山本太郎が一端引いても、れいわ躍進は止まらない
A 新年早々、山本太郎が多発性骨髄腫のために参院議員を辞職するというショックなニュースがありました。心配していたこと、恐れていたことがついに起こったという感じですが、14年間、200%の力で走ってきたわけだから、起こるべくして起こったとも言えますね。まさに命を削った闘いの結果としての休息。ストレスから解放されることをひたすら祈る気持ちです。
B 僕の友人で、それこそ人一倍の頑張り屋が、やはり過労から骨髄腫にかかったことがあります。山本太郎が21日に記者会見した内容を末尾に「山本太郎発言集」として収録しておきました。
山本太郎が最初の会見で言っているように、これは再起を期すための一端退却ですね。参院議員を続けながら療養をする、というようないい加減な態度が山本太郎には取れなかったということです。「参院議員を続けていたら、それに全身全霊で打ち込んでしまうから、結局、命を縮めてしまう。だから彼は「しばらく自分の命を守る行動に入る」決断をしたんですね。
その後、山本太郎代表に、大石あき子、くしぶち万里の両共同代表、高井たかし幹事長がそろって記者会見をしました。高井幹事長は「いずれは山本太郎に復帰してもらい、れいわ新選組が野党連携の中核になるように頑張りたい」という力強い決意を表明、大石あき子共同代表は「暴走車 止まるときまで 急だった」という一句で心境を吐露、「ピンチをチャンスに変えていくしかない。自由にやってくださいということですから、めちゃくちゃしたろうと思っています。冗談ですが‣‣‣」、くしぶち万里共同代表も「人間山本太郎の生きる力を最大化させることを考えてください。私たちはエンジンとして頑張るつもりですが、この船のかじ取りはお願いしたい。れいわしか日本を変えることはできない。一人ひとりが山本太郎になって頑張る」と述べました。山本太郎代表は「選挙前にこんなことを公表して、同情票を求めていると思う人がいるかもしれないけれど、れいわはそんなせこい生き方はしてないんですよね。通常国会が始まる前にやめようと考えていた。選挙をやると言い出したのは向こうさんですよ」と話していました。衆院議員のやはた愛も自分の動画で「話を聞いてから泣きっぱなしだった。悲しくて泣くんじゃない、悔しくて泣いた。これからはもっと頑張る」と決意を語っていました。れいわ体制は、今回の事件で決して揺るがないという安心感を持ちました。
A この件を世間の人びとがどう受け止めているかを知りたいと、ユーチューブを見ていたら、「あかね94歳の独り言」というサイトにぶつかりました。94歳のあかねさんが山本太郎に託す思いを静かに語ったものです。<山本代表が命を懸けて守ろうとした政策、『生きててよかった』と思える国にしたい」という純粋な願い><彼は国会の椅子に座るために政治家になったのではなく、路上で出会った人々の涙をぬぐうために、この世界に飛び込んだのです。もし彼がこのまま病に倒れてしまったら、この夢は永遠に叶いません>などと語り、彼を救うためには、<闘病中の彼に「あなたを待っている場所がある」「あなたが戻るべき議席が、史上最高の数で用意されている」という勝利の報告をすること。これこそが、最高の特効薬になるのです><太郎さん、安心して休んでくれ。私たちが勝っておくから。あなたが総理になるための席は、私たちが守り抜くから」この言葉を、胸を張って言える結果を、みんなで作り出しませんか>と結んでいます。https://youtu.be/EqQrIGO2jRo?si=xjOMsQ9BwCxDDR2Z
B 94歳の老婦人の言葉には打たれました。彼女に比べれば、われわれはまだ若い。ピンチをチャンスにするべく、今度の衆院選では今こその躍進を祈りたいと思います。
山本太郎が主張し続けてきたように、ここ30年、日本の政治は滅茶苦茶で、企業だけが栄え一般人、労働者の生活水準は低下の一途をたどってきました。サイバー燈台のOnline塾DOORS<ジャーナリズムを探して>シリーズで最近、元朝日新聞記者、和光大学名誉教授の竹信三恵子さんに「なぜ大事なことは報道されないのか」について話を聞きましたが、彼女の著書、『賃金破壊』に、この間の事情を物語る一つのグラフが載っています。
実質賃金の推移の国際比較(出典・井上伸氏作成)で、グローバリズムの中でも、フランス、イギリス、ドイツ、アメリカ、イタリアとそれぞれ伸びているのに、日本だけが低迷しています。起点は1997年。終点は2020年。日本が先進国のなかで最も「賃金抑制」に成功した理由は、1990年半ば以降、徐々に企業・労働者の交渉力を企業に有利な方向に変化させてきたことにあるというエコノミストの見解を紹介し、「企業利益にそぐわないものは企業の外にだし労組の圧力が及びにくい仕組みを築いてきた企業政策の結果の賃金デフレだ」と述べています。
そうして、組合活動を「犯罪」として取り締まってきた日本の企業は、世界にどれだけ貢献できたかを考えると、感慨うたたなるものがありますね。野党も丸め込んだこの国の政治に唯一抗ってきたのが山本太郎のれいわ新選組だったわけです。
昨年10月に自民党の党利党略の結果として成立した高市早苗政権は安倍政権の踏襲であり、統一教会問題にも裏金問題にもほとんど正面から取り組まず。初の女性総理でありながら、反女性的な政策を遂行しています。それで内閣支持率が高いというのはまことに不思議ですが、これが現下の有権者の態度だとすると、今回の衆院選でのれいわの帰趨はきわめて重要なものになると思います。まさに「ピンチをチャンスに変えて」、れいわ議員の奮闘を期待すると同時に、我々としてもできることをしたいですね。ようやく国会議員を2ケタの大台に乗せたれいわの躍進を。いま止めるわけにはいかないですね。
A いまこそ多くの人がれいわに一票を投じてほしいと切に願います。
B 山本太郎がたった一人でれいわ新選組を立ち上げた2019年以来、我々は日本の将来を山本太郎に託す思いで、この<折々メール閑話>を始め、その成果をサイバー燈台叢書『山本太郎が日本を救う』シリーズ4巻にまとめてきました(電子本ともにアマゾンで発売中)。
第1巻の「山本太郎発言集」では「『れいわ新選組』を立ち上げました」、「生きててよかったと思える社会に」、「この一滴が大河につながる」などの街頭演説や国会質問を動画から掘り起こして紹介しましたし、第2集では「戦わない『野党』への激」などの発言をおさめ、あわせて国会で懲罰動議にかけられたくしぶち万里衆院議員の「櫛渕万里の弁明」を全文掘り起こして紹介しました。第3集以後は「発言集」として紹介することをしていませんが、その折々の発言はかなり詳細に収録、山本太郎がたった一人で始めた反乱が、ついに衆参両院で14人の国会議員を擁するに至るまでの経過をつぶさに紹介してきました。通読していただけると、山本太郎の政治に駆ける情熱、当初から今に至るまでのぶれない姿勢がおわかりいただけると思います。
最近は参政党の躍進、高市政権の誕生と、国会も社会も混乱の度を深めるにつれて、少し執筆意欲をそがれていましたが、その我々の目を覚ますような山本太郎の大病発表となったわけです。
