関連団体幹部から陳情を受け、それを党の公約に反映させるよう指示していた疑いが『週刊文春』で報じられました。
 その癒着ぶりはともかく、統一教会の精力的な働きかけそのものには感心します。野党陣営にもそれに匹敵する執拗さがほしいと言うと語弊があるが、この点は見習うべきだと思いました。

A 国葬を言い出したのは麻生副総裁で、それに岸田首相が飛びついたというのが真相のようで、今では「だれがこんなこと言い出したのだ」とぼやいているというのだが、これほど無責任な話はないですね。結局は、自分でも納得いかない国葬を行い、税金を使うわけです。政治の堕落ですね。「過ちては改むるに憚ることなかれ」、あるいは「過ちて改めざる、これを過ちという」。岸田首相に『論語』を贈ろうかしらん。

B 折からイギリスではエリザベス女王が亡くなり、その国葬が19日に行われます。エリザベス女王は多くの国民に慕われており、女王の喪に服する英国民の行動をテレビで見ていると、これぞ国葬という感じです。それにくらべて日本は、問題が多く、さしたる実績もない政治家を、国民の多数意見にそむいて国葬にする国だということになると、彼我の差は著しい。

A 安倍元首相と親しかったというデビ夫人も、国葬に反対する意見をインスタグラムに上げ、はっきりと「彼には何の政治的実績もなかった」と指摘しています。こういう人を国葬にすること自体、国民として恥ずかしいですね。岸田首相は日本の国威を著しく損なったとさえ言えます。

B それでも国葬を止められない日本の現状をあらためて考える必要があります。日本共産党、れいわ新選組、社会民主党は早くから国葬欠席を表明しており、立憲民主党も15日の臨時執行役員会で、「執行部全員の欠席」を決めました。ずいぶんもたもたした決断だったけれど、野党第一党が欠席することの意味は必ずしも小さくはない。まさに国論の分裂を象徴しています。岸田政権は国葬決定を国会にはからなかったばかりか、裏での野党根回しもしていなかった。野党が完全になめられている現実も浮き彫りになりました。

A 維新、国民民主党などは出席の意向らしいですね。いまこそ野党再編が喫緊の課題になってきたと思います。独立言語フォーラム(Independent Speech Forum)のシンポジウムで、山本太郎れいわ代表と鳩山由紀夫元首相がエールを交換していたけれど、今後の政局はこの山本・鳩山を軸に進むのが理想的だと思いました。

B そこに日本共産党や社民党も結集してほしいですね。立憲民主党はこの際分裂して、まともな勢力はこちらに合流すべきじゃないでしょうか。同党は今回の決定にあたっても、党所属議員の国葬への出欠は個々の判断に委ねました。以前から思っているのだが、立憲民主党は労働組合の連合と手を切らないとダメですね。

A 連合の芳野友子会長は国葬出席の意向です。労働組合の最王手が連合だというのも不思議です。

・正しい行為をする人が正しい人である

B これからの結集の軸は「まっとうな政治家」対「そうでない政治家」というふうに区分けするのがいいですね。まっとうとは何を意味するのか。ずいぶんあいまいな基準で、誤解、あるいは曲解されるおそれもあるけれど、床屋談義ふう「常識」ということで言えば、大筋において正直であること(平気でうそをつかないこと)、利他的というほどでなくても利己主義に凝り固まっていないこと、金や権力より大事にしているものがあること、今だけでなく将来を見据えている、というようなことですね。

A 「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」幹事長の河合弘之弁護士が岸田首相の原発再稼働の推進策に反対するインタビューで、原子力ムラの行動原理は、「今だけ、金だけ、自分だけ」であると批判していましたが、今さえよければいい、金さえもうかればいい、自分の所属する組織さえ安泰ならいい、もっと言えば、自分が役職についているときだけうまく行けばいいという、きわめて利己的、短絡的な発想があらゆる組織に蔓延しています。後は野となれ山となれという発想が強すぎる。「国士よ、出でよ」と言いたいところですね。

B 古代ギリシャの哲学者、アリストテレスはこう言っています。「われわれはもろもろの正しい行為をなすことによって正しいひととなり、もろもろの節制的な行為をなすことによって節制的なひととなり、もろもろの勇敢な行為をなすことによって勇敢なひととなる」(『ニコマコス倫理学』岩波文庫版)。アリストテレスにとって政治は、善く生きる術を学ぶためにあり、善とは、善き市民を育成し、善き人格を養成することです。
 小さな規模の都市国家の理想をIT社会でどう実現するかはたしかに難しいけれど、サイバー空間の登場によって根こそぎ破壊されつつある既存秩序の長所を復活させ、さらには新しい秩序を生み出すためには、温故知新も必要です。いまこそ彼の素朴とも言える意見に耳を傾けたいと思うわけですね。

A 安倍襲撃から国葬決定に至るこの間の騒動をめぐって発言している中に、「まっとうな意見」を言う人がけっこういます。そういう人びとが、一時的であろうと、いったん政治の場に参加してくれるとずいぶん政治が変わるでしょうねえ。

B 具体名を上げるのは避けますが、大学の先生とか、評論家とか、ジャーナリストとか、あるいは政治家とか、ちょっと頭に浮かぶ人が結構います。それぞれに考えもあり、立場もあり、現実のしがらみもあるだろうけれど、希望としてはそういう方に政治の世界に、一時的でもいいから参加してほしい気がします。無名でも政治に関心をもつ「まっとうな人」は、いまこそ政治の場に進出してほしいし、我々有権者はそういう人に投票するようにしたいですね。

A 今回の参院選でれいわ新選組から大阪選挙区で出馬した八幡愛さんの母、「八幡おかん」が姫路市議選に立候補するとのことです。

B 冒頭の毎日新聞調査による政党支持率は、自民23、日本維新の会13、立憲民主10、共産5、れいわ新選組5、国民民主党4、公明4(各%)などで、「支持政党はない」と答えた無党派層は29%でした。自民支持率は前回の29から6ポイント下落している。

A ちなみに共同調査による政党別支持率は、自民39.3、立憲民主9.9、日本維新の会9.8、共産4.3、公明3.5、国民民主2.9、れいわ新選組2.3、社民1.2(各%)という順です。

B 相変わらず自民が断トツで、我らがれいわの支持者はまだ少ない。しばらく国政選挙はない予定ですから、来年の統一地方選挙を「まっとう人間」が大躍進する画期的なものにできればいいですね。

A れいわでも統一地方選での候補者探しを進めているようです。玉城さんが当選した沖縄県知事選と同時に行われた宜野湾市議選ではプリティ宮城ちえさんが2番手で当選しました。統一地方選を党勢拡大のチャンスにつなげてほしいと思います。

 

新サイバー閑話(63)<折々メール閑話>⑨

まともな人間を育てない「教育」

A 旧統一教会問題、安倍国葬、コロナ第7波、そして岸田政権の迷走、立憲民主党のグダグダ――、このところのニュースを見るにつけ、怒りを感じるより、むしろ脱力感に襲われます。このまま、国会も開かれず、統一教会問題もフタをされ、国葬実施となりそうな‣‣‣、これだけの不条理に対して、国民の自浄作用が働かないのは何故なんでしょうね?
 日々起こる政治的事件を追いかけるのにいささか疲れて、久しぶりに池田晶子さんの『人生のほんとう』という本を開いてみました。「人間が崩れてきた」と書いています。拝金主義が横行してきたというのがメインの主張ですが、16年前にこういうことを述べているのはさすがです。

