受動喫煙防止条例(第141回、2017/10号)

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イラスト

都議会で受動喫煙防止条例が可決した。子どもを受動喫煙から守るという趣旨に反対する人はあまりいないだろうけれど、法(条例)の網の目を家庭にまで及ぼすのには抵抗がある
イラストのテーマは「硫黄島からの手紙」のパロディで、「喫煙者と非喫煙者の命運をかけた戦い」です
喫煙者の友人が送ってくれたメールを枕にしているので、キャプションは「喫煙島からのメール」にした
喫煙者と非喫煙者でイラストの印象が変わると思います。侵したのか侵されたのか、果たして弾圧されているのはどちらなのか?
条例はじわじわと真綿で締めるように家庭に干渉しているようだ
しかし、煙がなければ生活も質素になりそうです
その心は?
Cigerない生活、つましい暮らし……なんつって
……お後が宜しいようで

< ML楽屋話 >


Kan 今回は身近なタバコをめぐる話題です。愛煙家も、タバコを吸わない人も、子どもの親も、それぞれのご意見をお寄せいただければと思います。


Sic 今回のコンセプトは、「命運をかけた戦い」です。元ネタは、1945年度ピューリッツァー賞写真部門を受賞した、第二次世界大戦の象徴的な報道写真です。有名すぎるが故に沢山のパロディもあります。日本は当事国であり、唯一の敗戦国ということで忘れられがちですが、第二次世界大戦は連合国軍と枢軸国連盟が戦った戦争です。 日本は枢軸国側で、同盟国には悪名高きナチスドイツもありました。

 昨今の分煙(というよりは排煙)の動きはファシズムに近いものがあります。私事で恐縮ですが、私はコレをネタに小説を書いていました。

 政府による、喫煙者は抹殺してもよいという法律(超健康増進法)のもと、禁煙自衛隊とヘビースモーカーが戦うという荒唐無稽なナンセンスギャグで、禁煙自衛隊は徐々にナチスドイツを彷彿させるような強硬体制に傾き、世界のタバコメーカーが喫煙者側のバックスポンサーになって闘いが激化していくという内容ですが、最近の報道を見るに、小説が笑えなくなってきたなと感じます。

 正義、名誉、人道支援等々の名のもと、人は戦争をしてきましたが、喫煙者弾圧は「健康」の名のもとにエスカレートの一途をたどっています。私はずっと非喫煙者で、昔は煙草の煙が苦手でした。そして、その他大勢がそうであるように、喫煙者も大嫌いだったのですが、成人して、色々な人の繋がりを知るようになり、大多数の喫煙者はルールを守って行動する常識人であることも知りました(余計に税金も払ってくれてますし……)。

 一部のマナー違反者を全体の印象にしていたので、相当な偏見だったなと思います(小説はそんな心境の変化があったときに思いついたものです)。自分とは違う立場の人たちを弾圧するとき、人は大義名分を求めますが、果たしてその大義名分は本当に正しいの?と考えるようになりました。また、自分が数的に勝っているときは、相手側の主張を充分精査するようにもなりました。

 タバコは国が管理していたこともあり、今でも合法です。いつかは違法になりそうですけど。かつてのアメリカは禁酒法で嗜好品を規制しました。その結果、どんな事が起きたかは歴史を見れば明らかです。ちなみに小説のオチは、超健康増進法が撤廃されて「この後どうしますか」とインタビューを受けた禁煙自衛隊の隊長が、「一服でもするさ」と去っていくという、映画「アンタッチャブル」のパロディです(^o^)。

 ファシスト弾圧VS自由解放軍というような図式をイメージして描きましたが、そういったことが読み取れなくとも、大層な旗を掲げないと喫煙し辛くなった現状、あるいは禁煙看板を押しのけて強引に喫煙場所としてしまったマナー違反の喫煙者(このマナー違反が全ての元凶ですよね)、あるいは、非喫煙者と喫煙者の戦いの幕開け……なんて捉えられても面白いかと。


Kik 喫煙者のKikです。「嫌煙」絡みのことには、言いたいことが山ほど(チョモランマ3つぶんほど)ありますが、喫煙者はそれを言いづらい昨今。というか、喫煙者が何を言っても、どうせまともに聞いてもらえないんで、ヘビースモーカーであるほど何も言わなくなっていきます。

 30年ほど前、筒井康隆の『最後の喫煙者』という短編小説を読んで、こんな未来が来るわけないと笑い飛ばしたものですが、今じゃリアルすぎて、全然笑えません(^o^)(と笑ってますが……)。

 「愛煙家通信」なるサイトのインタビューによると、筒井氏ご本人は今でも楽しそうに喫煙を続けておられるようで、何よりです。ちなみに同サイトの評論家、西部邁氏による「煙草は死んでも指先から離すな」というコラムも(日ごろ肩身の狭い思いをしている身には痛快で)気に入ってます。

 筒井氏や西部氏ほどじゃないにしても、僕もこの数年でヒステリックに嫌煙を叫ぶ人たちを相手にするのは諦めました。完全に「喫煙=悪」の図式が出来上がっちゃった人に何を言っても(議論どころか)会話が成立しないので。

