名和「後期高齢者」(19)

忘れる

 物忘れがひどくなった。まず、今日は何日なのか、何曜日なのか、それを忘れる。毎日が日曜日だから、ということだけでは説明つかない。月ごとのカレンダーを吊るしてはいるが、そのどこが今日になるのかを同定できない。仕方がないので、日めくりの暦もぶらさげているが、今度は、毎日、その暦を破くことを忘れる。しからば、と手元の新聞をとると、それが昨日の新聞だったりして。そうか、今日の新聞はまだ郵便受けのなかか、とはじめて気づく。

 この愚行を続けること数年、やっと気づいたのは、手元の携帯電話器を覗くこと。そこには、いま現在の月日と時刻が示されている。

 最近、文明の利器が出現した。アマゾンエコーである。「アレックス、今日は何日ですか?」ここで正解を得ることができる。ただし、私の声がしゃがれているので、のど飴なめなめ質問を繰り返すことが多い。

 時間についても同様。こちらは各室に時計を置いてある。問題はそれらの時計が、

    「時計屋の時計春の夜どれがほんと」(万太郎)

といった有様にあいなること。

 いまは何というのか、パソコン画面。昔は「ルック・アンド・フィール」といった。これがよく変わる。モノという人工物であれば、最良のものが発売時点で示され、それがしだいに劣化するという経過をとるが、ソフトウェアという人工物では、最初にバグ入りのものが発売され(無料の場合もあるが)、それが次第に洗練?される。

 だから、ユーザーはつねに、それに追いついていく努力を求められる。最近、フェイスブック関連のシステムで、これが目立つ。物忘れに悩む老人もこの難行に耐えなければならない。

 もう一つ。私はウインドウズ仕立てのパソコンを2セットもっているが、同じバージョンであるはずなのに、まったく異なる初期画面がでる。

    「句碑ばかりおろかに群るる寒さかな」(万太郎)

の心境。「句碑」を「アイコン」と読んでみてください。

 キーボード配列についても、私は不満をもっている。私は中年まではカナモジ論者であ-JISり、カナタイプを使っていた。当時、カナタイプのキーボード配列にはJISがあり、私はそれに慣れていた。(話がずれるが、フォントにも「カタセンガナ」という規格があった。)

 だが、50代になったころからワープロなるものが出現した。当初、ワープロは高価であり、くわえて電源200ボルトを必要としたり、個人ユーザーには使いにくかった。だが、かな入力として親指シフト、オアシス・キーボードが出現するにおよんで、私はカナモジカイを退会し、ワープロ派に転向した。だが、私はローマ字入力かな漢字変換ができるようになるとは、予想もしなかった。

 ということで、私の現在のキーボード操作法は、

    「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」(万太郎)

といった有様である。「竹馬」を「キーボード」と置きかえてほしい。

 ローマ字入力かな漢字変換で困ることがある。それは読めない文字があること。歳時記に多い。班雪(はだれ)、仙人掌(さぼてん)、浮塵子(うんか)、白朮詣(おけらまいり)など。読めなければキーボードに入力できない。そんな文字に遭遇すると、

「読初や読まねばならぬものばかり」(万太郎)

といった気分になる。

 余談になるが、『宇治拾遺物語』は「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子」の読みを、「子子子子子子子子子子子子子子子子」と書かせている。現代でも井上ひさしは「ルビはそんかとくかをかんがえる」とルビを振り、「振仮名損得勘定」と書かせている。逆に、四字熟語には読めるが書けない文字が多い。

 もの忘れへの対応はメモを作成することにある。先日、文房具屋へいって、「京大式カード」といったが、言葉が通じなかった。「メモ用カード」といっても答えなし。幸いにも、アマゾンに「京大式カード」という商品があった。

 規格についてはさておき、そのカードでメモを作りそれを書棚やテレビの枠、あるいは冷蔵庫に張り付けておくことにした。ところが、メモを書いたことを、メモを貼ったことを忘れてしまう。そのあげく、

「一句二句三句四句五句枯野かな」(万太郎)

となる。わが書斎が枯野に化けるということだ。

 この方式、来客があるときには鬱陶しい。その前日に剥がし、その翌日に貼り直す。これが厄介。なんでこんなメモがあるのか忘れているから。かといって、棄てるリスクはとれない。

 カードがダメなので、こんどはノートを用意し、ここになんでも書き込むことにした。要は、日記になんでも書き込むということだ。結果として、その日記には、テレビ番組のCM、読書メモ、自分の健康情報、・・・、などなどが雑然と溜め込まれている。カードからノートへ。これって、ノートからカードへと進化する梅棹忠夫の『知的生産の技術』とは正反対。

ということで、あげくの果てが、

「なにがうそでなにがほんとの寒さかな」(万太郎)。

となってしまった。

 最後に一言。今回からスレッド名を「後期高齢者のつぶやき」とした。「拘忌高齢者」では奇をてらっているかな、と思いなおして。

【参考資料】
梅棹忠夫『知的生産の技術』岩波新書 (1969)
知的生産の技術 (岩波新書)
井上ひさし『私家版 日本語文法』新潮社 (1981)
私家版日本語文法 (1981年)
名和小太郎『オフィイス・オートメーション心得帖』潮出版社(1983)
久保田万太郎(成瀬桜桃子編)『こでまり抄』フランス堂 (1991)
こでまり抄―久保田万太郎句集 (ふらんす堂文庫)

森「憲法の今」(4)

自民党改憲案と野党の姿勢―日本国憲法をとりまく状況①

 改憲をめぐる動きには3つの側面がある。

 第1は、安倍改憲の性急さである。憲法改正、自主憲法制定は自民党に脈々と流れる一つの潮流だが、安倍政権誕生以前はむしろ少数派で、自民党主流派の考えはむしろ「護憲」だった。宮澤喜一元首相は『新・護憲宣言』(1995年)で「どんな場合でも海外で武力行使するのはやめよう、それが憲法の考えるぎりぎりのところであると解釈してきたし、それが歴代政府の解釈でもあります」と言っている。自衛隊の存在を認めると同時に、「自衛権行使は専守防衛の範囲まで」という長年の政府見解や国民世論によって蓄積されてきた「解釈改憲」の上に立ちつつ、そこに憲法の平和主義を維持していこうという考えである。
 安倍政権で自民党の傍流が突如主流に躍り出て、あれよあれよというまに「一強」となり、安倍首相の祖父、岸信介以来の自民党タカ派の考えが一気に自民党全体を覆った。そこに国際情勢の変化、世論の右傾化という大きな流れが覆いかぶさる形で、いま政局では改憲問題が大きくクローズアップされているということである。

