林「情報法」(48)

GSOMIA破棄という二者択一

 「遠交近攻」という四字熟語が暗示するのは、「隣国との摩擦を回避するため遠い国と仲良くして集団としての安全を図る」戦略の有効性です。ただでさえ隣国との関係は難しいのに、一時期支配・従属の関係にあった日本と韓国が仲良くするのは、更に難しい課題でしょう。それにしても昨今の相互不信は「度を越えている」と考える人が多いのではないでしょうか? GSOMIA(General Security of Military Information Agreement)を例に、二者択一の限界と、「超えてはならない一線」がどこにあるのかを、考えてみましょう。

 ・自由貿易の例外としての輸出管理と優遇措置

  最近における日韓関係の悪化は、元慰安婦や元徴用工問題を二国間協定で解決したはずなのに、それを韓国側が「国内の裁判所が判断する被害者の法的救済は、国際関係とは別」などと、理解できない屁理屈で履行しないことに端を発しています。したがって、史上最悪とも評される両国関係の改善には、歴史認識などの深い理解が必要ですが、ここでは輸出管理の強化以降の問題に絞って議論しましょう。

 グローバル化の進展に伴って、貿易の障壁となる規制はなるべく撤廃しようという動きが強まり、「輸出入に関する規制はない方がよい」というコンセンサスが(少なくともトランプの登場以前には)できつつありました。しかし、北朝鮮の核実験やミサイル発射等にも見られるように、大量破壊兵器や通常兵器の拡散が「自由貿易」の間隙をついて横行していることが、大きな国際問題となっていました。

 これに対して、わが国は、安全保障と国際的な平和・安全の維持の観点から、大量破壊兵器や通常兵器の開発・製造等に関連する資機材・関連汎用品の輸出や、これらの関連技術の非居住者への提供について、外国為替及び外国貿易法(「外為法」)に基づいて、必要最小限の国家管理を実施しています。WTO(World Trade Organization)協定には安全保障を理由に貿易制限ができる例外規定があるので、これに依っているのです。

 この制度の下では、外為法で規制されている貨物や技術を輸出(提供)しようとする場合は、原則として経済産業大臣の許可を受ける必要があります。外為法に基づく規制は、化学兵器禁止条約等の条約に基づくものと、欧米先進諸国等が中心となって参加する国際的な輸出管理に関する合意(国際輸出管理レジーム)等に基づくものがあります。

 各国政府は軍事転用の恐れが大きい規制品目を輸出する場合、輸出企業に許可手続きを求めていますが、輸出先の国自身が厳しく輸出管理をしていると判断した場合、手続きを簡略化する優遇措置も認めています。具体的には、相手国の輸出管理制度の信頼度をランク付けして、優遇するのです。最上位の「グループA」は優遇措置が最も大きく、アジアで唯一となる韓国を含めて米国や英国など27か国が対象でした。しかし、日本政府は韓国の体制を「脆弱」と判断し、まず7月に韓国向けの半導体材料などの輸出管理を厳しくすることとし、その後8月28日から、最上位の格付けから除外し「グループB」に移しました。

 これに対して韓国も9月16日、本件はもともと元徴用工問題に対する報復であり、「政治的動機による差別的な措置」であるとして、加盟国間での貿易の差別を禁じる「最恵国待遇」のWTO原則に反するとして提訴しました。さらに9月18日、安全保障上の輸出管理で、優遇する国のグループから日本を除外しました。相互不信は、遂に報復合戦になってしまったのです。

・GSOMIA(General Security of Military Information Agreement

 しかも報復は貿易にとどまらず、国家間で軍事上の機密情報を提供し合い、共有し、また他国への漏えいを防ぐことを目的として締結される二国間協定である、GSOMIAの更新拒否(韓国の一方的離脱)にまで及びました。GSOMIAは普通名詞ですが、今問題になっているのは日韓における「秘密軍事情報の保護に関する日本国政府と大韓民国政府との間の協定」のことで、難産の末2016年に締結され、1年ごとに自動更新されてきました。終了させる場合は、更新期限の90日前(8月24日)までに相手国へ通告することとなっていたところ、2019年8月22日に韓国側が協定の破棄を決定し、日本側に伝達したのです(現協定は11月23日までは有効です)。

 日韓におけるGSOMIAの必要性は、言うまでもなく北朝鮮問題と不可分です。北のミサイルの射程圏内にある両国にとっては、軍事情報を共有し不測の事態に備えることが死活的に重要だからです。「日韓の協定が破棄されても2016年以前に戻るだけで、米国との協定が生きている限り、米国経由で情報を入手できるので被害は少ない」との見方もありますが、それは有事における「時間」の大切さを忘れた議論でしょう。韓国から直で入手できる場合に比べ、韓国が米国に提供する情報を米国経由で入手する場合には、貴重な時間を浪費してしまいます。

 また「地球が丸い」以上、発射直後における情報は、日本からはキャッチしにくい点を過小評価してはなりません。この初期の数十秒が決定的な意味を持つことがあり得ます。加えて、閉鎖社会である北朝鮮に関する人的情報(ヒューマン・インテリジェンス)は、韓国に依存せざるを得ないことも認めざるを得ません。このような不利益は韓国にはないので、彼らは失うものはないとお考えかもしれませんが、実はそうではありません。

 わが国は偵察衛星を持っているほか、ソ連による大韓航空撃墜事件の際にその一部始終を傍受するなど、無線の分野のインテリジェンス力はかなりのものです。また、潜水艦の動きをキャッチする能力も優れているとされます。しかし、わが国だけで得られる情報には、当然限界があります。そこで、米国を軸にしつつ日韓が協力して、北朝鮮に関する情報を共有し対処するのが、一番理にかなっているのです。この事情は、わが国だけでなく、韓国の関係者にも共有されている認識(知らぬは大統領ばかりなり)であろうと思います。

・レッド・ラインを超えた韓国

 それではなぜ、韓国はGSOMIA  の破棄を選んだのでしょうか? 韓国では、右派と左派が融和不可能なほどの対立関係にあり、左派の文大統領の優先順位は「民主主義」よりも「祖国統一」の方にあるのかもしれません。つまり、日米流の自由主義体制を選ぶか、北朝鮮に寄り添った祖国統一を選ぶかという「二者択一」的発想では、後者を選択することに決めている「確信犯」ではないかと思えるのです。このような「二者択一」的発想の限界については、この連載で注意を喚起してきたところです。

