新サイバー閑話(116)<折々メール閑話>57

「混沌の先の激変」が可視化させた「明るい闇」

 B ユーチューブなど SNS以外ではほとんど無名だった石丸伸二氏は都知事選で若者、無党派層の大量票を集めて、選挙後はテレビをはじめとするマスメディアの寵児へと変身しました。テレビや新聞の手の平を返すような対応はいかにも日本的な変わり身の早さですが、では今回の石丸善戦の意味は、となるとあまり深い分析はされていないようです。当の石丸氏は当選直後のインタビューでテレビ局側の場当たり的な質問に独特の話法でけむに巻くなどしており、これにはテレビ局側の批判も起こったけれど、喝采を叫ぶ声も強かったですね。

A 石丸氏自身がエリート銀行員出身で、考え方の基本が日本維新の会に近い新自由主義的傾向をもつことについては、前回すでに話題にしました。各地で精力的に街頭演説を行い、それがユーチューブでどんどん報道されることで集めた金は3億円に上ったと、彼自身が出演したテレビの「TVタックル」で話していました。SNS恐るべし、ではありますね。

B 石丸氏は政党本位の選挙図式の枠外に置かれ浮遊していた無党派層、若者層を選挙の場に呼び込んだという点で、一種の「トリックスター」だったと言えます。トリックスターには詐欺師、ペテン師という意味もあるけれど、ここでは原義の「神話や民間伝承などで、社会の道徳・秩序を乱す一方、文化の活性化の役割を担うような存在」(広辞苑)という意味で使っています。もっとも、これが「文化の活性化」なのかどうか、これが今回のテーマでもあります。
 問題はこの若者層、無党派層が今後、政治にどのような形で参加していくのか、あるいはいかないのかということですね。前回も紹介した知人がOnline塾DOORSの第1回読書会で都知事選を総括する報告をしてくれました。というわけで、都民でもあるこの知人に特別にゲスト参加してもらい、都知事選、とくに石丸現象を総括してもらうことにしました。

C 私はインターネット上の情報を丁寧に(才覚をもって)探せば、がれきの中にも価値ある情報が多く存在することを示す「情報通信講釈師」を自称しています。したがって、今回の都知事選に関しても、ネット上の言論を渉猟して紹介しつつ、あわせて私の見解もお話したいと思います(下図は読書会報告のPPTファイルの1画面。北川高嗣・筑波大学名誉教授の評価で、既存政党の混乱ぶりを鋭く指摘している)。
 都知事選での上位3人の候補に対する私の評価は<1位小池:現職の立場を利用し、組織票を固めた老練な悪徳政治家、2位石丸:間接的に金を払ってYouTuberを使い若いネット民の心を巧みに掴んだが、安芸高田市では典型的なパワハラ上司タイプで訴訟されている、3位蓮舫:現職批判に徹し過ぎ、何をやるのかを明確に示せていなかった>となります。私自身はこれ以外の候補に投票しました。
 石丸躍進については、作家・古谷経衡さんの日刊ゲンダイ「石丸伸二氏を支持した『意識高い系』の空っぽさ」という論考が出色だと思います。まず「石丸氏は自己顕示欲や承認欲は旺盛だが、具体的な知識や教養が伴わないため、キラキラした空論しか言えない典型的な『意識高い系』である。 彼の2冊の著書『覚悟の論理』、『シン・日本列島改造論』から分かることは、コスパ(コスト・パフォーマンス)、つまり合理性と効率、損得勘定がすべてで、彼のコスパ最優先の世界観は都内の若年有権者に響いた」と分析しています。
 さらに「損なこと・無駄なことはやらない。得だと思えば最短で結果が出る戦略を実行する。要は弱者切り捨ての正当化であり、自己責任論の亜種である」と断じ、「 出口調査では、10代~30代の若年層から強く支持されたことが明らかになっており、若者に限ったことではないが、コスパとタイパ(タイムパフォーマンス)が社会をハック(うまくやり抜く)する必須の道具と理解している」と書いています。

