2025年から<ジャーナリズムを探して>シリーズを始めたのに伴い、2025年以降のOnline塾DOORSの記録をOnline塾DOORS④<2025.1.20~>へと更新しました(一部ダブリ掲載あり)。塾の精神、これまでの授業など、ほとんど従来通りで、その趣旨は別稿のOnline塾DOORSへの招待、<ネットのオアシスを求めて>をご覧ください。「国境を越え、世代を超えて」がキャッチフレーズです。より多くの皆さんの参加を希望しています。
なお従来の履歴はOnline塾DOORS③のメニューからご覧いただけます。それ以前はOnlineシニア塾①<2020.5~2021.4>、および②<2021.5~2022.4>に収録しています。
2025年3月現在の講義は以下の通りです。
講座<若者に学ぶグローバル人生>
講座<気になることを聞く>
講座<とっておきの話>
講座<アジアのIT企業パイオニアたちに聞く>
講座<よりよいIT社会をめざして>
講座<超高齢社会を生きる>
講座<女性が拓いたネット新時代>
講座<ジャーナリズムを探して>
講座<若者に学ぶグローバル人生>
◎第84回(2025.3.27)
古海正子さん【「もっと知ってほしい日本のこと、もっと知りたいアジアの国々」。アジアの若い仲間の支援を続けて20余年。あなたも「アジ風」に参加してみませんか】
アジアに「新しい風」が吹いてからすでに20余年。創立者の上高子さん(写真)は、日本航空勤務のあと、よりやりがいのある仕事を求めて40代半ばで早期退職、日本語教師へと転進したが、そこで焦点を欧米よりもアジアに定め、アジアの若者たちの日本語学習を支援することを思い立った。日本語教師の派遣を希望する大学の日本語学部に教師を派遣することから始めたが、Iメイト(アイメイト、I=インターネット、愛、出会い)という秀逸なシステムに乗って、その草の根的交流はアジア諸国と日本のきずなを深めることに大きな貢献してきた。NPO法人「アジアの新しい風」設立は2003年、現在その理事をつとめる古海正子さんに、コロナ禍以後も「新しい風」を吹かせたいと頑張っている同法人の活動について聞いた。
なお<若者に学ぶグローバル人生>では、これまでアジア、アフリカなどの留学生を中心に話を聞いてきたが、上さんや彼女の後任副理事長を務める創立時以来の会員、元日本語学校校長の奥山寿子さん、そして古海さんなどにも何人かの留学生を紹介していただいている。
NPO法人アジアの新しい風(略称:アジ風)は、日本語教育を通して日本についてのアジア諸国の理解を得るため、Iメイト交流を始めとした日本語学習者への支援や文化交流などの事業を行っています。同時に、アジアの国々について学び、相互理解を深めることによって、多文化共生社会の実現を目指し、アジアの平和とひいては世界の平和に貢献することを目指します(定款)。
◇
1970年4月日本IBM(株)入社、1982~1987まで全社新入社員研修を担当、1987後半から海外人事マネジャーになり、その後、国際人事及び福利厚生などを担当。日本IBMの上部組織にあたるアジアパシフィックで国際人事や秘書のマネジャーを経験した。2009年にアジ風会員となり、2012年から理事、2017年から3年間事務局長、その後現在に至るまで理事。
アジ風の現在のメンバーは190人ほど。50~70代が中心ですが、80を越えた方もいらっしゃいます。中国(清華大学)、ベトナム(貿易大学)、タイ(タマサート大学)、インドネシア(パジャジャラン大学)の日本語学科で学ぶ学生と直接、あるいはインターネットでのメール交換を通してコミュニケーションしながら、日本語学習の支援をしています。
主な活動は、Iメイト交流、アジア各国の交流校訪問、交流会や著名人の講演会開催、留学生支援、日本での就職支援などと幅広いです。奨学金制度も設けています。
Iメイト(アイメイト)は日本語学習者(学生)と会員がEメールを通じて1対1で交流するシステムです。彼ら、あるいは彼女たちが日本に留学するようになると、Iメイトがマンツーマンで観光案内したり、自宅に招いたりして、より交流を深めています。彼らは日本についてけっこう勉強しているので、質問に答えられなくて改めて調べたりもするので、勉強にもなりますが、それよりも子どもや孫ぐらいの若い人たちと、年を離れた友だちのようになれること自体、たいへん楽しいですね。
交流校は先に上げた4校で、韓国、フィリピンなどが含まれていませんが、もともと日本語学部に日本語教師を派遣することから始まっており、とくに韓国からは「必要ない」と断られた経緯があります(^o^)。
年に1~2回、Iメイトたちが現地を訪れ、交流校訪問をしています。いずれも現地の一流大学で、清華大学、タマサート大学ともに広大なキャンパスなのには驚きます。
現在のIメイト参加者は70人強、学生の方は200人くらいいるので、1人の会員で複数の方と交流していることになります。現地での交流会では学生たちの自宅に招かれることもあります。
交流会ではZoomを使った遠隔参加もあり、新春交流会では150人ぐらいが参加します。グループディスカッション、詩歌朗読コンサート、アニメのアフレココンテスト、落語講演、など多彩な行事を計画しています。年1回の総会の後は著名人をお呼びしての講演。初代理事長をお願いした林雄二郎さんの息子さんで、やはり理事長にもなっていただいた作家の林望さん、日本総合研究所の寺島実郎さん、比較文学の専門家で東大名誉教授の川本皓嗣さん、写真家の大石芳野さんなどに、日本とアジアとのかかわり、言語とナショナリズム、アジアにおける日本のサブカルチャー人気、ウクライナ情勢など、時々のトピックスにそった話を聞いています。これはたいへん勉強になりますね。
