東山「禅密気功な日々」(29)

オンライン瞑想教室に参加

 11月下旬のある日、江戸川橋の日本禅密気功研究所本部教室で実施された瞑想教室にZoomで参加してみた。朱剛先生から招待のURLを送っていただき、9時半にはスタンバイ。教室にはかなりの人が参加していたようだが、オンラインでは私のほかにもう1人参加者があった。

 カメラアングルも教室全体がうまくおさまり、先生が坐っているときも、蠕動しているときもほぼ全体が俯瞰できるように設定され、マイクから流れる先生の音声も明瞭に聞こえた。本部教室でみんなといっしょに先生の話を聞き、蠕動したり、瞑想したりするのとは違うと思うが、それなりの臨場感もあり、個人的には久しぶりに参加した瞑想教室で得るところがあった。こんな具合に受講できるのなら3日間参加したいと思ったほどだが、あいにく前日から風邪をひいていたこともあり、1日だけの参加で終わった。

遠方に住んでいる人や外出が難しい方がオンラインで気功教室や瞑想教室に参加するのはそれなりの効果があるように思われる。先生によれば、中国からの参加者もいるという。

東山「禅密気功な日々」(28)

蟷螂の尋常に死ぬ枯野かな

 俳人、芭蕉の第一の高弟とされる宝井其角の句である。蟷螂はカマキリ。カマキリはメスより小さいオスがメスの背中に乗って交尾をする。それが終わると、メスは首を後ろに向けて、当のオスの頭をガリガリと噛んで食べてしまう。私はその現場を見たことはないけれど、ネットで検索すれば、その動画やメスの背中に止まったままの頭のないオスの写真を見ることができる。

 この句は、三木成夫『胎児の世界 人類の生命記憶』(中公新書、1983)で知った。そこには「交尾を終えたカマキリの雄が、そのまま雌にかじられていく光景に、実りを終えた草が葉を枯らせていく光景をだぶらせて」詠んだ句と説明されていた。「尋常に死ぬ」という表現が心にひびく。

 三木成夫はすでに30年以上前に亡くなった解剖学者で、東京大学医学部や東京医科歯科大学で研究・講義をしたあと東京芸術大学教授となった。経歴からしてユニークだが、その研究がまた独創的、かつ画期的だった。

 彼は専門である人体解剖学の研究を進める中で、人も動物も植物も、そのすべてが何十億年も前の地球上に偶然生まれた原生生物から派生したもので、進化の過程を自らの細胞の中に今もなお記憶しているとして、それを「生命記憶」と名づけた。彼によれば、私たちの細胞そのものが地球の、さらには太陽系のリズム(宇宙のリズム)を内包している。

 三木は「個体発生は系統発生を繰り返す」というエルンスト・ヘッケル(19世紀ドイツの生物学者、哲学者)の説を受け、あらゆる生物には「原形」というものがあり、それは原生類から人類まで進化してきた何億年もの「記憶」として個々の体内に蓄積されていると主張した。「巨視的に見ればこの原形質の母胎は地球であり、さらに地球の母胎は太陽でなければならない」、「私たちの細胞の一つ一つはちょうどモチを小さくちぎったように、小さく区切られた地球だと考えるよりないわけです」。

 太古の海に最初の原形質が生まれたのが30億年前で、そのあるものは少なくとも5億年前に脊椎動物の祖先となった。海の魚は何十万年も何百万年もかけて行われた造山活動の過程で陸に打ち上げられ、その環境の変化に適応して進化した。最大の試練が「上陸」である。水中と空中では重力が6倍になる。寒暖の変化も激しい。多くは死に絶え、あるものは海に戻り、あるものは両生類から爬虫類へ、そして哺乳類、人類へと姿を変えていく。

 だから「かれらの体内には、生まれながらにして、『宇宙リズム』が内蔵されており」、「思いきった言い方をすれば、われわれの祖先の太古の原形質は、みな地球から分かれたひとつの〝生きた衛星〟である。したがってその集合体である生物の個体もまた一個の星であり、かれらはすべて〝母なる大地〟と臍の緒で結ばれている」。彼は「この問題の指針はただひとつ、それは、卵巣とは全体が一個の『生きた天体』ではないか、ということだ。いや、この地球に生きるすべての細胞はみな天体ではないか……」とも書いている。

 その宇宙リズムは、地球が太陽を回る24時間と月が地球を回る24時間50分という2つのリズムからなる。あらゆる生物は、植物も動物も、「食の相」と「性の相」という2つのリズムで生きている。