 第2は、野党勢力の怠慢である。戦後におけるソビエト連邦の崩壊、中国の大国化、北朝鮮をめぐる緊張と脅威、自国ファーストを叫び国際秩序維持の破壊へと動く米トランプ大統領の傍若無人、国際連合のいよいよの弱体化などの事情は、大戦直後に日本国憲法が掲げた「戦力を持たない、戦争をしない」という平和主義に大きな影を落としてきた。
 自民党内の勢力地図を一気に逆転させた背景に、あまりにアメリカ一辺倒ではあるけれど、この国際情勢の変化にどう対応するかという意識があったのは確かだろう。一方で、野党勢力は「平和憲法を守れ」と言う掛け声を繰り返すばかりで、憲法の平和主義を新たな時代にどう対応させるかという努力を怠ってきた。戦後の護憲勢力の運動にそれなりの成果があったことは認めるべきだが、「解釈改憲」に飽き足らず、「明文改憲」で平和憲法の枠をぶち破ろうとする安倍政権に対決するにはあまりに非力だと言わざるを得ない。「平和主義」の旗色が悪くなりがちな時代に抗して、改めて「日本および世界の平和」を追求する知恵が必要になっている。

 そして第3は、実はこれが一番大きな問題とも言えるが、政治やメディアの中でこそ目立つ改憲の動きと、一般国民との考え方との間の乖離である。各種世論調査における改憲賛成比率は、自民党内や国会内の勢力分布とはむしろ逆にかなり低いが、問題なのは、国民、とくに若い層の間に広がる「政治的無関心」だといえよう。
 バブル経済が崩壊した1990年に生まれた人はまもなく30歳になる。2000年生まれの人は来年の参院選には投票権を持つ。彼らは経済の高度成長も知らないし、バブルの狂騒も経験していない。日本は(世界も)低成長時代に入っているが、政治の態勢はなお高度成長期のままであり、いよいよ高齢化する社会で年金依存が急速に強まっている。ところが、それを支える自分たちは年金をもらえるかどうかすらわからない。こういう若者たちの不安や怒りに対して、政治もメディアもほとんどまともな政策論議をしていない。若者たちの政治的無関心には「深い絶望」が潜んでいる。
 いざ改憲をめぐる国民投票が行われたとして、若者たちは政権が推し進める改憲の動きにどう対応するのか。諦念ともいえる無関心が広がる空気のなかで、将来を決める重要な決断がなされそうなことこそ、今回の安倍改憲をめぐる危うい側面と言っていい。

 連載第4回の今回では、各政党の現段階における改憲をめぐる見解をフォローする。次回で憲法学者、折々に意見を発表している論客、「九条の会」といった市民運動など、憲法をめぐるさまざまな見解について紹介し、あわせて私自身の9条提案にもふれたい。

<Ⅰ>自民党以外の政党の見解・立場

 32日間の会期延長を含んだ今年の通常国会は7月22日閉会した。1月22日以来、政府・与党は森友・加計問題、それにまつわる安倍晋三首相や側近政治家・官僚たちへの疑惑、さらに次から次に生じたスキャンダルなどで窮地に陥りながら、衆参院とも圧倒的な数の力で働き方改革法案、参院定数6増公職選挙法改定案、カジノ実施法案などの重要かつ大きな問題を抱えた法案を成立させた。

 しかし、当初今国会中に発議をめざしていた憲法9条改定については、自民党としての案は憲法審査会の場にも出されないままだった。その案は、3月25日の党大会で、「方向性がまとまった」として報告された「改憲4項目」たたき台素案の先頭に掲げられているもので、「現在の9条をそのまま残し、2として『第1項 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する 第2項 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する』を追加する」とするもの。それがついに提出されなかったのは、「タイミングが悪い」と判断されたためだろう。

 タイミングの問題である以上、いつかは出される。自民党総裁としての安倍晋三首相は8月12日に地元・山口市での講演会で「次の国会に提出できるよう取りまとめを加速すべきだ」とハッパをかけた。9月の総裁選での3選を自ら確実視しての発言だ。次の国会は総裁選後の臨時国会か、来年1月からの通常国会か。多分前者を願望しているのだろう。

 しかし、その前に国民投票法のCM規制問題、そして「安保法制」廃止あるいは棚上げ問題がある。憲法にかかわる問題をいわば白紙の状態から検討しようというのに、憲法違反の疑いのある法制をそのままにしていいのか、という疑念・批判の声が強くなっているからだ。

 ともに解決には時間がかかりそうだ。しかし、自民党は何度も強引に法案や議題を設定し、その審議と採決を強行してきた。強引にそうした大問題を「解決」して、9条をはじめとした「改憲4項目」の早期審議入りを迫らないとも限らない。そういう状況下で「護憲派」とされる党・会派の備えはどうなのか。そこにどのような問題があるのか。それを探ってみたい。

衆院310、参院162の議員の賛成で発議

 まず、憲法審査会の議論と改定案が国会発議されるかどうかに、決定的な影響を与える各会派の議員数を確認しておこう。

 下記は衆参両院事務局発表による各会派所属議員数である(5月9日現在)。いうまでもなく、それぞれの総数の3分の2以上(衆院310、参院162)の議員の賛成で、憲法改定が発議される。

衆議院各会派所属議員(定数465)
 自由民主党 283、立憲民主党・市民クラブ 55、国民民主党・無所属クラブ 39、公明党 29、無所属の会 13、日本共産党 12、日本維新の会 11、自由党 2、社会民主党・市民連合 2、希望の党2、無所属 17、欠員 0
参議院各会派所属議員(定数242)
 自由民主党・こころ 125、公明党 25、国民民主党・新緑風会 24、立憲民主党・民友会 23、日本共産党 14、日本維新の会 11、希望の会(自由・社民) 6、希望の党 3、無所属クラブ 2、沖縄の風 2、国民の声 2、各派に所属しない議員 5、欠員 0