この20年は日本経済の停滞と一方でのアジアの発展という激動の時代を反映して、会の運営にも変化がありました。日本語教師の派遣は経済的な問題のほかに、先方の希望水準が高くなったなどの事情で、いまはやめています。中国は日本を上回る経済大国になりましたしね。
その間にはコロナ禍もあり、直接交流が途絶えた隙を埋めるように、Zoomを使った交流が始まりました(奥山さんに<Zoomが「アジアの新しい風」に新風>というコラムを書いていただいたこともある)。
そんな中でも、なお日本に魅力を感じてくれる人も多く、大学卒業後は日本で働きたいという学生さんもいます。これからは日本での就職支援に力を入れたいと思っています。
悩みは経済情勢よりも、アジ風に参加してくれる会員が減っていることです。最盛期には総数250人近かったメンバーが今は190人。創立当時、60歳の人はもう80過ぎですから、病気などで退会する人が出ていますが、それに代わる若い50~60代の人がそれほど増えないんですね。現役で働いている人は仕事が忙しくなかなか暇が取れないですし、最近は定年が延長になったり、定年後も働かざるを得ない人が増えてきたりもしており、社会全般にこういうボランティア活動に参加する人が減っているように思います。
それはともかく、いま、絶賛会員募集中です。アジ風のウエブに、第2の人生で落語家になった参遊亭遊助さんの「草の根~アジアの新しい風物語」というなかなか秀逸な入門落語がありますので、それをご覧になって、ぜひ応募してください。https://www.npo-asia.org/info
公的な助成金はほとんど受けていないので、活動資金はもっぱら寄付と会費(個人は入会金2千円、年会費6千円、法人は入会金1万円、年会費3万円)に頼っています。それでは、よろしく。
おあとがよろしいようで。
新講座<ジャーナリズムを探して>
◎第83回(2025.3.6)
山田厚史さん【記者が紙の新聞からインターネットへと活動の舞台を移す時、デモクラシータイムスがその「踏み台」になってくれればいいと思っています】
山田厚史さんの朝日新聞記者としての活躍、CS番組「ニュースター」での映像メディアへの挑戦、さらにインターネットに転じたユーチューブ番組「デモクラシータイムス」設立に至る経過と実際などの話を聞きながら、「懐かしい歌が聞こえてくる」感慨にとらわれた。
それは朝日新聞がジャーナリズムの雄としてまだ羽振りもよく、社会的にも信頼されていた時代の郷愁のせいか、山田さんの穏やかな語り口のせいか。当方もまた新聞出身であるためか。いや、それはインターネット初期の喧噪の中で、ネットというメディアプラットホーム上で新しいジャーナリズムのあり方を模索した人びとの興奮と歓喜、試行錯誤にともなう熱気のせいに違いない。デモクラシータイムスは「ネットジャーナリズム黎明期に咲いた幸せの花」ではないだろうか。
その種子が新しい実を結んでいるのも確かである。ネットジャーナリズムの歴史を振り返る時がくれば、間違いなくその存在は「懐かしく」人びとの記憶に蘇るだろう。いや、いや。その礎を立派に果たしたデモクラシータイムスのさらなる躍進をお祈りしたい。
https://www.youtube.com/@democracytimes
◇
ジャーナリスト。元朝日新聞記者。経済部で大蔵省、外務省、自動車業界、金融業界などを担当。ロンドン特派員、編集委員、バンコク特派員などを歴任。2017年にデモクラシータイムスを立ち上げ「山田厚史の週ナカ生ニュース」で情報発信を続けている。2017年衆院選挙で立憲民主党(千葉5区)から出馬した経験がある。著書に『銀行はどうなる』、『日本経済診断』(岩波ブックレット)、『日本再敗北』(文芸春秋社・田原総一朗 と共著)など。
デモクラシータイムスという現在日本有数のネットジャーナリズムの牙城は、各種の情報サイトが1カ所に軒を並べた専門店だと言っていい。メニューは、これまで配信したものを含めると100近いが、いまのメインは「山田厚史の週ナカ生ニュース」、佐高信、平野貞夫、前川喜平の「3ジジ放談」、何人かのコメンテーターがその週のニュースを解説する「ウィークエンドニュース」など。参加メンバーは田岡俊次、竹信三恵子、升味佐江子、山口二郎、池田香代子、横田一、白井聡、高瀬毅、雨宮処凛、金子勝各氏など、ジャーナリスト、学者、評論家、小説家などさまざまで、それぞれが独自の情報を発信している。ほかに荻原博子、辛淑玉、マライ・メントラインさんなど女性がけっこう多いのも特徴である(写真は2025年正月の「週ナカ生ニュース」の山田さんと升味さん)。
ウエブには<デモクラシータイムスは、「日本で一番わかりやすいニュース解説」を目指しています。2017年3月、今の世の中はこれでいいのか、政治も社会もおかしくないか、息苦しい時代に自由な発信の場を作りたいと9人で始めたyoutubeチャンネルが、視聴者のみなさんの寄付に支えられて毎日配信するようになり、2021年には10万人を突破しました。一人一人の方の寄付が育ててくださった放送局です」とある。
https://www.youtube.com/@democracytimes
2025年現在、視聴者は23万人に上る。このデモクラシータイムスはいかにして誕生したかを山田さんに聞いた。
朝日新聞入社は1971年、青森支局が振り出しで、その5年間で記者としての一通りのことを学びました。その後、経済部、外報部と記者生活を送り、定年後に朝日新聞グループが多メディア化の波に乗って開設した「朝日ニュースター」で経済問題を担当、ここでキャスターの勉強をしました。運営をめぐって朝日新聞からテレビ朝日に移ったり、メインキャスターの愛川欽也さんのポケットマネーで運営したりと紆余曲折の末、仲間で独立して活動した方がいいと考えて、9人の記者でデモクラTVをつくり、社長になりました。折からインターネット上のユーチューブというシステムを利用すると、大きなカメラを何台も用意することもないし、スタッフもディレクターとスピーカーの2人、小型カメラだけでで大丈夫と聞いて、「ほんまかいな」と疑心暗鬼ながら、山田、田岡、早野透(故人)で100万円づつ拠出して、2017年、ユーチューブのニュース提供番組、デモクラシータイムスをつくることになったわけです。