 たとえば一年生草花は春に芽吹き、成長し(「食の相」)、秋には稔りの季節を迎え(「性の相」)、種を残し枯れていく(冒頭の写真は、どこからともなく飛んできた風媒花の種子)。サケは故郷の川で生まれて太平洋へと下り、そこで腹いっぱいの栄養を蓄える(「食の相」)。そして時至ればただ一筋に故郷の川をめざし、滝を乗り越え、産卵し受精させる。「性の相」を終えたサケは細菌に侵され白骨化して自然に還る。

 人類は文明を発達させ、自然に逆らう生き方を模索しているけれど、この宇宙リズムから逃れることはできないというのが三木の言いたかったことのように思われる。「われわれの細胞一つ一つが、生きた衛星ではないか、ということになってくるのです。星であるから命令されなくてもちゃんと太陽系の運行のリズムを知っている。‣‣‣。ひろく生物のリズムと宇宙的なリズムとは目に見えない糸で繋がってくるのではないだろうか。人間の体のリズムと天体のリズムが調和したとき、‣‣‣、これこそ生のリズムと宇宙のリズムが調和した生物としての本来のすがたではないかと思うのです」。

・胎児は「上陸期」の苦難を追体験する

 彼はニワトリの受精卵を使って研究していた時、その卵が4日目に急に弱り、その段階で死んでしまうものも多いことに気づいた。ところがこの「苦難」に耐えた卵はまた元気になり、どんどん成長を続けた。その胎児の変化をつぶさに観察するなかで、三木はこれこそかつての「上陸期」の苦難の再現ではないかと洞察した。

 突き動かされるようにして彼は、友人が集めてくれた標本の胎児を解剖して、人の場合は、受胎32日から1週間で、何億年という時代の経過を繰り返すことを〝突き止め〟た。1億年におよぶ上陸のドラマが受胎1か月後の1週間に繰り返され、人類はえらで呼吸するフカから肺で呼吸する哺乳類へと変化するのだという。母胎につわりが始まるのもこのころらしい。

 その経過は『胎児の世界』などに詳しいので、付け焼刃の紹介はこの辺でやめるが、彼はそういう研究をバックボーンにして、自然と人間のかかわりあい、そこでの植物と動物の連続と相違などユニークな考察を公表した。

 その見解は、解剖学を離れて、東洋医学(漢方や鍼灸)、老荘や仏教の思想、民俗学、伝統芸能、さまざまな呼吸法など、広く深い学識に裏打ちされている。とくに生物の「原形」に関しては、ドイツの文豪ゲーテの「形態学、Morphology(ゲーテの造語)」に多くの示唆を得ているという。

 彼は生前、『内臓のはたらきと子どものこころ』(築地書館、1982、後に『内臓とこころ』と改題されて河出文庫として出版)と『胎児の世界』の2著しか公刊しておらず、1987年には60歳すぎで世を去った。名声は死後大いに高まり、その独創的研究をめぐって多くのシンポジウムが開かれ、遺稿集や講演録などが次々に出版された。

 冒頭に掲げたカマキリの句は『胎児の世界』以外にも、折にふれて言及されており、『海・呼吸・古代形象』(うぶすな書院、1992)に収録された論考の中では「この俳人の眼には、昆虫の死も、それは、草木の枯れと同様、ただ、天然自然の理に従ったまでの尋常のものとして映し出されたのであろう」と書いている。

・三木成夫の世界と禅密気功

 三木の洞察は、気功に親しむ者にとって多くの示唆を与えてくれるだろう。

 たとえば呼吸である。彼は「呼吸のリズムは‣‣‣、あの波打ち際の、ザザーと寄せて、そしてサァーと引いていく、あの波のリズムです。それこそ宇宙的なリズムではないでしょうか。お釈迦様の呼吸の教えはこのことではないかと思っております」と書き、また別の個所では「この数百万年にもおよぶ水辺の生活の中で、いつしか刻み込まれたであろう浪打のリズムが、私にはどうしても人間の呼吸のリズムに深いかかわりがあるように思えてならないのです。……。このことは心拍のリズムもまた海のうねりとは無関係でないことを教えてくれる」とも述べている。

 私たちが日々実践している呼吸法のもとは波のリズムなのである。これも三木の著作で紹介されていることだが、調和道開祖の藤田霊斎は九十九里浜の海岸で波浪息という呼吸道を体得したという。波打ち際に一人たたずむとき、寄せては返す波の音に心癒される思いをした人は多いだろう。