B なるほど、鋭い分析ですね。とくに今回選挙で躍り出た若者の精神風土についての考察は考えさせられます。以前、このコラムでも紹介したけれど、某大学教授が「最近の若者は寅さんのおもしろさがわからない」と嘆いていたのを思い出します。若者の感性がもはや日本の伝統と切り離されているというか。

C 古谷氏は、彼らについても今の若者は 2時間を超える映画を見ることができず、15分に短縮したファスト映画が横溢し、本や記事を読むことが苦痛で、要点だけをまとめた『見出し記事』で何かを分かった気になっており、議論より『論破』を好む。こうした知的怠惰の層は確実に増えており、ユーチューブなどのまとめ動画にふれたのがキッカケで石丸支持に向かった者も多い。彼を支持した西村博之氏、堀江貴文氏らのメンツを見れば、支持層の知性水準がおのずと明らかである、と。

B これまで選挙や政治と無縁に生きてきた若者がユーチューブのスター、石丸氏によって政治の場に引きずり出されたわけで、だから彼らは小池氏に投票しなかった以上に、既成野党に支えられた蓮舫候補に見向きもしなかった。そういう意味では今回、可視化された若者の参加はプラスとも言えるが、内実を見ると、きわめて心配な点がありますね。

C 古谷説の説明が長くなりますが、彼は「石丸の大番狂わせは政治不信の結果なのだろうか。否である。既存の政治家が何を言い、何をやり(あるいはやらないか)すら、自分で調べることが面倒で小難しいと考えている人々が石丸を支持した層の主体である。世の中に全く無関心というわけではないが、民主主義に参加する際の最低限度の作法すら身に付けておらず、具体的な知識も持っているわけではない──。こういう空っぽな連中には、『石丸程度』がちょうど良かったというだけではないか」と核心を突くことを言っています。

B 思わず、うーんと唸ってしまいます。ここには長い間の日本の教育行政が反映している。大学では人文科学より手っ取り早く金が稼げる工学系を重視すべきだとか、政府批判をするような学者や大学は排除するとか、学術会議を政府寄りに改組すべきだとか、長い間の文教教育のいびつさが生み出した奇形的学生が増えているわけで、中立というのは政府の考え方に従うことだとマジメに思っている学生も珍しくないとか。
 寅さんではないけれど、泥臭さ、一生懸命さが一番嫌われる。こういう若者と石丸氏の嗜好はぴったりかも。マスメディアの軽薄さについては後に触れますが、ユーチューブなどで論陣を張っている人にも、こういう若者に受けそうな軽薄な人が多いように思います。
 ちなみに古谷氏が「意識高い系」という言葉を使っているところが興味深い。「意識が高い人」とはむしろ逆の存在で、ウイキペディアでは、<自己顕示欲と承認欲求が強く自分を過剰に演出するが相応の中身が伴っていない人、インターネット(SNS)において自分の経歴・人脈を演出して自己アピールを絶やさない人などを意味する俗称」と説明しています。<本当の意味で意識が高い人の表面的な真似に過ぎないため、「系」と付けられている>ともあり、この「系」というのがいかにも現在の精神状況を反映しているように思います。

A 古谷氏はれいわ新選組が代表選挙をやったときに立候補した人ですね。

B そこで、前回も書いたように、今回ともかくも投票所に行った若者たちが今後、れいわ支持に向かうのか、石丸氏など維新の風潮になびいていくのかはきわめて重要ではないかとも思ってるんですね。
 ユーチューブ大学の中田敦彦氏との対談やテレビ「TVタックル」での発言を見ていると、「自民党政治の密室性を排する」とか、「国政には当面関心がない」とか言っていて、しっかりした印象も受けるけれど、突然、論理的には「明日地球が破滅する可能性もないわけではない」という意味で、「国政進出の可能性もある」、「広島一区とか」というふうなメディアが飛びつくようなことを言って敢えて波風を立てようとするなど、人間的な誠実さは感じられないですね。

C 橋下、ホリエモン、東国原などの人とは知的レベルが違うかも知れませんが、品性の無さは同程度かと思います。「論語と算盤」の観点からすれば、算盤ばかりで論語を勉強していない、片手落ちの人間なんだろうと思います。そうでなければ、一夫多妻制とか遺伝子組み換え人間といったことを早計に口にすることはないと思いますね、ましてや公共の電波を使って。