撮影は9割方スタジオでやっていますが、そのスタジオも仲間が経営しているアパートの一室と、かつての法律事務所を借りた簡便なもので、出演者はメンバーが声をかけて出てもらったり、古巣の朝日OBだったり、学者、作家、評論家など様々な人が参加してくれています。
テーマは政治、経済、憲法、原発など。新聞ではいま一つ背景がわからないことをもう少し深堀することをめざしています。録画時間も長いものは2時間以上あり、やりようはいろいろです。なるべく自分の意見をはっきり言うようにしています。論者によって考えは違うが、気心の知れた仲間ばかりでもあり、基本的な考え方には自ずからの合意があります。「ほんとうのところはこうなんだよ」ということを新聞紙面より突っ込んで言う感じで、見ていただく方が「これでいい」と思うならどうぞ見てください、というスタンスです。
合議で何かを決めるということはなく、それぞれが自分の信念でやりたいことをやっています。ユーチューバーのスタジオ版というイメージですかね。
ほとんどボランティア出演で、フリージャナリストのように生計がかかっている人には少し配慮しますが、あとは交通費程度の支給です。意気に感じるとか、新たな情報発信に挑戦するとか、思いは様々ですが、基本的に出演者の好意で成り立っています。古巣の朝日新聞との関連で言えば、現役記者の海外特派員などにも現地報告してもらったりしています。紙のメディアからインターネットへ舞台を移してジャーナリスト活動を続けたいという人はけっこういます。
最初は読者5000人くらいで始めましたが、年々増えて、現在登録してくれている読者が23万人以上います。その方々のカンパが年に約2000万円、それに広告も含めてユーチューブから入ってくる収入が約1000万円。合計3000万円の範囲内で運営しており、出来ないことはやりませんから、赤字ということはありません。CS放送のころから「ユーザーがいる限り辞められないね」と言って続けてきたので、読者に飽きられて、読まれなくなればやめればいいと思っています。しかし、ありがたいことに、年々読者は増えています。もう少し収益のあるものをやりませんかというお誘いもありますが、これを受け入れてしまうと、そちらに流されることにもなり、朝日新聞でがんばってきたことの意味がなくなりますね。
ネットジャーナリズムの安定的な基盤、どういうビジネスモデルをつくれるか、はまだ試行錯誤の段階です。明確な方針などないまま、時のメディア動向に流されながら、ここに行き着いたというわけで、なお「漂流中」です。かつての朝日新聞のような優雅なやり方はもはやあり得ない。貧乏暮らしを覚悟するか、それとも年金などの片手間か。幸い私たちは朝日新聞でおいしい時代を過ごしてこられたので、その余力でもって、次の時代のこやしになれればと思っています(^o^)。
若い人がどんどん加わってほしいですね
(1人ひとりが放送局になるというネットメディアのイメージから見ると、デモクラシータイムスは過渡期の形態とも言えるようですね)
いまネットで活躍している鮫島浩氏や尾形聡彦氏なども一時、ここで活動していたことがあります。新聞、出版、放送からインターネットへと、今後のジャーナリズムの活動は舞台を移していくと思いますが、新聞社から出てネットへ移っていくための踏み台にしていただけるといいと思っています。
初期のメンバーも含めて年長者が多いので、これからは若い人がどんどん加わってほしいですね。朝日新聞を出て会員制の『Tansa』を始めている渡辺周君など優秀な人材が育っているので、大いに期待しています。
(最近のフジテレビ事件の2回目の記者会見はフリージャナリストなど400人が参加、時間も10時間半に及びました。これは記者クラブのあり方も含めて、いろんな問題を提起しましたが‣‣‣)、(記者に対する迫害、圧力に対して組織として守る、弁護士会のようなものがほしいとも思います)
だれでもジャーナリストを名乗ることはできるけれど、新聞社や放送局が指定するのではない、フリージャーナリストをどう育てるかも問題になってきますね。記者会見にしても、記者側が主導権をとるためには、それなりの資格と素養を持っている人に何らかの「記者章」を発行するような組織が必要になると思います。公権力とは独立した公的な組織ですね。
(インターネット上の情報はプラットホームによって〝検閲〟されますね。たとえばコロナワクチン問題の危険性を警告していた原口一博衆院議員など、自分のユーチューブが何度もBANされた=停止・削除を命じられた=と言っています)
デモクラシータイムスでも、「もう1回やったら広告を切ります」といったメッセージがユーチューブ(グーグル)から来ます。しかし、なぜ問題だとしているのか、その理由が開示されない。仕様書などがあるのであれば、対策も取れますが、まるで自主規制を迫るような感じです。ユーチューブは一大メディア・プラットホームに成長し、大きなポテンシャルを持っています。最初は機械(アルゴリズム)で検閲しており、文句を言うと、担当者(人間)が出てくる。これは大問題でもあり、こちらとしても、どんなものがチェックされたのかのリストをつくる作業をしないといけないと思っているところです。
(紙の新聞はここ10年で半減しました。あと5年から10年もすると、読売新聞以外は100万部を切るという予想もあります。紙の新聞が生き残る可能性はありますか。もっとネットに向かって舵を切るのは?)、(古巣の朝日新聞に対して思うことは?)