B まず自民党議員が崩れ、野党議員も崩れ、岸田政権はまさに崩壊寸前、しかし、しぶとく持ちこたえている。自民党議員有志の会が「安倍元首相を『永久顧問』にした」という報道がありましたが、死者を「永久顧問」にするというのはどういうことでしょうか。ここでは日本語も崩れていますね。

A 何もしない岸田内閣なのに、なんと原発を再稼働し、新設も視野に入れると報じられました。東京新聞&中日新聞社説が「あの悲惨な原発事故をなかったことにしようというのか」と強烈に一発かましていましたが、岸田首相の背後にいるのは誰でしょうね。

B 古代ギリシャの哲学者、ディオゲネスは真昼間からランプをともして、行きかう人びとの顔を照らしていたらしい。「何をしているのか」と問われたとき、彼は「人間を探している」と答えたと言います。昔から「まともな人間」はなかなかいなかったということなんだろうけれど、当今の日本の現状を見ると、「まともな人間」が、とくに自民党周辺では絶滅した印象を受けますね。「アベノウィルス」、恐るべしです。

A 国民はどうかというと、さすがに報道各社の世論調査では国葬反対が賛成を大きく上回り、岸田内閣支持率も急落していますが、岸田内閣を打倒するような国民運動までには至っていない。メディアの追及も手ぬるい。国民の間の「まともな人間」の比率も低下しているようです。

B とくに若い層で内閣支持率が高いし、国葬賛成者も多い。これこそ安倍政権8年余の「成果」ではないかと思わされます。すっかり従順に飼いならされ、物事を批判的に見る力がなくなっている。ここに「失われた教育」が大きな影を投げかけていると言えるでしょう。
 もっとも、若い人だけの傾向でもないですね。自分の歳がら、高齢者専門の精神科医、和田秀樹さんの本をいくつか読んでみたけれど、その中に「テレビを見て、『そうだったのか!』と感心しているだけでは老後は心配と言えるでしょう」と書いてあった(^o^)。池上さんはそう言うが、私の経験ではそうとは言えないというふうに考える力が必要だと。そう言われると、池上彰がもてはやされる現状も変ですね。教育とはただ物事を知っているということではない。

A 池上彰がもてはやされるのは、彼の訳知り顔の能書きにころりと騙される手合いが多いからではないでしょうか? 池田晶子さんが『14歳からの哲学』以来言い続けたように、自分の頭で考えることが必要なんですね。

B 全般的に「知性の劣化」は否定しがたいですね。エマニュエル・トッドの『大分断』(PHP新書、2020)という本には「教育がもたらす新たな階級社会」という副題がついており、教育が知性を育むことから離れて、ただの「資格」取得のためとなり、物事を考える暇もなく学歴を積み上げていくだけの「自分でものを考えない」、「愚かな」人びとが指導層を生み出していると書いてあります。
 教育の変貌は世界共通のようですが、それにしても日本の現状はひどい。自民党政治家や評論家の中に、東大&ハーバード大卒などと経歴はずいぶん立派だが、なんと馬鹿なことを言うものかとあきれる人がけっこういる。教育と知性が切り離されているばかりか、高等教育を受けている過程でむしろ知性を失っていく恐れさえある。
 そのいい例が統一教会との関係をめぐる山際大志郎経済再生担当大臣です。2016年にネパールで統一教会系団体の国際会議に出席しスピーチもしているのにこれを否定し、報道でその証拠を突き付けられると「明確に覚えていないが、報道を見る限り出席したと考えるのが自然だと思う」と、まるで子どもの言い逃れのような発言をした(後に写真を見せられて「明確に出席した」と認めた)。この人は以前にも「我々は野党の人からくる話は何一つ聞きませんよ」と臆面もなく民主主義のたてまえを否定しています。大学院まで行って専門知識以外には何も学ばなかったようですね。
 ここにはもはや一片の「知性」もない。知的劣等生で悪ガキのような人間を党首にかつぎ、8年余も首相として君臨させた自民党集団にこそ知性の鈍化は否めないですね。山際大臣を依然として閣内にとどめている岸田首相も例外ではない。

A 信者から半ば強制的に大金を差し出させたり、壺などの霊感商法で法外な金を巻き上げたりしていた反社会的集団である統一教会と、なぜかくも多くの議員が関係をもっていたのか。自民党ばかりでなく、立憲民主党など野党にも毒牙は伸びていたらしいが、そのことが明らかになったあとの各議員の対応そのものがまことに「まとも」でない。ひと昔前なら内閣総辞職ものなのに、その元凶ともいうべき安倍前首相を国葬にしようという驚くべき事態です。

・「お前、さしずめインテリだな」

B コラム⑦でふれた「明るい闇」とも関係しますね。安倍元首相の献花にきた若い母親が理由を尋ねられて、小さな子どもを見ながら「この子が(首相を)好きだったもんで‣‣‣」と答える。今回当選した元タレントは選挙期間中も、当選後もほとんど発言していないようだけれど、要は自分に関わる問題にすら意見を言えない。統一教会の後押しがあったとはいえ、こういう人間を選ぶ有権者も情けない。
 一時「反知性主義」というのが話題になったけれど、それには2つの側面がありますね。1つは知性をふりかざす人間に対する批判、あるいは揶揄です。寅さんの「お前、さしずめインテリだな」に象徴される、むしろ健全な精神です。ここには「嘘を100回もついたら地獄で閻魔さまに舌を抜かれるよ」という庶民の知恵もあります。
 もう1つが知性そのものへの無関心、反抗、蔑視です。これはアメリカなんかで顕著なようだけれど、知性全般の否定で、これが日本に入ってくると、「ものを知らなくても平気」という態度になる。
 大学生が「高校で世界史を取らなかったから、ナポレオンって知らないんだよね」などと言います。昨今の教育は無知で大勢順応的な人間や、知識はあっても人間的にどうかと思うような人材を育ててきた。安倍政権が進めてきた教育改革の本質でしょう。

A バラエティー番組のコメンテイターの多くがいわゆるタレントで大勢順応的な発言が多いけれど、「お前、さしずめインテリだな」ぐらいの芸人としての矜持をもってほしいですね。

B 立身出世主義のころから学問を出世の方便にしてきた人は多く、東大法学部などはその最先端だったけれど、それとは違い、人格の陶冶をめざすとか、社会のために尽くす、あるいはそのような発見をするとか、まあ、ふつうに学問とか教育という言葉で頭に浮かぶような学問をめざす人も一定数いました。社会そのものがそういう人への尊敬の気持ちをもっていたわけですね。

A 教育の産業化なんてあり得ないですよ。ところが「人文系の学問はいらない」などとわけのわからないことを言う政治家がいる。2019年のれいわ街宣で応援弁士として登場した前川喜平さんが「自民党政治は印度哲学を学びたい学生にはまるでお金を出さない政治ですよ」と警告していたのを思い出します。

