若槻 | | 団塊ジュニアとして、自分に当てはまらないと思うことも
今年30歳になるんですけれども、団塊ジュニアということで他人ごとではなく聞いていたんですけれど、いろいろおもしろいご指摘がありまして、そのなかで「がんばらなきゃいい結果を出せないというのがあたり前だったはずなのに、がんばっているのはカッコ悪いという風潮がある」というコメントがあって、それ以外のところはあんまり自分に当てはまらない感じがしたんですが、そこのところはその通りだなと思いました。
と言っても、微妙にニュアンスが違うのは、がんばらなきゃ結果がでないというのは一応わかっているんですけど、がんばっていることが他に知られるのがカッコ悪いみたいな、テスト前に「勉強してるぞ」というのを人に知られると「あの人何?」と言われるのがカッコ悪いというのは、私の回りの世代とか、私自身にもあるなと非常に共感しました。
私も仕事柄、2ちゃんねるに名誉毀損をされたので書き込んだ人間を知りたいということで、だれが書いたのか突き止めるために裁判所に行き、ひろゆき(管理人の西村ひろゆき氏)に教えろという命令を出してくださいと頼むんですが、けっこう大変なんですよね。
そういう作業をやっているなかで、仕事ですから、実際のスレットを見なきゃいけないんですけど、そういうの見ると気分悪くなっちゃうんですね。代理人なのに依頼者と同じような気分になってしまって、かなりへこたれてしまうんですけれども、独特の世界だなというのはいつも感じています。相手がどう感じるかっていうことをまったく考えていないというのが、すごく大きいなと思っています。
ペクさんのお話で、この言葉は実際にペクさんの口から出たんじゃないですが、キーワードは双方向性ということかなと思いました。結局、日本のメディアは一方的にただ発信しているだけで、韓国の方は情報を受けた方が感じたことを発信する場が設けられているという意味で、双方向であると。
そのあと教育という話も出て、日本ではきちんと教えてないんじゃないかというふうにおっしゃっていましたが、私も情報モラルに関して学校の先生の研修会みたいのに呼ばれて話をしたことがあるんです。その時にちょうど小学生のクラスの女の子を殺しちゃった事件があったので、「子どもにインターネットを教えるには、何を教えたらいいんでしょう」と聞かれたことがありまして、そのことをペクさんのお話を聞いて思い出しました。私は教育のプロではないんですけど、やっぱりコミュニケーションということなのかと思いました。
リアルワールドでは相手がどういうふうに受け止めているかを、顔とか言葉の雰囲気とか、抑揚とかを見ながら話をしているんでけれども、インターネットとか、メールのやり取りだと、本当に字だけなので、そこまでは読めないんですよね。本当は想像力で補ってほしいところなんですけど、それが生まれたときからインターネットと関わる世代だと、あんまりないのかなというふうに思って、学校ではぜひ相手がどう思うかということを考えながらネットを使うことを教えたらどうでしょうかと言ったんですね。そんなことからディスカッションの方に流れたらいいなと思います。 |