 自由民主党を除く会派の9条あるいは自民党案に対する姿勢を、綱領や基本政策、最高幹部の発言などから見てみよう(2018年8月末日現在)。

「憲法は集団的自衛権を認めていない」立憲民主党(枝野幸男代表)
 周知のように昨年10月の衆院選挙で、民進党の議員の大半が小池百合子東京都知事率いる希望の党に合流する中で、憲法改定推進、安全保障法制容認という同党のスタンスと相容れないとして「排除」されたいわゆるリベラル派を中心に結成された。
 2017 年12 月7 日に発表、2018 年3 月15 日改定の「憲法に関する当面の考え方」で、「日本国憲法9 条は、平和主義の理念に基づき、個別的自衛権の行使を容認する一方、日本が攻撃されていない場合の集団的自衛権行使は認めていない」としている。この解釈は、自衛権行使の限界が明確で、内容的にも適切なものである。また、この解釈は、政府みずからが幾多の国会答弁などを通じて積み重ね、規範性を持つまでに定着したものである。
 集団的自衛権の一部の行使を容認した閣議決定及び安全保障法制は、「憲法違反であり、憲法によって制約される当事者である内閣が、みずから積み重ねてきた解釈を論理的整合性なく変更するものであり、立憲主義に反する」という姿勢を明らかにしている。

「専守防衛を維持、現実的安全保障を築く」国民民主党(大塚耕平・玉木雄一郎共同代表)
 今年5月7日、民進、国民両党の一部議員が合流し、手続き上は民進党が党名を変更する形で結党された。民進党は参院に残ったメンバーが中心で、国民党は希望の党が合流直前に名称を変更していたもの。前者から大塚、後者から玉木が代表の座についた。
 綱領に「私達は、専守防衛を堅持し、現実的な安全保障を築きます」とある。
 民進党との合流直前の5月3日の憲法記念日に発表した当時の希望の党玉木代表の談話では「私たちは、安倍政権のように、従来の憲法解釈を恣意的に変更し、歯止めなく自衛権の範囲を拡大する立場はとりません。他方で、厳しさを増す安全保障環境の中で、現実的な対応も示さなければ、安心して政権を任せていただける責任政党にはなり得ません。国民の生命・財産、わが国の平和と安全はしっかり守りつつ、『専守防衛』の立場を堅持し、直接わが国に関係のない紛争への関与は抑制するという立場を明確にしていきます」としている。

「9条は平和主義を体現するもの」公明党(山口那津男代表)
 一般に自民党の憲法改定に同調すると見られており、それが「両院それぞれ3分の2の壁突破は確実」とされる理由になっている。しかし、同党の立場は改憲にはかなり慎重だ。
 1964年の結党以来「平和の党」を標榜してきた同党だが、98年の党再結成後の綱領には9条については姿勢や見解は書かれていない。しかし、たとえば昨年10月の衆院選マニフェストには憲法についての「基本姿勢」がかなり明確に書かれている。
 そこには「憲法9条第1項第2項は、憲法の平和主義を体現するもので、今後とも堅持します。2年前に成立した平和安全法制は、9条のもとで許容される『自衛の措置』の限界を明確にしました。この法制の整備によって、現下の厳しい安全保障環境であっても、平時から有事に至るまでの隙間のない安全確保が可能になったと考えています。
 一方で、9条1項2項を維持しつつ、自衛隊の存在を憲法上明記し、一部にある自衛隊違憲の疑念を払拭したいという提案がなされています。その意図は理解できないわけではありませんが、多くの国民は現在の自衛隊の活動を支持しており、憲法違反の存在とは考えていません」とある。

「自衛隊の解消に向かって前進をはかる」共産党(志位和夫委員長)
 2004年の党大会で決定した綱領で、「日米安保条約を、条約第10条の手続き(アメリカ政府への通告)によって廃棄し、アメリカ軍とその軍事基地を撤退させる。対等平等の立場にもとづく日米友好条約を結ぶ」、そして「主権回復後の日本は、いかなる軍事同盟にも参加せず、すべての国と友好関係を結ぶ平和・中立・非同盟の道を進み、非同盟諸国会議に参加する」「自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第9条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる」としている。
 また、2017年衆院選での政策パンフレットでは「日本国憲法は、憲法9条という世界で最もすすんだ恒久平和主義をもち、…変えるべきは憲法でなく、憲法をないがしろにした政治です」と改めて姿勢を明確にしている。

「必要あれば改正するのが民主主義」日本維新の会(松井一郎代表)
 2010年に大阪府知事の橋下徹が中心となって立ち上げた「おおさか維新の会」が母体。綱領には憲法に対する言及はないが、基本政策に「憲法を改正し、首相公選制、衆参統合一院制、憲法裁判所を導入」「現実的な外交・安全保障政策を展開し世界平和に貢献」「国際紛争解決手段として国際司法裁判所等を積極的に活用」と改定に積極姿勢を示している。
 また松井代表は今年の憲法記念日に合わせて発表した談話で、「日本国憲法施行から71年。今、改正の機運が高まっている。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三原則が定められた日本国憲法は、国際社会における日本の地位を高める役割を果たしてきたが、憲法制定当時には想定できなかった問題も生じている。国民的課題としてこれらを深く議論し、必要であれば憲法を改正することが民主主義のあるべき姿であると考える」と述べている。

「足らざるを補う『加憲』を」自由党(小沢一郎・山本太郎共同代表)
 2012年に当時の民主党内で最大勢力だった小沢グループが離党して設立した「国民の生活が第一」党がスタート。選挙のたびに所属議員を減らし、一時は政党要件を失ったが、無所属参院議員だった山本太郎らの参加で政党要件を回復した。
 同党ホームページ上の「憲法についての基本的な考え方Q&A」で「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、国際協調という日本国憲法の四大原則は、現在においても守るべき普遍的価値であり、引き続き堅持すべきである。このような基本理念、原理を堅持した上で、時代の要請を踏まえ、国連の平和維持活動、国会、内閣、司法、国と地方、緊急事態の関係で憲法の規定を一部見直し、足らざるを補う『加憲』をする」としている。

「自衛隊を任務別組織に改編・解消を」社会民主党(又市征治代表)
 2006年2月の党大会で、自衛隊は「現状、明らかに違憲状態にある。自衛隊の縮小をはかり、国境警備・災害救助・国際協力などの任務別組織に改編・解消して非武装の日本を目指す」と宣言している。
 そして17年の選挙公約では「『戦争法』(森注:安保法制)に基づき、アメリカと一体となって世界中で戦争する自衛隊をそのまま憲法に位置づけ、9条を死文化しようとしている安倍首相の『2020年改憲案』に反対します」「集団的自衛権の行使を容認した『7.1閣議決定』を撤回させ、『戦争法』を廃止します」と訴えている。