A 「義理と人情が、たとえわずかであっても、金絡みの世の中を救っているんだ」(宇江佐真理『髪結い伊三次捕物余話』の主人公、伊三次のセリフ)に共感する身としては、算盤だけの石丸氏には大きな違和感を感じます。

B 現代日本社会が抱えている大きな滓(氷山)の一部が一気に浮上したというか、可視化した印象があります。ここをよく考えないといけないですね。しかも、北川先生の言うように、蓮舫陣営は「完敗の説明も整理もできない」呆然自失の状態です。泉健太代表をはじめとする立憲民主党は、たとえ党首をすげ替えても、蘇生に向かえるかどうか。

C 文化放送「大竹まことゴールデンラジオ」で大竹まことが「選挙が終われば普通は沈静化するのに、今回は石丸伸二がメディアで引っ張りダコみたいな現象になっている」と指摘しつつ、こんなふうに述べていました。「これまで自公政権がずっと社会を引っ張って来たけど、何十年も低迷していて、給料も上がらない、誰がやっても良くならないという諦めムードの中、イキのいい人が出て来た。今までの政治は組織票が強く、若者の意見は届かない。そこに、この人は何を考えているんだろう?どうしたいんだろう?と年寄りも若者たちも、石丸現象を不思議に思っている」と。
 日刊ゲンダイは都知事選・都議補選の結果で与野党にショックが広がっており、その一因として連合会長の言動が問題だとして、以下の発言を紹介しています。

・ 選挙前後の芳野友子連合会長の言動に立民、共産、蓮舫が猛反発中しているが、連合会長が共産党排除を言う資格があるかは疑問である。労働組合は賃金引き上げのために組織されたものだが、企業が550兆円以上の内部留保を持つ中、連合はアクションを起こさず、労働貴族化している(精神科医・和田秀樹) 
 ・連合は一体どこを見ているのか? 労働者を代弁する組織なのか? 野党を応援しているのか? 第2経団連を目指しているのか? 第2自民党か? 自民党の手下のように振る舞ったり、立ち位置がさっぱり分からなくなっている。連合の動きが野党に対する誤解を招き、ひいては国民にとってマイナスに作用している (政治ジャーナリスト・角谷浩一)

 私としては、自民党トップと会食する連合芳野と大手マスコミ各社トップが日本の政治・経済の低迷化を加速している元凶だと思いますね。

B いよいよマスメディアが登場しました(^o^)。今回はっきりと可視化されたのがメディアの悲惨な状況でもありました。その象徴的事例として、ここでは朝日新聞政治部記者K氏の蓮舫批判というか、これが政治部記者なのかと根本を疑わせるケースに触れておきます。
 K氏のⅩの書き込みは右の通りだが、文字起こしすると、こうなります。「ザ蓮舫さん、という感じですね。支持してもしなくても評論するのは自由でしょう。しかも共産べったりなんて事実じゃん。確かに連合組織率は下がっているけれど、それは蓮舫さん支持しなかったかではないでしょう。自分を支持しない、批判したから衰退しているって、自分中心主義が本当に恐ろしい」。
 芳野連合会長が「蓮舫陣営は共産党から支持されたことで票を逃した」と余計な横やりを入れたのに対して、蓮舫氏が「小池氏を支持した人に言われる筋合いはない」と反論したことに対して、茶々を入れた投稿ですね。小中学生なみの書き方「じゃん」。
 こういうことを朝日新聞政治部記者が書くようになった。本コラム53回でやはり朝日新聞編集委員の朝日デジタルでの書き込みを取り上げたけれど、あれも新聞記者の素質を疑わせるものでした。いまの朝日新聞にはジャーナリズム精神と無縁のこの種の記者が過半を占めるのではないかとさえ思わされます。
 先日、ある会合で汐留シティセンターの42回レストランから朝日新聞社屋を望む機会があったけれど、再開発ビル群に囲まれた朝日新聞ビルのなんと小さく見えたことか。後ろに広がるのが築地市場跡地ですが、その再開発事業を推進するのは、明治神宮外苑再開発も手がける三井不動産を代表企業とするグループで、構成企業にはトヨタ不動産、読売新聞グループ本社、鹿島や清水建設、大成建設、竹中工務店、日建設計、パシフィックコンサルタンツとともに朝日新聞社も名を連ねています。
 前回、「組織のトップが無能であると、自分の非力を補完する有能な人材を回りに集めるのではなく、むしろ自分の地位を脅かす有能な人材を排除し、自分を忖度して動いてくれる、あるいは自分の地位を脅かさない無能な人材を集める」と、組織における「無能移譲の原則」とも言うべき〝法則〟にふれたけれど、朝日新聞はこのところどんどんダメになりつつ、いよいよダメな人間を培養してきたのだと思います。
 もちろん、それは自民党にも、野党にも、企業にも言えますね。小林製薬、東京モータースなど世襲企業の名がすぐ浮かぶけれど、日本の政治をダメにしたのが世襲議員でもあります。