A 高市首相のまったく身勝手な1月解散を受け、今度こそれいわ躍進のチャンスだと思っていたときの発表だけに、大いにショックを受けたわけですが、ここでひるんではいけない。まさにこの衆院選をれいわ起死回生の一打にしてもらいたいと思います。
山本太郎発言集
しばらく自分の命を守る行動に入ります
(「山本太郎発言集」として、21日の議員辞職会見の全文を紹介します。これまでの発言集は、こちらで動画を掘り起こしてきましたが、今回は東京新聞ウエブ版が全文の活字起こしをしてくれましたので、それを参考にして、一部を編集しています。こういうことをマスメディアが報道してくれるようになったこと自体、れいわにとっては大きな支援になっていると思います)
私、山本太郎は本日参議院議員を辞職します。衆議院選挙のためではありません。健康上の問題です。センシティブな情報なので、言える範囲で説明をします。端的に言うと、多発性骨髄腫。血液のガン、その一歩手前にいます。ここから先に進行しない、させないということを最大のテーマに、今生きなければ、命を失いかねない。なので、議員を辞職して自分の命を守る行動に入ります。いつ最前線に帰ってこれるかはわかりません。これから無期限の活動休止、活休に入ります。
これまで山本太郎を国会に押し上げてくださった有権者、支援や応援をくださった皆さま、これまで支え続けてくださったボランティア、関係者の皆さん、このようなことで任期満了できないことを心よりおわび申し上げます。
秋に人間ドック受けたんですよ。3つの項目で再検査が必要だという結果が出たんです。そのうちの2項目は再検査で問題なかったんですが、3つ目の血液が引っかかっちゃったんですよ。さらに詳しく調べるために、骨髄液も採ったんですね。その結果、多発性骨髄腫の一つ手前にいる状態だと判明しました。
一般的には多発性骨髄腫っていうのは高齢者になられる方が多いと。だから山本の年齢51歳っていうのは、この病気になるのは早いっていう感覚だってことを担当の医師からも言われました。まだ細胞分裂が活発な年齢ではあるわけですよね。それが血液のガンになったら広がるのも一気だ、そういうことだと思うんです。
だからこそその手前で、全力で食い止める必要があると考えました。私の体のこと、プライバシーに大きく関わることなので、病気についての説明はここまでとしたいと思いますが。
過度なストレスが最も大きな原因なんだろうなっていう風には感じてます。例えば、政治に関わったこの14年間を思い返してみたら、頭にできる神経ハゲあるじゃないですか。10円ハゲだったり500円ハゲっていうのが、これ毎年できてたんですよね。多い時で年間5、6カ所、少ない時でも年間2、3カ所っていうのは必ずできるんですよね。毎年それだけコンスタントにできること自体が普通に考えれば異常だったんですよね。自分では10円ハゲですむんだったら、身体的な影響としてはマシじゃないか、ラッキーだよって考えてたんすけれど。体は確実に悲鳴を上げ続けていたんだなって、今なら思えます。
14年間、国会での「完全燃焼」をめざしてきた
2011年の東電原発事故をきっかけに政治活動を始めて、2013年、無所属で国会に送っていただきました。本当に右も左もわからないっていうところから議員としてのキャリアを積ませていただいたわけですよ。支持者、支援者、国会職員の皆さん、そしてよその党、他党の先生方にも育てていただきました。特に自分の中でこだわりを持って譲れなかったものは国会の質疑だったんですよ。準備の段階から連日午前さまは当たり前だったんですね。誰に言われるわけでもなく、強制されるわけでもなく、自分の意思でとことんまで。完全燃焼を目指す14年間でした。
誰に何を言われようとダメなものはダメだってことで。最後の最後は安保法、TPP、共謀罪、移民推進法とかですね。こういったものに対しては直接行動。牛歩も1人でもやってきたんですよね。
国会での活動っていうのは身体的、精神的にかなりのプレッシャーがかかる作業の連続でした。私にとっては今、自分の出せる力を200%出し切るってことをテーマにしてた毎日だったんですよね。充実はものすごくしてましたけどね。
2019年には、ひとりで「れいわ新選組」を旗揚げしました。それに呼応して全国の皆さんが力を貸してくださった。結果14人の国会議員と全国に60人を超える地方議員がうみ出されました。旗揚げからこれまでですけれども、国会の外と中をつなぐ活動としてとにかく全国を回るんだってことをやってきたんですよ。
例えば、消費税廃止デモ。政党がデモを主催するなんてありえない話なんですけど。消費税廃止デモは全国で122回。おしゃべり会は全国で437回ですね。街宣は607回。とにかく1人でも多くの人々に伝えなきゃっていう思いで全国を走り回ってきた。そんな日々でした。
皆さんこんな言葉知ってますかね?「死ぬ気でやってみ?死なねえから」って。いい言葉だなと思ってたんですよ。私は死ぬ気でやってきたんですよ。毎日、今日が人生最後の日だ。そう思いながら自分を追い詰めて力を振り絞ってきたんですね。死ぬ気でやり続けたら、本気で本当に死んじゃう手前まで来ちゃったっていう、これ本当にね、笑いごとじゃないんですよ。
死ぬ気でやってみ?死なねえから。これにはですね、個人差がありますから、皆さんご注意くださいね。もう本当に、程度の問題だと思います。無理が利く方なんで、エンジンが焼き切れる寸前までフル回転させるっていう、そんな14年間でした。だからこそ、こう言うことになってしまったんだろうと。休息をとったつもりでいても、体や心は休まってなかったんだなっていうふうに思います。
この病気、というかこの状態であるってことを医師から言われた時に、目の前が真っ暗になる、ガーンみたいなやつですね。そうはならなかったんですよ。最初はこれ面倒くさいな、厄介なことになったなっていうふうに思ってたんですけれども、どうしていくべきかっていうことを考える中で、心の整理がつきました。今の状態で知れたこと、そこから行動できるって、これラッキーじゃないかっていうふうに思ったんですよ。このままフル回転続けたら、おそらく2、3年で命は燃え尽きることになるかもしれませんよね。
世の中を変える前に自分自身が天に召されてしまいますから、早期発見という状態で、まだ完全に進行していない今だったら、その前に踏みとどまって、健康な状態を取り戻して、何だったら今よりも力をつけて世の中を変えていく、そんな1人になることだって出来るかもしれませんよね。
たとえ死んだとしても、世の中は変えられる
これ、あり得ないと思うんですけれど、万が一、私が死んでしまったとしても心配いりません。日本を食い物にする悪い人たちいっぱいいるじゃないですか。ごめんなさいね、そんなこと言っちゃって。そういう人たちの枕元に毎晩立って、一緒に三途の川渡ろうじゃないかって、を強引にお誘いしようと思ってるんですよ。だから死んだとしても、あの世とこの世でみんなで力を合わせて、悪い政治倒しに行ってやろうって思ってるんです。
どう考えてもワクワクするなっていう話なんです。何が言いたいか?とにかくみんなで勝ちに行くぞってことです。ちなみに、今後についてなんですけれども、私がれいわ新選組の代表であるということは変わりません。直接的な代表業務は、共同代表の大石あきこさん、そしてくしぶち万里さんが担ってくれます。