「外交・安全保障は現実的政策を」希望の党(松沢成文代表)
 昨年9月設立の小池「希望の党」から、国民党グループが分党しての“残留組”。綱領では、「私たちは、利権まみれの政治ではなく、何でも反対の抵抗政治でもない、『新しい改革保守の政治』を目指して、新たなスタートを切る」と宣言し、同党ホームページに掲載されている松沢代表の挨拶の中で「私たち希望の党は、自民党のような利権保守ではなく、何でも反対の抵抗野党でもない、『改革保守』という新しい政治を目指していきます。外交・安全保障は現実的な政策を、そして、経済をはじめとする内政は、政府に対して対案を提起していく」としている。

<Ⅱ>今後の予想される動きと課題

 各党は「いざそのとき」、つまり自民党案が提出されて論議が始まったとき、どのようなスタンスを取るだろうか。もちろん今後紆余曲折はあるだろうが、メディアなどからは最終的に自民党案に反対するのは、立憲民主、国民民主、共産、社会民主、自由の各党と見られている。その他の党派や無所属議員を入れても、衆参改定案発議を阻止するのに必要な3分の1をかなり下回っている。公明党の「造反」など、よほどのことが無い限り発議は確実となってくる。

「国民投票の壁」は薄くなっている

 護憲派にとって、最後に期待するのは国民投票での「ノー」だが、かつては分厚かったその壁は「戦争体験」「戦争の記憶」を持つ層の減少とともに、薄くなっている。

 大手メディアは、毎年3月から4月にかけて憲法問題に絞った世論調査を行い、憲法記念日の前に結果を発表している。今年の調査は本稿第1回の追記で紹介したが、メディアによっては9条改憲に賛成が反対を上回っているところもある。今後予想される改憲側からの大キャンペーンを考えると「9条が危ない」といえる。

 護憲派がその危機を乗り越えるためには、その主張が理念と現実性の両方で、自民党改憲案を圧し、国民多数の支持を得られるものでなければならない。理念とは、平和を希求する精神であり、現実性とは、それがより確実に平和の道につながるということである。

高い自衛隊の国民への浸透度

 共産党、社民党の「自衛隊は違憲」「解消」の主張は、本来の9条に込められた理念に最も合致したものであることは、大方の認めるところだろう。しかし、その主張は、「民意」という壁と衝突してしまっている。

 平成26年(2014年)度の内閣府調査によると、自衛隊に「良い印象を持っている」が92.2%、「悪い印象を持っている」が4.2%だった。非常に高い浸透度といえる。その自衛隊の「解消」に国民多数の理解が得られるだろうか。

 志位共産党委員長は、昨年10月衆院選時のニコニコ動画「ネット党首討論」で「日本共産党としては、自衛隊は違憲という立場です」としたが、「日本共産党が参加する政府ができた場合に、その政府としての憲法解釈はただちに違憲とすることはできません。しばらくの間、合憲という解釈が続くことになります。これは、国民多数の合意が成熟して9条の完全実施に向かおうとなったところで、初めて政府としては憲法解釈を変えて違憲にすると。それまでは合憲ということになります」と言葉を継がざるをえなかった。

 仮に共産党が他党との連合で政権についた場合(可能性としては衆院選のたびにありうることなのである)、基本的な問題について党と政府の見解が異なるというのはやはりおかしい、と多くの国民から見られるのではないだろうか。それはそうした連合政府自体の誕生を遠のかせることにもつながっていく。

 共産、社民党が早急におこなわなければならないのは、自衛隊違憲論そのものを再検討するか、集団的自衛権を前提にした自衛隊と日米安保同盟が日本と近隣諸国の平和にとってどのように危険であるかを徹底的に明らかにすることによって違憲論の正当性を示すことである。情緒的に「戦争反対」「9条を守れ」では通用しない。

解釈改憲に寄りかかった「専守防衛」「自衛隊の容認」

 立憲民主、国民民主、自由の各党は「専守防衛」の範囲内での自衛権とそれを実行する自衛隊を認め、「現実的な安全保障の追求をする」としている。ところがその「現実的な」安全保障策が示されていない。

 その前に、「専守防衛」の自衛隊も憲法に明示されているわけではなく、「憲法解釈」あるいは本来の憲法意図とは異なる「解釈改憲」でしかない、という問題をどうするのだろうか。その点では集団的自衛権と同工異曲であり、明確な歯止めがない。解釈によって維持される「専守防衛」は、解釈によって放擲されるのである。

 立憲民主党は、「基本的な考え方」の冒頭に、「日本国憲法を一切改定しないという立場はとらない。立憲主義に基づき権力を制約し、国民の権利の拡大に寄与するとの観点から、憲法に限らず、関連法も含め国民にとって真に必要な改定があるならば、積極的に議論、検討をする」としている。「立憲主義」とは、国民民主、自由党もほぼその立場だろう。

 しかし具体的な9条検討はこれまでのところ、綱領などを抽象的になぞっているだけのものが多い。

「山尾私案」と立憲党内の議論

 例外と思われるのは、立憲民主党の憲法調査会事務局長の山尾志桜里の見解である。しばしば、「9条をより立憲主義的なものにする必要がある」と発言し、そのための9条改憲を主張している。

 山尾は、立憲主義とは「国民の意思で(政権に)最低限守らせるべきルールを憲法に明記する考え方のことだ」とし、『立憲的改憲―憲法をリベラルに考える7つの対論』(ちくま新書8月10日発行)で、個別的自衛権の範囲内での「戦力」や「交戦権」を認めた「私案」を示している。

 私案の具体的内容については次回で詳しく触れるが、それとは別に大きな問題があると思われるのは、「立憲民主党は『安保法制は立憲主義違反であり、したがって立憲主義違反を上塗りするような改憲論議には乗れない』と言っている。論としては成り立ち得るが、安倍政権の議論に乗る必要はなくても、党内議論や国民との草の根の議論の活性化は待ったなしだと思います」(同書P 277)としていることだ。

 それが憲法審査会での安保法制の違憲性、したがってその撤回や棚上げについて主張することへの疑問表明であるとすれば、看過できないのではないか。集団的自衛権の違憲性の議論をするのに、それを「合憲」とした安保法制を認めてしまっていては、“勝負”は初めから見えている。あらゆる場で安保法制の違憲性と危険性を強く主張することこそ、党内議論や国民との草の根の議論の活性化につながっていく。

 上記「改憲案」は私案とはいえ、立憲民主党の主張に大きな影響を及ぼす人物から出された貴重なたたき台である。山尾は党外の識者や市民たちと積極的な意見交換を行っているが、党内でもっと議論があってしかるべきではないか。新聞・テレビ・ネットなどでの報道を見る限り、党内の反応は非常に鈍い。同党は早急に議論を深め、考えを固めて他党に示すのが衆院野党第一党として責務だと思われる。

