東山「禅密気功な日々」(14)先生に聞く③

気をなめらかに動かす

朱剛先生の気功三部作

 気功には動功と静功があり、動功の基本功法が築基功ですね。その具体的練習法はのちに詳しくお聞きしますが、その基本中の基本、体内の気を「なめらかに動かす」ことについてお聞きします。

――気は体内の総合的なエネルギーです。このエネルギーを活性化するための練習が気の練習、気功になります。中国では気功イコール瞑想です。80年代は気功という言葉が多く使われましたが、現在では禅修(瞑想)という言葉の方が多く使われています。この瞑想に動功と静功があるわけです。
 動功の流派はたくさんありますが、各流派には秘密の動き方(動功)があって、この動功に従って練習すれば、秘密のエネルギーを動かすことができると言っています。しかしながら各流派の動功をみると、それらの共通点は秘密の神秘的な動きではなくて、有酸素運動です。
 有酸素運動は血液中の酸素濃度を高め、全身の組織、細胞、内臓器官に、より多くの酸素濃度の高い血液を送ることができます。有酸素運動をすると、運動中の酸素の消費と供給のバランスが良くなり、同時に体内の新陳代謝も良い状態になります。有酸素運動の特徴は、運動の強度は強くないけれど、長時間継続して行えることです。これは健康にとって非常に優れた方法と言われています。

 日本でふつうに有酸素運動というと、歩いたり、泳いだり、エアロビクスをしたり、という感じですが、動功もまた効果的な有酸素運動ということですね。

――禅密気功の動功は背骨の運動法で、名前は築基功といいます。築基功は背骨を通して全身を動かす動功です。この運動の特徴は、普段こりやすいところ、例えば首、肩、背筋、腰を動かすことです。

 背骨を前後、左右に動かし、あるいはひねる――、ただこれだけの運動だけれど、その効果はすばらしいと日々、実感しています。身軽に動ける服装だけしていれば、何の道具もいらないのが大いなる利点です。屋内でも戸外でも、さして場所も取りませんし……。外出自粛が叫ばれる今日このごろ、自宅で築基功に励みましょう(^o^)。

――背骨運動法の他のメリットは脳髄液の循環に刺激を与え、内臓をあんまして、新陳代謝が良くなることです。背骨の前に動脈があり、背骨を動かすことによって、動脈が動くので、循環器に良い刺激を与えることができます。

 背骨がポイントですね。動かし方にはコツがあり、激しく、力を入れるのではなく、ゆっくり、なめらかに動かすと。

――築基功という背骨運動法は背骨をゆっくり柔らかく、大きく持続して繰り返し動かします。この運動法により気持ちを落ち着かせることができて、より愉快でリラックスした気持ちになります。

 教室では「円緩軽柔」と教わりました。全身を蛇のように動かす、あるいは波のように動かすとも言われますが、リラックスのためには気持ちをゆったり持つことが大事ですね。先生は「彗中を開いて無限の空を見る」ことを勧めておられます。私は与謝蕪村の俳句を思い出したりしています。

春の海ひねもすのたりのたりかな
菜の花や月は東に日は西に

――築基功には、肉体的な運動だけではなく、気を流す方法も含まれています。体を動かすことで体内の気も動かすわけです。背骨を動かす時に、単に背骨を動かすだけではなく、気を動かすように意識して練習すると、身体の重力が無くなって、気の世界にふわふわと浮かんでいるような気持になります。そういう訓練をすると、心を整える効果がより高くなります。

 先生はよく、「白く、ねばっこい気を動かす」ともおっしゃいますが、たしかに気には粘りがあるようですね。

――一方、静功は狭い意味での瞑想のことで、基本的に大事なポイントは外部の刺激を受けないようにして、微妙な感覚を追求して見守ることです。静功を練習していくと、心身の奥、芯までリラックスさせることができます。
 現代社会は生活リズムがすべて早く、イライラして病気になることが多いです。「病は気から」という言葉がありますが、気持ちから病気になることも多いですね。静功では瞑想を通して、心の緊張感、傷をほぐして、病を治し、元気になることができます。皆さん忙しいので、瞑想の時間を取るのはいよいよ難しくなっていますが、こういう時代こそ瞑想は重要です。瞑想は農業時代から伝わってきた素晴らしい養生法です。これからも続けて伝えられていくと思います。

