今日も孤軍奮闘するれいわ新選組
B 例のジャニーズ問題でジャニーズ側が10月2日に開いた謝罪の記者会見(写真、東京新聞から)にはマスメディア、フリーランスを含めて300人の記者が出席したけれど、この会見に特定の記者を指名しないための写真と氏名入りの「NGリスト」があったことがNHKの報道でわかりました。ジャニーズ側から記者会見の設営を任された外資系㏚会社(FTIコンサルティング)が作ったらしく、司会の元NHKアナウンサー、松本和也氏はそのリストを見ながら発言者を指名していたようです。
・ジャニーズ謝罪会見に「NGリスト」

会見に出席していたフリーランスの尾形聡彦、鈴木エイト氏などは「会見が始まってからずっと挙手していたが、司会者と目が合っても指名されなかった」と述べています。謝罪のための記者会見としてはきわめて不誠実と言えるでしょう。
A FTIコンサルティングは5日にリスト作成を認め、謝罪しました。ジャニーズ事務所側は「NGリスト作成には関与していないし、特定の人を当てないでほしいなどというような失礼なお願いはしていません」と言っているけれど、詳しい事情はわかりません。その前の9月7日の記者会見が4時間にもおよぶ長時間になっためにコンサルティング会社と相談、質問は1社1問、時間も2時間に制限したわけですね。その過程でNGリストが作成されたらしい。
B 会見に参加したけれど指名されなかった東京新聞の望月衣塑子記者は、同紙上で「指名されなかった理由が、私もNGリストに入っていたからだと後でわかった。改めて記者会見を開き、一連の経緯を詳細に説明するべきだ」と署名記事で書いています。
ここで思うのは、謝罪のための記者会見をなぜ㏚会社にまかせたのかということです。番組宣伝ならともかく、不祥事を起こしたことへの謝罪と今後の対策を説明するための記者会見なんですね。ここには芸能とジャーナリズムという区別がない。と言うか、以前にも安倍政権の特徴として書いた「報道機関より広告代理店」という現代の風潮が如実に反映しています(㉗「メディアの根底を突き崩した安倍政権」、『みんなで実現 れいわの希望』所収)。
A オリンピックも世界陸上選手権も、サッカーワールドカップも、広告代理店が運営を請け負う時代です。先の東京オリンピックでは、そのために大がかりな汚職事件まで起こっています。芸能一筋に生きてきたジャニーズ側の面々にはそれがいかに場違いな選択なのかがわからなかったんでしょうね。
B 現代社会のいびつさの反映とも言えますね。いまや一般に「記者会見」そのものが形骸化しているのは、政治の世界における総理大臣会見、官房長官会見などでも明らかです。発言は制限され、しかも回答に対する再質問ができない。これは記者会見というもののあり方からは大きくそれています。先の望月記者など、菅官房長官から「あなたに答える必要はない」などと言われ、他の記者がそれに抗議することもなかった。ジャニーズ会見ではジャニーズ側に拍手を送る記者もいたらしく、望月記者は「記者側が会見者に拍手を送るのを始めて見た。何のために会見に来たのか」と疑問を呈していたけれど、官房長官会見で黙っている記者と大差ないと言ってもいい。
ひな型は国会にある。ある意味で世間ずれしていないジャニーズの面々が安易に㏚会社に仕切りを頼んだ。芸能プロダクションの記者会見ではあるが、そこには現代の記者会見の姿が拡大投影されていると思うわけです。ジャニーズ問題では、なぜこメディアはこれまで沈黙していたのかが問われたけれど、いま盛んにジャニーズを攻撃している記者に対してもいささかの感慨無きにしもあらず、ですね。
ところで、また我田引水になるけれど、こういう全体状況にクサビを打ち込めるのは、やはり山本太郎とれいわ新選組だけだと思いますね。というわけで、最近のれいわの活動ぶりを紹介しておきましょう。
・「つまりはなにか」と街頭デモ作戦

