< ML楽屋話 >
今回は「神戸製鋼のデータ改竄」事件がテーマです。多くの人のいろんなコメントをお待ちします。
今回のコンセプトは、「良心でも悪意でもない心」です。イラストに関しては、自分の成長という裏のテーマもあります。先生に試しに描いてみないか?と出されたお題のひとつで、111回のイラストと同じ構図になっています。作成日時が2015年5月となっているので、もう2年も前ですね。
イラストでは、頭の中で天使と悪魔、さらにロボットまで出てきてしまって、頭を抱える社会人というイメージです。ちょうどNo111で描いた頭を抱える人を思い出し、構図はそのままにセルフリメイクしてみました。今回もWORDやその他ツールを駆使して描いていますが、あれから少しは成長したでしょうか?
良心・悪意が葛藤しているシーンのステレオタイプといってもいい天使と悪魔の囁き(あるいは戦い)ですが、第三勢力としてロボットが登場しています。かつての大ヒットおもちゃの火星大王をイメージしました。
昭和の時代、私の世代よりも上だと思います。ブリキのロボットといえば、大体コレでしたね。まだ著作権だとかに大らかで、ヒットすれば二匹目のドジョウ狙いでパチもんが大量生産される時代でした。
私もどれがオリジナルかは分かりませんが、幼少時に遊んだ記憶があります。その後、マジンガーZやガンダムなどの頭身の高いロボットが出てきて、一気に廃れましたけど、個人的には今でも好きなデザインです。
イラストのロボットは、記事にあった、もはや良いか悪いかすらも自分では分からなくなって、考えることを止めてしまった(指示・プログラム通りに動く)人の風刺です。自分の中の良心と悪意が葛藤していたら、なんかロボットが出ちゃった!……みたいな感じです。
記者会見では、現場が勝手にやった……みたいな言い訳をしていますけど、時間も資材も人員も削減を強要して、勝手にやった(だから自分は知りません)というのでは現場も浮かばれないなと思いました。
今、企業は個人ではなく、組織としての効率を強要しています。現状維持ですらギリギリの現場に、さらに数字を要求し、方法は自分たちで考えろ……という投げっ放し経営は大手ほど多いと聞きます。
もはや、工場では職人は必要とされません。オートメーション化と、人件費の安い外国人労働力。今期の成績だけを気にして、数年後、数十年後にどうなるかという想像力が欠如しているようにも感じます。
最近よく聞くようになった話題として、「〇〇年後にはなくなっている仕事」というのがあります。IT化、IoT化、オートメーション化によって仕事がロボットに置き換わるという内容ですが、ふと、人間らしい仕事……人間にしか出来ない仕事って何だろう?と考えることがあります。
私の本職はIT技術者ですが、今、自分のしている仕事は、あと何年続けられるだろうか? 今、自分は考えて仕事をしているだろうか? 少なくとも、ロボットの囁く誘惑には負けないようにしたいと思います。
職場にもおそらく忖度モードが蔓延しているんだろうね。
職業柄、異業種の職場に入ってヒアリングしたりすることがあるのですが、工場というのは独特の空気があるなと感じました。
中にはシフト制で夜中まで機械を動かしているところがあったりで、勤務形態も工場によって色々なんですが、共通しているのは外部の人が基本的に入ってこないことです。せいぜい業者くらいなもので、聞こえてくる言葉遣いが、良く言えばフランク、普通に聞いたら喧嘩腰なんじゃないかと勘違いしそうな物言いが目立ちました。でも、そこではそれが当たり前で、そういうのを気にする(外部の)私のほうが異質なんでしょう。
会社のルールって、業界ごとに特殊なものが結構あって、その計算は詐欺なんじゃないの?というような経理処理している会社もありました。郷に入っては郷に従えと言いますけど、長くいると色々麻痺しちゃうんだろうなと感じます。そういう私も、どこかに麻痺している部分があるかも知れません。
記事にあるように、そういった麻痺の積み重ねがガラパゴス状態になって浮き彫りになってしまった……そんな印象があります。
記事に、<「実害がない範囲なら改ざんも許される」、「納期を守るためにはやむを得ない」、「上層部も承知しているはずだ」といった空気が職場に蔓延していた疑いもある>とありますが、裏を返せば、納期遅れやライン停止に至った場合の「取引コスト」が、いかに大変だったかという事情もあるのでしょうね。