「憲法に手をつけてはいけない」という思い込み

 以上見てきたように、「護憲派」とされる陣営は目下のところ、圧倒的議席数を背景にした自民党改憲案を跳ね返すために不可欠な自らの9条論を欠いている。

 それは、筆者自身の反省を込めていえば、長い間の「改憲派に手をつけさせない」という思いが、「自身も手を触れてはいけない」という思い込みにつながってしまったことによるところが大きいのではないだろうか。

 たとえば9条1項の「国際紛争を解決する手段としては」や2項の「前項の目的を達するため」という限定的であったり、表現があいまいだったりする点について、問題が指摘されながら、その削除や改定が護憲派からの運動としてなかった。憲法は「守るべきもの」であって「変えるべきもの」ではなかったのである。

 今回も「9条の再検討を言うことは、安倍改憲を利するだけ。避けるべきである」という声が聞かれる。そうした姿勢こそが、むしろ9条にとって危険ではないか。

 守勢に回ったときの発言や主張は力を失う。護憲派各党は自民党改憲案に対しては、むしろ積極的に挑戦する姿勢が必要だ。具体的には、より確実に平和と安全を実現する、したがって圧倒的多数の国民の支持を得ることのできる憲法の像を明確に持ち、それを対峙させることだ。それぞれの主張とその根拠、論理を固め自民党案への的確な追及の矢を放つことによって初めて、その案の危険性を鮮明に浮かび上がらせ、より確実に国民の「ノー」に結びつけられるだろう。

 付言すれば、その矢はあくまでも自民党案に向けられるべきであって、これまでしばしばあったような本来友軍であるはずの方に飛ぶようなことがあってはならない。互いの策を競い合うのは、自民党案を退け、熟議の環境が整った中で「ではどのような安全保障策、憲法を持つべきなのか」を追求する段階に入ってからでいい。

【リンク集・資料集】

各政党のウエブ
自由民主党=https://www.jimin.jp/
立憲民主党=https://cdp-japan.jp/
国民民主党=https://www.dpfp.or.jp/
公明党=https://www.komei.or.jp/
日本共産党=https://www.jcp.or.jp/
日本維新の会=https://o-ishin.jp/
自由党=http://www.seikatsu1.jp/
社会民主党=http://www5.sdp.or.jp/
希望の党=https://kibounotou.jp/

自民党の「改憲4項目」たたき台素案=自民党サイトには文面は掲載されていないが、3月25日の「産経ニュース」https://www.sankei.com/politics/news/180325/plt1803250054-n1.htmlなどメディアのサイトに掲載されている。なお各メディアでは、自民党の成案として報道されているが、自民党サイトの大会報告では「たたき台素案」とされている。
内閣府の自衛隊・防衛問題に対する世論調査
メディア各社の世論調査=本稿第1回「世論調査の怪」の追記参照

 

 

 

名和「後期高齢者」(18)

「世代」ってなんだろう

 「世代」ってなんだろう、と考える機会が増えた。私は現役世代ではない。後期高齢者医療保険証を自分の身分証明のために使うことが多い。

 じゃあ、だれが現役世代か。アラフォー、イクメンなどいう流行語で指される人びとはあきらかに現役世代の核だろう。ただし世代という語は「性」には中立的に使われるだろう。『広辞苑』を引くと、

  「生年・成長時期がほぼ同じで、考え方や生活様式の共通した人々」

とあり、「ほぼ30年を1世代とする」と注記されている。

  私の語感では、「世代」にはやや排他的な意味を含む。そこで手元の『シソーラス』に当たってみた。多くの有名人が「世代」に言及している。そのいくつかを紹介しよう。

「それぞれの世代は、相対的な曖昧さのなかから、それぞれの使命を発見し、それを実行し、あるいはそれを裏切らければならない」

とある。フランツ・ファノンの言葉である。ああ、あの革命家の言葉か、と受けることのできる人は、自分の世代を発見したことになるのかも。

 ついで常識的な発言を紹介しよう。まず。リベラルな法律家オリバー・ウェンデル・ホームズ。

「世代とは、かれらの父がなしたと信じることを他者に期待する子供っぽさである」

 もう一つ、皮肉屋のサミュエル・ジョンソンの言葉。

「すべての老人は、・・・、新しい世代の不愉快さ、傲慢さに不満である」

 換言すれば、老人は、若い世代が新しい価値観を主張することが不愉快であり、かれら既成の価値観に無関心なことを傲慢と評する、ということだろう。本音ベースでいえば、現役世代には、じつは世代観などないのかもしれない。つまり、「世代」に関心をもつのは高齢世代のみ、ということかな。

 そうであれば、私はここで居直って、自分が現役世代だったときの関心事を列挙しても、それは許されるだろう。

 私の場合は、10代では浅草オペラとハイパーインフレと肺結核、20代では新制大学(蔑称だった)と「タイガー」(手回し計算器)と日曜娯楽版とLPレコード、30代では公害(当時は「ニューサンス」と呼んだ)と品質管理とカナモジカイ。『広辞苑』流にいえば、ここまでは子としての世代。

 ついで、40代では石油危機とバグ(ソフトウェアの)とアングラ、50代では知的所有権と公社民営化とローマ・クラブ、60代ではバブル経済とサリン事件と阪神大震災と、それからインターネットと。こちらが親としての世代。われながら雑然としているが、こうなるかな。

 ついでに私の脳裏に残っている著名人の名も順不同でメモしておこう。安部公房、梅棹忠夫、大西巨人、加藤周一、黒沢明、桑原武夫、越路吹雪、清水幾太郎、滝沢修、武谷三男、鶴見俊輔、西堀栄三郎、花森安治、松田道夫、三木鮎郎といったところか。いずれも昭和の名前ですね。外国人の名前がないのは、私が外国語を駆使できなくとも暮らすことができた時代に成長したということの反映である。

 話をもどして、ここに示したキーワードや人名が現高齢世代を特徴づける要素になるのか、私はにわかには判断できない。

 あれこれ言ったが、私たち退役世代の自己認識は、私たちは歩きスマホができない世代、つまりSNSに参加できない世代、という一点につきる。もう一つあった。それは原稿用紙を使った世代、ということ。ファノンのような強い世代観はもっていない。