 禅密気功と朱剛先生の教えとの関連でも思いつくことは多い。

 本連載を単行本としてまとめた『健康を守り 老化を遅らせ 若返る』(サイバーリテラシー研究所)PARTⅡの<1>「古人の知恵・気・現代科学」では、「気は神羅万象、たとえば人間、人間以外の動物や植物、海や山にも流れている」と説明、朱剛先生は「気は昔の人びとの宇宙感でした。万事万物は気で組み合わさってできていて、それを分解すると気になる。気というものは眼に見えないし、耳にも聞こえないし、触れても感じない。しかし存在していると考えていました。身体も気で構成されており、身体を細かく分解すると気に返る、だから心身の健康は気と密接に繋がっていると考えました」と述べている。

 このくだりは、三木成夫が説く「宇宙リズム」と符合する。さらに先生は「意識と健康、環境と健康、食事と健康などすべては気と繋がっており、気を整えることによって、健康になるだけでなく、良い人生を送れるとも考えていました」と言っており、三木がなお存命であれば、大いに賛同してくれると思われる。

 ほかにも、たとえば蠕動のとき、「体を波のように動かす」というのは、宇宙のリズムに身をゆだねることであり、「慧中を通して無限の宇宙を見る」ことは、それに共鳴することでもあろう。

『胎児の世界』まえがきの冒頭にはこうある。「過去に向かう『遠いまなざし』というのがある。人間だけに見られる表情であろう」。また『海・呼吸・古代形象』に収められた「動物的および植物的」という論考では、動物と植物のありようを対比して述べたくだりで、ロダンの「考える人」と広隆寺の弥勒菩薩の2つの彫像を対比させ、ロダンの彫刻では、「感覚―運動」の動物相が全面に出て、人間のみに宿る「精神」の機能(「近」への志向)が表現されているが、弥勒菩薩には植物相(「遠」への志向)が全面に出ている、と分析している。「〝あたま〟を押さえるものがなく、胴体も手足も、筋肉はのびやかに、‣‣‣、微笑を浮かべた口許には、小宇宙を象るような指の輪が添えられ、‣‣‣。宇宙リズムと秘めやかに共振する植物系の、その内に深く蔵されたこころを、表わそうとしたものではないか」。

 ここは、動物相に支配された「あたま」、植物相ゆかりの「こころ(心臓)」という解剖学的図式を背景にしており、とかく「あたま」が「こころ」を支配しがちな人間に対する批判的目があるのだが、「慧中を開く」ことについて先生が「慧中が開けてはじめて、自然と『微笑み(歓び)は心の底からとめどなく湧き上がる』」という状態になれます。慧中が真に開けば、心身は改善され、悟りが開け、智慧が湧いてきます」と言っているのを思い出すと、また興味深い。

 陰陽合気法では、頭上に太陽、雲、風、月、星などすべての宇宙エネルギーを気のボールとして意識することをめざすが、もう一度、三木の言を引けば、「ひろく生物のリズムと宇宙的なリズムとは目に見えない糸で繋がってくるのではないだろうか。人間の体のリズムと天体のリズムが調和したとき、‣‣‣、これこそ生のリズムと宇宙のリズムが調和した生物としての本来のすがたではないか」ということになる。

 拙著のPARTⅠで「晩夏の三浦海岸」、「青空に浮かぶ夏雲」、「繁茂するノウゼンカズラ」の写真を使ったけれど、三木成夫の世界を知るにつれて、何気ない選択のなかにそれなりの必然性があったのではないかと思えてきたりもするのである。

 蕪村の次の2つの俳句を上げたことにも、一種の感慨を覚える。

春の海ひねもすのたりのたりかな
菜の花や月は東に日は西に

 思想家の吉本隆明は『海・呼吸・古代形象』の解説で、三木成夫の仕事をカール・マルクスや折口信夫に匹敵するものと絶賛、この著者をもっと早く知ればよかったと嘆いているが、それが1992年の段階である。それから30年、ようやく私は三木成夫という碩学の存在を知った。三木成夫の存在を教えてくれた友人、T氏に深く感謝すると同時に、己の不明を恥じつつこの項を書いた(三木成夫の文の引用は『胎児の世界』、『海・呼吸・古代形象』、『内臓とこころ』のほか、『生命とリズム』=河出文庫、による)。

・野口こんにゃく体操の極意

 最後に、三木成夫の著作をいくつか読む中で知った、これも気功と大いに関係のある「野口こんにゃく体操」についてふれておこう(野口晴哉を祖とする野口整体とは別)。

 三木成夫と同じころ、東京芸術大学に野口三千三という有名な先生がおり、音楽や美術の学生の基本素養として「こんにゃく体操」として知られる「野口体操」を提唱していた。こんにゃくの名の通り、体をぐにゃぐにゃにして、重力に逆らわずにぶらりとぶら下げるように動かしたり、前後左右にゆすったりする。これも築基功の動きに通じると言えるだろう。

