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日本人はダメだダメだと言いながら、結局うまくやる


ペク  本質的に、その違いがどこにあるかということは、私にわかるようなことではないと思います。ただ、インターネットというメディアが新しい人間の行為とか、新しい社会を作り出すということではないと思うんです。つまり新しい技術が発見された時、それは既存の社会のやり方に組み込まれる。組み込まれながら、使い方が発明されていくんだと思います。
    そもそも日本と韓国が手にした技術は同じなわけで、その技術が応用される社会の、インターネット以前のコミュニケーション形態、あるいはその状況そのものが違っていたと思うんです。日本に来る決心をしたのにはいろいろな理由があるんですけど、一つのきっかけが、韓国の大学生から日本を見た時、日本は政治的に、社会的に、すごく平和で安定しているような気がしたんですね。
 なぜアジアで、同じ文化圏で、伝統的なものを共有しながら、こんなに違うんだろう。同じように西洋から民主主義というものを与えられたのに、韓国はあんなにいつも問題が生じて、日本はそれがなぜすんなり適用できたんだろうということが知りたくて日本にきたんです。
 日本に来て発見したことは、基本的に経済的な要因、韓国より日本の方が経済的に安定していたことが大きかったと思うんですけど、日本が韓国より政治的な状況がいいということでは決してないと思ったんです。つまり同じことが韓国で起きた場合、韓国は大騒ぎになるはずの事柄が、日本においては何の問題にもならないで、そのままスッと通ってしまう。これを比較した時、どっちがいいか。
 さっきの説明では、まるで韓国がすごくよくて、国民が政治的なイシューとか、社会問題に積極的に参加して、みんな議論してすばらしいというふうに聞こえたかもしれません。日本はだめだというふうに聞こえたかもしれないんですけど、実は私はそうは思わなくて、事実だけ比較するとその通りなんですけど、その結果何が得られたかも考えないといけないと思うんです。韓国ではかえって積極的に参加することがマイナス面として出ることが大いにあるし、日本の場合、消極的なコミュニケーションとか、日本的なコミュニケーションパターンが、韓国人からするとすごくうらやましいと感じる時も多いんです。
 ちょっと質問の内容からずれるかもしれないんですけど、よく日本の方たちと話をすると、「何で日本はこんなにだめなんだろう」とか、「日本人は何で引っぱりあいをするんだろう」とか、日本人は自分の話をしながら、すごく暗くて、もうダメなような話になってしまうんです。
 私は日本人同士が話をしているのを見ながら、一人でよく「なるほどな」と思うんですけど、たとえばこういうことです。日本人は10個の中で9個いいことを持っていても、自分の弱点の話をしてしまうんです。心配事、否定的なことを全部並べる。そうしながら、一方で一個ずつ問題点を排除していくという、そういう構造パターンだと思います。
 韓国人はどうかというと、10個の中でいいことを2個持っていると、とりあえず2個を先に言ってしまう。それですごくハッピィなんです。それを並べた時、韓国人はすごくうまくいっていて、日本人はぜんぜんだめなように見えるんですよ。しかし、蓋を開けて見ると、日本人は成功しているのに韓国人はだめなんです。だから韓国人が日本人を見るとき、「お前ら、ずるい」って言うんです。何でずるいかって言うと、韓国人は自分の弱点を自分でも考えないようにするんですよ。いい所だけとって、これで行こうというふうに行動に出してしまう。
 日本人は泣き言とか、失敗とか、心配ごとをずっと並べていて、「ダメなんだ」って思っていたのに、結局はそれを少しずつなくしていくという、逆の行動パターンをとるんですね。それを排除していくことによって、結局いい所を残していく人たちではないかなと思うんです。
 だから韓国式のインターネットの使い方とか、コミュニケーションの仕方がいいのか、日本式のインターネットの使い方とか、コミュニケーションパターンがいいのかというのは、現在の結果をみると、どちらかというと日本が勝っていると、私は思うんです。実際勝っていますよね。だから、勝つか負けるかは別にして、行動の順番とかやり方が違っていて、それを他の国と比較すると、ここで違ってきたものが日本人の行動として見えてくると。否定的なものも見えてくるんだけど、結果として、そういう行動パターンをとることによって、日本はこういう社会を作ってきたわけなんです。だからすべて悪かった、すべてだめだったんだって、否定はできないと思うんですね。
 日本人が集まって話をすると、何でこうダメな話ばっかりやるんだろうと、今日も改めて思ってしまいました(笑)。すみません、自分の話に夢中になって、質問とくい違ってましたね。
 日本と韓国ではインターネットの状況が違うのは、社会の状況そのものが違ったからだと思うんです。韓国人がああいう感じで積極的にならなければならなかった政治的な背景と問題があった。それは自分の幸せをもっと獲得するためにというためだけではなくて、ある面では自分の生存に関わるくらい深刻な問題を、私たち韓国人は持っていたからこそ、そういう必要に応じて、そういう行動とかそういうコミュニケーション形態が発達して、それがインターネットとくっついて、それなりの繁殖というか応用パターンを見出してきたんじゃないかと思います。