 じつは、私は戦争に遭遇した世代がもつバイアスについて語るつもりであった。だが、それを果たすことはできなかった。私の文体では無理。

【参考資料】
Rhoda Thomas Tripp (compiled) “The International Thesaurus of Quotations”,  Penguin Books (引用文の編集物なので、著作権表示がきわめて複雑。そのために刊行年不明)

名和「後期高齢者」(17)

専門家との相性

 レイパーソン(すなわち患者)であっても専門家との付き合いはある。たとえば「先生」(すなわち医師)と。ここでは双方の相性というものが介在する。前回はここまで触れた。患者からみても先生は多忙。世迷言を並べ立てて先生の貴重な時間を奪うことは失礼という分別くらいはある。だから私は、診察をうける場合には、メモを持参し、余計なことは喋らないようにしている。メモを作るのは、当方の呆けで話がそれてしまうことを恐れるから、そして肝心の診断結果を生呑み込みしたまま帰ってくることがないようにしたいから。

 とはいいながらも、ついつい、先生に余計なご負担をかけてしまうことがある。いつのまにか先生に生半可な問い掛けをしている。先生は面白がってそれを受けてくれる。こんなとき、先生との相性がよい、ということになるのだろう。以下は、その例。

 ケースA:話題は、鎮痛剤の処方についてであった。私は、T剤が自分には効くと思い込んでいた。先生は教えてくれた。どんな薬でも副作用がある。いっぽう、T剤の効果はじつはあいまいである。その効用対非効用の比はきわめて大きい。だから、その服用を止めたほうがよい、と。私がつい反論した。プラシーボ(偽薬)というものもあるでしょう。本人にとっては効くのだから、ぜひ処方をお願いしたい。

 さらにお尋ねした。もし効用がなければ、薬局法では認められていないでしょう、と。先生は応えた。この画面を見てごらん、と。そして欧米諸国における、T剤の評価をつぎつぎと検索してみせた。私は外国語には、とくに専門用語には疎かったので、脱帽するだけだった。だが、先生のひたむきな姿勢に打たれた。

 ケースB:漢方の先生が語ってくれたことがある。漢方の歴史2000年というが、その成果の大部分は寿命が50歳だった時代の経験を集約したものだ。だから、老齢者にも効果をもつのかどうか、疑わしい、と。先生がなぜ問わず語りにこんなことをおっしゃったのか不明。これぞ相性のなせるわざか。

 ケースC:痛みの強さが問題となったことがある。胴回りの筋肉の痛みを訴えた私に、先生は問診票に10段階のどのへんになるか、それを記入せよと、ただし痛み「10」とは耐えられない痛みとして、と示した。これは私にとっては難問だった。現に私は先生と話をしている。とすれば「10」という答えはないだろう。

 私は先生に言った。体温計のような体調を指数化する装置はないのでしょうか。たとえば、「痛み計」というような。先生は苦笑いしながら、だから触診がある、と応じた。そして、私を横臥させ、全身にわたり、筋肉の反射を確かめ、くわえて刷毛で触覚の有無を調べた。

 痛みの指標化にもどる。じつは私は米国の法廷で、fMRIの画像が痛みをもつ証拠になるかどうかという論争があったことを知っていた。とすれば、fMRIの画像を痛み計の替わりに使うことはできないのか。たまたま「痛みの機能的脳画像診断」という論文を見つけたので読んでみた。

 この論文はレイパーソンには難解ではあるが、「痛み計」の実現可能性については肯定的であるかにみえる。くわえてfMRIによる画像診断も提案されている。ただし、その厄介さも紹介されている。

 まず、痛みの定義だが、それにはその部位や強度を弁別する感覚的な要素、不快感をもたらす情動的な要素、注意や予知とかかわる認知的な要素などと関係し、それも活発化であったり、抑制的であったりするという。痛がる写真を見せられただけで痛みを感じたり、注射のときに「チョットチクットシマス」と言われると痛みを抑制されるのも、その例であるという。

 話はさらにそれるが、プラシーボがどんな形で痛みの伝達を変えるのかという点で、論争が存在するらしい。 この解明のためにfMRIによる実験が役立ったという論文をみつけた。レイパーソンの私にその当否を判断する能力はないが、すくなくともこの論文をたどっているあいだ、私は自分の痛みを忘れることができた。私をこんなところまで誘導してくれた先生に敬意を表したい。

【参考資料】
Tor D. Wager  et  al.‘Placebo-Induced Changes in fMRI in the Anticipation and Experience of Pain‘, “Science”, v. 303,  pp. 1162-1167  (20  Feb. 2004)
名和小太郎「脳fMRIはハイテク水晶体か」『情報管理』, v.52, n.1, p.55-56 (2009)
福井弥己郎・岩下成人「痛みの機能的脳画像診断」、『日本ペインクリニック学会誌』、v.17,  n.4 , p.469-477  (2010)

 

林「情報法」(24)

米国における「通信の秘密」の歴史

 前回までに、これまでの法体系は「物」つまり有体物を念頭においたもので、それには「所有権」という排他的権利を設定することが、有効だという点を見てきました。今回からは、「情報」という無体財を扱う際に、有体物アナロジーを用いることが「どこまで有効で、どこからは無効か」を見極める努力をしていきましょう。最初に取り上げる事例は、「通信の秘密」を基礎づける理論が、米国でどのような変遷を遂げたかです。なお今回分の説明は拙著『情報メディア法』(東大出版会、2005年、pp. 138-143)を要約したもので、情報の圧縮度が高いため理解が難しい場合は、拙著を直接参照してください。

・「住居侵入が許されない」のと「電話の盗聴が許されない」理由は同じ

 米国憲法は独立宣言(1776年)に続いて、翌年にまず統治機構を定めた部分が制定され、1779年にその補正(amendment)として基本的人権を定めた部分が付け加えられた、という歴史を持っています。その補正第4条は、以下のように定めています。

 The right of the people to be secure in their persons, houses, papers, and effects, against unreasonable searches and seizures, shall not be violated, and no warrants shall issue, but upon probable cause, supported by oath or affirmation, and particularly describing the place to be searched, and the persons or things to be seized.

