有価証券報告書の虚偽記載は「微罪」か?
『情報法のリーガル・マインド』をお読みいただいた方でも、第3章(全体の約4分の1)が「品質の表示と責任」に当てられていることに、気づいておられないかも知れません。しかし、「情報による品質保証の可能性と限界」というサブ・タイトルで示したように、私の中でこのテーマは「情報法が身近な現象として現れる典型例」という位置づけだったのです。ですから、日産のゴーン前会長の不祥事が発覚したとき、「いやはや、私の予言が悪い方に的中した」という複雑な気持ちになりました。事件は未だ決着していませんが、起訴という区切りを迎えましたので、今回から数回にわたって、「情報による品質保証」の問題を考えていきましょう。
・日産・ゴーン事件の概要
2018年11月19日に東京地検特捜部が、日産のゴーン前会長とケリー前代表取締役を羽田空港で電撃逮捕して以来世間を騒がせてきた事件は、本年1月11日に地検が両者と日産を(追)起訴したことで1つの区切りを迎えました。
逮捕当初、日産の西川社長が記者会見で明らかにしたゴーン容疑者の不正行為は、① 役員報酬の有価証券報告書への過少(虚偽)記載(金融商品取引法違反)、② 私的な投資資金を損失回避のため日産に付け替え、後刻協力者に日産から支払いをするなどの不正支出(会社法上の特別背任)、③ それ以外の経費の不正支出、の3種でした。
今回は、このうち ① についてゴーン・ケリー・日産の三者が、② についてゴーン被告が起訴されましたが、これで全容が明らかになったと考える人はいないでしょう。ゴーン被告は ① について「退職後に受け取る役員報酬の話はしていたが、金額は確定していない」と主張していますし、特に ② については「会社に実損を与えていない」と強く反発していますので、裁判結果については専門家の見方も割れているようです。
しかし、有価証券報告書に記載された役員報酬以外にも、日産・三菱・ルノーの三社連合で作ったオランダの統括会社が、さらに日産・三菱BV(オランダ法による非公開型の有限責任会社)とルノー・日産BVという二社を介して、ゴーン被告のみならずルノーの副社長にも不透明な報酬を支払ったという疑いが登場するなど、謎が深まっています。国際社会が注視する中で、わが国捜査当局の実力と(日本型の)プロセスの妥当性が試される案件ですから、検察の威信がかかっているといえます。
・法的根拠と論点の絞り込み
上記の2つの嫌疑について、根拠となる法律の条文を掲げましょう。まず、有価証券報告書や四半期報告書について、「重要な事項につき虚偽の記載のあるもの」を提出した者に対しては、次のような金融商品取引法の中でも特に重たい刑事罰が科されています。(金融商品取引法 197 条1項一号、197 条の2六号)。以下、四半期報告書は省略し、年次報告書についてのみ記載します。
(有価証券報告書の虚偽記載)
10 年以下の懲役若しくは 1,000 万円以下の罰金に処し、又はこれらを併科する。
更に、法人等の代表者・代理人・使用人などが、その法人等の業務・財産に関し、違反行為を行なった場合は、その違反者(個人)だけではなく、法人等に対しても次のような罰則が科されることとなります(金融商品取引法 207 条、両罰規定)。
(有価証券報告書の虚偽記載)7億円以下の罰金
なお、刑事罰のほかにも、内閣総理大臣(実際には金融庁長官に委任)による課徴金納付命令が下される場合もあります。具体的には、発行者が、「重要な事項につき虚偽の記載があり、又は記載すべき重要な事項の記載が欠けている」有価証券報告書等を提出した場合、次の金額の課徴金を国庫に納付することが命じられることとなります(金融商品取引法 172 条の4)。① 600 万円、または ② 発行する株券等の市場価額の総額×10 万分の6(0.006%)のうち、大きい金額
一方、会社法960条の特別背任の罪は、以下のように定められています。これは刑法247条の背任罪(5年以下の懲役か50万円以下の罰金)の特別規定で、行為者が一定の責任ある地位にある場合を重く処罰するというものです。
1.次に掲げる者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は株式会社に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、当該株式会社に財産上の損害を加えたときは、10年以下の懲役若しくは1,000万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
三 取締役、会計参与、監査役又は執行役 (他の号は省略)
2.(省略)