B 最近は子どもに投資の勉強をさせようとまじめに言っている人がいて、実際、そのような施設もあるようですね。

A 狂っているとしか言いようがない。池田晶子さんが指摘していますよ。小さな子どもまで「お金が欲しい、金儲けをしたい」と、夢ではなくて欲望を語る時代だけれど、「たとえ世界をわがものにしたとしても、心を失えば終わり」だと。五輪汚職で逮捕された電通の高橋治之元専務は年収4億円(?)だとか聞きましたが、彼が子どもの理想ということになると、これは恐ろしい。

B ハーバード大学教授のマイケル・サンデルは『それをお金で買えますか』という本で、市場が入り込むべきでない分野に市場が介入することで道徳、規範に変化が生じることを強調しました。たとえば本を読む習慣をつけるために、子どもに1冊本を読んだらなにがしの小遣いか褒美をやると、本を読むという行為が小遣い稼ぎに変質する。それでも読むようになればいいという面もあるが、結局、本を楽しんで読むという習慣が失われる。すなわち価値観が変わる。「生きていくうえで大切なものに値段をつけると、それが腐敗してしまうおそれがある」と言っています。

A 教育を市場原理にゆだねることが問題ですね。

B 空気、水、電力といった本来、人類共有の財産(コモン)であるべきものが資本に取り込まれて価値を付加され、そのことで人々の生活が脅かされている現状があるわけです。

A 岸田首相の「新しい資本主義」は官僚の入れ知恵だと思いますね。最近は資産倍増計画などと言い出した。「所得」ではなく「資産」です。どこまで行っても金のことばかり。子どもの投資の勉強は「新しい資本主義」にとって不欠欠だなんて言いだしそうですね。ちなみに高橋元電通専務がつくった会社の名は「コモンズ」なんですね。人類の共有財産までしゃべりつくそうという決意ですかね。

B そもそも学ぶということは人格を陶冶するというか、「まともな人間」になるためだったはずだが、教育が社会の底辺にまで広がると同時に、教育の質が変化して、本来の趣旨から外れてきているのはまことに皮肉です。そういうふうに育った人が社会の指導層になり、「教育」をはき違えたような教育改革に奔走、統一教会や国葬問題を生み出している。先のトッドも「今後は名誉がインセンティブとなるシステムに戻していかないと、社会が立ちいかなくなる」と言っています。まったく、「武士は食わねど高楊枝」とうそぶくほどの人材がほしいですね。池田晶子さんが「人間が崩れてきた」と言ったのはそういうことでしょうね。

新サイバー閑話(62)平成とITと私⑩

いざ鎌倉、源氏山大花見宴

 『ASAHIパソコン』創刊前の1988年春、外からの助っ人ばかりからなる編集部の気勢をあげるために、わが家の裏の源氏山で、「いざ鎌倉 大花見宴」を始めた。適当に酒と肴をもちより、家族や友人、知り合いを誘って、三々五々、毎年同じ桜のもとに集まる。紅白の垂れ幕を張って、粋な芸者?が歌って踊る、ちょっとドはでな花見だが、友が友を呼び、参加者が100人規模になることもあった。雨の日も最初から我が家で「花より酒」の宴を絶やさず、花見は2018年まで続いた。

 二十年見れども見れども桜かな

という小林一茶の句があったと思うが、まことに「三十年見れども見れども桜かな」の年月だった。花見は日曜と決めていたから、一週間日取りをあやまると、まだ五分咲きだったり、すでに花吹雪が舞ったり――、前日は満開だった桜が夜半の嵐で花の絨毯になってしまったこともある。花は真っ盛り、しかも晴天という年もけっこうあり、澄んだ青空をバックに桜が揺れるのを見ていると、新人として盛岡支局に赴任した翌5月1日、メーデー取材に同行して見た岩手公園のみごとな桜を思い出したりした。公園わきに石川啄木の、

 不来方のお城の草に寝転びて空にすはれし十五のこころ

の歌碑があった。春になると、何度も山に登って挙行日を決めるのは私の仕事だったが、そんなときは在原業平の、

 世中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

を思い出したりもした。

 冒頭の写真は2011年のもので、夕方だからすでに帰った人も結構いたが、ゴザや垂れ幕も片付けたあと、思い立って記念撮影したものである。

・花見宴実行委員会と若者3人組

 岡田明彦、熊沢正人の『ASAHIパソコン』創刊の大助っ人が花見でも実行委員となってくれ、熊沢さんは紅白の垂れ幕を用意し、パワーハウスの若手も動員、岡田君は地元の仲間たちを招いて大いに気勢を上げてくれた。家族が参加することもあった。我が家では近くの畳屋から大枚の畳表を調達、そのゴザが垂れ幕と並ぶシンボルになった。

 最初のころの顔ぶれには村瀬さん、おてもりさん、斎藤さん、編集部の宮脇、見沢両君、「あむ」の荒瀬君、小本さんなどの姿も見え、まさに『ASAHIパソコン』気勢会の趣で、当時の出版局次長、柴田鉄治さん、三浦君なども参加してくれている。その後はときに地元鎌倉の作家、井上ひさしさん、CGの大家、河口洋一郎君なども顔を見せた。雨の日に若い女性陣が気を利かせて持って来てくれたぬいぐるみで大いに盛り上がったこともある。明治大学の夏井高人さんも一度来て、しこたま酔っぱらって帰っていった。法政大学の白田秀彰さんが他の人とは群を抜いた伊達姿で若い女性と写っている写真も残っている。

 手元のノートに「週刊読書人」1999年2月5日号にライフワーク総合研究所の鈴木隆さんが書いた「わが交遊」というコラムのコピーが残っていた。花見宴を紹介したものだが、私が鈴木さんと知り合ったのは彼が大修館書店の編集者、私が『アサヒグラフ』編集部員の時で、徒歩で描き出した壮大な絵地図の作者を紹介してもらったのがきっかけだった。

 近所の井上ひさしさんのお宅を訪れた時、彼が「創刊以来のバックナンバーを揃えている」と合掌造りの2階の書棚にずらりと並ぶ『ASAHIパソコン』を見せてくれたときは、ちょっと感激した。北九州から中国文学者の林田慎之介さんがやってきて、朗々たる歌声を披露してくれたこともある。林田さんとは『月刊Asahi』時代に三国志特集をするときに寄稿していただいて以来の仲だが、その縁で知り合った知泉書館の小山光夫さんも常連の花見仲間で、彼にはその後、私のサイバーリテラシー3部作を出版していただくことにもなった。同書館の高野文子さんが一緒だったこともある。

 花見のアルバムを見ていると思い出はつきない。

 この花見で大活躍してくれたのが梶原巧、伊東文武、田村良作の若者3人組だった。彼らとの出会いは、ムック『おもいっきり電子小道具』のころに遡る。例によって助っ人探しに明け暮れていたころ、女性編集者が有能な学生がいると言って、連れてきたのが梶原君だった。

 彼は職場にやって来るなり、「もしかすると『アサヒグラフ』の矢野さんではないですか」と言った。手にはアサヒグラフ時代の私の名刺も持っていた。「そうだよ」、「やっぱりそうですか」。

 私が『アサヒグラフ』時代に取材したマイコン少年の1人が、まだ高校生だった彼だった。押し入れをマイコン部屋にしてゲームに興じていたが、「マイコンもだんだん自分に似てくる」などとしゃれたことを言って私を喜ばせたのである。その日は偶然の再会を祝してすぐ食事に出かけ、乾杯した(写真は『アサヒグラフ』1981.4.17号)。

