林「情報法」(51)

GSOMIAの情報法的意味

 第48回で紹介したGSOMIA破棄問題は23日の期限切れを目前にして、韓国政府が「破棄通知の効力を停止する」という玉虫色の暫定決着となりました。態度急変の最大の要因は米国の圧力といわれ、韓国自身の考え方が変わったわけではないようですので、今後も火種を抱えたまま推移するものと思われます。そこで今回は政治的な側面とは離れ、この問題を情報法の観点からみるとどうなるかを、まとめておきましょう。

・国内の秘密保護法制の整備が前提

 GSOMIAの重要性を理解するには、協定が定める手続き的な面を知らなければなりません。GSOMIAは国家間における機密情報の共有を定めるものですが、その前提にはそれぞれの国内において、国家機密が十分に保護されていなければなりません。日ごろ議論に上ることが少ない(マス・メディアもあまり取り上げない)特定秘密保護法の仕組みが、GSOMIAの前提です。

 どこの国にも国家機密の保護法があり、それが政府調達などの官民関係などを媒介にして民間にも準用されていくので、秘密保護法制の基本形になっています。ところがわが国では、長い間国家機密を守る法律が無く、民間に適用される営業秘密保護法制(法律としては不正競争防止法)の枠組みが、官庁にも準用されるといった「逆転現象」が起きていました。この倒立した関係を正常化した点に、特定秘密保護法の意義があります。

 しかし法律制定後も,その意義に関する国民一般の理解は極めて遅れています。平和憲法の下で「有事」に備えることを回避する傾向があるのが最大の原因ですが、同時にわが国の企業風土が人的関係を重視し,手続きを通じてシステム化を進めることに気乗り薄なことも深く関係しています。その象徴的な例が「マニュアル」を評価しないことで、デジタルネイティブの若者の間では,西欧的なマニュアル文化に対する抵抗は少ないのですが,世代が上に進むに連れて,「経験と勘」に偏りがちです。

 有体物が中心の時代、あるいは製造業が中心の時代にはそれで良かったかもしれませんが、インターネットのような情報システムがインフラになった現代では、手続きを重視し「誰がやっても同じ結果が得られる」ように、システム化することが不可欠と思われます。

 そこで準拠すべき規範は何かというと、やはり軍事情報やインテリジェンス情報を管理する基準に勝るものはないと思われます。GSOMIAは、両当事国が同レベルの秘密保護法制を有していることを前提に、国家間の情報共有を律する仕組みですから、情報管理の国際モデルともいえるものです。

・秘密管理の7原則

 そこでは,a) 取り扱う情報に軽重を付ける(classification)、b) 取り扱う人の資格を審査する(security clearance)、c) この両者の組みあわせでNeed-to-Knowがない限り当該情報へのアクセスを許さない、d) 情報の窃用・漏示を厳しく罰する、e) 秘密の取り扱いは期間を限定し必要がなくなれば直ちに指定解除する、f) 濫用を防止する内部統制の仕組みを整える、g) 外部に独立した監視機関を設置する、の7つの手順が定められています。( GSOMIA では相手国の主権を尊重するので、これらの原則が明文で規定されていなくても、暗黙の前提となっていると言ってよいでしょう。)

 ここで a) では,取り扱う情報を top secret,secret,confidential,unclassifiedに分けるのが一般的です。しかし米国では、unclassifiedの再分類が100種類近くになったので、新たにCUI(Controlled Unclassified Information)として再整理しつつあります。b) は一種の資格審査で、米国では資格取得者が再就職で有利になるなど、一種の合法的discriminationではないかとさえ言われています。

 a) b) において参考になるのは、やはり米国の実例です。連邦政府の情報管理体制を整備する法律(FISMA = Federal Information Security Management Act of 2002)を作り、CISO(Chief Information Security Officer)を必須ポストとするほか、自らに「情報行動規範」を課し、同時に政府調達等を通じて民間にもそれに沿った運用を求めます(Office of Management and Budget所管)。そして、NIST(National Institute of Standards and Technology)がSP(Special Publication)シリーズによって、具体的な手続きをマニュアル化する、といった形で情報管理を手続面から枠にはめています。

 c) は、これらの背後にある大原則ですが、これを強調しすぎると情報の共有が進まないため、Need-to-Shareとのバランスが必要だとの議論を呼んでいます。また d) 守秘義務違反に対しては厳罰を科しますが、e) 秘密の指定期間が過ぎれば速やかに指定解除する、ことが定められています。f) は内部統制、g) は外部統制の仕組みで煩瑣のように見えますが、秘密を管理するには、それ相応の体制が不可欠と理解してください。