代表としては3期目に入ったんですけれども、共同代表、幹事長は続投ということになります。これまで3年間に及んだ共同代表制ですが、決裁事項など私自身が抱える業務量はもう既に半分以下になってたんですよね。今の党の理念を変えずにまっすぐ突き進んでいくためには、共同代表のお2人の存在、絶対的に必要です。私はポイントポイントで必要な意思決定を行うとか、業務量をさらに大幅に減らした対応で関わって参ります。
れいわは山本太郎以外目立った人いないじゃない?って言われ続けてるわけなんですけれども、とんでもない。とんでもないってことです。それぞれの分野でエキスパート揃いの議員たち、そして水面下でさまざまに尽力くださる優秀なスタッフ大勢いるんですよ。永田町唯一国会の茶番に与しない、空気を読まないプロ集団です。
旗揚げから6年間、地道に積み重ねてきた仲間たちがさらに活躍する期間になっていくって確信して、頼もしく思ってます。私がこうして休もうって思えたのも、こういった皆さんの存在あってこそですよ。
支持者、支援者の皆さん、山本太郎は一旦最前線から撤退しますけれども、再び国会に戻れるまで、れいわ新選組を育て、支え、もっともっと大きくしてください。太郎推しだったのにって方も中にはいらっしゃるかもしれませんね。そういう方はですね、しばしの間「推し変」したりとかですね。太郎のジェネリック、れいわの中で見つけていただきたいと思います。
非常に魅力的な議員大勢いますので、ぜひ、そういうことで、世の中を変えていくっていうことに燃えていただければという風に思います。ここから先も腐った世の中一緒に立て直していきましょうね。今後ともよろしくお願いします。

2025年8月、読売新聞が「日本維新の会・池下卓議員が公設秘書給与を不正受給していた疑いで東京地検特捜部が捜査中」と報じた記事は、まったくの誤報であった。実際の対象は池下議員ではなく、同じ維新所属の石井章議員であることが後に判明した。
現在の新聞記事の多くが、その日午後になれば明らかになる事実のスクープ合戦に明け暮れ、結果的に捜査当局におもねる取材になっていることや、事実の裏取り不足の指摘など現代マスコミ批判としても立派なレポートになっています。<「透明性・検証・参加型の報道体制 を築く必要がある。信頼は「お詫び」では回復しない。必要なのは、組織全体の文化を変える勇気である>という結論は妥当と言ってもいい。
など、保守回帰は世界的潮流でもあります。
左の表は党派別獲得議席数ですが(東京新聞7.22日付)、参政党は1から14へと、14倍増です。選挙がはじまったころの神谷宗幣代表の予想は6議席程度だったのに、それを大幅に上回りました。
NHK世論調査(6月27日から3日間、全国の18歳以上を対象にコンピューターで無作為に発生させた固定電話と携帯電話の番号に電話をかける「RDD」という方法で実施)による各政党支持率は左図の通りです。参政党はれいわを上回っているわけですね。
これを年齢別に見ると以下の通りです。この表から次の点が指摘できるのではないでしょうか。
A 今回参院選でれいわは安保問題の専門家、東京外国語大学名誉教授の伊勢崎賢治、経済政策の長谷川うい子、主婦パワーの奥田ふみよなどの逸材を比例に立て、選挙区でも東京で元衆院議員の山本譲司、神奈川で元外交官の三好りょう、京都で教育学博士の西郷みなこ、広島で弁護士のはんどう大樹など、他党とは明らかに際立つ人材を擁立しています。顔ぶれ一つ見ても、れいわの政治に取り組む真剣さが感じられますね。有権者がかっと目を見開いて投票することを期待したいです。伊勢崎氏は比例の特定枠だから、当選したも同然ですが、国際問題がいよいよ緊張している今、なぜ他の政党にこういう人材がいないのかはよく考えてもらいたいです。
朝日新聞記者として経済部、シンガポール特派員、労働担当編集委員などを歴任、2011年から和光大学現代人間学部教授(現在、名誉教授)。『ルポ雇用劣化不況』(岩波新書、2009)で労働ペンクラブ賞、『賃金破壊 労働運動を「犯罪」にする国』(旬報社、2021)で日隅一雄・情報流通促進賞特別賞を受賞。他に『女性不況サバイバル』(岩波新書、2023)など。NPO法人官製ワーキングプア研究会理事。
水戸支局から本社に上がる時の職場が地方版編集、いわゆる新聞整理の仕事でした。当時はまだ活版印刷の時代で、「最後の活版整理記者」と言われていました。その最中の1980年に朝日新聞社は築地に移転します。整理の仕事は、記者と活版職場の作業員が共同で一つの製品(新聞)をつくりあげていく世界です。原稿を出稿すると、工場の人が活字を拾い、組んだ活字が倒れないように水を打ちつつ紙面の形にしていく。それを紙型に取り、鉛板を輪転機に取り付け、日々の新聞をつくるわけです。過去を振り返る時、この活版職場のことが強く思い出されます。後に経済や労働問題を取材するときも、現場(工場)で一生懸命頑張る人たち、それを目の当たりにしたことが私に大きな影響を与えたと思っています。
国境なき記者団の「報道の自由度」調査によると、日本の自由度はアメリカに比べても低い。2010年の民主党政権では11位で、そこまで少しずつ上昇していたのに、2013年以降急落、2025年度は180カ国中66位です。理由としては、閉鎖的な記者クラブが指摘されているけれど、原子力発電所や軍事基地など防衛関連施設やインフラの周辺で国民やジャーナリストを含む一般の立ち入りや情報収集が制限され、違反した場合、最大で懲役2年または200万円の罰金などの重罰を科すことになった法的枠組みの強化が大きい。政府や企業が主要メディアに対して日常的に圧力をかけている影響で、汚職、セクシャルハラスメント、健康問題、公害などのセンシティブなテーマに関して、報道機関による強い自己検閲が行われている、とも指摘されています。
「なぜ報道されないか」の構造的要因については、こう考えています。マスメディアは、上水道の浄水場なんですね。事実という情報源である水源池から集めらた水を飲みやすく加工し、健康に害を及ぼさないように浄化し、家庭に届けるわけです(左図)。新聞の場合は宅配だから郵便受け、テレビなら家庭の受像機。これが蛇口で、ひねれば情報が自動的に入ってきます。
「結界」というのは「特定の作法によって、一種の聖域を区切り、定めること」(精選版 『日本国語大辞典』)です。鉄条網やバリケードではなく、物理的には簡単に越えられるが、立ち入ってはいけないという暗黙の了解とその内面化が激しいことによる「規制」です。ジェンダー平等報道、女性問題報道はその結界の向こう側だったわけですね。
評論家の保阪正康さんは「四角い檻」という表現で、同じような壁について書いておられます(『昭和史のかたち』岩波新書、2015)。出口のない四辺で締め付けられ、外に出られない。写真の檻から鼻だけ出しているのが私、ということになりますか(^o^)。もっとも手を差し伸べてくれる仲間もいました。記者根性のある人に助けられたと言うか、これが朝日の良心だと思います。結界を超える記者を増やさないと、その壁を超えられません。(これ以後、広告代理店・電通の問題、新聞・テレビの系列としてのクロースオーナーシップ問題、記者クラブ問題、会社の経営陣に帰属している編集権の問題について言及があったが省略)。