 それにしても、ついに家庭の中までですか……。『最後の喫煙者』の世界がいよいよ現実味を帯びてきましたね。非喫煙者にとっては他人事なのかもしれませんが、多くの人はそこに何も危険性を感じないのでしょうか(喫煙者だから言うわけではないですよ)(と、喫煙者はイチイチこうしたエクスキューズが必要なので、あまり語らなくなるのですが)。

 ところで、筒井氏がインタビューで答えているように、タバコはともかく、酒で死んだ人は沢山います。酒が原因の事故、暴力、犯罪は絶えません。大人の酒で犠牲になった子どもがどれほどいることか。なので、家庭内のタバコが禁止なら、家庭内の飲酒も当然禁止なんですよね?バクチも似たようなもんですから、家の中で競馬放送を受信するのは禁止しましょう。タバコを吸うために子どもを車中に放置する人はいませんが、パチンコやりたさに子どもを置き去りにする親が後を絶たないので、子どものいる家庭はパチンコ通い禁止。カジノなんてもっての外。

 あと、日本の殺人事件で最も多く使われているのは包丁類なので、家庭料理も禁止ですね。タバコで刺されて死んだ人はいないので、包丁のほうがはるかに危険です。もちろん高齢者がいる家庭でのモチも禁止。てなことを言うと、(当然ながら)こいつバカだな……と思われるわけですが、そう思う人の多くが、家庭内のタバコ禁止には何も思わないんですよね、きっと。どっかのエラい人が言ってたから。世の中の流れだから。自分に直接影響がない限り、しょせんは他人事なんでしょう。個人の自由も権利もプライバシーも、自分のぶんだけは守られると思っているんですかね?てなことを、喫煙者がいくら言っても絶対伝わらないんですけどね(^o^)。


Sic モチで思い出しましたが、群馬県のメーカーが発売したこんにゃくゼリーを、ある女性議員が販売中止にまで追い込んだことがありました。児童が喉に詰まらせて死亡した事件が発端だと思いましたが、女性議員の地元企業も同タイプの製品を販売しており、そちらにはノータッチだったことから便宜を図ったのではないかという意見も出ましたが、結局そちらは有耶無耶なまま、群馬県メーカーのみ販売停止という処分になったように思います。

 当時、こんにゃくゼリーの80倍以上事故が発生しているモチこそ規制すべきだ!という皮肉ネタが多く出たのをよく覚えています。今回の受動喫煙防止法で声を高らかに上げている人たちの意見は、私が見る限り、ほぼ全部が感情論なのが面白いですね(いや、面白がっちゃいけないんでしょうけど)。諸外国が~ オリンピックが~ 健康被害が~ 挙句の果てには国の威信が~という人もいます。

 海外が(特に欧米、アメリカが)そうだから合わせるべき……という意見には個人的に反対です。必要なら見習う事もあるでしょうけど、税金や保険制度、国の待遇なんかも違う国の制度を参考にして、それらが原因で発生している諸問題には考慮せずに導入するのは何か違う気がします。

 私の好きな映画で「デモリションマン」という作品があります。この映画での近未来では、タバコは勿論、砂糖、塩も健康に有害だからと禁止されています。映画公開当時は、「行き過ぎてしまった極端な未来」という感じでしたが、最近ではひとつずつ現実になっている気もします。こっち(タバコ関連)には、圧力のみで対話の発想はないんですよね。


Kan 話題が話題だけに、力のこもった意見が投稿されていますね。ここで「子どものことを考えたら、家庭は禁煙にすべきだ」という母親の強硬意見もほしい気がしますが、本MLではたぶんないかも。

 モチの話に関して思い出話を。
 僕の新聞記者の初任地は盛岡でした。1年生は必ず署回り(地元の警察署を回って事件を取材しながら、記事の書き方を勉強する)をさせられますが、のどかな町にはたいして事件もなかったんですね。それで僕がしょっちゅう書いていたのが次の2本です。
 山菜取りの老人行方不明
 老人、モチがのどにつかえて窒息死
 前者は春先から、後者はもっぱら冬ですね。秋には「キノコ採りの老人、山で迷い死ぬ」なんてのもありました。いずれも地方版のべた(1段見出しの)記事で、記事が多い時には没になったりしました。

 だからといって、「老人の山菜取りは禁止しろ」、「若年層の付き添いを義務化すべきだ」などと思う人はおらず、第一、老人その人が他人には知られない場所にひそかに出かけるわけですから、穴場を他人に教えることは考えられないことでした。「家庭では老人にモチを食べさせるのを禁止しろ」などいう意見もなかったわけですね。大方は、「気の毒だがしょうがないなあ」、「うちのおじいちゃんには気をつけよう」ぐらいにしか思っていなかったわけです。「大好きな山で死んで本望だろう」なんて感想もありました。

 喫煙者を血祭りにあげようとする社会と、どこか悲しくも牧歌的な社会とどちらが人間的だと言えるでしょうね。

 ところで、都議会は10月5日、「東京都子どもを受動喫煙から守る条例」を賛成多数で可決しました。実施は来年4月から。罰則はありません。新聞記事によると、「都議会厚生委員会では『家庭内の規制は慎重にすべきだ』との意見が出た」とのことですが、その程度の話だったようです。都条例そのものに目くじらを立てることはないとも思いますが、原稿で書いたように、その背景にある考え方には大いに警戒すべきものがあるでしょう。


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