新サイバー閑話 (25)

映画『新聞記者』を見る

 東京新聞記者の望月衣塑子さんの原案になるという映画『新聞記者』(藤井道人監督)を見て、この時代にこういう反骨の映画を作る人がまだいる、しかもけっこう見る人もいることにちょっと救われる思いがした。

 神奈川県茅ヶ崎市のシネコンで見たのだが、最近にない観客の多さに少し驚いた。平日昼ということもあり、老人が多かったけれど、映画パンフレットは売り切れ、ちょっと熱気を感じた。

 映画そのものもおもしろかった。紋切型で深みがたりないと批判もできそうだけれど、そんなことを云々するより、よく作ってくれたという気持ちの方が強い。かつては『悪い奴ほどよく眠る』とか『金環蝕』といった、骨太の構想、奥行きのある内容、すぐれたエンターテインメント性などで、文句のない重量級の映画があった。森友や加計問題を正面から取り上げた映画を見たい気もする。

 主役の女性記者が韓国人俳優シム・ウンギュンで、熱演していたが、日本の女優で引き受ける人がいなかったのだとも聞いた。苦悩する若手官僚を松坂桃李が好演していた。悪玉官僚を演じた田中哲司がいかにもの演技で、彼が最後に言う「この国の民主主義は形式だけでいい」というセリフはドスが効いていた。

 折しも、7月5日のニューヨークタイムズ電子版に、官邸記者クラブで〝孤軍奮闘〟の活躍をする望月衣塑子さんが取り上げられ、菅義偉官房長官の「独裁政権のような振舞い」が批判されていたが、他の記者がすっかり萎んでしまっているように見えるのは残念である。メディアに対して高圧的なのは、トランプ大統領も同じだけれど……。

林「情報法」(43)

秘密の法的保護

 前回までの議論を経て、嘘と秘密の間には微妙な関係があることが浮き彫りになりました。

 法学は嘘の方にもうまく対応できていませんが、秘密の方に至っては「ほとんど手つかず」の状態であると思われます。その原因は、秘密を守ること(言い換えれば「隠すこと」)に手を貸すことが、「正義を実現する」という法律の使命に沿わないと思われがちなことでしょう。これは世界に共通の傾向ですが、とりわけわが国では、2013年の特定秘密保護法により国家秘密を守る法律がやっと制定されたこと、しかもその法律には感情的とも思われる反対論が根強いことに、象徴的に示されています。

・情報の法的保護の区分:仮説としての「知財型と秘密型」

 拙著『情報法のリーガル・マインド』には、同じく『情報法』を冠する書物にはない幾つかの特色があります。中でも対象となる情報の法的保護の方法を、① 事前に権利(排他権)を付与するか、② 事後的に損害賠償で救済するだけか、と、a) 情報を公開して守るか、b) 情報を秘匿して守るか、という2つの軸で区分して、①+a) の代表格である知的財産型と、②+b) の典型である秘密型の2つ類型があると指摘した点が、他の書籍や論文にはない特色であると自負しています。

 このアイディアは、2017年の同書で初めて発表するものではなく、そこに至るには長い空白と悶々とした歴史がありました。まず前者については、学者になった当初(1997年)から著作権の研究を始めたため、比較的短時間で問題の核心に近づき、2001年の「『情報財』の取引と権利保護」(奥野正寛・池田信夫(編)『情報化と経済システムの転換』東洋経済新報社、所収)で、知財型保護のあり方と限界を論ずることができました。

 他方、秘密については情報セキュリティの3大要素がConfidentiality、Integrity、AvailabilityのCIAであるとする一般的理解に基づいて、まずはConfidentialityの法的な根拠を明らかにしようとして、2005年に「『秘密』の法的保護と管理義務―情報セキュリティを考える第一歩として」(富士通総研研究レポートNo. 243)をまとめました。しかしサブ・タイトルにもある通り、私の本業である「情報セキュリティ」の視点からアプローチしたため、知財型との接点を見出せないままでした。

 これでは前に進めないと思った私は、法学の初学者(当時私は経済学者から法学者に転向したばかりでした)には、「情報法」といった複合領域を論ずる資格がないことを自覚しつつも、ある種の「賭け」に出ました。2006年に、やや学問的な論稿として「『情報法』の体系化の試み」(『情報ネットワーク・ローレビュー』第5巻)を発表するとともに、日経新聞から執筆依頼を受けた機会を捉えて、一般の読者向けに「情報と安全の法制度」(「ゼミナール」欄にて12月に16回にわたって連載)を書きました。そして、これらの論稿を書くことで「情報法の一般理論」が存在し得ることと、拙いながらも私流の解釈ができるとの自信を得ました。