新入社員のころに、新聞社の印刷部(印刷工場)で研修を受けましたが、印刷中に重要な誤字・誤記を一つでも発見すると、ラインを止めて、編集局に再降版(印刷用にデータを流すこと)してもらったり、場合によってはノミで誤字を削り落としたりしました。当然、それまで刷っていた(配送トラックに乗っていない)新聞はすべて廃棄です。再降版してもらった場合は新たに刷版を作り直しますし、ライン停止によって紙が切れた場合は、改めて紙通し(新聞用の複雑なルートの給紙設定のような作業)をしなければなりません。刷り出しは損紙(インキの乗りが正常になるまでの、出荷できない新聞)が大量に出るので、これらもすべて廃棄です。
この作業によって、販売店への店着が遅れるとさらに大変です。発送部や販売店から矢のようにクレームが来ますし、読者からも問い合わせやクレームが来て、販売局もこうした対応に終日追われることになります。
大幅な遅れが生じた場合、広告局がクライアントから謝罪を求められることもあります。誤記を見逃した編集各部も、当然何らかの責任を問われます。もちろん、翌夕刊の紙面では、訂正や謝罪の記事も載せなければなりません。誤字を見つけた印刷部員には報償(当時は石鹸でしたが)が与えられますが、そんな些細なことでも、上司はその記録をつけなければなりません。
新聞のような、毎日使い捨てされていく(しかも、その品質が人命に影響しない)商品であっても、ラインを止めたり、店着が遅れたりするとこんな感じでした。上記のような広義の取引コスト(もっと簡単に言えば「面倒くささ」)まで考えると、正直ちょっとした誤字くらいなら、気付かないふりして見逃したほうが楽なんですよね。
それが神戸製鋼のような規模になれば、どれだけの「取引コスト」が生じるか。現場の立場になって考えると、かなりゲッソリしそうな状態になるのは、想像に難くありません。日本の場合、特に取引先との「交渉コスト」が大きそうなので、「実害がない範囲なら改ざんも許される」、「納期を守るためにはやむを得ない」、「上層部も承知しているはずだ」といった空気が職場に蔓延ということも、起きやすいのかな、と。
もちろん、だからといって許される話ではありません。日本の「モノ作り」への信頼を失墜させた責任は重大です。ただ、日本の製造業は長いこと新人不足というか、若者が入らない状況なので、10年、20年と同じ人事構成の中で仕事をしている会社も多いとか。そうなると、活気も失われますし、作業者は「減点されない」ことだけ考えてしまうのかもしれませんね。製造業や財界が、長年「経費削減」で「人減らし」ばかり考えてきた「ツケ」なのかも。
最近、豊田の本を読んだのですが(「チガウダロー」じゃなくて、豊田自動車のほうです)、安田さんの話で、逆に豊田ってスゴイと感じました。DRBFMという不具合回避のための設計手法の内容なんですが、何か工場ラインで不具合を発見すると、ラインを全て止めて原因を徹底究明するそうです。
ラインを止めた部署(パート)は、アンドンといって何処で発生したかが電光掲示板ですぐに分かるようになっており、解決するまでは再開させなかったんだとか。止まっている間の「損失」がどれほどのものなのか想像もしてなかったのですが、豊田自動車の工場ですから、相当な金額になるんでしょう。
また、豊田自動車は良い設計(Good Design)・良いディスカッショッン(Good Discussion)・良いデザインレビュー(Good Design Review)のGD3(キューブ)という手法など、このIT社会において、いまだに人の目を重視しており、先駆者が如何に「技術者」を大事にしてきたかが分かるものでした。
何故、日本の工業が世界有数のものになったのか……そういったルーツが見えたと同時に、記事のニュースが一層悲しくも感じました。
新聞社で整理部記者をしていたころの思い出です。
活字を組んで紙面を作り上げるときに、ある記事の最後尾に別の記事が3行ついたまま降版してしまったところ、それにデスクが気づいて、輪転機を止めました。そうしたら、損紙が出るわけですね。損紙を出した僕は戒告かなんかの処分を受け、誤りを発見したデスクはほめられてお咎めなしでした。
もしデスクが見つけなければ、会社も損紙を出さずにすみ、僕も処分なんかされずにすんだわけです。「戒告なんて、整理部記者の勲章」なんて、慰められたのを思い出しましたが、3行ぐらいの組違いでも、完全な新聞を出すことに、社員全体が一生懸命になっていたころの話です。いまなら、どうなんでしょうか。
ところでKikさんの<映画史に見るサイバーリテラシー>で「モダンタイムズ」の冒頭で紹介されている最近の映画「サークル」を見ました。フェイスブックをモデルにしたSNSの話で、わりと平凡なストーリー展開だと思ったけれど、最後の落ちがよくわからなかった。ベストセラーになった原作と映画では落ちが違うらしいけれど、映画の方は微温的な決着だったと思います。
