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関 根 みなさん、こんばんは。「ユーディット(情報のユニバーサルデザイン研究所)」の関根と申します。今日はお招きいただいてありがとうございます。私もじつは法学部出身なんですね。小さいころはもっとかわいかったんですよね(笑)。このぐらいだった時代が私にもある(と子どものころの写真を紹介)。
 3歳のころ、本来なら赤ちゃんのときに見つかるべき障害が2年以上遅れて見つかって、九州中の大学病院から「このお子さんは一生歩けませんよ」と言われてしまったんですね。ところが、たまたま赤ひげのような先生に助けてもらって、5歳でやっと歩けるようになりました。だれでも小さいころは歩けないわけですが、私の場合はそれが5つまで続いたということかもしれません。
 その後ずっとそんなことは忘れていて、日本IBMという会社に入りました。1981年だったのですが、まったくコンピューターに触ったことがない法学部学生からシステムエンジニアとして入社するというすごく無謀なことをやってしまったわけです。私は機械にめちゃくちゃ弱いんですよ。どうしようかと思いながら、「石の上にも三年」という感じで何とか一生懸命お仕事をしていたわけです。
 ところが87年から2年間、アメリカに行く機会がありました。IBMはいい会社で、連れ合いが海外赴任したら、会社を休んでついて行ってよろしいという非常にいい制度がありました。というわけで同じIBM社員の亭主の転勤について行っちゃったの。金魚のフンになったわけですね(笑)。
 いろいろな人に出会って、アメリカは障害者が多い国だなと思いながら帰って来て、成田に着いた瞬間にあることに気がついた。トランクがめちゃくちゃ重い。あれ? なぜこんなことになるんだろう。まだ89年の終わりで、日本にはバリアフリー法などないから、階段をトランクを提げて降りなきゃいけない。エスカレーターは上りがあるだけで、下りはないんですよ。駅にはエレベーターも全然ない時代。
「そうか、よくわからないけど、日本が障害者の少ない国で、アメリカが多かったんじゃなくて、これはもしかすると日本の障害者は外に出られなかっただけなのね」と気がついたのが、私の転機だったんですね。戻ってから、福祉の道に行こうか、それともIBMを続けようかと悩みました。
 92年にテクノロジーフェアという大きなイベントがあって、そこであるブースを任された。そのときに、IBMの研究所がホーキング博士のためにつくった、視線だけでパソコンを動かすようなソフトウェアを海外から持って来て紹介する担当をしました。ものすごい反響があり、マスコミが連日連夜押しかける。そこで「こういうセンターが海外にあるのに、どうして日本にないのか」と、無謀にも私は社長に直訴してしまったんです。そしたら、「わかった。言い出しっぺのおまえがやれ」という感じで、翌年、そういう部門をつくらせてもらいました。年間1500万円ぐらいの予算と3人のスタッフで、こんな若輩者でいいのかしらと思いながら、日本初の障害者支援技術の展示・相談センターを起こしたわけです。いろいろな人と出会いました。
 ここで6年間お仕事をしたのですが、だんだんつまらなくなってきた。IBMに不満があったわけじゃないんです。女性でもやりたいことをやらせてもらえるし、国の委員会でも何でもどんどん出してもらった。海外出張もずいぶんしました。でも、ほかの日本のメーカーを見ていると、全然そういう人が出て来ない。まず女性が活躍していないし、IBM社内には障害をもつ人がいっぱいいて、その人たちのためにもセンターを作ろうと思っていろいろやっていたわけだけれど、日本の企業も役所も、そういった障害をもつ人が、当事者としてまったく表れて来ないんですよ。
「なんかつまんないじゃん」。そう感じていたわけですが、じつは途中からNTTや日立の関係者の方から「ねえ、関根さん、こんなものを考えているんだけど、もうちょっと高齢者や障害者に使いやすくするにはどうしたらいいと思う?」というふうに、コソコソッと話が持ち込まれるわけですね。これはもしかするとコンサルティングとしてやっていけるかもしれないなと、ついその気になって、会社をつくっちゃったわけですよ(笑)。ユニバーサルデザインという考え方を進めようかなと思って。
 当時、インターネットはケーブルテレビでつないでいたんですけど、家のインターネットで働ける環境がそろってきたわけですね。動かしてみるとサクサクと動く。これってIBMのLANより速いじゃん。「もう私は通勤なんかしなくていいんだわ。会社は1時間半もかかるし、雨の日イヤだもんね」ということで、家で会社をつくっちゃった。立派な言い方をすれば、そういう生活者の視点を企業や行政に届ける役割を担おうとしたわけです。