矢野  洞察の深いお話でした。なぜ韓国と日本でネットの使い方が違うかっていうのは、依然としてよくわからないところがありますね。人口が多すぎるというのもあるかもしれないけれど、どこが違うんでしょうかね。



唐澤
日韓のインターネット事情を変えたのは人口構成比の違い

(社会人) 私も最近知ったことなんですけれど、韓国と日本では人口構成がかなり違うんですよね。それがたぶん大きく関係しているんじゃないかと思うんですけれども、ピーター・ドラッカーは、とにかく人口動態を見れば世の中がわかるというふうに言っています。
 韓国は50歳以上って、20%しかいないんです。日本は40%です。いまの韓国社会を基本的に担っている人たちって、30代、40代が中心ですね。経済からすべてそうです。日本では矢野さんがまだ若造と言われるくらい、年齢の高い人たちが牛耳っているわけじゃないですか。だれが中心になってインターネットをやっているかっていうのが大きく違うと思います。
 それともう一つ、私も韓国人と多少付き合ったことがありますけど、日本人は明らかに農耕民族ですけど、韓民族って騎馬民族じゃないかと思うんです。農耕民族は出る釘は打たないとダメなんです。乱してはいけないんです。ところが騎馬民族なり、狩猟民族っていうのは、だれか一人優秀な人が獲物を獲ればいいわけで、そうすると獲った獲物を「おれが、獲ったぞ」って自慢する。プロセスの途中で、失敗しようが何しようがそんなもの関係ないんです。獲れなかったら、何の意味もないんで。
 農耕の場合は、プロセスも重要で、作物がとれなかったのはなぜかというと、「種が悪い」とか「耕し方が悪い」とか、そういうことが全部積み重なっていって、最後に収穫ですから。それが日本と韓国の違いとして出てくるのと、最初の人口構成比、かなり年寄りが多い日本と、年寄りがほとんどいない韓国という違いがあるんではないかと私は思っております。

矢野  一つの解答として、そういうことがあるんでしょうね。この辺の話題に絡んで、ご意見がある人いませんか。

荷宮  素朴な感想として、日本人がまったりしてるというのは、徴兵制に象徴されるものがないというのはあるんじゃないんですか。安定しているという見方もできるし。

夏井  日本人とか、アメリカ人とか、中国人とか、韓国の方とか、どう違うかというのは、
いろんな物の見方によって、違うと思えば違う、同じと思えば同じというような気もします。人によって個性も違うので、その辺よくわからないんだけれども、日本の新聞社のサイトには意見を書く欄がないということだけははっきりしていて、ようするに書かせないわけよね。どんな意見が出ようと何だろうと、「悪口だろうと何だろうといいから書きなさい」というサイトを作るか作らないかは、決定的に違うと思うんですよ。
 いろんな遺伝子のレベルから始まって、原因を突き止めるのも研究としておもしろいかもしれないけど、まずそういう書き込みをすることを自由にすることがいいと考えるか考えないかですね。それで度胸を持って、どんなひどい2ちゃんねる以上の悪口でも、徹底的にやられてもいいから、そういうのを作ろうというポリシーを持つかどうかという度量の深さ、広さですね。それだけの大人物が新聞社にいるかどうか、そういうふうなレベルの話かもしれません。

ペク  まったくその通りだと思います。まず編集ができる空間を作るかどうか以前に、やっぱり自分が書いた文章に対して、自分の名前を入れるぐらいの根性がないとだめですよ。一個人の仕事を、新聞社の名前にとり入れるところから、たぶん読者からの返事を耐える精神力のなさが原因じゃないかなと思います。

