サイバーリテラシーとは

 「サイバーリテラシー」とは、私が2000年以来提唱している考え方で、その基本は2002年にこのウエブに掲げた「サイバーリテラシーの提唱」をご覧ください。サイバーリテラシーについては、『サイバーリテラシー概論』、『総メディア社会とジャーナリズム』、『情報文化論ノート』(いずれも知泉書館)の「サイバーリテラシー三部作」を参照してください。 

<サイバーリテラシー>

 「サイバーリテラシー」とは、ひと言で言えば、「IT社会を生きるための能力」のことである。それは現代社会を、私たちが現に生活している「現実世界(リアルワールド)」と、インターネット上に成立した「サイバー空間(サイバーワールド、サイバースペース)」の相互交流する姿と捉えることで、これからの社会を快適で豊かなものにするための実践的知恵を導き出すことをめざしている。

<サイバー空間と現実世界の交流史>

 図1はインターネット黎明期のイメージで、現実世界とサイバー空間がいわば並存している。利用者はまだ技術者、科学者、若者といったごく一部の人びとだった。両者の関係は牧歌的で、人びとはインターネットの便利さを素朴に享受していた。サイバー空間は技術が切り開いた新しい「フロンティア」、あるいは「ユートピア」として、現実世界と独立した自由な空間と捉えられていた。「ネティズン(netizen=net+citizen)=ネットの市民」という言葉は、この時代の明るいイメージを反映している(1995年くらいまで)。

 図2は、インターネットの発達でサイバー空間が急速に膨張し、地球全体(現実世界)を薄い雲の層のように覆っている。政治、経済、社会のもろもろの要因がサイバー空間に流れ込み、その影響力が大きくなると同時に、サイバー空間は自由な空間から規制された空間へと変容していく。「監視社会といった暗いイメージも語られるようになった(2000年くらいまで)。

 図3は、短冊の端を180度逆にして貼りつけてできるメビウスの環を2つからみあわせたように描いてある。地球(現実世界)の表と裏の区別はなくなり、ねじれた現実世界の上部にほとんど縫い込まれるように、サイバー空間が張りついている。両者はほとんど密着し、複雑に絡み合い、境界はあいまいになった。万人がサイバー空間の住人となり、相互の距離と時間の差は極限まで縮まった。インターネットは操作すべき技術というより、所与の利用可能な環境になったと言えよう。アメリカのジャーナリスト、トーマス・フリードマンはこれを「フラットな世界」と読んだ(2005くらいまで)。

 図4では、現実世界がサイバー空間の上にすっぽり乗っている。現実世界がサイバー空間によってコントロールされる傾向を強めたとも言えよう。「世界のあらゆる情報をデジタル化してすべての人に提供する」ことをめざすグーグルの躍進が象徴的である(2010年ころまで)。

 図4を逆さにしたのが図5である。現実世界の上にサイバー空間が乗っている。ソーシャルメディア発達以後の現代のイメージと言っていいが、ここに人びとが自律的にインターネットを利用する姿を見ることは、必ずしも間違いではないだろう(「サイバー空間の再構築と現実世界の復権」を唱えてきた私自身の願望も反映されている)。図1と図5が、両者の距離を別にすれば、よく似た構図であることに注目してほしい。

 こうして眺めると、私たちがどういう時代を生きているか、ある程度イメージできるのではないだろうか(サイバー空間と現実世界の諸相は、両者の関係が歴史的に移行しつつある5段階と捉えることもできるし、一方で、それらは現存するサイバー空間と現実世界のいくつかの断面だと位置づけることもできる、目安として一応の年代を示したが、あくまで参考のためである)。 

 このたび(2017年10月)、交流史の短冊に図6を追加した。雑誌広報の連載コラム(2017年7月号)で「両者の境界が完全に失われて、無数の島宇宙が交互に入り乱れ、サイバー空間の中に現実世界が入り込んだり、逆に現実世界の中にサイバー空間が組み込まれたりとまさに混沌とした様相を呈している」と書いたことに伴うもので、両者は図3のメビウスの環のように絡み合っているけれども、両者の輪郭がすっかりぼやけた。それを表したのが図6である。

<サイバーリテラシー3原則>

 現代のサイバー空間は以下の原理によって成り立っている。この特徴が現代社会のさまざまな問題を引き起こしている原因であり、IT社会のあり方を考えるとき、常に念頭に置くべき原則である。詳しくはウエブの「サイバーリテラシー3原則」を参照してください。

第1原則 サイバー空間には制約がない。
第2原則 サイバー空間は忘れない。
第3原則 サイバー空間は「個」をあぶり出す。

 第3原則で言及しているサイバー空間が肉体を離れた存在であることが、とくに子どもにとって、大きな影響を与えている。これまでなら、現実世界の対面的なコミュニケーションを通じて、社会のルールやマナーを学んでいた子どもたちが、いきなりサイバー空間に接触するようになるからである。 

<サイバーリテラシーの課題>

 サイバーリテラシーの課題は、次の3つである。

(1)デジタル技術でつくられたサイバー空間の特質を理解する。
(2)現実世界がサイバー空間との接触を通じてどのように変容しているかを探る。
(3)サイバー空間の再構築と現実世界の復権。

<サイバーリテラシーと情報倫理(サイバー倫理)>

 サイバーリテラシーを現代IT社会の見方(大袈裟には哲学)だとすれば、サイバーリテラシーに基づきながらIT社会の具体的な生き方を追求するのが、「情報倫理」である。その意味で、サイバーリテラシーと情報倫理はセットの関係にある。

 作家の井上ひさしは遺作となった小説、『一週間』(新潮社)で「われわれ人間が生きて行くためには、世界がどんなふうにできているかという世界観と、世界がそんなふうにできているならこう生きようという処世訓が必要」だと書いている。

 サイバーリテラシーはIT社会の世界観である。情報倫理は処世訓と言ってもいい。情報倫理は、「情報のデジタル化が引き起こす問題に有効に対応するための倫理」であり、IT社会が引き起こす従来の倫理的な「指針の空白」、および「指針の変容」を補うための具体的指針である。

 なお、2017年9月から「情報倫理」を「サイバー倫理」と改称した。<「いまIT社会で」のIT社会の処世訓「サイバー倫理」>参照。