新サイバー閑話(55)<折々メール閑話>⑦

「安倍国葬」にみる現代日本の「明るい」闇

B なかなか終われない<折々メール閑話>です。安倍元首相銃撃事件に対するメディアの見当違いとも思える「暴力に屈するな」、「言論を守れ」というご都合主義的な「軽さ」については前回ふれたけれど、その後の調べで、犯行はカルト宗教、旧統一教会(現在は世界平和統一家庭連合、以下統一教会と表記)に絡むことがわかりました。母親が同教会にのめり込んで多大な献金をしたために家庭が崩壊、そのうらみをはらすために元首相を襲った。同教会と安倍元首相の深い関係はぼ公然の秘密、というより、安倍氏本人は隠しもしていなかったわけですね。
 彼のこれまでの政治的実績、およびその責任については前回書いたのでくり返さないけれど、犯人は元首相の主張とは無関係に、ただ「親の仇討ち」の一目標として銃撃したようです。

A その元首相を岸田首相は国葬にすると決めました。銃弾に倒れたというのが大きなきっかけですが、むしろその不幸な死を最大限に利用して、自民党支配を徹底しようという思惑がはっきり出ています。今に来ての自民党の安倍絶賛モードは恐ろしいほどです。
 岸田首相は国葬にする理由として8年8か月という憲政史上最長の首相在任期間を上げていますが、その間に安倍元首相がやった諸政策への検証はまったくない。不慮の死を遂げた安倍元首相を祭り上げて、あらゆる批判を封じるとともに、そのことで岸田内閣の安定を図ろうとする「元首相の政治利用」の魂胆が見え見えです。
 戦後、国葬をしたのは敗戦直後の吉田茂だけで佐藤栄作、大平正芳、中曽根康弘、みんな国葬ではなかったですね。
 政党で国葬にはっきり反対しているのは日本共産党、れいわ、社会民主党だけです。共産党はすぐ志位委員長談話を発表し、「安倍元首相を、内政でも外交でも全面的に礼賛する立場での『国葬』を行うことは、国民の間で評価が大きく分かれている安倍氏の政治的立場や政治的姿勢を、国家として全面的に公認し、国家として安倍氏の政治を翼賛・礼賛することになる」と厳しく批判しています。れいわも「国葬という形でこれまでの政策的失敗を口に出すことも憚れる空気を作り出し、神格化されるような国葬を行うこと自体がおかしい」との声明を発表しています。

B これらの意見はまっとうですね。ジャーナリストの佐藤章がツイッターで実に明快な批判をしています。「安倍は日本国に殉じたのでも功績を残したのでもない。国に残したものは国民の分裂と混乱、行政の堕落と経済の泥沼。しかも最期は霊感商法の『守護神』として霊感商法被害者の家族に復讐された。国葬とするなら文字通り日本国の『国葬』となろう」と。
 元首相は森加計問題、桜を見る会などで司直の捜査を受け、罪に服すべき人間でもあったわけで、凶弾に倒れたことでそれらがすべて反故にされ、祭り上げられるというのはまことに皮肉です。
 死者への哀悼と彼の政治的責任がごっちゃにされている昨今の風潮にこそ、現代日本のおぞましい状況を感じざるを得ません。それは必ずしも岸田政権だけの話でもなく、それになびきがちのメディアもそうだけれど、もっと深刻なのは、かなりの国民がそのことを不思議とも思わず、なんとなく認めてしまっているように見えることです。
 テレビニュースでこんな画面を見ました。
 事件現場の奈良市や都内に設けられた献花台にけっこう若い人も参列しており、奈良では若い母親がインタビューされて、「この子が(元首相を)好きだったので」と幼稚園児らしい子どもを指さして話していました。東京ではパート従業員という若い女性が「日本のためにがんばってくれていたのに」と涙ながらに語っていました。
 奈良の母親は子どもになぜ「ウソをついたら地獄で閻魔さまに舌を抜かれるよ。この人は国会でウソを100回以上もついていた人ですよ」と教えないのか。パート従業員の女性はなぜ自分の給与が低く、ここ数十年、暮らしが楽にならないのは政治のせいではないかと考えないのか。
 ここには、ものをまともに考えなくなっている日本の「明るく」、それ故に底なしに「深い」奇妙な闇が広がっていると思います。こういう人を選んだかのようにテレビで流して平気な放送局も同じです。
 安倍政権(を始めとする自民党政権)は、長い時代に大勢順応的で政権批判をすることは中立的ではないと思う人びとを育ててきたわけですね。その「遺産」を岸田政権は踏襲し、日本をますます劣化させていきたい、そのための国葬と言ってもいいでしょう。

A 前回は参院選投票前日だったわけですが、選挙の結果は、「嬉しさも中くらいなりおらが春」という感じでした。れいわの熱狂的支持者の間では「れいわ旋風」が起こったとの声まで上がっていましたが、もともと選挙にあまり関心を持たない層には、それこそどこ吹く風なんだということも感じさせられました。少なくとも比例で長谷川うい子、大島九州男、高井たかしは通るのではないかと思っていましたが、ふたを開ければ特定枠の天畠大輔と水道橋博士のみ。大阪のやはた愛、埼玉の西みゆかなどよく健闘したとは思いますが‣‣‣。

B 水道橋博士の滑り込み当選は、前回衆院選での大石あき子に次ぐ「滑り込み快挙」で、選挙運動の進展に伴いぐんぐん成長していった彼の今後は大いに楽しみです。
 しかし、全体的に見ると、投票率は相変わらず低く52%、自民圧勝、維新も伸びるという今後の政局に暗雲が漂う結果でしたが、その「暗雲」がさっそく垂れこめたのが岸田内閣による「安倍元首相国葬」の決定と、それを陰で支えるメディア、そしてかなりの数の国民の存在です。
 今回の国葬騒ぎを見ていると、残る50%が投票に行けば、野党の票が伸びるとも言えない感じですね。投票に行かない層や若年層も含めて、一億総自民化が進んでいるように思われます。与党は憲法改正を発議する両議院での3分の2の勢力を大きく上回ったわけで、実際に改憲が発議されるのも遠くないでしょう。
 ここで心配なのは国会での改憲論議が、憲法はいかにあるべきかという原理論はすべて棚上げ、沖縄県知事が望んでいるような「改憲よりも先に地位協定改定」といった切実な声もまったく顧慮されないまま、ただ「自衛隊」という文字を憲法に書き加えるという、国の最高法規である「憲法が泣く」とでも言うべき、みすぼらしい改憲案となり、それがまた国民投票であっさり承認される(過半数の賛成を得る)のではないか、という悪夢です。

A れいわ「苦戦」の背景もこれですね。

B 選挙における1人1票運動に取り組んでいる升永英俊弁護士に話を聞く機会がありましたが、「選挙は国会の多数を獲得するための国民の戦争である」というのが升永さんの考えです。彼は「そのことがよくわかっているのが自民党で、多数を獲得するためにあらゆる努力をし、そして成功している」とも言っていました。今度、東京選挙区で当選した自民党の新人タレント議員は、選挙期間中もほとんどテレビ局の取材を受けなかったけれど、巷間伝えられるところによると、「今はまだ勉強不足でお話できることはない」のが理由だったとか。こういう人が当選するわけですが、これが「議員に見識など不用。法案審議のとき、あるいは憲法改正発議のとき、議会で1票を投じてくれればいい。余計な考えはむしろ邪魔」とでも言うような自民党の選挙戦略なわけですね。そして当選した人は、自分の起用のされ方を恥ずかしいとも思わず、「安倍さんの志を受けついで日本のために頑張りたい」と言うわけです。
 こういう状況に対して野党はどう戦うべきか。互いに足の引っ張り合いばかりして、大きな視野を持っていない現状では、選挙で負けるのも当然と思われます。また国民はどう行動すればいいのか。自民党も嫌だけれど、野党も頼りない、と棄権したり、消去法で自民党を選んだりしてきた結果がいまの政治を生んでいるという冷厳なる事実をもっとよく考えるべきですね。