・思わぬ横槍とブレーク・スルー

 しかし他方で、思いもかけぬ妨害にも会いました。「今連載中の記事は、自分が既に書いたものの剽窃だ」という匿名の投書が編集部に舞い込み、私の筆を鈍らせると同時に、細部を知らぬ編集者に疑心暗鬼を招きました。この世界は狭いので、後刻投書者と思しき人物を突き止め、第三者立会いの下に「対決」しましたが、得るものはありませんでした。幸か不幸か、学者であった亡き父が同じような目にあったとき、「これで自分も相応の学者であることが証明された」と負け惜しみを言っていたことを思い出して、一人納得しました。

 しかし知財型と秘密型の二分論が、「個人情報」(私はこの用語が混乱を招く一因になっているとの認識から、講学上の概念としては「個人データ」という語に統一しています)の位置づけに役立たなければ、世間は納得しないでしょう。そこで私は2009年以降4年間の間に、「『個人データ』の法的保護:情報法の客体論・序説」(『情報セキュリティ総合科学』Vol.1 所収)を手始めに、主として『情報通信学会誌』への投稿(3回)を通じて、理論の精緻化を図りました。

 その集大成とも言うべきまとめは、2014年の「『秘密の法的保護』のあり方から『情報法』を考える」(『情報セキュリティ総合科学』Vol. 6)で、その結果「秘密型の情報保護」が存在し得ることも証明でき、やっと2つのタイプを対比的に統合するというブレーク・スルーに成功しました。

 その結果、拙著『情報法のリーガル・マインド』では「差止条件付き許諾権としての知的財産制度」「管理責任付き秘匿権としての秘密保護法制」として、両類型を分かり易く再類型化できたと思っています。しかし振り返れば、このテーマとの悪戦苦闘は15年以上に及んだことになります。

・知財型と秘密型の対比

 かくして類型化された知財型と秘密型の保護方式の違いは、同書の図表2-7.(p.91)にまとまられています。念のため、説明抜きで該当部分を再掲します。ここでは、この表以上に細かい説明はしませんので、疑問や関心をお持ちの向きは、直接拙著に当たってください。

・それでも敬遠される「秘密型」という概念

 こうして私の中では、「秘密の法的保護」の位置づけがクリアになったのですが、この理論が世間に受け入れられたかというと、残念ながらそうではありません。試しに、情報法関連の判例を参照するために「便利帳」として使わせていただいている、宍戸常寿(編) [2018]『新・判例ハンドブック[情報法]』(日本評論社)を見ると、以下の表のような分類を採用しています。ここでは知財型の判例が著作権を中心に多数収録されているのに対して、秘密型のものは営業秘密を含めて極めて少ない状況です。

 なお別の論点ですが、この表の末尾にある「情報と裁判過程」という分類は、私が強調した「情報法では実体法と同等かそれ以上に手続法が重要になる」という指摘と軌を一にする面があることにも、注目していただければと思います。表自体は、目次を転写したものに過ぎませんが、新しい分野であるだけに「分類それ自体が物語るファクトがある」という印象を持ちます。

 私としては、情報の法的保護の類型として「秘密型」があることをまず認識いただくと同時に、それには国家の秘密を守る特定秘密保護法や、企業の秘密を守る不正競争防止法、個人の秘密を守る個人データ保護法などが包摂されることを、理解していただきたいところです。

 また、秘密が法的に保護されるには、① 公知ではないこと(非公知性)、② 営業上または技術上有用であること(有用性)に加えて、③ 秘密として管理されていること(秘密管理性)、が必要です。これは営業秘密の3要件として確立された概念ですが、このうち ③ について「どのように管理すべきか」「情報へのアクセスにはどのような資格が必要か」については、これまで経済産業省が基準・ガイドラインとして示す「営業秘密管理指針」に委ねられ、行政庁もこれに準ずることとされてきました。

 しかし、前者については公文書管理法(2009年法律第66号)が、後者については特定秘密保護法(2013年法律第108号)が制定され、行政庁の文書管理と秘密情報へのアクセスについて、法的な手続きが明示されました。特に後者は「セキュリティ・クリアランス」を含むもので、これでやっと行政庁の情報保全(狭義のInformation Security = InfoSec)の制度が整ったことになります。