 しかし、ここでより視野を広げて、1989年のベルリンの壁の崩壊をまたいで、一時期ドイツ統一や東欧の西欧化をウオッチする機会のあった、私の個人的体験を披露させてください。ドイツの統一にせよ、東欧諸国の旧ソ連からの解放にせよ、より強権的なシステムと、より自由なシステムとを統合するには、「より自由」な方に合わせるしかないというのが歴史的事実です。仮にこのトレンドに反する統合を企てれば、その政権がやがて終焉を迎え、「統合のやり直し」が行なわれるまで、混乱は避けられないでしょう。

 文大統領は、個人的な心情として、金正日に親近感を感じているのかもしれません。しかし、一国の統治者として「二者択一」しかないと決め込み、「北による韓国併合」ともいえる案を自ら推進するとすれば、自殺行為ではないでしょうか? わが国のみならず、西洋諸国はそのような指導者を信頼することはできません。トランプ大統領でさえ「南抜きでの北との直接交渉」を進めていますし、肝心の金正日も「文政権相手にせず」を貫いています。政治面のみならず経済面においては、韓国企業が西欧諸国と取引するうえで支障が出ることも想定されます。

 確かに、これらの国々が共有する価値である民主主義は、現実主義者で皮肉屋のチャーチル元英国首相によれば、「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」という程度の、相対的優位性しか持たないものです。しかし、一旦民主主義世界で生活した人が、強権主義の命令に従わなければならなくなったら、その優位性を「絶対的」と言ってよいほどに感ずるでしょう。「一国二制度」の香港で、「現状維持」が如何に「革新的」とみなされているかを見れば、このギャップの大きさを感ずることができるでしょう(上述のように私は、旧東ドイツや東欧諸国を訪問することで、実感してきました)。

 文大統領が、民主主義を捨てても祖国統一を志向するなら、もはや「超えてはならない一線(レッド・ライン)を越えた」と評するしかないと思います。ただし、そのような最終判断を下すには、もう一度GSOMIAが何を目指しており、手続き的にはどのようなことを期待しているのかを、細部まで見ておく必要があります。その点は、GSOMIAを情報法的に解釈するという別のテーマになりますので、次回まとめて説明します。

古藤「自然農10年」(2)

古都奈良に自然農の聖地を訪ねる

 田畑は耕さず、農薬、肥料なしで米や野菜を見事に育てる―――世の常識をひっくり返す自然農の指導者、川口由一(よしかず)さんに初めて会ったのは2010年(平成22年)秋、奈良県桜井市の彼の田畑を見学し、近くの市民会館で勉強会をする2泊3日の「妙なる畑の会 全国実践者の集い」の会場でだった。

 自然農1年生の私は妻と物見遊山のドライブ旅行といった気分で参加した。宿は思い思いの分宿で私たちは県境を少し超えた三重県名張市のホテルにした。じつは2年前、同じホテルに泊まって伊賀上野に住む新聞社時代の先輩を訪ね、それが思いがけずもわが余生を自然農に導かれるきっかけになった。先輩夫婦は、古い農家と田畑を買って老後の農業生活を始めており、その夫人は川口さんの最も古いお弟子さんの1人だったのである。

 卑弥呼の墓説もある箸墓古墳や三輪山が近くに見える川口さんの田は黄金色に実っていた。肥料もなしに育った稲穂のすごさを、当時は見る目もなく眺めた。畑は草原に見えたが、大豆は驚くほどの鈴なりだった。座学をする市民会館は会社時代に見たことがない服装の人たちであふれていた。野良着もあれば草履ばきもある。手製の布袋やリュック、長靴に籠をかつぐ人もいる。

 宗教学者の山折哲雄氏、考古学が趣味という俳優の刈谷俊介さんらがゲストに招かれていた。川口さんの田んぼの1枚から整然と並ぶ大型建物の遺構が発掘され、卑弥呼の宮殿ではないかと大ニュースになっていた。川口さんは小柄で一見しょぼい老人という印象だった。次の年の第20回全国集会は糸島で、運営すべてを「福岡自然農塾」に任せることを決めて散会した。

 福岡自然農塾は、川口さんを糸島に招いて大きな拠点に育てた数人の農園、農塾の総称である。代表は「松国自然農学びの場」の代表も兼ねる松尾靖子さん。彼女の「ほのぼの農園」が直販する野菜の味にほれ込んだ福岡日航ホテルの料理長が彼女の野菜で8000円のコースメニューを作ったことが話題になった。福岡自然農塾にとっても活動20年の節目となる全国集会、メンバーは気合を入れて準備に入った。

・糸島の第20回全国集会に200人参加

熱っぽく語る川口由一さん(2011年、唐津市のホテルで)

 翌年11月18日からの全国集会は、北は宮城県から南は鹿児島県まで200人余が参加した。唐津の名勝、虹ノ松原のホテルを会場に、泊まりきれない人は隣の少し上等のホテルに分宿して2泊3日、うちベテラン実践者約60人はもう1泊した。夕食後も連日10時半終了という濃密な学習会だった。借り集めた9台のマイクロバスで見学の田畑とホテルの間を運んだ。私は、松国自然農学びの場の実践指導者、村山直通さんの下でスタッフ手伝いに加わった。

 参加者は、家業の農業を自然農で継ぐことにしたごく少数と、農地を買ったり借りたりした転職組や勤めながらの本格実践者が中心メンバーで、営農は少なく、多くは自給自足をめざす。2014年現在で61人が川口さんの著書に一覧表で紹介されている。彼らをリーダーに、都市から農業をしたいとやって来る人、食の安全や子どもの体質改善を願う母親などが集まっている。

 座学で初めて間近に見た川口さんは、しょぼいどころか芸術家のように服装を整え、長い頭をふわふわの頭髪でつつみ、仙人のような風貌だった。「大宇宙を生み、私たちの命も生み出した自然。その本源の力によって森羅万象が廻らされています。自然農はその力に応じ、従い、最後は任せる農業です」。時々瞑目しながら語る。「農業者が悪から離れ、美しく正しい生き方をしなければ、健康な命を持った野菜が育たないのです」とも。最後に「田畑や命をよく見て正しく応じないと作物を損ね、作る人も損ねることになります」とさりげなくつけ加えた。