A 維新も議席を増やしましたが、維新は明らかに自民党の選挙戦略をまねていますね。参院選前に山本太郎が衆議院のバッジをわざわざ外し(次点の櫛渕万里に議席を譲り)参院選に打って出たのは、彼にはその現状がよく見えており、それに対するあせりがあったからだと思いますが、その不退転の決意は、むしろ「明るい闇」の壁に阻まれたとも言えます。結成わずか3年で、衆参合わせて8議席を獲得したのは上出来と言えなくもないですが‣‣‣。

B この日本を本当の意味で「取り戻す」ためには、これからも長く辛い戦いが続くでしょう。我々としては、なお「貧者の一灯」を掲げて、大石あき子が言うような「頼りがいのある野党」をつくりあげるために出来ることをしていきましょう(^o^)。

 

新サイバー閑話(54)平成とITと私④

ムック『ASAHIパソコン・シリーズ』の刊行㊤

・小田嶋隆君の思い出

 軽妙洒脱な文章で世相を鋭利に切り取ることで人気があったコラムニスト、小田嶋隆さんが2022年6月24日、65歳で病没され、7月1日に送別会が行われ私も出席した。『アサヒグラフ』のあと出版局大阪本部に異動になり、そこでメディアとしてのパソコンをテーマとする新雑誌を構想、1986年から出版局プロジェクト室で準備を始めたが、そのとき小田嶋君(当時の呼び方に習い、以後「君」呼びさせていただきます)に会ったのだった。

 テクニカルライターふうではあるが、後年を思わせる達意の文章を書いているのに興味をもち、都内のアパートの一室に尋ねた35年前を今でもよく覚えている。たしか友人と同居していたが、アップルの最新機種、マッキントッシュSEが畳の上に無造作に転がっていた。

 <平成とITと私>はずいぶん間隔があいてしまったが、第4回は小田嶋君の死で突然蘇った辛く、懐かしく、また楽しかったムックの思い出を書くことにする。私よりははるかに年少の小田嶋君に先立たれるとは思ってもみなかったことである。

 アサヒグラフでコンピュータ取材をしたことをきっかけに私は「メディアとしてのパーソナル・コンピュータ」を対象とする新雑誌を構想、出版局プロジェクト室で同僚となった三浦賢一君(ずいぶん前に亡くなった)と2人で、『科学朝日』別冊として、5冊のムックを出すことになった。新しい分野にいきなり進出するよりは、まずムックを数冊つくって、販売、広告など業務も含めて、ならし運転しようというわけである。

 そのタイトルと刊行月日は以下の通りである。

『ASAHIパソコン・シリーズ』①おもいっきりPC-98(別冊科学朝日1987年5月号)
『ASAHIパソコン・シリーズ』②おもいっきりネットワーキング(別冊科学朝日6月号)
『ASAHIパソコン・シリーズ』③おもいっきりワープロ(別冊科学朝日7月号)
『ASAHIIパソコン・シリーズ』④おもいっきりデスクトップ・パブリッシング(別冊科学朝日10月号)
『ASAHIパソコン・シリーズ』⑤おもいっきり電子小道具(別冊科学朝日12月号)

・『おもいっきりデスクトップ・パブリッシング』

 これをたった2人で1987年4月から同年11月までの間に出した。社内にはパソコンに詳しい記者は皆無と言っていい状態だったから、私たちは編集者に徹して、執筆はほとんど社外のフリーライターに依頼することにした。このライターの1人が小田嶋君だった。

 このムックの売り上げが好調だったことが翌1988年からの『ASAHIパソコン』創刊に結びつくのだが、すでにマックに親しみパソコン通だっただけでなく、優秀な編集者にして科学ジャーナリストだった三浦君とシャカリキになって過ごした多忙な1年間はことさら思い出深い。先に記した熊沢正人さんも、このとき助っ人として参加してくれた。小田嶋君にまつわるほろ苦くも感動的な思い出は、4冊目の『おもいっきりデスクトップ・パブリッシング』をめぐってだった。

 いまはスマートフォンで音も映像も簡単に扱えるので、当時の状況はもはや想像するのも難しいが、1986年当時のパソコンは文字を編集するのが精いっぱいで、ようやく画像処理ソフトが市販され始めていた。パソコンにはまだ内臓ハードディスクがついておらず、画像ソフトもフロッピーディスクで提供されていたから、デスクトップ・パブリッシング(DTP、机上出版)という言葉はあったけれど、画像をそれなりに扱うためには大型コンピュータが必要だった。

 それでもパソコンの将来は画像処理が主役になるだろうという考えから、ムックの一環にデスクトップ・パブリッシングを取り上げたのだが、時代を先取りしすぎていたかもしれない。当時の有名な電子編集システムとしてEZPS(イージーピーエス、キアノン)を紹介しているが、パソコンより大型のワークステーションとレーザーコピア(レーザープリンタとイメージスキャナ)の組みあわせで598万円だった。

 さて、ムックをつくるにあたっては、市販のマシンやソフトを使って何ができるか、そのDTPサンプル集を目玉にすることにした。その作業を誰にまかせるか。いろいろ検討した結果、私たちが白羽の矢を立てたのが小田嶋君だった。彼はわりと簡単に「いいですよ。おもしろいですね」と請け合ってくれた。

 24ページの大特集を予定し、締め切り1か月前に発注した。私たちはそれで安心して他の作業に没頭していたのだが、締め切り日になっても原稿は来ず、電話すると、「1ページも書けていない」と言う。私は大いに慌てた。「すぐ社に来てほしい。これから24ページ作るのだから、1人じゃ無理だ。誰でもいいから、仲間を数人連れてくるように」。

 こうして小田嶋君は、3、4人の仲間を連れて編集部にやってきた。例によって、夜を撤しての突貫作業が始まったのである。ワイワイガヤガヤと話し合って、「一太郎と花子で作った短歌同人誌『蒼生』」、「EZPSで作った『足立銀河総合開発』会社案内」、「OASYSで作った『愛犬のDCブランド』広告企画書」、「RIHPSで作った『亀山物産』新入女子社員心得」、「NEWSで作った『ハイパーシャープペンシル』ユーザーズマニュアル」の5作品を、それぞれのシステムを紹介しながら作ることにした。

 仲間は入れ替わりがあったので正確な人数は覚えていないが、私は小田嶋君グループを「逃がさない」ことを第一義に、全員に社の簡易宿泊施設(2段ベッド)に泊まり込んでもらった。仮眠するときも警戒を怠ることなく(^o^)、3日ぐらい作業を続けたと思う。いまならブラック企業と批判されるところである。作業終了後、小田嶋君たちは不精ひげをはやしたまま、げっそりして帰っていったが、私たちとて同様だった。

  そして出来上がった作品は――、いずれもすばらしいものだったのである。私は小田嶋君およびその仲間の実力に心底感心した。本文の創作は言わずもがな、美しいカットやグラフ、写真、表をあしらった、立派なDTP文書が完成したのである。

 小田島君は「RIHPSで作った『亀山物産』新入女子社員心得」を担当してくれたが、本文、囲みインタビュー、イラストなどすべてに工夫が懲らされ、飲んべいの先輩記者が登場したり、怒ってばかりいる会長が登場したり、それは本人ふうであったり、編集者へのあてつけふうだったりしたが、なかなかの出来栄えでもあった。