先にふれた関生事件も、こういう歴史的推移の中で起こっています。ミキサー運転手などの産業別労働組合「全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部」の組合員が、2018年以降、次々に逮捕された事件ですが、私は2021年に『賃金破壊 労働運動を「犯罪」にする国』という本を書きました。労働組合の活動が「反社会的」とされ、組合員への大量弾圧が行われたという驚くべき事件です。2018年秋に組合役員の方から話を聞いたとき、こんなことが日本で起こっているのかとほんとうに驚きました。ほとんど報道されていないので、雑誌『世界』に頼んで、3回の連載をしました。
1978年、中日新聞社入社。地方支局を経て東京新聞を発行する東京本社の編集局社会部、政治部で勤務し、2001年8月に政治部長。その後、社会部長、論説委員(朝刊1面コラム『筆洗』担当)、編集局次長などを経て11年6月から編集局長を6年間務める。北陸本社代表、東京本社代表を経て24年6月から東京本社顧問。『東京新聞はなぜ、空気を読まないのか』(東京新聞、2025)。
菅沼さんの編集局長としての仕事は、東京本社代表退任後に一気に書き上げたという『東京新聞はなぜ、空気を読まないのか』(2025年、東京新聞)に詳しい。その中に、論説室と編集局のトップ2人の間で繰り広げられていたエピソードが紹介されている。論説主幹が帰りがけに菅沼さんに向かって「存在価値がない新聞を作るくらいなら、(会社は)つぶれた方がいい」とつぶやき、編集局長の菅沼さんが、「つぶすわけにはいかないでしょ。心配には及びませんよ」と答えていたのだという。菅沼さんは常々、「新聞はオワコンではない。フカコンである(深い情報を伝える不可欠のコンテンツ)」と言っているのだとか。菅沼流新聞づくりのエキスを改めて聞いた。(以下、菅沼さんの話。()内はメンバーの感想や発言)。
静岡の自宅での購読紙は朝日新聞でしたが、大学の東京暮らしでは地元紙であり一番安い東京新聞を取っており、見開きの特報ページが好きでした。だから東京新聞で記者になりたかった。3カ所での地方支局勤務を経て、30歳で東京本社に異動となりました。社会部で警視庁回り、リクルート事件も経験し、その後政治部に移り、そこがけっこう長かった。政治部長、社会部長のあと論説委員として3年間、朝刊1面コラム「筆洗」を担当し、局次長(災害担当)として編集局に戻りました。東日本大震災から3カ月後に編集局長になり6年間つとめ、北陸本社代表を2年間、東京本社代表を5年間任され、昨年6月に退任しました。今は顧問です。
2011年3月11日の東日本大震災は、私にとっても大きな転機になる出来事でした。翌日の朝刊紙面は1面と最終面を見開く「つなぎ見開き」紙面をつくり、翌日夕刊、翌々日朝刊と3回連続で展開しました。
紙面づくりを重ねる中で、自分たちは3.11世代だという認識を強く持ちました。かつて大本営発表を垂れ流して戦争に加担した反省と教訓を改めて確認し、権力を監視して本当のことを伝えるのが自分たちの使命だと。東京新聞第2の起点は3.11。もちろん第1の起点は8.15です。
事故の直後、20人規模の原発事故の特命取材チームをつくりました。キャップは社会部で調査報道などに携わった記者。彼を各部に指示をできる全権デスクとし、他部から有意の人材を集め、読者の声に応える紙面を作ってくれと頼みました。全権デスクはメンバーに「歴史に裁かれている覚悟を持って、信頼に足る報道をしよう」とハッパをかけたようです。この事故は本当に防げなかったのか。想定外なのか。事故の取材が一段落した時、これがチームの最大の問題意識でした。
2014年に日本ジャーナリスト会議大賞を受賞した時の理由に「論点明示報道」という文言があったのを、そのまま借用しています。事実を書いて、それに解説を付けるというのが一般的なやり方で、それを「客観報道」と呼んでいた。それを止めて、記事を一本化し、ニュースの本質、核心を明示するやり方です。安倍首相が解釈改憲の際に「最高責任者は私」と発言したのに対して、東京新聞は「首相、立憲主義を否定」と1面トップで報じました。これが読者に伝えるべき本質、核心です。同じ日に、安倍首相の発言を1面に載せた新聞はほかになかった。この発言は問題意識を持って取材していないと、重要性が分かりにくい。
原発事故の後、私が局長時代は3.11当日の朝刊づくりに直接的に関わってきました。あの日を忘れてはいけない、という思いからです。毎年、1カ月以上前から議論した作り込み紙面。1年後は現地の写真を1面トップで大きく扱いました。
その写真を見て奥さんが拝んでいる写真を読者が送ってくれました(写真)。私の局長最後の年は原子炉の推定図を1面トップにしました。折しも南スーダンPKO撤収のニュースがあり、整理部からはトップを差し替えようかという意見が出ましたが、私は「ダメだ」と言って変えなかった。局長と言っても絶大な権力を持っているわけではないので、現場にいないとみんな言うことを聞いてくれない(^o^)。毎年、3・11前夜は、1面トップを変えさせないために遅くまで会社に残っていました。
入社時に人事部長から『抵抗の新聞人 桐生悠々』という岩波新書を渡されて初めて、桐生悠々という偉大なジャーナリストのことを知りました。彼は信濃毎日新聞や新愛知新聞の論説責任者を退いた後、自分で刊行した個人誌「他山の石」に「言いたい事と言わねばならない事」という文章を書いています。言いたいことは「権利」、言わねばならないことは「義務」。義務の履行には多くの場合、犠牲が伴うが、それでも言うべきである、と彼は言っています。ネット社会ではみんな言いたいことを言っていますが、新聞記者、言論機関は言わねばならないことに徹するべきだと思っています。
談社)という本を出した。安倍政権の菅義偉官房長官会見で、飼いならされた番記者を尻目に、どんどん質問することで名を上げたのは2017年6月からという。菅沼編集局長末期のことである。
編集局内でパンタロンスーツをバシッと決めている。たしかに、異色の記者である。菅沼さんも最近、そのチャンネルに出演している(写真)。
巻末に独自に編んだ「戦後80年 社会を動かした150の調査報道」のリストが載っている。新聞、テレビ、ラジオ、書籍まで目配りされており、やはり本シリーズ第6回で話を聞いた渡辺周さんのウエブ報道Tansaの記事(「誰が私を拡散したのか」)も収録されている。調査報道にかけた情熱と膨大な資料収集を続けてきた日ごろの研鑽がなければ、このような本は生まれなかっただろう。
1月にスタートした<ジャーナリズムを探して>は、15人目の菅沼堅吾さんで2025年の幕を閉じることになりました。企画に賛同、ご出演いただいた15人の方をはじめ、議論に参加いただいた方々に改めて感謝申し上げます。
1992年生まれ。2015年に毎日新聞に入社し宮崎支局、福岡本部、東京本社政治部などで活躍、2023年に独立してフリーに。YouTubeチャンネル『記者VTuberブンヤ新太』で、バーチャルYouTuber=Vtuberとしてニュース配信などをしている。取材過程に参加してもらうオンラインサロンのような新しい報道も模索中とか。