ユーチューブ上に『つまりはなにか』という「れいわ新選組拡大チャンネル」ができました。サイトの説明によれば、「日本の政治の危うさは、最近海外でも報道されています。つまりはなにかchでは、れいわ海外勝手連(れいわ新選組の海外ボランティアチーム)のご協力のもと、ネイティブチェック済の【ドイツ語字幕】と【英語字幕】付の動画配信を始めました。日本の腐った政治を海外から見守り、監視して頂きます。 皆様のご理解をよろしくお願いします」とあります。
日本にもまっとうな政党があるということを海外の人に知ってもらうのはいいことですね。
A そこには「猛烈な野次を浴びながら何年間も私達の先頭に立ち続け、どれほど過酷でも”まだ努力が足りない”と言う。一般人には決定権が無くて、勝手に決まる悪法に絶望しそうになる度に『まだこの国には希望がある』と奮い立たせてくれる。私達の支え。いつもありがとうね」という投稿がありました。
こういうのもありますね。
「そっか・・・。自民党が最も恐れているのが政治に関心の無かった人達が政治に関心を持って投票に行くことなんだな。政党間の支持者の奪い合いなんてのはホントに些細なことなんだな。自分も絵にしか興味無くて政治に関心なんてほぼ無かったクチで、投票には行ってたけどむしろ自民党に投票していたような人間で、2019年の消費税増税でやっと目が覚めたという・・・。絵にしか興味がないとか、音楽にしか興味がないとか、スポーツにしか興味がないとか、そういう人が、なんかおかしいぞって目が覚めるきっかけはインボイスでも、消費税でも、保険証の廃止でも、処理水海洋放出でも、バラマキクソメガネでも、子ども食堂でも、カルト校則でもなんでもいいんだよね。絵だけ描いていたいけど、だまってる訳にいかない程、今は酷いと思った。自分みたいな人が増えれば、これはひっくり返せるんだってことも分かった」。
B こういう投稿を見ていると、れいわの支持者がだんだん増えているようで希望が持てます。実際、れいわが最近、各地で始めた街頭デモ作戦には多くの人が参加しているようです。大石あき子議員の発案で、最初は大阪で始まったとか、いま全国で実施、あるいは計画されています。9月30日の渋谷デモをユーチューブの「ミもフタも愛」というサイトが終始撮影して投稿していますが、にぎやかなものです。

予想以上に参加者が多かったために、4グループに分かれての行進で、警備の警察官もたくさん出ていましたが、とにかく見物人が多い。スマホで撮影したり、応援したり、飛び入り参加したり、ブラスバンドの演奏もあって、なかなか楽しいデモのようでした。昔懐かしい風景でもあり、これぞ街頭行動の典型ですね。
A れいわは今、衆院選に向けて全国でポスティング大作戦を各プロック毎に展開中です。愛知、岐阜、三重は東海ブロックに属し、各県支部にポスティングチームが編成されています、というか現在も参加者募集中です。三重でも、北部、中部、南部に分けられていまして、僕も南部のチラシ保管係を仰せつかりました。三重の割り当てチラシ枚数は75,000枚です。
B 岸田政権は相変わらず、一向に元気の出ない現状ですが、こういう少なからぬ人びとの地道な活動が実を結び、次期衆院選では、山本太郎が言うように、心ある野党議員を1つの塊として終結させるためのプラットホームになれるよう、最低20人の国会議員を誕生させたいですね。


以前、現代社会ではまっとうな大人が育ちにくくなっているとして、教育のあり方を話題にしましたが(<折々メール閑話>⑨「まともな人間を育てない教育」。『山本太郎が日本を救う』第1集、アマゾンで販売中)、すでに大人になった人もそうだが、とくに若者に危惧すべきことが多いように思います。
ある私立大学のゼミでは、安倍政権を肯定する意見が7割を占め、学生からは「そもそも、総理大臣に反対意見を言うのは、どうなのか」、「(政権に批判的な学生に対しては)空気を読めていない。かき乱しているのが驚き、不愉快」などの発言があるといった〝悲惨〟な実情報告も紹介されています。