マスメディア企業はいま守りに入っていますが、圧倒的人材は今でもそこにあります。新聞社を止める人はリスク取っているわけで、そこまで決断できなくても、有意な人は内部でも頑張ってもらいたいと思います。
朝日の人に出演をお願いするときの敷居がどんどん高くなっています。昔は上司の印鑑だけでよかったのが、いまでは広報を通せ、文書を出せと、社外活動を促進するよりも拘束する方向に言っているようですが、逆に社外に広く門戸を開くことが、記者のためにも会社のためにもなると思いますね。優秀な人材を社内に閉じ込めるんではなく、他の媒体にもむしろ積極的に出してやると、記者の能力も高まるのではないでしょうか。記者根性のある人が働ける場所を与えていく必要がある。紙だけがメディアではありません。
結局は、メディアはデジタルに向かうしかない。新聞が百年かけて作った「みんながたっぷりご飯を食べられるおいしい」モデルはもう無理ですが‣‣‣。
<私にとってのジャーナリズム>朝日新聞時代に3度も名誉棄損訴訟を起こされました。最初は青森支局で学園紛争取材に絡んで理事長から、次は大蔵省批判で国税庁長官から、最後は粉飾決算がバレた証券会社の内幕をテレビで語って安倍晋三首相から。いずれも「和解・訴訟取り下げ」で決着しています。社内で「凶状持ち」と言われたりもしましたが(^o^)、当時の朝日新聞には外部の圧力から正論を守る、記者を守る気概があったように思います。
記者を続けるためには、強いものを敵に回す覚悟が必要です。攻撃や圧力にさらされるのは当然で、私は「働いた先々に爪痕を残してくる」ことを常に考えていました。おかしいことを「おかしい」と主張し、ずるく立ち回らなければ、理解してくれる人は取材先にもいます。「敵ながらアッパレ」と思ってもらえれば、記者冥利に尽きるというべきですね。(この項、3.22追記)
◇
山田さんは何度もデモクラシータイムスは新聞からインターネットへと記者が移行していくための「踏み台」になれればいいと話した。スピンアウト、核分裂という言葉もあった。デモクラシータイムスは十分にネットジャーナリズムの「揺籃」の役割を果たしていると思われる。当日のメンバーから「回りの年長者もどんどん新聞購読を止めている。と言ってユーチューブを見ている人も少ない。インターネットにはいろんな情報があふれているが、いま何を見るのがいいのかがわからない」、「みんな電車の中で前を向いてスマホを見ているが、そのときにきちんとした情報が提供されているといいと思う」という声があった。デモクラシータイムスはネットジャーナリズムの入り口としては格好のサイトでもあるだろう。
パッケージメディアとしての新聞 かつてジャーナリズムの雄を自認し、それなりの役割を果たしてきた新聞は、さまざまな情報を「パッケージ」として売るメディアだった。政治、経済、社会といった報道面だけでなく、ラテ欄も、四コマ漫画も、スポーツ面も、映画・演劇・美術などの娯楽面もすべてが「新聞」紙としてパッケージされているところが特徴であり、強みでもあった。言ってみれば、ラテ欄があるから買ってくれる人の購読料をニュース(調査報道などのジャーナリズム)の取材活動に回すことが可能だった。高い広告料も戸別配達による大部数のもとに成り立っていたと言っていいだろう。
ところがインターネット上の情報は原則としてばら売りで、ラテ欄はもちろん、漫画・アニメも、スポーツも、映画評も、すべてが個別に提供される。そのとき、いわば「むき出しになった」調査報道をはじめとする報道、ジャーナリズムに誰が対価を払うか、というのがネットジャーナリズムのアキレス腱である。朝日新聞がインターネット黎明期に立ち上げたasahi.comは、ただ新聞紙面を模倣し、そのモデルを踏襲し、言って見れば紙の新聞の付録扱いで、しかもその付録が本体の紙の価値を軽減する結果をもたらした。この辺はメディア業界で独自に工夫すべきジャーナリズム仕様(アルゴリズム)をシリコンバレーに丸投げした米メディアも似たり寄ったりで、だからこそ、これからの生き残りにはジャーネットナリズム・プラットホームの工夫が必須と言っていい。
デモクラシータイムスの寄金(カンパ)に頼るスタイルは、他の同種サイトでも見られるが、これはどちらかというと、内容がそれぞれに特化され、購読料(書籍代)のみで成り立っている出版モデルに近いと言えるだろう(出版の可能性についてはまた取り上げるつもりである)。
インターネットという誰もが情報発信できる時代にかえって「表現の自由」、「報道の自由」の理念が形骸化しているのも、現下のジャーナリズム衰退の大きな要因である。私たち一人ひとりがあらためてIT社会に生きること、そこでのジャーナリズムの意味を考え直し、支援の輪がより広がれば、デモクラシータイムスはIT社会におけるジャーナリズムの「大輪」になれるかもしれない(Y)。
講座<若者に学ぶグローバル人生>
◎第82回(2025.2.22)
髙橋麻里奈さん【JICAでラオスに派遣され、ちぐはぐな開発援助の矛盾に悩みながらも、元気に理科教育普及に励んでいます】
今回は久しぶりの<若者に学ぶグローバル人生>で、海外青年協力隊(JICA)の一員としてラオスに駐在、現地の理科教育普及や教員養成に励んでいる高橋麻里奈さんの話を聞いた。