アバター姿で失礼します。今回は「混迷のネット社会と報道 〝個〟が重視される情報空間と発信のあり方」ということで話させていただきます。
019年に現役記者としてユーチューブを始めました。安倍首相の桜を見る会が問題になっていたころで、ツイッター(今のⅩ)で「安倍首相にこんなことを聞いたけれど無視されました」などと発信していたら、リベラル界隈で注目されるようになりました。フォロワー数が一挙に1万を超えて、ツイッターでバグっているときにユーチューブを始めたらタイミングもいいんじゃないかと思って、主に政治ネタをフォローしていました。社内でユーチューブを始めたのは私が初めてじゃないかと思いますが、結局、2023年に退社し、フリージャーナリストになりました。文春、新潮、集英社オンライン、現代ビジネス、プレジデントオンラインなどに寄稿しつつ、8月にユーチューブチャンネルをVtuberに「転生」(Vtuber用語)させたわけです。
たとえば、これはⅩでバズッた陰謀論に関する図式です。陰謀論というのは、さまざまな事実を恣意的につなぎ合わせたものですね。ここではデータ(data)、情報(information)、知識(knowledge)、洞察(inspect)、知恵(wisdom)がどういうものかを示しています。バラバラなデータは具体的な情報です。それを構造的に分析して繋いでいくと知識になります。洞察も知恵も、つなげ方が異なるけれど、同じようなものです。一定の知識があれば、陰謀論(conspiracy)が間違っているというのはすぐわかります。
社会的には網羅的な情報発信が求められていると思うが、世の中はそうはなっていない。だから私は網羅的な情報発信もやっています。これは12月9日のニュース解説ですが、青森の地震のほかに他のニュースなども紹介しました。マスメディア的なコーナーですね。
左の図は政府統計をもとにした10年後、2035年の日本の人口分布図である(
奈良の声は「地域の埋もれた問題に光を当てる取材と報道」がモットーです。2010年5月に開設。これまでの記事掲載は独自ニュースを中心に1200本あまり。ほかに社外筆者による連載コラムを約90本掲載しています。月平均7~10本程度のアップです。行政の改善につながった報道や他紙に先駆けた報道をしてきました。2022年にジャーナリズム支援市民基金のジャーナリズムXアワードのY賞を受賞しました。同基金は「日本におけるジャーナリズムが本来の力を発揮するためのプロジェクト助成と組織基盤強化支援」が目的で、30万円の副賞をいただきました。



雑誌ジャーナリズムの金字塔は『文藝春秋』1974年月11月号の立花隆「田中角栄研究―その金脈と人脈」だが、ほかにもフリーのライターが雑誌を舞台に執筆、後に単行本化されてベストセラーになったノンフィクションも多い。雑誌もまたジャーナリズムの重要な一翼を担ってきた。
篠田さんが編集長を務める『創』は『文藝春秋』などと同じA5判で120ページ程度。2025年11月号の目次は「角川裁判と人質司法」、「再審法『法制審』の恐るべき内実」、「元読売新聞、清武英利氏のジャーナリズム論」、「東京新聞・望月衣塑子さん『ブレない人』出版パーティの多彩な顔触れ」などとなっている。『創』はメディア批評誌を標榜し、メディアがらみの出来事や人事的な話題も紹介しているが、一方で、大手メディアが取り上げないような「とがった」テーマを意識的に、しかも長期にわたって追ってきた。篠田さんが東京新聞に連載しているコラム「週刊誌を読む」は35年以上続いている。雑誌の道案内のような人である。
ここ何年かでいえば相模原事件でも『開けられたパンドラの箱』と『パンドラの箱は閉じられたのか』という2冊の本を出しています。これは、2016年7月、神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に元職員、植松聖が刃物をもって侵入、入所者19人を刺殺、職員も含めた26人に重軽傷を負わせた事件です。植松は2020年に横浜地方裁判所で死刑判決を言い渡され、自ら控訴を取り下げたことで死刑が確定しました。
今年は『死刑囚と家族になるということ』という本も出しています。死刑が確定するとほぼ全面的な接見禁止となり、原則として家族と弁護人しか接見できなくなります。死刑囚は社会から完全に隔離されます。手紙のやり取りもなくなり、死刑囚にとっては社会的な死を意味します。当局によると「死に向かって心情の安定を図る」というわけだけれど、実際には拘禁症の危険が高まるし、誰とも話さない日々が続くことを恐怖と感じる死刑囚も多いようです。
最近、オウム元教祖の娘である松本麗華さんの『加害者家族として生きて』という本を出しました。凶悪事件が起こると、本人だけでなく家族もまたバッシングされるのが日本社会です。宮﨑勤など父親が自殺しており、家族自体がこの社会で生きていけなくなるような状況に追い込まれています。
1981年に高知新聞に入社し、2005年から社会部長。2008年に朝日新聞に移り特別報道部長、編集委員など。2022年3月に退職、高知に戻り、2024年にローカルニュースサイトNews Kochiを発刊し、編集長に。高知新聞時代に県庁の不正融資を暴いた「黒い陽炎―県闇融資究明の記録」の取材班代表として新聞協会賞を受賞、朝日新聞でも東電福島原発事故を追跡・検証する連載企画「プロメテウスの罠」の取材班代表として同賞を受賞した。共著に『レクチャー現代ジャーナリズム』(早稲田大学出版部)、『プロメテウスの罠』(学研パブリッシング)、『知の挑戦 本と新聞の大学Ⅰ』(集英社新書)など。
生き残りをかけて縦割り制の部構成をセンター制にしたり、記者クラブの縛りから外れた特別報道部をつくったりと機構改革を進めていたころで、そこに2011年3月、未曾有の東日本大震災が起こる。
学研パブリッシングから単行本9冊にまとめられているが、その第1回の「おわりに」で依光さんは「この連載ではいくつかの試みをした。①連続テレビ小説方式。日本の新聞は日々読者の手元に届く。少しずつ毎日読んでもらおう。次を読みたくなる書き方を工夫しよう。②事実にこだわろう。徹底的に事実を書き、主観は省こう。③分かりやすく書こう。凝った表現は要らない。官僚的な言い回しなんてとんでもない。④目線を下に置こう。為政者の目から見た動きではなく、ふつうの国民の視点で書こう。⑤官の理屈に染まらない。官僚たちは匿名性に守られている。霞が関ではそれが常識かもしれないが、そんな常識は取り去ろう。『○○省が言った』『○○筋が言った』という表現はやめ、○○省の○○が○○と言った、と書こう」(2012、2)と述べている。



文部科学官僚としてトップにまで上り詰めた人が、退官後は「テレビ輝け!市民ネットワーク」プロジェクトの共同代表をつとめたり、ユーチューブのデモクラシータイムス「3ジジ放談」で時局発言を続けたり、東京新聞の連載「本音のコラム」で健筆をふるったり、講演で全国を飛び回ったり――、現在日本の混乱する政治やふがいないマスメディに対して檄を飛ばしている。いまや右傾化する一方の流れに逆らう良識派(リベラル派)の代表格である。前川さんにプロジェクトの代表を引き受けた経緯、マスメディアのリテラシー欠如と政治教育のあり方、学術会議改変に見られる現在の危機的側面などについて率直な話を聞いた(写真は9月7日に予定されているテレビ輝け!市民ネットワーク主宰の講演会=参加無料=のお知らせと3ジジ放談)。
