76年目の憲法記念日に想う日本の針路
A 今年のゴールデンウィークはコロナ禍がひと段落したせいか、ずいぶんにぎわったようですね。先日、ビデオニュースドットコムの冒頭で神保哲生さんが「ゴールデンウィーク前に様々な悪法が成立してしまったわけですが、国民はそれどころじゃないみたいですね」と皮肉まじりに言っていました。フランスではメーデーに230万人が参加し、年金・公教育を守れと訴えたそうで、内田樹さんの「パワークラシー」という言葉も思い出しました。
これからの国会も問題法案が目白押しです。前回にも話題にした原発の稼働延長をめざすGX脱炭素電源法案やマイナンバー法案はすでに衆院を通過し、参院での審議が本格化しますし、入国難民法改正案はこれから衆院本会議で取り上げらる予定です。国内軍需産業を強化するための軍需産業支援法案、防衛力強化資金の創設などを盛り込んだ軍拡財源法案など、名前を聞いただけでも、おどろおどろしい法案が続々審議入り、大政翼賛会政治で国会を通過しようとしています。まさに危機的状況で、今の政治家たちは先の大戦から何も学んでいないように思えます。歴史から学ばない国は滅びますね。
B いずれも岸田内閣が昨年末に閣議決定した安保関連3文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画)に基づくものです。そこでは、いわゆる敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有や、防衛費の大幅増を明記しており、岸田首相自身、これは「戦後民主主義の大転換」だと言っています。
その背景にはウクライナ戦争、中国の台頭、北朝鮮の挑発行動など、世界情勢がきわめて不安定になっている状況があり、武器の性能向上で、敵がミサイルを撃ち込む前に敵基地をたたくのもやむを得ないという考えが強く反映しています。
国際情勢が緊迫しているのは確かですが、それを武力によって防衛しようという考えが、日本国憲法の平和主義や国際連合憲章に違反するのは明らかです。憲法9条は「武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、これを永久に放棄する」と謳い、国際連合憲章2条は「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力による行使は、いかなる国の領土又は政治的独立に対するものも、また国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と宣言しているわけです。
両者の文言がよく似ているのは、第二次世界大戦終了直後の「もう戦争はコリゴリだ」、「これからは国際連合を中心に平和な世界を築いていこう」という世界の人びとの夢が託されていたからです。その平和希求の思いが、戦争の記憶の風化とともに、国際的に希薄になっていますが、その中で日本はアメリカ戦略に追随しながら、同じ軍拡の道を歩んでいこうとしているわけです。
唯一の被爆国として、いまこそ憲法の平和主義を高く掲げて、むしろ世界をリードしていくべきではないかと思うけれど、事態はまるで逆行しており、それを岸田首相は「戦後民主主義の大転換だ」とむしろ前進だと強弁しているわけです。ここに現代日本の由々しき問題があると思いますね。
しかもその大転換が国会での審議も十分行われずに進められているのが大問題です。前回もふれたけれど、国会そのものが国民の半数と無縁な状態で、その国会における審議すら十分に行われていない事態です。
・前川喜平さんの講演をユーチューブで見る
A 今年は憲法施行76年。平和憲法の精神から、ずいぶん遠くへ来たものです。報道によれば、5月3日の憲法記念日の護憲派集会に東京・江東区の有明防災公園で2万5000人が参加したようで、自分も参加したかったと、80年の人生で初めて思いました。
B 数年前、横浜で開かれた集会に参加したことがあるけれど、当時は作家の大江健三郎さんが激しい安倍首相批判をしていました。彼も今は亡く、坂本龍一さんも他界と、平和主義陣営にも一抹の寂しさを感じる状況です。