 今後は、営業秘密管理指針が行政庁にも準用されるというベクトルは修正され、行政庁の制度の方が民間企業へと浸透していくでしょう。ただし、秘密は「生もの」に似ていて賞味期限がありますから、秘密指定をするばかりで解除を怠ると、管理すべき対象が膨大になって漏えいのリスクが急激に高まることにも、留意しなければなりません。

 いずれにせよ私が主張する「秘密型」の情報保護が明確な形を取ったことになりますが、学界の反応は緩慢です。個人データ保護法の研究者が100人以上はいると思われるのに、特定秘密保護法をしっかり身につけた方は数えるほどしかいない現状は、世界標準から見れば「ガラパゴス状態」ではないかと思わざるを得ません。

<新サイバー閑話>(24) 平成とITと私①

熊澤正人さんを悼む

 私が1988年にパソコン使いこなしブック『ASAHIパソコン』を創刊した際のアートディレクターで、それ以来の良き友であり、かけがえのない仕事仲間でもあった熊澤正人さんが2019年1月にがんのために亡くなり、彼の71歳の誕生日にあたる(はずだった)6月29日に家族、親族、デザイナー仲間、編集者などが集い「しのぶ会」が開かれた。 思えば、『ASAHIパソコン』創刊の翌年1月から平成が始まり、彼が去ったのは平成が終わる半年ほど前だった。彼とともに歩んだ平成という元号の区切りは、折しも、パソコンが普及し、インターネットが発達し、SNSが日常の通信手段になり、さらには端末がスマートフォンに代わるという、まさにIT社会大躍進、というより大激変の期間に重なる。

 しのぶ会で挨拶する機会があり、その弔辞を読みながら、『ASAHIパソコン』創刊以来ずっとIT社会の変容を見つめてきた私自身の記録を残しておくのも、少しは意味があるように思われた。というわけで、この<新サイバー閑話>でも折々に「平成とITと私」と題するコラムを書きつけておこうと思う。

・<弔辞>

 熊澤正人さん、こと熊さんにはじめてお会いしたのは、私が朝日新聞出版局でムック『ASAHIパソコン』シリーズを創刊するためのアートディレクターを探していた時でした。たしか出版局プロジェクト室の先輩に紹介していただいたのだと思います。

 1987年初めでしたから、かれこれ30年も前のことです。そのときの熊さんのやさしい笑顔、穏やかな物腰は、その後の年月を通じて、がんに冒されて辛い闘病生活を続けた後年においても、ほとんど変わりませんでした。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル

 最初はムックの第1号だけを引き受けてもらうことになっていたのですが、無理を言って5巻全部を担当してもらい、さらには、ムック成功を受けて創刊することになったパソコン使いこなしガイドブック『ASAHIパソコン』のデザイン全般もお願いすることになりました。その後、『月刊Asahi』、『DOORS』とおつきあいはずっと続いて、私が朝日新聞を去ってからも著書の装丁などでお世話になりました。

 『ASAHIパソコン』創刊の気勢を上げるために自宅裏の源氏山ではじめた花見宴も30年続きましたが、そこでも世話人として参加していただきました。その間に桜の木も参加者も老齢化し、花見は去年ではおしまいになりましたが、最初の年に熊さんが持って来てくれた紅白の垂れ幕が花見のシンボルとなり、今でも大事に保管してあります。

 さながら 

東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ

 というふうな面倒見のいい熊さんを、朝日新聞社の雑誌部門や書籍部門の人も頼りにするようになり、朝日新聞での輪もずいぶん広がったようでした。がん発症を聞いたのは8年半前で、すでに末期的だというのでたいへん驚きましたが、それからは果敢にがんと向き合うと同時に、オフィス、パワーハウスの運営にあたって来られました。ここでもイツモシヅカニワラッテヰル姿が印象的でした。

 装丁の最後の仕事は平成天皇御即位30年記念記録集『道』でしたが、2019年(平成31年)3月20日の刊行になっています。『ASAHIパソコン』創刊は1988年(昭和63年)11月1日号で、翌1989年1月から平成が始まりました。

 折しも神田川の桜が満開のころ、仏前にご挨拶にお伺いしたとき、身内の方が書かれたたという詩句が捧げられ、そこに「最も田舎の心を持つ弟」とあるのが目に止まりました。まったくそうだったと思います。「都会のマンションに住んでいる」とも書かれていましたが、そのマンションの外でも満開の桜が風に舞っていました。

