< ML楽屋話 >
2018年、サイバーリテラシー普及元年の幕開けです。
明けましておめでとうございます。
今回のコンセプトは、「インスタ蝿のささやき」です。記事にあるように、今、SNSに写真をアップするためだけに料理を注文して、そのまま残してしまう輩が多いそうです。いわゆる「インスタ映え」を気にして、それ以外のことに気が回らない。サイバー社会に見栄を張るため、文字通り「現を抜かす」ということなのでしょう。
まあ、そんな私も以前はMixiに写真をアップするのが楽しくて、大盛飯コミュニティなんてのを作ってアチコチ飛び回った経験があるのですが……。そんな状況を皮肉って、あるユーザーが若い女性に寄生する「インスタ蝿」というイラストをツイッターで投稿し、大炎上しました(イラストの蝿がソレです)。
とくに「若い女性に寄生する」という部分が、女性の反論リツイートで溢れかえり、ファボッターやまとめサイトなどで取り上げられて広く知られるようになりました。
インスタ蝿が囁いているのは「インスタ映え」でヒットする内容で、その数の多さに左下の女性は茫然としています。女性の服装は「インスタ映え」でヒットするキーワード「ゆるふわ」「ガーリー」なコーデを参考にしました。
SNSが台頭するようになってSNS疲れという言葉が生まれましたが、インスタにも「インスタ疲れ」という言葉があります。インスタは写真テクニックを要求されるので、投稿する側は余計に疲れるのかも知れません。
インスタ蝿が囁く内容の下のほうにいる2人は、こちらも一部で話題になった「けものフレンズ」のキャラクターです。深夜アニメながら異例の大ヒットで、朝の子供番組内で再放送されると、瞬く間に全国区で有名になりました。続編(2期)が決定したものの1期の監督が降板することでも話題になった作品です。発端が監督のツイッターというのも今の時代を反映しています。
そのアニメの話をなぜしたかというと、コンビニのファミリーマートがかつて以下のようなアンケートをしました。「(「けものフレンズ」と「忖度」をイラストに掲げて)どちらの商品化がいいですか?」
当時、けものフレンズが再放送で人気を博していたので、ちょっとした冗談のつもりだったのでしょうが、ちょうどそのころ監督降板のニュースがあり、「忖度」が勝ってしまいました。その結果、ファミリーマートは「忖度弁当」というのを発売しましたが、これが大コケ。これまた話題になりました。
インスタと忖度という、まったく接点が思い浮かばなかったネタだったので、申し訳程度に「忖度」してみました(^o^)。
「他人の心を忖度すべからざるは固より論を俟たず」(『文明論之概略(第四章)』福沢諭吉)と、古くから使われてきた「忖度」という言葉は、本来は「他人の心中をおしはかること」(広辞苑)に過ぎません。他人の心中を推察して、それに沿うよう配慮するといった意味はなかったわけですね。
現代の「忖度」には、相手の心中をおもんばかって迎合し、期待に沿って取り計らう、ひいては、それによって見返りを求める、あるいは自己の責任を回避するといった意味まで含まれるようになりました。あからさまではない「ゴマすり」や「おべっか」みたいな感じでしょうか。少なくとも、籠池氏の発言以降は、そう解釈されてきたはずです。
問題は、籠池氏の発言をそう解釈し、そして流行語にまで押し上げたモノ(流行の原動力)は何か、ということかと思います。
実際のところ、役人が政治家に(現代的な意味での)「忖度」をしていることは、これまで誰も口にしなかっただけで、皆が(なんとなく)知っていたわけです。役人に限らず我々だって、上司や取引相手、親や教師や配偶者といった相手に「忖度」を強いられる場面に事欠きません。
「お上(カミ)に逆らわない」日本の、悪しき文化とでも言うべき不文律に、2017年の日本社会は改めて気が付きました。というか、既に気付いていたことを、一気に表面化させるに至ったわけです。