だれにもやさしい環境や機器開発を考えるのが
ユニバーサルデザイン

 ユーディットというのはユニバーサルデザインとITを組み合わせた造語です。パソコン、コピー、ATM、券売機、あらゆるIT機器やウエブサイト、企業、行政、省庁とすべてのものをどうしたら、だれでも使いやすいようにできるか、それをコンサルティングしている会社です。こういうアクセシビリティ・コンサルタントというのは、欧米にはたくさんあるのですが、日本ではうちの会社を含めて2、3社しかない。ほとんど独占企業で、日立、NTT、富士通、ソニー、松下など、日本のITメーカーさんで我が社のクライアントでないところを探すほうが難しいと言われています(笑)。小さい会社だけど、じつは、とても大きな企業だったりします。
 社員は5人しかいないんですよ。ただし登録社員は130人、全員が在宅勤務です。正社員だけが週に1回、会社に集まる。登録社員は、フィンランドやベトナムの人もいます。時差を超えてみんなで仕事をする。オンラインだけで仕事をしています。特徴的なのは、登録社員のうち半分が障害をもったり、高齢者だったり、または家族にそういう方がいらっしゃる人たちです。17歳の高校生から80代の人までいっぱいいる。「貨幣経済から価値経済へ」というキャッチで動いているんですけれども、けっこうおもしろい。
 これは私のリビングルーム(以下、写真を見ながらの話になったが、写真は省略)。これがオフィスね。向こうの写真はダイニングテーブルです。私は社員を5人以上増やさないと決めています。なぜかというと、うちのダイニングテーブルの椅子が6脚しかないから(笑)。それ以上になると座れないでしょう。だから、これで十分だと言っているんですね。それで私もIBM時代より高い給料をもらっているわけだから、けっこういいと思いませんか。
 この写真のうちの主任研究員、濱田英雄君は乙武君(矢野注:『五体不満足』の著者、乙武洋匡さん)よりはちょっと障害が軽い。両手両足の先がないという先天的四肢損です。ホームページをだれでも使いやすくするためのJIS企画をつくっている経済産業省のウエブアクセシビリティー委員会で委員長をしています。彼のように障害が重くてあまり学歴も高くない人が、国のIT政策の根幹を決めるような委員会の委員長をやるのは日本で初めてです。キーボードもマウスもちょっとゆっくりですけど、すごく確実に打ちます。
 この登録社員は6歳で進行性の筋ジストロフィーを発病、30年近く鹿児島の南九州病院に入院していた方です。声も出ないし、指先が2ミリ動くだけですが、その2ミリの指先を使って、こんなすごく美しいコンピュータ・グラフィックスの絵を描いています。私の本の表紙になっている赤いユリの絵は、あるグランプリで優勝したものです。コンピュータ・グラフィックスをやっていらっしゃる東大の河口洋一郎さんが絶賛してくださった絵です。これを回覧してください。
 この人は身長が130センチしかありません。骨形成不全ですね。目が見えなくて、呼吸器障害もあるため、いつも酸素ボンベを背負って歩いている。こういう重い障害を3つも持っていながら、じつはこの人、我が社のバイリンガルのデータベース・リサーチャーとして右に出る人がいない。海外のサイトを検索して要約をつくる作業など、すごくテキパキとこなしてくれます。この前『筑紫哲也のNEWS23』にも出て有名人になってしまいました。
 ユニバーサルデザインというのは、年齢、体格、能力などにかかわらず、だれもがそれを使えるように、街や物や情報、サービスなど、私たちの身の回りのあらゆるものを最初からデザインし直そうという考え方です。健康な成人男子だけが通勤できるというのではなく、おなかが大きくなっても、ベビーカーがいっしょにいても困らないような社会をつくっていこうという考え方ですね。
 昔は障害をもつ人だけのデザインが世の中にはいっぱいあった。それは「バリアフリー」デザインと呼ばれるんですが、そうではなく、あなたたちがおじいちゃん、おばあちゃんや、もしかすると小さい子どもといっしょに使えるようなもの、そういうデザインをしていこうということです。これを日本の中で紹介していくのが私の仕事です。
 例えば札幌市の市民センターは、市民のITリテラシーを上げるために、50台のパソコンを貸し出して情報発信を支援しているグループですが、そこの家具はとても素晴らしいユニバーサルデザインです。彼らはそのことを知っていたわけじゃないんだけれど、でも選んだものはこんなにすてきな椅子。向こうの傘立ては、背の高いお父さんの傘も背の低い子どもの傘もちゃんと普通に入るようになっていて、デザインも美しい。
 同じく、この某温泉旅館。一個も点字ブロックはありませんが、全盲の人がどこへでも行ける。なぜかと言うと、床に違った材質の石がはめ込んであるから、足元の感覚で浴場はこっちだなというのがわかります。向こうに見えるカウンターも、普通はパンフレットを置いてあるんだけど、じつは車椅子の方に宿帳を書いていただくための場なんですね。まったく違和感がないし、車椅子マークなどどこにもない。でも、いろいろな人が使えるようになっているんです。これがユニバーサルデザインです。
 ヤマハの電動アシスト自転車などもユニバーサルデザインのサンプルですね。一番弱い人に基準を合わせることによって、それよりもう少しニーズの軽い人にも売れる。こういう商品を作ろうということで、各企業さんがいろいろ動いているわけです。
 みなさんたちはインターネットやパソコンを使っていらっしゃると思いますが、50代以上の人びとはまだまだパソコンやインターネットを使えてないですよ。でも日本はイタリヤを抜いて世界1の高齢国家になっちゃったんですね。これから20年間、トップを独走するんです。これだけは世界の国のどこにも負けないというくらい(笑)、じつはシニアが多い。その人たちにもきっちりインターネットを使ってもらい、彼らの意見を吸い上げることによって行政の施策や製品を良くしていこうと、私は思っているんです。
 そのためにはIT機器がもっと使いやすく、わかりやすくならなければいけないわけ。IBMなんかも、どこにも障害者、高齢者用と書いてないけれど、使いやすい機器を一生懸命つくっています。携帯(ケータイ)もそうです。中学生や主婦、高齢者などの初心者向けに開発された「らくらくホン」がバージョン2になるとき、富士通さんにすいぶんガイダンスをお渡ししました。シニアの方の指名買いの率が非常に高かった機種です。女子高校生にも意外と受けているんですよ。
 それからホームページ。私たちの仕事の半分以上がこの関係になっています。いろいろなホームページ、とくに行政のホームページをだれにでも読めるようにしましょうというガイドラインがじつは韓国で出ていて、日本もこれをきちんとやらないといけないねといま政府のほうで作業を進めているわけです。
 そのガイドラインをつくっているのがさっきの濱田君です。でも、障害者向けの格好悪いものつくれとはまったく言っていない。普通のサイトでも、あるつくり方をすれば、きちんと全盲の人にも耳で聞こえて、高齢者にも読めるになる。やり方があるんですね。それを進めるのが会社の仕事になっています。最近ではいろいろなサイトがずいぶん良くなってきています。
 家電系もいろいろお手伝いしています。例えばこれは東芝の洗濯機開発の例です。車椅子のケースですが、妊産婦やご高齢の方、いろいろな人たちが使うときに困らないようにユーザーの声を聞き、何度もテストをして作っているわけです。