 上記の7原則は,特定秘密保護法の制定によって,わが国でもやっと法的に認められるようになりましたが,まだまだ世間に広く知られていません。そこで、わが国の民間企業は、準拠すべき手順として、ISO(International Organization for Standardization)が定めたISMS(Information Security Management System)や、米国NISTが推奨するSecurity Frameworkなど国際的なものや、わが国の内閣サイバーセキュリティセンターが定めた「政府機関等の情報セキュリティ対策のための統一基準(平成30年度版)」などを参考にし、あるいは準用しているのが現状です。

・秘密保護法制は「信頼」の制度化

 ここで大事な点は、このような仕組みは「一定期間に限り情報の流通範囲を制限する」ことが主眼であるため、「情報の扱いを面倒にして流通量を減らす」面があると同時に、「正当な手続きを経た扱いは責任を免れる」という効果をも有することです。情報は複製によってたやすく流通するので漏えいしがちなものですが、仮に流出が生じてもこの手順を守っていることを証明できれば責任を問われることはありません(故意犯の場合は別ですが)。つまり手順やマニュアルは、「信頼される当事者のみが情報を利用できる」ことを制度化し、その関係者間での共有を促進しているということもできます。

 しかし、このような理屈が、わが国の一部の人には理解してもらえないことも事実です。わが国には欧米並みのインテリジェンス機関がないため、それに関するリテラシーが欠けているからと思われます。マス・メディアなどでは 権力の恣意的運用による危険性を指摘していますが、その懸念自体はもっともです。しかし、それは本筋の理論ではない(危険性はないとは言えないが、運用をチェックするしかない)ということでしょう。

 例えば外交秘密のように「一定時期(例えば、交渉中)に限り秘密にし、できるだけ早期に公開する」という性格を持った情報が存在することは、認めるしかないでしょうし、企業にも同種の情報はたくさんあります。これは組織を運営したことがある人なら、当然知っていることかと思います。それを認めた上で、その管理をどうすべきかを議論しているのに、「存在そのものがけしからん」というのでは、話になりません。

 もっとも、公文書の破棄や改ざんなどが相次いでいる現状では、「信頼を制度化したら、その制度が悪用される」という疑念が生ずるのは、やむを得ないところでしょう。しかし、それを正す責任は有権者自身にありますし、「一定期間は秘密にするしかない」情報が存在することを前提に、「どのような手順や仕組みを設ければ濫用を最小化できるか」という面から、具体的に手続き論を進めるのが妥当だと思います。先の7原則の中で、f) 内部統制と g) 外部監視機関によるダブル・チェックの必要性を強調したのも、このような理解からです。

 私の立場は一見「政権寄り」ですが、その実「秘密の管理を徹底することで、秘密保持者の負担(責任)を加重する(原則 d)」や「秘匿の必要性がなくなったら可及的速やかに指定解除する(同 e)」ことを同時に主張しているので、その実「最も強硬な人権派」と理解していただければ幸いです。

・信頼がなければ協定があっても無意味

 さて、このような分析を踏まえて改めてGSOMIA問題を眺めてみると、最も大切な点は「日韓両国の間に信頼関係はあるのか」という疑問に収斂すると思わざるを得ません。「協定は信頼を制度化する」ものですが、「信頼そのものを生み出すことはできない」からです。手続きはあくまで手続きに過ぎず、実体として信頼関係がないところで協定を作っても「仏作って魂入れず」に終わるでしょう。

 その意味では、GSOMIAを議論することは、「将来の日韓関係をどうするのか」という大問題の1つのトピックに過ぎないと考えるべきでしょう。情報法においても同様に、「手続法がより重要」になるのは事実としても、「実体のない手続きは無意味」ということを暗示しているように思えます。

東山「禅密気功な日々」(9)

中村天風と心身統一法

 先日、中村天風財団・鎌倉の会が鎌倉商工会議所ホールでやっていた講演会に参加させていただいた。禅蜜気功鎌倉教室の仲間数人もいっしょだった。わりと若い講師が2時間半、10分ぐらいの休憩を入れたとはいえ、ずっと話しっぱなしで、しかも聴衆を飽きさせなかった。たいしたものだと感心した。話は、言わずと知れた中村天風の人生哲学の骨子、心身統一法(心が身体を動かす)である。

 中村天風という人について少し説明すると、すでに1968年、92歳で亡くなっているが、日露戦争当時、優秀な諜報部員として活躍、のちに肺結核を病んだのを機に渡米、世界放浪というか漫遊の旅のあと、インドのヨガ行者のもとでヨガを習得、心の持ちようがそのまま体に影響することを悟ったという。病は全快していた。帰国後、大道説法を始めたが、多くの政治家、軍人、財界人、文化人が師事するようになり、財団法人天風会を設立、その活動はいまに続いている。