 「人間の潜在的に持っている可能性を最大限に発揮できる状態を準備すること」を目的としており、ウィキペディアによると、野口は体操の優秀な指導者だったが、教え子を戦地へ送ってしまった呵責の上、自身も身体の不調を来たした。舞踊の道を志すなどの試みのうちに、重力などに抵抗するための筋力を鍛えるよりも、むしろ力を抜いて身体を動きや重さに任せることが、力や素早さなどを引き出せることを発見したという。

 野口の身体イメージは「生きている人間のからだは、皮膚という伸び縮み自由な大小無数の穴が開いている袋の中に液体的なものがいっぱい入っていて、その中に骨も内臓も浮かんでいる」というもので、東京芸術大学でたまたま居合わせた三木成夫とは肝胆相照らす仲だったらしい。

 野口体操の極意もまた禅密気功、とくに蠕動の心得として大いに参考になると思われる。

東山「禅密気功な日々」(27)

「病邪の実を瀉す」

 これまでも2度ほど東洋医学(鍼灸)の「虚実補瀉(病邪の実を瀉し、正気の虚を補う)」という言葉にふれたけれど、作家、宇野千代の『天風先生座談』(廣済堂文庫)に、中村天風がエジプトのカイロでたまたま会ったインドの行者についてネパールの山奥に行き、長年の病を治した経験が語られている。

 行者はすぐにでも病から解放される方法を教えてくれると思ったのだが、幾日たっても何の音沙汰もない。2カ月を無為に過ごし、しびれを切らした天風先生が「いつになったら教えていただけるのでしょうか」と聞くと、行者は「大きな水飲みの器に水をいっぱい入れてこい」と言った。持っていくと、今度は「湯をいっぱい持ってこい」、「その湯を器にそそげ」と言う。「そんなの無理ですよ。水も湯もこぼれるだけです」と天風がたまらず抗議したとき、行者はこう言う。

お前をつれてきた翌日からでも教えたいと思ってじっと見ていると、お前の頭の中はな、私がどんなことを言っても、そいつをみんな、こぼしちまう。さっきの水のいっぱい入っているコップと同じだ。お前の頭の中に役にも立たない屁理屈がいっぱい詰まっている以上、いくらいいことを言っても、それをお前は無条件に受け取らないだろう。受け取れないものを与える。そんな愚かなことは、俺はしないよ。

 天風が心底、納得した姿を見た行者は、「今夜から俺のところへ来い。生まれたての赤ん坊のようになってな」と言った。

・「蠕動+筋トレ」の真意

 禅修行のときなどでも同じようなことを言われるようだが、頭をカラにしておかないと、新しいものは入ってこないということである。虚実補瀉は、これが体にも言えることを示している。筋肉を発達させ、若々しく蘇生させるためには、まず長年の間にたまってしまった滓を取り除く必要がある。高齢者トレーニングは「マイナスからの出発」だと言ったのはそのことである。

 体が錆びついたままいくら重いダンベルを上げても、筋肉は相変わらずしぼんだままで、けっしてパンプアップしてくれない。逆に股間ストレッチや呼吸法などを実践している人が、筋トレをしていなくても、その肌が水々しく、また筋肉も引き締まり、若者のようにしなやであるのを見て驚いた人もいるはずである。

 気功(蠕動)で筋肉の滓をほぐし、それを体外に排出する、次いで筋肉トレーニングをする。これが「蠕動+筋トレ」の真意である。スポーツ教室に行っても、筋トレだけでなく、エアロビクスやウォーキング、ヨガ、ストレッチなどをやれば、滓ほぐしの効果があるから、それでもいいわけだが、私の経験では、毎日蠕動をやったうえで、ときどき筋トレをやれば、年老いてからもけっこう若々しい肉体を保つことができる。

 もっとも老いは日々降り積もる。滓ほぐし≧降り積もり、でないとなかなか思うようにはいかない(^o^)。

新サイバー閑話(47)<令和と「新選組」>⑦

新庄剛志と山本太郎

 プロ野球日本ハムの新監督に新庄剛志が就任することになった。元阪神や日本ハム、米大リーグで活躍した個性豊かなこの人が「監督」になったのは大方の意表をつく出来事だと思うが、「正直、自分が一番びっくりしている。僕でいいのかなという思いの半面、僕しかいないなって。日本ハムも変えていくし、プロ野球も変えていくという気持ちで帰ってきた」という就任の弁はさわやかである。「これからは顔を変えずにチームを変えていきたい」とも言ったらしい。