・短歌同人誌『蒼生』

 私が感心したのは友人のK君が作った短歌同人誌『蒼生』だった。最初のページには、入道雲に朝顔をあしらったカットの下に「『蒼生』発刊の辞」がある。

   墨痕鮮やかという形容があります。私などは悪筆の方なので、人様から立派な書を見せて頂くのは大変嬉しいのですが、一筆お願いしますなどと頼まれると赤面せざるを得ません。
 歌は自身の内より湧き出てくるものですが、できればそこに詠み込んだ心のありかたというものを、人様にも知って頂きたい。そうすることで自らの感興をより深め、また歌として定着させることができる。
 今回、最先端技術であるデスクトップ・パブリッシングを採用して、町田短歌会同人誌『蒼生』を発刊しましたのは、より深く短歌を味わい、歌の心を知るためなのです。
 新しいモノ好きのお調子ものかもしれませんが、美しい文学、楽しい絵、美しい言葉を求めるのは当り前のことなのです。新しきを温ねて古きを知るというのも、決して無茶な話ではない。文化という範疇は広いですが、心と切り離して語ることはできないものなのです。

 いかにも短歌同人誌の主宰者が書きそうな文章で、しかもデスクトップ・パブリッシングという「課題」をうまく取り入れている。続いて、○○○○○選、▽▽▽▽▽選、歌枕再発見などが続くが、いずれも歌と選評が書かれている。その中の5首の項を紹介する。

五首 阪本耕平
 八月二十二日、勤めより帰りて深夜に読む。
 故郷ではもう草取りは終わりだと端末にむかい虫を取っている
 ぬばたまの闇夜となりて停電に書きかけの文の失われし
 ハンカチを濡らして瞼に乗せて冷やす熱暴走の葉月を過ぎて
 蝉の声にかぶさるようにディスク読む指先は湿るキーの固い冷たさ
 プログラム飛びし夕暮れ火もつけず我はひとつの80286となりぬ

選評 島原白山子
 藪入りは打ち水の道一人往く蝉しぐれにのみ送られて往く
 作者の阪本君は、大手コンピュータ会社のソフトウエア開発部門に勤務する弱冠二十三歳。当会には四カ月前より参加と、まだ経験は浅いが、歌に対する真摯な態度には古株の会員達からも好意が寄せられている。まだ歌の形を成していないと、彼の作首を切って捨てることは簡単だが、五音七音にはおさまらぬカタカナ言葉に囲まれた生活、日本語の外にある仕事と、日本人であるおのれとの溝を三十一文字によって埋めんと欲する創作態度には、歌上手の先輩達の失ってしまった必死の心が感じられる。
 ここで取り上げた五首は、納期の遅れのために盆休みも取れなかったという阪本君が、墓参り代わりに詠んだというもの。
 最初の一首を除いては、故郷への思いは直截には歌われず、仕事道具であるコンピュータとおのれとの間にふと生じる隙間を直視することで、その違和感の闇を故郷まで透視しようとしている。まだ十分に成功しているとは言えないが、刻苦勉励の跡を見るという意味で、今回取りあげた。これを励みに、より一層の努力を望みたい。
  なお最後の歌の80286は、コンピュータの中央演算処理装置の型番である由。破調もまた歌である。

   見事な芸に、私はほとほと感心してしまった。最後の編集後記はこうである。

 本誌は、老体に鞭打って、デスクトップ・パブリッシングなる手法を用いて、完璧なる編集実務OA化のもとに発刊を行うことと相成った。短歌が上代より時代の節目には必ず新たなる冒険を必要とした如く、同人誌も常に新たなる冒険に望まねばならない。また、これで今迄、何かと行き違いの多かった田中印刷所の面々にも、恩返しができたというものである。

 この横溢する遊び心。私は、DTPサンプル集の扉に「ご注意 サンプルの内容は、フィクションです。実在の個人、あるいは団体とはいっさい関係がありません」との断り書きを入れたが、発売後、編集部に「『蒼生』編集部の連絡先を教えてほしい」との問い合わせがあって、私を喜ばせたのだった。 そんなわけでムックづくりは、ほかにもハラハラドキドキの連続であり、体力的にはずいぶん辛い日々だったが、新しいことを始める創造的楽しさにも満ちており、たった2人の編集部ながら、社内外の多くの人びとに助けられ、何とか無事に乗り切ったのだった。他のムックについては次回に記す。

 小田嶋君の送別会の席で、奥さんに「『ASAHIパソコン』の初代編集長」と名乗ると、よく覚えていてくださり、「矢野さんにはたいへん迷惑をかけた、とよく言っていました」とのことだった。私は持参した『おもいっきりデスクトップ・パブリッシング』を見せながら思い出話をしたのだが、小田嶋君が「迷惑をかけた」と言ったのはこのムックのことではなく、その後創刊した『ASAHIパソコン』のことだと思う。

 月2回刊の『ASAHIパソコン』でも毎号コラムを書いてもらい、その秀逸な文章に見出しをつけるのが私の大いなる楽しみだったが、締め切りは基本的に守られなかった。そのたびに電話をかけて厳しく催促していたのである。そのため休載は一度もなかったけれど、私としてもいささか気になっており、後年、彼が有名になり朝日新聞紙上で大きく取り上げられたとき懐かしくなって思わず電話、「激しい催促で申し訳なかったねえ」と言うと、「何でこんなに怒られるのかと思ったが、今ではあれもよかったと思う」と言ってくれた。これが最後の対話になった。

 奥さんに『蒼生』の話をすると、Kさんは明日の葬儀に来るとかで、会えないのはちょっと残念だった。

 小田嶋隆のその後の活躍は多くのファンの知るところで、私も『わが心はICにあらず』、『仏の顔もサンドバッグ』、『ポエムに万歳!』など、単行本が出るたびに購入しては、にやにやしながら読んでいた。最近では『日経ビジネス』連載、<小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明>が秀逸だったが、2011年から20年に至る10年間のツイッター発言を集めた『災間の唄』(2020)」は、本人があとがきに書いているように、「芥川龍之介先生の『侏儒の言葉』以来の‣‣‣大傑作」だと、「今回ばかりは言わせてもら」っても、だれも文句は言わないだろう。私はツイッターをほとんどやらないが、ぱらぱらとページをめくるたびに、往年の朝日新聞夕刊の傑作コラム『素粒子』(筆者・斎藤信也)のような、「山椒は小粒でもピリッと辛い」冴えに感心しきりだった。本人はこれからもツイッターを続け、続集を刊行する予定だったらしい。反骨を小脇に抱え飄々と生きた名コラムニストの早すぎた死に、あらためて深く哀悼の意を表します。

新サイバー閑話(53)<折々メール閑話>⑥

安倍元首相銃撃事件と言論の力

B この<折々メール閑話>は5回で終わる予定だったけれど、参院選投票日直前の8日になって奈良県下で応援演説中の安倍晋三元首相が凶弾に倒れるというきわめてショッキングな事件が起こりました。戦前には犬養毅、浜口雄幸といった現職首相が軍部によって倒された例があるけれど、元首相が白昼、銃撃され死亡するというのはまさに驚きです。犯人は元海上自衛隊員でその場で逮捕されましたが、犯行の動機に思想的、あるいは政治的背景があるというより、2021年に大阪で起こった精神クリニック放火殺人のような、私的なうらみからだとも報道されています。標的がたまたま元首相であり、選挙運動中に犯行が行われただけだとすると、動機の究明はこれからとしても、今回の事件は「テロ」というより、むしろきわめて現代的な悲劇のようにも思われます。
 亡くなった安倍元首相や関係者のみなさまに深く哀悼の意を表します。