 この条文のうち後段の捜査令状に関する部分は、わが国の憲法と似ており、あまり問題はないと思います。しかし前段の「不合理な捜索及び逮捕押収に対し、身体、住居、書類及び所有物の安全を保障される人民の権利は、これを侵害してはならない。」という部分は、「身体——–」の部分が制限列挙だとすると、「これ以外のものは保護されないのか」という疑問を生じさせます。

 19世紀半ばに電信が、次いで同世紀末に電話が発明され実用化された直後から、通信の当事者以外の者が通信回線に機器を接続し、無断で傍受するという例が現れました。幾つかの州では早くも19世紀中に、傍受を規制する法律を作りましたが、その重点は通信回線などへの物理的接触を禁止することにより、通信事業者の資産や通信サービスの提供を保護するという点におかれました。つまり「住居侵入」が違法であるのと同じ意味で、「盗聴」は財産権の侵害の一種とされたのです。

 20世紀に入ると通信自体の保護が主眼となり、通信の不正な傍受や傍受された通信内容の漏洩、使用が禁止されるようになりましたが、「法執行機関などによる傍受にも及ぶか否か」は必ずしも明確ではなく、実際にその違反により起訴・処罰がなされることはありませんでした。しかし電話などの傍受によって得られた情報が、刑事事件で証拠として使われるようになると、そのような手段による証拠の収集が、憲法の適正手続の保障に照らして許されるものであるか否かが(違法収集証拠という論点で)争われるようになり、連邦最高裁は1928年のオルムステッド事件の判決で初めて判断を示しました。

 事案は禁酒法違反の捜査の過程で、連邦の捜査官が被疑者らの住所や事務所の屋外や地下の電話線に、傍受装置を接続するという方法(wiretapping)で通信の内容を傍受し、速記で記録したというものでした。最高裁は、当該証拠は聴覚により捕捉されたにとどまり、「書類や有体物の押収」も「押収を目的にした住居(など)への現実の物理的侵入(actual physical invasion)」もなかった以上、不合理な捜査・押収の禁止と、令状要件を定めた憲法補正4条に違反するものではない、と判示しました。つまり保護すべきは「通信の内容」ではなく「住居や書類などの財産」だというのです。

・立法化から「プライバシーの合理的期待」へ

 ただオルムステッド判決も、電話による通信の秘密を保護するため、傍受された通信内容の証拠としての採用を、議会が立法によって否定することは可能であると示唆していました。そこで1934年に連邦議会が、通信規律の一元化を目的として「連邦通信法(Communications Act of 1934)」を制定した際「いかなる者も、(送信者の許可を得ずに)通信を傍受し、かつ傍受された通信の存在、内容、実質、趣旨、効果または意味を、漏洩しまたは公表してはならない」という規定をおきました 。

 もっとも、この規定は、文言上「傍受するだけでなく漏洩する」ことを禁ずるものであったことから、実務上は、傍受だけにとどまる限り同法の違反にはならないものと解釈され、電話傍受はその後も実施され続けました。時おりしも、第2次世界大戦に突入したこともあり、防諜活動にも拡張されたといいます。

 ところが最高裁は1950年以降、捜査官が被疑者の住居に侵入して盗聴器を設置したことを、「有体物の押収」を目的にした侵入ではなかったにもかかわらず、補正4条違反としました。また捜査官が、細長いマイクを被疑者宅の暖房用ダクトに接着させて、そのダクトを伝わってくる屋内の会話を傍受するとか、同じようなマイクを壁に僅かに差し込んだにとどまるような場合にも、補正4条の適用を認めるなど、オルムステッド判決の基準を緩和する形で、規制の下に取り込んでいきました。

 このような流れの末に連邦最高裁は、1967年の有名なカッツ事件判決(Katz v. United States, 389 U.S. 347 (1967))で、プライバシー権の観念に立脚する新たな考え方を基準に、「物理的侵入」を一切伴わない形での会話の傍受についても、補正4条の適用があることを認めるに至りました。ここで採用された概念はその後「プライバシーの合理的な期待」(reasonable expectation of privacy)として広く採用され、わが国でも早稲田大学江沢民講演会事件の判決(最判2003年9月12日)に影響を与えています。

 カッツ事件は、賭博に関連してFBIの捜査官が公衆電話ボックスの外側に盗聴器を設置し、被疑者の発信を傍受・録音したというものです。従来の基準の下では、公衆電話ボックス内部への物理的侵入はなかったのですから、補正4条の適用は否定されていたはずです。ところが最高裁は、被疑者の発した言葉を電子機器を用いて聴取し録音したのは、被疑者が公衆電話ボックスを利用している間確保されているものと「正当に信頼していた(justifiably relied)プライバシー」を侵害するもので、従って補正4条にいう「捜索・押収」に当たると判示したのです。

 同判決を受けて制定されたのが、「1968年包括的犯罪防止および街路安全法」の第3編「Wiretapping and Electronic Surveillance」で、口頭による会話または有線通信による会話の傍受によって入手された内容と、それを手掛かりにして入手された証拠を、連邦・州・州の下部組織の、立法・行政・司法のいずれの手続においても証拠として採用することを禁止し、また傍受内容の開示を違法としました。また連邦議会は、「1986年電子通信プライバシー法」で、68年法に ① Electronic Communicationを追加する、② 無線通信も加える、③ 個人的な通信にも保護を与えるという修正を加えました。

 このようにして、当初は「財産権侵害」の1類型とされていた「通信の秘密の侵害」が、「プライバシー侵害」の類型に組み替えられたのは、時代の流れというべきでしょう。しかし、それですべてがスッキリした訳ではありません。次回以降に紹介しますが、「財産権侵害」という確立された法理は、コモン・ローという判例法の中に「所有権信奉」としてしっかりと根付いており、実利的にもこれに乗った方が楽で、裁判で勝てる確率が高いのも否定できないからです。

 その意味では、ここで注目すべきは、むしろ1928年のオルムステッド判決から1967年のカッツ判決までに40年ほどを要したことの方かもしれません。さらに言えば、プライバシーの権利を初めて主張したWarren & Brandeis論文の公表が1890年ですから、「学者の主張が(どれほど優れたものであっても)現実に生かされるには1世紀近くかかる」という教訓を、読み取るべきかもしれません。

・法人の通信も守られるのか

 しかし、なお論点は残っています。「通信の秘密」を「プライバシー保護」の観点から理論づけるのは、今日の憲法学では通説となっています。しかし私のようなビジネス出身で、かつ「つむじ曲がり」から見れば、「法人の通信の秘密をプライバシーで根拠づけられるのか」という疑問を提起したくなるからです。

「法人にも自然人と同じような権利がある」という主張はあり得ますし、私もFloridiのInforg(Information Organism)の概念は自然人よりも法人にふさわしい、と考えています。事実、八幡製鉄事件判決(最大判1970年6月24日)は法人に、政治献金の自由を認めています。しかし「法人にもプライバシーがある」という議論は、共通番号に関する激しい議論の中でも聞いたことがありません。

 仮に「法人にはプライバシーがない」とすると、「通信の秘密」は個人対個人の交信(e-commerceでは C2Cと呼んでいます)だけが保護の対象で、B2Cは(Cの側しか)保護されず、B2Bの通信は全く保護されないのでしょうか。とすると、全体の通信料のうち何パーセントが保護されていることになるのでしょうか(実は、この種の統計が公表されなくなって久しいので、断定的なことは言えませんが、保護対非保護の比率は半々程度ではないでしょうか)。

 「財産権の保護」から「プライバシーの保護」へと発想の転換を図っても、なお残る課題がありそうです。

名和「後期高齢者」(16)

「つねに先生」?