 後年、私は川口さんの言葉の重さをかみしめることになる。

 福岡自然農塾にとっても20年の活動を記念する全国集会だったが、開会式はあいにくの冷たい雨。風にあおられる雨具の帽子を押さえながら松尾靖子さんが川口さんのすぐ横で歓迎のあいさつに立った。「私たちはいま地球に生きています。みなさん、元気ですか」と力いっぱいマイクを突き出したが、この時彼女は重い病状にあった。前年の集会では元気はつらつの登壇者だったのに、その後間もなくがんが見つかり田畑から遠ざかっていた。

 学びの田んぼに立つのは半年ぶり。代表の役を十分果たせなかったことを詫び最後に「これまで20年間、自然農に導いて下さってほんとにありがとうございました」と川口さんに向かって深々と頭を下げた靖子さんは、その半年後、この世を去った。ふっと消えるような別れだった。

 川口さんの自然農に感動し誠実に全力で田畑に立った人は、がんと分かった後も摘出手術、放射線、抗がん剤の治療は受けず自然療法などに徹していたと聞いた。先輩の夫人と靖子さんは川口教室のいわば1回生同士で大の仲良しでもあった。

 ふっくらと生きているような死に顔を思い出すたび、彼女の自然農に殉じるような余りに潔い亡くなり方に残念な思いがしてならない。靖子さんの命への応じ方は正しかったのか、川口さんの教えの言葉と重なって、今も私の心の中に堂々巡りをしている。

林「情報法」(47)

二者択一の政治状況

 「○か×か」の二者択一は、政治家が一番好むようです。私は1999年に「NHKは民営化して世界最大のペイ・テレビになればよい」と主張した者(拙稿「放送人よ、目を覚ませ:『地上波テレビの全デジタル化』7つの神話」『情報通信アウトルック ’99』 NTT出版)ですが、20年を経てそれと同じ趣旨を、唯一の公約にした政党が出現したことに驚きました。そして、その政党が参議院選挙で議席を獲得したことに、二度ビックリです。三度目のビックリもあるのでしょうか。世界中が「○か×か」の衆愚政治に陥っているのでしょうか。

・「一億総白痴化」と「衆愚政治」の経済学

 経済学(者)は、「一見非合理と思われる事象にも合理性が潜んでいる」ことを見抜く力を持っています。それは「合理的経済人」(rational person)を前提にした学問の、優位性かも知れません。リード文で触れた論文を書いている最中に、エコノミストのI氏から「テレビ番組が俗悪化することは必然で、大宅壮一氏の言う『一億総白痴化』は止めようがない」というご託宣を聞いたのは、経済学の初学者だった私には新鮮な驚きでした。

 I氏の説明は、大要以下のようなものでした。民間のテレビ局は当然のことながら、利潤の最大化を目指している。利潤の太宗は広告収入で、それは「視聴率」に連動しているから、「視聴率」を上げる必要がある。そのためには、番組の多くが国民の多数が好んで見るものでなければならない。ここで国民の知的レベルは正規分布していると考えると、「多数に見てもらえる」には平均人をターゲットにしたのではだめで、より知的レベルの低い視聴者を取り込んでいかざるを得ない。よって番組は「低俗化」せざるを得ない——–。

 実は、この分析の後に、「しからば公共放送であるNHKの役割をどう考えるか」という、やや高尚(?)な議論が続き、先生であるI 氏は「NHKは、ニュース・スポーツ・ドラマ・演芸・教養・教育番組などを総合的に提供し、総合的な収支均衡を図ればよい。加えて、災害放送やローカル・ニュースの提供など公共的な役割もある」という伝統的な見解でした。これに対して、弟子である私が「そうした高尚な志向のある視聴者は、支払意思(willingness-to-pay)があるので、NHKをペイTVにしても加入者はさほど減らないだろう。民営化して、もっと活力が出る仕組みに変えた方が良い」と主張したのが、上述の論稿で展開した私のNHK論でした。

 ここで本来の議論に戻れば、「一億総白痴化は不可避」という結論に至るまでの「視聴率」を「得票率」と、「より知的レベルの低い視聴者」を「国民全員に投票権がある」と読み替えれば、「衆愚政治は不可避」との結論に到達することは間違いありません。

・多数決原理の限界とグローバル化の逆説

 これは親しい先生と弟子の間の「思考実験」であることは両者とも承知の上の、楽しい会話でした。それが、現実の政治のテーマになり、一定の力を持つようになるとは、どうしたことでしょうか。そこには、成熟した日本において「波風立てる」ことは得にならないという冷めた認識を持ちながら、30年も続くデフレで幸福感が味わえないという焦燥が、ないまぜになっているように思えます。野党に政権維持能力が欠けていて頼りにならないが、与党に任せっぱなしでは暴走の懸念が残る、というアンビバレントな感覚と言い換えても良いでしょう。

 しかし、そこには何らかの「理論的背景」が潜んでいるようにも思えます。ここでは、2点だけ指摘しておきましょう。まず第1点は、「民主主義的意思決定が、誰もが納得する解を生み出すとは限らない」ということです。それにはマクロとミクロの両面があります。

 マクロ的には、どのような選挙制度を採ろうと、「死に票」が避けられないことが問題の本質です。何らかの単位で、winner-take-all(総取り)を認めざるを得ないからです。州ごとの選挙人の「総取り」を前提にする米国の大統領選挙では、国民投票であれば多数を得たはずの候補者(クリントン)が、選挙人の多数を得た候補者(トランプ)に負ける、ということが起こり得ます。

 ミクロ的な側面は、「アローの不可能性定理」に示されるように、意見が割れている場合には「投票順」という一見中中立的に見える「手続き」が、意見の採否を決めてしまう場合があるということです。例えば、投票者甲・乙・丙が、議案A、B、Cに関して、甲はA > B > C、乙はB > C > A、丙はC > A > Bという、3すくみの投票選好を持っているとしましょう。

 投票用紙にA、B、C のいずれかを書く方式の投票では、「多数を得た案なし」となります。そこで、まずAかBかの投票をし、その後に優勢な方とCとで投票することにすれば、第1回でAが勝ち、第2回でCが勝つことになります。この関係はA、B、Cすべてに成り立ちますから、「どの案を先に議決するかによって、採択される案が変わる」ことになります。

 第2の理論駅背景は、グローバル化に関わります。投票による多数決という、民主主義の基本ともいえる原理でさえ、このような例外的事象があり得るのですが、グローバル化という巨大な潮流は、もっと深刻な事態を招くと言います。『グローバリゼーション・パラドクス』(柴山桂太・大川良文訳、白水社、2014年)という本を書いた、ダニ・ロドリックによれば、グローバル化する環境では「グローバル化・国家主権・民主主義の3つの理念のうち2つしか同時に満たすことはできない」というのです。