 彼は工学院大学の学生で、すぐ仲間2人を連れてやってきて、3人の学生はそれ以後、『ASAHIパソコン』の強力な戦力になった。もちろん花見においても。

 最初の花見では前夜から泊まり込みで席取りになり、めざす一本の桜の下で寝ずの番までしてもらった。私が朝方山に登っていくと、隣に同じように寝転んでいる人がおり「ここは俺たちの陣地だ」と言った。「ほら、そっちの隅に靴が脱ぎ捨ててあるだろう。あっちには小枝がある」。「そんなに広い必要はないんじゃないの。半分譲ってくださいよ」と話は簡単についた。寝そべっていた人はすでに相当酒が入っていたが、すぐ仲間によって樽酒が届けられた。我々の方は昼まで酒はなく、ブルーシートの上に用意のゴザを強いたり、紅白の垂れ幕をかけたりと、花見ムードをつくりあげた。すると男性が「やっぱり花見はゴザじゃないとねえ」とやってきて、樽酒をふるまってくれた。鎌倉市内の飲み屋の仲間がやはり毎年、ここで花見をしているらしく、男性は高校の美術の先生で大変な酒好きだった。

 そんなことで昼過ぎになると、両グループはすっかり打ち解け、にぎやかな花見が始まった。梶原君は今でも「あのときほど酔っぱらったことはない」と回想している。我々は重い発動機を山に持ち上げ、レンタルのカラオケマシンで景気をつけたが、先方の飲み屋の女将が「花見にカラオケなんて無粋なものは持ち込んじゃダメ」と制止するのも聞かず、仲間から飛び入りも出て、花見は大いに盛り上がった。

 3人組はほぼ毎年花見に参加、そのうち彼女を連れてくるようになり、結婚して(私は2組の仲人をした)子どもが生まれ、家族ぐるみで参加するようになった。サイバー燈台の<Zoomサロン>ではOnline塾DOORSの履歴を紹介しているが、第14回にスピーカーとして出演してもらったのが伊東君の長男、直基君である。若かった3人ももう50代半ばである。

・花見に妍を添えた梅里桃太郎、そして西田グループ

 『ASAHIパソコン』創刊前だったと思うが、中江さんに六本木のピアノバーに連れてもらったとき、そこでピアノを引いていた梅里桃太郎こと芳賀敏さんに会った。音大ピアノ科出身で女装好き、花見をすると言ったらさっそく、出演してくれることになった。我が家に衣装を持ち込んで身支度を整え、しゃなりしゃなりと山に登る。「よっ!桃太郎」と拍手喝采で、通行の花見客からおひねりも飛んだ。あいにく雨の日に、敏ちゃんがせっかく用意したのに、と夕方になって鶴岡八幡宮の段かずらまで繰り出したこともあった。

 もう1人のVIPが入門講座や辛口コラムを書いてくれた西田雅昭さんである。彼はたしか2回目から最終回まで毎回、参加してくれたばかりか、コンピュータ仲間の黒岩潤司、久米正浩、市川剛、橘静枝、倉田彰敏、大江富夫、松島好則といったコンピュータやインターネットの猛者をどんどん誘い、それらの人びとがまた常連になって、花見グループの一大勢力を築くにいたった。みんな飲んベイかつうるさ型で、花見はいよいよ盛り上がった。『DOORS』を手伝ってもらった加藤泰子さんが顔を見せたこともある。

 そのうち岡田君が「春が源氏山の花見なら、正月はうちで新年会をやる」と言い出し、こちらも大井町で毎年3日に開かれ、花見を終えたあとまで続いたと思う。北海道出身の岡田君らしく炉に備えた石狩鍋が毎年の定番で、友人の劉宏軍さんが民俗笛の演奏をしてくれるなど、こちらもにぎやかな新年会だった。

 さらにある時、西田グループから夏は我々で合宿を計画するとの提案がなされ、黒岩さんのあっせんで高原の別荘で合宿したり、久米さんが地元の静岡の農家を借り切るなど、花見の輪は大きく広がりもしたのである。

 西田さんは現在、ライフワークとも言える『治安維持法検挙者の記録―特高に踏みにじられた人々』(小森恵著、西田義信編、文生書院)のデータベース作りに取り組んでおられる。恩師の小森恵さんが手がけた治安維持法検挙者のデータを引き継ぎ、2016年に大部の書物を刊行したが、そのデータをより完璧なものにすることにほとんど独力で取り組んでおられる。こういうことにこそ国(デジタル庁)の補助がほしいものだとつくづく思う。

 さて花見だが、我が家でも妻は敏ちゃんの着付けや定番となったタケノコと牛肉の煮物作りに忙しかったし、最初はまだ中小学生だった娘や息子も成人して社会人になり、家族で参加したり、友人を呼んできたりするようになった。いつの間にか、我々夫婦も「じいじ」、「ばあば」と呼ばれるようになっていた。

 後半には、サイバー大学の教え子で後にサイバーリテラシー研究所を助けてくれるようになった安田央、渡邊淳、新井健太郎、西岡恭史各君、やはりサイバーリテラシー研究所仲間の齊藤航君や藤岡福資郎君たちが参加するなど、メンバーも大きく移り変わったが、初期の参加者の輪はずっと続いた。ライターの吉村克己君や『月刊Asahi』で一緒だった高野博昭君は初期から参加してくれたし、朝日新聞の同期で大妻女子大学教授になった松浦康彦、『DOORS』で一緒だった鎌倉在住の角田暢夫両君も後半の常連だった。元NECの後藤富雄さんもその1人で、玄関にびっしり並んだ別人の靴を履いて帰ったこともある。

 30年の年月は重い。気持ちはあっても身体がままならぬ人も出て、山にまで登らず我が家に直行する人も増えた。お目当ての桜も老化し花ぶりも衰えたこともあり、2018年を最後に31年の幕を下ろした。この記録をきっかけに、Zoomで同窓会をするのもいいかと思ったりするが、花も酒もないような会ではだれも満足しないであろう(写真は2018年、最後の花見宴の一コマ)。

 

新サイバー閑話(61)平成とITと私⑨

私がインタビューした人びと

 創刊号から私は毎回、インタビューを続けてきた。パソコン発達に貢献した人びとの想像力と熱意あふれる話を聞いたり、パソコン使いの達人に極意を伺ったり、不自由な体でパソコンを駆使し新しい人生を切り開いた人の苦労話を聞いたり、パソコン通信を利用して二人三脚で小説を書く方法を尋ねたり、農家のパソコン利用について取材したりと、私自身がパソコンという道具について日ごろ考えていることを、その折々に来日した外国人も含めて、さまざまな分野の人に聞いたものである。有名人もいれば、無名の人もいた。

 写真を担当してくれたのは、かねてコンビの岡田明彦君である。かつて『アサヒグラフ』で全国の最先端技の現場を訪ねたように、私たちは月に2度、インタビューのために各地を回った。彼の人物の内面を映し出すようなすばらしい写真が紙面を飾ってくれた。この回に掲載した写真はすべて岡田君が当時撮影したものである。