本<ジャーナリズムを探して>シリーズは前川さんが10番目の登壇で、当日は24人が参加するという過去最高の「人出」となった(以下、前川さんの話。()内はメンバーの発言や感想)。
「テレビ輝け!市民ネットワーク」プロジェクトは弁護士の坂口徳雄さん(昨年死去)、梓澤和幸さんたちが事務局を務め、その上に共同代表として法政大学前総長の田中優子さんと私が乗っかっている組織です。実はその前に「市民とともに歩み自立したNHK会長を求める会」というのに担ぎ出されて、NHK会長は経営委員会が決めるのではなく、実際は官邸で決められている、これを正せということで、その会長候補に擬せられたことがあります。そんな経緯もあって、田中さんが引き受けるのなら、断るわけにもいかないと引き受けたわけです。2024年2月に設立記者会見をしました。
1967年生まれ。 1992年に朝日新聞入社。富山支局、東京本社写真部、同デスク、編集委員などを歴任。2003年末から1年4カ月、第45次南極観測隊に同行取材。2012年に朝日新聞を早期退職、2021年に住民有志と市民メディア「屋久島ポスト」を立ち上げ、行政監視の調査報道を続けている。著書に「南極 国境のない大陸」(朝日新聞社)、「もうひとつの屋久島から」(フレーベル館)など。北極取材をまとめた「地球最北に生きる日本人」(同)で第53回児童福祉文化賞、第57回産経児童出版文化賞を受賞。



話は少し古いが、やはり朝日新聞記者だったむのさんが敗戦後に故郷の秋田県横田町(現在は市)に戻って立ち上げたのが週刊新聞「たいまつ」である。1948年2月2日に第1号が発刊された。むのさんは当時33歳。タブロイド判2ページ(活字印刷)で、当初の値段は3円だった。読者はほとんど地域住民だったから、農村問題、教育問題、地域文化など地元の問題を積極的に取り上げたが、国内問題や国際問題にまで射程を広げ、地方から中央を、さらには世界を撃つ気概溢れるオピニオン紙だった。
遠藤さんはその後、大阪社会部で事件記者の腕、いや足に磨きをかけ、東京本社社会部に移った。彼の『追跡 公安捜査』(毎日新聞出版、2025)は、警察庁長官狙撃事件と大川原化工機事件をめぐる奮闘努力の記録である。こういう記者はつい最近まで、各新聞社にたくさんいたと思うが、昨今のマスメディアの状況からすると、まことに古典的な新聞記者像とすら思われる。あるいは、新聞記者の本領を真のあたりにしたと言うべきか。今でも大手マスメディアにはこういう硬骨のジャーナリストがいるのだと知って、思わず胸が高鳴った。
2008年4月に毎日新聞に入社し、初任地は鳥取支局でした。2年目に鳥取連続不審死事件が起こり、気がつけば、事件記者街道をまっしぐらという感じです。
大阪・堺市の上下水道問題を追及していた時、大阪市が社会部長あてに抗議文を送ってきたことがありました。そのとき司法記者クラブキャップが市に乗り込み、「記事のどこがまちがっとんのや」と一喝、抗議を封じたこともあったし、水道局の職員から「遠藤さんのおかげで業者から7億円返ってきた。ありがとう」と言われたこともあります。この事件では最終的に大阪市が謝罪しました。
東京に来て、あらゆるメディアが権力に飼いならされているのに驚き、あらためて記者たるもの、権力と戦わないといけないとの思いを強めました。完全に権力になめられているし、クラブ持ち場の縦割り意識が強すぎるという印象でした。そういう中で1995年の警察庁長官狙撃事件には真犯人がいる可能性を明らかにし、オウム犯人説に固執した警視庁公安部が結果的にこの事件を迷宮入りにしてしまったことを告発する記事を何本も書きました。
この捜査が実にいい加減で、大学教授まで動員して偽りの資料を作ったり、輸出規制品に該当することを示すために、都合の悪い実験データを改ざんしたりしています。供述調書そのものがたちの悪い作文で、元取締役の1人は39回も取り調べを受けているのですが、彼が2回だけ、ひそかに録音した記録が裁判の証拠提出で明らかになっています。彼は「私は何回も言っているじゃないですか。なんで供述したことをその通りに書いていただけないのですか」、「私は日本の警察のやり方に失望しております。真実を言えというのでずっと言っています。嘘をつくつもりはありません」と悲痛な叫びをあげています。
記者がなめられているからだと思います。この冤罪で捜査官が責任を取らないのであれば、おかしい。警視庁が強気なのは警察べったりの報道をする社がいるからです。



高校まで高知県で育ちました。朝日の新聞奨学生として上京、そこで新聞を始めて丁寧に読み、記者になりたいという気持ちが湧いてきました。大学卒業後、新聞記者をめざして失敗、一時、物流の仕事に就きましたが、初心忘れがたく北海道新聞へ。入社した時は26歳でした。小樽報道部に配属。毎日、必ず新聞を持ち帰って、夜な夜な文章を勉強しました。本社経済部から社会部へ。信用組合や農協の不正などを追及し、自分の書いた記事で世の中が動くという面白さと怖さを実感しました。社会部に5年いた後、東京支社に移ります。日本長期信用銀行や日本債券信用銀行が倒れる、足利銀行がおかしくなるという、まさに金融危機ピークのころで、日本銀行内の金融記者クラブに席を置いて取材、その後、今の財務省(当時は大蔵省)や国土交通省、外務省も担当して、約5年後に札幌に戻りました。
実際、2020年3月18日の毎日新聞1面に、そういう記事が載りました(写真)。リードに<毎日新聞と調査報道グループ「フロントラインプレス」の調べで明らかになった>とあり、最後の記事クレジットに毎日新聞記者と並んでフロントラインプレスとあります。毎日から3人、フロントラインからも3人の記者を出してその成果は共有物とする、それをどう利用するかは自由である、活字にするときは、「‣‣‣ということが毎日新聞とフロントラインの取材でわかった」と書くことを条件としたわけです。クレジットを見た時は、「おーっ」と感激しました。それで風穴が開いて、その後、琉球新報や熊本日日新聞などとも、見える形で協業しました。
高知新聞でも国政選挙の投票日(2013年参院選)に、一面を読者の声で埋め尽くしました(写真はその一部)。「主人公は政治家ではない、私たち有権者だ」という思いからです。伝える側の意志が見える紙面を作りたかった。












ただ、ネットのアルゴリズムそのものがもっている大きな制約も無視できません。一言でいえば、「YouTubeは自由な言論空間とは言えない」ということです。たとえば、ある動画を配信すると、そこにYouTubeが適宜広告を挿入、その中から配分されるものが私たちの収入になるわけですが、内容によっては広告料の配分がないものがあります。