 この点について、訳者の柴山氏が次のようの総括しているのは、簡潔で秀逸です(訳者あとがき)。

本書の核となるアイディアは、市場は統治なしには機能しない、というものだ。(中略)市場と統治という視点に立つと、グローバル経済が抱える根本的な問題が見えてくる。グローバル市場では、その働きを円滑にするための制度がまだ発達していない。全体を管理するグローバルな政府も存在していない。一国レベルでは一致している市場と統治が、グローバルなレベルでは乖離しているのだ。貿易や金融は国境を越えて拡大していくが、当地の範囲は国家単位にとどまっている。ここにグローバル経済が抱える最大の「逆説」がある、というのが著者の問題意識である。

 確かに中国の動きを見ていると、共産主義革命という歴史から当然のこととはいえ、「グローバル化の波に乗り、国家の機能維持のためには民主主義を捨てる」ことが鮮明になっていると思います。そして、悲しいことにロシアは当然のこととして、中東やアフリカ諸国の多くも、こうした「新しい国家主義」ともいえる考えに傾いている懸念が消えません。例えば、ITUという最も長い歴史を持つ国際機関が、「電気通信規則」という国際規約を決める際、こうした諸国が多数派になり、西側が調印を留保するという事態になったのは、2012年末のことでした。

・Unity, Diversity and Generosity

 そして、このような民主主義崩壊の予兆に驚いたのか、西欧世界のリーダーの中でも「自分のことや自分の国しか考えない」孤立主義者が多くなり、「他者への配慮」が死にそうになっているのが気がかりです。本来グローバル化とは、国家主権の壁を低くし、すべての人が等しく扱われるべきだ(inclusion)という「寛容の精神」を基にするはずだったのに、全く反対の排外主義(exclusion)に傾いてしまったのは、何としたことでしょうか。しかも、それが中国のような強権国家だけでなく、つい先代の大統領までは「民主主義のチャンピオン」の顔をしていた国までが、先導しているとは。

 この点で私には、ある感慨があります。1992年から(1995年まで)ニューヨークに駐在することになったので、当時の大統領であったブッシュ(父)の思想と行動に関心を持ちました。そこで、1989年1月20日の大統領の就任演説を調べたところ、その末尾にUnity, Diversity and Generosityという語を見つけました。現在も利用できる邦訳サイトに拠れば、その部分は以下の通りです(カッコ内の英文は筆者が追記)。
https://openshelf.appspot.com/UnitedStatesPresidentialInauguration/GeorgeHerbertWalkerBush.html

 「リーダーシップを、トランペットの音が聞こえてくる盛り上がるドラマとみている人もいるだろう。そして時々はそういうものかもしれない。しかし私は歴史とは多くのページがある一冊の本だと思っている。そして日々われわれは希望にみちた意味ある行為でその一ページを埋めていくのである。新たな風がふき、ページをめくり、物語が展開していく。そして今日新たな章がはじまり、短く威厳にみちた、団結(Unity)と多様性(Diversity)と寛容(Generosity)の物語が、共有して、ともに執筆される。」

 この同じ共和党から、現在の大統領が登場したことを、私たちはどう捉えたら良いのか、視点が定まらないでいます。一般的に言えば「団結」と「多様性」は両立が難しいものです。だからこそ「寛容」が必要なのであって、両立を諦めて「矛盾を武力によって解決する」毛沢東的手法が、許されるはずはありません。矛盾する要素の中和や妥協を図ること、つまり「二者択一」ではない選択肢を視野に入れることこそ、成熟した国家における政治家の役割ではないでしょうか。役割を果たさないプレイヤーには、退場を促すしかないと思います。

東山「禅密気功な日々」(5)

禅密気功のすすめ

禅密気功鎌倉教室を訪れる人はけっこういるけれど、2、3度顔を出したきりやめてしまう人も多い。せっかく宝の山の前まで来て、そこに入らず、Uターンしてしまうわけで、まことにもったいない気がする。

 気功には他の習いごとと違って、具体的目標というか、習得すべきカリキュラムがあるわけではない。ただ体を揺するだけである。だから2、3度、教室に来ただけで、その良さを実感するのはむつかしい(禅密気功にもいろんな功法があるけれど、基本はあくまで築基功である)。

 習うべきポーズの型が具体的に用意されているヨーガや太極拳ともちがい、気功がとっつきにくいのは確かである。しかし、ただ体(背骨)を揺するだけという単純な動作にこそ、実は深い知恵、精神と肉体の健康を維持するための工夫が込められている。それを実感するためには、最低半年は通うのがいいだろう。私などは、そしてかなり多くの人が、10年以上も修行を続けているのである。教室だけでなく自宅で毎日実践するようになると、その良さがいよいよはっきりわかってくる。しかも、そのために、何の道具もいらない。必要なのは時間と意欲だけである。

・不立文字という言葉

 「不立文字(ふりゅうもんじ、文字に立たず)」。「悟りの内容は文字・言語では伝えられず、師の心から弟子の心へ直接伝えられる」(新明解国語辞典)という禅宗の教えだが、一般には、大切なものは言葉で言い表されないというふうに使われる。

 中国の古典『荘子』には、書に親しんでいる殿さまに向かって、車大工が「書には先人の粕しか記されていないのではないか」と皮肉る話が出ている。一流の車大工としての自分の腕(技術)は他人には(弟子にも)伝えられず、彼一代で終わるものである。だから書に記されたものも先人の知恵の粕でしかないのではないか、と。

 これは「身体知」とも言われるが、言葉には表現できない(えも言われぬ)知恵を体で感じるようになるのが気功修行と言ってもいい。

 話が少しそれるが、サ=テグジュペリの『星の王子さま』に、「大切なものは目では見えない」という言葉もある。

It is only with the heart that one can see rightly, what is essential is invisible to the eye.