・ニコラス・ネグロポンテが夢見た世界

 創刊号はかねて予定のニコラス・ネグロポンテ所長だったが、彼の「収縮する3つの輪」についてはすでに説明したので、ここではエピソードをいくつか紹介しておこう。

 彼はインタビュー前の講演で、こういう話をしていた。

 ウイズナー教授といっしょに、日本人実業家から箱根の別荘に招かれたとき、ウイズナー教授が、庭に飾られた彫刻を、その配置に触れながら具体的にほめたのに対し、当の実業家は「うーん」とだけ応えた。そうしたら通訳が、主人は、かくかくの点においてウイズナー氏の考えに賛成だといっております、とずいぶん長い英語に翻訳したので驚いた。コンピュータに「うーん」というと、私たちの感情をちゃんと解釈した言葉が出てくるようになることこそ、パーソナル・コンピュータの理想である、と。

  インタビューしたとき、彼はその話に触れて「通訳は主人のことがよく分かっていたので、発言の裏にある意味を汲み取って、具体的に相手に伝えた。パソコンはまだ月から突然やってきたみたいなもので、人間とは共通体験をほとんど持っていませんが、将来は、人間にとって親密な存在となり、通訳が会話の欠けていた部分を補ったように、あなたがコンピュータに『うーん』というと、そこに含まれた感情までも解釈して、相手に伝えてくれるようになるんですよ」と語った。

 私がテクノストレスなどの問題を持ち出して、コンピュータ社会の弊害に水を向けると、彼は「コンピュータが導入されると、人間が神経質になり、ストレスが増えるという考えも間違っています。現実はその反対で、コンピュータを使うことで生活を便利なものにし、そのおかげで、自分や家族のために使う時間を増やすことができるということなのです」と、いかにもコンピュータ伝道師らしい答えだった。

 彼は当時から、まだ重くはあったが、携帯パソコンを持ち歩いていた。コンピュータへの情熱がひと一倍強いからだろう、その将来にはきわめて楽観的だが、彼もまた明快なビジョンによって、メディアラボを引っ張り、パーソナル・コンピュータ発達史に大きな足跡を残した人である。雑誌『Wired(ワイアード)』創刊にも深く関わり、そこでコラムを書き続けている。

 ネグロポンテさんは、建築科の学生だったころ、よりよい設計のために建築家を助けるマシンがほしいと考え、アーキテクチャーマシン・グループを設立している。25歳でMIT教授に就任、メディアラボ所長になったのが32歳の時である。端正な顔立ち、スマートな物腰、やわらかな語り口、「先端的なコンピュータの仕事をしている科学者・学者というより、洗練され、成功したインターナショナル・エグゼクティブのよう」と言われていた。新分野に果敢に取り組む若い人たちの才能を見つけ出し、引き上げていく新人発掘の名手でもあった。

 後に『DOORS』時代、私はメディアラボ准教授である石井裕さんから、その具体例を聞いた。石井さんはNTTヒューマンインターフェース研究所でグループウエアを研究し、コンピュータとビデオと通信技術を利用した画期的な仮想共同作業システム「チームワークステーション」開発などで高い評価を受けていた。メディアラボに招かれる経緯はこうだった。

 94年に、それまで一面識もなかったアラン・ケイから電子メールで、コラボレーション(共同作業)をテーマにしたアトランタ会議への参加要請を受ける。会議にはネグロポンテ所長も来ていて、会議後、いきなり「メディアラボに来ないか」との誘いを受けた。アラン・ケイは口説き文句として、「メディアラボは、技術やシステムではなく、あなたのエステティックス(美学)を求めている」と言ったという。「日本では技術や開発だけが科学者の研究対象だとみなされて、コンセプトや美学・哲学の研究はあまり認められなかった。それをアラン・ケイが初めて評価してくれてたいへん感動した」。彼はこの申し出を受け翌95年、MITで面接試験代わりの講演をし、10月から准教授に就任した。

 MITは石井さんが発表する論文などを通して、その才能に目をつけ、デモをする機会を与え、合格となると、その場で彼を招聘してしまったのである。経歴重視や根回し本位の人事では、こういう芸当はできない。MITに多くの才能が集まる秘密の一端がそこにあるだろう。後にやはりネグロポンテさんの強い推挽でメディアラボ所長となった伊藤穣一君の場合は、本人から事情を聞く機会がなかったが、よく似た経緯だったのではないだろうか。

・梅棹忠夫「情報理論」の世界的先駆性

 創刊1周年を記念して満を持してインタビューしたのが、国立民族学博物館長だった梅棹忠夫さんである。専門の文化人類学はともかく、情報に関する分野で言えば、1969年に書いた『知的生産の技術』(岩波新書)が有名だが、それより前の1963年に発表した「情報産業論」は、短い論文ながら、世界に先駆けて情報社会の到来を予言した画期的なものである。

 そこにはこう書かれている。

 「情報産業は工業の発達を前提としてうまれてきた。印刷術、電波技術の発展なしでは、それは、原始的情報売買業以上には出なかったはずである。しかし、その起源については工業におうところがおおきいとしても、情報産業は工業ではない。それは、工業の時代につづく、なんらかのあたらしい時代を象徴するものなのである。その時代を、わたしたちは、そのまま情報産業の時代とよんでおこう。あるいは、工業の時代が物質およびエネルギーの産業化が進んだ時代であるのに対して、情報産業の時代には、情報の産業化が進行するであろうという予感のもとに、これを精神産業の時代とよぶことにしてもいい」

 梅棹さんは、農業の時代、工業の時代、情報産業の時代という「産業史の3段階」を、有機体としての人間の機能の段階的な発展と関連づけ、それぞれ内胚葉産業の時代、中胚葉産業の時代、外胚葉産業の時代とも呼んでいる。「農業の時代は、消化器官系を中心とする内胚葉諸器官の機能充足の時代であり、その意味で、これを内胚葉産業の時代とよんでもよい」「工業の時代を特徴づけるものは、各種の生活物質とエネルギーの生産である。それは、いわば人間の手足の労働の代行であり、より一般的にいえば、筋肉を中心とする中胚葉諸器官の機能の拡充である。その意味で、この時代を中胚葉産業の時代とよぶことができる」「(最後は)外胚葉産業の時代であり、脳あるいは感覚器官の機能の拡充こそが、その時代を特徴づける中心的課題である」。そして、コンピュータは「外胚葉産業時代における脳あるいは感覚器官の機能の充足手段」として位置づけられ、その役割が期待されていた。

 発表当時、大いに話題になったはずだが、トフラーの『第三の波』から遡ること20年というのはすごい。これらの論考を集めた『情報の文明学』『情報論ノート』(いずれも中央公論社)が1980年代末に出版されているが、いま読み返してみても、新鮮な驚きに打たれる(「情報産業論」の先駆性については、本サイバー燈台所収の小林龍生「『情報産業論』1963/2017」』の一読をお薦めしたい)。

 『知的生産の技術』は、発売当時ベストセラーになったから、多くの説明はいらないと思うが、今の若い人で知っている人は少ないかもしれない。知的生産とは「頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら―情報―を、ひとにわかるかたちで提出すること」と定義されている。これからは「情報の検索、処理、生産、展開についての技術が、個人の基礎的素養としてたいせつなものになる」との認識のもとに、その具体的技術を紹介したものだ。「情報の時代における個人のありかたを十分にかんがえておかないと、組織の敷設した合理主義の路線を、個人はただひたすらはしらされる、ということにもなりかねないのである。組織のなかにいないと、個人の知的生産力が発揮できない、などというのは、まったくばかげている。あたらしい時代における、個人の知的武装が必要なのである」とも書いている。