 私が中村天風に興味を持ったのは、合気道師範でこれも故人の藤平光一の著書をいくつか読んでからである。彼は合気道を通して中村天風に弟子入り、後に「氣の研究会」を組織し、心身統一道、気の原理の普及につとめた。その氣(彼はこの字を使っている)の理論については後に紹介する機会があるあるかもしれないが、今はとりあえず天風会の講演である。

 講師は「観念要素の更改」という表現で、潜在意識に潜む消極的要素をいかにして積極的なものに変えていくかという実践法を話した。これはこれで納得のいく話だが、頭で理解するのと実際に活用するのはまるで別である(そう言うと、「信念がたりない」とお叱りを受けるのは必定だけれど……)。

 ただ、気功における瞑想は潜在意識の解放法だと言ってもいいのではないだろうか。以前、会報の原稿を書いたとき、『ホモ・デウス』、『サピエンス全史』という世界的ベストセラーを書いたイスラエルの歴史家、ユヴァル・ノア・ ハラリはヴィバッサーナ瞑想の修行を十数年続けており、1日2時間の瞑想をしていたことにふれた。『ホモ・デウス』を故サティア・ナラヤン・ゴエンカ師に捧げており、謝辞で「(ヴィパッサナー瞑想の)技法はこれまでずっと、私が現実をあるがままに見て取り、心とこの世界を前よりよく知るのに役立ってきた。過去15年にわたってヴィパッサナー瞑想を実践することから得られた集中力と心の平安と洞察なしには、本書は書けなかっただろう」と書いている。瞑想なくして、動物→サピエンス→ホモ・デウスという世界の度肝を抜いたような歴史観には到達できなかったと思われる。

 ところで、鎌倉天風会はときどき鎌倉駅近くの妙本寺で日曜行修会をやっている。天気がよければ境内、雨が降れば堂内でやるのだという。禅密気功としても、本部教室、鎌倉教室とはやや離れて、一般の人にも広く開かれたサークル活動のようなものができるといいと思っているのだが、問題は場所探しである。天気がよければ外、雨が降れば室内、練功のあとは講師の話も聞けるような場が持てると理想的なのだが……。

 

古藤「自然農10年」(5)

稲刈りに遠方から一族集い収穫祭

 新天皇の即位に伴い皇居で行われた大嘗祭(だいじょうさい)が話題になったが、新穀を神にささげて五穀豊穣や国家安寧を祈る毎年の行事、新嘗祭(にいなめさい)が今は勤労感謝の祝日。11月23日、地域の神社でも収穫へのおごそかな感謝がささげられる。

 我が棚田の稲刈りも、真新しい鎌を使い、晴天の日を選んで朝露が消えてから始めた。株元を左手で握りしめ、右手に持った手鎌の刃先を地面近くの稲株に当てて一気に引き切る。サクッと小気味よい音がなんとも良い。しかも周りは黄金色の実り、心の底からうれしさが湧いてくる。

 古来、漢詩は、腹を手でうち足踏み鳴らす鼓腹(こふく)撃壌(げきじょう)と喜びをうたったが、今年は孫娘たち5人家族がやって来て初めての稲刈りを体験したので、夫婦2人暮らしの我が家も大いに賑わった。

 稲刈りの前は竹の切り出しが一苦労。細めの竹を杭にして太い数メートルの竹を横棹にして持ち上げる。運動場の鉄棒を竹で作ると思えばよい。刈り取った稲束をこれに掛けて天日干しする。娘一家がやって来る文化の日の3連休までに杭100本余、横棹10本余を軽トラに積んで棚田に運びこんだ。

 水田は離ればなれの3か所にある。自然農に出会った時、松尾靖子さんからそれぞれ広さ0.5畝(50㎡)の田と畑を貸してもらったことは既に紹介した。米と野菜の育て方はこの田畑で4年繰り返して学んだ。靖子さんの死がきっかけで米の自給を思い立ち、休耕田になっていた5反(5,000㎡)の棚田を見つけて借りた。田畑の規模は一気に50倍になったのだが、規模の拡大は意外に簡単。覚えた要領で作業の量を増やせばすむからだ。同時に新規就農者の申請もして、農業委員会と糸島市に認められた。

 この時、自宅近くで耕作放棄地になっていた0.5反(500㎡)の田んぼも借りた。棚田だけでは新規就農に必要な条件5反にわずか足りなかったためだ。だから現在、水田は3か所の計2反。鍬、手鎌だけの自然農ではこの広さが限界だ。それでも600坪、1,200畳だからやはり広い。