 目(eye)ではなく心(heart)で見る、頭ではなく肉体で感じることを心がけるのは、IT社会を生き抜く知恵でもあるだろう。

新サイバー閑話(28)

オーラルヒストリーシリーズ 

情報法オーラルヒストリーシリーズ1 情報の法社会学 名和小太郎さんから『情報の法社会学』(翔泳社)という本をご寄贈いただいたが、それが「情報法オーラルヒストリーシリーズ1」(オンデマンド印刷版)と銘打たれているのが興味深く思われた。

 情報法、著作権、情報倫理などの分野で大きな功績を残した名和さんの足跡を、彼が歩いてきた現場、言わば生活史を通して記録したものである。どういう仕事を通してIT社会の諸問題にかかわることになったのか、当時の人びとは新しい問題にどう取り組もうとしたのか、どんな分野からどんな専門家が集まって来ていたのか――。聞き手は新潟大学法学部教授、鈴木正朝さんである。

 IT社会を牽引した方々はすでに老境にさしかかっているが、インターネットそのものが辺境から立ち上がり、主流へと躍り出た歴史を反映して、多彩な経歴の人が多い。学問的業績を上げた人も、多くは実務家だったり、後にアカデミズムに転じたりしている。その人生行路は、日本的タテ社会を上昇するよりも、むしろ異なる分野を横断してきた傾向も見られる。

 これら先人が悪戦苦闘した道そのものがIT社会発達史であり、情報法をはじめとする先端的学問分野の成長過程だった。既にそれぞれに学問的成果を公表しておられるし、回顧的な記録も残されているけれど、そういった体系的著作ではあまり触れられない、本人も忘れているような具体的事実や興味深いエピソードを聞き出し、それを一定の基準のもとに整理記録しておく「オーラルヒストリー」の意義は大きい。新しい学問分野、あるいは先端的事業であれば、なおさらである。名和さんの話にも、「そういうことだったのか」、「まるで知らない話だなあ」などと、思わず合点する読者も多いのではないだろうか。

 鈴木さんの話だと、とりあえず情報法の分野に限った企画のようで、林紘一郎さんが2番手、他に何人かの候補もリストアップされているという。企画を実現した関係者に敬意を表したい。

 ちなみに、名和さんには本サイバー燈台で「後期高齢者」というコラムを書いていただいている。林紘一郎さんにも「情報法のリーガル・マインド その日その日」で健筆を振るっていただいている。また、もう1人のサイバー燈台の筆者、小林龍生さんは「情報革命の時代にあっては、その動きの多くが、アカデミズムから少し外れた現場の知によって支えられ推し進められてきた。時の流れとともに忘れ去られてしまう危険性が大きいそれらの事実を記録に残していく意味は大きいのではないか」と、我が意を得たりの述懐をしておられる。

・日本パーソナル・コンピュータ発達史

 そのうえで思うのは、この企画を法や情報倫理など人文科学の分野に限らず、インターネット技術そのもの、パソコン、ベンチャー企業、文字コード、黎明期に雨後のタケノコのように現れたソフトウエア、メディアといったところまで広げられないかということである。

 実は、私は『ASAHIパソコン』編集長だったころ、「日本パーソナル・コンピュータ発達史」という連載を企画したことがある。筆者も念頭にあったのだが、実現せずに終わった。

 たとえば、『ASAHIパソコン』創刊前につくったムック『おもいっきりPC-98』(1987年、朝日新聞社)には、ワープロソフトと表計算ソフトだけでも、以下のものが掲載されている。

 【ワープロ】一太郎、The Word、オーロラエース、創文、ユーカラart、松86、デスクup、テラⅢ世、QUEEN-Ⅱ、小次郎98/武蔵98、美文、しのぶれど、HuWORD、弘法Ⅱ、TWINSTAR2
 【表計算】Lotus1-2-3、Microsoft Multiplan、SuperCalc3R2、HuCAL16、The File

 ハードウエアに関しても、これは白田由香利さんに聞いたのだが、彼女は大学院学生のころ、登山用リュックを背負って小田急線、百合丘にあったガレージ会社に出かけ、基本ソフトCP/Mで動くパソコンを買ったという。そういうパソコンの広告が当時の雑誌、『トランジスタ技術(トラ技)』にたくさん載っていたらしい(矢野直明編『パソコンと私』所収、1991年、福武書店)。ハードとソフトを組み合わせたソードという先端的なベンチャー企業もあった。

 当時、すでに百花繚乱だった初期の個性的なソフトウェアの多くは消え、大手IT企業の製品に取って代わられつつあったが、それぞれのソフトやハードに特有の歴史とドラマを丹念に取材して記録しておきたいというのが企画の意図だった。

 今回の企画「オーラルヒストリーシリーズ」に接して、昔を思い出すと同時に、これを他分野へももう少し広げられないかと思ったわけである。もちろん一出版社には荷が重い仕事だろう。だとすれば、こういう事業への公的援助があっていいし、それが無理なら、どこかのIT企業が大金を投じても良さそうに思うけれど、どうだろうか。

 

東山「禅密気功な日々」(4) 気圧の魔

「気圧の魔」研究会報告について

 もう20年も前になるが、ウエブ黎明期(1998年)に<「気圧の魔」研究会報告>というページを立ち上げたことがある。このころひどい気圧アレルギーに悩まされており、インターネットなら日本国中、あるいは世界から仲間を集められるから、一致団結して「気圧の魔」克服をめざそうと、実験的に開設したものである。

 いま読み返してみると、けっこうおもしろい。作家の五木寛之が同じような症状を呈しているのを知って喜んだり(?)もしている。同じような症状に悩む人から研究会参加の申し出が来たり、ほかにも筆者あてに、何通ものメールをいただいたり、何度か往復メールの交換もしたように思う。その後、ブログに移動、立ち消えになってしまったが……。

 ちなみに「気圧の魔」は愛読書の1つであるニーチェ『ツァラトゥストラ』の「重力の魔」を援用した(本文参照)。もう20年も前の記録がこうしていまも閲覧できるというのも便利と言えば便利である。

 最近は低気圧への恐怖がだいぶ軽減していることを考えると、気圧アレルギーも体内の気滞留に関係あると思われる。いま問い合わせがあれば、必ず気功(禅密気功)を始めるようお勧めするところである(^o^)。

東山「禅密気功な日々」(3) 会報から③

朱剛先生直伝、これが禅密気功だ

 レポートを書くにあたって、あらためて朱剛先生の3部作、『気功生活のすすめ』(2004、清流出版=絶版)、『背骨ゆらゆら健康法』(2007、春風社)、『気功瞑想でホッとする』(2009、同)や『築基功 中国禅密気功基礎功法』(2000)などを読み返してみた。私が書いたことは、まことにつたないものだが、気功の心構えとしてはそれなりに意味のあることかもしれない。

