二 木 | |
お二人の大変すばらしいお話をありがとうございました。私がインターネットにかかわったのは割合早くて、90年代はじめからです。仕事は翻訳と編集の両方やっています。それにメディアの研究もしています。私がやっているサイトはごく地味なもので、「アリアドネ」という人文系の資料を集めた、いわゆるリンク集です。1995年秋に立ち上げました。翌年、ちくま書房からガイダンスの本(矢野注:アリアドネ編『調査のためのインターネット』ちくま新書)を出して、それ以来3冊くらいの本を出しています。
アリアドネをはじめたのはなぜかといいますと、翻訳者というのは時々、とんでもない資料がとんでもない時間にどうしても必要になります。しかも締切が明日の朝で、さあ、どうしようということが散々あるわけです。私がとても計画性がないからだという声もあって(笑)、何とも言えないのですが。
インターネットができたときに、これは私のためのメディアだとすぐに思いました。当時はまだ英語圏が主でしたが、世界の各地で様々なリソース(情報源)が立ち上がりはじめていて、まったく個人の研究者のものもあれば、大きな組織でやっているところもありましたが、それぞれ発信している情報は、そこを訪れる者にとってほとんど同じような機能を果たす、非常に自由なメディアであると思いました。
それと同時に、紹介されているリソースが非常に優れたものでありながら、それらが無償で提供されていました。初期のオーソドックスなインターネットの時代だったこともありますが、そうしたサイトが世界中でできはじめていることに非常に感動しまして、同時にこれは私にもできることだと思いました。
実際に何をしているかと言えば、優れたリソース集をリストにして、そこに編集の手を加え、自分なりの提示の仕方をしています。これは自分なりの図書館であり、小さな図書室であって、それは私にとって最も使いやすい形になっていますが、ある一定の規則、例えば一つの分野で最も主だったリソースを最初に並べて、そこから個人研究のようなものに降りていくといったふうに配列を一定化すると、誰でも使えるようになることに気がつきまして、そのような形をとるようにしました。
私自身は文系というのでしょうか、大学は外国語学部で現代思想を専攻しましたが、そうした分野だけでなく、様々な分野を扱うようにしました。その理由は三つあります。一つは、いま言ったように、仕事上、どの分野の情報が必要になるのかまったくわからないからです。これはごく現実的な理由ですけれども。二つ目は、分類というものを比較的オーソドックスなものにしておけば、だれでも使えるということです。実際に学術分野にかかわる資料や調べものは伝統に沿って発生してくることが多く、そういう意味で書き手自身が歴史的な知識分類に沿って思考しているため、言わば文化的な理由としてオーソドックスな分類をしたということになります。
それから三つ目は、一番大事な理由だと自分では思っているのですが、一つの分野を知るためにはその分野だけでは足りないという、ちょっと逆説的な事情です。粟飯原さんがなさっているAll About Japanのもとになったサイトも英語圏で生まれて、すぐに使いはじめました。非常に優れたものであると思い、いまも使っています。
さまざまな分野が必ずどこかでつながりあっていて、その複合的な状況が、いくつもの分野を通すことによって透けて見えてくる。そのおもしろさというものを、インターネットで非常に感じました。ですからサイトは、私にとっては、一冊の本であると同時に、その発信者の人格そのものが感じられる気がします。そういう意味では、発信者の方たちとやりとりをしたりしながら、自然な形でネットワークをつくっていったと思っています。
私のサイトでリストアップしているものは、デジタルを通じていますが、デジタル資料のほかに紙の資料、つまり伝統的な書物や雑誌も同時に探せるわけですね。そうしたものがデジタル上でたくさん出ているということです。
それと同時に、「一番重要な探しものは人である」と言っています。これは、先ほどの粟飯原さんや関根さんのお話とおそらくどこかでつながっていると思いますが、ある分野について最も詳しい人はだれなのか、あるいは、自分と似た関心をもつている人たちはだれなのか、そうしたことを知ることができる。普通の意味での「出会い系」ということではなく、怖い出会いもありますが、そうではなく、ある意味で、一生いっしょにものを考えていけるような相手をここで何人も見つけましたし、一度も会ったことはないけれど、一番深い話ができるという視野をもつこともできました。