A 国会休会中も、相変わらず腹立たしい出来事が続きますね。木原誠二官房副長官の2018年における捜査介入疑惑に関しては、『週刊文春』のスクープが続きます。僕は9週連続で文春を買いしましたよ(^o^)。他のメディアはほとんど報道していませんが、2006年段階における木原副長官の妻の元夫変死事件に関して、露木康浩警察庁長官が改めて「事件性なし」と表明したのに対し、2018年段階で捜査にあたった現場の刑事が実名で反論、後には記者会見までしました。根の深い問題だと思いますね。他の自民党大物政治家も登場して、松本清張の推理小説を読んでいるようです。
B 自民党女性局長の松川るい参院議員や局長代理の今井絵理子参院議員が、7月下旬に研修旅行としてフランス・パリを訪問した際に、はしゃいでエッフェル塔前でポーズ写真を撮り、それを自分のSNSにアップしたことも非難されました。実態はほとんど観光で、松川議員は〝研修中〟、娘を大使館に預けていたようです。昨今の政治家の「公私」混同は岸田首相を筆頭に目を覆いたくなる惨状です。こういう議員を選んで恥じない国民にも問題があるけれど、半数近くは棄権しているわけですね。政治を選挙だけで考えるのはもはや無理ではあるとしても、やはり「有権者」としての権利行使はきちんとしないと、こういう高学歴ながら人間的には非常識な政治家が誕生するわけです。木原副長官、松川議員ともに東大法学部卒、その後も、財務省や外務省の主流を歩いてきた人です。そうであるからこそ、日本の現状に対するみじめな感じが強まります。
この滋賀の「びわ湖大花火大会」はコロナ禍で中止されていたのが今年4年ぶりに開催されたようですが、有料の観覧席が設置された会場の周辺約2キロにわたって目隠しとなるフェンスが張られ、地元民はその隙間から覗くという情けないことになりました(写真)。さすがに地元の自治連合会が開催反対を求める決議文を提出するなどしたようですが、これは「公私」混同というより、本来「公」のものである花火大会を自治体が「私」的に囲い込み、金を払わない地元民を「排除した」ものです。
若いマルクス経済学者、斎藤幸平が力説しているように、私たちはもはや資本そのものから離れることを考えるしか将来の展望はないと思いますね。と言って、暴力革命だとか、前衛一党独裁とかいうような化石話を思い出す必要はない。祭りは地元の共有財産なのだから、みんなで管理運営して、みんなで楽しもうという当たり前のことでいいわけです。そのためには金にならないことでも奉仕するという相互扶助精神が大事だけれど、これって、昔はどこの地域でもやっていたことで、何も難しいことではないですね。
というわけで、ちょっとコマーシャル。<折々メール閑話>も少し期間があきましたが、この間のコラムを『山本太郎が日本を救う』第2集『みんなで実現 れいわの希望』としてまとめました。前著同様、1300円(税込み1450円)でアマゾンで購入できます。興味のある方はどうかご購入ください。見出しは以下の通りで、「櫛渕万里の弁明」全文書き起こしが目玉です。

政木和三さんが25年前に書いた『この世に不可能はない』(サンマーク出版、1997)は、気功愛好者必読だと思われる。政木さんはすでに故人だが、彼によると、人はだれでも「肉体」と「生命体」からなっている。生命体はエネルギーで、一つではなく、精神的に成長すると次々に新しい生命体ができてくるらしく、肉体が滅びると生命体は肉体を離れ、いずれ別の肉体に宿ることになる。輪廻転生である。
もう1冊は上平剛史『プレアデス星訪問記』(たま書房、2009)である。
先にも書いたが、『DOORS』は1997年5月号で突然休刊になった。有無を言わせずの強制終了である。最終号の目次が「休刊」のお知らせで、表紙には「ゼロから始めるウエブサーバー作り」の記事紹介もある。牧野さんの「今月の怒る弁護士」は「社会は変動する。かつての経済先進国日本は今急速に凋落する。未来を展望できない国家は、大きく衰退するのが歴史的必然だ」と書いている。私には『DOORS』休刊決定そのものが朝日新聞凋落の予告のようにも思われた。今は亡き三浦賢一君が「矢野さんにはいつも僕がついているから」と言ってくれたのは、突然の休刊を告げられた夜のことである。