寒波と大雪に四苦八苦している日本とは真逆でラオスはいま夏、しかも乾季。連日30度を超す猛暑だとか。現地ラオスからのご登壇だったが、たまたま当日は、高橋さんをご紹介くださった学芸大学教授の岩田康之さんが長期滞在先の香港から、そして海外青年協力隊の先輩でもあり、現在フィリピンで起業しているメンバーの鮎川優さんがフィリピンから参加、13人の参加者中3人が海外からと、なかなかのグローバル模様になった。
本塾をOnline塾DOORSと改名した時、<国境を越え、世代を越えたコミュニケーション塾>にしたいという抱負を述べたが、「世代」的には、メンバーの高橋由紀子さん主宰の教室から高校1年の女生徒も参加して、かれんな花を添えてくれた。
高橋さんは東京学芸大学在学中に休学し、フィリピン留学とボランティア、ついでフィンランドの小学校での短期教育実習、その間、ユーラシア大陸を回り、大学卒業後は東京学芸大学附属世田谷小学校などに4年間勤務、理科実験カリキュラムづくりや異年齢学級などを担当した。その後、カナダのモントリオールでの短期留学とアメリカ南北大陸を歴訪して、帰国したと思ったら、昨年は海外青年協力隊に参加、今はラオスに駐在、というまさに「世界を駆ける」行動派教師である。専攻は理科教育。趣味は旅行で、すでに31カ国を訪問している。現地の人びとと協力しながら、経済や社会の発展に貢献するというのが願いだとか。その自由で軽快な行動スタイルが、若いエネルギーを感じさせる。
JICAには教養試験、語学試験、健康状態などをクリアした新卒、シニアがそれぞれ1~.2割ほど、残りは退職した20代後半〜40代の人びとが参加しており、福島県二本松訓練所には200人ぐらいいた。そのうち高橋さんら11名がラオスへ。その半数は助産師、看護師などの医療系、残りは水質検査、農業開発、スポーツ関連、教育など。
ラオスは、ベトナム、カンボジアなどとともにインドシナ半島を構成するASEAN諸国だが、他の国に比べると影が薄い。日本の本州ぐらいの国土に人口約700万人。1平方キロメートルの人口密度はたった24人(ベトナムは256人、タイは132人、日本は340人)。中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーに囲まれた内陸国で、かつてはタイの領土だった。共産主義国で宗教は上座仏教。中国やタイとの関係が深い。2021年にはラオス中国鉄道が開業した。入国直後は首都ビエンチャンでラオス語の訓練などを行い、いまは南のサラワン県(地図で丸で囲ったところ)に赴任、大きな平家に1人、多くのヤモリと生活している。
若者たちはタイの音楽や文化に慣れ親しんでおり、街には意外に韓国人が多いと言う。岩田先生によると、ラオス語はタイ語の方言みたいなものらしい。意外でもあり、なるほどそういう時代かとも合点したのは、スマホの保持率はかなり高く、小学生も持っているとか。買い物や光熱費などもスマホを使ったキャッシュレス決済で、みんなの憧れはアップルのスマートフォンiPhone。テレビは驚くほどなく、観ている様子もあまりない。
いろんなスライドを見せてもらったが、決して豊かとは言えない田舎が広がっているような光景で(主産業は農業)、まさに発展途上の国である。彼女も「ラオスは牧歌的で、シンプルで、びっくりしました。言い方が悪いけれども、特徴がない」という印象を受けたようだ。
彼女はそこで小中高校生や教師を相手に理科教育について教えている。ほしい機材がないかと思うと、同じ機材が山のようにあったり、立派な実験教室があるのに理科教師がいないために放置されていたり、新校舎が建ったために、まだ立派な木造校舎が廃校になったり、開発援助の矛盾に悩まされながら、専門の理科教育について、持ち前の明るさを忘れず、大いに奮闘しているようだった(写真は上から右周りに「首都ビエンチャンの街角」、「授業風景」、「理科実験」、「廃校になった旧校舎」、「日本の援助で出来たが、まだ使われていない理科実験室」)。
なぜラオスを選んだのか、との質問に対しては、「小学校5年生の時、塾の先生が『カンボジアに学校を建てたい』と言っていたのを、子どもながらに『これはすごい』と思って、自分も何かできることがあるのではないかと、教員として海外協力したいという夢を持つようになった」と話してくれた。
ラオスには2年いて、帰国後は日本でも理科教育にたずさわろうと考えていたが、開発援助の実態を見るにつけて、それらをよりスムーズに運べるような事業に取り組もうかとも思い、今は悩んでいるという。
海外から日本はどう見えますかとの質問の答えは、「海外に長く出ていると、だんだん日本の良さが身にしみる」とのことだった。日本は「人びとが暗黙に守っているルールで社会が成り立っている」という感慨で、私たちの信条にふれたものだったが、その日本は数十年における政治の混乱、経済の停滞、何もかもを金に換えて利潤を追求する新自由主義の猛威を受けて、その良さが急速に失われつつある。彼女が日本に戻って来た時「浦島太郎」にならないように、「日本をちゃんと守っていないといけないですね」という声も聞かれた。
新講座<ジャーナリズムを探して>
◎第81回(2025.1.20)