荷宮  日本では出世できる人の足を引っぱるから、日本の新聞社などマスコミでは、署名できる人とできない人の差別を作ることで、ジャーナリストのなかに上下関係をつくる。それで働いている人のモチベーションを確かめる手段なんですよ。「名前を、書かしてあげるよ」と言ったら書きたい人はそれなりにいると思います。もちろん、責任逃れしたくて反論が怖いから書きたくない人もいると思うけど、自分の名前でやれるんなら、ぜったいにやりたいと思っている人はいると思います。
 日本の会社って地位によってイスが違うじゃないですか。ひじ掛けがついてるかついていないかとかね。名前を書くか書かないかって、あのひじ掛けと同じ装置になっているんですよ。それを、「だからそういうものだ」って思うか、「そういうのはいやだ」と自分の名前を書けるようになりたいとがんばるか、「あいつなは女の癖に、署名原稿書きたいなんて生意気だ」と言われるのはいやだと思うか、思われてもいいから書きたいと思うか、それはそれぞれ個人の志の問題ですけど。
 身分をつけるための装置としての署名、無署名があるということは、知っておいてほしいです。何もみんなが責任逃れをしたいから、無署名でいるわけではないと思います。逆に、私みたいに新聞社、マスコミ、出版社経験もないのに、署名で仕事をしている人間を憎む人もいます。

矢野  マスコミにいた人間としては、耳が痛いお話がいくつかありましたけれども、大手新聞の記事が無署名なことと、2ちゃんねるが匿名掲示板であるというのは、やっぱり似ているんだよね。そこがきわめて日本的だなと僕は思っているわけですけど。だんだん時間が経ってしまいまして、そろそろ終わらなくてはいけませんが、最後にだれか。

山野 (法学部2年) 先ほどから写真をパシャパシャ撮らせていただいていた、矢野先生の受講生で団塊ジュニアの山野と申します。団塊ジュニアの方がゴソッと帰ってしまったあとで言うのもなんですが、団塊ジュニアの代表として、ひとこと。言われっぱなしというのもどうかと。
 お話をお伺いして、耳が痛い部分もあるんですけれども、たとえば、僕が一番気になったのは、雑誌に掲載されている男女関係のコラムがあって、それが人気だというお話をしていらっしゃったじゃないですか、ホテルに行ったら、俺の何がなんだとか、そっち関係の話は一番興味があるんですけど(笑)、僕はたぶん、みなさんの中でも、六法全書を見る機会よりも外で遊ぶ時間のほうが長いので、そういう話を、非現実的だから興味を持つ読者がいるという観点で僕は見ていたんです。ほんとに自分の延長として読んでいる人というのは、実際、僕の身近にも感じられませんし、客観的にそういうふうに思われるかもしれませんけれども、僕の世代からみますと、必ずしもおっしゃっていることが正しいとは思わなかったので……。

矢野  そう、言われっぱなしはいかん。面と向って反論するところが気に入った(笑)。こういうことを考えたり、言ったりしていると書かれているので、若い人はおかしいんじゃないかと思われるわけだけど、山野君は、若い人たちはそういうふうに雑誌を見てない、メディアへの接し方が違う、と言いたいわけだね。その辺をもっと話し合うといいのかもしれませんが、もう時間だなあ。

ペク  私も一言、言わせてください。すごくいいことをおっしゃって、世代の話、個人の違いという話になったんですけど、荷宮さんのお話を伺っていて、彼女は私と同じ歳なんですが、同じ歳の人間として、この世代がみんなそうじゃないんだよっていうことを言いたかったの。話を聞きながら、「ええと、私、何歳だっけ?」って。この世代がみんな同じだと思われるのもいやだなと思った(笑)。

矢野  若槻さん、何か最後に。一回り上の世代の話を聞いた感想は?

若槻  そうですね。やっぱり同じ世代で共有している価値観、経験というのがあるんだろうな、パソコンやインターネットにいつ触れたかということで、ネットに関係する意見が違うんだろうなっていうのは、すごく感じました。
 あと学生さんというか、聞いている人からのお話でちょっと思ったのは、正解が一個しかないみたいな感じで生きようとすると、たぶん生きられないんだろうなって。さっき夢があるとおっしゃっていた方がいらっしゃったんですけれども、私が法律をやってよかった思うのは、それまでの学校の授業は、「正解一個しかないです」と、それと違うとバツしかもらえないんだけれども、法律は、何とか説、何とか説とか、説がいっぱい、同じ問題にもあるんですよね。
 それと同じで、たぶん経済学とか、工学の世界もおそらくそうだと私は想像しているんですけれども、少し高度な勉強になりますと、答えは一個じゃないわけで、そういう世界がおもしろいかなと。大人になって社会に出ると、常にそういう感じで、正解はいくつもあるんですよね。それを学生の時だとあまり実感することってないのかもしれないですけれども、忘れないでいただきたいなと思います。

矢野  予定を1時間オーバーして、9時近くになりました。これでシンポジウムを終わらせていただきます。時間を延長してパネルをつとめてくださった皆さん、遅くまで熱心に聴講し、議論に参加してくださった学生諸君、シンポジウム開催にご協力いただいた明治大学法学部ほかの皆さん、どうもありがとうございました。<文責・矢野>


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