ここで山本博氏について少し説明しておこう。彼は北海道新聞からスカウトされた途中入社組ながら、横浜支局デスク時代のリクルート報道で名をはせた朝日新聞社会部きっての特ダネ記者だった(平和相互銀行事件、KDD事件、談合キャンペーンなどの調査報道に携わり、新聞協会賞も2度受賞している。『朝日新聞の調査報道』=小学館=の著書がある)。柴田鉄治さんは朝日新聞改革案として「山本博君をリーダーとする調査報道部門を作るべきだ」と常々言っていたが、ともに編集局中枢から外されていた。朝日新聞という会社は、特ダネ記者を名古屋社会部長、販売局次長と適当に処遇しながら、次いで出版局次長にしたのである。
OPENDOORSが日本のマスメディア最初のホームページとして新聞協会のパンフレット『1997日本の新聞』に記されていることはすでに述べた。時代は突然、現在に飛ぶが、主宰しているOnline塾DOORSで友人、森治郎さんのミニコミ誌『探見』との共催で阿部裕行・多摩市長の話を聞いたことがある。
さて、本題である。わが社にとっても、また私たちにしてもまだインターネットをよく知らなかったわけで、社外の何人かに助言を頼んだ。それは相当たる顔ぶれだった。
日本でのインターネットの父とも言われる村井純さんには、当然のことながら、さまざまにお世話になった(伊藤、村井両氏の写真は1996年のインターロップで)。
著書もある。彼はインタビュー(1996年6月号)で「これからは技術者ではなく、社会の第一線で活躍している実務のプロがインターネットを始めるときである」と、インターネットの伝道師らしく、熱っぽく語っている(当時は慶応義塾大学助教授だったが、その後教授になり、現在は内閣官房参与、デジタル庁顧問なども努めている)。
されたり、この業界ではすっかり「顔」だった。にもかかわらず、利害渦巻く業界の垢にまみれぬ、毅然としたと身の処し方が、きわめてさわやかな印象だった。オーソン・ウエルズとスタンリー・キューブリックを敬愛する元映画青年は、時代の最先端で忙しく動き回りながら、メガネの奥に光る柔和な目で、メディア社会の行く末を見つめ、すでに『ハイパーメディア・ギャラクシー』(福武書店、1988年)などを世に問うていた。
史』=晶文社、1997年=として出版された)、折々の特集などでも知恵をお借りした。彼はその後、東大教授になったが、2014年に62歳で夭折したのはまことに残念である(写真は『ASAHIパソコン』インタビュー時のもの)。
内訳は、
だいたい1万円未満だが、1万円以上のものもある。岩波書店の『広辞苑』は第4版で1万4420円、平凡社の『世界大百科事典』は31巻の大百科事典が検索ソフトを含めて数枚のCD-ROMに収められ、14万5000円だった(私は1998年に発売された『広辞苑第5版』1万1100円と、同年発売の『世界大百科事典』第2版、5枚組で5万9000円を買った。『世界大百科事典』まさに高機能化、低価格化していたが、結局、あまり使わず、紙の『世界大百科事典』と同じ運命をたどった)。
タイトルを「ポスト日本人」としたことについて雑誌でこういうことを書いている(福井コンピュータ『cyber Architect』 1996年秋号)。
『ガジェット』は、日本よりも海外で高い評価を受けた。ユーザーがマウスを操作しながら、インタラクティブな物語の中に入っていく点では、たしかにゲームだが、より深い一つの世界を築き上げている。ゲームは、7人の科学者が発明した洗脳装置センソラマをめぐって、帝国と共和国、その双