 ご承知の方も多いだろうが、禅密気功は朱剛先生の師、中国の劉漢文師が代々、家伝として伝えられてきたものを1970年代末に公開したことに始まり、1986年に中国政府が認めた20大功法にも数えられている。朱剛先生は若いころから中国で武術、気功に親しみ、劉漢文氏からも直接指導を受け、1989年の来日以来、禅密気功の日本における普及に努められてきた。

 気功の功法にはさまざまな流派があり、禅密気功の中にも、20近い功法がある。そのうち私が履修したのは築基功、陰陽合気法(人部、天地部)、双雲功、吐納気法(1~5)、彗功、洗心法くらいである。また精神と肉体の健康を獲得、維持するのが気功だとすれば、中国には古来、仏教、道教、儒教などさまざまな教えがあり、それは部分的に気功にも取り入れられている。

背骨ゆらゆら健康法―自分でできるお手軽気功術

 朱剛先生が教室などでよく言われることだが、「山に登るにはいろんなルートがある。どのルートを登ろうが、頂上に到達できればいい。ルートの違いを論じたり、優劣を競ったりする必要はないのだ」と。立派な教えである。そして私はと言えば、気功という大きな山の麓あたりをなおうろうろしているに過ぎない。九州の九重登山で言えば、久住と大船(だいせん)という2つの山の間に広がる裾野、坊がつるを徘徊しながら、山小屋の白濁湯でのんびりしている風情か。明日はどちらかの頂上を目ざさねば。

 大船の鎌倉教室は会員の自主運営で、すでに20年近く続いている。元の松竹大船撮影所の一角に作られた鎌倉芸術館がフランチャイズだが、場所の抽選に漏れた時は他の会場に移ることもある。月に2回程度、土曜日の午前中に20人前後の人びとが集まり、練習に励んでいる。横浜教室に出かける前の朱剛先生を囲んでの昼食も楽しいひと時である。私も教室に通ってすでに十数年、精神的にはともかく、肉体的には健康を回復できた、あるいは回復しつつある気がする。老化が忍び寄りつつあるとは言え(^o^)。

気功瞑想でホッとする

 日本禅密気功研究所の江戸川橋本部教室は東京都新宿区山吹町にあり、そこで本部教室や各種功法の集中コース、瞑想会などが行われている。会員のほとんどの方が一度は訪れたことがあるだろう。

 教室の最寄り駅は東京メトロ有楽町線の江戸川橋である。近くに落ち着いた、昔懐かしい雰囲気が漂う、その名も地蔵通り商店街がある。集中コースのとき、薄皮でパリパリした、甘味の薄い餡子のたい焼きを食べたのが懐かしい。思い出と言えば、近くを神田川が流れている。三鷹市の井之頭公園に源を発し、都心をほぼ東に流れて両国橋あたりで隅田川にそそぐ。都心唯一の、どこにも暗渠のない一級河川で、南こうせつとかぐや姫がうたった「神田川」の舞台は下落合あたりとも西早稲田だとも聞いたけれど、詳しくは知らない。下落合は学生のころ下宿していた場所から遠からず、ときどき通っていた駅近くの喫茶店には、美人で気さくな若い女将がいた。彼女を慕って多くの常連が集まり、楽しいコミュニティを作っており、たしか野球チームなんかも出来ていたと思う。

 話がそれた。

 集中コースの昼食を近くの中華料理屋でとったあと、先生に案内されて神田川沿いを散策したことがある。6月だったから両岸の桜の葉がうっそうとした並木を作り、川はかなり深いところを静かに流れていた (春は有名な花見の名所である)。少し離れた椿山荘の裏門まで歩いた。芭蕉ゆかりの山荘には「古池やかわず飛び込む水の音」の無造作な立て札もあった。腹ごなしにはもってこいのコースである。

 先生の本を読み返してみると、私が考えてきたことはほとんどこれらの本に書かれている気がする。自説の根拠を見つけて嬉しい反面、これらの本はかつて読んだものだから、自分の考えはそこから導き出されたのかと、いささかがっかりした気持ちにもなった。以下、『気功生活のすすめ』の引用である。

「東洋医学では、病気の原因は、体内の気の流れが悪くなったことにあると考え、まず体内に気を十分取り入れ、気がスムーズに流れるようにすることから治療を始めます」(9)、「自己の免疫力や治癒力、調整力を向上させ、健康になることを目指すのです」(12)、「気功はまずリラックスすることによって細胞や毛細血管を活性化させ、そこからエネルギーを盛り上がらせるのです」(14)、「気功には人間の免疫機能を高める効果があることが、さまざまな実験で実証されているのです」(35)、「全身の力を抜いて、特に肩から首筋を柔らかくするような感じで、背骨を真っ直ぐにして座ってみましょう。……。いろいろな想念、感情、記憶などが沸き起こってきますが、これも流れに任せます」(65)、「気はもともと人間の体内を流れています。ただ、健康を阻害する方向に流れていたり、ストレスなどによって悪いエネルギーとして流れている場合もあります。気功の練習を通して気を正常に働かせ、全身のエネルギーを活性化させると、五臓が元気になります」(85)。

廬山煙雨浙江潮  廬山(ろざん)は煙雨、浙江(せっこう)は潮(うしお)
未到千般恨不消      未だ到らざれば千般恨み消せず
到得還來無別事      到り得て帰り来たれば別事無し
廬山煙雨浙江潮      廬山は煙雨、浙江は潮 
蘇東坡

 建長寺だか円覚寺だかの早朝座禅会の法話でこの漢詩を知った。廬山も浙江も名勝の地である。「別事なし」とはどういう意味か。自然はいつもと変わらないけれど、見る方の心に変化が起こったということらしい。冒頭と最後の句の間に、一種の悟り、心境の変化があったわけである。

 報国寺の座禅会では和尚から以下の教えを受けた。

 いいと思うことを心を込めてくりかえす

 名言の引用を、白隠禅師の有名な坐禅和讃の一節で締めよう。以上すべて自戒のためなのだが……。

 無相の相を相として  行くも帰るも余所ならず
 無念の念を念として  謡うも舞ふも法の声
 三昧無碍の空ひろく  四智円明の月さえん

桐一葉、落ちて天下の秋を知る

 悟りは突然やってくる。まあ、悟りと言うほどではないけれど、今までやってきたことが突然違って見えるということはよくある。これもまた、

待て 而して希望せよ

 2018年9月の総務省調査によると、70歳以上が総人口の20.7%を占め、5人に1人が70歳以上となった。また65歳以上の高齢者は28%近くを占め、そのうち75歳以上のいわゆる後期高齢者が65歳~74歳の高齢者の数を上回っている。日本社会の他国に例をみないほどの超高齢化は由々しき大問題ではあるが、高齢者も後期高齢者も、生きている間は元気で過ごしたいものである。