A 新聞記者劣化の一つには、貴兄の若き記者時代に於ける田中哲也氏のような、先輩記者に恵まれなかったこともあるかも知れませんね(㊸、『混迷の先に激変の兆し』補遺として「これが新聞記者だ 反骨のジャーナリスト田中哲也」を収録、アマゾンで販売中)。
 氏の任侠三部作は好きな歌です。またスナックで歌おうかな(^o^)。ちなみにこれもときどき本コラムに登場してもらう友人のH氏も記者の劣化を憂いて、「朝日は戦前戦中に回帰するのか!」と嘆いていました。

B 以前、「『安倍国葬』に見る日本の明るい闇」(『山本太郎が日本を救う』所収)をテーマにしたことがあるけれど、戦前の「暗い闇」とは違い、ある意味ではもっと絶望的な「明るい闇」がいま日本を覆っているといえますね。
 僕が心配しているのがこの地滑り的流動化が、これまで山本太郎やれいわ新選組が営々として掘り起こしてきた無党派層、若者層の政治への掘り起こしを促進する方向に働くよりも、むしろ引きはがしに向かうのではないかということです。
 ちょっと気になるのが選挙後の20、21両日に共同通信が行った世論調査で、れいわ新選組の支持率が3.3%と前回(6月22、23日)の5.1%より減り、次期衆院選での比例代表制で投票する政党では3.0%とやはり前回の4.4%より減っていることです。
 自民の裏金問題がピークのころ、次期選挙では自民激減、立憲大幅増という予測もありましたが、あのころ(と言っても数カ月前)までは人びとの意識に政権交代への幻想があったけれど、事態はまたがらりと変わりつつありますね。

A 我々としては、地道にやっていくしかないですね。昨日は事務所のポスターを張り替えました。 

[空気を読まない馬鹿にしかこの国は変えられない]
[世界に絶望してる?だったら変えよう]

 誰が考えたのか実に力強いメッセージですね!山本代表の顔はますます風格を感じさせます。
 グループラインでれいわサポーターズ三重の仲間からいいねの大絶賛。参加した時は40名弱だったけれど、今では総勢60名を超えました。何よりも皆若くて、30代から40代前半のメンバーが多いのが強みです。活動量も多く、中でも女性陣ががんばっています、主婦も多い。

B 海の向こうではとうとうバイデン大統領が次期大統領選からの撤退を表明しました。土壇場まで引きずったことの痛手は大きいけれど、ともかくも彼は撤退を決断した。民主党も新大統領候補、カマラ・ハリス副大統領を支援する態勢を立て直し、トランプ候補に堂々と対決してほしいですね。