佐藤章さん【組織ジャーナリストであろうと、フリージャーナリストであろうと、大事なのは記者の「志」。いまのマスメディア関係者にはそれが薄くなっている気がします】
ジャーナリスト、元朝日新聞記者。東京・大阪経済部、AERA編集部、週刊朝日編集部、月刊 Journalism 編集部などを歴任。退職後、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社取締役・編集委員会委員長。著書に『日本を壊した政治家たち』(五月書房新社)、『コロナ日本国書』(五月書房新社)、『職業政治家 小沢一郎』(朝日新聞出版)など。
<新講座発足にあたって>政治の混迷、マスメディアの崩壊、SNSなどインターネット上の情報発信の爆発的増加など、昨今の社会の激動は、情報端末としてのスマートフォンやSNSなどインターネットメディアの普及といった、私たちを取り巻くメディア環境の変化と大きく関係しています。新しい情報の流れの中で、従来のマスメディアが曲がりなりにも担ってきた社会の民主主義的土台を支える機能、ジャーナリズムという営為はずいぶん陰の薄いものにもなっています。
テレビが普及し始めた20世紀半ば、カナダのメディア研究家、マーシャル・マクルーハンが放った「メディアはメッセージである」という警句が今更のように生々しく蘇りますが、インターネットが爛熟期にある21世紀において、社会のジャーナリズム機能は衰退していいとは、とても思えません。イシエル・デ・ソラ・プールが20世紀後半に『自由のためのテクノロジー』で書いた「21世紀の自由社会では、数世紀にもわたる闘いの末に印刷の分野で確立された自由という条件の下でエレクトロニック・コミュニケーションが行なわれるようになるのか、それとも、新しいテクノロジーにまつわる混乱の中で、この偉大な成果が失われることとなるのか、それを決定する責任はわれわれの双肩にかかっている」という言葉がいよいよ切実に感じられます。
だとすれば、IT社会全体におけるジャーナリズム機能をどこが、そして誰が担うべきなのか、そういう問題意識のもとにスタートしたのがこの企画で、トップランナーを朝日新聞OBでいまはユーチューブ番組「一月万冊」を舞台に活躍している佐藤章さんにお願いしました。
本シリーズでは、以下の3つを柱にして、様々なメディア関係者にご登場いただき、個別具体的なお話を聞きながら、メンバーとの質疑応答を通して、ジャーナリズムのあり方を考えていきたいと思っています。話していただく順序はアトランダムです。
・朝日新聞OBに聞く。「朝日新聞はどうすればいいのか」&「ネットジャーナリズムでの挑戦」&「新聞とネットの違い」。
・ネットでの情報発信を実践しているパイオニアに聞く。「ネットメディアでの新たな試み」&「テレビからユーチューブへ」&「IT社会におけるジャーナリズムの可能性」。
・メディア研究者などに聞く。「私のジャーナリズムへの期待」。
シリーズ後半には既存マスメディアで活躍してきたOBたちに、歴史的総括として「私たちはこう考えてきた」&「どこで間違えたのか」についてもお聞きできればと思っています。
このシリーズの趣旨は末尾にJPEGファイルとして掲載した「趣意書」をご覧ください。
◇
佐藤章さんの現在の主な舞台はユーチューブ上の「一月万冊」です。
「一月万冊」は約10年ほど前に読書好きのベンチャー起業家、清水有高氏が開設したもので、今は佐藤章、本間龍(作家)、安冨歩(元東大教授)の各氏がここを舞台に自らの情報を発信しています。
佐藤さんは朝日新聞在社中から慶應義塾大学でメディア論の教鞭をとってきましたが、退職後に知り合いから一月万冊を紹介され、システム操作や番組の作り方をスタッフの人に教えてもらいながら、情報発信するようになりました。
現在は週に5回ほど、1時間内外の番組を配信しています。古くは安倍元首相襲撃事件、石丸伸二候補が旋風を巻き起こした昨年の都知事選を始めとする各種選挙報道、最近ではフジテレビの屋台骨を揺るがすまでになったタレント、中居正広スキャンダルなど折々のニュースを取り上げてきました。私たち庶民の怒りや批判を代弁しながら、事件の背景やその本質を丁寧に解きほぐす語り口は、多くのユーザーに好感をもって受け取られているようです。ここに一つのジャーナリズム実践があるのは間違いないでしょう。
当日は、①「一月万冊」について、やってみての感想、視聴者の反応、新聞との違いは、②古巣の朝日新聞について、③ネットジャーナリズムの可能性、などについて話を聞きました。折々にメンバーが質問を投げかけ、それに佐藤さんが丁寧に答えるという感じで議論は進みましたが、佐藤さんの誠実な対応が印象的でした。
その一部を以下に紹介します。()内はメンバーの質問や発言。このシリーズは、討議の内容を詳説したサイバー燈台叢書として後に公刊する予定です。
◇
最初のころは紙で新聞原稿を書き、大学では黒板を使って教壇から話し、ワープロ・パソコンによる記事出稿、そしてユーチューブ番組でのしゃべりと、情報発信のやり方はいろいろ変わったけれど、変わらないものは「志」だと思っています。
番組は事前収録です。視聴者の反応としては、わかりやすいという声が多く、僕としてもここを大事にしたいと思っています。理解してもらわなければしょうがないですからね。視聴者は少ない時は4万人ぐらいですが、最低でも4万人はほしいですね。多かったのは安倍逮捕の時で、突然ポーンと数十万人に上りました。番組内容については、毎回予告するようにしていますし、僕自身もツイッターやフェイスブックで㏚しています。