A 事件の一報を聞いたときはフェイクニュースかと思いました。詳しいことを知りたいと今朝は、近くの駅の売店に新聞各紙を買いに行きました。

B 各紙とも2段ぶち抜き程度の大見出しで、まったく同じ「安倍元首相撃たれ死亡」。その論調は「民主主義への愚劣な挑戦」、「言論は暴力に屈しない」といった暴力(テロ)への強い批判になっています。その論調そのものには異論はないし、現段階の見出しとしてはそうならざるを得ない面もあるけれど、その上で、どこかしっくりこないものが残ります。それはなぜでしょうか。
 こういうことではないかと思います。
 安倍元首相は「日本を取り戻す」という掛け声のもとに戦前日本への回帰を訴えてきたわけですが、その政治手法は、既存制度に組み込まれていた民主主義を健全に運営するためのチェック機能を事前に解体し(法制局長官や日銀総裁を仲間内で固めて)、自説を強行するものでした。多くの憲法学者が違憲とする集団的自衛権容認を閣議決定したのがその最たるものですが、一方で森友、加計問題、あるいは桜を見る会などの不祥事に関しては、のらりくらりと他人ごとのような答弁を繰り返し、挙句の果ては、自分の国会答弁に符合しない証拠書類を官僚に改竄させ、自殺者まで出しています。
 衆院調査局によれば、安倍首相(当時)が行った事実と異なる国会答弁は、2019年11月~20年3月の間で118回だとされています。安保法論議のころ石川健治東大教授(憲法)が安倍政権の手法を「『非立憲』政権によるクーデター」と批判したのはこのことを指しています。
 政治に嘘はつきものと言われれば、身も蓋もないけれど、何の抵抗もなく嘘をついてそれで平気という精神は尋常でなく、そういう首相をもった国民がモラル崩壊に向かうのもけだし当然と言えるでしょう。
 彼の暴走ぶりは体調不良を理由に首相を退いてからも続き、最近のロシアのウクライナ侵攻を受けて、防衛費増強を強く訴えていました。「日銀は政府の子会社」との発言もありました。長い安倍政権下において、国会も、検察庁を含む官僚機構も、安倍元首相の暴走を止められなかったけれど、それはメディアも同罪ではなかったのか、と思うわけですね。新聞やテレビは言論の力を駆使して安倍政治の暴走に有効な歯止めをかけられなかったばかりか、いたずらにその意向を忖度してきたのではないでしょうか。これはあくまで全般的な傾向を述べているもので、そうでない記事や主張があったことはもちろんです。戦うべき時に武器としての言論を使ってこなかったメディアが、これからは闘えるのか、いや闘う気があるのか。そう考えると、選挙中の元首相銃撃という修羅場を〝奇禍〟として、「言論こそ大事だ」と大見えを切ることに、タテマエに寄りかかった気楽なご都合主義を感じざるを得ません。これが違和感の正体ではないかと思うわけですね。動機が私的なうらみということになると、いよいよその感を深くします。

A この事件は明日の投票にどう影響するのか、心配な面もあります。保守の論客、中島岳志は「日本の未来のために自民党の方々にお願いしたいのは、明日の選挙戦最終日を『弔い合戦』にもちこまないでいただきたいという点です。テロと選挙結果に因果関係が生まれると、さらなるテロを誘発しかねません。野党が敗北した場合、野党側も敗因を『弔い』に求め、真の敗因に向き合わなくなります」とツイートしていました。投票日までもはや1日も残っていないけれど、安倍元首相の非業の死が政治のあり方をゆがめないようにしてほしいですね。

B 死者にムチ打つことをしないのが日本的美風だと言われるし、それはそれで悪いことでもないけれど、不慮の死を遂げたからといって生前に政治家としてやってきた行為の責任は反故にはできないですね。

A れいわは街頭選挙運動でこれまでのイベントのようなにぎやかな催しをやめましたが、これは節度というものでしょう。事件当日のれいわ候補者の街頭活動をユーチューブで見ていましたが、党代表であり東京選挙区で厳しい戦いを続けている山本太郎は、安倍元首相の冥福を祈りつつ、「言論、主張の場である選挙期間中に言論を封殺するような事件が起こったことに強い憤りを感じる。街頭活動をやめるという党もあるようだが、選挙はまさに言論を戦わせる場所だから、れいわとしては、音楽入りなどお祭りムードのイベントは自粛させていただくが、街頭活動は明日も続けるつもりです」と毅然として語り、全国比例から出ている長谷川うい子は「積極財政で民主的で平和な道を歩んでいきましょう」といつも通りの主張を力強く繰り返していました。
 まだ若い大阪選挙区のやはた愛は「起きてはいけないことが起きてしまった」と訃報に動揺を隠せないようでしたが、参院選候補の応援に駆けずり回っている衆院議員、大石あき子は、山本太郎を国会に戻す一心で奮闘していました。彼女がツイートした「野党というものを、もっと強い野党にしないといけない。本当にこいつらならやれるなっていうガチの野党を作るしかない」という意気込みはたいしたものだと思います。4人4様の対応で、これこそがれいわの多様性を象徴しているでしょう。

B 我々としては、固唾を飲んで明日の投票結果を待ちましょう。れいわの躍進を期待したいですね。(敬称略)

新サイバー閑話(52)<折々メール閑話>⑤

山本太郎・水道橋博士・キムテヨン――

 B 山本太郎の出馬は東京選挙区からと決まりました(よだかれんは全国比例区に)。ここは改選議席6だけれど、立憲民主党の蓮舫、日本共産党の山添拓のほかに自民、公明からもそれぞれ有力議員が立候補する予定で、そこに「五体不満足」の乙武洋匡も無所属から出馬、立候補予定者が20人以上という大激戦区になりました。

A 友人はこの選挙区での山本太郎の参戦は野党勢力の票の食い合いになるだけだと警戒感を示しているけれど‣‣‣。

B 激戦区になるとは思うけれど、今の政治の沈滞、腐敗を糾弾するにはもってこいの選挙区だと思いますね。立憲民主、共産、れいわで最低3議席を獲得する勢いで頑張らないと、いまの沈滞した政治は変えられないんじゃないでしょうか。

A 全国比例区からはタレントの水道橋博士も立候補、日本国籍の在日韓国人、キムテヨンも出馬する予定です。水道橋博士はれいわの演説会にふらっと現れて、自分が維新に訴えられた「スラップ訴訟」について山本太郎に訴えているうちに、「あなたが立候補しませんか」と言われて、一瞬ひるんだようだけれど、わりとすんなり出馬を決めました。

B ここに我々が忘れてしまった選挙の原点があるように思いますね。訴えたいことがある人が選挙に出て、それを選挙民に訴える。水道橋博士は「供託金は借りますが必ず返します」と宣言して、さっそく選挙活動を始めました。彼の目標は「スラップ訴訟廃止」法の成立です。

A 師匠のビートたけしの許可も得たと言っていました。大物師匠が応援してくれればな〜とも思いますが‣‣‣。
 キムテヨンは東洋大学教授。専門は社会学で、多文化共生を唱えており、柔和な話し方で学生にも人気があるみたいですね。「お前は日本人か!」と罵られるくらい日本に対する愛情が深く、「在日が日本を変革して何が悪い」とも発言しているとか。
 全国比例区は早くから大島九州男が立候補を表明しているし、幹事長の高井たかし、弁護士のつじ恵、長谷川うい子、よだかれんも含めてにぎやかになりました。愛知選挙区からは、がきや宗司も名乗りを上げています。
 れいわの候補者のレベルはほんとに高いですね。知性があり、志も高い。他党とはここが断然違う。組織も応援してくれる企業もなく、すべての活動を支えているのは全国の勝手連、つまりボランティアです。三重県の例でも、今日の「ねこちゃんず」のグループトークは36件です。ポス活(ポスター張りのボランティア活動)のやり方を先輩が伝授しています。こっちの方はまだ実践できていないけれど(^o^)、こんな政党が天下を取ればまさに前代未聞。世界でも例がないんじゃないですかね。

B 日本の空全体をいま重く淀んだ空気が覆っていて、自公維という与党勢力ばかりでなく、立憲を始めとする野党も、そしてメディアも、国民も、みんなその空気の中でアップアップしているように見えます。しかも自分がアップアップしているとは思っていない。
 山本太郎率いるれいわは、こういった日本の現状と将来をしっかりと見ているように思われるが、濁った眼にはそれが見えないか、あるいは異形なもの、ピエロ的に映っている。しかもそういう連中が「野党は頼りないから自民、あるいは維新に入れるしかない」などと訳知り顔をしているわけです。山本太郎はそういう沈滞状況にカツを入れようとしている。そのためにこそ我々ロートルも「貧者の一灯」を掲げて頑張ろうではござらぬか(^o^)。