サイトで発信すると同時メーリングリストをつくりました。そうしますと、素晴らしい方々が仲間に入ってきて、様々な分野の方と知り合えるようになりました。粟飯原さんがおっしゃったように、発信している人間が一番豊かになれるのではないかということを私もまさに実感として感じました。
ですから、このサイトを通じて、人と会える、紙の資料、伝統的な資料、組織を探せる、そしてもちろんデジタルの資料を探せる、という三つのことを得られたと思います。
諦めなければ、手段は必ず見つかる
インターネットが実用的な問題以外にも好きだと思ったのは、ある意味でのユニバーサルナデザインをインターネットそのものが持っているからではなかったかと思います。自分自身の時間や空間を持っていて、それぞれがまったく別々の過ごし方をしていて、そして、お互いを尊重しながらその時間や空間を重ね合わせることができる。
例えば、紙の本というのは素晴らしいものですが、だれかが借り出していったらもう借りられない。それは物質の良さであると同時に限界ですね。その限界というものをもっていないデジタル情報には、危うさと同時に非常に自由なものがある。一つのサイトに行って探しものをしていると、カウンターの数が時々上がっていったりして、「ああ、この資料はだれかほかの人も見ているんだな」と思う感じが私は割合好きで(笑)。
昔、グレン・グールドというピアニストがいて、コンサートを非常に早い時期にやめた人ですけれども、彼が言っていたことは、レコーディングは自分の最上の瞬間をそこにとどめておける。私はそこでマイクロフォンと愛情行為をしているようなもので、その記憶がそこに残る。また聞くほうも一番いい瞬間、好きなときに私の音楽を聞ける、と。それでコンサートをやめてしまいました。限りなく自分の肉体を酷使しながらコンサートを続けていく。しかし、最高にできることがいつもあるわけではなくて、そうすると、最上の瞬間をいつも自分でなぞって、それを追いかけることにしかならない。その限界が嫌だと言ったことがあるんです。
私たちの人生というものは、肉体も含めて本当に1回限りのものですけど、それをどこかで超えることができると、複数性というものが与えられる、そういう可能性があると思うんですね。1回失敗したら、もう取り返しのつかないことも世の中にはあるけれど、そして1回見過ごした時間は元には戻せないけれど、そうではなくて、それを何回か練り直すことができる。やり直すことができるメディアというのが、たしかにインターネットの初期の設計として、いまも生きていると私は思っています。
そういう意味で、先のお二人のやっていることは、すごく違うのですが、どこかで重なっているんじゃないかと思いながら、感動しながらお聞きしていました。サイトをつくるときもそうですけど、何かに本当に熱中するということが大切だと思います。私がやっていることは、必ずしも合理的でも何でもない瞬間があると思うのですが、自分がつかまるような感じというのもあって、そのときに、人から励まされることはやはり大きいです。こういうサイトをやっているということで、「こんなおもしろいサイトがありますよ」と教えてくれる人が信じられないくらい出てくる。それは本当にさっきのお話といっしょなんですけど。だから、何かに熱中する。これはアメリカの作家のノーマ・フィールドが言っていることですが、私も本当にそう思います。
彼女は、こんなふうに大学で行った講演で、とても感動した経験としてこういうことを語っています。学生時代に詩人の先生が詩の講義をしてくださったときに、探したいたった一つの言葉が見つからなくて本当に苦しいことがあるという体験を話してくれたそうです。
そのときの先生の言葉は、「詩人として自分はあなたに値しないけど、でもあなたをあまりにも愛していたから、自分がどれほど不器用で、知らないことが多くても、諦めることができない」。ここで「あなた」と言っているのは詩のことですが、これは詩だけではなく、すべてのものに通じると思うんですね。諦めなければ、本当に手段が見つかると。さっき関根さんがおっしゃったことはまったくそのとおりだと思うんです。それがインターネットかもしれないし、ほかの手段かもしれない。デジタルで超えられることはたしかに多いと思うし、そう思いながら使ったときに見えてくるものがインターネットにいっぱいあるんじゃないかと、お二人のお話を聞きながら改めて思いました。紹介にならないんですけど、以上です。(拍手)。
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