これが「現実のやせ細り」の象徴となるのか、「忖度文化」を見直す新しい時代への一歩となるかは、まさしく今後の課題でしょう。それは同時に、サイバー社会のあり方と重なるかもしれません。なぜなら、SNSは、(少なくとも日本の場合)「忖度」を求めるサービスでもあるからです。
友人がアップした写真が、正直どうでもいいランチの写真だとしても、我々はつい「いいね!」を押してしまいます。相手が上司や先輩等、「義理」のある人であればなおのこと。自分がアップした写真を後輩が既読スルーしたら、なぜか腹立たしくなるのは、そうした気持ちの裏返しです。炎上の背景(の一部)には、読む人の気持ちを「忖度」できていない書き込みへの、苛立ちに似た感情があるのかもしれません。
実際、振り返ってみると、日本ではコミュニケーション能力の一部として、どれだけ「忖度」ができるか、といったことも含まれていた気がします。権威や権力といったものにおもねること、目上の人への礼儀・礼節、友人や仲間への思いやり、配慮といったものがきちんと区別されてこなかった節もあります。相手が誰であれ、常に相手の気持ちに沿った対応を取れる人が、コミュニケーション能力が高いとされてきました。
まあ、政治家や役人以外の立場では、それを一概に「悪」と決め付けることは出来ないと思いますが、「忖度」という言葉が一時の流行語で終わるのか、反省材料として我々自身の意識に残るのかは、注目していきたいと思います。
「忖度」が、「あからさまではないゴマすり、おべっか」に近いとした場合、では「ゴマすり、おべっか」とは何なのか、といったことを調べたときにおもしろいサイトを見つけました。信憑性に疑問はありますが、さもありなんといったお話。
いつもながらSicさんの幅広い知識には驚かされますね。インスタはまだ使っておりませんが、「インスタ疲れ」のイメージは想像できます。私はふだん使用するfacebookも発信数よりも「いいね!」の多い、どちらかというとただ乗っかっているタイプです。
それでもたまにコメントを発信すると反応は気になりますし、やはり見られていることを意識した内容になってしまいます。始めたきっかけもプライベートよりもビジネスツールの一つでしたから。そういう意味ではKikさんのいう「忖度」を意識しているのかなとも思います。
疲れるなと思う前にブレーキをかけているので、いまのところコントロールできているのでしょう。相変わらずタバコは吸っていないと言いながら、コントロールできていませんが(^o^)。
ちなみに下記ニュースは全く知りませんでした。普段見過ごしちゃっているのかな。
ほかにも、
- 「ゆるふわ」「ガーリー」なコーデ
- 「けものフレンズ」深夜アニメながら異例の大ヒット
ところで、「忖度」「ゴマすり、おべっか」ともう一つ似た言葉があると思います。それは「フォローアップ」。
ビジネスには重要なコミュニケーション能力だと言われますが、この社内教育がなかなか難しい。上司から部下に「フォローアップしろ」と伝えても、教育ではなく指示になってしまいますから。お金をかけても外部研修が必要なカテゴリーだと思います。
ただし、フォローアップ力のある人間は、競争相手から見ると、嫉妬心から、意に反して「ゴマすり、おべっか」としか見えませんが。
Kikさんの「忖度」の原義、および今の使われ方の解説はわかりやすいですね。日本におけるfacebookが忖度強要メディアとはねえ。そんなふうに思ったことはなかったけれど。
忖度の類語は推量、推察、推測などですね。斟酌はもともと酒などを酌み交わすことで、そこから「先方の事情、心情をよくくみとること」(日本国語大辞典)という意味もでてきます。だからKikさんが言うように、忖度には「他人の意向に沿うよう配慮する」という意味はなかったわけで、ここが戦後はタテマエ上否定されてきた事大主義的な「御意」精神(殿の意向を過度に承知してことを運ぶ)が、今になって大手をふって歩き出したことを示しています。