 『ASAHIパソコン』創刊号の特集は「めいっぱいパソコン情報整理術」だった。あのころに私たちが見た夢は、いまはスマートフォンではすでに当たり前になっている。情報を扱う技術の発達には、まことに時代の進化を痛感させられる。

 梅棹さんは、1986年3月に突然視力を失うという不幸に見舞われ、不自由な生活を強いられていたが、杖をつきながら民族学博物館を案内してくださった。そこで「知的生産の巨大技術の開発と実行」でもあった民族学博物館づくりの苦労話を聞いたのだが、巨大コンピュータ・システムに支えられた博物館を作る際、「『文科系の研究所になぜコンピュータがいるんだ』とよく言われました。それに対して私は『考え方が反対で、需要に応じて機械を入れるのでなく、まず機械を入れれば、需要が出てくる』といったんです。博物館自体がそうで、世論調査をいくらやっても、博物館を作れというニーズなんか出てきません。だけど作れば、喜んで利用する。需要が供給を呼ぶのではなく、供給が需要を呼び起こす。新しいものはすべてそうです」と話してくれたのが、とくに印象的だった。

・木村泉・森毅・佐伯眸

 創刊前の1988年3月、木村泉『ワープロ徹底入門』(岩波新書)が出版され、たちまちベストセラーになったことが私に大きな自信を与えてくれたのだった。そのころすでに十数万部が売れていた。コンピュータという専門領域の話をやさしく語った文章、「とことん派」を自称する著者の徹底した実証精神が、多くの人に、この本を手にとらせたのである。

 冒頭で、木村さんは「ワープロは洗濯機や電子レンジと同じようなものでね。ま、食わずぎらいしないでつきあってやって下さいよ」と読者に呼びかけ、その気のある人には「若いもんにばかにされないように、ワープロとの具体的なつき合い方を伝授する」と約束していた。さらに著者としてやりたいこととして、「ワープロがわれわれの生活にさいわいをもたらし、災いをもたらさぬようにするための手だてをさぐりたい」と、社会的影響にも言及していた。「ワープロ」を「パソコン」に置き換えれば、私が『ASAHIパソコン』でやりたいと思っていることではないか。

  先輩に会いに行くようなワクワクした気分で東京工業大学に木村教授を訪ねた日が、つい最近のように思い出される。「パソコン徹底入門」のさわりを聞きに行ったのである。

 「パソコンはワープロと比べて、まだ前もって説明しなければならないお流儀が、傷口として残っています。いろんなことができるんだが、それをなめらかに行うための工夫がない」「エムエスドスは傷口だらけとも言えます」という木村さんに「現段階ではパソコンよりもワープロの方が便利ですか」と恐る恐るたずねると、「これは、何をおっしゃるウサギさんでありまして、実はパソコン入門の本を書きたい」との答えで、私は大いに意を強くした。

 いろんなキーボードの話、文章を書く道具としてのワープロの利点などを聞いたが、「ソフトの違法コピーはどうしたらなくせるか」という私の質問に対して、木村さんは「よくわからないんだけれど、いままでの日本の国民性の中ではあり得るように思います。宮沢賢治の『オッペルと象』の象ではないけれど、世間さまに対して、ひとつ生きてる間は耕してがんばろうと、安楽とはいわないまでもそこそこ食えて、働いて、『ああつかれたな、うれしいな、サンタマリア』とオッペルの像が言うわけでしょう。あんな感じの雰囲気が常識になればいいと思いますね」と答えた。ソフトウエアを作る人は楽しみながらも一生懸命働く、それにユーザーがきちんと応えるような社会を期待しての発言だったのだが、さて、日本の現状はどうだろうか。

 数学の森毅・京大教授には、1990年初頭に会っている。専門の数学を離れて、文学、評論の分野でも活躍、その飄々として、しかも歯に衣着せぬ発言で「森一刀斎」とも称されていた森さんに、パソコンよもやま話、情報社会とのつきあい方を聞いた。話は多岐にわたり、いずれもおもしろかったが、プライバシー問題にからんでの「情報社会とバグ」の発言を紹介しておく。まことに含蓄深いというべきだろう。

 「バグなしの情報というのは無理なんでね。こっちもバグがあると思いながら付き合うよりしょうがないんじゃないかな。コンピュータ科学者たちと話していて感心したことがあるんです。プログラムにはバグは、虫はいるんやと。虫はおってもええけれども、あまり暴れたら困るんで、なるべく小さな所に関門があって、遠くまで影響を及ぼさないようにしておく。虫が異常発生して変なことが起こると、遠くからでも分かるようになってるのがいいプログラムやというんですね。コンピュータの虫のエコロジーです。われわれだって、適当に虫を飼いながら健康に生きとるわけで、うっかり抗生物質を使いすぎて虫がいなくなると、逆に変なことが起こったりします。今の比喩で言うと、健康であるよりしょうがないんですね」
 「虫がいる方がたぶん自然なんでしょうね。情報の世界を変な清潔幻想と同じ感じでとらえるのは無理じゃないかな。いま、教科書が非常につまらないのは、虫がいたらいけないことになってるからでね。それで、しょうもないところにうるさいんですよ。だけど、間違いを見つけた方にしてみれば、楽しいですからね。間違いぐらいあったっていいと思うんですよ。大学の教科書ぐらいになると、図々しいのがたまにあって、この本にあるミスプリを発見するのは諸君の勉学になるだろう、なんて書いてあります。情報とのつきあい方というのは、本来はそういうものだと思うんです。相手の権威を信用してはいけない。自分で判断せんといかんわけですね。短期的には、いろいろ規制せざるをえないかも分からないけれど、規制することがいいことだということになったら、これはもう情報自身と矛盾しますね」

 『教育とコンピュータ』(岩波新書)の佐伯眸・東大教育学部教授には、コンピュータのシミュレーション機能を中心に話を聞いた。佐伯さんは、コンピュータが経験代行的なシミュレーションに使われていることに疑問を呈し、「シミュレーションといわれているものの何がおかしいかというと、シミュレーションを作ったプログラマーのコンセプト、目的意識、メタ理論などを隠すところです。舞台の前面だけを見せて、すべてを描き出しているがごとく見せて、われわれを受け身の観客にしてしまう。代行させようとしている人の意図が浅い場合、一見うまくいっているように見えても深まりがないし、またほんものそっくりになってしまったら、現実を力学の対象としてみるのか、美術の対象としてみるのか、それらが全部はいってしまい、ということは、結局、何にも見えなくなってしまう」と言った。

 「ある分子構造だとか流体力学だとか、実際に手で触れるような経験ができないものをシミュレーションしていくのは分かるけれど、そうだとすれば、ある構造をどう探索しようとしているのか、どういう方向で意味を抽出しようとしているのか、いつもユーザーとインタラクションできるような構えがなくてはいけない。そのとき重要なのが『略図性』という概念です。略図では、裏にある意図、目的、方向づけなどがはっきり見えるからこそ、ユーザーとのインタラクションできるのです」