(4万人というのは、月刊誌に比べるとすごいですねえ)
街を歩くと声をかけられるので(^o^)、見られているなと思いますね。ここが新聞雑誌や書籍とは違うところですか。
朝日新聞の精神はあまり変わっていないと思っていますが、ウエブの作り方にもう少し工夫があるといいですね。ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストなど成功したウエブでは、新聞の体裁をとりながら、ある文字をクリックすると詳報がずらっと見えますね。
もっとも英語の力が強い。日本の場合は日本語の壁がありますね。それについて僕は朝日新聞中国語版を作ることを提案しているのだが、乗ってきませんねえ(^o^)。中国人は日本に関心を持っているし、なにせ人口が多く、読者数が違います。中国とは仲良くやるべきですよ。
記者のころから、日本を少しでもよくしたい、できるだけ正しいことを伝えたい、できれば特ダネを取りたいという思いでやってきましたが、それは今も変わらないですね。いまは組織的支援がなく、孤軍奮闘だけれど、結局、特ダネは深く付き合っている人から取れるものです。
(『外岡秀俊という新聞記者がいた』という朝日新聞記者に関する本を興味深く読みましたが、彼は特ダネというのは「記者が書かなければ永遠に闇に葬られるような事実を発掘することだ」と言っていますね)
その特ダネに関する意見にはまったく異論はありません。ただ私は経済部が長かったので、たとえば日本銀行、財務省など大きな役所が発表することで社会に与える影響が大きいものもありますね。それを役所側から抜くというのも重要な特ダネと思っています。発表ものというのではなく、ね。記者として幸せだったと思うのは、経済部として役所中心に取材した後、後半は『アエラ』という雑誌で自由な取材が出来たことです。
組織ジャーナリストは組織内で忖度しなければならないが、フリージャーナリストには何事にも縛られないという利点もあります。朝日新聞時代には内部からすごい圧力がありました。銀行の不良債権の実態をめぐり、社では書かせてくれないので他社の月刊誌で書いたら、当時のH経済部部長から左遷されて、7年間、第一線の取材現場から外されたこともありました。その時、あらためてジャーナリストとしての基本的な勉強をし直しました。
最近、フリージャーナリストとしていろんな記者会見の場に出ますが、記者の力が落ちたと感じます。記者会見に臨むにあたっては、周到な準備をして、いくつか質問項目を考えておいて、状況に応じてその中から適当なものを選んで質問するわけですが、いまの記者にはそういう努力を感じない。僕が現役だったころに比べると、力が落ちたと感じます。変な記者もいますね。都知事選のころ小池都知事に「側近の方もあなたはカイロ大学を卒業していないと言ってますよ」と言おうとしたら、幹事社らしいテレビ朝日の記者が「まだこちらの質問が終わっていません」と僕を遮って、何と言ったと思います?「今日は勝負に出る緑色じゃないですね」と彼女の服装に関する発言をした。準備もしていないし、なあなあで会見をやっているというのがよくわかります。
なぜ、甘い甘い記者クラブになってしまったのか。僕にも責任の一端があるんだけれども、僕が飛ばされた姿を後輩は見ている。そうなると忖度することになる。小池知事と仲良くやって、機会があったら知事から上司に自分のことを売り込んでもらおうと考える。そういう人がメディアのトップに座るようになると、いよいよそういう記者ばかりになっていく。H氏が社長になって、朝日新聞でもそういう(ひらめのような)人が偉くなって、いよいよその種の記者が増えているように思います。
(若いころには、朝日新聞以外は新聞じゃないという考え方が世間にもあった。企画の話を持って行くにしても、朝日新聞が中心だった。大学入試問題に「天声人語」がよく取り上げられたりしてましたしねえ。それがだんだん薄れてきた。特ダネも減ってきて、取材力が減じていると思われる。嘆かわしいことだが、政治家には軽い感じの記者の方がいいのかな、と思ったりもします)。
記者は常に己の刃を研いでいたものだが、いまや刃はなくなり、新聞記者がテレビの記者と同じようになってしまった。中居事件ではありませんが、ネタを取るのに女性の方が有利だというので、政治家などの取材に女性を配することもあると聞いています。
(若いころを振り返ってみると、新聞社に入ろうとする人には、社会をどういうふうにしたい、社会の問題点を明らかにしたいという気持ちが強かったように思うけれど、今の若い人たちでジャーナリストになるという姿勢に大きな変化がある。世の中をどういうふうに見るかという見方も変わってきた。何とかしないとけないのか、諦めて見ているしかないのか)。
これはどこの企業でも同じだと思うけれど、現場の教育、オンザジョブ・トレーニングが大切です。それは足で稼ぐということでもある。スマホで得られるのは二次情報。それから先は足で現場に行って、観察することが必要です。情報は人間からしか出てこない。その人たちをどういうふうに探し出すか、それは、共感力の問題です。相手も自分も同じ現場を見ているということで生まれる共感、それが大事だけれど、現場にも行かずにスマホで情報を得ているようではダメですね。