結婚するとしたら、パートナーの資質はすごく大事です

 みなさん、これからお仕事をなさる上でいろいろなことを考えなきゃいけないですね。私はこういう仕事をしてきたために、生まれてから30年近く病院に寝たきりのまま暮らしている人たちに何人も会ってきました。彼らが私に問いかけます。「僕が生まれた理由は何だと思いますか?」「私が生まれた理由は何だと思う?」。答えが見つからないまま死んでいく人もたくさんいます。でも、私は彼らと話をします。彼らが生まれてきた理由も、そしてここにいらっしゃる皆さん、全員が生まれてきた理由もまったく同じです。
 自分が生まれて以降、出会う人を少しでも幸福にするために、みんな生まれてきているんです。彼らが生きてきた意味も、そこにあると思います。実際、私はあの人たちの意見を聞いて、ウエブサイトや商品をつくり直しながら、この人たちの意見が、その後にそれを使う人にとってどこかできっとメリットが出てくるということを感じます。
 私はずいぶん試行錯誤しながらこういう道を探しましたが、いまライフワークと言える仕事につけてすごく幸せです。ここに至るまでは本当に苦労しました。私の赤い本(矢野注:『「誰でも社会」へ デジタル時代のユニバーサルデザイン』岩波書店)を読んでいただければ、「えー、関根さんってこんなにドジだったのか」とか、いろいろ見つかってくると思うんですけれど(笑)、みなさんもいろいろな試行錯誤をしてください。そして自分の道が見つかるまで、どんどん進んでください。
 結婚するとしたら、パートナーの資質はすごく大事です。これは私の結婚式のときの写真で、私も若いころはこんなだったのをお見せしてしまいますが、男性の方にも言いたい。私は結婚式の日に亭主にこんなことを言われました。「千佳、おまえね、会社はいくつ変わってもいいから、仕事をやめたら離婚だからね」って。すごいでしょう!? 歳が一まわり離れているんで、けっこう団塊の世代なんですよ。団塊の世代の人で結婚式の日にこんなこと言えるって珍しいと思うんですよね(笑)。仕事というのはお金を稼ぐという意味では全然なくて、社会とかかわっていてほしいと。いわゆるふつうの奥さんにはならないで、という意味なんですね。
 ですから私の最後のメッセージはこれです。男性の方も女性の方も、どんな形でもけっこうです。仕事を続けてください。あなたの仕事が何かを変える日が必ず来ます。それが見つかるまで、ずっと続けてください。必ずあなたたちがこの世の中に生まれてきた理由が、どこかにある。見つかるのは死ぬときかもしれないし、もっとずっと早いかもしれない。それまでずっと仕事を続けてください。私のメッセージは以上です。詳しくは弊社のサイトをお読みください。どうもありがとうございました。(拍手)。

矢 野 どうもありがとうございました。たいへん勇気の出る、元気の出るお話でした。女一人、知恵とバイタリティがあると、いろんなことができるという実例でもあったかと思います。大いに励まされた人は、これから有意義な人生をお送りください。続けて二木さんにお話をお伺いします。


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