 稲刈りには1年前の稲わらも欠かせない。保存した昨年の稲わらで、刈り取った稲を束ねる。ワラ3、4本で稲束を括くる作業は指が痛くなったりワラがぷつんと切れたりで最初は難しかった。適度に湿らせて切れないようにし、今では10秒くらいで1束が括れる。

 娘家族の稲刈り体験は結局、お弁当を囲んだお昼が中心で(写真)、実際に稲刈りを手伝ったのは娘婿と中学2年の長男だけ。娘と2人の孫娘は、妻の指導でもっぱらサツマイモ掘りに興じた。男組の体験でこの日夕方前までに終わらせた稲刈りは棚田の隅っこ30畳分ほど。それでも娘一家は軽トラの荷台で林道を走って大興奮するなど、自然を満喫して芋や米のお土産を積んだワゴン車で賑やかに大阪へ帰っていった。

・米からパンに変わる食生活 

 娘は家庭用の精米機を買って、私が送る玄米を1回分ずつ精米し孫たちも喜んで食べてくれるが、その消費量は少ない。一家の朝食は毎日パン、パスタの夕食も多いようだ。共働き夫婦なので朝は家事に追われ、ご飯とみそ汁の朝食は敬遠される。農水省の資料をネットで検索してみても、国民1人当たりの米の消費量はこの50年で半減した、とあった。

 別のグラフを目にした時はもっと驚いた。2人以上世帯の家計調査で2010年から2013年にかけて米とパンへの出費が拮抗し、2014年から折れ線グラフが交差してパン購入代の方が多くなる。そのグラフの形は、専業主婦の家族数が次第に減って共働き夫婦の家族数に追い抜かれるグラフの交差とまったく同形だった。

 専業主婦が減るにつれてパンへの支出が増え、共働き家族の方が多くなった2014年以降はパンへの支出が米を追い抜いた国の現状を示していた。朝6時前には起きて台所、洗濯作業をすませ、孫娘と保育園へ駆け出すように家を出る娘の日常が正にグラフの形、数字として現れていた。2,000年、米に馴染んだ日本人の食は急激に変貌しつつある。

×  ×  ×

 私たち夫婦には娘の下に2人まだ結婚しない息子がいる。長男は山形、次男は東京、大阪の娘ともども大学への進学で家を離れたままだ。都会に就職や進学で子供が出て行き、教育費の見返りもないまま後継者のない限界集落の家族状況と構図的には同じである。

 しかし、山村支援で住むことになった尾花沢でスイカ農家として根付いた長男が娘家族と同じ日に帰郷、彼らが帰った後も1週間滞在して稲刈りすべてを手伝ってくれた。その長男が明日は帰るという前日、たまたま出張だという次男も帰郷して1夜だけ合流。次男のワインで思わぬ親子4人の収穫祭となった。それもこれも老後農業と稲刈りの恵み、ありがたく感謝するばかりである。

新サイバー閑話(34) <インターネット万やっかい>①

はじめに

 これから始めるシリーズ<インターネット万(よろず)やっかい>は、サイバーリテラシー提唱以来念頭にありながら、取り扱う範囲があまりに広く、浅学菲才の身ではとてもカバーできないと、長らく放置してきたものである。どこかの財団あたりが総力を上げて取り組んでしかるべき課題でもあると思うが、『ホモ・デウス』を読んだ時は一時的に大いに発奮し、サイバーリテラシー協会を組織し、ハラリを顧問に迎えたいなどと夢想したものでもある(ホモ・デウス⑭)。

 それぞれのテーマは複雑にからみあっており、いずれも個々の研究分野、あるいは専門家の見解としてはすでに指摘され、改善策が必要だともされているようだが、具体的な制度設計になると、どこからどう手をつけていいのか、関係者の意見もさまざまで、とりあえず問題の指摘だけに終わっている(問題を先送りにしている)ことも多いのではないだろうか。

 その現状を断片的ではあるが、俯瞰して提示できれば、少しは意味があるのではないかと、ぼつぼつ書き始めることにした。拙著『インターネット術語集』的な、エッセイに毛が生えた程度の読み物で、古風な表現を使えば一老書生の手慰みだが、コメント欄などを通して、最新事情にもとづくご意見なり、ご感想なりいただければ、大変ありがたく、また議論を深めることもできるだろうと思う。

 取り上げるのは以下のようなことがらである。

 それ自体は結構なことだけれど、それによって生じた新たな矛盾を解決できないことがら。
 技術(インターネット)が現実世界の長所を失わせ、矛盾を拡大することがら。
 本来取り組むべき課題がよく見えないために、あるいはあまりに多忙な日々の作業の中で、身近な小さな矛盾解消でお茶をにごしがちなことがら。
 地球温暖化のように個別に対応できず、また早急に対応しなくても当面生きていけるという安心感から、とかく等閑視されがちなことがら。
 既存の秩序に安住していても自分の代は大丈夫だろうと、支配層が真剣に取り組もうとしないことがら。
 サイバー空間(ネット)の行動様式が現実世界に持ち込まれ、既存の秩序が混乱していることがら。