A 元文部科学省次官の前川喜平さんが4月29日に高知県の「県民の集い」で講演した内容がユーチューブにアップされています。前半は森友、加計、統一教会について語っていますが、時に当事者でもあったわけで、この人ならではの分析は興味深いものでした。森友問題での文書改竄は菅官房長官が主導し、それを受けて財務省の佐川宣寿理財局長が行ったもので、菅官房長官はもちろん安倍首相にこのことを報告、たぶん「恩を売った」のではないか、と言っていました。
統一教会問題では、関係が疑われた自民党議員も先の統一地方選挙ではほとんど影響を受けなかったけれど、統一教会は自民党に選挙協力しつつ、①解散命令を出さない、②刑事事件で捕まえない、③自分たちの政策を自民党の政策として実現する、などをずっと要求してきたようですね。安倍政権下の文科相は1人を除いてすべて安倍派(下村、萩生田など)で、岸田政権はいま統一教会に対して質問権を行使しているけれど、岸田首相は統一教会に解散命令は出さないだろうと予想していました。「出さないとは言わないけれど、出すための行動はとらず、国民が忘れてくれるのを待っているのだ」と。
B 講演会のタイトルは「戦争を回避する道すじ 武力で平和は守れない」だったけれど、政権の政策は憲法条文を変えることだけが関心事で、現実的な改憲は閣議決定による解釈改憲でどんどん進めてしまっているわけです。その山場がただいま現在なのだということですね。
武器輸出3原則は、基本的に武器(兵器)の輸出や国際共同開発を認めず、必要のたびに例外規定を設けて運用する内容だったのを防衛装備移転3原則として、武器の輸出入を基本的に認め、その上で禁止する場合を規定するように逆転しました。アメリカ並みとは言えないまでも産軍複合体を作ろうとしており、最近の学術会議会員任命拒否は、そこに大学、研究機関も含めた産軍学複合体を作ろうという、まったく戦前の動きに回帰しようとしているわけです。
A 前川さんは、現在の憲法問題を深く、かつ分かりやすく話してくれる第一人者ですね。多くのことを教えられ、つくづく憲法を守る日本の知性だと思いました。話も分かりやすく、ユーモアを交えた話し方も上手いし、滑舌もいい。1時間40分ありますが、全然飽きさせない。バランス感覚に優れた当代有数の論客だと思います。れいわから立候補してもらいたいが、本人は政治家には絶対にならないと断言していますから無理ですね(^o^)。
B 日本も世界も、国際連合憲章などすっかり忘れて平和を追求する意欲がなくなっているようにみえますが、唯一の被爆国であり、平和憲法をもつ日本がこれでいいのか。いずれ近く改憲発議が行われることが予想される今こそ、憲法はいかにあるべきかをみんなで考え直すチャンスだと思います。
これは恒例だが、憲法記念日に各党が談話を発表しますが、その中でれいわ新選組、山本太郎談話がやはり出色でした。
▽れいわ新選組(山本太郎代表談話)コンスタントに憲法審査会を開こうとする多数派の思惑は改憲へと進めるためだ。国家権力の暴走を止める鎖である最高法規、憲法を、最高権力者である国民が為政者たちから守る局面に来ている。今ある憲法を守れ。話はそれからだ。
今の違憲状態をまず改善すべきだというのは正論ですね。いつまでも今の憲法条文を維持すべきだとは思わず、むしろ時代にあわせて変えていくのがいいと思っているのだけれど、ではどういう憲法にするのか。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という柱はしっかり引継ぎ、その上にアップデートしていくべきで、そういう憲法理念がまっとうに議論されていないですね。山本太郎が言うように、改憲に向けて審議したというアリバイ作りに使われているように思われます。