新サイバー閑話(115)<折々メール閑話>56

小池都知事3選と健闘した石丸候補の危うさ

B 7月7日投開票の東京都知事選は現職の小池百合子氏3選で終わりましたが、考えさせられることの多い選挙でした。石丸伸二候補は無党派層、無組織層の票を吸収し、蓮舫候補を上回る2位となりました。とくに若年層の支持を集め、それも関係してか投票率が60.6%、前回の55%に比べると5ポイントも増加しました。
 本コラム53回のタイトルは「混沌の先に激変の兆し」で、これを『山本太郎が日本を救う』第3集のタイトルにもしています。外野席からひそかに期待した「小池知事3選阻止」はかなわなかったとは言え、まさに「激変」したと言っていいでしょう。
 小池知事は裏金自民の支援を表に出さない戦略で、現職の強みを生かしつつ、実際は自民党、公明党、さらには組合の連合などの組織票を固めて292万票を得ました。これに対して小池都政リセットを掲げた前立憲民主党参院議員、蓮舫候補は立憲民主党と共産党のやはり組織層を基盤にして闘い、無党派層の支持を獲得するのには失敗しました。
 ここだけを見ると、既存の選挙パターン、大票田の無党派層を枠外に置いて繰り広げられる組織本位の選挙戦と同じです。そこでは保守が強く革新はじり貧、その外側に存在する無党派層、無組織層、若年層はむしろ選挙に無関心で、したがってどんどん投票率も低くなり、選挙そのものが形骸化すらしていたわけですね。

A 蓮舫応援に立ったのが立憲の野田佳彦、枝野幸男といった古色蒼然たる顔ぶれだし、共産党は組織そのものが高齢化しており、これでは利権政治の自民党に勝てるわけがないですね。

B そこに新風を巻き起こしたのが石丸候補でした。安芸高田市長としての活躍ぶりに興味を持ち、選挙中盤の街頭演説に多くの聴衆が集まるのを見て、一時は打倒小池百合子の期待を抱いたほどでした(写真は新宿での石丸候補と聴衆)。彼はたしかに無党派層、若年層の支持を集め、それが蓮舫を上回る166万票も獲得した理由です。蓮舫候補の128万票をたすと、294万票で、わずかではあるが、小池票を上回っています。小池百合子が勝ったとはいえ、内実を見ると、圧勝とは言えないですね。
 しかも、4、5位にほとんど無名だったIT専門家の安野貴博、医師・作家の内海聡の各氏が入っており、この2人の票をあわせると、4位の田母神俊雄候補を上回る27万余票です。安野、内海両氏の得票も既存の保革対決の図式を外れたところに選挙民の関心がある証拠ではないでしょうか。都知事選の詳しい投票分析が待たれますね。

A 既存の組織中心の選挙から離れようとする兆候が見られ、その最大の証拠が石丸善戦でしょう。石丸候補の周辺には橋下徹氏など維新の影がちらついて敬遠気味でしたが、石丸陣営が選挙前に日本維新の会に選挙協力を申し出ていたことも選挙後に明らかになり、さもありなんと思いました。

B ここが注目すべき点ですね。石丸候補の参謀は維新に近い人だとも言われていました。既存組織とは一線を画した新しい勢力として台頭、安芸高田市長時代からのユーチューブファンを中心に若者の支持も集めたけれど、それでも小池打倒とは行かなかった。だから個人的には、彼の役割は終わった感じがしますが、問題はむしろその先にある。今回、石丸候補を支持した若者は、今後どこに向かうのか。
 山本太郎は既存の政党には吸収されない無関心層、あるいは若者層に働きかけて新しい政治をやろうとしているわけだけれど、都知事選ではれいわ独自の候補を立てず「静観」の態度をとりました。
 今回、石丸候補は多くの若者層の関心をとらえたけれど、これを別の観点から見ると、若者の関心が石丸候補を媒介としてさらに保守の方向に流れる危険を感じます。れいわ支持層をはぎ取って保守へと回帰させる恐れもあるのではないか。したがってこの「激変」はれいわにとって大いに警戒すべきではないかとも思うわけです。
 選挙中に流れたいろんな番組のなかで、たとえば「ユーチューブ大学」の中田敦彦氏との対談などを見ていると、古い密室政治と一線を画する考えに感心することもあったのだが、選挙後は新たな「政治屋」の誕生という面が浮き彫りになっているのは、大いに残念というか、幻滅ですね。もっとも、彼が日本のマスメディアのダメさ加減をあぶりだしてくれたのはプラスだったと言えます。

A くだらない質問をするメディアを一刀両断で切り捨てる態度には快哉を叫びたいところもあったけれど(^o^)、若い女性アシスタントの質問を頭から無視してバカにする一方で、橋下徹氏などには下手に出るなど、人間的な誠実さを疑わせました。