(特ダネは、言い方によっては、無駄な作業の結果であり、1日に何本原稿を書いたかというような成果主義からはなかなか生まれにくい。かつての新聞社では、偉くなっても、ならなくても、給料はあまり変わらないし、偉いからと尊敬する記者もほとんどいなかった(^o^)。今は偉くなる「うまみ」が出てきた)、(かつてパソコン使いこなしガイドブックを出そうとしていたとき、西部本社の友人が「お前は農薬雑誌を作るのか」と言った。「農薬のせいで農業はダメになった。ワープロが社員に支給されて、新聞記者はダメになった。彼らは足で取材するのをやめて、手でデータを集めている」と言うんですね。ITがもたらす弊害の一面を鋭く突いていると思いますね)
インターネットからは特ダネは出てこない。左遷されたころ、『文春』に行こうかな、と思ったことがあります。誘いもありました。システムを聞いたら、いろんなチームのチーフの下に優秀な記者が数人配されている。かつて社会部などはそういうふうにやっていたが、今や文春の一人舞台で、出席原稿出してOKという感じになってしまったように思います。
<私にとってのジャーナリズム>記者職を外されたのは2000年4月だった。前年11月に岩波書店から『ドキュメント金融破綻』を刊行し、『文藝春秋』12月号に、みずほ銀行となる旧第一勧業銀行の大規模な不良債権隠しの実態を暴く記事を書いたことで、第一勧銀頭取から朝日新聞社社長にクレームが入った。即飛ばされた先は昭和元年からの朝日新聞紙面データベースを作るチームだった。だが、日本の現代史を勉強するチャンスと捉え直し、昭和史をめぐる書物を徹底的に読み込んだおかげで、7年後に記者に復帰した後のジャーナリスト生活において大変武器になる諸知識を獲得できた。
その頃は個人的に辛く悲しい出来事も重なったが、自暴自棄にはならなかった。こういう時期には、いかにして「時をやり過ごすか」を考えた方がいい。「ジャーナリズム」は生涯の仕事であり、生涯は意外に長い。失敗に焦る必要はない。可能な限り気持ちを楽にもって戦略を立て直す。これが肝心だと思う(この項、3.24追記)。
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佐藤さん退出後も、本シリーズの今後の進め方などについて参加者で活発な議論が行われたが、これについては今は割愛する。ただ最後に「いろんな現象が起きた時に、やっぱり頼りにするのは、私の中では、新聞です。朝日新聞の情報が少なくなったとか、内容が少し薄くなっているな、というのは気になって、ときどき他の新聞と重ね合わせながら読んでいますが、記者の方、頑張ってください」という声があったことを付記しておく。
ユーチューブ(YouTube)というメディア オンライン動画共有サイト。本社はアメリカ。ウイキペディアによると、アクティブユーザー数は、2022年1月時点では25億6,200万人)であり、ソーシャルメディアとしてはフェイスブックに次ぎ世界第2位。2005年に設立され、翌2006年にグーグルに買収された。
スマホの機能拡大、通信回線の高速化で、テレビ画面と変らない解像度の動画をだれもが撮影し、それを簡単にアップできる。またそれを自由に閲覧できる。動画をアップし、アクセス数などで一定の基準を達成すれば、グーグルから相応の収入が得られ、動画に広告が掲載されるようになる。ユーザーが広告をクリックすると、広告料が加算される。
メディアとしてのユーチューブの特異なところは、料金を得るのは動画をアップした人だということである(ヒット曲を歌う歌手の動画がアップされて、何千万回の再生数になろうと、歌手には収入は入らない)。だから大谷翔平とか、中居正広とか注目度が高い人を撮影したり、あるいは他から画像を切り取ったりするちゃっかり動画の氾濫となる。
もっとも動画の多くは趣味の園芸だったり、料理教室やカラオケ指南だったりと、自分で動画を撮影し、自分でアップするもので、この場合は出演者個人やそのプロダクションに収入が入る。佐藤さんのような硬派番組の多くはその形をとっているが、ユーザーから活動支援の寄金を募っているサイトも多い。
ユーチューブのコンテンツは、音楽系、ゲーム実況系、マンガ・アニメ系、メイク・ファッション系、料理系、教育系、ビジネス系、アウトドア系などなど、あらゆるジャンルに及んでいる。
再生回数に応じた収益の目安は、最新のウエブ情報によれば、1再生回数ごとに0.05円〜0.2円らしい。それらは内容、時間などさまざまな要素を加味して決められ、かなりのばらつぎがあるようだが、再生回数が多くなれば収入は増え、それだけ多くの広告が表示される。するとクリックされる回数も増え、収入は増えていく。チリも積もれば山となる。登録者数何千万人、年間の再生数何百億回、推定年収何億円というユーチューバーもいるわけである。
アクセス数を稼ぐための虚実入り混じった情報が氾濫しており、それらの情報が人びとに与える影響も少なくない。一方で「良質」な番組も少なからず、私たちとしてはそこに強い興味を持っているわけである。