実はこういう態度は、官僚の政治家への、部下の上司へのへつらい精神として、戦後も根強く残ってきたもので、安倍政権はこれを政治手法として露骨に利用しているとも言えますね。籠池理事長はこれを鋭敏にキャッチ、学校建設計画がうまく進んだのは「忖度があった(官僚が安倍総理の意向を推測してその意向のままに動いた)からだ」と言ったのだと思います。もっとも彼は、その態度が突然覆されたと不満を述べてもいました。しかも、今や獄中です。
誌面で<「忖度」の源流が安倍首相その人の政治手法にあることはすでに明らか>と書いていますが、すこし敷衍しておきます。
2000年代初頭、慰安婦問題をめぐるNHK番組が放送されるまでの経緯に「政治的圧力があった」かどうかが大きな話題になりました。焦点の一つに「安倍内閣官房副長官が放送総局長を呼び出し『只では済まないぞ。勘繰れ』と言った」(ウィキペディア「NHK番組改変問題」、永田浩三『NHKと政治権力』岩波現代文庫ほか。ウィキペディアは2018.1.15閲覧)との話があり、真相は「藪の中」に埋もれてしまっていますが、この「勘繰れ」こそ「忖度しろ(推測してその意のままに行動しろ)」と同義ではないでしょうか。
ところで最近、永田浩三(現武蔵大学教授)「政権によるNHKの私物化」と題するレポート(『ジャーナリズム』2017年9月号所収、朝日新聞社)を見る機会がありましたが、ここに慰安婦問題をめぐる訴訟の東京高裁判決(NHK敗訴、最高裁で逆転)の一部「NHKが政治家の意見を忖度し、あたりさわりのない内容に変えた。その行為は、本来大切にすべき編集の自由を自身で損なう不法行為であった」(判決原文の要旨:引用者注)が紹介されています。
10年前(2007年)の判決で「忖度」という言葉が使われていたわけですが、私の興味はその後で筆者が「これを受けて、当時NHKのなかでは『忖度』という言葉が流行した」と書いていることでした。うーん、そうだったのか。
戦後の民主主義教育で育てられた世代としては、思うところを堂々と主張し議論することこそが社会をいい方向に導くと思い込んでいるわけですが、その戦後民主主義教育そのものがずいぶん底の浅いものだったのだと思い知らされることの多い昨今です。世界的な潮流の影響もありますが……。
Gorさんが関連する興味深いニュースを整理してくれていますが、こういう工夫が本連載を奥行きのあるものにしてくれますね。みんなでサイバー燈台を「IT社会を理解できるすばらしいメディア」に作り上げ(編集し)ましょう(^o^)。
最近読んだ記事だと、インスタで見栄を張るためにお金を使いこみ、離婚の危機になったり、自己破産になるケースもあるそうです。まだそんなに大きな問題にはなっていないようですが、ギャンブル依存症のソレと同じで、いずれ社会問題になるような気がします。そのうち、インスタ廃人なんて言葉も生まれるかも知れませんね。
ギャンブルのように、あわよくば大金が入るという期待もないのに、のめり込むというのが凄い。
これまでこんなケースってありましたっけ。ホステスやホストに貢ぐとか、芸人やタレントに入れあげることはあったけれど、これは自分の「見栄」に入れあげるわけだねえ。そう言えば、見栄を張るために盗みをしたり、身上を潰したりということはあったかもしれないねえ。
ギャンブル依存症は、脳の障害(というか脳機能の変質)だと分かってきましたが、SNSも「承認欲求」「所属欲求」が満たされるため、中毒性があるのでしょうね。実際、「性行為」と「承認(してもらうこと)」では、後者のほうがドーパミン(快楽物質)が多く分泌されるそうですし……。
核家族化、一人暮らし化による村社会の衰退で、より「他との繋がり」=承認欲求や所属欲求が深まっているような気がします。
参考:http://logmi.jp/215243 (中段『承認と性行為、どちらの快感が大きい?』辺りから)
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research/research_results/2017/170404_1.html (京都大学によるギャンブル依存症の神経メカニズム)
ご意見をお待ちしています