毛虫がみずからの内部諸器官をいったんどろどろに溶かしてサナギとなり、一定期間をへたあとチョウへと変身するように、現代社会もまた時代の転換点にある。そこで見られるのは、組織や地域などコミュニティに埋め込まれていた個人が、そのくびきから解放され、自由に動きまわっている姿でもあるが、一方で、むきだしの個人が溶融する社会に投げ出され、困惑している危うい姿でもある。
これからのIT社会を生きぬくためには、現実世界をすっぽりと覆いはじめたデジタル情報空間、サイバースペースに対する理解、「サイバーリテラシー」が不可欠である。それは、すべての人びとが身につけるべき現代の基本素養といえるだろう。
<コンピュータリテラシー→情報リテラシー→サイバーリテラシー>
「コンピュータリテラシー」がコンピュータをはじめとするデジタル機器の操作に習熟することに重点をおくとすれば、「情報リテラシー(メディアリテラシー)」は、それより広く、情報もろもろを取り扱う上での基本理解、言いかえれば、情報や情報手段を主体的に選択し、加工し、発信してくための能力を重視すると考えていい。
「サイバーリテラシー」は、さらに広い考え方で、サイバースペースに取り囲まれることになった現代人の生き方そのものを包括的に捉えようとする。情報技術が切り開く「ばら色の未来」を夢みるのではなく、その危険性を十分わきまえながら、しかもそこで快適で豊かな生活を送るための「知恵」を探っていきたい。
<声の文化→文字の文化→電子の文化>
ウォルター・オングは、まったく文字というものを知らない「声の文化」(口承文化)で語り継がれてきた伝承の構造と、文字を発明した「文字の文化」で書かれた文章の構造はまるで違うことを明らかにした。書くとは、言葉を空間にとどめることであり、文字によって言語の潜在的な可能性が無限に拡大し、思考は組み立てなおされた。
その特徴をより強固なものとし、同時に変えていったのがグーテンベルクによる活版印刷術の発明である。そして情報のデジタル化は、言葉を埋め込まれた文脈から解き放ち、受け手が自由に再構成することを可能にした。印刷術が、近代という時代を用意したように、いま進みつつあるデジタル情報革命は、これからの人類の歴史を、私たちの感性、思考、行動様式を大きく変えていくだろう。大きなうねりだけに、かえって見えにくい歴史の転換点をしっかりと見据え、電子の文化がもつ本質を見きわめる努力をしていきたい。
<IT社会と「個」の挑戦>
はっきりしているのは、これからは大企業や大組織の時代ではなく、自立した個人中心の社会になるということだ。しかし、ひとは独りで生きていくことはできず、主体的で自律的な個人同士が結びついた新しい組織やネットワークが、これからの個人を支えることになるだろう。それはグローバルであると同時にローカルであり、ヒエラルキー構造をもたず、ゆるやかなつながりの、どちらかというと小規模なものになると思われる。
もちろん既存の組織は、一気に崩壊するわけではなく、むしろ時代にあわせて少しずつ変容していく。そこでの組織と人びとの関係もまたゆるやかなものになるだろう。こうして私たちは、サイバースペースと現実空間双方にまたがる重層的な組織、ネットワークを生きることになる。
水が水蒸気となって空中にただようように、私たちもまた既存の組織から解き放たれ、社会に浮遊する存在となる。家族の壁も、学校や企業の壁も、国境や民族の壁も突き破って、世界中の人びとと自由に交流できるようになるが、一方で、浮遊する自由のたよりなさは、人びとを困惑させ、孤独感や不安定さをも生んでいる。これからの一人ひとりの生き方を、ひいては市民社会の新しいかたちを、あらためて考えていきたい。