<はじめに>

 2000年ごろのWeb2.0をインターネットが持っていた潜在的可能性が花開いた画期だとすると、2015年ごろ以降はインターネットの抱える潜在的問題点が顕在化しつつある時代と言えるのではないだろうか。本シリーズでは、これをWeb3.0と呼ぶことにする。

 2.0ではIT企業主導でインターネットのプラス面が強調されたが、3.0ではむしろインターネットが社会にもたらすマイナス面を見極め、それにどう対処すべきなのかを、周知をあげて考えるべき時だと思われる。

 2.0をあえて上からの動きだと考えれば、3.0は下からの動き、突き上げが必要になってくるだろう。巨大IT企業がいよいよ躍進する中で、社会に、学者や研究者や技術者に、あるいは現場で奮闘する人びとやユーザーである私たちに、3.0を遂行する力があるのかどうか。

 これはイスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリが『ホモ・デウス』で提起した問題とも重なる。本シリーズでは、折々の出来事を振り返りながら、IT社会のやっかいな問題とは何か、私たちはそこでどう生きればいいのかを少しずつ考えていきたい。 

古藤「自然農10年」(4)

自然農の環境はあまりに過酷

 松尾靖子さんが遺した自然農の営農を継いだ山﨑雅弘さん(35、糸島市在住)は年中休みがない。月、木の出荷日はとくに忙しく早朝から畑へ。冬へ向かう今の季節は間引き菜が中心でカブや白菜、ダイコン、ニンジンなど。風味豊かで喜ばれるが摘むのに2、3時間かかる。自宅に持ち帰って納屋で形を整え、計量して郵パックにする。秤は小から大まで5種類。午後3時までには郵便局に持ち込まねばならない。

 包装に使うのは朝日の古新聞、親戚の販売店からもらう。梱包もスーパーの空箱、食品や飲料水用を使い、匂いが心配な洗剤や薬系の箱は避ける。お客が負担する送料も上がった。縦横高さの長さ合計が80センチの段ボール箱にして最も安い荷造りにする。段ボール紙の手書き名札を苗用ケースに入れて床に並べ、顧客ごとの仕分けするやり方などすべて靖子さんを踏襲している。

 毎週2,000円、2,500円の箱詰めを送るお客が中心。店頭野菜の倍近い値決めだが、月80箱を出荷した最盛時でも年間売り上げは200万円を超える程度。品質に自信と誇りを持つ自然農だが、多品種でも少量で、農協ともつながらない零細な経営だ。

 山﨑家では、がんと分かった一人暮らしの義母の世話と半年後の死別、まだ4歳の次男の育児に加えて、7歳の長男が入学直後から学校に馴染めず不登校になる状況も重なって十分な出荷が出来ず、この2年間は売上額が半分近くに落ちてしまった。今、契約する顧客数は20余人である。

 雅弘さんと妻のエリカさんは高校生からの同級生。自然な流れで一緒になった。雅弘さんがデザイン会社で毎日、広告やポスターをパソコンで作る生活に行き詰まりを感じ、取材で訪ねた靖子さんの輝く笑顔と自然農の世界に惹かれて研修生になった。服飾の仕事とノルマで同じように疲れていたエリカさんも抵抗なく180度の人生転換を共に選んだ。

 種まきから苗づくり、出荷まで靖子さんのすべての作業を1年間、働きながら学んだ研修。週1日の休日だけで、無給である。2人とも実家は農家ではないから、畑や家の基盤もゼロ。自立に必要な納屋付きの農家を購入する資金はすべて雅弘さんの両親に頼った。そして靖子さんの死で畑7反(2,100坪)の半分を受け継ぐことになったわけだ。

 靖子さんの夫、重明さんは、自然農がまだ奇人扱いされた頃、靖子さんと集落との間で苦労したせいか、今も自然農には近づかず、別の田んぼで無農薬の米づくりだけを続けている。しかし、靖子さんの葬式後、遺された畑と顧客への出荷を山﨑さんらに引き継がせるためすぐに動いた。地代は無料、希望する間は使ってよいという無償提供だった。

 28歳でゼロからの農業を学び、7年目にはいった雅弘さん。現実は厳しいが畑に立つ生活は生きている実感と喜びがあり、永続可能な農業はこれしかないという誇りがある。顧客からのメールにある感謝の言葉を喜び、月数万円の実質収入は楽ではないが、暮らし方に不満はない。農薬や機械を使う農業に変えるくらいなら農業をやめて勤め人になった方がまだよい、と話した。