アジアに「新しい風」が吹いてからすでに20余年。創立者の上高子さん(写真)は、日本航空勤務のあと、よりやりがいのある仕事を求めて40代半ばで早期退職、日本語教師へと転進したが、そこで焦点を欧米よりもアジアに定め、アジアの若者たちの日本語学習を支援することを思い立った。日本語教師の派遣を希望する大学の日本語学部に教師を派遣することから始めたが、Iメイト(アイメイト、I=インターネット、愛、出会い)という秀逸なシステムに乗って、その草の根的交流はアジア諸国と日本のきずなを深めることに大きな貢献してきた。NPO法人「アジアの新しい風」設立は2003年、現在その理事をつとめる古海正子さんに、コロナ禍以後も「新しい風」を吹かせたいと頑張っている同法人の活動について聞いた。
1970年4月日本IBM(株)入社、1982~1987まで全社新入社員研修を担当、1987後半から海外人事マネジャーになり、その後、国際人事及び福利厚生などを担当。日本IBMの上部組織にあたるアジアパシフィックで国際人事や秘書のマネジャーを経験した。2009年にアジ風会員となり、2012年から理事、2017年から3年間事務局長、その後現在に至るまで理事。
アジ風の現在のメンバーは190人ほど。50~70代が中心ですが、80を越えた方もいらっしゃいます。中国(清華大学)、ベトナム(貿易大学)、タイ(タマサート大学)、インドネシア(パジャジャラン大学)の日本語学科で学ぶ学生と直接、あるいはインターネットでのメール交換を通してコミュニケーションしながら、日本語学習の支援をしています。
交流校は先に上げた4校で、韓国、フィリピンなどが含まれていませんが、もともと日本語学部に日本語教師を派遣することから始まっており、とくに韓国からは「必要ない」と断られた経緯があります(^o^)。

ジャーナリスト。元朝日新聞記者。経済部で大蔵省、外務省、自動車業界、金融業界などを担当。ロンドン特派員、編集委員、バンコク特派員などを歴任。2017年にデモクラシータイムスを立ち上げ「山田厚史の週ナカ生ニュース」で情報発信を続けている。2017年衆院選挙で立憲民主党(千葉5区)から出馬した経験がある。著書に『銀行はどうなる』、『日本経済診断』(岩波ブックレット)、『日本再敗北』(文芸春秋社・田原総一朗 と共著)など。
デモクラシータイムスという現在日本有数のネットジャーナリズムの牙城は、各種の情報サイトが1カ所に軒を並べた専門店だと言っていい。メニューは、これまで配信したものを含めると100近いが、いまのメインは「山田厚史の週ナカ生ニュース」、佐高信、平野貞夫、前川喜平の「3ジジ放談」、何人かのコメンテーターがその週のニュースを解説する「ウィークエンドニュース」など。参加メンバーは田岡俊次、竹信三恵子、升味佐江子、山口二郎、池田香代子、横田一、白井聡、高瀬毅、雨宮処凛、金子勝各氏など、ジャーナリスト、学者、評論家、小説家などさまざまで、それぞれが独自の情報を発信している。ほかに荻原博子、辛淑玉、マライ・メントラインさんなど女性がけっこう多いのも特徴である(写真は2025年正月の「週ナカ生ニュース」の山田さんと升味さん)。
朝日新聞入社は1971年、青森支局が振り出しで、その5年間で記者としての一通りのことを学びました。その後、経済部、外報部と記者生活を送り、定年後に朝日新聞グループが多メディア化の波に乗って開設した「朝日ニュースター」で経済問題を担当、ここでキャスターの勉強をしました。運営をめぐって朝日新聞からテレビ朝日に移ったり、メインキャスターの愛川欽也さんのポケットマネーで運営したりと紆余曲折の末、仲間で独立して活動した方がいいと考えて、9人の記者でデモクラTVをつくり、社長になりました。折からインターネット上のユーチューブというシステムを利用すると、大きなカメラを何台も用意することもないし、スタッフもディレクターとスピーカーの2人、小型カメラだけでで大丈夫と聞いて、「ほんまかいな」と疑心暗鬼ながら、山田、田岡、早野透(故人)で100万円づつ拠出して、2017年、ユーチューブのニュース提供番組、デモクラシータイムスをつくることになったわけです。
今回は久しぶりの<若者に学ぶグローバル人生>で、海外青年協力隊(JICA)の一員としてラオスに駐在、現地の理科教育普及や教員養成に励んでいる高橋麻里奈さんの話を聞いた。
会の発展に貢献するというのが願いだとか。その自由で軽快な行動スタイルが、若いエネルギーを感じさせる。
ラオスは、ベトナム、カンボジアなどとともにインドシナ半島を構成するASEAN諸国だが、他の国に比べると影が薄い。日本の本州ぐらいの国土に人口約700万人。1平方キロメートルの人口密度はたった24人(ベトナムは256人、タイは132人、日本は340人)。中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーに囲まれた内陸国で、かつてはタイの領土だった。共産主義国で宗教は上座仏教。中国やタイとの関係が深い。2021年にはラオス中国鉄道が開業した。入国直後は首都ビエンチャンでラオス語の訓練などを行い、いまは南のサラワン県(地図で丸で囲ったところ)に赴任、大きな平家に1人、多くのヤモリと生活している。
いろんなスライドを見せてもらったが、決して豊かとは言えない田舎が広がっているような光景で(主産業は農業)、まさに発展途上の国である。彼女も「ラオスは牧歌的で、シンプルで、びっくりしました。言い方が悪いけれども、特徴がない」という印象を受けたようだ。
ジャーナリスト、元朝日新聞記者。東京・大阪経済部、AERA編集部、週刊朝日編集部、月刊 Journalism 編集部などを歴任。退職後、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社取締役・編集委員会委員長。著書に『日本を壊した政治家たち』(五月書房新社)、『コロナ日本国書』(五月書房新社)、『職業政治家 小沢一郎』(朝日新聞出版)など。
佐藤章さんの現在の主な舞台はユーチューブ上の
最初のころは紙で新聞原稿を書き、大学では黒板を使って教壇から話し、ワープロ・パソコンによる記事出稿、そしてユーチューブ番組でのしゃべりと、情報発信のやり方はいろいろ変わったけれど、変わらないものは「志」だと思っています。

B フジテレビは前日の27日、日枝久取締役相談役および16人の取締役の退任を発表しています(表は日刊スポーツから)。あわせてフジの取締役数を10人に半減、1月に就任したフジの清水寛治社長が続投し、フジHD(ホールディングス、親会社である持株会社)の社長も兼任、フジHDの金光修社長は代表権のない会長につきました。
たとえば最近、各地で繰り広げられた「財務省解体デモ」、農家が怒りの声を上げて都内にトラクターを持ち込んだ「令和の百姓一揆」など、切羽詰まって立ち上がった人びとが抗議の声を上げていますが、大手メディアではほとんど報じられていません。女性アナウンサーの声を無視してタレントを守ろうとした体質と、貧苦に悩む国民の声を無視する政治とは重なりますね。
フジテレビ問題も既存メディアは率先して報道してこなかった。ジャニーズ問題、松本人志問題、いずれも性加害に関わるもので、報道しにくい面がないわけではないが、そこに重要な問題が内在していたわけで、これを暴くのはもっぱら週刊誌だというのは、ジャーナリズムのあり方として大いに考えさせられます。フジテレビが組織として抱える問題は、この国の問題であり、もっと言えば、我々自身の問題なのだと、今回の報告書を見て、大いに忸怩たるものを感じました。