 先にふれた『寿命1000年』に、老化というのは子孫を繁栄させるために長く生きすぎないようにする「進化の知恵」であるという説も紹介されていた。子孫のためには、高齢者は率先して世を去るべきかもしれない。しかし、いますぐにではなく(^o^)。

 となると、やはり健康でいたいものである。そのために気功がいかにすぐれているかを述べてきたわけだけれど、丼を持とうとして手首を痛めたとか、石につまずいたわけでもないのに踵をくじいたとか、日常生活を送るうえでの具体的支障が出る腰、脚、踵、腕、手首など個々の筋肉の衰えや、気になる皴を防ぐには、筋肉トレーニングもした方がいい。

 私は1986年から約20年、ジョー・ウイダーの雑誌 ”Muscle & Fitness” を定期購読していた(雑誌が身売りされて購読を中止した)。ジョー・ウイダーはボディビルディングを立派なスポーツ、さらには文化へと発展させた人で、そこからアーノルド・シュワルツェネッガーやコーリン・エバーソンなどのスターが生まれ、ボディビルはあらゆる運動の基礎ともなった。1990年にはすでに両スターは現役を退いていたけれど、それでも私の好きだったフランク・ゼーン、モニカ・ブラントなどとともに同誌のグラビアを飾っていた。雑誌にはときどき「Longevity(長生き)」の特集があり、そこでは70歳を過ぎたボディビルダーの、老いてなお若々しく美しい肉体写真やノウハウ記事が載っていた。

 プロビルダーがよく言うのは「必要なことはすべて自分の肉体が教えてくれる」ということである。私はスポーツクラブにも通っていたが、前半は多忙な仕事のために、後半は度重なるがん手術のために、十分なトレーニングは出来なかった。しかし、高齢者トレーニングに必要な知識は十分に身につけたと思う。

 いずれは『若返リアス(若返りイリアス)』としてまとめようかとも思っているが、気功、とくに蠕動と簡単な筋肉トレーンングは、老化防止、さらには若返りのための悪くない取り合わせである。そのミソを先回りして記せば、筋トレだけではかえって逆効果になることもあり、それを防ぐためには丹念な蠕動が不可欠だということである。

東山「禅密気功な日々」(2) 会報から②

背骨ゆらゆら、身も心もすっきり

 気をスムーズに流すにはどうすればいいか。体を揺するのが一番である。朱剛先生は「背骨で体全体の気をかき回す」と言われたことがあるけれど、禅密気功の築基功は体を揺することに特化したすぐれた功法と言えるだろう。そして、ただひたすら背骨を揺する築基功には、禅密気功の精髄が詰まっている。背骨(脊柱)はまさに体のバックボーンであり、中心であり、ここには内臓諸器官の神経も集まっている。背骨こそ滓がたまりやすい場所のようにも思われる。

 縦に揺するのが蛹動(ようどう)、横に揺するのが擺動(ばいどう)、回す、と言うより体を絞るのが捻動(にゅうどう)、すべてを組み合わせて体全体の気を動かすのが蠕動(じゅうどう)である。そのやり方は教室で朱剛先生の直接指導を受けつつ、テキストのCDやDVDを参考にしてほしい。事前に整えるべき態勢としての、密処を緩める(緩密処)、彗中を開く(展彗中)、三七分力(体重の7割を踵に)、三点一直(天中―密処―両踵を結ぶ線の真ん中が一直線上に来る)は守る。

 動きはいずれの場合も、「円緩軽柔」、「ゆっくり、柔らかく、なめらかに、そして速度は一定」でなくてはならない。導引として手を動かすけれど、蛹動の場合、その手が体の両脇で円を描きながらゆっくり、なめらかに、同じ速度で動くように意識する。ゴツゴツと角ばったりしない。イメージとしては、今はあまり言わないようだけれど、やはり「蛇のように」体を動かすのがいい。あのしなやかで強靭な動きを見よ。体は前に思いっきり出し、後にはぐっと押し出す。蛹動も擺動も体をどちらかというと「くの字」型にする。私も昔は「反り(そり)がたりない」とよく言われた。

・背骨を使って気を動かす

 動かす箇所に意念を集中する。「気を動かす」ためにはそれが不可欠である。気を動かすといっても、最初はよくわからないと思うけれど、たとえば、地下鉄のホームの黄色い帯を想像してみよう。列車が入ってくるとランプが点滅するが、目には黄色い信号がホームの端から端へ走っていくように見える。運動会の組体操の波づくりも同じ理屈だけれど、細胞一つひとつの気が活性化して、それが動いていくのを意識する。あるいは見る。

 気を前後左右天地に動かしながら流れを整え、スムーズに流れるようにする。前にも書いたけれど、体の一部がゴツゴツしてスムーズに動かないとすれば、そこに滓がたまっている。ゆっくり丁寧になぞりながら、スムーズに動くようになるのを「待つ」。最初は背骨を「揺らし」ていても、いずれは自然に「揺れる」ようになるのが理想である。

 建長寺の修行僧に「坐禅とは何か」と聞いた時、間髪を入れず「丹田を練る、としか言いようがない」との答えが返ってきた。「練る」というのは言い得て妙である。そば打ちのように、筋肉や内臓をこねて粘りを生み出す。

 禅密気功にはいろんな功法があり、築基功はどちらかというと体内の気の流れを整えることに重点があり、陰陽合気法、吐納気法などは体内の気と外気との交流を重視すると言えるようだ。彗功には緩密処、展彗中の重点的な修練もある。ただいずれも相対的な違いであり、さまざまな功法の中では築基功が基本の基本だと思う。ある先達も「築基功からはじめて、最後はやはり築基功に戻っていく」と言っていた。

 鎌倉教室ではもっぱら築基功の習得に時間が割かれている。あるとき先生が蠕動の指導をしながら、「これをやっていれば、腰もくびれて、すっきりした体になりますよ」と言った。その後で、「なぜそのことを強調しないかというと、安っぽく聞こえるから」と。何という高潔、なんという奥ゆかしさ(^o^)。