B 知人で最初から石丸候補に「維新の臭い」をかぎ、さらばと言って蓮舫では勝てそうにない、いっそ自分が信じるまっとうな人に投票しようと、内海聡候補に投票した人がいます。選挙リテラシーということを考えると、2位の候補に投票し小池打倒をめざすのがいいけれど、もはや小池3選阻止は無理と考え、意中の人に投票したわけで、これはこれで見識とも言えます。そういう人が安野さんに投票した人も含め27万人いたということでしょう。
 ところで、その知人が石丸候補独特の話法を皮肉った「マックの注文」というインターネット上の辛口パロディを教えてくれたので紹介しておきます。
 石丸氏には安芸高田市長選をめぐるポスター制作費をめぐって印刷会社から代金未払の訴訟を起こされ最高裁で負けたり、安芸高田市議から「恫喝した覚えはない」と訴えられた裁判でも高裁で敗訴するなど、これも橋下徹譲りなのか、訴訟されても平気という体質もあるようで、だんだん化けの皮がはがれてきたようですね。

A 彼には弱者に対する思いやりをいささかも感じない。これも橋下徹と同じ。山本太郎との大きな違いです。ポスター代金不払い訴訟では担当弁護士に「モンスタークレーマー」だと一刀両断されていました。
 共産党の友人が「今回の結果は、ジャーナリズムの責任と言うより、大衆の心理を見極めることが出来なかった立憲民主党と共産党の責任だと思います。私も蓮舫に期待していたが甘かった。大衆は強いヒーローを待ち望んでいる。特に10代〜50代。石丸にも橋下が出て来た時と同じ様に感じます」と言っていました。

B 都知事選で同時に行われた9選挙区での都議補選では、自民党は8人を擁立しながら当選は2人で、裏金自民への批判の風当たりは弱まっていないこともわかりました。
 石丸候補が今後どう政局に絡んでくるのか、もはやあまり興味もないのだが、むしろ大事なのはれいわの今後です。
 山本太郎は投票翌日の9日も栃木でのおしゃべり会に参加し、持論を展開しつつ次期衆院選に向かっての構想を話していたけれど、石丸候補によって掘り起こされた(とにかく投票に行った)無党派層、若年層が、石丸候補や維新の方向に流れないように一層の活動が必要だということになりますね。
 われわれも「貧者の一灯」を掲げ直して、次期衆院選でのれいわ国会議席20人以上を目指しましょう。

A 先の友人は「山本太郎と石丸伸二は月とスッポンです(!)」と言ってくれました。石丸氏は広島一区から衆院選出馬の意志もあるみたいですが、無脳キシダの代わりにとんでもないモンスターが誕生する恐れもありますね。

B あまり注目されなかったけれど、2022年7月8日は先の参院選最中に街頭演説中の安倍元首相が統一教会の信者2世の若者に銃撃された日です。奈良市で起こったこの事件については本コラムでもリアルタイムで取り上げましたが、あれから2年がたちました。統一教会問題に関しては、7月11日に最高裁で画期的な判決が出ています。信者が献金に際して「損害賠償請求をいっさいしない」と書いた念書は、「教団の心理的な影響下にあった」もので無効であると、下級審の教団勝訴の判決を破棄しました。こういう教団に対して時の首相がメッセージを送っていたわけで、この銃撃事件の裁判の行方も注目されます。
 安倍政権の膿はまだいっぱいたまっているわけで、都知事選で見えた「激変の兆し」を、政治を本道に戻す「兆し」にしてもらいたいものです。

 