方のスパイが暗闘を繰り広げる形で展開する。プレーヤーは、帝国のスパイの役割を与えられ、科学者たちの身辺を探りながら、いつしか不思議な狂気の世界へ迷い込む。最後にどんでん返しも仕組まれており、海外で6万枚、日本で5万枚を売るヒットとなった。この作品は93年度のマルチメディアグランプリ通産大臣賞を受賞した。アメリカの各メディアで激賞され、95年2月27日号の『ニューズウィーク』誌は、彼を「未来を動かす50人」の1人に選んだ。
飯野賢治さんは、インタビュー当時、まだ25歳だった。処女作のアドベンチャーゲーム『Dの食卓』で脚光を浴びていたころで、大きな体、いかつい風貌、それに似合わぬやさしい笑顔、同じ25歳で映画『市民ケーン』を作ったオーソン・
ウエルズを彷彿させるところがあった。
その主力の紙のメディアがさっぱり売れなかったのが最初にして最大の躓きだった。
DOORSという意味で、3Dメディアと呼んだ(3D=Three Dimensionでもあった)。創刊直後のある会合で、私は『DOORS』のコンセプトを敷衍して次のように話した。
ここには、インターネットにはガイド誌より、メディアとしての本質を掘り下げた記事が求められるのではないかという私の思いが反映していた。だから、創刊前に発行したムックは『インターネットの理解(Understanding Internet)』だった。MIT時代にインターネット最先端を精力的に取材、人脈も築いていた編集委員、服部桂君が全身全霊を打ち込んだ、インターネットの解説本としては他に例を見ない傑作だったと今でも思っている。タイトルがマー
シャル・マクルーハンの『メディア論』(Understanding Media)をもじっているように、インターネット黎明期のアメリカの最新事情を丁寧に紹介すると同時に、インターネットの預言者と呼んでもいいマクルーハンについても詳しく紹介した。巻頭ではジム・クラークやマーク・ア
ンドルーセンなどにもインタビューし、アメリカでのインターネットの熱気について伝えている。
「3Dメディア」としての実績は、少しづつ築かれつつあったとも自負している。主なものを整理すると、以下のようになる(写真は1996年7月号の3DOORS案内)。
私は『月刊Asahi』の3代目編集長となり、総合月刊誌の新しいスタイルを確立したいと悪戦苦闘したが、結局はうまく行かず、A4変型判から従来の総合月刊誌のA5判、いわゆる「弁当箱」スタイルに移行するなどの経過を経たのち、その休刊に立ち会うことになった。『20世紀日本の異能・偉才100人』(1992.7号)など発売直後に完売する特集をしたなどの思い出もあるが、ITと直接関係がないので、ここではその後、取り組むことになったインターネット情報誌『DOORS』に話を移したい。
1993年に発足した米クリントン政権はインターネットを重視したNII(National Information Infrastructure 全米情報基盤)構想を発表、「情報スーパーハイウエイ」という言葉とともに、インターネットが広く流布されることになった。軍事用、学術用に発展したインターネットは、しだいに商用利用へと道を開き、1995にはつながれたホスト数で、学術関係よりもビジネス関係の方が多くなっている。同年にはNSFネットのバックボーンも民間ネットワーク・プロバイダーへ移された。日本で初期のインターネット普及に取り組んだのがJUNET(Japan University Network)であり、それが発展したWIDE(Widely Integrated Distributed Environments)プロジェクトで、その中心人物が村井純氏だった。
出版局を去った後の1998年に出した『マス・メディアの時代はどのように終わるか』(洋泉社)のデータをもとに、1995年の状況を再現してみよう(本書は絶版となっている。『ASAHIパソコン』および『DOORS』について丁寧に振り返っており、本<平成とITと私>前半の記述の多くは本書に寄っていることをお断りしておく)。
①阪神淡路大震災で、災害に強い情報手段として注目される