 佐伯さんは、「コンピュータを経験代行的に使うのではなく、さまざまな活動を触発するために使うことが大切」といい、教育現場で実際に行なわれている例をいくつかあげてくれた。また、コンピュータをグループ・インタラクションの媒体として利用するグループウエアが、これから教育現場でコンピュータを活用するための一つの方法だと話してくれた。

・ハイパーテキストとネルソン、そしてアトキンソン

 テッド・ネルソンはパーソナル・コンピュータ黎明期に『コンピュータ・リブ』と『ホームコンピュータ革命』を出版し、いち早くその知的ツールとしての可能性を予言、多くの人々に強力な影響を与えた。1989年9月、国際シンポジウムに出席するために来日した「伝説の人」に会った。

 ジャケットにジーパンというラフな姿。しかし、ネクタイを締めていた。髪はふさふさと、足は長く、軽快そうな靴をはいて、とても50歳過ぎには見えなかった。目はやさしく、いたずらっぽく、笑っていた。ハワード・ラインゴールドは『思考のための道具』でネルソンについて「社会的おちこぼれで、うるさ型の自称天才である。……。野性的で活気があり、想像力が豊かで、神経過敏であるためか職につくのに問題を起こしがちで、同僚とトラブルが多い。彼こそ、数年前は10代前半で自作のコンピュータやプログラムに夢中で、現在はパーソナル・コンピュータ産業での立て役者である世代の隠れた扇動者である」と書いている。インタビューした感想で言えば、才気にあふれ、上品なユーモアセンスを身につけた、実に魅力的な人だった。父親は『ソルジャー・ブルー』などで有名な映画監督、ラルフ・ネルソンで、母親も女優だった。

  ハイパーテキストについて、ネルソンさん本人はこんなふうに語った。

 「ハイパーテキストの考え方は、さまざまな文書をいかにして相互に関係づけるかということです。あるテキストに出てくる言葉を知りたければ、すぐそちらに飛び、そこで出てくる動物を知りたいと思えば、またその絵が出てくるテキストに飛ぶ、といったふうに、一瞬にして相互に関連付けられるテキストです。ハイパーテキストは文章、映像、グラフィックスなど、どんな形式の情報でも取り込むことができるし、その情報を相互に関連付けることもできます」

 学生時代につけていた厖大なメモの山を前に、押しつぶされそうな気分になり、どうしたらそれらメモ同士を関連づけられるかを考える中で育まれたアイデアらしいが、「紙のメディアは文章を秩序だって整理するにはいいけれども、直線的で、硬直的である。もっと自由な発想、ひらめきがほしい」ということでもあった。

 ハイパーテキストという考えをはじめて提示した『コンピュータ・リブ』は、のちにアップデート版が市販され、私もそれを入手したが、その実験的試みとしてだろう、表紙が前と後の二つあり、どちらからでも読める、いや、本全体のどこからでも読めるという新しいテキスト形式の実験にもなっている。

 このハイパーテキストの考えを具体化するためのプロジェクトが「ザナドゥー(Xanadu)」である。人びとのさまざまな見方、考え方を一堂に集めた共通の場をつくるのがねらいで、「ザナドゥーでは、全世界の著作物をオンラインで結び、すべての人がそのシステムを利用して情報交換する」ことをめざした。ザナドゥーは、オーソン・ウエルズの映画『市民ケーン』に出てくる新聞王の大邸宅の名でもあるが、ネルソン氏によれば、「原典は、英国の詩人コールリッジの『クブラカーン』で歌われている桃源郷」なのだという。彼は「この詩はアメリカやイギリスではよく知られていて、表現が非常に美しいので、ザナドゥーという言葉を聞くと、みなが文学的響きを感じます」といって、その詩の一節を朗々と暗唱してくれた。

 ザナドゥーでは、著作権を保護するための仕組みも考えられ、全世界を情報ネットワークで覆おうという壮大なものだが、「世界で最も長いプロジェクト」とも呼ばれ、構想から4半世紀たった当時、なお実現のメドはたっていなかった。ネルソンさん自身、「このプロジェクトは、蒸気のような、上にのぼっていくけれど、どこに行くのかわからないベイパーウエア(Vaporware)です」と笑い、「アラン・ケイの『ダイナブック』、ニコラス・ネグロポンテの『アーキテクチャー・マシン』、私の『ザナドゥー』、この3つがベイパーウエアと呼ばれている」とつけ加えた。

 ハイパーテキストは、いくつかの枝分かれ構造と対話型の応答を基本にしているが、そういった考えを最初に商品化したソフトが、マッキントッシュ用の「ハイパーカード」だった。ハイパーカードの開発者、ビル・アトキンソンさんは、絵を描くソフト「マックペイント」の開発者でもある。

 私は、インタビューの前文で「ハイパーカードは、文書やグラフィックスばかりでなく、ビデオ、音声、アニメなどあらゆる情報を自由にコントロールできる新しい情報ツール・キットである。初心者が使いやすいように、さまざまな工夫もしている」と紹介している。ハイパーカードは、最初からマッキントッシュに標準装備(バンドリング)されており、すでにハイパーカードを使った「マルチメディアの新しい本」も発売されていた。

 アトキンソンさんは、「自転車のような道具が人間の肉体的な力を増大させたように、パーソナル・コンピュータは、創造力とか学習、記憶などの精神的な力を増大させてくれる。1984年に世に送り出したマッキントッシュのデザインの基本は、この『精神のための車(Wheels for the mind)』であり、わたしたちの夢の第2弾が、1987年に完成したハイパーカードだ」と語った。

 ハイパーカードを起動すると、ホームカードという最初のページが現れ、そこにカレンダー、予定表、住所録、電話帳といったアイコンが並んでいる。それぞれの項目に入力したデータは、「ボタン」によって相互に関連付けられるのが「ハイパーテキスト」的だったのである。

 私は「こういったシンプルで美しいプログラムは、どのようにして作られるのか」を聞いてみた。アトキンソンさんの答えは、なかなか感動的だった。

 「最初の一年間はたった1人の人間、すなわち、わたしが手がけました。アイデアを錬っていたんですね。その後で人びとが入ってきて約40人のチームになりましたが、プログラマーは5人程度です。あまり多くの人が1つのプログラムにかかわるとかえってだめになってしまいます。ビジョンを打ち立てるメインデザイナーは1人で、何人かのアシスタント・プログラマーと密接な関係をもって動くのが基本です」「ソフトウエアの開発は、自分のほしいもののおぼろげなアイデア、大きな霧のようなものからスタートします。それをしだいに雲のように輪郭を明らかにしていく。一歩下がって眺めているうちに、自分はこういうものを作っていたんだということを『発見』するのです。なるほどこれはあれだったのか、あれじゃだめだと、それを捨て去って、また最初から始めます。それを何度も繰り返す。作り上げたものを捨て去り、作りなおす過程で、作ろうとしているものがより明確に見えてくる。目指すものができあがると、テストしてもらう。予想通り動くかどうか調べてもらって、そこにいろんなものをつけ加えていく。それで形がデコボコになると、もっとシンプルなものに整えなおす。そうして、しだいによりシンプルになり、いよいよ本質に近づいていく。だからソフト開発はずいぶん時間がかかるし、試行錯誤が何度も繰り返されるのです」。