 これは「禅密気功な日々」で書いたことですが、『ホモ・デウス』、『サピエンス全史』という世界的ベストセラーを書いたイスラエルの歴史家、ユヴァル・ノア・ ハラリはヴィバッサーナ瞑想の修行を十数年続けており、1日2時間の瞑想をしていると言います(『21 Lessons』、河出書房新社)。『ホモ・デウス』の謝辞では「(ヴィパッサナー瞑想の)技法はこれまでずっと、私が現実をあるがままに見て取り、心とこの世界を前よりよく知るのに役立ってきた。過去15年にわたってヴィパッサナー瞑想を実践することから得られた集中力と心の平安と洞察なしには、本書は書けなかっただろう」と書いています。

・練習は一つの生き方、一つの生活

 ――瞑想という練習をより効果的にするには、日々の生活、生き方も大事です。例えば暴飲暴食を避け、早寝早起きを心掛け、社会の誘惑はたくさんありますが、自分の意志でそれを避け、規則的でシンプルな生活を守ることが大切です。なるべく無意味なトラブルを避けましょう。
 瞑想をすると、どうやって人生をより良く過ごすかということを考えます。もちろん、生活の経済的な安定は必要です。ですがそれだけはなく、その上に穏やかな気持ちを持っていれば、一番良い人生になるのではないかという考え方が出てきます。
 瞑想すると良い気持ちが浮かんできて、それを見守ると非常に幸せになります。だから練習の体験と日々の生き方をあわせると、練習していない時も練習と同じ気持ちになります。人生は総て練習です。

 修行ですね。私もすでに禅密気功十数年、練習には限りがないというか、日々の練習がすなわち新しい発見でもあります。江戸幕府の基礎を作った徳川家康は「人の一生は、重き荷を負うて遠き道をゆくがごとし」と言いましたが、まさに人生は死ぬまで永遠に続く道を歩み続ける修行で、気功は取り組むに不足のない(?)、それにふさわしい功法だと思っています。

――練習は一つの生き方、一つの生活です。

 気には、「外気」と「内気」があり、それは常に交流していると言われますが、体のどこを通して往来しているのでしょうか。

――気はエネルギーのことで、外と内の区別は実はありません。一般的には皮膚の外は外気、内は内気と言っていますが、気はそんなふうに分かれているわけではありません。
 しかしながら練習する時は、たしかに基礎としては、先ず体の中の気を養う、充実させて、そのあと外の気を取り入れて一体感をめざします。内気と外気の交流の仕方は、流派によりそれぞれ功法があります。私達の功法では5つの入り口を通して、気を交流させています。

 5つの入口とは?

――密処、天頂、彗中、手のひら、足のうらです。

  密処は身体の真ん中の一番下、肛門と生殖器の真ん中。
  天頂は頭の真ん中の一番上のところ。
  慧中はひたいの、第三の目と言われるところ。
  手のひらは中央やや上、指の付け根の労宮(ろうきゅう)と言うツボの辺り。
  足のうらは土踏まずの前の方、湧泉(ゆうせん)と言うツボの辺り。

 とくに手のひらと彗中を通して交流させることが大事です。もっと練習すると気が身体全体を通して、入ったり出たりして、しだいに外と内、関係なく一体になります。

 たしかに手のひらは大事なようですね。日本語には「手当て」という表現もありますし、患部に手をかざして傷をいやすといったことは日常的に行われています。鍼灸で言うツボも交流のポイントみたいですね。先生は教室で両手を近づけて指の間を往来する気を見る〝実験〟を披露してくれたこともあります。「天然の気」という言葉を聞いたことがありますが、これはどういう意味ですか。

――一番自然なエネルギーという道家の考え方です。例えば、大自然のエネルギー、生まれたままの赤ん坊のエネルギーのことです。

 先生は外気治療(外治療)もおやりになりますね。会報などを読むと、外気治療のおかげで胸椎骨折の痛みが消えたとか、手術の前後に治療を受けたら痛みも少なかったし予後もよかったとか、いう報告があります。
 体内の気を活性化し、それを外気と交流させながら、まさに自然とともに生きていくのが気功ですね。