 蠕動を続ければ、贅肉も取れ、腹や腰が締まるのは事実である。1日30分以上の蠕動を続ければ、若いころのズボンやスカートがはけるようになる。ここを強調してPRすれば、若い女性会員も増えるだろうが、それは気功の本筋ではないと言えば、たしかにそうである。ちょっともったいない気もするが……。

 逗子市で鍼灸室を運営しており、一時は鎌倉教室にも参加していた山本エリさんに診察を受けた時、「滓と贅肉はどう違うのか」聞いてみた。彼女は即座に「無駄なエネルギーということでは同じ」と言ったのだが、なるほど。滓は骨、筋肉、内臓およびその周辺にたまり、贅肉は腹周辺にたまるということかもしれない。蠕動で滓がほぐれれば、贅肉が取れないわけはない。

・大山元動ぜず、白雲おのずから去来す

 体を動かすのが動功、坐って静かに瞑想するのが静功である。動功は究極的には静功をめざすのだと言う。精神の安定をはかりつつ、最終的には至高の境地に到達するのが目的と言われるが、瞑想に関しては、道なお遠しのわが身である。

 静かに坐って、緩密処、展彗中を実現する。大事なのはリラックスである。リラックスと一言でいうけれど、言うは易く行うは難し。リラックスしようしようとしてかえって全身を、あるいは体の一部を緊張させていることはよくある。まことに心は天邪鬼である。

 静功では椅子に坐っても、床に座り込んでもいい。私はむしろ坐禅を好んでいる。その方が緩密処を実現しやすいように思うからである。

 坐禅は結跏趺坐が理想的とされるが、私はどうしてもこれができず、半跏趺坐でやっている。この場合も両膝を必ず床につけることが大事である。腰に座布団や坐蒲(ざふ)を敷くのがいい。両膝と臀(密処)を結ぶ三角形で上半身を支える。肩と首をゆったりさせ、最初は少し前かがみになっている背骨をしだいに伸ばす。天中を頂点とする三角錐が気の安定した姿だと思われる。調身、調息、調心である。

 坐りばなは、邪気や雑念がむしろ湧いてくる。これは体が清められていると考えて、湧いてくるにまかせるのが正解である。無理に抑えようとするのはよくない。坐禅では「大山元動ぜず、白雲おのずから去来す」と教えている。雑念も邪気も自然に抜けていくのを「待つ」。雑念を追いかけない。たとえて言えば、車窓に映る風景をぼんやり見ている。ふりかえってその景色を追わない。

 あるとき、えらい坊さんが弟子を連れてリヤカーを引いていた。傍らを流れる川から「助けて―」と溺れる人の声が聞こえ、2人はあわてて川に飛び込み、浴衣姿の妙齢の女性を助け上げた。やわらかい腿にさわった弟子はすっかり興奮してしまい、リヤカーを押しながらも、心は千々に乱れた。そのとき師匠は「お前はまだ女の体に触っているのか」と言ったという。恐らくこれが煩悩の本質だろう。

 雑念を払い、気の流れがスムーズになると、自律神経や免疫機能が働きやすくなるのは確かである。これも坐禅・瞑想の大きな効果である。ふだん私たちは、この生理機能を妨害するようなことをしている。生理の働きに介入するのはよくない。カエサルの物はカエサルに、である。朱剛先生はよく「気にしない」ということを言われるが、「見ない」にこしたことはないのである。

 木下順二の戯曲『夕鶴』では、貧しい農民、予ひょうに助けられた鶴の化身、つうが恩返しに毎夜、部屋に閉じこもり、立派な織物を作ってくれるが、予ひょうがある夜、「見ないように」言われていた部屋をのぞくと、彼女は鶴になって飛び立ってしまう。象徴的な話である。そう言えば、ギリシャ神話の竪琴の名手、オルペウス(オルフェ)は冥界に落ちた愛妻、エウリディケーを助け出すべく冥界に赴くが、「地上に戻るまでは後に着いてくる妻をふり返ってはならぬ」との教えに背いて、帰還直前に振り向いたために、妻はまた冥界に引き戻された。

 瞑想では目をつむり、彗中で無限の宇宙を見るようにする。坐禅の場合は1~2メートルほど先の床に目を落とし、見るとも見ないとも言えない状態で一点を見る。目に力を入れる必要はないが、たしかにそこに目を落としていることが大事である。瞑想の展彗中に相当するように思われる。

 陰陽合気法の集中コースの時にもらったテキストに、彗中を広げることと密処を緩めることの大切さが書いてあった。「彗中は気功に対する特別感知器官の一箇所であるとともに、また、内外の気が往来する通路でもある。密処は、内気の通らなくてはならないルートなので、ターミナルのような存在である」とあり、「注意事項」として、「彗中を広げ、密処を緩めるとき、いずれも〝点着〟(穴を守ること)しないで、〝面顧〟(全体意識)すること。でないと、結果はよくならない」とも。

 密処も彗中もその周辺を含めてリラックスする。力むのは最悪である。無限の宇宙は暗いというより、ほのかに明るく、彗中が開くと、宇宙との一体感が生まれ、体をさわやかな風が吹き抜ける気がする。色や光も見えてくる。

 密処は「鉄の門」とも呼ばれるくらい、緩めるのは難しい。私には、それは「硬い蕾」のように思われる。先生の本には、密処が緩むと「尿意があるような、ないような」感じがすると書いてある。密処は、深くは地殻のマグマに達する道であり、また富士山の忍野八海、柿田川などの湧泉のような、気の泉ではないだろうか。

 密処と展彗中は同時に実現するようにする。そうしてこそ、体内の気は活発に動き出し、宇宙の気との交流も促進される。密処が緩めば(たとえわずかでも)、実際に尿意を催す。と言うより、股間全体が緩むことで、これまで尿を体内に押しとどめていた緊張がほぐれ、驚くほど快適に排尿できるようになる。「安っぽくなる」のは本意ではないけれど、年配の男性にとっては、排尿効果だけでも気功をするに十分値するのではないだろうか。

 若い女性にも、高齢の男性にも、もちろん若くない女性にとっても、ありがたい気功の功徳である。一時というか今でもマインドフルネスという健康法が話題になっているが、先刻承知のことのように思える。まさに、故きを温ねて新しきを知るということではないだろうか。