A ユーチューブにれいわ応援のために建て看板を自作し、それを街路に設置する姿だけを映している動画がアップされています。まだ若い女性だと思いますが、ハンパない熱の入れようですね。しかも楽しそう。こういう一人ひとりの行動が大きな成果を生むんだと明るい気持ちになりました。

B ウエブで見つけたので、真偽のほどはわからないけれど、本家新撰組の副長、土方歳三のセリフに「喧嘩ってのは、おっぱじめるとき、すでに我が命ァない、と思うことだ。そうすれば勝つ」というのがあるらしい。
 山本太郎が激戦の東京選挙区で打って出る覚悟を決めたのも、そういう切羽詰まった気持ちからだと思いますね。

A 「来た、見た、勝った」といきたいですね。

B 古代ローマのジュリアス・シーザーね。さらば、こっちは源義経。平家との屋島の合戦で、義経は戦いに利あらずとなったときに逃げやすいための「逆艪」を用意しなかった。梶原景季が無謀だとなじったときに、義経は「いくさはただひらぜめにせめて勝ったるぞ心地はよき」と言ったというのだが、山本太郎の気迫もここにあるのでしょう。屋島の合戦というか、関ヶ原というか、いまの局面においては、これだけの迫力がないといけないということですね。

A 天下分け目の関ヶ原というほどではないけれど、この選挙は日本の将来に大きな影響を与えると思います。

B そのことを理解して、多くの人が投票し、かつ、れいわに票を入れてほしいと思いますね。せっかく衆議院で獲得した議席を次点だった櫛渕万里に譲り、自ら参院選に打って出るという不退転の決意は、遠方から傍観している人には、なかなか理解できないし、ピエロ的行動のようにも見えるでしょうが‣‣‣。

A ピエロの仮面に隠された決意を、有権者がわがものとしてくれれば、参院でれいわが現新あわせて10議席を獲得するのも夢ではないと思います。

B れいわというれっきとした政党(野党)があり、相当な人材がその旗の下に集まり、腐りきった政治に真剣に立ち向かおうとしているのに、多くの人にそれが「見えない」のはなぜか。見ようとしないから見えないわけだけれど、彼らの目を曇らせているものの正体が問題です。

A やはた愛の「おかん」が言ってましたよ。「なぜみんな選挙に行かないのか? えらい人たちがそれを望んでいるからです」。マジでポイント突いていると思いました。

新サイバー閑話(51)<折々メール閑話>④

女性候補に見るれいわの真面目

B 東西、とーざい。遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ。

A ずいぶん勇ましいけれど、今度は歌舞伎調? それとも講談?

B いやいや、今度の参院選に立候補を予定しているれいわの女性候補がすごいと思ってね、つい、大声をはりあげたくなりました(^o^)。

A たしかに。

B 前回話題にしたインテリジェンスあふれる女性たちが綺羅星のように並んでいます。目立つのは、何といっても、これらの人たちが「いまの政治を変えたい」の一心で立候補を決意していることですね。

 人気を当て込んで担がれたとか、親や夫、あるいは現役議員の地盤、看板を引き継ぐとか、そういう〝不純〟な動機がまるでないのがさわやかさです。だいたい与野党含めて二世、あるいは三世議員(秘書からの昇格も含む)が4割以上とも言われる日本の国会地図は異常です。れいわは間違いなく、この国の淀んだ政治風土を変えてくれるでしょう。

 その主な顔ぶれを紹介しましょう。

 まず大阪選挙区のやはた愛は、先日の衆院選でも立候補、惜しくも落選しましたが、そのときの街頭演説で経済の話になったとき、「株を買うなら私に投資してください。私はこれから伸びますよ~」とさわやかな笑顔で自分を売り込んでいたのが印象的でした。

A おかんぐるみですよね。このおかんにしてこの子ありという感じで、親子の人気上昇が止まらない。親しみやすいキャラですが、闘志あふれるスピーチは大石あき子をしのぐかも。大阪で自公維の指定席をブッ飛ばして、維新キラー2世を誕生させたいですね。

B 高校卒業後から芸能活動を始め、2011年の東日本大震災による福島第一原発事故をきっかけに社会問題に関心をもったそうです。神戸のFM局でラジオDJをするなど関西を拠点にタレント活動をする中で、経済的事情で断念した大学での学び直しを決意、2019年に早稲田大学人間科学部eスクールへ入学した努力家でもありますね。

 先の衆院選で落選した立憲民主党の辻元清美は全国比例区から立候補するようで、大石あき子に続いて大阪からやはた愛、辻元清美という顔ぶれが国会に進出するといいですね。

A 福岡選挙区の奥田ふみよは、山本太郎が直々に一本釣りで口説き落とした方ですね。街宣時の質問が鋭く、すごい熱量を感じたそうです。3人の子育て中という普通の主婦でピアノの先生(武蔵野音大卒)。当初は立候補をためらったそうですが、いったん走り出したら街宣も熱い。博多のお母さんが怒ったら怖い! 子どもたちを幸せにするために立候補したド庶民です。

B 福岡県糸島市在住、やはり3.11を機にした九州電力玄海原発の再稼働に対して声を上げたのが社会活動に取り組んだきっかけだとか。この辺が地に足が着いたというか、普通の主婦が子どもたちの将来を守るために立ち上がったというか、とにかくまっとうな政治活動として大いに好感がもてます。

 埼玉選挙区の西みゆかは慶應義塾大学法学部卒業後に司法試験合格。その後アメリカに留学し、アメリカ合衆国ニューヨーク州弁護士に登録、最高裁判所の司法研修所で刑事弁護の教官もつとめました。

 立候補の理由は「Serve to the Society/社会への貢献」。「Nothing About Us Without Us/私たちのことを私たち抜きで決めないで」(国際連合 障害者権利条約)と「No One Left Behind/誰ひとり取り残されない」(国際連合 SDGs)という理念を信奉しておられるとか。

 しっかりした理念実現のために政界に打って出ようという、ある意味で当たり前のことが、今はたいへん新鮮に思えます。当選したら、それこそすばらしい活動をしてくれるのではないでしょうか。

A この人がれいわに参加してくれたのは大きい。れいわの政策にしっかりした法律論的肉付けをしてくれるでしょう。NY弁護士ですよ、国際弁護士! ツイッターでも自民の改憲案の問題点を分かりやすく解説してくれています。とっても気さくで親孝行な方で、新橋に事務所を開設した時も、自分でホームセンターから買ってきた資材で部屋を改造、飾りつけしてしまう(笑)。母親と愛犬の3〝人〟暮らしです。

 全国比例区から出る長谷川ういこは、太郎さんの正に盟友ですね。これも東日本大震災時に知り合って以来の仲。その結びつきを我々は感謝すべきだと思います。緑の党代表でもあり、れいわの掲げるグリ-ンニューディ-ルの柱ともいえる貴重な存在です。

 僕は今回立候補される前からのツイッターのフォロワーです(笑)。国際舞台も経験しているだけあって、演説もお手のもの、堂々としていて話も上手い。実に頼もしい方です。

B こちらも文句のつけようのないインテリ度と活動歴ですね。上智大学大学院博士前期課程修了。福島原発事故を受け、エネルギー・環境の研究を目的としたNGOを設立。2012年から2019年まで緑の党グリーンズジャパン共同代表。夫と小学校3年生(8歳)と保育園年長(6歳)の子どもの4人暮らし。安冨歩さんとの共著『原発ゼロをあきらめない』(明石書店)などもあるようです。