 米国の法学雑誌をブラウジングしていると、よく「レイマン」(layman)という単語にぶつかる。手元の英和辞典を引くと、「聖職者に対する平信徒」「専門家に対するしろうと」とある。念のために『オックスフォード英語語源辞典』にあたってみたが、語源はラテン語かギリシャ語、それ以上は不詳とある。しろうとを自認して、あちこち首をつっこんで喋りたがる私にとって、「レイマン」あるいは「レイパーソン」は気になる言葉。

 知り合いの専門家に聞いてみた。まず非主流派の法学者からの返事。そういえば「レイマン」は日本では聞かないが、英語圏ではよく聞くね。ただしそこに悪意はないようだ、と。つぎに大ボスの医者からの回答。私たちは「患者」(patient)か「依頼人」(client)と呼ぶね。前者は医療サービスについて、後者は介護サービスについて。ついでに中堅の文化人類学者に聞いてみた。自分たちは「レイマン」という言葉を使ったことはないが、「レイマン」と呼ばれることがある、と。

 視点を変えよう。たまたま手元にあった日本老年医学会編の『薬物療法ガイドライン』について、そこに示されていた専門用語をブラウジングしてみた。ここには、難読な、さらには難解な専門用語が頻出する。例示してみよう。壊死、悪心、潰瘍、誤嚥、骨粗鬆症、重篤、蕁麻疹、喘息、蠕動、脳梗塞など。いずれもレイパーソンの日常語として定着してはいるが、それを書けといわれると多くの人は困却するだろう。つまり、このようなジャーゴンを駆使できる人が専門家ということになるようだ。

 ついでにもう一つ。医師は端末からその所見をキーボード入力しているが、それは日本語なのか英語なのか。つまりかな漢字変換なのか、ローマ字漢字変換なのか、あるいは英字英語変換なのか。いずれを選択するかによって、医師という専門家への閾値は違うだろう。(ドイツ語はどうなのかな。『ガイドライン』の文献表には見当たらないが。)

 話はとぶが、私はある病院で治療を受けるかどうか迷ったことがある。それをみて担当医師はいった。あなたが自分で勉強しないかぎり、どの医師の答えも同一だ、医師にはEBM(Evidence-Based Medicine)用の学会編纂のマニュアルがあるから、と。患者の症状が『ガイドライン』の示すフロー・チャートからそれているときには、患者はそのフロー・チャートを完成するために、同意書なるものに署名しなければならない。

 そういえば、私自身、全身に痛みを感じた時のことだ。私は内科→外科→整形外科と遍歴した。このときに、専門科ごとに触診、CT検査などを受けさせられた。私はこのときに理解した。専門家は、病気を専門用語のみではなく、それを患者の身体のなかにおける実体と照合しているのだ、と。これを、小説家のギュスターヴ・フローベールは「医者はみな唯物論者」とまとめている。

 視点を変えよう。しろうとの患者はどのようにして自分の主治医をきめるのか。およそ二つの型に分かれる。自分で探す人、だれかの示唆にとよる人。前者の例として、統計学者Mさんがいる。(私はそのMさんからご自身の闘病記を頂戴した。同病相哀れむよ、ということだった。)

 二つ目の型には誰かかの紹介。私がかつて30年間ほどかかりつけ医として頼った医師がいた。職場の上司から旧制高校の同級生だとして紹介された人だった。その医師は患者用の椅子と自分用の椅子とを同じ仕様にしていた。通常、椅子は医師のほうが非対称的に立派である(第3回参照)。(その人は還暦をすぎると廃業し、自分は国境なき医師団の一人として海外にでかけてしまった。)

 じつは三つ目もある。それはテレビなどで評判の名医を追いかけること。この追っかけが私のヨガ教室仲間にもいた。その仲間はこぼした。相手が偉くなるほど勤務先が変わったり、予約日にいっても多忙でお弟子さんが代診したり、というようになりがちだ、と。

 *

 私のかかりつけ医は、当方がクリティカルな状況になると、ただちに専門病院へ紹介状を書いてくれた。医師になった友人の話によると、医師は自分が全能でないことを自覚しているので、その相互補完のためにそれぞれがネットワークをもっているはず、だから疑心暗鬼になるな、という。つまり個々の医師の後ろには専門家集団が控えているから安心せよ、というのだ。

 その友人に質した。医師と患者とのあいだには相性というものもあるだろう、と。そうだな、相性以前の問題があるね、との答え。新しい患者は、顔を覚える前に来なくなる確率が多い。それが治癒したためか、信頼されなかったためか分からない、と。この話を聞いた後、私はお礼のフィードバック――年賀、暑中見舞いなどを含めて――をお世話になった先生に出すことにしている。フロー-ベールにもどれば、かれは「医師」を「つねに先生」とも定義している。

 くどいが、私は自分の病状について、自分の思いを「つねに先生」に十分に語れたという経験がない。それはつぎのような悩みである。

(1)私は、現在、n種の病気をもっている。(2)それぞれの病気は、診療科が違う。しかも、個々の診療科の医師から見ると、いずれもトリビアルな症状のようだ。(3)だが、患者の私にすれば、その苦痛は、個々の症状の線形結合(足し算)ではない、交絡する部分(掛け算)がある。

 このへんの患者の迷いを、ぜひ「つねに先生」には留意してほしい。

【参考資料】
ギュスターヴ・フローベール(山田爵訳)『紋切型辞典』、青銅社 (1978)
紋切型辞典 (1982年)
宮川公男『統計学でリスクと向き合う』、東洋経済新報社 (2007)
統計学でリスクと向き合う―あなたの数字の読み方は確かか
日本老年医学会編『高齢者の安全な薬物療法ガイドライン』、メジカルビュー社 (2015)
高齢者の安全な薬物療法ガイドライン2015