畑の山﨑雅弘さん。冬前の苗植えは少しも遅らせられない

 もう一人、靖子さんの畑を継いで自然農の営農をする元研修生は2度の取材に応じてくれたが、その後、今回は記事にすることをやめてほしいと電話で伝えてきた。丁寧な言葉づかいと敬語を省かない、いつも通りの話し方であった。両親の支えもあり、生活保護の受給にも満たない実質収入で営農を続けているが、改善するめども立たない今を紹介されるのは断りたい、続けないこともありうるからということであった。

 フランス、イタリアなど西欧諸国は高い自給率を保ち、人の命を支える農業が尊重されている。割高でも無農薬や品質の良い農産物を選ぶ客の映像を目にすることも多い。ひるがえって日本はどうか。効率優先と利益を追求する市場経済が農業にも押し寄せ、農産物の価格は農業者の事情にお構いなく相場が決める。

 山﨑さんは農業者と認定されていない。靖子さんの営農の畑が昔、ミカン畑を開墾したもので書類上の地目が林野のままであるという理由だ。農業者でない山﨑さんは、だから1坪の農地を購入することもできない。私が最良と信じる自然農を取り巻く環境はあまりに過酷である。

林「情報法」(50)

漫画村事件に見るインターネットの曲がり角

 前回は、いわゆる「漫画村事件」をめぐる諸問題のうち、違法著作物のサイト・ブロッキングや「通信の秘密」に関連するテーマを中心に報告しました。それは、学術会議のシンポジウムが、そのような問題意識の下で行なわれたからです。しかし本問題が示唆する論点には、インターネットの基本理念に再考を促すような、大きな問題提起が含まれています。

・権利者や管理団体の立場と、意見の分断

 まずは、著作権に関しての補足です。学術会議のシンポジウムの出席者は「著作物の利用者」側に立つ人が多く、何らかの事情で「審議会やロビーイング勢力の多数派を占める『著作権を所有権に準じて考える派』の出席者が少なかったか、ボイコットされたことを暗示する」と述べました。このような参加者の偏りのため、私が期待していた「立場を超えた公開討論」とは程遠いものになってしまいました。

 そこで、権利者や著作権管理団体の立場を聞きたいと思っていたところ、情報通信学会の研究会の1つで、そのような機会がありました。報告者はJASRAC(日本音楽著作権協会)の外部理事を経験されている玉井克哉教授(東大先端研)で、TPP(Trans Pacific Partnership)協定への高い評価や、著作権管理団体の役割への期待など、学術会議のシンポジウムでは聞けなかった視点を提供してもらい、大いに参考になりました。

 しかし、不思議な発見もしました。シンポジウムに出た田村教授(東大法学政治学研究科)が強調した「tolerated use」(寛容的利用)を、玉井教授も現在の著作権制度は「権利主張を控える目こぼしが前提」になっているとして、是認しているように見えたからです。また私がシンポジウムで強調した、「著作物は占有できない」ことにも、両者とも異論がないようでした。ところが、政策として何が必要かとなると180度意見を異にするように見えたことは、私の理解を超えていました。

 どこかで「ボタンの掛け違い」があったものと思われますが、今や著作権実務の世界と著作権法学の世界は共に、「権利重視派」と「自由利用派」に分断されたかの感があるのは、残念なことです。しかも、その分断が「インターネットは無法地帯」という誤解を生みだしかねないのは、さらに困ったことです。ごく最近も、インターネットの世界では著名なエンジニアから「著作権をめぐる混乱が、インターネットの信頼性そのものへの懐疑を生んでいる」という強い懸念の声を聞きました。

・インターネットの「自律・分散・協調」の限界と、代替案の不在

 このような事態になったのは、インターネットの側にも問題があります。初期のインターネットは「自律・分散・協調」の理想を掲げ、それを原理主義的に推進してきた感がありました。John Perry Barlow (Electronic Frontier Foundation の共同設立者)が起草し、インターネット商用化直後の1996年に発表された「サイバースペース独立宣言」は、「国家はインターネットの領域に入るべからず」と、「治外法権」を高らかに宣言するものでした(https://www.eff.org/cyberspace-independence)。

 こうした「インターネット原理主義」に近い主張は、翌1997年の「通信品位法」により(一部は憲法違反で効力を停止されましたが)、インターネットに流れる情報に関しても、伝統的な言論に関する法が適用されることを確認したことによって、否定されました。その翌年1998年の「デジタル・ミレニアム著作権法」は、ISP(Internet Service Provider)に、違法コンテンツのnotice-and takedown を義務化しました。これはISPがコモン・キャリアであっても、「違法情報を認識しつつ放置する」ことは許さないとするものでした。これらの法定化によって「サイバースペースの自由領域」は次第に制限され、逆に「インターネットは特別な領域ではなく、従来の法律が適用される」という理解が広まっていきました。