例によっての㏚です。
B 前回参院選でれいわ新選組・比例東京ブロックから立候補(惜しくも落選)した伊勢崎賢治さんが、れいわの政策委員(外交安全保障担当)として、2月9日のNHK日曜討論に出ていました。つい最近の日米首脳会談に対して「100点満点中で10点」と辛口の採点をしつつ、「日本だけは違うという希望的観測はやめましょう」という大局的な発言もありました。東京外国語大学教授であり、政
府代表として国際紛争の現場で長く活躍してきた人を政策委員として擁するれいわの実力を大いにアピールしましたね。
B 前回、大石あき子さんの「名演説」について紹介しましたが、れいわの新人、やはた愛さんの衆院予算委員会での質問も、関西弁で石破首相をやんわりと批判するなど、新人離れの堂々たる活躍でした。お飾り程度のタレント議員とは違います
ね。
つ上向きになっているのもむべなるかな、ですね。たとえば、左表はNHKの2月の世論調査結果です。NHKは政党支持率は高め、れいわ支持率は低めに出る傾向がありますが、ここで注目したいのは若年層のれいわ支持率です。
アメリカではトランプ大統領が再登場、その強硬姿勢を警戒する声も強いようですが、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授は、講演や各種インタビューで、「アメリカでは何十年もの間、勝者(金持ち)と敗者(貧乏人)の格差は広がり、上層階級には莫大な利益をもたらし、下層階級には賃金の停滞、仕事の海外流出などをもたらした。政治を悪化させ、人びとを分断させてきたわけだが、その頂点が(トランプが最初に当選した)2016年だった」、「底流に金持ちになりたかったら大学に行けという考えが流れており、貧しい人びとは自助努力がたりないという蔑みの感情があった。こういう貧困層の不満をトランプはうまくすくい上げた。民主党はいまだにその意味が分かっていない」と述べています。従来、民主党支持が高かった貧困層、黒人層からもトランプ支持する人が出ており、「もしトランプが不適格であり、我々が言うように、民主主義への深刻な脅威だとしたら、なぜ国民の半数、いや今や半数以上が我々の提案する民主主義よりも彼を選ぶのか」(GaribenTVから)と。
サンデルは15年ほど前、NHK教育テレビでも放映された「ハーバード白熱教室<これからの『正義』の話をしよう>」で日本でも有名になった政治学者で、主著は『民主政の不満(Democracy’s Discontent)』です。
ウクライナ問題で思い出すのは、2023年5月23日にゼレンスキー大統領が来日した時の国会光景です。午後5時半から議員たちが続々と会場内に入り、岸田文雄首相や閣僚、衆参両院議長をはじめ計約500人が着席しました。午後6時、ゼレンスキー大統領が会場前方のモニターに映し出されると拍手が湧き、細田博之衆院議長の開会あいさつ後、ゼレンスキー大統領の演説が始まりました。12分近い演説が終わると議員たちは一斉に立ち上がり、約40秒間にわたり、割れんばかりの拍手。スタンディング・オベーションですね。山東昭子参院議長は演説後、青と黄のスーツ姿で、議員を代表して答礼、「閣下が先頭に立ち、また、貴国の人々が命をも顧みず、祖国のために戦っている姿を拝見して、その勇気に感動しております。日本国民もこのようなロシアの暴挙は絶対に許せないと、ウクライナへのサポート、そして支援の輪が着実に広がっております」と挨拶しています。
B タレント、中居正広氏の性加害スキャンダルはついにフジテレビの港浩一社長(写真左=日本テレビ)と加納修治会長(同右)の辞任という事態へ発展しました。フジテレビは1月17日に港社長が出席者制限、動画撮影禁止という記者会見で「会社は知らぬ存ぜぬ」と逃げ切りをはかりましたが、さすがに多くの批判を浴び、28日にやり直し会見になりました。それ以前に開かれた臨時取締役会で両氏の辞任が決まり、今度は記者制限のない記者会見を行ったわけです。集まった記者はメディア関係者、フリージャナリストなどを含め400人以上、午後4時に始まった会見は翌午前2時を過ぎるまで延々10時間半という記録的な長さになりました。
ちなみに日枝久氏(写真)は1980年に編成局長に就任。1983年に取締役編成局長、そして1988年に代表取締役社長に昇任しています。港浩一氏はそのバラエティー現場で活躍、ディレクター、プロデューサーとして「とんねるずのみなさんのおかげです」を手がけました。2022年にフジテレビ代表取締役社長およびフジメディアホールディングス取締役に就任しましたが、彼が女性アナウンサーを同席させる食事会を定番化(常態化)させたとも言われています。
A フジ記者会見が開かれていた 同日は国会も開かれており、NHKは国会中継を流していました。れいわの大石あき子議員が演説で、堂々たる石破政権攻撃を展開したのは、近来稀に見る名演説だったと思います。フジテレビのキャッチコピー「楽しくなければテレビじゃない」ではありませんが、所信表明で「楽しい日本」という歯の浮くような演説をした石破首相に対し、「国民はますます貧困になり、1万件を超える中小企業が倒産している。そういう現実が見えないような首相は、いますぐやめてくれませんか」と畳みかけていました。
んど見えなかったのですが、その先にある雑木林の新しい所有者が、遺跡発掘調査などで雑木を切り倒した途端に、あーら不思議とばかりにその威容を見せ始めました。ところが、新しい所有者はこの絶景を目当てにかなり広大な屋敷を立てる予定で、すでに基礎工事が進んでいます(左写真)。
これはまことに残念至極と、源氏山に住む古民家移築&研究家の滝下嘉弘さんたち「源氏山公園の歴史的遺産と景観を守る会」の人びとがいま頭を悩ませています。土地の所有者はベンチャー企業の若い社長さんらしく、まさに絶景を目当てに自分の邸宅を建築中なわけで、すでに基礎工事は終えています。鎌倉市の建築許可もすでに得ており、これを阻止することは理屈上は無理でしょう。
年頭の話題は、昨年暮れにまた『週刊文春』が火をつけたタレント、中居正広氏(写真、『女性自身』)のセックススキャンダルですね。昨年騒がれたジャニーズ、松本人志などの性加害事件とよく似た構造で、「中居氏がフジテレビの女性アナウンサーに性危害を加え、9000万円を支払い和解した」というものです。
年代別に見ると、これも当然ながら、若年層ではテレビ視聴が著しく減少、代わってインターネットが伸びています。テレビは高齢者中心の「オールドメディア」になりつつあるのがよくわかります。
恒例の企画で今年のテーマは「TBSテレビ報道70年 8つの禁断ニュース」で、MCに膳場貴子、井上貴博TBSアナウンサーに加えて中田敦彦氏が加わりました。「ジャニー氏性加害問題 補償の裏側は…」、「安倍3代と統一教会 “組織的関係”の原点」、「田中角栄と三木武夫 知られざる権力闘争」、「繰り返された核の悲劇 原発導入に日米の思惑」、「第一次トランプ政権 アメリカ議会襲撃事件の裏で起きていたこととは?」など、この間の8大事件を取り上げた、なかなか重厚な作品でした。