 4月になって東京選挙区からの擁立が発表された、よだかれん(依田花蓮)って誰かって? 知らざあ言って聞かせやしょう(^o^)、彼女はトランスジェンダーであることを公表しており、国会内の記者会見で「女性や外国人、障害者など行きづらさを抱える人たちの困難を解消したい」と語りました。

 豊橋市出身。ミュージカル俳優や行政書士を経て、2019年に新宿区議に当選、国政を目指す理由については、「自治体のパートナーシップ制度は法的拘束力がない。同性婚が法律で認められるように求めていきたい」と述べています。

A 山本太郎は彼女を擁立した理由を「多彩さの象徴だから」と言っていますね。

B こうして眺めると、「れいわマドンナ」の、他党候補には見られない、品性豊かなまっとうさ、多彩さと多才さが際立ちます。ここには男・山本太郎の政治に賭けたロマンと構想力も感じられる。前回、「最低でも現議席2を含め参院で10議席以上」という皮算用をしたけれど、この夢が実現したとき、日本の政治は大きく変わるだろうと実感できますね。

 問題は参院選での投票率を如何に引き上げられるかです。僕が1988年にパソコン使いこなしガイドブック『ASAHIパソコン』を創刊したときのエピソードを一つ。

 当時のパソコン誌は、一方にホビーマシンとしてのマイコンに対応した若者向け『アスキー』(1977年創刊)があり、他方にビジネスツールとしてのパソコンに対応したガイド誌『日経パソコン』(1983年創刊)がありました。そこへ、「パソコンは誰もが使う文房具になる」という予想のもとにパーソナルユースとしてのガイド誌『ASAHIパソコン』を構想したわけです。

 社内の抵抗のなかで興味深く思ったのは「あなたが言うパーソナルユースのパソコン雑誌は市場のどこにもないではないか。それが需要がない証拠である」というものでした。また既存のパソコン誌の部数から綿密なマーケティング調査をした社内の専門家は『ASAHIパソコン』の部数をせいぜい3万部とはじき出しました。

 その時僕はこう言ったんですね。「『ASAHIパソコン』は従来のようなヘビーユーザーを読者に想定していない。深海の大魚を狙うのではなく、むしろ水面近くに無数にいる小魚のような初心者ユーザーを獲得したい。既存のマーケットのおすそ分けをもらうのではなく、新しい市場を開拓する」のだと。

 創刊号は2刷り、3刷りもあわせて16万3千部を刷り、それでも売り切れる書店が続出しました。言いたいのは、れいわはこれまでの投票人口の外側にいるそれとほぼ同数の有権者を開拓する意気込みでやってほしいということです。

A そう簡単ではないだろうけれど、チャレンジするにたりますね。

B 最後に手前味噌が入ったところで、今回話題にしなかった男性候補者も含めて、有権者の皆さまには、隅から隅までずずずい~っと希い上げ奉りまする~(深々と礼)。

新サイバー閑話(50)<折々メール閑話>③

えー、れいわ応援チラシでござ~い

A 今日午後1時半ごろから、伊勢ジャスコでスタンディング、れいわ新選組の応援チラシ配りに挑戦しました。まったく初めての経験で、最初はだれにも受け取ってもらえず、スルーされて、ちょっとめげそうになりましたが、山本太郎の街宣を思い出して継続しました。「あ!山本太郎ね!」と反応してくれた女性や、「ご苦労さまです、がんばってください」と言ってくれた初老のご夫婦もいて感激しました。充実の午後!また挑戦しようと思います。

B 闘う老人ですねえ(^o^)。

A れいわ三重勝手連の仲間はそれぞれ単独でスタンディングしている人もいるので、それを真似しただけです。愛車を持ち込み、パネル作成は友人が協力してくれました。たまには世の中のお役に立ちたい(^o^)。

B 立派です。僕などまだコロナ厳戒中なので、ほとんど家から出ない蟄居生活を送っています。もっとも第2回の<山本太郎は男でござる>をPDF版にして知人・友人にbccで送ったりしました。文体を面白がってくれる人や、最後の「地獄」に反応してくれる人など、わずかとはいえ反応があったのは嬉しいことです。まあ、60歳以下の人にはほとんどわからない文章で、これは一種の年齢の「リトマス試験紙」です(^o^)。

A 勝手連の世話役にも「若い人にアピールしたいので」と敬遠されました(^o^)。もっとも看板づくりに協力してくれた友人は、「とても楽しく拝読させていただきました。淀川長治の映画評論を模し、それに山本太郎を重ね合わせたところが、興味深く面白かったです。最後に出てきたダンテの神曲の一部には私も共鳴する部分があります」と言ってくれましたが、最後に「やはり、淀長が分かる世代(笑)」と書いてありました。

B れいわは今度の参院選で何議席獲得できるか。SAMEJIMA TIMESの鮫島浩記者は動画で「既存2議席とあわせて10議席」とかなり好意的な数字を出していましたが、「男・山本太郎」陣営としては、最低でも10議席以上を望みたいですね。

 そのためには、すっかり閉塞感に覆われている若年層に訴えかけて、選挙の投票率を上げ、しかもれいわ新選組に投票してもらわないといけない。一方で、高齢者層にはれいわ、および山本太郎に対する拒否感がけっこう強い。食わず嫌いという感じで、既存野党にほとほと愛想が尽きていながら、その不満が維新という鬼っ子のような政党に流れて、れいわに向かわない。この「なんとも淀んだ空気」こそがれいわの敵です。

 感想の中に、「前回の衆院選では、ついに既存の野党に票を入れる気が起こらずにいましたが、山本太郎氏の路上演説にyoutubeで聞き入ってしまいました。実に新鮮な感覚とpassionに魅了されました」という嬉しい反応もあったわけです。

 若者層は勝手連にまかせるとして、われわれとしては高齢者担当を自任すればいいんじゃないですか。まさに、貧者の一灯。スタンディングには大きな意味があると思いますよ。

A 女遊びが過ぎて親に勘当された若旦那が、慣れぬ天秤を担いで初めて唐茄子を売り歩く「唐茄子屋政談」よろしく、愛車をお供に初のチラシ配りをしたわけです。

B 唐茄子というのはカボチャのことですね。身投げしようとした若旦那が、たまたま通りかかった叔父さんに助けられ、その縁で性根を叩きなおすための行商をさせられるわけだが、最初はただ黙って歩いているだけで一つも売れない。そこへ親切な棟梁ふうの人が現れ、一部始終を聞いて同情して唐茄子を売ってくれる。「えー、唐茄子屋でござーい」と掛け声も板についたときに起こったことは‣‣‣。その後は、古今亭志ん朝の名演をユーチューブででも楽しんでください(^o^)。

A 志ん朝の名調子、その江戸弁の歯切れの良さにしびれますね。高座に上がってしばらくしてから、やおら、羽織をぬぐ。ここがまたいい。山藤章二さんが、世の中いやになると落語を聞くと言ってましたが、その通りですね。志ん朝なく、談志もいなくなり、小三治まで去年なくなった。今の落語界には大先輩たちの名人芸を継承出来る人材はいるのでしょうか? 人情あふれる落語の世界も、今や風前の灯火かと思うと、寂しい限りです。

B また話は一転。ウクライナ問題については取り上げる機会があると思うけれど、いま世界で起こっていることの深層を見抜くのはたいへん難しい。「プーチンは狂っている」、「ロシアはけしからん」と言ってウクライナを支援しているだけでは、ウクライナで日々悲惨な状況が続きながらも停戦を実現できないというジレンマがあります。そういう深層を度外視して、「だから防衛費アップだ」、「核共有だ」などとあおっている連中はなにをか言わんやですねえ。

 いま政治に必要なのは想像力と創造力を兼ねそなえた真のインテリジェンスだと思いますが、その点、れいわの衆院議員、大石あき子には感心しますねえ。前回衆院選で彼女が最後の最後に滑り込み当選した意味は、大阪にとっても、れいわにとっても、日本にとっても非常に大きい。