この事件には、多くの法的論点が含まれており、それを逐一検討できる段階ではありませんし、また本連載の趣旨を超えます。ここでは a) 嫌疑 ① については、確かに不正な行為には違いないが金銭を横領した訳ではなく、事実を曲げて記載しただけなので「微罪」に過ぎないのではないか、b) それぞれの国には倫理観の違いがあり、それが刑事制度に反映されている点は認めるが、「自白しなければ保釈されない」などの日本的慣行は、国際感覚から著しく逸脱しているのではないか、の2点だけを取り上げましょう。特別背任などが今後の裁判を待たねばならないのに対して、a) は本連載の主たるテーマであり、b) は国際関係の面で無視できないからです。
・「嘘つきは泥棒の始まり」
最初の逮捕容疑であった有価証券報告書の虚偽記載(前述の ①、あるいは論点a))に関しては、「そんな微罪で世界的なビジネスマンを逮捕するのか」とか「日産社内の権力争いに巻き込まれた」などといった、ゴーン擁護の発言が多く聞かれました。しかしその後、ゴーン被告やその周辺の、日本人的感覚では理解しがたい「金銭への執着」が明らかになるにつれて、そのような擁護論は薄れていったように思われます。
しかし、この点は議論が沈静化すれば済むような単純なものではなく、情報法の基本ともいうべき大切なものです。なぜなら、有価証券報告書は投資家(株主や債権者)に会社の真の姿を知らせる公式の報告書類ですから、その表記に誤りがあれば投資決定に直接影響するので、厳格な「真実性」を担保しなければならないからです。
しかも、投資家がprincipal で経営者がagentだという見方(agent理論)によれば、principalは agent に対して圧倒的に情報量が少ないので(情報の非対称性)、これを是正するために十分な情報の入手機会を保証する必要があります。近年のcorporate governanceの動きの中で経営者の報酬の決め方や、その絶対額についても、従来にはない規制が導入されたのは、それなりの理由があるのです。その象徴的な例が、2010年3月期以降、年間1億円以上の報酬を受け取る役員の「氏名」と「報酬額」を開示しなくてはならなくなったことです。
しかも前節で紹介したように、有価証券報告書の虚偽記載の罪は、「10 年以下の懲役若しくは 1,000 万円以下の罰金又はこれらの併科」「法人に対する両罰規定付き」という重いものです。10年以下の懲役は、「特定秘密の漏示」や「営業秘密の漏示」と同じ長期ですから、「手続き違反」「微罪」などといって済ませる訳にはいきません。
なぜ、そのような厳罰が用意されているのでしょうか? 刑法の議論では出てこないかもしれませんが、情報法的に見れば、「嘘つきは泥棒の始まり」という古い格言が核心を突いているように思えます。そして現に、ゴーン事件の発覚に先行して日産では、2017年10月の無資格検査に始まる一連の品質検査の偽装が、問題になったことを思い出してください。経営者が腐れば部下も腐るのが通例で、会社としての日産の品質検査の偽装が、本件の虚偽記載と無縁であるとは言い切れないと思います。
なお、燃費不正事件の関連で、消費者庁が日産に(三菱自動車から供給された軽自動車を日産が販売した際、燃費効率について有料誤認をさせたとして)科していた課徴金を取り消すこととしたのは、情報に関する措置が、その証拠となる情報の信頼性に依存していることを(当然のことながら)示すもので、情報法の難しさにつながる側面があることもまた、忘れてはならないでしょう。
・周回遅れの日本型システムの優位性
論点b) についての私の立場は、積極的賛成と根本的に反対の両極端の指摘を含んでいます。積極的賛成は、「人質司法」と非難される「自白しないと釈放されない」という慣行は、人権重視の視点から全く是認されないものだから、直ちに改めてほしいという点です。これは、「身近な人が人質にされたことがある」という、個人的な経験を反映した側面があるかもしれませんが、おそらく大方の賛同が得られるでしょう。
これに対して、「経営者は国際的な人材市場でスカウトされるものだから、ゴーン被告に年俸ウン十億円の値が付くのは当たり前で、それを受容できない日本は国際的に遅れている。今回の事件の背景には、こうした遅れた日本的慣行がある」という指摘には、全面的に反対です。
私も小さいながら米国会社の社長も経験したので、欧米の経営者がどれほど稼ぎ、どれほど自己研鑽に励んでいるかは承知しています。彼らが何億稼ごうが、私の知ったことではありません。これに対して日本は、「社会主義国ではないか」と揶揄されるほど、経営者と一般社員の賃金格差が少ない国でした。グローバル化の波に乗って、この格差が欧米並みに近づきつつありますが、それは無条件に良いことでしょうか?
ゴーン被告は、こうした事情を熟知し「こんな高給をもらったら、日本の社員や世論が納得しないだろう」と懸念したからこそ、姑息な迂回作戦を考えたのではないでしょうか? 「郷に入れば郷に従え」ですし、周回遅れの日本型システムは、グローバル化の行き過ぎが目立ち始める中で、見直されているのではないでしょうか? 私個人は、ハイパー・グローバル化への反動として、遅れたはずの日本型システムが、逆に優位性を発揮するのではないか、と考えています。