実は5年前、安倍政権によって集団的自衛権を認める閣議決定がされ、その後に安保関連法が成立したのを受け、当サイバー燈台のプロジェクト欄でジャーナリストの森治郎さんに「日本国憲法の今」という連載をしていただき、そのときに付録として<この際の憲法読書案内>を掲載しました。30点以上あります。今でも十分通用する内容なので、興味のある方はその中の何冊かを読んでいただければ‣‣‣。
サイバー燈台→プロジェクト欄→森治郎「日本国憲法の今」→【この際の憲法読書案内】
・れいわの党名について
A れいわ新選組は統一地方選でも擁立候補の半数以上が当選するなど、少しずつ躍進しており、共同通信の世論調査ではれいわ支持率が3%を上回りました。
内訳は、自民39.4 、立憲7.6 、維新12.2、公明3.4、共産3.8、国民民主2.0、れいわ3.2、社民1.1、政治家女子0.5、参政党1.2、無党派層23.4。維新が伸びて、立憲は下落、公明は案外低い。そのなかでれいわ3.2%は上り調子を感じさせます。
ところで、政権を取るには名前を変えた方がいいという意見がありますね。れいわ新選組というのは、山本太郎が一人で政党を立ち上げる時に名乗ったそれこそエッジの利いた先鋭な名前です。それを変える必要はあまり感じないのだけれど‣‣‣。
B その必要を今は感じないけれど、将来的には必ず議論になることだと思います。それを見越して、おせっかい的な意見を述べると、僕の考えはこうです。
まず、政権を取るために、それにふさわしい名にした方が支持が広がるという甘言に惑わされないことが大事です。改名と同時に「いつまでも山本太郎商店ではダメだ」という意見も聞きますが、それには「山本太郎商店で何が悪い」、「山本太郎の精神を薄めることはれいわをむしろ殺す」と反論したいですね。映画『ゴッドファーザー』ではないけれど、ビトー・コルレオーネが死ぬ直前、息子のマイケルに「俺が死ねば必ず他のボスとの和解話を持ってくる奴がいる。それが裏切り者だ」と言いますね。親切ごかしの提案には注意が必要です。鳩山由紀夫氏や佐藤章氏の善意を疑うわけではないけれど。甘言には得てしてれいわを潰そうとする敵が入り込んでくる可能性がある。
A 山本太郎が警戒しているのは、そういうことだと思いますね。
B それはそれとして、新党名に1つのアイデアがあります。「れいわ新世党」というのはどうですか。新生党ではありませんよ。新世という言葉は、少なくとも『広辞苑』(第6版)には載っていません。比較的最近唱えられた地質学上の新しい年代区分です。
ウィキペディアの人新世に関する解説は以下の通りです。
人新世(じんしんせい、ひとしんせい、英: Anthropocene)とは、人類が地球の地質や生態系に与えた影響に注目して提案されている地質時代における現代を含む区分である。人新世の特徴は、地球温暖化などの気候変動(気候危機)、大量絶滅による生物多様性の喪失、人工物質の増大、化石燃料の燃焼や核実験による堆積物の変化などがあり、人類の活動が原因とされる。
経済学者の斎藤幸平が『人新世の「資本論」』(集英社新書)を書き、ベストセラーになったので有名にもなりました。地質時代をおもな生物種族の生存期間に基づいて区分、普通は動物の進化が規準にされ、古いほうから順に、始生代、原生代、古生代、中生代、新生代と続くけれど、その最近区分として「人新世」を加えようという、地球45億年の歴史を背景に持つ壮大な考え方です。
新世=新世紀、新世界、新世直し。新しい時代を切り開こうという、れいわにふさわしい名前だと思いませんか。れいわ新選組と語感は似ているし、略称は今まで通り「れいわ」。今は改名問題に深入りしない方がいいとも思いますが、他党に取られないように唾をつけておいた方がいいのではないかとも(^o^)。