A 大石あき子、いいですねえ。大阪で一大勢力を築いた維新に果敢に挑戦していますし、橋下徹に名誉棄損とかなんとかで訴えられても、「大石あき子、橋下徹に訴えられたってよ」というハッシュタグで軽くいなす、この見事さ。

B たいしたもんだよ、カエルの小便、見上げたもんだよ、屋根屋のふんどし。いや失礼、また古い体質が出た(^o^)。自民党の女性議員はこのところ知性よりも人気、あるいは男性社会に対する媚びみたいなものを基準に選ばれているようだから、まるでインテリジェンスがない。候補を選定する側にこそ問題があると思うけれど、品性ある女性議員の顔がちょっと浮かびません。

A 大石あき子が国会質疑で「貧乳やなぁ」と野次られて、すかさずツィートで「見たんか💢」と。この関西弁にしびれる(笑)。櫛渕万里も正式に衆院議員になりましたし、これで今度の参院選でれいわマドンナが当選すれば、言うことなしです。

B 出ました、れいわマドンナ!れいわで公表された女性候補を見ていると、そこにこそ真の女性代表を感じるところもありますね。では、次回はその多彩ぶりについて(敬称略、以後も同じ)。

新サイバー閑話(49)<折々メール閑話>②

山本太郎は男でござる

B は~い、こんばんは、またお会いしましたね。

  今日は映画ではなく、ほんとの話です。れいわ新選組の山本太郎代表がつい半年ほど前に獲得した衆院議員を、なんと辞職しました。どうしてそんなもったいないことをするんでしょうねえ。ちょっと驚きましたねえ。

 実は、太郎さんは6月の参院選が日本の将来を占う重要な一戦になると考えているんですね。どういうことでしょうか。記者会見でこんなことを言っています。

今度の参院選のあと3年間は、衆議院が解散されない限り国政選挙はなく、この参院選でいまの勢力分布が変わらないと、与党自民党にとっては消費税増税、改憲、防衛費増額、福祉切り下げ、何でもできることになる。だからいまこそ野党勢力を伸ばさないといけないのだが、野党陣営にそういう緊張感がない。だから自分は衆院議員の議席を捨てて参院選に打って出る、そのことで野党の沈滞ムードを打破したい。

 そういうわけで、いかにもいかにも、立派な決意ですねえ。

A 迫力満点、男ならしびれます。男の中の男ですね。正に捨身。無私無欲。あるのはこの国を変えたい一念のみ。こんな政治家が他にいるか! ええぞ、健さん。

B やはり映画の話になりましたねえ。高倉健もいいけれど、西部劇『真昼の決闘』の孤独な保安官、ゲーリー・クーパーもいいですねえ。美しい妻と結婚式をあげ、新婚旅行に出かけるときになって、かつて自分がつかまえた3人のならず者が街に戻ってくることになりました。タイミング悪いですねえ、あと一瞬知らせが遅ければ、何も知らずに新婚旅行を楽しめたのに、結婚式を終えて馬車に乗ろうとしたときに電報が届きます。

 ちょっと、写真見せてください。  

 奥さん役のグレイス・ケリーがきれいですねえ。この方は後にモナコ王妃になりました。クーパーも渋いですねえ。なんとなんと、彼は新婚旅行をやめて3人に対決する決意をしました。
 そのとき街の人はどうしましたか。クーパーがともに戦ってくれると思っていた人びとが次々に下りてしまいます。友人の一人で、ジョン・フォードの名作『駅馬車』で酔いどれ医者を演じたトーマス・ミッチェルがいい味を出していました。この人はフランク・キャプラの『素晴らしき哉、人生』でも、物忘れの激しい主人公の叔父役を好演しました。

 ハイ、カメラさん、ありがとうございました。

 その友人がこう言いますねえ。「お前は新婚旅行に行けばいいんだよ。なんでとどまるんだ」。お前が戻ってくるから話が面倒になる、後のことはみんなで適当にやるから、と。

 このあたり、山本太郎の状況とだぶりますねえ。

 多くの人がこう言いましたよ。「衆議院で山本太郎に投票した人の気持ちを考えたことがあるのか」、「議員としての責任回避ではないのか」。

 太郎さんは言ってます。

衆院選で私は比例区で当選しました。比例区は山本太郎ではなく、れいわで投票してもらったから、私が衆院議員を辞めても、次点だった櫛渕万里さんが繰り上げ当選するので、れいわの議席が減るわけではありません。
だれも好き好んでせっかくもらった議員バッチなんかはずしませんよ。いまは大事な時期だから、私はもう一度、れいわの先頭に立って旋風を起こし、少しでもれいわの票を獲得、沈滞ムードの政局に風穴をあけたいんですよ。

 たしかに捨身ですねえ。空気を読みませんねえ。しかし西部の街の人びと同様、世間の風は冷たい。なんで新婚旅行に行かないんだ、いや、なぜ衆院議員をやめるんだなどと言ってますねえ。太郎さんの熱意に共感するような記事は新聞に出ず、テレビのドキュメンタリーで取り上げられることもないですねえ。これが映画なら、多くの人が拍手を送るところですねえ。

 クーパーは悪漢3人にたった1人で立ち向かい、見事にやっつけました。最初は夫の無謀な戦いに愛想をつかして汽車で去ろうとしていたグレイス・ケリーも車内でピストルの音を聞いた途端、無我夢中で汽車を降りて夫の戦いの場に戻り、夫の窮地を救いました。

 戦いが終わった後で街の人が集まってきますが、クーパーは保安官のバッジを捨て、拳銃も捨てて、少年が用意してくれた馬車に乗って街を去っていきます。敢然と闘う保安官を好演したクーパーはアカデミー主演男優賞をもらいました。

A 山本太郎は、役者として何不自由なく暮らせる生活をさらりと捨て、3年前にたった1人でれいわ新撰組を立ち上げました。何のため? この国を救うため。経済的にも衰退し、今や正義も無くなり、党利党略、利私欲のみの政治屋から日本を取り戻すためですね。

 だから今回の参院選は正念場です。知り合いの女性に山本太郎の記者会見の動画を送ったら「山本太郎は何でここまで頑張るのか。もうそんなに頑張らんでもいいよ〜って言いたくなる。バカな国民と政治家のために」という返信が来ました。

 しかし山本太郎も孤独ではない。『昭和残侠伝』シリーズの一つで、池部良が健さんに言います。「ご一緒、願います」。 こんなツイートもありました。「れいわ新選組山本太郎の衆院辞職には驚いたが、最も驚いたのは、参院選の比例区ではなく、負ければ終わりの『選挙区』から立候補することだ。背水の陣を敷くことで、今の自公維政権との対決姿勢を国民に分かりやすく示している。他の野党に今決定的に足りないのはこの政治的情熱ではないか」。

 若者がつくったらしい「れいわ応援ソング」もあります。

B ちょっと話が急転しますが、ダンテが『神曲』で描いた地獄は、すり鉢状をしていて、罪を犯した人びとの魂は、下に行くほど過酷な責め苦にあいますが、入り口の地獄の門付近に、地獄に堕ちるほど悪いことをしたわけでもなく、かと言って善行もしなかった「怠惰」な人びと、日本ならさしずめ沈香もたかず屁もひらずというような人びとが置かれている場所があります。そして地獄の門には「われを入るものは一切の希望を捨てよ」と書いてあるんですねえ。

 日本の将来に希望があるのかないのか。そう考えると、今日の話は、ほんとうは怖いコワい話でしたねえ。 

 もう時間来ました(^o^)。これは2022年5月の現実です。

 それでは、またお会いしましょう。さよなら、さよなら。

 写真は上から『真昼の決闘』のポスターから、グレイス・ケリー、
『昭和残侠伝』のポスターから、ボッティチェリが描いたダンテ『神曲』の地獄
(いずれもウィキペディアなどのウェブから借用。お礼申し上げます)