新サイバー閑話(114)<折々メール閑話>55

国会無視の「集団的自衛権行使容認」から10年

 B 安倍内閣が閣議だけで集団的自衛権の行使を容認して、すでに10年がたちます。それまでの政府解釈では「集団的自衛権は憲法違反」だとされてきましたが、安倍内閣は2014年7月1日、国会の審議も経ずに、一内閣の決定だけでこれを覆したわけです。「非立憲内閣の上からのクーデター」とまで言われた暴挙だったわけですが、この決定により、日本は「専守防衛」から大きく舵をとり、「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、日本国民の権利や生命が根底から覆される明白な危険がある」場合は武力を行使できることになりました。
 本来、立法府である国会で議論し決めるべき事柄が、行政府である内閣によって安直に、そして恣意的に決めていいのだという風潮がこれ以来、一気に広がりました。悪貨が良貨を駆逐するように、民主主義的な政治手続きが骨抜きになり、国会を無視するばかりか、民意などどこ吹く風、大事なことは何も説明せず、不都合なことはあえて隠して、強引にことを運ぶという路線の上にここ十年、アメリカ追随の軍事大国化への道を突き進んできたわけです。
 安倍内閣は2015年にその閣議決定をもとに集団的自衛権行使容認を柱とする安全保障関連法を成立させましたが、この動きは岸田政権へと受け継がれます。2022年12月には、防衛力強化に向けた新たな「国家安全保障戦略」などの安保関連3文書が、これも閣議決定され、敵基地攻撃能力(反撃能力)保有も明記されました。また防衛財源確保法、防衛産業基盤強化法なども成立、武器輸出ルールの緩和も進んでいます。

A その安倍政権は2020年1月、当時「政権の守護神」とまで言われていた東京高検検事長、黒川弘務氏の定年を、これも突然、これまでの慣例を無視して閣議決定だけで「検察官の定年に国家公務員法は適用できる」ことにし、黒川氏が63歳の定年を迎える数日前に半年間延長することを決めた。半年延長する間に彼を65歳定年の検事総長に昇格させようという恐れ入ったごり押しです。

B 森加計問題や桜を見る会など安倍政権の強権政策への国民の批判を、検察当局に「身内」の人材を送り込むことで糊塗しようとしたわけですね。集団的自衛権容認のために法の番人ともいうべき内閣法制局長官の首をすげ替えたのと同じ手法です。
 この点については本コラム「日本を蝕んでいたアベノウイルス」(『山本太郎が日本を救う』所収)で取り上げ、以下のように書きました。

 なぜ安倍政治は短期間の間に日本をかくも無残な状態に陥れることができたのか。それは安倍晋三という個人の資質と大いに関係があります。一方に愚鈍というほどの無神経があり、他方に一国の首相という絶大な権力があった。この不幸な組み合わせが、他の人ならさすがにここまではやらないと思うような事柄を臆面もなく実行させ、しかもそれが実行された暁には、多くの人が「そういうことも許されるのか」、「それもありか」と安易に追随するという連鎖が起こった。それが「決断する政治」の内実です。ここには既成事実に弱い日本人の特性が大きく影響していると言えるでしょう。この結果、政治の世界のみならず、日本社会の隅々までアベノドクが蔓延しましたが、銃撃事件によってそれが国民の目に可視化されたわけです。

A 折りしも今年6月27日、検事長定年延長に関する文書の開示を求めた訴訟に対して、大阪地裁は「法解釈の変更は元検事長の定年延長が目的」だと明快に断じ、国に文書開示を求める判決を出しました。

B 今更ながらとは言うものの、まっとうな判断が出てほっとしました。従来の判決ではクロであるものをシロと言い含めるために、やたらに複雑な判決になりがちですが、すなおに考えればこういう判断になるしかないと思わされる明解な判決文でもあります。
 結局、この10年で日本の立憲政治は完全に空洞化したと言ってもいい。安倍内閣の罪はきわめて大きい。自分ではほとんど何も考えない岸田首相は、安倍元首相の路線上で対米追随外交をしゃにむに推進しており、日本の主体的外交というものはまったくない。訪米時にバイデン大統領の専用車に乗せてもらってにやついている岸田首相の顔は見苦しいですね。

A そのバイデン大統領もひどい。年末の大統領選をめぐるトランプ元大統領との最近の討論会では年齢的な衰えが目立ち、正視するのもつらい状況で、ニューヨークタイムズなど「あなたが国に貢献できる唯一の方法は大統領選から撤退することだ」と述べたほどです。

B 彼は自分の年齢的衰えを自覚しているのだから、潔く身を引いて、トランプ大統領再選の「悪夢」を実現させないように最善を尽くすべきだと思いますね。これは政治家のモラルの問題です。いつまでも権力にしがみつく彼の姿はまことに醜い。日本の新聞が嘘にまみれた小池都知事に引導を渡せないのに比べると、ニューヨークタイムズは立派だとも思いましたね。