 数年のブランクを経て国会に戻ってきた山本太郎には将来の総理をめざしてほしいが、新庄の語り口をまねれば、「ぼくでいいのかなという思いの半面、僕しかいないなって。国会も変えていくし、日本も変えていくと」という気構えで。

 前回、山本太郎およびれいわ新選組に対するメディアの取り上げ方がずいぶん控えめだったことにふれたけれど、11月6日の東京新聞におもしろい記事が出ていた。

 選挙期間中、ツイッターで各党首の投稿がどれだけリツイート(転載)されたかを調べた調査によると、れいわの山本太郎が18万7000回で圧倒的に多く、ついで共産党志位和夫委員長4万1000回、自民党岸田文雄首相3万6000回、国民民主党玉木雄一郎代表3万5000回などとなっている。立憲民主党の枝野幸男代表は1万8000回と少なかった。

 ツイッターに投稿した回数自体が、山本太郎167回、志位和夫120回、岸田文雄77回などと山本太郎が圧倒的だった面もあるし、転載は支持者間だけに止まっている傾向も強く、これらの数字が主張が広がったという意味での「拡散力」を示しているとは必ずしも言えないけれど、ネット空間におけるある程度の人気のバロメーターにはなっているだろう。

 新庄の去就に多くのメディアが集まったように、多くのメディアの目が今後は山本太郎およびれいわ新選組の行動に注がれてほしいとふと思ったのである(敬称略)。

新サイバー閑話(46)<令和と「新選組」>⑥

れいわの時代が始まる!

 今回の総選挙で、山本太郎をはじめとして、れいわ新選組の3人が議席を得たことは大いなる朗報だった。

 選挙結果全体をみれば、56%に満たない低い投票率はともかく、その中での自民党の安定多数確保、立憲民主党の大幅議席減、日本維新の会の議席3倍増と、野党共闘がさっぱり振るわず、むしろその票が維新に流れた構図で、維新を自民党の補完勢力と見れば、むしろ現政権の基盤は強まったとさえ言えるだろう。

 コロナ対策の不手際、相変わらずの金権体質、不誠実な政治姿勢などから、久しぶりに政権交代も話題になった選挙前の空気からすると、意外なほどの尻すぼみである。野党共闘不振の原因が野党第一党たる立憲民主党の枝野幸男代表にあるのは間違いないだろう。得難いチャンスを逸したわけだが、選挙直前にれいわの山本代表がいったん東京8区から立候補すると宣言しながら直後に取り消し、比例に回った経緯の中にも、枝野代表に野党共闘をまとめる度量も見識(ビジョン)もなかったことは明らかなように思われる(共産党との共闘が間違いだったわけではもちろんないが……)。

「枝野は野党のアンシャンレジーム(旧体制)」と言った友人もいた。いま野党(左派)に要請される資格として「想像力」と「創造力」をあげた文化人類学者がいるそうだが、これからの時代を見据えた想像力(イマジネーション)と創造力(クリエイティビティ)を兼ね備えたリーダーは、山本太郎以外にはいないように思われる。だからこそ、山本代表とれいわ新選組の活躍に期待したいが、それ以上に自民党に対抗する野党全体の戦線を組みなおすことが急務だろう。

 それにしても選挙前、選挙中を含めて、マスメディアの報道はれいわ新選組にずいぶん冷たかったように思われる。街頭活動の動画を見ていると、聴衆の山本太郎に対する熱い連帯が伝わってきたし、SNSではいろんなジャンルの識者、タレントがれいわへの応援メッセージを送っていたけれど、そして全体として(選挙区と比例あわせて)れいわは255万余票を獲得しているわけでもあるが、メディアでの露出はあまりにも少なかった。と言うより、れいわが担おうとしている政治活動に関する想像力自体が欠けているように思われた。

 私が駆け出し記者のころ、研修を受けた横浜支局の支局長から「ニュースとは時代の波がしらがはねたものである」と聞かされ、現役時代を通してそれを信条としてきたけれど、この波がしらがはねるのを目撃しながら、それを面白がる野次馬精神がまったく感じられなかったし、ましてや「波がしらをはねようとする」迫力はまるでなかったようである。

 立憲民主党の枝野代表は11月2日の党執行委員会で、敗北した責任をとり辞任する意向を表明、同党は執行部を刷新することになった(3日追記)。