 しかし国内法においても、インターネットのガバナンスや、そこで運ばれる情報の扱いに関して、何らかの規律を定めるという試みは、なかなか進みませんでした。その原因としては、市場原理を取る国々では規制は一般的に忌避される傾向にあること(と、次節で説明する産業融合という現象)に加えて、以下のような国際分野における特殊事情が働いていたからと思われます。

 それは、『グローバリゼーション・パラドクス』(白水社、2014年)の著者であるロドリックの「トリレンマ(三方一両得ではなく、三者鼎立は不可能)」という概念です。邦訳者の1人である柴山教授によれば、その考え方は以下のように要約されます(訳者あとがき)。

「本書の核となるアイディアは、市場は統治なしには機能しない、というものだ。(中略)市場と統治という視点に立つと、グローバル経済が抱える根本的な問題が見えてくる。グローバル市場では、その働きを円滑にするための制度がまだ発達していない。全体を管理するグローバルな政府も存在していない。一国レベルでは一致している市場と統治が、グローバルなレベルでは乖離しているのだ。貿易や金融は国境を越えて拡大していくが、統治の範囲は国家単位にとどまっている。ここにグローバル経済が抱える最大の『逆説』がある、というのが著者の問題意識である。

 グローバリゼーションのさらなる拡大(ハイパーグローバリゼーション)、国家主権、民主主義の 3 つのうち 2 つしか取ることができない、という本書の『トリレンマ』に従うなら、今後の世界には 3 つの道がある。①グローバリゼーションと国家主権を取って民主主義を犠牲にするか、②グローバリゼーションと民主主義を取って国家主権を捨て去るか、③あるいは国家主権と民主主義を取ってグローバリゼーションに制約を加えるか、である。」

 その結果、「インターネットは民主主義と同義に近く、国家主権よりも優先する価値がある」と考える西欧先進国は ③ を取り、「国家主権あってのインターネット」と考える中国・ロシア等の国々は ① を取るため、インターネットに関する国際秩序の形成がほぼ不可能になっているのです。

・メディア産業のPBC分類の限界と、融合法制の難しさ

 米国を代表とするインターネット先進国で、規制よりも自由を好む気風がなくならなかったのは、資本主義を信奉する国家間では当然であり、良かったといえるかもしれません。しかし、そのことが漫画村事件など、これまでの産業分類でいえば「新聞・放送・通信」の3分野にまたがるサービスが出てくると、「より規制が緩いルール」を適用せざるを得ない(つまり無法地帯になりかねない)という欠点につながっていきます。

 それは、「新聞・出版(Press)」「放送(Broadcasting)」「通信(Communications)」の3つのメディアが、産業秩序の基本がそれぞれ違っていることで垣根を作っていたのに、インターネットによる産業融合で次第に境目がなくなりつつあるという歴史を反映するものだからです。この三者の規律を、経済的規制(参入・退出や、料金規制などconduitに関する規制。以下 Cdと略記)と社会的規制(contentに関する規制。以下Ctと略記)の2つの面から分類したのが以下の表で、これは私が『インフォミュニケーションの時代』(中公新書、1984年)で定式化し、PBC分類と呼んだものです。 表が示す意味を箇条書きにすれば、次のように要約されます。

① 最も古いメディアである新聞・出版(P型)には、Ct規制もCd規制もないので、「言論の自由を最もよく保障している」ものと理解されてきた(Marketplace of Ideasも、これを念頭に置いたものと考えられる)。
② この対極にあるのが放送(B型)であり、Cd規制(電波の割り当て)Ct規制(番組編集準則)の両面の規制を受けるが、これは電波の希少性に由来し「規制によってこそ公共の福祉が実現される」ものと理解されてきた。
③ この両者に対して通信(C型)は、Cd規制は受けるものの、Ct規制は受けない(というよりも、そもそも通信の内容にタッチしてはならない)ものと理解され、「通信の秘密」は、そのような立場に特有の責務とされてきた。
④ ところがここに、PCBいずれの型にも収まらず、これらを融合した機能を持ったインターネットが登場したので、これをどの型に当てはめるか、あるいは新しい秩序を構築すべきか、検討する必要が出てきた。

 実は1984年の出版の時点では、未だインターネットは研究者仲間のマイナーなネットワークに過ぎなかったので、④ は将来の課題としておくことで十分でした。ところがその後1990年代半ばにインターネットが商用化されたので、これを表に付加すると、「Cdはあるが、Ctはない」つまり「参入・退出などに若干の規制はあるものの、社会的規制としてコンテンツの扱いは自由」ということかなと思っていました(確たる自信がなかったので、?を付けていました)。