A 裁判の話題ということでは、7月3日、最高裁大法廷で「旧優生保護法は個人の尊厳と人格の尊重の精神に反しており」違憲であるとの判決が出ています。これも特筆すべきだと思います。
 いまは東京都知事選が真っ盛りですが、混沌の先に激変の兆しは見えますかね。最近はこんなことも考えます。

 宇江佐真理の小説に出てくる人情あふれる長屋共同体はどうして跡形もなく消えてしまったのか。小学生から中学高校まで過ごした小さな町の7棟の2軒長屋時代には、それは間違いなくあった。14家族のそれぞれの家族が何人構成で、一家の主の職業はもちろん、子どもたちの名前や誰が何年生でどこに通っているか、成人した家族はどこで働いているかなどすべてが分かっていた。嫌なおばさんもいて、少々うるさく思うこともあったが、それは江戸時代の長屋生活でも同じだろう。おおむね親切で優しいおばさんが多かったし、年寄りは年寄りらしくそれなりに尊敬され、暖かく皆も接していた。お金の貸し借りがあったかどうかは知らないが、味噌や醤油の貸し借りは普通だった。当時は毎日風呂を沸かす家など多くはなく、お互いもらい風呂というときもあった。皆等しく貧乏でお金持ちはいなかった。電話は親しい商店にかかって来て呼び出し電話だったし、テレビも無かった。

 B 僕のところも風呂は共同で、風呂焚きは住人の当番制でした。風呂が沸くと拍子木をもって町内をふれ歩いたことを思い出しました。戦後まもなくのみんな貧しいころで、だから相互扶助というか助け合いの精神は豊かでした。と言うか、当たり前の風景でした。
 メソポタミア文明の石に書かれた文字を解読したら、「最近の若い者はだらしがない」というようなことが書いてあったと、これは真偽定かではないけれど、歳をとると昔の生活が懐かしくなるのは古今東西変わらぬようですね。しかし、このことを差し置いても、戦後の日本の歴史は急速に衰退に向かっているように思います。
 戦後の貧しさから立ち直り、やがて高度経済成長になり、みんな故郷を離れて都会に出るようになりました。団地やニュータウンに住み、生活は豊かに、そして便利になったけれども、かつての人びとが大事にしていた大切なものも失われた。
 有名なエズラ・ヴォ―ゲルの ジャパン・アズ・ナンバーワン が出たのは1979年です。1980年から90年代にかけて、世界でも最高水準の経済大国とみなされるようになったわけですが、スイスの有力ビジネススクールIMDが毎年発表している世界競争力ランキングによると、2024年の段階で日本は38位です。3年連続で過去最低を更新しています。企業の生産性や効率の低さなどへの評価が落ち込んだことが主な理由と言われますが、まことに昔日の感に打たれます(表は日本経済新聞から)。
 安倍政権はその衰退の時期に生まれ、それを立ちなおすべきときに、むしろ破壊し尽くしたと言えますね。この期間は政治の堕落と経済の衰退が軌を一にしています。いまの若者は高度経済成長も知りません。日本の過去の長所の多くが失われ、それに代わる新しい秩序、倫理が生まれないことに、ITの発達が関係しているというのが僕の持論でもあります。
 過去の誤りの指摘はそれ自体としては必要であり、また意味あることでもあるが、その間の歴史を取り戻すことはできないですね。

 A こういう状況下にありながら、たとえば東京都知事選では依然として小池百合子現知事の優勢が伝えられているわけでしょう。公明党婦人部が小池百合子を支持しているのもどうかと思うけれど、労働組合の連合が小池支持というのは開いた口がふさがらないですね。小池百合子のどこが働く者の味方というんでしょうね。

B 前回もふれたけれど、僕は前安芸高田市長、石丸伸二氏の街頭演説の熱気に新しい政治の息吹を感じています。彼が保守の小池支持層を突き崩してそのまま突き進むか、その余波で蓮舫が浮上してくれることを、外野から期待している状況です。