新サイバー閑話(48)<折々メール閑話>①

古典落語でござる

A 冒頭から嘆き節になりますが、日本人の劣化はここまで来たかと脱力しました。自民党議員が「ウクライナが日本に感謝していないのはけしからん」とツイッターした話です。みっともないの一言。これに対して、落語の「文七元結」を聞け!というきわめてもっともなツィートがあったのは救いでした。

 実はもう一つ、日本人の劣化を象徴する記事を先日の新聞で見つけました。どこかの地方自治体の担当者が困窮家庭向け支援金10万円、総額四千数百万をあやまってある個人の口座に振り込んでしまったのですが、その人はなんと変換を拒否していると。そもそも自治体職員の怠慢というか、無神経さに呆れるしかないのですが、この人にも志ん朝の「文七元結」を聞け!と言いたい。

 日本人は古典落語を聞かなくなってから、間違いなく馬鹿になりましたね。先程、改めて聞きましたが、ここにこそ、原日本人がいると思いました。

B この誤振込事件を聞いたとき思い出したのは、銀座で1億円だかの入った紙袋を拾って警察に届け、持ち主が半年たっても現れずに、そっくりもらえることになったタクシー運転手の話です。

 持ち主が現れた場合でも、慣行(どういう根拠かわからないけれど)によりその1割、1000万円はもらえるわけで、大金ではそうはいかないかもしれないが、とにかく、これは届けるに越したことはないわけですね。

 自分の通帳にたまたま1億円があやまって振り込まれたらどうするか、これを正直に申告した場合、送信した人は1割をくれるかどうか、ここは微妙ですね。そんなもの返すのが当たり前だと、左官の長兵衛さんなら言うだろうけれど、いまの役所の人が正直者の長兵衛さんにいたく感動して、「少ないですが、1割の謝礼を受け取ってください」、「べらぼうめ、国の大事なおかねじゃねえか、こちとら江戸っ子だい、そんなものを受け取ったら、近所の連中になんて言われるかわかっちゃもんじゃない」、「そう遠慮されても困ります。もともと私のお金でもないんで」、「じゃあ、家族会議をして‣‣‣、受け取ってもだれにも言わないでくださいよ。あっしが国のお金をくすねたなんて言われると、こまるんでねえ」‣‣‣、四千数百万円なら1割で四百数十万円だが、それを払うと役所が言えるようにも思えないし、まず何よりも、そういう素朴な道徳を失わせてしまう社会状況というのがあるのも確かですねえ。

 以前、白井聡が何かの本で「いまの若者は寅さんがおもしろいということがわからなくなっている」と書いているのを2人で話題にしたことがあったけれど、江戸っ子の啖呵の世界が懐かしいですね。ちなみに僕も「文七元結」は志ん朝ものを聞いているけれど、何度聞いても面白い。これを歌舞伎にした舞台を見たことがあるけれど、案外つまらないのでびっくりしたことがありました。

 おあとがよろしいようで。

新サイバー閑話(47)<令和と「新選組」>⑦

新庄剛志と山本太郎

 プロ野球日本ハムの新監督に新庄剛志が就任することになった。元阪神や日本ハム、米大リーグで活躍した個性豊かなこの人が「監督」になったのは大方の意表をつく出来事だと思うが、「正直、自分が一番びっくりしている。僕でいいのかなという思いの半面、僕しかいないなって。日本ハムも変えていくし、プロ野球も変えていくという気持ちで帰ってきた」という就任の弁はさわやかである。「これからは顔を変えずにチームを変えていきたい」とも言ったらしい。

 数年のブランクを経て国会に戻ってきた山本太郎には将来の総理をめざしてほしいが、新庄の語り口をまねれば、「ぼくでいいのかなという思いの半面、僕しかいないなって。国会も変えていくし、日本も変えていくと」という気構えで。

 前回、山本太郎およびれいわ新選組に対するメディアの取り上げ方がずいぶん控えめだったことにふれたけれど、11月6日の東京新聞におもしろい記事が出ていた。

 選挙期間中、ツイッターで各党首の投稿がどれだけリツイート(転載)されたかを調べた調査によると、れいわの山本太郎が18万7000回で圧倒的に多く、ついで共産党志位和夫委員長4万1000回、自民党岸田文雄首相3万6000回、国民民主党玉木雄一郎代表3万5000回などとなっている。立憲民主党の枝野幸男代表は1万8000回と少なかった。

 ツイッターに投稿した回数自体が、山本太郎167回、志位和夫120回、岸田文雄77回などと山本太郎が圧倒的だった面もあるし、転載は支持者間だけに止まっている傾向も強く、これらの数字が主張が広がったという意味での「拡散力」を示しているとは必ずしも言えないけれど、ネット空間におけるある程度の人気のバロメーターにはなっているだろう。

 新庄の去就に多くのメディアが集まったように、多くのメディアの目が今後は山本太郎およびれいわ新選組の行動に注がれてほしいとふと思ったのである(敬称略)。

新サイバー閑話(46)<令和と「新選組」>⑥

れいわの時代が始まる!

 今回の総選挙で、山本太郎をはじめとして、れいわ新選組の3人が議席を得たことは大いなる朗報だった。

 選挙結果全体をみれば、56%に満たない低い投票率はともかく、その中での自民党の安定多数確保、立憲民主党の大幅議席減、日本維新の会の議席3倍増と、野党共闘がさっぱり振るわず、むしろその票が維新に流れた構図で、維新を自民党の補完勢力と見れば、むしろ現政権の基盤は強まったとさえ言えるだろう。

 コロナ対策の不手際、相変わらずの金権体質、不誠実な政治姿勢などから、久しぶりに政権交代も話題になった選挙前の空気からすると、意外なほどの尻すぼみである。野党共闘不振の原因が野党第一党たる立憲民主党の枝野幸男代表にあるのは間違いないだろう。得難いチャンスを逸したわけだが、選挙直前にれいわの山本代表がいったん東京8区から立候補すると宣言しながら直後に取り消し、比例に回った経緯の中にも、枝野代表に野党共闘をまとめる度量も見識(ビジョン)もなかったことは明らかなように思われる(共産党との共闘が間違いだったわけではもちろんないが……)。

「枝野は野党のアンシャンレジーム(旧体制)」と言った友人もいた。いま野党(左派)に要請される資格として「想像力」と「創造力」をあげた文化人類学者がいるそうだが、これからの時代を見据えた想像力(イマジネーション)と創造力(クリエイティビティ)を兼ね備えたリーダーは、山本太郎以外にはいないように思われる。だからこそ、山本代表とれいわ新選組の活躍に期待したいが、それ以上に自民党に対抗する野党全体の戦線を組みなおすことが急務だろう。

 それにしても選挙前、選挙中を含めて、マスメディアの報道はれいわ新選組にずいぶん冷たかったように思われる。街頭活動の動画を見ていると、聴衆の山本太郎に対する熱い連帯が伝わってきたし、SNSではいろんなジャンルの識者、タレントがれいわへの応援メッセージを送っていたけれど、そして全体として(選挙区と比例あわせて)れいわは255万余票を獲得しているわけでもあるが、メディアでの露出はあまりにも少なかった。と言うより、れいわが担おうとしている政治活動に関する想像力自体が欠けているように思われた。

 私が駆け出し記者のころ、研修を受けた横浜支局の支局長から「ニュースとは時代の波がしらがはねたものである」と聞かされ、現役時代を通してそれを信条としてきたけれど、この波がしらがはねるのを目撃しながら、それを面白がる野次馬精神がまったく感じられなかったし、ましてや「波がしらをはねようとする」迫力はまるでなかったようである。

 立憲民主党の枝野代表は11月2日の党執行委員会で、敗北した責任をとり辞任する意向を表明、同党は執行部を刷新することになった(3日追記)。