 インターネットの進展とともに、この問題は次第に重要になってきたのですが、今日まで確固たる成果は出ていません。それは、インターネットが「情報処理(Data Processing)」産業の出自を持っているために、「コンピュータ産業は製造部門もサービス部門も、一度として政府規制を受けたことがない」という史実があり、また産業人がそれを誇りにしている、という事情が強く影響していると思われます。

 しかし、果たしてそれでよいのか、漫画村事件はその点を突き付けていると思われます。インターネットの本質はマルチメディア化、すなわち「メディアとメッセージが自由に結びつく」ことにあるので、「P型産業ならこの規律、B型なら別の規律」という切り分けができません。しかも境目のなさは、企業内や国内といった伝統的な境界も超えてグローバルに広がっていくので、産業秩序もグローバルな合意を得なければ実効性がありません。

 厄介ですが、私たちは現実を直視して、「この制度化に知恵を出した国がデジタル時代をリードすることになる」との期待を込めて、努力を惜しまないことが必要かと思われます。

新サイバー閑話(33)<令和と「新選組」>⑤

義を見てせざるは勇なきなり

 三重県伊勢市の市美術展で隅に小さく中国人の慰安婦像を組み込んだ「私は誰ですか」と題する作品が出展不許可になった。作者のグラフィックデザイナー、花井利彦さん(64)によれば、慰安婦像は最近の「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」の騒動を受けて制作したもので、クロを背景に赤く塗られた手のひらと白い石が大きく描かれ、左隅に慰安婦像が小さく配されている。

 この事件は地元の中日新聞が10月31日朝刊 1面で大きく報じたが、花井さんの言によれば、最初作品を持ち込んだ時は、主催関係者も慰安婦像とは気づかなかったらしい。彼が慰安婦像を挿入した意図を説明すると主催者側の態度が硬化、結局、10月29日から11月3日までの期間中に展示されることはなかった。花井さんは「市側の検閲で、憲法違反だ」と強く抗議している。

 同美術展は市、市教委などが主宰し、市民から絵画、書道、彫刻などの作品を募集、展示するもので、花井さんの作品は自らがつとめる運営委員作品として持ち込まれていた。

 芸術の秋である。

 全国各地で行われている、どちらかというと出品する人も見物する人も高齢者が多い、ささやかな展示会の話だが、市の言い分が大いに気になる。同紙によれば、市教委の課長は「あいちトリエンナーレで注目を集めた『平和の少女像』と、それに伴う混乱を予想させるとして、慰安婦像の写真の使用を問題視した」と言っている。11月2日付同紙では同展運営委員長が「市民の安全を第一とした市の判断に従わざるを得なかった」と述べている。

 あいちトリエンナーレでは脅迫やテロ予告などもあったけれど、今回はそういう動きはなかったようである。市は何を恐れ、何から市民を守ろうとしたのだろうか。

 美術展の意義は何か、地方自治体の文化的取り組みは如何にあるべきかといった本質的議論は抜きに、「市民の安全が脅かされる」というよくわからない漠然とした理由で、「臭いものにフタ」をした事大主義的発想が問題だと思われる。最近よく聞く「税金を投入したイベントだから政権の意向に反すべきではない」という、これも妙な考えも反映しているかもしれない。

 関係者の思惑を「忖度」すると、「慰安婦像を認めると、時節がら問題になるんじゃないの」、「とりあえずやめとこう」という軽い気持ちで、結局は、表現の自由を侵すような強権を発動したように思われる。この思考の軽さと結果の重さのアンバランス(その間のコミュニケーション不在)。これは安倍政権が推し進める諸政策の特徴でもあるが、それが「遠隔忖度」の波に乗って地方都市に押し寄せているということではないだろうか。

 今回は当の花井さんが強く抗議したから公になったけれど、彼が黙っていれば、それで終わった話でもあるだろう。安易に表現の自由を制限してしまうような、重苦しい「空気」はこれからどんどん各地に波及していく可能性が強い。これも前回の語り口を借りれば、「もうすでに一部で起こっているかもしれない」。

 表現の自由をめぐる一連の動きとしては、川崎市で開催した「KAWASAKIしんゆり映画祭」で、やはり旧日本軍の慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画の上映がいったん中止になったが、これをめぐる関係者討論会がきっかけで最終日の4日に一転、上映された経緯がある。

 どう考えてもおかしいと思う、あるいは自己の信念・信条に反することがらに対して、現場でひるまず立ち向かう勇気が、いま私たちに求められているのではないだろうか。「義を見て為(せ)ざるは勇なきなり」(論語)である。