いや、ここで言いたかったのはKikさんに、この「サークル」的つながりと日本企業の現場の空気を強引に比較したコメントを書いてもらえないかな、と。これは大問題だけれど……。
まさしく仰る通りです。あの最後は、サイバーリテラシー的には何の解決にもなっていないんですよね。主人公は、世界中の人間が「透明化」することを、肯定的に捉えているんですね。結果、サークルの幹部が不正を働いたのは、彼らが「透明化」していないからだという結論に走ってしまいます。「よくも騙したわね。あなたたちも透明化してやる!これでもう不正は出来ないわよ」で復讐&解決だと思ってる節があります。まあ、観客の大半は「そうじゃないだろ!」と突っ込むだろうと思いますが(^_^;)。
何しろ、「透明化」が招いた友人の事故は、彼女にとって何の教訓にもなっていません。サークルを支持する人々も、あれは単なる不幸な事故だとしか考えておらず、事故を防ぐシステムを搭載すれば防げる……と、勝手にアウフヘーベンしちゃってるわけです。主人公も、周囲のそんな慰めに、なんとなく納得しちゃって、最後は元気になってるし……。
でもサイバーリテラシー研究員にとっては、そこがまさに「いろんな意味で」の部分でして。ああした社会が拡がっていったとき、そこで何か問題が生じても、人は個別の問題だけに目が行って、社会の基幹思想そのものに問題があるとは考えない。思想でも宗教でも政治でも流行でも、客観的には「そりゃおかしいだろ」と思うことでも、「中の人」たちは麻痺していて気付かない。怖いですよね。
人間はつい、構造的な問題を、個別の問題として処理しようとしてします。構造が大きければ大きいほど、その傾向に陥りがちです。主人公は、問題の渦中にいるからこそ、ついぞそこに気付かず、これからもサークル(透明化)を肯定していくでしょう。なんとも怖い気がしますが、それが人間、それが社会というモノかもしれない……と、あの映画の作り手が、そこまで計算した上でのエンディングならたいしたものだなあ……と思うわけですが、たぶん違うんでしょうね(^_^;)。
同じようなことは、日本企業の現場の空気にも言えるかもしれません。今回の神戸製鋼に限らず、今の日本の製造業は、いろいろ構造的な問題を抱えているように感じます。特に人員的な部分で、「合理化」「経費削減」の大号令の下、定退者の補充が(充分に)なく、同じ役職の人間が何十年と居続けることが多い。そうなれば当然、若手が減り、議論が減り、職場の活気は失われ、品質よりもノルマ達成のほうが重視されていくでしょう。今回の事件でも、客観的にはそうした問題が見え隠れするのに、会社上層部は「現場の些細なミス」程度にしか感じていないようにも見えます。まさに「中の人」の反応ですね。
なるほどあの映画は、そういう浅薄な結論だったわけですか。もっとも、そこをこそ映画製作者が風刺していたと考えると、すごい映画とも言えますね。もしそう考えていたとすれば、もっとはっきりさせてほしいですねえ(^o^)。
見終わったあと、パンフも買ったのだが、主役の一人、トム・ハンクスが「僕自身は、<サークル>みたいなのには登録しないと思う。これからは、他人から距離をとり、自分について知られないようにする方法を採るひとが、逆に増えていくと思うよ。皆が思うよりも意外と簡単なことじゃないかな」と言っているらしいのは、アメリカの映画人の底の深さを感じさせますね。
ところで、本原稿で<神戸製鋼の今回のデータ改竄は「氷山の一角」で、徹底的に検査すればもっと広がるとも言われているが、神戸製鋼そのものが現在日本のモノ作り企業に蔓延する病根の「氷山の一角」だと考えた方がいいだろう>と書いているわけだが、案の定というべきか、直後にスバルの無資格検査、最近では三菱マテリアル子会社の検査データ改竄が発覚しており、まさに全体構造を見据える目が必要になっていますね。これぞサイバーリテラシー、ジャンジャン(^o^)。
トム・ハンクスの件、ほんとに、そう思います。本作、アメリカ本国でのボックスオフィスは惨憺たる結果でした。批評家からは酷評だらけです。公開中なので(多くの人に見て欲しいので)ハッキリとは書きませんでしたが。でも、その事実で、アメリカの観客も批評家も、健全だなあと、妙に安心しました(^-^)。
それに、この映画を観た人は大抵、あの結末に「なんだこの映画は!」と憤慨するので、かえってプライバシー問題を意識するのかもしれないなと。その意味で、多くの人に観てもらいたいです(^o^)。
ご意見をお待ちしています