 それにしても、長い闘病生活でした。いまは安らかな地で安住しておられることでしょう。ほぼ平成の期間とダブった30年をともに歩んだ思い出を噛みしめつつ。

2019年6月29日
 サイバーリテラシー研究所代表(元『ASAHIパソコン』編集長) 矢野直明

・目黒の旧宅に65人が集う

 会は目黒に残る旧宅を借りて、約65人の参加のもとに行われた。

 そこには『ASAHIパソコン』や『月刊Asahi』、『DOORS』の表紙ばかりでなく、熊さんが装丁した多くの書籍の写真が並べられていた。奥さんやご子息、親族、パワーハウスの面々も列席され、あるいは忙しそうに働いていたが、オフィス、パワーハウスは奥さんを中心として今後も活動を続けていかれるという。

 会場には歴代の『ASAHIパソコン』編集長や当時、世話になったデザイナー、イラストレーターなどの懐かしい顔もあり、熊さんの穏やかな人柄があらためてしのばれた。

林「情報法」(42)

嘘と秘密の間

 第40回の原稿を本サイトの運営者の矢野さんに送ったとき、「モームの『物知り博士』という短編は面白いですよ。岩波文庫『モーム短編選 (下) 』にあります。息抜きにどうぞ。」

というメールをいただいたので、読んでみました。連載を続ける中で、「嘘」をめぐる言説を検討していくと「秘密」との境目に近づいていくような気がしていたので、興味深く読みました。「嘘」は内容の真偽を問題にし、「秘密」は関係者の秘匿する意思を問題にする点で、全く交点は無さそうにも思えますが、嘘か本当かの「白黒をはっきりさせない」ためには秘密にしておくのが一番なので、実は両者は微妙な関係にあります。

・モームの「物知り博士」

 ケラーダ氏と太平洋航路で同室になった私は、「どうせ嫌な男だと決めてかかっていた。」彼は話し好きで「3日もすると船中の全員と知り合い」、あらゆる話題に薀蓄を披露するが、「自分が嫌われているなどとは決して考えたこともない」ため、皮肉を込めて「物知り博士」と呼ばれるようになる。

 ある日の夕食時に、天然真珠と養殖真珠を見分けることが出来るかをめぐって、神戸在住の米国外交官のラムゼイ夫妻を巻き込んだ大論争になった。夫人が着けている真珠はニューヨークで買った18ドルの安物だという夫に対して、ケラーダ氏が数万ドルもする高級品だと主張したからである。両者は賭けをすることになり、ケラーダ氏が真珠を鑑定すると言い出す。

 夫人は真珠を渡すのを嫌がるが、夫が外してケラーダ氏に手渡す。受け取った彼は、拡大鏡を出して子細に調べ、笑みを浮かべて真珠を返そうとするが、そのとき夫人の方をちらと見ると「真っ青で今にも気を失いそうだった。」ケラーダ氏は「顔を紅潮させ」「私が間違っていました」として、100ドル紙幣をラムゼイに渡す。「ケラーダ氏の手が震えていることに私は気づいた。」

「話はあっという間に船内全部に伝わり」「物知り博士が遂に尻尾を出したというのは、愉快な冗談だった」が、翌朝ドアの下からケラーダ氏宛の手紙が差し込まれる。出てきたのは100ドル札で、彼は赤くなった。「真珠は本物だったのですか」という私の問いに、「もし私に美人の女房がいたら、自分が神戸にいる間、ニューヨークで1年も1人にしておきませんよ」と彼が答える。「その瞬間、私はケラーダ氏が必ずしも嫌いではなくなった。」

 サマセット・モーム(Somerset Maugham, 1874-1965)は、イギリスの小説家・劇作家で『月と6ペンス』などの長編も有名ですが、短編にも優れた作品を残すほか、インテリジェンス業務にも従事した経歴の持ち主です。ただ不幸にして、私が最初に読んだのが受験英語の教材としての彼の作品であったためか、これまで何となく敬遠してきました。今回矢野さんの導きで、その良さを知ったので、私もモーム「食わず嫌い」を改めようと思いました。

・ポズナー教授のプライバシー感

 さて、このように文学作品では「嘘の効用」のニュアンスを伝えるものが多数あるのに対して、法学や「法と経済学」では、そのような人間臭さは捨象されているとお感じかもしれません。しかし、どのような分野であっても第一級の研究者は、人間臭さを忘れてはいないようです。