・知的生産の技術としてのパソコン―紀田順一郎・石綿敏男

 梅棹さんのところでふれたけれど、私の興味は知的生産の技術としてのパソコンだったから、文芸評論家ですでに『ワープロ考現学』、『パソコン宇宙の博物誌』などの著書もあった紀田順一郎さん、『電子時代の整理学』の著者で放送教育開発センター所長だった加藤秀俊さん、推理小説作家でパソコン通信をフル活用して作品を書き上げていた2人合作のペンネーム、岡嶋二人さん、能の権威ながら電子小道具の達人で『システム文具術』の著書もあった武蔵野女子大学教授、増田正造さん、『ウィザードリィ日記』、『怒りのパソコン日記』などで知られた翻訳家、作家の矢野徹さんなどにもインタビューしている。

 そのうち紀田順一郎さんと、横書きのカタカナ表記の基準を聞いた言語学者の石綿敏男茨城大学教授のさわりの部分だけ紹介しておこう。

 紀田順一郎さんは仕事に趣味にパソコンをフル活用し、「パソコンが文字通りパーソナルな道具になれば、個人の知的生活はより豊かになるだろう」と考え、実践もしていた「パソコンの達人」で、話を聞いて楽しく、また同感することも多かった。当時紀田さんが使っていたソフトは、ワープロが一太郎、データベースがdBASEⅢ、表計算がエクセル(マックⅡで使用)。ワープロ辞書についてとくに話がはずんだ。

 当時、ワープロの辞書については2つの考えがあった。1つは梅棹忠夫さんに代表される「ワープロは何でもかんでも漢字に変換してしまうから、文章に漢字が増えた。すぐに漢字に変換しないソフトを作れ」という意見。もう1つは紀田さんのように「推挽、杜撰、憂鬱、冤罪、隔靴掻痒、一瀉千里など、ちょっと特殊な文字になると辞書に入っていないことが多い。もっと辞書を充実すべきだ」という意見。

 紀田さんは「日本文化のためには旧仮名遣いで変換する辞書を作れば、研究者や図書館員が助かるから、モード切替でやれるようにしてほしい」と述べ、私も「紀田順一郎の辞書」とか「大阪弁の辞書」があっていいなどと述べているが、この辺もまた時代の進歩はすさまじく、コンピュータ能力と記憶容量の飛躍的増加で、いまではほとんど解決されている。たとえばWordで自前の辞書を作るのは当たり前になっている。

 もっともこれは辞書作りや文字コードづくりに懸命に取り組んだ文科系、技術系の先達が取り組んだ苦闘の歴史を背景としている。文字コードの世界標準、ユニコード策定に貢献した小林龍生さんとは後に知り合い、別の機会にインタビューしているが、それは後述したい。小林さんは一時、一太郎で有名なジャストシステムに在籍し、そこで紀田さんたちと辞書作りに取り組んだ人でもある。

 石綿さんは、『ASAHIパソコン』の表記基準策定にあたってのお知恵拝借インタビューだった。たとえば、『アサヒグラフ』では、朝日新聞でふつう使われているように、コンピューターと音引きを入れていたが、『ASAHIパソコン』では、専門誌の立場から、コンピュータ業界でふつうに使われるコンピュータと音引きなしに統一し、そのように表記していた。

 専門用語の扱い、とくに外国語のカタカナ表記は、常に頭の痛い問題で、エレベーターは音引きがあるのに、コンピュータがないのはどうしてか。メモリー、メーカー、メンバーはどうするか、スキャナ、ドライバは、となるとこれまた微妙で、5音以上は音引きなし、3音以下は音引きを入れる、4音は慣用による、などと校閲担当の大塚信廣さんと相談しながら「本誌のルール」を作ったりしたが、慣用の基準が時期がたつと変わったりで、なかなか始末が悪く、「最終的には編集長の気持ち次第」となったりもした。

 そこでコンピュータを使った自動翻訳のための自然言語辞書作りに取り組んでおられた石綿さんに、パソコン、ワープロなどの和製英語、フロッピーディスクドライブ、パブリックドメインソフトなどと3つの単語をつなげるときの・の入れ方、外来語と言語の意味のズレなどについて話を聞いたのである。

 結果は「基準を2つに分けた方がいいかもしれませんね。エスカレーターとかエレベーターとかいう、ふつうの言葉はふつうの表記法を尊重する。コンピュータ、ディレクトリなどは、専門知識を一般の人に伝える専門誌の立場として、専門用語、その述語の表記法を尊重する」という常識的な線におちついた。しかし、言葉は生き物である。コンピュータやインターネットの普及で、この種の専門用語もいつのまにか普通用語になっているし、言葉の基準作りはなかなか難しい。マイクロソフトのブラウザーは当初、エキスプローラと表記されていたが、後にエキスプローラーと変わったという具合である(もっともエキスプローラーは今ではエッジに変わっている)。

 インタビューしたのは総勢44人で、ほかにもこんな方々がいた。事故で手足の自由を失いながら持ち前のがんばり精神でパソコンに挑戦、CG(コンピュータ・グラフィックス)で作品を発表したり、パソコン通信で同じような仲間に夢を与えたりしていた上村数洋さん。金春流家伝の太鼓の手付きをワープロで表記していた金春惣右衛門さん。パソコン通信、琵琶COM.NETで活躍していた陶工の神崎紫峰さん、神崎さんは古信楽焼を再興した人で、私は その苦労話に大いに感激、誌面もそちらの話が多くなった。秋葉原電気街の知る人ぞ知る「本多通商」の本多弘男さん。「マイコン乙女」にして「UNIX解説者」の白田由香利さん。

 日本の電卓メーカーから米インテル社に派遣され、世界初のマイクロプロセッサ開発に大きな役割を果たした嶋正利さん。『思考のための道具』の著者で、その後もたびたび来日していたハワード・ラインゴールドさん。NECでパソコン事業部立ち上げに貢献した渡辺和也さん、彼は「物事を始めるベストタイミングは80%の人が反対している時だといいますよね」と思わず膝を叩きたくなるようなことを言った。当時放送教育研究センター助教授で、後に東京大学大学院教授となった浜野保樹さん、『ハイパーメディア・ギャラクシー』や『同Ⅱコンピュータの終焉』などの意欲作で、コンピュータが中心となって推し進める将来像を洞察しようとしていた。情報法の権威で、高度情報社会のプライバシー問題に取り組んでいた一橋大学教授の堀部政男さん、など。

 このインタビューをふりかえって思うことは、1つには『ASAHIパソコン』の仕事が、私にとって常に新しいことへの挑戦だったことである。もう1つはこの35年におけるコンピュータ、およびインターネットの発達のすさまじさである。かなりの人が話してくれた将来の夢は現在ではほとんどかなえられている。テッド・ネルソンさんが言っていたベイパーウエアがいつの間にかインターネットの現実になっているのである。一方で、当時は想像もしていなかった新しい事態がいま人類全体を深く覆っている。私は2000年ごろからIT社会を生きる基本素養として「サイバーリテラシー」を提唱するようになった。

 このインタビューは、のちに『パソコンと私』(福武書店、1991)として出版された。装丁は熊沢さんで、美しくかつ重厚な本に仕立ててくれた。私の本格的著作の第1号でもある。1991年8月2日、仲間が『パソコンと私』出版と『月刊Asahi』異動をかねたパーティを開催してくれ、インタビューした人びとも含め多くの知人、友人から祝福を受けた。