つい最近までサイバー空間は、ユーザーの関心がある、あるいはユーザー好みの情報を彼らの履歴を参考に自動的に選んで提供してくれるから、人びとは知らない間に自分好みの情報だけに取り囲まれて、結果的に社会は分断される(イーライ・パリサーのフィルター・バブル、『閉じこもるインターネット』2012、早川書房)と言われていたのである。もちろん今もその傾向は拡大しているが、一方で、ChatGPTは誰が質問しても同じような回答を返してくる。これも「今のところ」と制約をつけるべきかもしれないが、ともかく当面は私が質問しようと、他の人が質問しようと、質問が同じならば回答も同じではないかと思われる(もっとも、同じ質問でも条件を付けると回答が変わるし、同趣旨の質問でも、ちょっと表現が異なると答え方も変わってくる。利用する心構えとしては、よい質問をすることが重要になってくる)。
これもインターネット黎明期に『「みんなの意見」は案外正しい』(ジェームズ・スロウィッキー、2004年、角川書店)という本が話題になった。「正しい状況下では、集団はきわめて優れた知力を発揮するし、それは往々にして集団の中でいちばん優秀な個人の知力よりもすぐれている」として、最大公約数的な意見はけっこう正しいということを主張した本だが、それではChatGPTの提供してしてくれる情報は正しいと言っていいのだろうか。
たとえば最近、友人に勧められて孫泰造『冒険の書 AI時代のアンラーニング』(日経BP、2023)を読みました。孫泰造氏はいろんなITベンチャー企業に投資してきた企業家で、ソフトバンク創業者、孫正義氏の弟です。本書は、思索としての冒険の書であると同時にAI時代の生き方指南書でもあります。
沖縄の人たちが、何度やめてと頼んでも、海に今日も土砂が入れられる。これが差別でなくてなんだろう。見たくないものを沖縄に押しつけて知らん顔。現在、上間さんは琉球大学で教えるかたわら、若年出産女性を調査、支援する活動を続けています。エッセイの中にも10代で母になった女性が登場しますが、問題の背後にあるのも本土との経済格差だと思います。いまの政治家は沖縄に誠実に向き合っているとも思えない。
1つは妻宛に届いているカタログ雑誌『通販生活』2023年夏号に「岸田首相の〝聞く力〟は、誰の言葉を聞いているのだろうか」という緊急特集があり、<「敵基地攻撃能力の保有」に反対する12人の女性の声をぜひ聞いてください>として、上野千鶴子(社会学者)、上原公子(元国立市長)、落合恵子(作家)、加藤陽子(東京大学大学院教授)、斎藤美奈子(文芸評論家)、澤地久枝(ノンフィクション作家)、田中優子(法政大学前総長)、中島京子(作家)、浜矩子(エコノミスト、同志社大学大学院教授)、三上智恵(映画監督)、安田菜津紀(フォトジャーナリスト)、山本章子(琉球大学人文社会学部准教授)の声を掲げていました。
ちなみに加藤陽子さんは中高生向けに講義した内容をまとめた『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社、2009、小林秀雄賞受賞)などで有名ですが、2020年に菅義偉政権によって学術会議会員への任命を拒否された6人の中の1人でもあります。
加藤陽子の別の本(『戦争まで』)によると、19世紀の軍事思想家、クラウゼヴィッツは『戦争論』で、「戦争は政治的交渉の一部であり、従ってまたそれだけでは独立に存在するものではない」と言っている。以前にも紹介した昭和史および漱石の研究家、半藤一利が『昭和史』(平凡社ライブラリー)かどこかでふれていましたが、夏目漱石も「人びとはとかく大事件に注目するが、それ以前の小さな出来事の意味が大きい」といったことを書いているとか。
と』を確保しているとは認められない」。総務省ではこの見解を「『番組全体を見て判断する』というこれまでの解釈を補充的に説明、より明確にしたもの」と説明した。
B 僕はかつて『総メディア社会とジャーナリズム 新聞・出版・放送・通信・インターネット』(知泉書館、2009、大川出版賞受賞)という本を書いたことがあります。インターネット以前は、メディアと言えばいわゆるマスメディアだけでした。しかも新聞、出版、放送などのメディア企業は、ふつうの企業とは違う一種の「文化産業」とみなされ、そこでは不十分ながらも、「表現の自由」や「権力監視」といったい言論機関の役割が自覚されていたわけです。
A 近くの梅園に行ってみました。春ですねえ。