「法と経済学」の創始者の1人であり、自らも第7巡回区連邦控訴裁判所の判事として活躍しているリチャード・ポズナーは、「プライバシー」の背景には、「他人に裸を見られたくない」という動機と、「信用を失わせる事実を秘密にしておきたい」という望みの2つがあるとした上で、後者について以下のような観察をしています(『ベッカー教授、ポズナー教授のブログで学ぶ経済学』鞍谷・遠藤(訳)、東洋経済新報社、2006年)。これはモームの問題設定に近い発想です。

 プライバシーの第2の動機、すなわち信用を失わせる事実を秘密にしておきたいとの望みは、社会的観点から見て第1の動機よりも問題が多い。個人的取引(たとえばデートや、結婚や、親戚の遺言における指名など)の場合でも、商業的取引の場合でも、人々は自らに有利な取引をするために“できるだけ良い印象を与えよう”とする。この努力はしばしば、潜在的な取引相手が自分との取引を拒否することになるような情報、あるいは、より有利な条件を要求するようになる情報を隠すことを含む。そのように隠すことは、一種の不正行為である。だが、情報を隠すことはあまりに広く行なわれており、全体としては法的な処罰を必要とするほど有害なものではない(ただし例外的な場合はある)。そのうえ潜在的にそのような不正行為の犠牲になるおそれのある人々は、通常は自己防衛もできる(ただしコストもともなうが)。
 たとえば長々と展開する求婚過程は、将来に配偶者となる可能性がある人々が、暗黙あるいは明示的に表現される相手の人柄を互いに確認しあい、それによってロマンティックな恋愛関係にありがちな欺瞞をはがし本当の姿を知る一つの方法である。さらにまた(中略)すべての個人をあたかも証券取引委員会が規制する証券目論見書の発行人のように扱うことは、ささいではあるが人心を乱すような情報を社会に溢れさせるという弊害を生むであろう。
 だからと言って逆に、(あまり重要とは言えない)欺瞞を可能にしたり保護したりするために、法的強制力をともなう情報プライバシー権をわざわざ法が包括的に定めるべきであるということにはならない。

 これは人生の酸いも甘いも経験した人の言葉として聞くべきでしょう。プライバシー権にご執心の学者は、それが他の何物にも代えがたい基本権だと考える傾向があります。「自己情報コントロール権」という発想などは、その最たるものと言えましょうが、自分のこともあるところまで明らかにし、あるところを超えた部分を秘密にすることで、その人の魅力が醸成されると考えるべきでしょう。

 例えば詩人は、どの言語を使うかにかかわらず、そのあたりの微妙な心理を詠っています。わが国で言えば、「恋は終りね。秘密がないから」(なかにし礼・作詞作曲「知りすぎたのね」1967年)という逆説的な短いフレーズの中には、ポズナーの指摘を全部盛り込んだ感があります。

・「嘘」や「セキュリティ」の困ったところ

 しかし言うまでもないことですが、「嘘の効用」を認めることは「嘘の奨励」を意味するものではありません。特に注意を要するのは、1つの嘘が多くの嘘を誘発する「嘘の伝播効果」をどうやって防ぐかです。フェイク・ニュースの拡散に対して、その根拠を洗い出すファクト・チェックの活動が続けられていますが、情報の複製や伝播が容易でコストもさほどかからないのに対して、チェックには何倍もの時間とコストがかかり、しかも「後手に回る」ことが避けられないからです。

 このような状況は、サイバー・セキュリティの分野で最も顕在化しているように思われます。私自身は、この分野を研究しているので、問題の重要性が広く認識されていくのは喜ばしいと思う反面、費用対効果の面から見ると「セキュリティ対策費には上限があるのではないか」という疑念を禁じ得ません。例えば、年間売上高10億円の企業が年100万円のセキュリティ対策費(売上高比0.1%)を捻出できないとは思えませんが、1億円(同10%)必要だと聞けば、「何とか圧縮できないか」と考えるか、対策そのものを諦めるでしょう。

 しかし、トランプ大統領がフェイク・ニュースという「パンドラの箱」を空けてしまった(更にロシアが、外国の選挙に干渉するという禁じ手を使ってしまった)以上、ゲームのルールが変わって「対策費をケチった方が負け」という悪のスパイラルに陥ったように感じます。「嘘つきは泥棒の始まり」という牧歌的な倫理で社会の秩序が保たれていた時代は、もう戻ってこないのでしょうか?